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2008年09月02日

「ホントかよ」と思ってしまうような、本当にヒドイ話

このブログでは、あんまり悪口を書かないようにしようと思っているのだが、今回はどうしても我慢ができないので、書くことにした。
先日、知人を介して、若いカナダ人を紹介された。このAD氏、日本の文部科学省から奨学金をもらい、日本のある大学院で勉強したことがある、という。ところが、その奨学金の期間は2年だったのにもかかわらず、1年で帰ってきてしまったそうである。いろいろ話をきいてみたら、この奨学金の運用というか運営というか、信じられないくらいヒドイ。
まず、AD氏によると、この奨学金を受けるためには「奨学生に選ばれたことがわかってから2週間のうちに、どこかの大学から受け入れの通知をもらわなければならない」というルールがあるのだそうである。え、たったの2週間?何度聞き返しても、そうだという答えが返ってくる。
しかも、である、受け入れ通知をもらえなければ、奨学金は取り消される、という。日本の「まとも」な大学で「まとも」に入学審査をしている学部や研究科において、2週間で外国人に入学許可を出すところはまずない、と思う。しかも、AD氏によれば、奨学生に選ばれたという知らせをもらうまでは、けっして事前に日本の大学関係者に連絡をとってはいけない、と念をおされたのだそうだ。もしそんなことが本当にあったとすれば、学問の自由が侵害されているのではないかとさえ、思える。
いずれにせよ、この奨学金制度は、「来る者は拒まず」と門戸を開いている日本の一部の大学の一部の学部・研究科にしか、奨学生を行かせないようにしている制度だと思われても仕方がない。学問の自由はともかく、すくなくともこの制度の運用には、研究の内容に応じてベストなマッチングをみつけてあげようなどという学術的配慮は微塵もない。いや、より一般的にいって、日本を訪れようという外国人に対する、尊重の念というか、基本的な礼節も欠落しているように思える。
さらに驚いたのは、実際に日本に着いてからの奨学生たちの実態である。この奨学金を受け取るために、AD氏は月に一度、大学の事務所に顔を出す必要があったという。しかし、それをのぞいては、AD氏には何の義務もなかった。大学に行こうが行くまいが、授業をとろうがとるまいが、研究を進めようがサボろうが、誰も感知しないのだそうである。たしかに、審査をしていったん奨学金を出すと決めたからには、奨学生の側の自主性を尊重するという方針も、理解できないわけではない。しかし、韓国や中国など、日本の近隣から来ている奨学生の中には、母国にそのまま住み続け、月に一度だけ来日して、奨学金を受け取る手続きをすませ、「貯金」することだけに専念していた者が少なからずいた、という。すでに、この奨学金制度については、そういうことをしても誰も何もいわないという暗黙の評判が出来上がっているので、とんでもない慣行がずっと続いているらしい。
AD氏は、この奨学金制度の運用に嫌気がさし、2年の期間をまっとうせず、カナダに帰ってきてしまったのである。ボクは、この話を聴いて、怒るというよりも、とても悲しくなった。この経験を通して、さもなければ日本に関心のあった1人の才能ある外国の若者が結局日本を去る決断をし、現在では日本とまったく関連のないキャリアを歩むことになったわけである。AD氏の関心を引き止められなかったことは、大げさでなく、日本の国益にとって大きな損失だったのであって、こういうことを積み重ねているうちは、日本はいつまでたっても国際社会に確固たる地位を築けない。
最後にAD氏はこう付け加えた。この奨学金のルールは毎年のように変更されるので、もしかしたら現在は、自分が経験した時と異なった運用がなされているかもしれない、と。AD氏は、日本人であるボクに、日本の制度の悪口をさんざんいったので、最後にさらりと礼節ある大人の発言をしたわけである。ボクとしては、AD氏の言を待つまでもなく、奨学金をめぐる状況が大幅に改善されつつあることを、強く願うばかりである。

2008年07月31日

Nowadays, they don’t date, but they hang out

もうすぐ16歳を迎えようとしているボクの娘に、同い年のボーイフレンドができた。
この夏参加したビーチバレーの合宿とトーナメントで、二人は仲良くなった。バレーでコンビを組む娘のパートナーが、このボーイフレンドの従兄のガールフレンドという関係である。そして、この従兄の父親が、ビーチバレーのコーチなのだそうだ。やっぱりこの世界は狭い。
娘のいうところによると、実は彼女は、ずいぶん前からこの彼のことを気に入っていた。彼女は、去年の夏、小さな子供たちに自転車の乗り方を教えるアルバイトをしていたのだが、どうやらそこで初めて知り合ったらしい。娘の友人たちの間には、彼女が彼を気に入っているので、「あの彼には手を出すな」という暗黙の了解ができあがっていたたようである。ところが、二人ともシャイで、なかなかきっかけがつかめず、ずるずるとこの夏まできてしまった。それがようやく最近になって、どちらもちょっとずつ勇気を出し合ったことで、一緒になれたということらしい。
初めて恋に落ちた娘の行動を観察していると、なんともいじらしい。
電話番号やメールアドレス(こちらではtextingという)を交換したあと、ずっと携帯を握り締めて、相手から連絡が来るのを待っている。そして、連絡が来たあとも、すぐ返事をすべきかどうか、ああでもない、こうでもないと自問自答している。ほかの友達たちから、「カップルになったのか?」というメールの問い合わせが殺到し、親友と「いったい誰が言いふらしているのか」と、これまたああでもない、こうでもないと詮索している。そうした「ああでもないこうでもない状態」が、一日中、延々と続くのである。
はじめて彼から「オヨバレ」がかかったとき、ボクは娘に「どこでデートするんだ?」ときいた。そしたら、最近の若い人たちは、二人きりのデートというのはあまりしないのだそうである。デートではなく、ハングアウト、つまり何人かの仲間たちと一緒にいる中で楽しむのである。二人だけでなく、仲間のネットワークの中で関係を築いていくということなのであろう。
というわけで、その最初のハングアウトは、ビーチバレーのコーチの家であった。
プールもあるし、テニスコートもあるし、ビリヤードテーブルもある。ハングアウトするには、まさに最高の環境らしい。
ボクが車でその大邸宅まで送っていくと、途上、娘はそわそわしはじめた。鏡で何度も化粧を直している。鏡を閉じたり開いたりして、「ああ、緊張してきた」とため息をもらす。
「緊張?何で?」
「だって、こんなに男の子のことを好きになったの、はじめてなんだもん」。
そうか、そうだよな、そうに決まっているよな。
そのピュアな心にうたれ、思わずほほえむ。そして「Good Luck!」と、送り出す。
娘の門限は、深夜の12時。
あとからきくと、彼はちゃんと彼女を家まで送り届けてくれたそうである。車を運転できる年齢ではないので、二人はバスを乗り継ぎ、歩いて帰ってきた。そして、彼は自分の家まで、またバスを乗り継ぎ、歩いて帰っていったそうである。

2008年07月17日

今どきジェネラリスト宣言

時はいま、スペシャリストの時代であるらしい。
何か特別な技能や資格を持っている人の方が、就職や再就職のとき強いといわれている。
逆に、ジェネラリストの評価は、著しく低い。
総合と名の付く業種、たとえば総合デパートとか総合メーカーとかは、日々血眼になりながら、生き残る道を模索している。いや、彼らは、しばしば「総合=ジェネラリスト」としての自らのアイデンティティを捨てることで、なんとか活路を見出そうとしているようにもみえる。
ボクは、時代とまったく逆を行くようだが、いつも自分の学生にはスペシャリストにならないでジェネラリストになりなさい、といっている。たしかに一見「何でもできる人」が、実は「何にもできない人」であることもある。しかし、一見ではなく本当に「何でもできる人」がいたら、それに越したことはないではないか。
スペシャリストに比べてジェネラリストの評価が低いというのは、どう考えてもおかしい。それは、部分集合の方が和集合よりもでかいと主張するのと同じで、まったく論理的ではない。
ボクの限られた人生経験からいわせてもらうと、趣味のいい人は、どのような分野においても趣味がいい。また、ひとつの分野で才能のある人は、結構いろいろな分野で隠れた才能をもっている。そういうものである。
たとえば、センスのよい音楽を聴いている人は、洒落たユーモアをもち、語彙も豊富で、クレヴァーな会話ができる人が多い(←具体的に誰って言われるとちょっと困るが、たとえば村上春樹とか)。美味しいレストランを知っている人は、オシャレな服を着ているし(←青木昌彦とか)、自分で料理をさせても一流である(←ジョン・フェアジョンとか)。ある競技で秀でたスポーツの才能を持った人は、別の競技をやらせてもたいていうまくこなしてしまうし、場合によってはプロ級の技術を身につけている(←ボクは、バスケットのスティーヴ・ナッシュがサッカーボールを一流のサッカー選手のように扱うのを実際この目で見たことがある)。
・・・というわけで、何がいいたいかというとですね、趣味の良さとか何かに秀でているとかということは、分野を超えて相乗効果を持つものだと思うのです。まったく関係のない分野だと思ってはじめから切り捨てるのではなくて、いろいろな分野で才能を磨いていこうとすると、結局すべて自分に財産となって返ってくる、そういう気がするのであります。
よく大学院へ進学が決まった学生が「先生、授業が始まるまで、何を読んでおいたらいいですか」とたずねてくることがある。そういう時に、ボクは決まって次のようにいう、「院の授業が始まったら、専門的な論文ばかり読むようになるから、まったく関係のない本をいまのうち読んでおきなさい」と。あるいは、映画や演劇を見に行けとか、スポーツをしろとか、いい恋愛を経験しなさい、とか・・・。
要は、何でもよいのであって、何でも真摯に一生懸命に経験することが、必ず、後に自分の専門とする分野にも生きてくる、そういうものなのである。

