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2010年02月20日

談志師匠のマクラのように語る

なんかねえ、新しいもの、好きになれないんですよ、この頃。ぜんぜん。ま、歳とってきたっていうのも、あるんですけどね、うん。うち帰ると、古いものばっかり見たり、聴いたりしてんの。ほら、ユーチューブっての、あんだろ? あれでね、うん、ダイマルラケットとか、いとしこいしとか、見る、うん、見ちゃうんだな、これが。この前は、コント55号にはまった。見出すととまんないよ、あれ。まちがいなく傑作ですよ。よくもまあ、このネタでこんだけ引っ張るよねって、涙流して笑いながら、感心して見てるわけ。うん、そう、古いよー、オレ。もう、だって、もっと古いんだって見ちゃうんだから。素浪人花山大吉って、知ってる?え、知らない?オカラの旦那?あの近衛十四郎と品川隆二の掛け合い。関西のノリじゃない江戸前のっていうのかな、ボケとツッコミのひとつの典型だな、あれは。むかしはねえ、ああいう品のいいコメディーがちゃんと成立してたんですよ、日本でも。それがなくなっちゃったねぇ。吉本の影響かなんか、知らないですけどね。
ええとさあ、それからさ、新しいスポーツもねえ、好きになれないんだな、やっぱり。オリンピックオリンピックってさわいでっけど、なんだあの、カーリングっつーの。あれは、スポーツなのかね。あれがスポーツなら、メンコだって、サケ蓋だって、みんなスポーツになるじゃねーか。メンコなんか、いまの若い人はやったことないから分かんないかもしれないけど、結構体力つかうんですよ。サケ蓋だって、ねえ、え?サケ蓋ってなんですか、だって?まあいいよ、別に分かんなきゃ分かんないで。別に全員に分かってもらおうと思って、ブログ書いてるわけじゃないんだから、こっちは。
ええと、まったく、うん、それからそう、フィギアスケート。あれさあ、アナウンサーが叫んでたぞ「会心の演技でした」って。なんだそれ。芸術点とかって、それはアートの世界でしょうがぁ。オリンピックっていうのはスポーツの祭典だったんじゃないの?いつからアートの祭典になっちゃったんだよ。
それから、あのスノボってのも、どーも気に入らないね、うん。なんでさ、あれ、競技中に、うしろででっかい音で音楽流さなきゃいけないわけ?自分たちだけの自由なカルチャー持ってますっていうのが、ガンガン前に押し出されてる感じがする。うん、わざとらしく。ぃやっだねぇー。カルチャーが違うっていうこと主張したいんだったら、オリンピックなどというメインストリームにのらなきゃいいんだよ、最初っから。だからさ、あのナントカいう勘違いした若いやつがでてきちゃうんでしょ。
あのね、これも古いけどさ、ボブディランにね、有名な言葉があるんですよ、A hero is someone who understands the responsibility that comes with his freedom. 別にオリンピックに出ないっていう選択肢だってあったんでしょ?そう、つまり出てくださいって請われても、いいっすって断れたんでしょ?その方が、ずーっと自分を貫くことになったし、ずーっとかっこ良かったと思うけどね、オレは。

2010年02月12日

ある気まずい午後

先日、行きつけの横浜スタジアム前のスターバックスに入ったら、お気に入りの窓側の席が空いてなかった。とっくにお昼過ぎで普段ならガラガラなはずなのに、外が雨模様だったせいかもしれない。仕方なく、ボクは店の一番奥の方の席に陣取ることにして、勉強を始めた。
なぜボクが窓側が好きかというと、明るいからである。はずかしい話だが、最近ボクは目がすっかり悪くなって、太陽の自然光が入ってくる場所でないと、小さい字が読みにくいのである。
というような事情があるもんで、ボクは勉強を続けながらも、窓側の席が空いたらいつでも移動しようと、それとなく様子をうかがっていた。しかし、その日に限って、なかなか空かない。
そうこうしているうちに、ボクのすぐ隣のテーブルに、ひとりのオジイちゃんが座った。お洒落で、あか抜けている。二言三言、若い女性店員さんと、会話さえかわしている。気負いも気後れもなく、若い女性と会話すること自体、この歳の男性にしてはめずらしい。「やるじゃん、オジイちゃん」と、ボクはひそかに感心していた。
店では、その日、古いジャズがずっと流れていた。ほとんどが、ボクも聴いたことのある心地よいメロディーばかりである。そしたら、驚いたことに、オジイちゃん、そのひとつひとつを英語で歌い出すではないか!それも、低音で、ハーモニーをつけるようにして!ほんの小声だから隣にいるボクにしかきこえなかったが、見事にジャズになっている。・・・なんだ、この人。横浜でずっとバンドで演奏してきた人なのかな。カッコいいなあ、と、ボクは思わずその鼻唄に聞きほれてしまった。
さて、しばらくして、窓側の席がようやく空いたことに気づき、ボクは席を移ることにした。ただその時ボクは、隣のオジイちゃんに「あなたの鼻唄が気になるんで、席を変えるんですよ」というメッセージが伝わってしまうのは嫌だな、と思った。にっこり笑って「お上手ですね」とか、「ボクもジャズ大好きなんですよ」とか言ってから移動しようか、とも考えた。でも、むしろそうする方がわざとらしいと受け取られるのではないかと思い返し、結局何も言わないで、荷物をまとめて移った。
窓側の席にうつってからほどなくして、ボクの肩をポンと叩いて、オジイちゃんが通り過ぎていった。「あっちの席に、傘、忘れてますよ。」突然肩を叩かれた上に、席を移ったという後ろめたさがあったせいで、ボクは「あ、はい、ありがとうございます」とどぎまぎしながらいうのが精一杯であった。もちろん、彼は、ボクの方を振り返ることもなく、そのままさっそうと店を出て行ったのであった。

2009年12月16日

それでもボクがいまの日米関係に楽観的な理由

普天間基地問題をめぐる対応をめぐって、鳩山首相が批判されている。オバマ大統領に「トラスト・ミー」といいながらその信頼を裏切り、日米同盟にひびが入ったとか、両国関係はいまや危機的状況にあるとかいった悲観論がメディアにあふれかえっている。しかし、これらはメディア特有の悪しきセンセーショナリズムである。ボクは、(先日出演したテレビ番組の中でもいったことだが)日米関係に、基本的に楽観的である。今日は整理して、その理由を述べたい。
まず第一に、現代における国家と国家との関係は、リーダー間の個人的信頼や感情によって左右されるものではない。外交官出身の専門家(を称するひと)たちは、国際関係における外交の役割を重視したがるが、個々の政治家や官僚の手腕が国家と国家の関係に影響を及ぼしたのは、はるか昔、メッテルニヒの時代である。現代における国家間関係は、構造的な(=非個人的な)要因、すなわち地政学的状況とか経済相互依存、さらには文化・人的交流の程度といったものによって決定付けられているのであって、そうした要因が鳩山政権になったからといって一夜にして変わったわけではけっしてない。
もちろん、国家と国家との関係だから、自分の側の交渉立場を有利にしたいという思惑は日米どちらにもつねに働いている。たとえば、先日ギブズ報道官が、コペンハーゲンでオバマ大統領は鳩山首相に会わないといったとき、彼はそれを「オバマが会談を拒否した」と日本側が解釈してくれれば儲けものという計算のもとに、いったのである。彼の発言を素直に受け取れば、時間がないから、またこの前会ったばかりだから、会う必要はないといっているに過ぎず、その発言のどこにも、日米関係が損なわれたなどと解釈しなければならない要素は見当たらない。にもかかわらず、日本のメディアは、「門前払いを受けた」などと悲観し、騒ぎ立てている。まんまとアメリカ側の交渉術中にはまっているようなものである。
もうひとつ、これもきわめて基本的なことだが、日米の相互に対する関心のレベルには、ギャップというか、非対称性がある。日本では毎日のように「日米」が取りざたされているが、アメリカでは「普天間」が何たるかを知っている人はほとんどいない。アメリカにおいて、日米関係が悪くなったとことさら強調し、(ボクからいわせると)必要以上に日本の悲観主義を煽っているのは、アメリカで「例外的存在」である知日派、とりわけオバマ政権になって居場所をなくした共和党系の知日派である。日米関係の危機をセンセーショナルに語ることが自分たちのメシのタネになるという構図がここにあることは、いうまでもないであろう。
いつも授業でいうことだが、社会科学には、予測するという行為自体が予測の対象そのものに影響を及ぼしてしまう、というやっかいな自己言及性がある。かつて日本に深刻な石油危機が襲ったとき、多くの経済学者は悲観論を唱えたが、あるひとりの評論家だけは楽観論で押し通した。当時の日本は企業も消費者も涙ぐましい努力をして、石油ショックをなんとか乗り切ったわけであるが、このとき正しい予測をしたのがこの評論家であったとはいえない。やはり正しかったのは、悲観論を唱えた学者たちの方だったというべきである。なぜなら、もしすべての専門家がこのとき楽観論を唱えていたら、おそらく誰もが油断して、日本経済はそのまま泥沼に陥っていただろうからである。
石油ショックのときは、本来正しかった悲観的予測が、(予測の対象である)経済に影響をあたえ、結果として、その予測がはずれるという幸運な展開を生んだ。ボクは、今回の日米関係は、ちょうどその反対ではないか、と危惧している。つまり、本来正しくない悲観的予測が、日米関係に影響をあたえ、結果としてその予測が当たってしまうという不幸な展開を生んでしまうのではないか、というように。
だからこそ、いま必要なのは、正しい楽観的予測なのである。