2008年07月13日

原理的に考えること、あるいは「主権」と「人権」と「権力分立」の話

日本では、小学生のときから民主主義と憲法とは不可分なものだと教えられる。しかし、いろいろな場面ですでに何度も述べてきたことであるが、民主主義と憲法というのは原理的に対立する。単純化していうと、民主主義とは少数派の暴挙によって多数派が踏みにじられないようにすることを保障しようとする制度であり、憲法(立憲主義)とは多数派の暴挙によって少数派が踏みにじられないようにすることを保障しようとする制度である。当然のことながら、この間のバランスをとることはむずかしい。
このように本来原理的に異なるということをさておき、日本の憲法は「民主主義憲法」であるとか、日本は「立憲民主主義」の国であるとかいう言葉だけを覚えたのでは、いったいどうやって「このバランスを実現していくのだろうか」という重要な問いにまったく答えられない。そう、まったく答えられない。
最近つくづく思うのであるが、日本のすさまじくヒドイ社会科教育のもとでは、このように、子供(というかわれわれ大人もふくめて)の想像力を奪ってしまうような常識がまかり通っている。実際、こうしたウソの常識の多さは、呆れるほどである。
たとえば、日本国憲法の三つの特色は、国民主権、基本的人権の尊重、そして平和主義である、と、これまた決まったように、小学生のときから教えられる。しかし、「主権」という概念と「人権」という概念は、原理的に相容れ合わない。そんなことは、すこし想像力を働かせれば、すぐわかることである。主権というのは、国民にせよ、君主にせよ、唯一で絶対的な権力をもつ「誰か」が存在する、という考え方である。これに対して、「人権」というのは、いかなる「誰か」からも犯されることのない崇高な権利をわれわれ一人一人が持っている、という考え方である。
主権と人権が原理的に相容れないからこそ、たとえば、「主権国家」である中国における「人権」が問題となるのである。民主主義と憲法の問題と同様、主権と人権の問題も、相対立する二つの考え方の間でいかにバランスをとるかという話であって、そのようなバランスのとり方を自ら真剣に考え抜こうとしない限りは、いつまでたってもわれわれの中国に対するスタンスが腰の座ったものにはならない。
もうひとつ、日本国憲法についてのウソの常識としては、権力分立というまやかしがある。立法府から人を送り出して行政府を構成する議院内閣制が、権力分立の制度であるわけはない。権力分立の大前提は、同一人物が二つ以上の権限を握るポジションに就かないということである。ゆえに、立法府から行政府に送り出された大臣たちが、議会内での議員としての身分を辞するということが制度化していない限り、権力分立が確立されているとは到底いえない。また、そもそも、権力分立という考え方と、先の主権という考え方とは、相容れない。主権というのは、前述の通り、君主であれ、国民であれ、「誰か」が唯一で絶対的な権力をもつという考え方である。それゆえ、原理的には、どうして「唯一」で「絶対的」な権力を、分けることなどできるのであろうかと問わねばならないはずである。
この疑問に納得する回答が得られない限りは、どのような統治機構の形態が望ましいかというような問題について、われわれはおよそ体系的に考えることはできない。議会は一院制であるべきか二院制であるべきかとか、首相公選制を採用すべきか否かなどといった、今日一部で論争をよんでいるいくつかの「憲法問題」なるものを考える前に、われわれは「原理的に考える」習慣をまず身につけなければならないのである。

2008年07月02日

ソックスの帳尻

銀行では、3時にシャッターがしまったあと、その日の金の出入りをとことん帳尻が合うまでチェックするのだと聞く。最後の1円まで計算が合わないと、銀行員さんたちは帰宅できないらしい。1円や2円計算が合わないだけだったら、自分の財布から出して、帳尻を合わせればよいではないかとも思えるが、たとえ金額が1円であっても、そこでちゃんとけじめをつけなければ、公私混同であることには変わりない。そうした行為を許すと、ひいては横領とか、架空名義口座とか、やってはいけないことへ道を開いてしまうことになるのかもしれない。
しかし、すごいと思うのは、1円まで帳尻を合わそうとして、毎日ちゃんと帳尻が合っているという、その事実である。朝起きて、テレビニュースで「横浜市の○○銀行は、昨日、入金と出金が一致しなかったため、やむをえず今日、業務を一日休むことになりました。お客様には大変ご迷惑をおかけしますが、ご理解ください、とのことです」なんて報道がなされたことは、もちろんいまだかつてない。つまり、世の中の銀行員さんたちは、目をサラのようにして金の出入りをチェックし、最後の1円まで探す努力を、来る日も来る日もけなげに続けておられるのである。
ひるがえって、我が家の話であるが、ウチではよくソックスの片方がなくなる。おかしいじゃんか、ソックスに足が生えて歩き出すことはない、どっかにあるはずだと、目をサラのようにして引き出しやタンスの中を探すのであるが、出てこない。
先日、勘定してみたら、そういう相棒なしソックスが4つもあることに気付いた。これは世の銀行とは大違いである。いつ頃からこうしてソックスの帳尻があってない状態が続いていたのだろうか、と自分ながら情けなくなってしまった。東証一部上場の大企業である銀行は、毎日1円まで、帳尻を合わす努力をしている。他方、はるか零細なウチはなんと4足も靴下がミッシングであっても、さして気にとめるわけでもなく、何事もなかったかのように生活が続いている。これはまずい・・・なんとかしなくてはいけない・・・、と、早稲田のちょいわるオヤジは思い立ったのでありました。
で、ふと思いついて、きのう、洗濯機をよいしょと前の方へ移動し、その後ろになにか隠れてないかなと見てみたら、いました、いました、片割れソックスの相棒たち。ホコリにまみれて、「ああ、見つかっちゃったか」という感じで、次から次へと出てきたのであります。そうなんですね、ボクは洗濯物を洗濯機にいれるとき、遠くから放り入れるクセがあるんですね。それで、もしやと思い、調べてみたのでした。こうしてようやく、我が家のソックスの帳尻を合わせることに成功したのでした。(面白いことに、そこには4足の片割れソックス以外は何もなかった。なんなのだろうか、このソックスの逃亡癖は??)
考えてみれば、このソックスの帳尻合わせに、ボクはかなりの時間と労力を費やした。結構頭脳も使って、あそこではないか、ここではないか、と考えもした。
こうした苦労をしたくないとすれば、どうすればよいか、もちろんわかりますよね。
そう、それは、持っているソックスを全部同じもので揃えればよいのであります。そうすれば、ひとつやふたつなくなったって、なんということはありません。

2008年07月01日

一緒に食事することの意義

ボクの大学院の指導では、修士と博士の学生を合わせて、2コマ続けて授業をしている。今年は、2限と3限にやっているので、その間には昼休みが入るが、ボクらは、弁当を配達してもらって、一緒に食べることにしている。食事を一緒にすることで、研究室の中の連帯感が強まる感じがしてよい。勉強以外のことでも、会話ができる場がそこに出来上がるからである。
友人から聴いた話だが、日本のある有名な二枚目男優さんはけっして自分が食事しているところを他人に見せないのだそうである。ロケでもスタジオでも、どこへいっても食べるときは一人きり。スタッフや共演者とも一緒に食べることはしないし、もちろんマスメディアはシャットアウト。なぜかというと、食べるというのは、その方にとってプライベートな行為だからだそうである。ま、そういわれてみれば、むしゃむしゃと音をたてて食べるクセがあることやどのおかずを食べ残しているかがわかっちゃったりしたら、男優としてイメージダウンにつながる可能性がある。ましてや、ホウレン草が歯の間に挟まっているところを必死で取ろうとしている表情が画像で報じられたりしちゃったら(←別にホウレン草でなくてもよいけど)、取り返しがつかない。食べるという行為の中に、本当は他人に見せたくない要素がいろいろと入っていることは、確かである。
だから、人と一緒に食事をするということは、プライベートな空間を共有することで、その人と親しくなりたいというメッセージを送っていることを意味する。院生たちへの指導においても、同じ弁当を食べることで、場の雰囲気がなごんでいることは疑いない。
しばしば、デートが食事を介して行われるのも、やはりそうした食事の効用があってのことである。もちろん、食事を介したデートには、いろいろな段階というかハイラーキーがある。それゆえ、どういう食事をするかによって、どういうデートにしたいのかについての重要なメッセージを相手に伝えることができる。
たとえば、午後のコーヒー&デザートに誘われたということは、相手はまだまだ「様子見」を決め込んでいるだけだ、と思った方がよい。コーヒー&デザートは、たとえそのようなデートがあったとしても、あとから「そういうつもりじゃなかったの」と平気でいえるような、デートハイラーキーの最下層に位置する段階でしかない。コーヒー&デザートに誘われたくらいで、舞い上がることは禁物である。
おそらくもっとも重要なのは、ランチデートである。はじめてランチに誘われたなら、準備は周到を尽くさなければならない。そこでは相手から、将来発展する可能性があるかを終始真剣に「テスト」されている、と思った方がよい。その場の成績次第ではさらにディナーへと発展するかもしれない。成績が悪ければ、もちろんそうした展開はない。ランチに誘われて、いつまでたってもディナーに誘われなかったら、それは「不合格」をもらったと思って、あきらめるしかないのである。
では、ディナーを一緒にするというのはどうか。これはもう完全に「脈あり」である。すくなくともディナーに誘った側は、その気満々にまちがいない。だからこの場合、問題は受ける側である。その誘いを受けてしまったら、それはあとから「そういうつもりはなかったの」というわけにはいかないような、デートである。だから、ディナーとは、誘うよりも誘われる方が、大きな決断を迫られていると思った方がよい。
悲しいことに、デートのハイラーキーは、登っていくだけのものではない。ときおり「ディナー」から「ランチ」への格下げが起こる、ということもある。あれれ、この前はディナーを一緒にしたのに、などと思ってももう遅い。それは、もう二人の間には将来がなくなりました、というメッセージを送られていると解さなければならないのである。