2009年11月21日

密なることとは

日米の間に核の持ち込みや沖縄についての密約があったそうである。自民党政権は長年そんなものはないと否定してきたが、政権交代を成し遂げた民主党の岡田外相がそれを肯定することになったと報じられている。
また、官房機密費なるものについても、最近のニュースのなかで、よく取り上げられている。こちらも、民主党政権になり、その額とタイミングが平野官房長官によって明らかにされていた。ただ、官房機密費は、新しい政権もこれから使っていくのだそうである。平野さんは「(費用の)性格上、使途をオープンにすることは考えていない。私が責任を持って適切に判断していく」と述べ、民主党政権でも使途を非公開とする意向を示した、と伝えられている。
ボクは、個人的には、民主主義という政治体制を選択している限りは、外交や政治については、すべてのことを公開していくべきだと考えている。もしそうでないならば、主権者である国民をさしおいて、「特権的に」情報をもっている人がいてもいいと認めることになる。そのような政治体制は、定義上、エリート主義的もしくは権威主義的であって、民主主義的ではない。ただ、ボクは、別にいますぐに公開しなければならないと思っているわけではない。いつか年月がたったら、すべてを公開する、すべてを淡々と公開するということにしておけば、それでよいと思っている。
こういうことを主張すると、必ずといっていいほど、一部の外交専門家とか政治評論家とかを自称する人たちから、「外交や政治というものには、秘密がつきものだ」という反論が返ってくる。こういう人たちは、自分自身が外交官や官僚出身のエリートだったりするので、たいていしたり顔というか、上から目線で、「外交や政治は専門家にまかせておいた方がベターなんだよ」という言い方をする。ま、こういう人たちはまともに国際関係論とか政治学を勉強したことがないのだろうけど、「秘密」外交を展開した方が国益に適うかどうか、あるいは情報をオープンにし「観衆費用(audience cost)」を高めることで相手に対する信頼性を高めることになるのではないか、といった点については、すでに膨大な理論および実証の学術的蓄積がある。そして、今日までのところは、公平にいって「どちらともいえない」というのが結論である。つまり、必ずしも情報公開をした方がよいともいえない代わりに、秘密を保つことが外交や政治にとっては必要であるなどと単純に考えることはけっしてできないのである。
さて、ボクが今日いいたいことは、実はこの先にある。百歩譲って、外交や政治には秘密が必要だというエリート主義的立場にも一理あるとしよう。それでも、やっぱり、いまニュースで話題になっている日米密約や官房機密費については、すべてさらけだして公開すべきだ、とボクは思う。なぜか。それは、秘密であるということは、単にその内容が秘密であるだけでなく、そのような秘密が存在するという、もう一段高次のメタレベル情報も秘密でなければ、意味がないからである。たとえば、(あんまりいい例ではないが)夫が妻に隠れて浮気をしているとする。この時、夫は「誰といつ、どのように浮気しているか」ということだけを秘密にするのでは意味がない。夫は、そもそも「浮気をしている」などということを妻に予想だにさせないぐらいに、秘密にしておかなければならないのである。たとえ「誰か」を特定できなくても、「誰かと浮気している」と思われた瞬間に、その秘密はバレタと思わなければならない。
だから、「官房機密費」などという名前自体、滑稽な定義矛盾であるというほかない。「機密費」という項目のついた費用が予算に計上されていることが、機密であるわけがないのである。

2009年11月01日

コンファメーションについて


チャーリー・パーカーが残した名曲のひとつにConfirmationというのがある。テンポが速く、音階も広くてJazzの難曲のひとつとされる。コンファメーションというのは、英語で「確認する」とか「確約する」とかいう意味である。ボクはこの曲になんでそのようなタイトルが付いているんだろうと、気になってネットでいろいろ調べたことがあった。しかし、結局答えはみつからなかった。マンハッタン・トランスファーがジョン・ヘンドリックスの付けた歌詞でこの曲を歌っていて、それは「ジャズっていいねえ」ということをこの曲でチャーリー・パーカーが確認したかったんだというような内容になっているが、どうもその解釈は違うような気がする。それよりは、この曲があまりにむずかしいので、「これがちゃんと吹けたら、一人前として認めてやる」というメッセージを、彼が送りたかったのではないか、と、ボクは一応のところ解釈している。
ところが、この前ふと、もしかしてこのConfirmationというタイトルには、もうひとつ別の意味が隠されているのではないか、と思うにいたった。それは、人間の行動についての、深層的というか哲学的というか、そういうレベルの話である。そして、それはボクの研究している政治学とか政治経済学とかと、根本的なところでつながっている、と空想が広がってしまった。
ボクらの業界では(←つまり研究者のあいだでは、という意味)、一般に、人間は自分の満足を高めたり効用を最大化したりする存在だ、と考えられている。たとえば、同じ金額を払うのであれば、質の悪いB社の製品よりは、質のよいA社の製品を手に入れたいと思うであろうし、同じ質の製品であれば、価格の高いB社よりは価格の低いA社を選ぶだろう、というわけである。もちろん、世の中には自分ではいかんともしがたい(たとえば給料とかの)制約がいろいろある。だから、無制限に自分の欲望を満たすような選択をすることはできない(そんなことをしたら法律という制約に引っかかって刑務所に入れられることになる)。ただ、すくなくとも既存の制約の範囲内では、人間は自分にとってもっとも良い(と思える)合理的な選択をしている、と考えられているのである。
しかし、ボクの経験では、どう考えても自分では合理的とは思えないような行動をしているときが多い。おそらくボクだけでなく誰もがそういう経験をしたことがあるのではないかと思うが、たとえば、何度いってもあの店のカレーライスは不味いなと思いながらも、どういうわけかその店にいってカレーライスを注文してしまうとか、あるいは、どう考えてもこういうタイプの異性と付き合ったら傷ついて破局をむかえるだけだとわかっているのに、なんども同じタイプの異性を好きになってしまう、といったように、である。このようなわれわれの行動を、満足や効用の最大化原理によって導かれていると考えることは、なかなか(かなりのこじつけをしない限り)むずかしい。
そこでボクがふと思いついたのは、人間の行動というのは、すべてわれわれのConfirmationへの欲求によって突き動かされているのではないか、ということなのであった。つまり、不味いカレーライスを食べにいくのは、そういう行動をとることで「ああ今日もやっぱり不味かったなあ」と、自分の評価が正しかったことを確認したいからなのではないだろうか。同じタイプの異性と付き合ってしまうのは「ああ今回もやっぱりだめだったなあ」と、自分の見通しが正しかったことを確認したいからなのではないだろうか。そうすると、こうしたネガティブで自己破壊的な行動のみならず、一見合理的だと考えられる行動も、同じ論理で説明できることに気づく。つまり、おいしいカレーライスを食べたいと思い、おいしいカレーライスを出してくれる店にいくのも、「ああここはいつ来てもおいしいなあ」という、自分の(ポジティブな)評価が正しかったことを確認したいからなのではないか、ということなのである。
Confirmation。そのようなことを考えつつあらためてこの曲を聴いていると、うーん、やっぱりオレの発想も捨てたもんじゃない、と自己満足的に自らの才能を再確認している自分がいるのである。

2009年09月27日

夏目雅子さんの番組とプライベートな空間について

ボクが中学生の頃、週末にFM東京で夏目雅子さんがパーソナリティをつとめていた番組があった。彼女が大女優としての道を歩み出す前の、まだ素人っぽさが残るういういしい時代のことである。世の中にこんな美しい人がいていいのか、と誰もが思うほど美しい方だったのに、とっても気さくな感じが伝わり、まさしく「パーソナル」な感じでとりとめのないおしゃべりをし、送られてくる葉書を読み、自分の好みの音楽をかけていた。
ボクは、この番組が大好きだった。夏目さんとボクとの間にラジオを媒介としてひとつの空間がつくられ、ボクのような(女の子と縁のない生活を続けていた)男子中学生にとっては限りない癒しとなっていた。彼女の声を聴いている間は、その癒し空間がボクの部屋をすみからすみまで包みこんだ。いうまでもなく、それはとてもプライベートな体験であった。彼女の番組を聴いていた人は、それぞれに、(公共の電波でありながらも)そうしたプライベートな体験を心地よく感じていたのである。
さて、この前ある方からうかがったところによると、京都の地元の放送局では、いまでもこのようにひとりの人が語り続けるラジオ番組がたくさんあるのだそうである。その方は、東京のラジオ番組は対話形式になっていてホストがいてゲストがいる、あるいはホストとアシスタントがいる設定が多い、という印象を持っておられる。なぜだろう、というので、ボクは単純に「東京に比べて、京都のその放送局は予算がないんじゃないですか」と、その時は答えた。
しかし、ボクにはこの違いがずっと頭に引っかかっていた。
ひとりの人がパーソナリティである番組と違い、対話形式の場合、ラジオ体験はプライベートなものには絶対にならない。なぜなら、そこにはすでに、対話をしている人たちの空間が出来上がってしまっているからである。われわれ一般の視聴者は、その空間の当事者となることはできない。あくまで第三者的な傍観者あるいは傍聴者なのである。それゆえ、そうした形式のもとでは、ボクが夏目さんの番組に対してはぐくんだようなパーソナルなアタッチメントは、生まれようがない。
実は、対話形式の番組においても、ちょっとしたことで、つくられる空間が異なる趣を呈する。これは、ラジオに限らず、解説の声だけがきこえてくるテレビのスポーツ番組などでも最近よく遭遇することであるが、解説者が実況のアナウンサーにいわゆる「タメ口」で対話をしていることがある。「この力士は稽古が足りないんじゃないですかね」という代わりに「この力士は稽古が足りないんじゃないの」とか、「私だったらここで代打を送るところなんですがね」という代わりに「ぼくだったらここで代打だな」とかいった具合である。これは、親近感というか、親しみやすさをかもし出そうとしているのかもしれないが、そうだとしたらとんでもない誤解である。対話形式の番組では、この解説者は視聴者とではなく、対話の相手であるアナウンサーと空間をまず共有しているのである。それはいってみればアナウンサーとのプライベートな空間に過ぎないのであって、それをいくら親しみやすいものとして演出したとしても、視聴者との空間が親しみやすくなるわけではないのである。
夏目さんは、あるときには笑い転げ、あるときには涙ぐみ、自分の感情を惜しみなく番組の中で出していた。しかし、それでもボクが彼女の番組をこよなく愛したのは、それが自分にとってのプライベートな空間を作ってくれていたからである。夏目さんは、彼女が他の誰かと作った自分だけのプライベートな空間を、ボクらに押し付けていたのではなかったのである。