2008年05月08日

ペアレンティング

英語でparentは「親」という意味の名詞であるが、それを動詞扱いしてparentingという動名詞を用いることがある。直訳すると「親となること」。しかし、これではなんのことかわからない。日本語には「子育て」という言葉があるが、意味はちょっと違う。
「What are you doing this weekend?」
「Oh, I will be busy parenting」
たとえば、スポーツやピアノ教室への送り迎えは、自分の子供を直接的な対象にしたparentingである。しかし、自分の子供だけが対象でない活動もparentingであったりする。たとえば学校でバーベキューパーティがあり、ハンバーガーを焼く係を買って出るといった場合。あるいは子供が不在であっても、学校のPTAミーティングやボランティア活動に参加したりする場合。これらも、立派なparentingである。
思うに、parentingというのは、物理的に「(自分の)子供を育てること」に関わるだけでなく、より社会的なコンセプトであり、「親として責任を果たすこと」という意味をもつ。より正確にいうと、この場合の責任というのは、「社会で期待されている責任」という意味である。したがって、それはかなり広く捉えられる。
実は、先日、ボクはゴールデンウィークを利用して、娘のバレーボールトーナメントに行ってきた。場所は、バンクーバーから車で5時間ぐらいかかるケロウナという町。州のさまざまなバレーボールクラブチームが一同に会し、二つのレベルに分けられて、それぞれのグループで優勝を争う、年に一度の大きな大会である。州には何十という数のクラブがあるから、日程はまるまる2日間に及ぶ。そこで、われわれは2泊3日のちょっとした旅行を計画しなければならない。
大きなバンをもつ親が、何人もの子供を乗せて運転することを買って出る。そして、コーチたちと適度に連携し、彼らだけでは面倒みきれない部分を全般的にアシストすることを約束する。たとえば、試合と試合との合間をぬって、ランチの買出しをしたり、おやつやペットボトルを用意したりする。一日目の夜には、ユニフォームや靴下の洗濯もしなければならない。もちろん、試合のときは、声を枯らしてチームを応援する。中には、試合のスコアキーピングを任された親もいた。実際、こうしたさまざまなparentingに支えられて、トーナメント自体が成立しているのである。
2泊3日の行程をずっと一緒にすごすのであるから、親同士のあいだでは、親密でそれなりに突っ込んだ会話が取り交わされる。子供たち同士は、スポーツ活動を通してよき友人を得るが、自分の子供が所属しているクラブチームがうまく機能するためには、親たちの間でも一定の連帯感がなければならない。それは、ホテルで朝食を一緒に食べたり、子供たちのいいプレイをみて微笑みあったり、夕食時にワインを分け合ったり、というような共通体験を通してしか、生まれてこない。
そう、社会的に期待されているparentingの重要な側面のひとつには、ほかの親たちとのコミュニケーションをはかる、ということもあるのである。

2008年05月07日

フォーマルディナー

先日、ある方のお宅へ、フォーマルディナーに招待された。
フォーマルディナーなるものは、それ以外のふつうのディナーから明確に区別される。なぜなら、フォーマルな行事というのはさまざまなプロトコールによって成立しており、列席するものはそれらのプロトコールに従うことが期待されているからである。
たとえば、結婚式はフォーマルなイベントである。なぜなら、まず、このイベントのために特別に刷られた招待状がある。また結婚式では、会場に着くと同席者のリストが手渡される。リストには、社会的地位を格付けする肩書きが記されており、その地位にふさわしいように、席次やスピーチの順番が決められ、イベントが進行していく。
さて、先日のフォーマルディナーの主賓は、外国からのあるお客様であった。で、なぜボクが招かれたかというと、ボクはいちおう世間的には「現代日本政治の専門家」ということになっており、しかも英語に不自由しないことが知られているからである。そこで、そのディナーの席では、ボクはその主賓の方に、最近の日本政治について思うことをいろいろとお話することが期待されていたわけである。
時間通りに招待状を片手にお宅に伺うと、まずリビングルームに通された。飲み物を勧められたが、ボクはここでアルコールを断り、ジンジャーエールをたのむことにする。はじめから飲みすぎないよう、ここは慎重になる。そして、会話にさりげなく加わりながらも、頭をフル回転させ、その夜自分が置かれた状況を把握することにつとめる。そこには、ボクのほかにもうひとり、ボクより年配の日本政治の専門家の方が同席していた。ということは、自分ばかりぺらぺら喋るわけにはいけない。ボクはあくまで若手、プロトコール的には「2番手」なのだ、ということをしっかりと了解する。
いよいよダイニングルームに移り、食事がはじまる。会話も、だんだんと佳境へと入ってきた。ホストは、プロトコールに従い、まずその先輩先生の方に話を振る。期待通りの展開だ。その先生がお話になっている間に、ボクは目の前の皿にでている料理を急いで平らげる。これも作戦通り。自分の喋る番になった時、食べながら話すというわけにはいかないからである。そして、自分の番になったら、先輩先生の意見を立てながら、手短に自分の考えを述べる。これを、フルコースのメニューに従って、何度も繰り返す。メインに出てきたステーキは、ゆっくりと噛んでいる暇などなく、丸呑みするぐらいであったが、おかげでピタリとタイミングよくディナーを終えることができた。フォーマルディナーは、けっこう忙しいものなのである。
最近読んだある本によると、アメリカの第3代大統領トーマス・ジェファーソンは、ディナーパーティを開くことがとても上手だった。パーティでの会話から情報を得て、同士との連携を強めたり、支持を広げたり、政敵の弱みをつかんだりしたそうである。彼は、招待状を出すとき、「大統領」という肩書きを使わず、ただ「Th. Jefferson」とだけ記した。フェデラリスト党に対抗して、自分は人民によって選ばれたのだということをさりげなく(いや、あからさまに、か?)誇示しようとするのが目的だったのだそうである。

2008年04月07日

(続)一期一会

ずいぶん前に、レストラン版を書いたが、今度は「一期一会:人」バージョンを書いてみたい。歳をとればとるほど、一回しか会っていないのに、忘れることのできない人々が増えてくる。ボクの場合、嫌な想い出は記憶から早く遠ざかっていくようで、ボクの人生の中で忘れることのできない人々は、とっても素敵な人々が多い。
まずは、結構最近だが、ふとした偶然から出張先のホテルで朝食を一緒にした女性の話。すれちがうと誰もが振り返るようなブロンドの美しい方で、正直いって同席しているだけでドキドキしてしまった。で、その方の趣味は、旅行だそうである。仕事に疲れると2週間ぐらい休みをとって、どことなく出かける。もう世界中何十カ国と回っているらしい。そして旅行で何をするかというと、何をするわけでもない。宿泊先のホテルから当てもなく歩き始め、午前中はほとんど「どの店で昼食をとるか」を決めるためだけに、ぶらぶらするのだそうである。そして気が向けば同じところに何泊もするし、気が変われば次の目的地を選んで移動する。結婚する気などもちろんないし、ボーイフレンドもあえて作らない。若いのに(あるいは若いからこそ、か?)、現代社会でindependentに生きていこうという女性の強い意志を見せられて、魅了というか圧倒されてしまった。
次は、もう10年ちかくも前に、カナダから日本までの飛行機の中で隣り合わせた紳士。インド系の落ち着いた人で、電力関係の仕事に就いているとのことだった。出張で日本にはじめていくというので、公衆電話のかけ方(当時は携帯などなかった)や、成田から東京までの交通手段などについて教えることから話しが始まった。実は、その後は何についてしゃべったのかよく覚えていない。ただ、どちらもプライベートな部分に深く入り込まないながらも相手と真摯に接しようとし、しかもそのことをお互いappreciateしながら、さらにお互いがappreciateしているということをお互いappreciateしながら・・・、心地よい会話が続き、気がついたらあっという間に日本についていたという感じだった。節度をもって交わす他人との会話が人生を豊かに送る上でいかに重要なことであるかを、そのとき思い知らされた。
最後は、20年以上も前のこと。大学時代にバックパック旅行をし、ある事情でアメリカ北東部のニューロンドンという小さな町のあるカレッジにたどり着いた。そこで出会ったのは、そのカレッジで日本語を教える日本人の先生。背は小さかったが、口ひげをはやし、黒っぽいシャツをうまく着こなし、英語がぺらぺらで、とてもかっこよかった。残念ながら、その人の名前は聞いたのにもう覚えていない。もしかしたらいまでもそのカレッジで教えているのかもしれない。しかし、本当に大げさでなく、この人との出会いは、ボクの人生を変えてしまった。この人と出会ったことで、それまで大学を卒業したら日本で就職し日本で暮らすことを当たり前だと思っていたのに、そんな人生の送り方がまったく当たり前ではないのだ、ということに気づかされたからである。
国木田独歩の短編小説に「忘れえぬ人々」というのがあるが、そこで描かれているように、人生の中で出会った素敵な人々が忘れられないのは、出会ったときの風景や文脈がまざまざと自分の記憶に刻み込まれているからである。

2008年03月19日

エスカレーターに関する規範について

社会における規範とは何か、とか、なぜこの世の中に規範なるものが存在するのか、とか、なんともコムズカシイ問題を考える上で、われわれが日常利用するエスカレーターは、実に興味深い題材をいくつも提供してくれる。
ご存知の通り、関東では、エスカレーターに乗ると左側に寄り、右側を空けるという作法が成立している。この作法をみんなが守ることによって、急いでいる人が右側を通って追い越していくことができるようになっている(←関西ではこれが左右反対であるという話もよく知られているが、今日はその問題はおいておく)。
さて、こんな作法は、昔は存在しなかった。つまり、昔は、誰も、エスカレーターに乗っているときに人を追い越そうなどとは、思いもよらなかったのである。
ということは、この話は、エスカレーターについての規範がいまと昔とで、大きく変化したことを物語っている。ここでいう規範とは、「社会の中で、人々があまりに自明だと思っているので、知らず知らずのうちにそれに従ってしまうもの」、という程度の意味である。
では、なぜ「エスカレーターでは追い越すものではない」という規範から、「エスカレーターでも追い越してもよい」という規範へと、変化したのだろうか。ボクが思うに、その理由は日本人の社会生活が忙しくなったからとか、あるいは最近の日本人が前よりせっかちになったからということではなく、単純に、日本の平均的なエスカレーターの距離が長くなったことに関係している。
実際、一昔前までエスカレーターはどこにあったかというと、それはデパートの中にしかなかった。デパートの中のエスカレーターは、階と階とを結ぶ短い距離のもので、人は追い抜こうなどと考える余地もなく、あっという間に着いてしまう。
しかし、どこの駅にもエスカレーターが設置されるようになり、しかも地下鉄が増え、地下数十メートルから数百メートルにまで届くエスカレーターができるようになって、日本の平均的エスカレーターの距離はぐんぐんと長くなった。そうした中で、ずっと立ったまま、人を追い抜けないままでいると、急いでいる人にとってはなんとも効率が悪い。そこで、「追い抜いてもよい」という規範が自然と生まれ、それに従って上記の作法が確立されるようになったのである。
さて、ここまでだけなら、社会の規範には何らかの合理的根拠があるということを示唆するひとつの物語りとしてめでたく完結するのであるが、実は、話はここでは、おわらない。
たしかに、適度に長いエスカレーターであれば、人を追い越させるために片側を空ける作法は効率的であるが、最近一部の駅に設置されているような、気の遠くなるぐらい長いエスカレーターでは、いくら右側が空いていても、追い越そうとする人はほとんどいない(なぜなら、一度右側を選択すると、その人はずっとその気の遠くなるエスカレーターを登り続けなければならないからである)。実際、ボクのよく利用するみなとみらい駅の長いエスカレーターでは、作法が確立しているがゆえに、誰も右側には乗らないでいる状況が毎日毎日繰り返されている。
ここでわれわれが目の当たりにしているのは、規範の存在がちっとも合理的な結果を生んでいないという事実である。なぜなら、左側だけでなく、右側にも人が立てることが許されるとしたら、みなとみらい駅のエスカレーターはもっと効率的に、今よりも2倍の人を同じ時間内に運ぶことができるはずだからである。

2008年03月11日

レトロな食堂を定義する

ボクはレトロな食堂が大好きである。
レトロな食堂では、「ミックスフライ定食」とか「ハヤシライス」などを食べたい。
そう、レトロな食堂には、ミックスフライとハヤシライスがなければならない。
これがレトロな食堂を定義する上での、ボクの大前提である。
で、ミックスフライがあるということは、牡蠣フライもあるし、海老フライもあるし、鯵のフライもあるし・・・ということでなければならない(←これは単純な演繹的推論である)。ま、要するにフライ系はすべてカバーしている、ということでなければならない(これをレンマ=補助命題としておく)。
それから、ハヤシライスがあるということは、カレーライスも作っているということでなければならない(←これは演繹というよりは、アナロジー=類推だな)。
いずれにせよ、ということは、当然(上の「全フライカバー」命題と併せると)、レトロな食堂にはカツカレーもある、という結論が論理的に導けることになる。
                           ・・・・QED(←??)
・・・というわけで、ずっと前から一度入ってみたかった横浜の「セントラルグリル」に行ってきました。
場所は、本町通りと日本大通りの角。「ええっ、こんなところに?」という大きな交差点に、堂々と、このレトロな食堂はある。
入ってみると、フライ系だけではなく、サバ味噌煮定食とか金目煮付け定食とかもメニューに載っている。ゆで卵と納豆は、単品で注文できるらしい。うーん、これにはちょっと迷った。どうしようかな、フライ系高カロリー路線をやめて、こうした小物を従えての煮魚系に大胆に路線変更するかなとあたふたしましたが、ここは初志貫徹と思い返し、ヒレカツカレーを食べることに。そしたら、キャベツがチョコッと付いて、味噌汁まで付いてきました。そう、だから、正確には、ボクが食べたのは、ヒレカツカレー定食なのでした。美味しかった・・・。
ボクにいわせると、世の中には「レトロ風の食堂」はたくさんあるが、本当に「レトロな食堂」はそれらからきちんと区別されなければならない。本当にレトロな食堂というのは、食器や調度品の古さだけで決まるのではない。そこで働いている人たちも「レトロ」に徹してなければならない。だから、若いシェフやウェイトレスだけがやっているレトロな食堂というのは、ボクの定義上ない。レトロな食堂で働く人たちは、カッポウ着を身につけているとか三角巾のようなものを頭にかぶっているとか、あるいはかけているメガネが昭和の時代に流行したスタイルであるとか、どこかしら存在からしてレトロ性をかもし出している人々でなければならない。
もうひとつ、レトロな食堂というのは、(このセントラルグリルがそうであるように)「こんなところに」というような意外な場所になければならない。そして、それはそこにずーっとそのままの形で存在していたのでなければならない。オシャレな六本木や西麻布などに、レトロ風を売りにして新たに改装した店というのは、本当にレトロな店だとはいえない。
レトロな店は、年輪を感じさせる。それは、いろいろな人や事件に出会い、さまざまな経験をつんできた人間がそうであるのとまったく同じ理由で、とっても魅力的である。

2008年02月29日

志高き人は、応援せよ

少し前になるが、知り合いの学部生がアメリカの超一流の大学院に合格したという嬉しいニュースを知らせてきた。この学部生はボクのゼミ生ではなかった。また、必ずしもボクの専門分野のことを勉強しているわけでもなかった。しかし、彼の属するゼミの出身で、現在アメリカに留学しているある優秀な先輩が、「どうしても先生の指導を受けさせてやってください」とボクに頼んできたので、特別にこの一年間ボクの院ゼミに出席することを許可したのであった。もちろん、学部生だからといっても、リーディングを読んでくることも発表することも義務付けられていた。もちろん、彼はちゃんとそれらのことを(他の院生とまったく同じに)こなした。そして、実に立派な英語の卒業論文を完成させた。このたびこれ以上望めないようなキャリアアップの道が開かれたのは、本当によかった。おめでとう。
なぜボクがこの学生を特別扱いしたかかというと、彼がとても志高い若者のように思えたからである。ボクはおそらく、彼の先輩が間に入って紹介しなければ、この学生を特別扱することはなかったと思う。しかし、その先輩に可愛がられているということが、すでに彼のひとつの財産であった。その先輩も、きっと彼の志の高さを感じ取ったのにちがいない。そういうのは、自然と伝わるものである。そして、彼のこの一年間を見守り、その評価がけっして誤りでなかったということがよくわかった。
志の高いものは、応援しなくてはならない。
それが、他の人に比べて多少不公平になるような特別扱いをすることになったとしても、である。
なぜかというと、志の高さというのは、ほかの多くを犠牲にすることの上にしか成立しないからである。趣味や遊ぶ時間、あるいは金銭的な問題だけではない。家族とか、友人や恋人とかとの人間付き合いにおいても、志を高く抱いている人は、目に見えないところでさまざまに退路を断って暮らしているのである。だから、そういう人をみると、自然と応援してあげたくなる。そして、そういう人が自分の目標を達成すると、こちらも心が動かされるのである。
話変わって(いや実は変わらないのであるが)、昨日、富士通レッドウェーブが、WJBLのプレーオフで初優勝した。ボクは、ある友人の紹介がきっかけで、数年前からこのチームを応援している。きのう、代々木の体育館で、その劇的な場面を生でみることができて、よかった。
若い彼女たちは、ほかのことすべてを犠牲にして、バスケットボールに打ち込んでいる。このトーナメントで優勝することだけを目標に掲げて、身体もボロボロになるまで、頑張っていたのである。優勝が決まったときの涙は、彼女たちの志の高さをよく物語っていた。
こちらもおめでとう。
そして素晴らしい感動をボクらに与えてくれて、ありがとうございました。

2008年02月15日

ラジオと人生経験の外生性について

この前、昔カリフォルニアで聞いたラジオ局のことを書いたが、つい先日、出張先のカナダでCBCラジオを聞いていたら、次のような話題が語られていた。ウォータールー大学(オンタリオ州)には、学生たちが1970年代からやっている有名なラジオ局がある。このラジオ局は、毎年学生たちが授業料に11ドルを上乗せしていることによって運営されている。この局で働く多くの学生が、その後各地の民間ラジオ局に就職したりするのだそうである。しかし、最近このキャンパスラジオが本当に必要なのか、という議論が起こっている。だいたい、どのくらいのリスナーがいるのかは把握しようがないし、学生たちの利益になる情報ばかりをラジオ局が流しているわけでもない。ipodで音楽やニュースまで聞けるようになっている時代に、キャンパスラジオなんか時代遅れだ、などという極論もある。で、さんざん議論された結果、「レファレンダム」つまりは「全住民(=全学生)投票」をやって、このラジオ局を存続させるかどうかを決めようということになった。レファレンダムをやろうと言い出した学生がスタジオに来ていて、インタヴューに答え、「僕はどちらでもいいんです、とにかく学生たちの意思で決めればいいとおもって」といっていた・・・・。
ボクは、この話を、いくつかの点で興味深く聞いていた。まず、北米では、どこの大学のキャンパスにも、ラジオ局が存在する。そうした局は、結構その地元コミュニティーで、重要な役割を果たしている。このこと自体、とても面白い話である。北米におけるコミュニティーのあり方を、特徴的に物語っている気がする。ひるがえって、東京に一極集中している日本では、大学にひとつずつラジオ局があったら、東京ばかりにキャンパスラジオが多くできちゃって大変なことになる。それから、時代が変わって、こうしたラジオ局がいま存続の危機に立たされているというのも面白い話である。ウォータールーだけでなく、きっといくつかの大学のラジオ局も、似たような状況に追い込まれているのではないか、と思う。そして、レファレンダムをやって決着をつけよう、というのも、非常に面白い。北米では民主主義がよく根付いているなあ、とあらためて思う。日本の大学で、いま全キャンパスを通じてレファレンダムをやろうとしたって、おそらく学生組織も整っていなし、できない。
ボクは、ipodで音楽やニュースまで聞けるようになったから、ラジオは時代遅れになる、という議論には同意できない。ラジオの魅力は何かというと、自分が普段聴かない音楽、あるいは得ようとしているわけではないニュースを、向こうから(勝手に)流してくれるというところにある。つまり、自分にとって情報を収集する過程が、「ひと(ラジオ局)まかせ」になっている、それがラジオのいいところなのである。たしかに、ipodには自分のお気に入りの音楽や自分のお気に入りのpodcastからの情報がはいっている。しかし、そればかり聞いていたのでは、自分の「お気に入り」の範囲が縮小均衡してしまうのではないか。自分が選曲したわけではない音楽が流れきて「いいなこれ」と感動したり、自分が聞きたくもないニュースが流れてきて「なんだこれ」と不思議に思ったりする。そういう(専門用語をつかって申し訳ないが)一種の「外生性」が、われわれの経験を豊かにしてくれるものにほかならないのである。