2009年07月29日

ランチタイムのミニサラダ

昼時にレストランに入ると、「今日のスペシャル」とか、「今日のサービスランチ」というのがどこにでもある。そうしたメニューは、安いところでは650円ぐらい、高くても1000円ぐらいが相場で、だいたい「ミニサラダ、ドリンク付き」ということになっている。昔ながらの洋食屋さんだとメインは揚げ物でそれにライスかパン、今風のカフェだとメインはパスタやサンドイッチで、それらのほかにミニサラダと、食後のコーヒーか紅茶がつく、ということになっているのである。
しかし、ボクは、このランチのミニサラダ、あまり好きではない。
まず第一に、ランチに出てくるミニサラダは、本当に文字通りミニチュアの、まったく食べた気がしない程度の量しかでてこない。ボクぐらいの歳になると、サラダというのは、普段からの野菜摂取不足を補うために、モリモリ、ザクザク食べたい。そう、サラダとは、いろいろな種類の野菜が大盛りに盛られていて、それを食べたら「あ、オレ、今日は健康になったかも」という幻想にかられるようなものでなければならない。しかし、である。ランチのミニサラダは、こうしたサラダの概念からは外れている。それはいつもちっぽけな透明のボールにでてくる。しかも、たいていはレタスかサラダ菜だけ。たまに玉ねぎのスライスが1-2枚、あるいはプチトマトがひとつ、あるいは缶詰コーンが8-9個、上にのっかっているときもあるが、それはラッキーな方で、基本的にはランチタイムのミニサラダは数枚の葉っぱでしかない。あのねえ、こういうの、サラダっていわないんだってば。「ミニサラダ、ドリンク付き」なんて宣伝するの、誇大広告だってば。
第二に、ランチタイムのミニサラダには、ドレッシングがあらかじめかかっているのが多い。それも、たいていかけすぎぐらいにかかっている。これがまたボクは気に入らない。その日、ボクはサラダをドレッシングなしで食べたいと思っているかもしれないじゃないですか。じゃぶじゃぶのフレンチじゃなくて、ゆずゴマドレッシングをほんのちょっとたらして食べたいと思っているかもしれないじゃないですか。いや、そんなことないですよ、ちゃんと「ドレッシングは何になさいますか」と訊くレストランだってありますよ、とあなたは反論するかもしれない。うん、たしかに、ところによってはドレッシングに選択肢が与えられる場合もないわけではない。しかしだね、キミ、そもそも、葉っぱしか入っていないサラダごときに、「ドレッシングは何になさいますか」もなにも、ないんじゃないの。ドレッシングを選べるぐらいなら、もっと中味の方を充実させる方がよっぽど先決なんじゃないの。
第三に、ランチタイムのミニサラダは、もうかれこれ数時間も前に作られ冷蔵庫の中にいれておかれたものが出されている、という感じがしてならない。たしかに、ランチ時、お客さんでごった返しているときに、サラダをいちいちつくって出すわけにはいかない。だから、流行っている店であればあるほど、ミニサラダはずっと前に作りおきされていたものである可能性が高い。しかしだね、アンタ、2時間も前に切った野菜、いや葉っぱ、がみずみずしいわけがないでしょうが。だからって、ドレッシングをじゃぶじゃぶぶっかけてごまかそうなんて、見え透いてるってもんでしょうが。
あ、そうそう、名誉のために言っておきますが、ボクがよくいく「高田牧舎」では、「ミニサラダ」というメニューが別にあり、葉っぱだけではないサラダを注文することができます。残念ながら、ドレッシングは選べないけどね。

2009年07月14日

政治寸評

“A politician's words reveal less about what he thinks about his subject than what he thinks about his audience” (George Will)

まず東国原さんと古賀さんとの会談について。「出馬依頼」が目的なら電話ですれば済むこと。にもかかわらず、二人が仰々しくまた公然と会談を設定したということは、その会談をテレビに映されることがどちらにとっても利のあることと判断したからにほかならない。もちろん会談中に、会談の後お互い何をぶらさがりや記者会見で話すかについては、合意ができていたはず。だから、会談について東国原さんがテレビカメラを前にしていったことを、古賀さんはあらかじめ知っていたし了解していたはず。古賀さんは、この爆弾発言が何らかのポジティヴな効果をもたらすと確信していた。さて、ではその効果とはいったい何だったのか。これを考えはじめると、かなり面白い。いま古賀さんは「浅はかだった」と反省しているが・・・。

サミットを終えた後での麻生さんの記者会見。質問しているイタリア人記者が流暢に話す日本語を、麻生さんが褒めていた。そのようなお世辞をあの場でいうことがプロフェッショナルでないし、失礼に当たるということを、麻生さんはわかってないようであった。軽いジョークのつもりだったのかもしれないが、そうだとすれば大失敗。しかし、まてよ、麻生さんは、自分自身の日本語がおかしいということを自覚して、自虐ネタとしていったのかもしれない。もしそうだとすれば、これは結構手の込んだジョークだということになる。いやしかし、記者の方はそうは受け取ってなかったようだから、いずれにしてもこれは失敗だな。さて、その会見の中で、麻生さんは、インドの「大統領」とカナダの「大統領」に言及していた。あー、やってしまった。やっぱりなあ、やれやれ。「外交の麻生」なんて、誰が言ったのか・・・。

橋下さんが、「知事会」で政党支持を打ち出そうとしたことについて。これはおかしい。橋下さんを含め知事のみなさんだって、国政をあずかっていらっしゃる政治家とまったく同じに、ひとりひとり、選挙で選ばれていま公職にある方々である。その選挙で選ばれた時点で、有権者に「自分は○○党を支持する」といっていたのか。そうしていたならともかく、そうでないなら、いまさら政党支持を打ち出すのは自分たち自身の公約に違反しているのではないか。そういう人が、マニフェストの重要性を訴えるなどというのは、論理的に矛盾している。

オバマ大統領が、ガーナを訪問し、奴隷貿易の遺跡を訪れた。どうしても自分の子供たちに、黒人たちが乗り越えてきた歴史の重みを感じて欲しいからと、サーシャとマリアも連れて。冒頭引用したジョージ・ウィルは、「政治家の言葉」といっているが、実は「政治家の一挙一動」も、見ている観客に何かを伝えているのである。

2009年07月12日

同窓会の人生訓

先日、小学校の同窓会が、地元横浜で開かれた。
卒業してから35年がたつのに、同窓生約80名のうちほぼ3分の1が出席した。コアのメンバーは、ボクらの卒業した小学校に、自分の子供たちを通わせている(あるいは通わせていた)OB・OGたちであった。彼らは、普段からPTAだ、運動会だ、バーベキューだ、といったつながりがある(あった)らしい。加えて、ちょうどボクらの多くが、子育てにひと段落した年齢にさしかかったので、今回はとくに大盛況となったようである。
同窓会は、お化け屋敷に似ている。興味津々、中をのぞいてみたいけど、どんなサプライズが出てくるかわからないのでちょっと怖い。まずは、みんな自分のことをちゃんと覚えていてくれるだろうか、という不安がある。「ボクだよ、分かる?」と話しかけて、「ええと、誰だっけ?」と言い返されたらたまったものではない。今回、ボクは会場へ着くなりM山さんから「あ、XX君?」と間違えられてしまった。ちょっとショックであった。
同窓会では、暴かれたくない過去の事実が暴かれて赤面する、ということもよく起こる。たとえ今はどんなに立派な大人となっていたとしても、その立派さをいとも簡単に覆してしまうような、想い出話がひとつやふたつ必ず出てくる。
たとえば、今回幹事の1人であるS君。Mnちゃんに次のようにいわれていた(そうである)。
Mnちゃん「私ね、『2番目』っていわれた」
S君「2番目?」
Mnちゃん「そう。『1番好きなのはO田さん。Mnちゃんは2番目だからね』だって」
同窓会は、また、予想もできない形で、自分の行動や人格を見直すよい機会となる。うん・・・、いや・・・、というか、ですね・・・、今回、ボクは自分がいかにサイテー男であるかを思い知らされ、見事にたたきのめされてしまった、のであります・・・。
ことの発端は、名簿の回覧であった。ボクがこの同窓会に最後に出席したのはもう30年も前のことで、ボクが出席しないでいた間にこの名簿が作られ、住所とか勤め先の変更を更新するため今回もそれが各テーブルをまわっていた。その名簿には、近況をひとことずつ書く欄も付いていた。ところが、どういうわけか、前回まで出席していないにもかかわらず、ボクの近況のところに書き込みがしてある。「H川さんとデート。ハマトラファッションの悪口をいわれたH川さんから嫌われる」とある。??なんだこれ??H川さんとデート?デートなんてした記憶ないぞ・・・。そこで、ボクは、自分の周りにいる人たちに「ボク、H川さんとデートなんてしたことないのになあ、おかしいなあ」と、10数年遅れの「火消し」をしてまわった(つもりであった)。
さて、しばらしくして席替えとなり、ボクはH川さんのそばに座った。そこで、ボクはH川さんに、「デートなんて、したことないよね」と確認を求めた。そしたら、H川さんは、「デートじゃないけど、2人で原宿の辺、行ったわよ」とおっしゃる。ガガーン。2人で?原宿?ホント?
H川さんは素晴らしい女性である。大人の、できた女性である。そのとき彼女はボクに向かって「覚えてないなんて、サイテーね」と言うべきだった。しかし、彼女はその言葉をまるごと飲みこんで、笑顔で一緒にツーショットの写真に収まってくれたのである。うーん、本当に素晴らしい。それに引き換え、なんと自分は・・・。
人間は、知らない間に他人を傷つけながら生きている。
わかっていたつもりではあったが、今回は、この重要な教訓をきわめて劇的な形で思い出させてくれた。そう、同窓会とは、人生の中で大っ恥をかき、自分を省みるための貴重な場を提供しているである。