2008年01月13日

正月に考える

みなさん、明けましておめでとうございます。
昨年は、ブログ更新が思うようにできませんでした。
今年は、何とか改善したいと思いますので、変わらぬご贔屓のほどよろしくお願いします。

・・・というわけで、正月を実家で過ごしました。
たまっている仕事を、まあはっきりいってすべてブッチぎり、同僚のT先生やS先生に迷惑をかけながら、原稿を待っているUさんにものすごい後ろめたさを感じながら、それでも今は家族と一緒に過ごすことがプライオリティだと自分にいいきかせて、有意義な時間を過ごすことにしました。
で、誰にでもそうであると思うが、正月という時期は、いろいろなことを考えさせられる時期なんですね。たとえば、ボクのような歳にもなると、強烈に「老いる」ということを意識させられる。自分の年齢を日本人の平均寿命から引いてみたり、働き盛りの男性が突然死をとげる確率はどのくらいだろうかと想像してみたりして、あと何回このような平穏な正月を迎えられるのかをおそるおそる心のどこかで考えている。
なぜ正月はものを考えるようになるのかというと、正月は、まあだいたいの人にとっては休みなので、普段より時間がゆっくり流れているんですね。だから、ついつい、いろいろ余計なことまで考えてしまう。初詣の電車の中で富士山を遠くに望むと、なんか特別な気分になったり、いつもと違った感慨を覚えたりする。あれっ、富士山ってこんなにでかかったっけとか、高層ビルのなかった昔の時代の人は毎日美しいこの富士山の姿を拝むことができたんだとか、だから日本には富士見町なんていう地名がたくさんあるんだとか、どんどんと想像が膨らんでいく。
なかには、ちょいと背筋を伸ばして、元旦には一年の計を立てなければいけないなどと気張っている人もいる。さて今年の目標は何にしようかとかと考えるのは、マットウなことではある。しかし、なかには、今年一年は親切な人でいようとか、今年こそもっといい人になろうなんて、本気で考えている人もいる。ま、そんなこと考えられるのは、そもそも時間に余裕があるからなのであって、正月休みがすぎれば、そんな目標はすぐに忘れ去られる。満員電車に揺られているサラリーマンさんや赤信号をハイヒールで必死で駆け抜けていくOLさんに、今年はもっと親切でいましょうとかいい人になりましょうとかいったって、無理に決まっている。
もちろん、だからって、立派な目標を立てることに意味がないなんていっているわけではないですよ。目標を立てるのなら、正月のような非日常ではなく、日常的世界にどっぷりと浸ってる中からやった方がいいんじゃないですか、と提案しているだけです。
あと、ボクは、正月にさまざまあるフォーマリティ、つまり儀式ばったところが好きですね。元旦には、家族に対しても「明けましておめでとうございます」と挨拶をいい、礼をつくす。毎年同じように、おせち料理をつつき、お雑煮を食べる。毎年行っている神社に、決まったことのように初詣に行く。
人間は変化を求める動物であるが、同時に「変化しない」ということに大きな心の安らぎを覚える。正月なるものを設けて、一年に一度お祝いするのは、そこに理由があるのである。

2007年12月20日

プリンシプルの孤独

先日、ある席である同僚から「河野さんは、プリンシプルの人だから」といわれた。
ボクはそれを褒め言葉であると解釈して、とても嬉しかった。
とくに、その発言をした人が、ボクの尊敬する同僚だったので、そういわれたときには思わずウキウキしてしまった。
しかし、である。
プリンシプルを貫くことは、往々にして辛い。
ときに、それは我慢できないほどの悲しみをもたらす。
プリンシプルを守り通すことは、非情なまでに孤独である。
外から見ると、プリンシプルを立てて守る人は、自信を持っている人のように見えるらしい。
たしかに、自分が何を求めているか、自分が何を大切だと思うかを確信できなければ、プリンシプルを貫き通すことはできないようにも思える
しかし、ボクの場合、実はまったく逆である。
つまり、ボクの場合、さまざまな場面に遭遇したときに自分で自分を律することに自信がないからこそ、あらかじめプリンシプルを立てて、それを行動の指針とするのである。
ボクは、自分が弱い人間だということを嫌というほど知っている。
だから、あらかじめプリンシプルを宣言して、あとから変な誘惑にかられないように、また後から悪い評判をたてられないように、自分の身を守ろうとしているのである。
ということは、すくなくともボクの場合、プリンシプルを立てて行動することは、小心者が人生を送る上での姑息な処世術であるとさえ、いえる。
プリンシプルを貫き通すことで、大事な友人や恋人を失うことがある。
それは、自分のプリンシプルを貫き通すことで、相手の自由が束縛される可能性が高いからにほかならない。
では、大事な友人や恋人を失うという大きな犠牲を払ってまで、プリンシプルを守る理由はなにか。
その理由は、自分が自分であることの証明を手にいれたいからである。
弱い人間であるがゆえに、ボクは、そのような証明がなくなったとき、自分がどのような自暴自棄の行動にでるか、見当もつかない。
それが恐ろしいので、弱い自分にだって世界に誇れるような自己証明があることを示す必要がある。
そのために、プリンシプルを立てて、それを守ろうとするのである。
プリンシプルを貫くことの孤独は、同じくプリンシプルを貫くことの孤独を知っている人にしか理解できない。
そして、その事実が、プリンシプルを守ることの孤独をより一層深めているのである。

2007年10月02日

最近のトンチンカン発言

時津風部屋で若い力士が亡くなった。相撲ファンとしては、大変悲しい。いまの相撲協会の後手後手の対応ぶりをみると、もしかして、このようなことがほかにも行われていたのではないか、ほかの部屋でも同じようなことに加担した力士がいて、そういうやつらが堂々とというかしらじらとというか、われわれの見ている前で神聖なる相撲の土俵に上がっているのではないかという疑念を抑えることができない。はっきりいって、もう相撲は見る気がしない。アンタ方は知っているのか、相撲が国技であることを・・・。あの愛子さまだって、楽しみにしてるんだってことを・・・。
で、今回の時津風部屋の事件について、多くのマスコミは、死んだ原因が「通常の稽古」とみなせる範囲だったか、それともそれを超える「暴行」だったか、という問題のたて方をしていた。ボクにいわせれば、この問題のたて方は、トンチンカンもいいところである。「稽古」であろうがナンであろうが、その結果としてひとりの人間の命が奪われた以上、傷害致死であり、「暴行」に決まっているではないか。相撲における稽古というのは、力士をいまよりももっと強くするため行われるものである。しかるに、ここには強くなった力士は存在しない。彼は、強くなるどころか、死んでしまったのである。だから、時津風部屋で行われた行為は、ことばの定義上、稽古ではない。そんなこと、あったりまえではないか。
さて、次。沖縄戦における「集団自決」での日本軍の関与についての記述が教科書検定で削除された問題で、文部科学省は、記述の修正の検討を始めたそうである。町村信孝官房長官いわく、「教科書検定には政治が関与しないということを踏まえないといけないが、沖縄の人たちの心や痛みをしっかりと受け止めて、何ができるか、文部科学省に考えてもらっている」。・・・???・・・。これって、ナニ???いまの教科書検定の制度自体、政治の関与であるということを、知ってておっしゃっているのか、それともまさか知らないでおっしゃっているのか。いずれにせよ、どうしようもなくトンチンカンな発言で、怒るどころか、笑ってしまった。
しかし、極め付きは、三番目。それは、海上自衛隊の給油に関連し、それがイラク作戦向け艦船へ転用されているのではないかという疑惑に対する政府の説明である。平たくいうと、転用された事実を認めつつも「どこに転用されているかは知りません」という主旨の開き直りであった。ボクは、こういうのを「悪意の善意性」と呼ぶことにしている。この論理が通るのであれば、最近社会問題化している「闇サイト」を運営している連中の論理だって、同じようにまかり通ってしまうことになる。つまり、「サイトでどういう情報が交換されているか、一切知りませんし、関知しません」という論理である。闇サイトでは、犯罪に関わる情報が提供されている。そういう事実があるかもしれないということを予感して、「善意」すなわち自分は「知りません」という態度をとる。しかしだね、ここには、善意を装う動機そのものが、悪意であるという構造が、疑いなくあるじゃあないですか。こんな論理を正々堂々と、あるいはしらじらと言ってのけて、それでもまあ大丈夫だろうなんて思っているところが、いまの日本の政治家たちの限界だね。

2007年09月05日

神話とジェラート

世の中には、自分がそう信じていたいがために、あえて真実をつきつめて明らかにしたくないような神話がたくさんある。それは、子供がサンタクロースを信じ続けるのと同じ論理である。サンタクロースがいると信じていた方が、いるわけないと冷静に考えるより、子供にとって圧倒的に得だし、家族全体も和やかになる。それゆえ、サンタクロース神話は、科学がいかに進歩しようとも、未来永劫ずっと引き継がれていくわけである。
ボクの場合、そのように信じている他愛もない神話としては、食に関するものが多い。
「酒は百薬の長である」(←これは神話ではなく諺だな)。
「赤ワインを毎日すこしずつ飲むと癌になる確率が下がる」(←これは神話でないという有力説あり)。
「エビスの黒ビールは健康によい」(←これはあんまり聴かないが、エビスってところがもう完璧な神話になっている)
・・・などなど。
なーんだ「食に関する」じゃなくて「酒に関する」じゃないか、という野次が飛んできそうであるが、ま、こういう神話を信じて中年オヤジは頑張っているものなのである。
さて、この夏をすごしたバンクーバーで、ボクがずっと信じ続けた神話がひとつありました。それは「ジェラートはアイスクリームよりも低カロリーである」というもの。夕食のあと、ほとんど毎日のように、ジェラートを食べに行ったので、もうこの神話がなかったら、ヤバイのなんの。一番小さなカップに1スクープしか注文しないのだが、それでも「大丈夫、低カロリーなんだから」と、自分に言いきかせていたのでした。
なぜそんなに毎日通ったかというと、ジェラートを食べるというのが、ボクにとっては夏のお決まりの光景になっているからである。お気に入りは、KerrisdaleにあるVivo Gelatoという店。ここには夏休みだけのアルバイトといった高校生ぐらいの店員さんがふたりいて、慣れない手つきで働いている。その様子がなんともういういしくて、とってもよい。そして、いつも家族連れ(たいていお父さんが短パンを履き、お母さんはノースリーブ)で適度に込んでいて、ちっちゃな子供たちがわいわいキャーキャーとにぎやかにしている。これらが、ボクにとってはほのぼのする光景として、目に焼きついているのである。
ところで、本当にジェラートはアイスクリームより低カロリーなのだろうか。
あはは、ジェラートっていうのはアイスクリームのイタリア語なの、だからそんなわけないでしょ、などという嘲笑(←なぜか女言葉)が聞こえてくるような気もするが、本当かな、とおもって、グーグルってみました。そしたら、ですね、なんと、ですね、日本には「日本ジェラート協会」なるものがあるんですね。で、そこには、ボクのような無知の人のために、「ジェラートとは」と説明書きがながながと書いてあるのであります。
「ほとんどのジェラートが乳脂肪5%前後で低カロリー、100g当りのカロリー量も120カロリーでショートケーキの340カロリー、食パンの260カロリーと比較して圧倒的に少なく、栄養価の高い健康食品です」
やったね。どうだ。ざまあみろ(←?)。
ただ、そう説得されても、どこか自分の中に「ホントかな」という一抹の疑問が残っている。おそらくそれが、神話の神話たる所以なのである。

2007年08月05日

世界は狭いか

ボクが最近興味をもっているのは、アメリカの独立前後の歴史であるが、この前ある本を読んでいて、いろいろ面白いことを知った。たとえば、アメリカの司法権の独立を確立した判決で知られる最高裁判所長官ジョン・マーシャル。この方は、トーマス・ジェファーソンの従兄弟にあたるのだそうである。ジェファーソンは、ご存知の通り、アメリカの第3代大統領であるが、ジェファーソンは、ワシントン、アダムスと続いてきた連邦党政権にかわって、はじめて共和党から大統領となった。しかし、一方のマーシャルは、連邦党の側の政治家で、躍進する共和党の政治的主張をにがにがしく思っていた。そのマーシャルが、(最高裁判所長官の役目として)ジェファーソンの大統領就任式を執り行わなければならなかったのは、なんとも皮肉なめぐり合わせであった。
また、ジェファーソンと大統領の座を争ったアーロン・バーという政治家。この二人のあいだで大統領指名をめぐって繰り広げられた政治プロセスは、それ自体、実に興味深い。で、結局、バーはジェファーソンの副大統領となる。しかし、その後の話はもっと面白くて、彼は酒場で決闘をすることになるのである。この決闘の相手が、なんとアレキサンダー・ハミルトン。ハミルトンはアダムスの後継として連邦党を盛り立てていかなければならない人物であったのに、バーはこの決闘でハミルトンに致命傷を負わせてしまうのである。当時の決闘のしきたりでは、一発目は空にむけて打つことが決められていた。銃の名手であったハミルトンはそれに従って打ったのであるが、バーは銃の扱いが下手で、狙いもしないのに一発目でハミルトンの心臓を打ってしまった。ハミルトンが死に、連邦党はついに命運が尽きることになる。そもそも、バーは、大統領の座をジェファーソンと争ったとき、連邦党の側に担がれていた人物である。そのバーが、連邦党の将来を託されていたハミルトンを殺してしまったのである。これも、なんとも皮肉なことであった。
こういう事実関係をいろいろ知ると、当時は誰もが誰もを知っていた、そういう時代だったんだな、と思えてくる。そういえば、日本でも、明治維新の前後に活躍した人たちも、ネットワークでつながっていた。吉田松陰の松下村塾人脈はもちろんのことだが、それ以外にも、たとえば道場つながりというのがあった。たとえば、それぞれが有力な人物となるはるか以前に、桂小五郎と坂本龍馬がどこかで一度手合わせをしたという話をきいたことがある。人的なつながりがいろいろな形で張り巡らされていたことが、革命を実現する大きな原動力になったことは間違いないのである。
しかし、このように狭い世界の中でいろいろなことが決まっていくのは、あながち遠い昔の話だけではない。というのも、ボクは、日本の若手エリートの集まりのような会合とかパーティに、一時期顔を出していたことがある。○○省で活躍されている方、将来が約束されている××社の御曹司、テレビで見たことのある新進政治家、そしてそうした人たちのネットワークをつくっている黒子のようなマスメディア関係の人・・・。で、そういうところにいると、こういうところに集まる人々が話し合う中から、日本という国家の大きな流れが、決められているんだな、と実感した覚えがある。
やはり、世界は狭いのではないか。その「世界」に入れないというかなじめない人間には、ちょっと苦々しいけど、そんな感じがするのである。

2007年06月24日

日本語になりにくい英語

最近論文を翻訳する機会が多く、そのたびに日本語になりにくい英単語に苦労している。で、いつかそういう単語をAからZまでひとつずつ集めて「訳しにくい英単語集」という本でも出そうかと思っているのであるが、まめにメモを取ることをしないので、いっこうにそのリストが完成しない。しかし、今日はそのリストの候補になると思われる単語をここにちょっといくつか並べてみようかと思う。あとで付け足していってもいいしね。
まず、Aはというと、これは結構候補を挙げることができる。たとえばavailable。あるいはその名詞形のavailability。これがどちらもなかなか訳せない。「ありえる」とか「手に取ることのできる」とか訳して通じるときもあるが、それでもピッタリ感がない。「利用可能な」と訳したりするときもある。Are you available on Sunday?は「日曜日、お暇ですか」とか「ご都合つきますか」と訳さなければならない。Is she available now?を「彼女って、いまカレシ募集中?」と訳さなければならない場合もある。
Aのもうひとつの有力候補はalternative。いつかゼミ生たちにからかわれたことがあるが、どうもボクは授業中にこの言葉を「オルターナティヴ」とカタカナ読みにして、すでに結構使っているらしい。これを「もうひとつの選択肢」とか「代替案」とか訳しても、ピンとこない。外国のCD店にいくと、「ちょっと変わった趣味の」とか「めずらしい」とかいうジャンルの音楽を指す場合にも、この言葉が用いられている。いい加減日本語にしてもいいのではないか、と思うくらいの単語である。
Cの有力候補はcool。もうこれはクールと訳すしかない。He is so coolは、「カッコイイ」や「素敵」では、全然通じない。日本語の「カッコイイ」とか「素敵」という言葉は、下から上へ見上げているような眼線にのっている。これに対してcoolは、対等な相手に対して「アイツいいやつだよ」という感じで使われるし、そのように自分も努力してなりたいというようにあくまで対等感が暗黙にこめられている。
Cでは、civilという言葉もある。政治学では「市民の」とか「市民的な」と訳されるが、これではまったく通じない場合がある。たとえば、喧嘩をしたあとの友人同士や離婚したあとの元夫婦の関係がcivil to each otherであるというのは、再び会う機会があっても取っ組み合いや引っ掻き合いに発展するのでなく、すくなくとも対話が成り立つ程度には穏やかである、という意味である。そうそう、これと似たような意味で使われるbehaveという言葉も、なかなか訳せない。そうした再会の場で「did he behave?」というのは、「わきまえた行動をとっていたか」という意味である。これを辞書通りに「行動したか」と訳したのでは、わからない。
Oblivious。これも、なかなかいい訳が浮かばない単語である。「忘却している」なんて辞書通りに訳したら、意味がまったく伝わらない。She is so oblivious to everyday lifeとかいうと、「世事に疎い」とか「浮世離れしている」とかいう意味(大学教授みたいに?)である。幼い子供たちが、まわりにある危険を顧みず、一心不乱に道路の真ん中で遊んでいたりする様子も、この言葉で表現できる。こういうと、純真さをイメージするかもしれないが、そればかりではない。とんでもないマイペースでまわりにまったく気を使わない人を、oblivious to others とかいうこともできる。電車の中でマナーのない人をみると、ボクは「ミスターオブリヴィアス」とか「ミスオブリヴィアス」とか呼ぶことにしている。これ、流行らせたいなあ・・・。