2009年05月12日

オリジナルはベストか

今日、いつものように、朝、いきつけのコーヒーショップで勉強していたら、昔よく聴いたジョージ・ハリスンの名曲を誰かがアレンジしなおしたのが流れてきた。あ、これ、All Things Must Passだ、そう思った瞬間、ショップのお姉さんと目が合ってしまって、「知ってる、この曲?もとはジョージ・ハリスンの唄だったんだよ」といった。
すると、彼女、「ジョージ・ハリスンって誰ですか?」。
ガーン、ショック・・・。そうか、いまの若いひとは、ジョージ・ハリスンを知らないのかぁ、SMAPのメンバーの名前は全員言えても(←ボクは言えない)、ビートルズの4人が誰かは知らないんだ・・・。
「ええと、ジョージ・ハリスンはねぇ・・・、ビートルズが解散するとすぐ、3枚組みのアルバムを出してね、それがAll Things Must Passっていうアルバムで、さっきのはそのタイトルソングだったんだよ・・・」と、親切に説明しようかと思ったけど、面倒くさくなって、やめた。
相手が同年代だと、「ジョージ・ハリスンって、ほら、パティ・ボイドと結婚して、でも彼女をエリック・クラプトンに寝取られちゃった人」というと、たいていウケるわけだが、そんなこといったって、通じるわけがない。
家に戻って、ジョージの唄が懐かしくなってしまい、いろいろ、you-tubeで探してみた。そうそう、バングラデシュ救済コンサートの中で、いくつか、いまでは考えられないような共演があったっけと思い出し、それを中心に、サーチをかけた。
そしたら、ある、ある、珠玉の名演がちゃんと、見られるのである。
知っている人は知っている通り、このコンサートには、リンゴ・スター、エリック・クラプトン、ボブ・ディランなど、そうそうたるジョージの友人たちが、無報酬で参加している。で、それぞれのもとの持ち歌とは全然ちがうライブテイクが聴けるのである。
まず、Here Comes the Sun。これは、アコースティックギターで、ジョージが弾き語りするもの。これは、掛け値なしに、素晴らしい。「アビーロード」に入っているオリジナルよりも、こっちの方が全然ロマンチックである。
それから、ジョージとディランとレオン・ラッセルによる共演で、Just Like a Woman。ボクは、「偉大なる復活(Before the Flood)」の、ギター一本(プラスハーモニカ)のバージョンも大好きだが、もう何十年ぶりにこの3人の共演バージョンを聴いて、これもいいなあ、とあらためて思った。ボブ・ディランの凄いところは、この唄に限らず、どの唄も、バージョンによって、まったく違う唄になっちゃうというところ。彼の場合、オリジナルよりも、こうしたライブの方が、圧倒的に魅力的である。
ボブ・ディランとジョージは、If Not For Youでも共演している。これは、もともとは、ジョージがディランに送った曲だったと思う。しかし、これに関しては、ボクはジョージの3枚組の中のバージョンの方が好きである。
・・・というわけで、結論をいうと、オリジナルは、必ずしもベストではない。後から作られたリメイクの方が、いい場合もあるし、そっちの方が有名になることもある。
さて、ひとしきり、昔聴いた音楽を何十年ぶりかに聴いたあとで、まさかないだろう、と思ったが、もしや、と思い、オードリー・ヘップバーンが映画「ティファニーで朝食を」の中で唄う「ムーン・リヴァー」をサーチしてみた。そしたら、ジャジャジャーァン、ちゃんとありました。もう、この曲に限っては、誰がなんと言おうと、このオリジナルがベストです、はい。みなさんも、彼女の美しさとイノセントな唄声に、どうか魅せられてください。

2009年05月01日

共和主義とcitizenshipと日本の裁判員制度について

あまりに有名なので引用するのも気が引けるが、アメリカのケネディ大統領の就任演説の一節に、「国が君たちのために何ができるかではなく、君たちが国のために何ができるかを問いなさい」(Ask, not what your county can do for you, ・・・ask what you can do for your country)という言葉がある。日本では、北米社会は自由主義と個人主義に貫かれていると考えがちであるが、それは歴史認識としても現状認識としても大いに間違っている。アメリカが200数十年前に打ち立てたのは、いまでいうところの「共生の思想」に基づく「共和国」(Republic)であった。個人が異なる考えを自由に表明できることは、もちろん重要である。しかし、そのためには「個人が異なる考えを自由に表明できることの重要性」を(個人を超えて)みんなが合意しなければならない。共和主義というのは、個人が個人であるための社会をみんなで築いていこうという、逆説的な思想にほかならないのである。
実際、北米に暮らした経験があればだれでも、向こうの人たちがいかに自分の属する集団やコミュニティーをよくしていこうとする努力を普段から行っているかを感じとることができる。たとえば、家庭の中では小さな子供にも皿洗いやゴミだしの役割を与えて、家族というひとつの社会を支えあうことを早くから学ばせる。学校でも、自分たちの学校をいかに誇りの持てる学校にしていくかということを常に考えさせ、スポーツであれ、美術であれ、演劇であれ、音楽であれ、その年にもっとも貢献した生徒を表彰することをよくやる。そうした表彰の対象として、とくにcitizenship awardという賞を設けている学校も少なくない。citizenというのは市民という意味であるから、そこでは優れた「学校市民」として、だれ彼(彼女)隔てなく友人関係を構築したり、親身にクラスメートの相談にのったり、イベントの企画や片付けを率先してボランティアしたり、というような学生が選ばれるのである。
個人が自分に認められている権利を主張したり行使したりするだけでは、その人はcitizenとは認められない。citizenという概念には、個人が自分の属する集団やコミュニティーの中で義務や責任を果たすことが期待されている。冒頭引用したケネディの演説は、北米に根強いこうした思想的伝統を見事に表現しているのである。
さて、振り返って、日本では一般の人が裁判に関わる裁判員制度が導入されようとしている。これは日本の社会のあり方に各個人がcitizenとして関わることを促進するという点において、歓迎すべき制度だと思う。この制度の導入に反対している人たちは、これまで専門の裁判官たちだけで正しく裁判が行われてきて何の問題もなかったのに、なんでいま導入する必要があるのか、という主張をする。しかし、ボクは、どうしてこれまでの裁判官たちの判決が「正しい」と、そう自信たっぷりにいえるのだろう、と思ってしまう。千差万別の状況下で起きるそれぞれの「罪」に対してもっとも適した「罰」が何であるか、といった問題に、唯一「正しい」答えなど、あるはずがない。裁判員制度は、正しい答えがないながらも、それを一生懸命考え抜こうとする責任を、人任せにするのではなくわれわれひとりひとりが負うべきである、といっているのである。
反対派は、一部の人たちだけが心理的、経済的に負担の重い裁判に巻き込まれるのは不公平だ、ともいう。しかし、この主張も、ボクには納得できない。もし一部の人だけが裁判員に選ばれることが不公平であるとすれば、一部の人だけが犯罪に巻き込まれることも、一部の人だけが交通事故に巻き込まれることも、同じように不公平だといわなければならない。現実に存在するこうした社会の不公平に対しては目をつぶって自らの課題として引き受けようとせず、その一方で自分に振りかかってこようとする不公平に対してだけは声高に不公平だと主張しそれを回避しようとするのは、自分勝手な論理である。
そもそも現代においては、ごく普通の人が、ごく普通に買い物をしたり電車にのったり、ごく普通に人を好きになったり嫌いになったりすることから、犯罪や事故に巻き込まれていく。つまり、われわれは裁判員として選ばれるはるか以前から、他人との関わりに巻き込まれて生活せざるをえないのである。裁判員になることがなければ、「巻き込まれる」ことなく、平穏に暮らすことができるなどと思うのは、まったくの幻想に過ぎない。

2009年04月25日

本屋立ち読み事情

昔、まだ「駆出し」のころ(←なーんていうと、いかにも自分が「真打ち」になったかのような感じがして、気分がよい)、頻繁に本屋へ行って、どういう本が売れているかをチェックしていた。定期的にというか自覚的にそうすることで、人々がいったいどういうことに関心を持っているかを知ろうとしていたのである。ところが近頃、あまりそういうことをしていなかった。ボクの場合、本屋へ行くと、気がついてみたら1時間や2時間、平気でぶらぶらしてしまう。正直言って、最近のボクの生活では、そのようにぶらぶらできる1時間や2時間がない。いや、時間的余裕がないというわけでなく、心に余裕がないのである。ああ、まだあの仕事仕上げてない、ああ、まだあの原稿書き始めてもいない、などと気になって、ぶらぶらしていると罪悪感がこみ上げてくる。うん、しょうがない、「真打ち」は忙しいんだから、という自己正当化をして、本屋から足が遠のいていた。
ところが、今年はサバティカルで、すこしゆとりができたせいか、待ち合わせのときとかちょっと時間が余ったときなどに、本屋をのぞくことにしている。大きい本屋では、まず自分の書いた本が陳列されているかどうかをチェックする。ボクが書いた本がおいてある店は、全体のまあ半分ぐらい。しかし、どうみても、売れ筋のところにはおいてもらってない。もちろん、規模の小さな本屋さんでは、まったくおいてない。別にボクたち研究者は、たくさん売ることを目的で本を書いているわけではないんだから、と負け惜しみを心の中でつぶやいてみるものの、一冊も見当たらないと、やっぱりちょっと寂しい。店員さんに、「あのー、河野勝の書いた○○っていう本、置いてありますか」と、わざと聞いてみたくもなる(←もちろん、まだやってないですよ)。というわけで、なんとも情けない「真打ち」である。
さて、最近本屋での立ち読みを再開して、気づいたことをいくつか。
まず、新書を中心にして、「○○力」というタイトルのついた本がやたらに多い。なんでも「力」をつければ売れると思っている人たちが、どうやら今の出版業界にたくさんいるみたいである。なんで、こんな画一的になるの?ボクみたいにひねくれている者は、そんなタイトルのつけ方をしているだけで、こいつ時流に乗ろうという魂胆がみえみえだな、と敬遠してしまう。しかし、それでも売れるんだから、といわれればなんの反論もできないけど、まあそれにしても業界のイマジネーションの貧困は否めない。
そういえば、ちょっと前までは、「今、なぜ○○か」というタイトルの本が多く出回っていた。だから、いまどきそんなタイトルのついた本を本棚で見つけると、「一周遅れている」という感じがしてしまう。「○○に成功する方法」といったハウツーものはもちろんのこと、「超」や「壁」とかいったキイワードのついた本も、一世を風靡はしたものの、さすがにもう色褪せちゃったなあ、という感じがする。
情報雑誌のセクションをみていて目立つのは、自己矛盾のタイトルの氾濫である。「まだまだある、人の知らない秘境温泉」とか、「あなたにだけこっそり教えます、東京の隠れた名店」とか、「隠れ家として使えるホテル」とか。あのねえ、キミたちねえ、こういうのわざとやっているわけ、笑いをとろうとして、と思ってしまう。本当にウチは秘湯のままでいいです、本当にウチはたくさんの人にきてもらうと困るんです、というお店は、そもそも広告するわけがないし、商業雑誌の取材を許さないんじゃ、ないの?これ、もしわざとじゃなくて、なんの自覚もなしにやっているとしたら、出版業界の「知力」、「論理力」、「表現力」を疑っちゃうよね。