2007年04月04日

マーケット

この前ニューヨークを訪れたとき、リンカーンセンターの地下のホールフーズマーケットに行った。
当地の事情に詳しいある人から「とてつもなく広いスペースにホールフーズが出店したんですよ」と聞いていたので、セントラルパークを散歩したあと立ち寄ってみた。
そしたら、本当にここのホールフーズは、凄かった。
どどーんと、日本でならば有明とか幕張とかにあるコンベンションセンターぐらいの広い空間に、ありとあらゆる食材がアイルごとにきれいに整理されて並んでいる。壁際には、フィッシュとミートの陳列だなが、どこまでも延々と続いている。量り売りのセクションも、実に充実していた。
ご存知の通り、ニューヨークは人種や民族のるつぼである。だから、異なった人々の趣向や生活に合わせて、多種多様の品揃えがしてある。みたこともないような魚が眼を見開いていたり、「ナニコレ?」というような異様な形状の野菜が並んであったり、名前をきいても当然何だかわからないような食べ物が調理されて、売られている。
手にとったり、匂いをかいでみたり・・・。とにかく見てまわるだけで楽しい。
日本には、世界有数の「築地」という市場がある。しかし、一般の人々が日々の食材を調達するマーケットについて言えば、日本人に与えられている選択肢は、情けないほど貧弱である。コンセプトとして一番近いのは、いわゆる「デパチカ」ではないかと思われるが、なにしろ規模が違いすぎて、話にならない。すくなくとも東京近辺ではそうである。あそこでは「いかに早くこの息苦しい空間から抜け出るか」を優先してしまい、ゆったりと「さて今晩は何をつくって食べようかな」などと考える余裕が生まれない。
「Whole Foods Market」は、知っている人は知っているが、自然食にこだわった北米の(チェーンの)店である。スタンフォードにいたときにも近くにあってお世話になったが、そのようにこだわったマーケットであるにもかかわらず、大量の品揃えができてしまうところが凄いと思う。ボクが長く住んでいたバンクーバーにも、やはり自然食を重視した「Capers」や「Choices」という店があった。そういうこだわりに関しても、日本人に与えられている選択肢は限られているとしかいいようがない。確かに最近日本でも自然食の店がいろいろなところにできてきたが、どれも規模が小さくて「選んで買う」というまでにはなかなかいかない。
ボクがあこがれている究極の生活は、毎日仕事の帰りに品揃え豊富な自然食マーケットに立ち寄り、そこでインスピレーションを得て、晩御飯の献立を考えて、必要な食材を買って帰るという生活である。
しかし、いまの自分の生活パターンを振り返って考えてみると、そんな穏やかで豊かな生活からはほど遠い、という感じがする。どうして夜の10時半とか11時ごろまで、外で飲んだり食事したりする日々がこうも続いてしまうのだろうか。どう考えても、それはマットウな生活とは思えないのだが、いかにしてそこから抜け出せるか、いまのところうまく戦略をたてることができないでいるのである。

2007年03月15日

不自由を選択することの自由

ニューヨークのホテルからJFK空港まで、タクシーで行った。JFKから市内までは、均一料金で45ドルだが、その逆は必ずしもそうと決まっているわけではない。しかし、この運転手さんは、フラットにしてくれた。
人のよい、フレンドリーな運転手さんだった。
彼は、バングラデシュからの移民だった。
5年ほど前にアメリカに来て、帰化したのだそうである。「今度国へ帰るんだよ」と、嬉しそうにいう。こちらで結婚し子供ができたので、家族を連れて故郷へ帰り、両親に見せたいのだそうである。お父様が最近心臓の手術を受けられて、ここのところずっと心配しているのだ、ともいう。
いうまでもなく、タクシーの運転手としての稼ぎは、それほど大きくはない。
しかし、彼はいう。「子供二人連れてバングラデシュまで行ったら、とっても高くつくのはわかってる。帰ってきたら、破産みたいなもんだよ。でも、金は問題じゃない。金なんか後からどうにでもなる。でもオヤジが子供たちに会えるのは、今しかないかもしれない。そうだろ?」
「その通り。」
ボクは、このような考え方が大好きである。
そして、ボク自身、同じような生き方をしているように思うので、とっても共感した。
では、このような考え方、生き方とは、どういうものか。
それは、不自由を選択することの自由を大切にする、ということである。
・・・などというと、ちょっとコムズカシイので、もうすこしわかりやすくいうと、ですね・・・
現代人は、いつでもさまざまな選択肢を持って生きているわけですね。何を食べようか、何を着ようか、この人とデートしようか、あの会社に就職しようか、などなど。しかし、ボクには、それと同時に、人には、(このタクシーの運転手さんのように)その時々でやらなければならないことが与えられているようにも思えるのであります。
で、これは、倫理の問題とか道徳の問題とかではない。ここにあるのは、究極的には「いかにして自分が幸せでいられるか」という個人の(もっといえば個人主義的な)判断ではないか、と思う。
たとえば、この運転手さんは、今故郷に帰らないと決断した場合の、その後の自分の人生が(たとえ金に困らないでいられるとしても)どれくらい不幸せなものになるのかを、よくわかっているのである。だからこそ、たとえお金に困るという「不自由」が生じるとしても、それを自らよろこんで引き受けようとしているのである。今、故郷に帰れば、子供たちとお祖父さんとが会えたという記憶が残る。そしてその記憶は、当然、子供たちにもずっと長く残ることになるのである。
こうした考えは、幸せなるものを刹那、刹那に捉える限りでは、生まれてこない。しかし、ボクにいわせれば、幸せとは、時間を超えて、今日だけでなく10年先、20年先のことをも考えた上で、自分に与えられている最良の選択肢を選びとることに他ならないのである。

2007年03月10日

ローマの休日の共有知識

ニューヨークまでの飛行機の中で、「ローマの休日」を見た。
いうまでもなく、オードリー・ヘップバーンとグレゴリー・ペックが共演する古典的名作である。もう、何度見ても面白い。そして、もう何度見ても(オードリー・ヘップバーンが)可愛い。なんというか、ため息が出てしまうほど、可愛い。
彼女はこの映画でデヴューした。だから、最初の出演者の字幕のところで、「introducing Audrey Hepburn」と出る。ま、結構知られた話だが、最初、大俳優のグレゴリー・ペックは、自分主演の映画だと思って、この映画を作り始めた。ところが、撮っているうちに、これは大変な新人と共演しているのだと気づいた。それで、宣伝用のポスターの題字の大きさを、二人とも同じにしてくれと、彼から頼んだ、のだそうである。
この映画の最後のシーンは、一日中楽しいデートをしたものの大使館に戻らなければならず悲しいサヨナラをした翌朝に、ヘップバーン扮する王女さまが、大勢の記者たちと面会するシーンである。彼女はその中に、思いもかけず、ペック扮するアメリカ人記者が立っているのを発見する。いうまでもなく、この映画の最大のキモがここにある。なぜここがキモかというと、この場面は(ちょっと学術的用語を使ってしまって申し訳ないが)二人の間で「共有知識」がはじめて成立する場面だからである。
つまり、彼は、彼女が本当は王女であるということを知って(それを特ダネにしようという下心をもって)、前日デートをしていた。しかし、その段階では、彼女は彼が記者であるということは知らない。もちろん彼は、彼女が知らないということも知った上でデートしていたのである(←この辺に「やっぱりこの映画、ジェンダーバイアスがかかっているわよね」という批判が成立しそうであるが、ちょっとそれはおいておく)。で、この最後のシーンがキモであるのは、彼女が「ああ、そういうことだったの」と、状況をいまはじめて正しく理解したということを、表情ひとつでみせなければならないからである。このシーンにおけるオードリー・ヘップバーンの(表情ひとつだけの)演技で、この映画が素晴らしいものになるかそうでないかが決定する。そして、それが本当に素晴らしいので、われわれはこの映画を何度も何度も見ようという気になるのである。
もちろん、グレゴリー・ペックの方も負けていない。なぜかというと、この場面で、彼は、彼女がすべてを理解したんだということを理解したことを、こちらも表情ひとつでみせなければならないからである。そう、共有知識というのは、両方が知っているというだけでは成立しない。二人とも知っており、二人とも相手が知っているということを知っており、二人とも相手が相手が知っているということを知っているということを知っており・・・・(無限に続く)・・・という状況でなければならないのである。
ところで、いうまでもないが、ここにはもうひとつの共有知識がある。
それは、この映画を見ているわれわれ観客は、前日まで彼は知っているが彼女は知らない、そしてこの場面で初めて彼も彼女も知るようになるんだ、ということをすべて知っているということである。
映画の面白さは、登場人物のあいだで成立している(あるいは成立していない)共有知識と、観客のあいだで成立している共有知識のズレにあるといえるのである。

2007年02月26日

死について

最近、死について考えることが多かった。
そこで、今日は、死について、これまで聞いたり考えたりしたことの中から、すこし書いてみようかと思う。
・人間は、他人の死しか経験することができない。人間が自分の死を経験することは(「経験」なる行為が生きている間しかできないので)定義上ありえない。だから、「死とはなにか」というような哲学的思索をするとき、われわれはあくまで他人の死を念頭に置かざるを得ない。
・柄谷行人がどこかで書いていたが、人間は「死」と「不在」をうまく区別することができない。ある人が長い間不在であることと、ある人が死んだということがもたらす効果は、経験的には同じはずである。そうだとすると、「死」は社会的にしか定義することができないことになる。もっといえば、人間が死ぬためには、葬式という儀式がなければならない。つまり、人間は、その共同体の中で「○○さんは死んだ」ということをみんなが確認しあうことを通して初めて死ぬ、というわけである。
・肉体は滅びるけれども魂や精神は死なないという考え方は、世界のいろいろなところに共通してある考え方だそうである。そういう考え方をもっとも良く表しているのは、次のような社会である。その共同体社会の中で、△△さんが死んだとする。するとその共同体に次に生まれてくる子供に△△という名前をつける。そうして、魂や精神は循環し、決して去っていかないと考える社会がある。
・この前、タクシーに乗ったら、運転手さんが三浦半島のさきの三崎市にお住まいの方で、その地方での葬式に関して、興味深い話を聞かせてくれた。もともとその地元に住んでいる人たちは、葬式というのは、へべれけになるまで飲んで騒いで、陽気に行うものだと考えている。しかし、新しくこの地方へ移り住んだ人たちは、葬式というのは、しめやかにおごそかに行うものだと考えている。この考え方の違いが、けっこう頻繁に喧嘩のたねになるのだそうである。これも、人間の死の社会性を物語る、ひとつのエピソードのように思える。
・先日、ある知り合いが亡くなり、お通夜に参列した。その方の遺言が尊重されて、無宗教でとり行われ、献花するだけのとてもシンプルなお通夜だった。このように、花輪は固くお断りしますとか、身内だけで済ませますとか、生前からの本人の意思に従って通夜や葬式を行う人たちが多くなってきたように思う。これらは、社会的な死を自分の死として取り戻そうとする試みなのかもしれない。こうした傾向が強くなってきたことをどう考えればよいのか、ボクにはよくわからない。
・ただボクも、最近、自分の葬式のことを考えるようになった。ボク自身も、自分の葬式では、ボクが好きだった音楽をかけてもらいたいと思っている。オスカー・ピーターソンが弾く「Hymn to Freedom」。『Night Train』というアルバムの最後に入っている曲である。