2009年04月11日

メッセージを送るとはどういうことか

最近読んだ論文のなかに、次のような例が書かれていた。あるカップルが問題を抱えていて、夫が妻に対して「僕はこの関係を本当に修復したいと思っているんだが、君が変わらないんだったら離婚してもいいと思う」といったとする。このような状況で関係修復が難しいのは、このメッセージには表面上の意味に加えて、より高次のメッセージが伝えられているからである、と。
どういうことかというと、夫が妻に上のように伝えたということは、妻にしてみれば「夫が離婚を考えている」ことを知っている、ということを意味する。それはさらに、夫は「妻が『オレが離婚を考えていること』を知っている」ことを知っている、ということを意味する。夫は、できるものなら関係を修復したいと真摯に思っていたかもしれない。しかし、上のようなメッセージが伝わると、修復はより難しくなる。離婚の可能性がまったく視野になかったら、妻は関係を修復するよう一段と努力することを考えたかもしれないのに、いまや彼女はその可能性をも考慮にいれて自分の人生を考えなくてはならない。そして夫は、妻がそのような可能性があることを知っちゃった上では、「関係を続けようと頑張ってくれないかも」と疑わざるを得なくなり、そうした疑念をもちつつ自分の人生を考えなくてはならないからである。
この話から導かれる重要な教訓は何かというと、われわれはメッセージを伝えることで、同時に相手からメッセージを受け取っている、という認識である。上の例でいえば、表面上メッセージを発したのは、夫だけである。妻の方は、表面上は夫に対して何もメッセージを返していない。しかし、にもかかわらず、夫が上のメッセージを発することによって、妻の方は「アタシは知っているのよ」というメッセージを伝えているのである。つまり、われわれは、一方的にメッセージを送ったつもりであっても、相手から暗に送り返されているメッセージを前提に、次の行動を選択しなければならない立場に追い込まれていく。メッセージを発するということは、それがどのような重大な結果に自らを導いてしまうかを、十分覚悟して行わなければならない。
以上のことは、男女関係という日常生活の一端から例が引かれていることからもわかるように、すこし落ち着いて考えればだれでも気づくことではないか、と思われる。それゆえ、次のような報道が立て続けになされると、はてどういうことだろうと、ボクは首を傾げてしまうのである。
「政府は8日、北朝鮮のミサイル発射を受け、日本独自の追加制裁策として検討していた北朝鮮への全品目の輸出禁止措置を見送る方針を固めた。制裁措置による拉致や核問題の進展が見込めないことに加え、日本のみが国際社会で突出した行動をとることを避ける考えもあるようだ」。
「政府は10日午前の閣議で、13日に期限切れを迎える北朝鮮に対する日本独自の経済制裁を1年間延長することを決定した」。
「麻生太郎首相は10日午後、首相官邸で記者会見し、安保理協議について『拘束力がある決議が望ましいと考えているが、決議にこだわったため内容が分からないものになるのでは意味がない』と述べ、議長声明でも容認する考えを初めて示した。首相は『声明、決議、いろいろあるが、きちんとした国際社会のメッセージが伝わるのが一番大事だ』と強調した」。
日本として、独自の突出した行動をとりたいのか、とりたくないのか。国連安保理の決議でなくても、本当にきちんとした国際社会のメッセージが伝わるのか。もしそうであるのなら、どうして最初から決議にこだわったのか。そして、もっとも大事なことだが、こうした首尾一貫しないメッセージを送ることで、相手からどういうメッセージが送り返されていて、またそれをどうわれわれは受け止めようとしているのか。

2009年04月08日

「脅し」と「警告」、そしてシェリングの誤訳について

最近、北朝鮮のミサイル発射にともなって、北朝鮮の意図と日本の対応について、さまざまな人がメディアで論評していた。ボクもいつか、このことについて何か考えをまとめたいと思い、そのヒントとなるかもしれないと、自分が監訳したシェリングの『紛争の戦略』を読み返していた。そうしたら、ですね、恥ずかしい話ですが、肝心な部分を誤訳していることに気づいてしまいました。読者のみなさん、そしてシェリング先生、ホントに申し訳ありませんでした。出版社には早速連絡をとりまして、次の再版(があればの話ですが)のときに、もう一度全部チェックしてこうした誤訳を極力なおして行くようにしたいと思います。
で、今回のその肝心な部分とはどこか、というと第5章の註5、シェリングが「脅し」と「警告」を区別しているところである。一般的な用語ではこの二つを合わせて脅しといっているが、シェリングは違うといっている。(正しい訳)≪一般的な用語では、「脅し」とは、ある人が敵対する者に対して、従わないと損害を与える行動をとることを示唆したり、想起させたりすることをさすこともある。しかし、その人がそうした行動をとるインセンティヴをもつことが、明白でなければならない≫。ここで重要なのは最後の一節で、そうした行動をとるインセンティヴがその人にあるかどうかによって、本当の脅しかどうかが決まる、とシェリングは考えている。≪たとえば、家へ侵入してきた者に対して警察を呼ぶと「脅す」ことが、これに当てはまる。一方、その者に対して撃つぞというのは、これに当たらない≫。なぜなら、一般の人が銃を撃って人を殺すインセンティヴを持っているとは思えないからである。ゆえにシェリングはいう、≪こうした後者のケースについては、違う言葉を用いる方がよいかもしれない――私は「脅し」でなく「警告」という言葉を用いることを提案する≫。
さて、北朝鮮のミサイル発射に対して、日本は日本の領域に落ちてきたら「撃ち落とすぞ」という姿勢をとった(①)。それに対して、北朝鮮は「撃ち落としたら戦争行為とみなし、日本に対し宣戦布告する」という姿勢をとった(②)。幸いなことに、そのような展開にはならなかったが、①と②がそれぞれシェリングのいう意味での本当の「脅し」となっていたかどうかを考えることは興味深いし、日本の安全保障にとって重要なことのように思える。なので、いまの時点でのボクの見解をまとめておきたい。
順番に考えていこう。まず①については、侵入者に対して撃つぞといっているのであるから、これは一見シェリングの中にでてくる「警告」の例そのもののようにも思えるが、今回の日本の対応は、ただ撃つぞと言っただけでなく詳細な行動を伴うものであった。すなわち、イージス艦やPAC3を配備し、しかもその配備の状況を大々的にメディアを通して公開することによって、本当に来たら撃ち落とすつもりなんだぞ、ということを(誰よりも北朝鮮に)分らせようとしたのであった。しかし、ここで重要なのは、日本が撃ち落とすという≪行動をとるインセンティヴをもつことが、明白≫かどうか、である。もし、いまかりに②が正しいとして、そのような行動が北朝鮮と戦争状態を導くことが予測されるならば、日本があるいは日本国民がそうした行動をとるインセンティヴをもっているかどうかは、それほど明白ではないのではないか、とボクは思う。すくなくとも北朝鮮には、日本がそのようなインセンティヴをもっていることがうまく伝わっていないような気がする。なぜかというと、今回日本は、日本に入ってきたら撃ち落とすという①の対応についてはきわめて詳細に行動で示したが、②の展開になったらどうするかということについてはメディアをとおして何も国民に知らせなかった(そしてそのことを北朝鮮がちゃんと知っていた)からである。
ということは、すべては②の信憑性にかかってくる。つまり、①が起こったとして北朝鮮に手番がまわったとき、それを戦争行為とみなし日本に宣戦布告するというのが「脅し」であったのか、それとも「警告」だったのか、である。ここについては、ボクのような素人には、どちらかといえる十分な情報があたえられていないので、なんともいえない。テレビでは防衛省のある元幹部が北朝鮮の対応は「単なる脅し」にすぎないと一蹴していた。これはシェリングのいう「警告」という意味で「脅し」という言葉を使っていたのであるが、小心者のボクなどはそこまで単純ではないのではないかと思う。繰り返すが、ここでも重要なのは、北朝鮮が何を言っているかではなくて、そうした行動をとるインセンティヴをもっているかどうか、という判断である。ひとつだけいえるのは、今回のミサイル発射事件は、発射後に撃ちあがってもいない衛星がちゃんと軌道に乗っているだとか、日本の新聞も打ち上げ成功を報じているだとか、すぐにウソだと(おそらく自国民にも)わかるウソをわざとついていることも含めて、北朝鮮のインセンティヴがどこにあるのかを伝えるさまざまな貴重な情報を、われわれに提供したのではないかということである。