2007年02月08日

夜食に何を食べるか

夜食に何を食べるか。
これは、ボクのような中年諸氏にとっては、大きな問題である。
学生時代、ボクは平気で、夜食にインスタントラーメンを食べていた。
そう、カップラーメンではなく、インスタントラーメン。
もちろん両者の違いは、第一には、料理するのに鍋が必要か、それともヤカンだけですむか、である。しかし、もうひとつの重要な違いは、カップラーメンには、ほんのチョコッとであるが、具らしきものが入っていることにある。カマボコのようなもの。浅葱のようなもの。卵のようなもの。まあ、全部「○○のようなもの」にすぎないのだが、この申し訳程度に入っている具のおかげで、カップラーメンは一応それ自体で自己完結的にできている。
他方、インスタントラーメンは、原則として、具が中になにも入っていない。具は自分で調達することが期待されているので、袋には麺が入っているだけである。
つまり、インスタントラーメンは、それだけ食べても、栄養価はおそらくゼロ。このインスタントラーメンを、ボクは学生時代、躊躇することもなく、罪悪感にかられることもなく、夜食として食していたのである。
時代が経て、いまボクの家ではさまざまな河野家諸法度が整備されつつあり、その第一条が「ラーメン類、夜10時以降に食するベカラズ」である。ボクぐらいの歳になると、カロリーを摂取する機会は、同時に栄養分を摂取する機会でなければならない。だから、朝昼晩の三食以外にラーメン類を食べることはもちろんダメ。ポテトチップとか、アイスクリームとかも禁止。クッキーの類も基本的にはダメ、ということになっている。
ところが、最近、このクッキーが、食べてよい夜食のリストとして復活した。
なぜかというと、ボクは、最近たんぱく質不足が心配になってきたからである。とくにミルクを飲む機会がめっきり減ったことが気になっていて、一緒にミルクを飲むことを条件に、クッキーを夜食リストとして復活させたのである。今のお気に入りはOreoのサンドイッチ。甘くて、まあ三つも食べると、カロリー的には本当は一大事なのであるが、そこんところは目をつぶって、「たんぱく質摂取も大事だから」と言い聞かせている。それにしても、クッキーとミルクはよく合う。実際、クッキーをたべると、ミルクが何杯でも飲めてしまう。アメリカの子供たちが、クリスマスの夜、煙突から入ってくるサンタクロースのために用意しておくという伝統もよく理解できる。
ところで、夜食を食べると、朝起きたときに身体が重たい。
それゆえ、夜食は翌朝、ジョギングに行くというインセンティヴを生む。
これが好循環を生み出しているかというと、そうでもない。
ジョギングに行くと、結局、また大きな朝食を食べたくなってしまうからである。今日なんかは、ジョギングの帰り道に、24時間開いているスーパーにわざわざ立ち寄って(現金を持って出るのである)、国産牛肉を買い、小松菜も買い、なんと朝から「焼肉」を食べてしまった。大根おろしと醤油につけて食べたので、白いゴハンももりもり食べてしまった。でも美味しかったッスよ。
あーあ、なんだかんだいって、やっぱりボクは食べることが大好きなのである。

2007年02月03日

プレゼントとしての花束

昨日ゼミ生たちが研究室へこぞってやってきて、ボクに卒業論文を手渡すという儀式が行われた。ひとりひとりから手渡されたボクは、ひとりひとりに「ご苦労さん」とねぎらい、ひとりひとりと記念撮影。去年も同じようなことがあったので、この儀式もわがゼミの伝統として確立されつつある。
みんな一生懸命書いたのだろう、ふっきれたというか「やることはやったもんね」という表情をしていた。その一方で、卒論を出し終わって、もう大学キャンパスとサヨナラしなければならないという実感がいよいよこみ上げて、ちょっぴり寂しそうであった。
そのとき、ゼミ生たちから、花束を頂いた。
じーんときた。疲れていたせいもあって、ちょっと涙がでそうになった。ピンクと黄色の花が多く入った花束であった。ついこの前のバースデーパーティの時にも、やはり彼らから花束を頂いたのであるが、そのときは紫の花が多かった。お、こいつら、結構細かいところまで、気を使っているな、と感心してしまった。
いうまでもないが、プレゼントとして、花束は最高である。
花束をもらって嫌な気がする人はいない。第一、花束は綺麗で目立つ。だから、もって歩いていると、必ずまわりから視線を浴びる。みんなこっちを向いて、「うん?なんだ、なんだ?なんでコイツ、花束なんか持って歩いているんだ?」という一瞥をくれていく。すると、こちらとしては「へっ、いいだろう」と、ふんぞり返りたくなる。「へへっだ。オレは花束をもらうぐらい、愛されてるんだからね」と、妙な優越感にひたれる。
とくにボクのような中年男性が花束をもらう機会は、めったにない。それゆえ、けっこう珍しそうに、そしてうらやましそうに、見られる。昨日の夜は、ボクは新幹線にのって新大阪まで行かなければならなかったのだが、実際、車中でいっぱいそうした視線を浴びた。となりに座った美人さんも、ちらちらと、花束とボクとを見比べていた(←というような気がした)。
花束がプレゼントとして最高なのは、短命だからである。花束は、もってせいぜい三日とか五日ぐらいである。つまり、ずっと後まで長く残ることがない。だから花束は、プレゼントとしてとても贅沢である、といえる。
そして、長く残らないものを贈るというのは、贈る側の心遣いをあらわしている。長く記念に残るものをプレゼントとして贈るのは、考えようによっては、「ずっと私のことを忘れないでね」ということを意味していて、押し付けがましい行為である。命はかない花束を贈る方が、ぜんぜん潔いし、大人だし、カッコいい、とボクは思う。
さて、ところが、昨日もらった花束は、新幹線の中が乾燥していたせいもあって、新大阪へついたとき、すでにちょっとシュンとしてしまっていた。このままでは、次の日までもちそうもない。そこで、どうしようかと迷ったが、ホテルのフロントでボクをチェックインしてくれた女性に、「これ頂いたものだけど、どこかに飾っていただけませんか」とお願いして、渡すことにした。そしたら、その女性はとてもとても喜んで、顔を赤らめていた・・・。
・・・↑というような気がした・・・
そう、一人で自己満足にひたれるところも、花束をプレゼントすることの素晴らしいところである。

2006年12月10日

愛することと愛されること

昨日ゼミのOB会があった。
一年に一度、年末恒例の行事である。
遠くから、忙しい1期生、2期生たちも参加してくれた。
いつの間にこんなに大所帯になったのだろうというくらいの人数であった。
ボクのゼミを通して、これだけ多くの人々が繋がっているのだという事実に、感動した。
すこしはボクも世の中の役にたっているのだと思えて、嬉しかった。
みんな、いい子たちである。
みんな、ひとりずつ、本当に可愛い。
みんな、ひとりずつ、自分なりに真剣に人生を歩んでいる。
人間だからそれぞれ悩みや嫉みや恨みを持っているに違いない。
まだ若いからそれぞれ自分の将来に不安を抱えていないわけがない。
しかし、みんな一生懸命、それらと格闘している。
その姿が、それぞれ輝いている。
知っている人は知っているが、ボクは最初から大学の教師になろうと思っていたわけではなかった。
大学の教師になったのは、ま、はっきりいって、偶然みたいなものであった。
しかし、いま、大学の教師になって、本当に、本当によかったと思う。
こんなにいい子たちにいつも囲まれて、これ以上を望んだら、バチあたりである。
損得のない人と人との付き合いは、社会に出てしまった後では、なかなか経験できるものではない。
大学のゼミとは、そういう付き合いが可能なのだということを実感できる、貴重な場である。
そういう付き合いがあることを知って社会にでて人生をおくる人と、知らないまま一生を終える人とでは、人生の豊かさに格段の違いがある。
一期生の一人がいっていたように、そうした付き合いこそ、人生において「いつも戻って来れる心の原点」にほかならないからである。
これからもずっと、ボクのゼミとそのOB会が、そうした原点を提供できればいいと思う。
もう14年も前に娘が生まれた時、遅まきながらボクが学んだことは、人を愛するということは、その人に対して無償の愛をささげることなのだ、ということであった。
無償の愛とは、いうまでもなく、損得勘定などが入り込む余地のない愛のことである。
人間だから、いつか見返りがあるのではないか、これだけの愛を注いだらきっと相手も愛を返してくれるのではないか、などと期待してしまうこともある。
ま、そういうこともあるかもしれない。
しかし、面白いことに、いや本当に面白いことに、無償の愛をささげると、無償の愛がちゃんと返ってくるのである。
人を愛するということがどういうことなのかを、ボクは娘に、娘の笑顔と仕草に、教えられたのである。
人を愛するということは、素晴らしい。
なぜなら、人を愛するということが、人から愛されること、だからである。

ゼミ生のみなさん、ゼミのOBのみなさん、また来年元気に顔を合わせましょう。