2009年03月09日

ゲームはいつ(いかに)成立するのか

不朽の名作「明日に向かって撃て」の中に、最近ずっとボクの頭から離れないひとつのシーンがある。それは、映画のまだ前半部分で、列車強盗グループのボスである(ポール・ニューマン扮する)ブッチ・キャシディが、配下の1人からボスの座をめぐって挑戦を受ける場面である。相手は、頭はよさそうでないが、体格の大きな男である。取っ組み合いになったらかなわないかもしれないと察したブッチは、相棒のサンダンス・キッド(ロバート・レッドフォード)に「もし俺が負けそうになったら、アイツを拳銃で撃て」とささやく。その上で、その男に近づいていって、こういうのである。
「それじゃ、まずルールを決めようじゃないか」と。
すると、その相手の男はけげんな顔をして「ルールって、なんのことだ?」と問い返す。
その油断につけこんで、ブッチは男の急所を蹴り上げ、なんなくその挑戦を退ける・・・・。
さて、なんでこのシーンがボクの頭にずっとひっかかっているかというと、これはゲーム理論という考え方の根本的な問題を突いているかのように思えてならないからである。
経済学ではもちろんのこと、最近政治学でもよく応用されるゲーム理論では、人と人(あるいは国家と国家でもよいが)の間の相互作用を、ゲームにたとえる。いうまでもなく、ゲームでは、プレイヤーとプレイヤーが、最低限、お互い何かのゲームをプレイしているのだと認識していることが前提となる。市場での競争もそうであるし、国家間の外交もそうだ、というわけである。つまり、ゲーム理論では、プレイヤー同士が自分たちのプレイしている(あるいはプレイし始めようとしている)ゲームについての認識を共有していることが、ゲームが成立する要件である、とされる。
もしそうだとすると、上のシーンでは、ゲーム理論でいうところのゲームは成立していないことになる。なぜなら、ここでの当事者二人の間には、ゲームの認識について完璧にズレがあるからである。「ルールを決めようじゃないか」といわれた大男の方は、まだゲームが始まっていないと認識していたからこそ、油断して急所に一発喰らったのである。一方、ブッチにしてみれば、ゲームはすでに始まっているという認識でいたわけである。そして、「ルールを決めようじゃないか」といって相手を油断させることも、彼にとってはきわめて有効な戦略だったのである。
しかし、ここでは、やはりゲームは成立していた、と考えなければいけないのではないだろうか。この二人の間のやりとりを見ているわれわれ観客にとってみれば、どうみたって、ここにはブッチが勝者であり大男が敗者であるようなひとつのゲームがプレイされていたとしか思えない。大男の側の認識がどうあれ、ゲームはやはりすでにプレイされていたのであり、彼はそれに気づかなかっただけのことなのである。
ということは、どういうことか。オーソドックスなゲーム理論とはまったく異なり、ゲームが成立するかどうかは、ちっとも当事者たちの認識の問題ではないのである。ゲーム理論では、当然のことのように、ゲームに先立ってプレイヤーが存在すると考えるが、これはまったく逆であって、ゲームがプレイされているからこそ、プレイヤーが見いだされ定義されるのである。ゲームが成立するかどうかは、暗黙のうちにゲームの外部に存在すると想定されている、すべてを見通している全知全能の誰か(われわれ観客であったり、あるいは神であったり、さらにはゲーム理論家本人であったり)が、それを決めているのである。

2009年01月18日

時間について

ボクは、ハイデッガーをまともに読んだこともないし、また現代物理学にはまったく疎い方であるが、今日は時間について、最近思い当たることを好き勝手に語ってみたい。
まずは、昔、吉本隆明さんがどこかに書いていたこと。それは、人間は「時間」という概念よりも「世代」という概念の方を先に手にいれたはずだというようなことであった。
時間という概念は、きわめて抽象的である。それゆえ、たしかにそれは人間の進化の過程のなかでもかなり最近になって生まれた概念だろうな、という気がする。これに比べて、世代というのは、はるかに現実的で具体的な概念である。当然のことながら、生物種としての人間は、子供を生んで親になることや、子供として自分の親が死んでいくことを、身の回りのこととして経験する。世代なるものの違いや移り変わりを実感することが、何段階かの発展をへて、今日われわれのもつ時間の認識を支えているというのは、納得がいく考え方である。
次に紹介したいのは、オバマ大統領の就任が近づいてきた中で、あるニュースアンカーが語っていた言葉。それは、歴史的にみれば確かにオバマ大統領の誕生は重大な事件であることに間違いないし、多くのアメリカ人にとって彼は最初の黒人大統領であるが、しかし若い人たちの中には、オバマ大統領を、白人でも黒人でもなくただ単に物心ついてからの初めての大統領としてのみ記憶する世代が確実にいる、というようなことであった。ここでも、世代という概念は、われわれの想像力のリーチに収まる、実に現実的で具体的なイメージにつながっている。世代ではなく、時間という概念だけで、オバマ大統領誕生の画期性を表現することはできないのではなかろうか。
さて、話しは多少飛ぶが、最近どこかで耳にしたウィリアム・フォークナーの言葉も、ボクの中ではとても印象深く残った。それは、「過去は死んでいないし、まだ過ぎ去ってさえもいない The past is not dead. In fact, it's not even past」というもの。
「過去」というのは、現在から振り返ってはじめて見出される。ゆえに、過去とは、現在を生きるプロセスの一端として経験するものである。これは、もちろん、「未来」なるものについても、まったく同様に当てはまる。未来を見据えるとか、未来を志向するということ自体、きわめて現在主義的な経験にほかならない。
「現在」なるものからわれわれが抜け出ることは、実は容易ではないのである。
最後に、ボクの大好きな憲法学者ルーベンフェルドの一説。われわれは自由を手に入れるため、過去のさまざまなしがらみから解放されたいと願う。「しかし、真実はどうかといえば、みずからを時間から解放しようとするすべての試みは、それがいかに成功していても、成功のために、時間の中に埋没せざるをえないのである。なぜかといえば、そのような試みは持続されなければならない。奴隷からの永遠の解放が、本当に解放であるためには、すくなくともそれを記憶にとどめる必要があり、そして、それは前向きに実行されなければならず、将来にわたってもそのことが方向づけられなければならない。現在を歴史から解き放ちたいという願望は、この意味で、自己否定的である。」
人間は、時間なくして存在できない。時間こそ、人間がつくりだした、もしくは見出した概念であるにもかかわらず・・・。

2009年01月14日

内閣支持率とテレビ視聴率と松沢知事の禁煙化撤回について

麻生内閣に対する支持率が20パーセントに落ち込んだ。
テレビに出てくる政治評論家の中には、知った顔で「内閣支持率が20パーセントに落ち込むと、内閣が倒れる可能性が高い」などという方がおられるが、ボクなどはいったいどういう根拠でそんなことがいえるのだろうと思ってしまう。別に20パーセントという数字できれいに線が引けるわけがないじゃないですか。実際、今回の麻生さん、粘り腰をみせて、結構長い間政権を延命しそうじゃないですか。30パーセントでも15パーセントでもなく20パーセントが政権維持のための内閣支持の限界だ、などと主張する、そんな理論は、もちろん学問としての政治学とはまったく無縁です。
内閣支持率の数字は、いつも内閣に対する不支持の率の数字と対で登場する。当然、今の麻生内閣に対する評価でもそうであるように、支持率が低ければ不支持率が高くなるという逆相関を呈することが多いが、必ずしもいつも支持率と不支持率とが逆に振れるというわけではない。場合によっては、支持でも不支持でもなく、「わからない」とか「どちらでもない」という、態度を保留する人、あるいは中立の人が多くなることだってありうる。
さて、テレビ番組には視聴率というものがあるが、かねがね、ボクはこの視聴率という数字は意味のない数字ではないか、と思っている。それは、視聴率はポジティヴな支持率に対応しているけれども、ネガティヴな不支持率をまったく捉えられないからである。たとえば、ですね、ボクはある民放局の夜のニュース番組が大嫌いで、絶対に見ないことにしている。キャスターが傍若無人で、その人がしゃべっているとむかむかしてくるし、しかもそのとなりに座っている女子アナがプロとは思えない、まったくつまらない相槌しか打たないからである。もちろん、視聴者の中には、むしろこのキャスターの傍若無人さをいいと思う人もいるだろうし、可愛いお天気担当のアナウンサーに魅かれて見る、という人もいる。だから、実際、この番組は、そこそこの視聴率をとっている。しかし、その視聴率の数字からは、見てない人の多くが、単なる態度保留・中立派なのか、それともボクのような、この番組だけは絶対に見るもんか、と考えている積極的拒否グループなのかは、知る由もないのである。
・・・などということを考えていたら、今日、神奈川県知事の松沢さんが、業界団体の反対にあって、推し進めようとしていたレストランや居酒屋など公共の場の全面禁煙化の方針を引っ込めることが報じられた。面白かったのは、松沢さんが実際に居酒屋に行って、タバコを吸っている客たちに、「もし禁煙になったら、となりの県の居酒屋まで、遠出するか」と質問していたことであった。しかしだね、松沢さん、世の中には、居酒屋やレストランが(あるいはパチンコ店だって)タバコ臭いから、そういう場所に行かないようにしている、という人もたくさんいるんじゃないんですか?そういう人たちの意見というのは、(現にいまタバコ臭い)居酒屋に来ている人に聞いてみたって、捉えられませんよね?居酒屋に行って、そこの客に聞き取り調査することって、(パフォーマンスとしては面白いけど)はっきりいって無意味ですよね?
いうまでもないが、昔たくさんあった「喫茶店」では、タバコの煙でいつももうもうとしていた。もし喫茶店の客だけに聞き取り調査をしていたら、タバコの吸えない「スターバックス」が成功するなどという予測はありえなかっただろうね。

2008年11月18日

叙事詩「彼」

自ら漫画本を手にすることを公言したり遊説の第一声を挙げる場所としてわざわざ秋葉原を選んだりすることであたかも自分が新しい感覚の持ち主であることを印象付けられるのではないかなどととんだ勘違いをしているかにみえるその彼に最初は面白がって付き合ってみたもののそのうち「前場」を「まえば」と言い「有無」を「ゆうむ」「詳細」を「ようさい」「踏襲」を「ふしゅう」などと小学生でも間違えないような漢字の読み間違えを連発ししかもその失態を苦し紛れに「ああ単なる勘違いハイ」とかわそうとするばつの悪い姿を見せ付けられるとその彼を選んだ支持者たちですらいくらなんでも本当に大丈夫なのかと心配になってくるのも無理のないことであろうけれどもわれわれ一般人から見るとどうみても何かのコンプレックスからくるとしか思えないそのあからさまな虚栄心が自らの教養の低さを棚にあげて記者に対して「知らないで質問なんか(するな)」などと威張ってみせたりするところあるいは答えに窮すると公式のインタヴューであっても唐突に不機嫌を装い第一人称をさす代名詞にわざと「オレ」といって下品を装ってみせる自分の下品に気がつかないところさらにはスーパーを視察と称して訪れてはみたもののカップラーメンの値段ひとつろくに知らずに見え透いたパフォーマンスのちぐはぐさをいとも簡単に露呈してしまうところそしてそのような日常的感覚の欠如がなにより育ちの悪さの産物であるにもかかわらずどこかでそれを自分の血統の良さの証明であるかのように誤解しているようなところなどなどこれらはすべて見事なまでに滑稽でありアメリカのサラペイリンがそうであったように宴会や余興の席で多くのパロディのネタを提供してくれて純粋に楽しめないこともないのであるがしかし今回の経済危機の打開策として「定額給付金」を緊急に決定した際にはその条件として「公平性」が入っていたにもかかわらずいつのまにかそれが抜け落ち「迅速性」と「利便性」ばかりを前面に押し出すようになりしかも政策の根拠の変化について質問されても片意地張って知らんぷりを貫き通そうとする姿をみると滑稽も度を越して醜さに転じ多少こちらにも意地悪心が働いて「あなたはロールズを読んだことがありますか」とか「あなたは社会契約説をどう理解しているんですか」などという彼にしてみればおそらく答えることのできないむずかしい問いを投げかけてからかってみたくもなってくるのであるがただそれにしてもだからといって彼が政治家として不適格であるとか最低だなどというつもりはもちろん毛頭なくむしろ彼こそは現代の政治学が描く政治家の真髄をきわめて典型的に表している人物であり実際いかに政治家という職種の人々の行動が選挙で勝つことと役職に居座ることというふたつの動機のみによってつき動かされているかという命題をこれほどまで教科書通りに描いてくれる人は彼をおいてほかにいないのであって大学において政治学を教える者としては使い勝手のよいまことに格好の題材を提供してくれている彼のそのきわめて単純でわかりやすい行動原理にただただ心から感謝するばかりである。

2008年11月03日

内部情報はあてにならない、あるいは、S氏から夕食をご馳走になるという話

夏の終わりのある日、ボクは、学会のあったボストンからバンクーバーへ帰る飛行機の乗り継ぎでモントリオール空港にいた。ラウンジでメールをチェックしたら、アメリカ人の友人のSさんから「電話で話したい」という連絡が入っていた。はて何のことだろうと思って、バンクーバーの滞在先の電話番号を教えた。
Sさんは、日本語もできる知日派の若手研究者。実はオバマ候補のキャンペーンで働いており、オバマ候補へのブリーフィングのために日本の最新の政治情勢について報告書を急いで書かなければならない、ということだった。当時日本は、福田前首相辞任のニュースで混乱していて、オバマ陣営では日本に関する情勢分析を必要としていた。彼女は、それでボクに意見を聴きたいということだった。
バンクーバーについてから、ボクはSさんと長々と電話でしゃべった。その中ではっきりと言ったのは「これで総選挙の時期が来年以降にずれこむことになるだろう」という予測だった。ボクは「麻生さんが首相になりそうだが、彼はすぐ解散にうって出ても負ける可能性が高いと思っている。そうすると、彼の政権は三日天下で終わってしまう。政治学の常識から考えて、自らの任期を縮めるような選択をするわけはない」といったのである。彼女も、ボクのこの分析に同意してくれ、そのように報告書を書くといってくれた。
さて、それから1-2週間すると、日本では解散総選挙が近いという報道で一色になった。ボクの同僚のT先生などは、新聞記者さんたちと仲がよく、その内部情報に基づいて総選挙は「○月X日だそうです」ときっぱりといっていた。Sさんに、年内解散はないと言っちゃったボクは、あせり始めた。しばらくして、彼女から「どうやらわれわれの予測は間違っちゃったみたいね」とメールが入ってきた。あーあ、やばい。これでSさんの、ひいてはオバマ陣営からの信頼を失っちゃったな、と滅入った。
ところが、ところが、(エヘン)、ちょいと、みなさん、やっぱりボクの予測、正しかったじゃないですか。麻生さん、いま、まったく解散しそうにないですよね。経済危機を口実にして、総選挙のタイミングを遅らせ、自分の在任期間を少しでも長くしようとしている。最近では、消費税アップのことまで持ち出して、与党のなかでも総選挙をやりにくい状況を着々と作り出すアジェンダセッティングもしている。ボクは、まえに『論座』の対談で、政治を分析する上では、現場主義に基づいて収集された内部情報というのは当てにならない、もっと理論的に考えることが重要だ、ということを言ったのだけれども、今回の話はまったくそのことを裏付ける形となった。11月に選挙がなさそうだということになり、Sさんは、ボクの分析に基づいた報告書のおかげで、仲間からの信用を勝ち取ることができた、と感謝してくれた。よかった、よかった。
ボクは、Sさんがオバマ陣営で働いていることを公表していいものかどうか迷っていたが、きのうNHKの番組をみていたら、日本の在ワシントン大使館がオバマ候補側の知日派として考えている人々の中にちゃんと彼女の写真が入って紹介されていた。そのことをメールで知らせると、早速返事がきた。彼女は、日本の駐米公使と総選挙のタイミングで賭けをして勝ち、夕食をおごってもらったそうである。
「あなた(ボク)にいわれたことに従って、自分の主張を曲げないでずっといたの。今度は、私があなたに夕食をおごらなくちゃね。」
エヘン。

2008年09月29日

ザ・ディベート

仙台出張を日帰りにして、一生懸命早く家に帰り、オバマとマッケインのディベートを見た。いやー、便利な世の中になったもんだ。きっとどこかにあるだろうと思って探したら、ちゃんとBBCのサイトに、最初から最後まで約1時間半をそっくり映してくれるのが早くもアップされていた。それを夜の1時ぐらいまでかけてみた。ディベートの会場は、ミシシッピ州のある大学。かつて黒人だと、通うことのできなかった大学である。
さて、ボクの印象では、マッケインが勝ったんじゃないかと思った。マッケインはオバマの方を見ないで、司会者ばかり見てしゃべっていた。自分を格上にみせる演出を意識的にしているのではないかと思った。またマッケインは「オバマ上院議員はどうも理解されてないようだが・・・」というフレーズを繰り返していた。それも、ボディーブローのように、有権者に響いていくのではないか、と思った。
ところが、今日Podcastで、ディベートを分析しているいろいろな番組を見ていたら、どうも若干の差でオバマが勝ったという評価がアメリカでは一般的らしいことがわかった。ABCのGeorge Stephanopoulos(クリントン政権の時の報道官)は、項目ごとに細かく採点票をつけていて、たとえばボクが有利だと思ったマッケインの目線を、むしろ「カメラや一般有権者に向かってしゃべっていない印象を与えた」とネガティヴに評価していた。また、どこの放送局の分析だったか忘れたが、オバマが「切り返せるところを切り返さないで自重した」ことを重視していた人もいた。たとえば、マッケインがオバマに対し「あなたは富裕層をどう定義するのか」と聞いた場面。これは、マッケインがオバマの定義のあいまいさをつくつもりで発した言葉であった。これに対して、オバマは「いくつも家をもち、何台も車をもつあなたのような人だ」と、マッケインのイメージをそのまま使って反論できたのに、それをしなかった、というのである。また、たとえばマッケインがオバマに対し「あなたは外交の経験がないようだ」と批判した場面。これに対してオバマは「じゃあ、あなたの選んだ副大統領候補はどうなんだ」と言い返せたのに、それをしなかった、と。なるほどなあ、と思った。
こうした専門家による分析報道をみていて、考えさせられた。政治というのは駆引きであって、政治を観察している人たちはそれが駆引きであるということを知っていながら見ているのである。もっとも、駆引きであることはわかっても、正確にどういう駆引きが起こっているかはわからないときもある。上の場合、オバマは「反論しなかった」という戦略をとった。一見それはオバマにとってマイナス材料のようにもみえるが、もし「反論できるのにしなかった」ということが誰もが知っているような共有知識として確立していたのならば、それはオバマにとってプラス材料に転じる。「オバマっていう人は、汚い口論をしない人なんだ、ということは、彼が論争的になるときはきっと大事な問題だからにちがいない・・・」というようなポジティヴな評価につながっていくからである。
要するに、有権者をなめてはいけない、ということなのである。マッケインが「あなたには経験も知識もないようだが・・・」というとき、そこには「じゃあ、あんたの副大領候補は何なのよ」と切り返している数千万人の有権者がいるのである。そして有権者たちは、それぞれの政治家が、そうした(有権者の)無言の反応に気付くか、気付かないかを冷静にみきわめようとしている。すくなくともオバマはそれに気付いているからこそ、自重戦略を選んだのである。
別に、ひるがえって日本の政治がどうこう、というつもりはない。ただ、今回の自民党総裁選は、その意味では面白い分析材料を提供してくれる。どう考えても、有権者の多くは、この総裁選は最初から出来レースで、真剣勝負だったとは思っていない。ということは、自民党は「有権者が出来レースであることを知っている」ことを知りながら、総裁選をするという戦略をとったことになるが、それはなぜなのであろうか。それとも、まさか「有権者が出来レースであることを知らない」とでも思ったのか。まさか。

2008年09月27日

最近印象深かった言葉から

まずはイチロー。王監督の引退についてのコメント。
「偉大な記録を作った人は、たくさんいます。が、偉大な人間は、そうはいません。」

続いて、北京パラリンピックで2つの金メダルを獲得する活躍をした陸上の伊藤智也選手。インタヴューのマイクを向けられて、「この優勝は、人生で5番目に嬉しいです」と答えていた。「?」「子供が4人いるものですから。」

次は、ご存知、Sarah Palin。外交が弱点といわれている。その外交について、CBSの女性アンカーKatie Couricとの独占インタヴューが、非常に面白かった。「あなたは最近、(自分が知事である)アラスカがロシアと近接していることが、あなたの外交経験だとおっしゃっていますが、それはどういう意味ですか。・・・どうしてそのことが、あなたの外交上の信用を上げることになるのか私に説明してください。you've cited Alaska's proximity to Russia as part of your foreign policy experience. what did you mean by that? ・・・explain to me why that enhances your foreign-policy credentials」との質問に対し、「それは、ウチの、ウチのお隣さんが、外国だからよ・・・プーチンさんがアメリカ合衆国上空に来るとき、どこに行くと思う?アラスカなのよ。because our, our next-door neighbors are foreign countries・・・as Putin・・・ comes into the air space of the United States of America, where do they go? it's Alaska」この人、語れば語るほど、ホント、笑わせてくれる。みなさんも、英語の練習に是非You Tubeなどで見てください。

さて、次は日本の政治家小池百合子氏。自民党総裁選に負けたのに、カメラの前で笑顔を振りまき、いろいろコメントしていた。その中の一言。「政策論争をしているうちに、みんながすり寄ってきて、4人の男性に抱きつかれ、セクハラ状態だった。」この人、本当のセクハラがどういうものか、知らないのでしょうね。本当のセクハラを受けたことのある人が、その後どのように陰鬱な人生を送らなければならないか、来る日も来る日も思い悩み、眠れない日々が続き・・・、などということについて、きっとこの人は想像力がまったく及ばないのだろうと思った。いや、きっとそれほどまでに想像力に乏しい人だから、自分がセクハラを受けたのかどうかも、ほんとうにわからないのかもしれない。あのね、断言しますから、小池さん、あなたはあの4人の男性(麻生さん、石原さん、石破さん、与謝野さん)からセクハラなんて受けてませんから。どうぞ安心しておやすみになってください。

最後は例のJason Mrazの唄の一節。I’ve been spending way too long checking my tongue in the mirror and bending over backwards just to try to see it clearer. But my breath fogged up the glass. And so I drew a new face and laughed. 自意識過剰な自分に気付き、一端はそれを笑い飛ばす。しかし、過剰な自意識は、またそういう自分をすぐさま取り込むもの。この人、まだ若いのに、そういうところ、うまく摑んでいると思った。

2008年09月02日

「ホントかよ」と思ってしまうような、本当にヒドイ話

このブログでは、あんまり悪口を書かないようにしようと思っているのだが、今回はどうしても我慢ができないので、書くことにした。
先日、知人を介して、若いカナダ人を紹介された。このAD氏、日本の文部科学省から奨学金をもらい、日本のある大学院で勉強したことがある、という。ところが、その奨学金の期間は2年だったのにもかかわらず、1年で帰ってきてしまったそうである。いろいろ話をきいてみたら、この奨学金の運用というか運営というか、信じられないくらいヒドイ。
まず、AD氏によると、この奨学金を受けるためには「奨学生に選ばれたことがわかってから2週間のうちに、どこかの大学から受け入れの通知をもらわなければならない」というルールがあるのだそうである。え、たったの2週間?何度聞き返しても、そうだという答えが返ってくる。
しかも、である、受け入れ通知をもらえなければ、奨学金は取り消される、という。日本の「まとも」な大学で「まとも」に入学審査をしている学部や研究科において、2週間で外国人に入学許可を出すところはまずない、と思う。しかも、AD氏によれば、奨学生に選ばれたという知らせをもらうまでは、けっして事前に日本の大学関係者に連絡をとってはいけない、と念をおされたのだそうだ。もしそんなことが本当にあったとすれば、学問の自由が侵害されているのではないかとさえ、思える。
いずれにせよ、この奨学金制度は、「来る者は拒まず」と門戸を開いている日本の一部の大学の一部の学部・研究科にしか、奨学生を行かせないようにしている制度だと思われても仕方がない。学問の自由はともかく、すくなくともこの制度の運用には、研究の内容に応じてベストなマッチングをみつけてあげようなどという学術的配慮は微塵もない。いや、より一般的にいって、日本を訪れようという外国人に対する、尊重の念というか、基本的な礼節も欠落しているように思える。
さらに驚いたのは、実際に日本に着いてからの奨学生たちの実態である。この奨学金を受け取るために、AD氏は月に一度、大学の事務所に顔を出す必要があったという。しかし、それをのぞいては、AD氏には何の義務もなかった。大学に行こうが行くまいが、授業をとろうがとるまいが、研究を進めようがサボろうが、誰も感知しないのだそうである。たしかに、審査をしていったん奨学金を出すと決めたからには、奨学生の側の自主性を尊重するという方針も、理解できないわけではない。しかし、韓国や中国など、日本の近隣から来ている奨学生の中には、母国にそのまま住み続け、月に一度だけ来日して、奨学金を受け取る手続きをすませ、「貯金」することだけに専念していた者が少なからずいた、という。すでに、この奨学金制度については、そういうことをしても誰も何もいわないという暗黙の評判が出来上がっているので、とんでもない慣行がずっと続いているらしい。
AD氏は、この奨学金制度の運用に嫌気がさし、2年の期間をまっとうせず、カナダに帰ってきてしまったのである。ボクは、この話を聴いて、怒るというよりも、とても悲しくなった。この経験を通して、さもなければ日本に関心のあった1人の才能ある外国の若者が結局日本を去る決断をし、現在では日本とまったく関連のないキャリアを歩むことになったわけである。AD氏の関心を引き止められなかったことは、大げさでなく、日本の国益にとって大きな損失だったのであって、こういうことを積み重ねているうちは、日本はいつまでたっても国際社会に確固たる地位を築けない。
最後にAD氏はこう付け加えた。この奨学金のルールは毎年のように変更されるので、もしかしたら現在は、自分が経験した時と異なった運用がなされているかもしれない、と。AD氏は、日本人であるボクに、日本の制度の悪口をさんざんいったので、最後にさらりと礼節ある大人の発言をしたわけである。ボクとしては、AD氏の言を待つまでもなく、奨学金をめぐる状況が大幅に改善されつつあることを、強く願うばかりである。

2008年07月31日

Nowadays, they don’t date, but they hang out

もうすぐ16歳を迎えようとしているボクの娘に、同い年のボーイフレンドができた。
この夏参加したビーチバレーの合宿とトーナメントで、二人は仲良くなった。バレーでコンビを組む娘のパートナーが、このボーイフレンドの従兄のガールフレンドという関係である。そして、この従兄の父親が、ビーチバレーのコーチなのだそうだ。やっぱりこの世界は狭い。
娘のいうところによると、実は彼女は、ずいぶん前からこの彼のことを気に入っていた。彼女は、去年の夏、小さな子供たちに自転車の乗り方を教えるアルバイトをしていたのだが、どうやらそこで初めて知り合ったらしい。娘の友人たちの間には、彼女が彼を気に入っているので、「あの彼には手を出すな」という暗黙の了解ができあがっていたたようである。ところが、二人ともシャイで、なかなかきっかけがつかめず、ずるずるとこの夏まできてしまった。それがようやく最近になって、どちらもちょっとずつ勇気を出し合ったことで、一緒になれたということらしい。
初めて恋に落ちた娘の行動を観察していると、なんともいじらしい。
電話番号やメールアドレス(こちらではtextingという)を交換したあと、ずっと携帯を握り締めて、相手から連絡が来るのを待っている。そして、連絡が来たあとも、すぐ返事をすべきかどうか、ああでもない、こうでもないと自問自答している。ほかの友達たちから、「カップルになったのか?」というメールの問い合わせが殺到し、親友と「いったい誰が言いふらしているのか」と、これまたああでもない、こうでもないと詮索している。そうした「ああでもないこうでもない状態」が、一日中、延々と続くのである。
はじめて彼から「オヨバレ」がかかったとき、ボクは娘に「どこでデートするんだ?」ときいた。そしたら、最近の若い人たちは、二人きりのデートというのはあまりしないのだそうである。デートではなく、ハングアウト、つまり何人かの仲間たちと一緒にいる中で楽しむのである。二人だけでなく、仲間のネットワークの中で関係を築いていくということなのであろう。
というわけで、その最初のハングアウトは、ビーチバレーのコーチの家であった。
プールもあるし、テニスコートもあるし、ビリヤードテーブルもある。ハングアウトするには、まさに最高の環境らしい。
ボクが車でその大邸宅まで送っていくと、途上、娘はそわそわしはじめた。鏡で何度も化粧を直している。鏡を閉じたり開いたりして、「ああ、緊張してきた」とため息をもらす。
「緊張?何で?」
「だって、こんなに男の子のことを好きになったの、はじめてなんだもん」。
そうか、そうだよな、そうに決まっているよな。
そのピュアな心にうたれ、思わずほほえむ。そして「Good Luck!」と、送り出す。
娘の門限は、深夜の12時。
あとからきくと、彼はちゃんと彼女を家まで送り届けてくれたそうである。車を運転できる年齢ではないので、二人はバスを乗り継ぎ、歩いて帰ってきた。そして、彼は自分の家まで、またバスを乗り継ぎ、歩いて帰っていったそうである。

2008年07月17日

今どきジェネラリスト宣言

時はいま、スペシャリストの時代であるらしい。
何か特別な技能や資格を持っている人の方が、就職や再就職のとき強いといわれている。
逆に、ジェネラリストの評価は、著しく低い。
総合と名の付く業種、たとえば総合デパートとか総合メーカーとかは、日々血眼になりながら、生き残る道を模索している。いや、彼らは、しばしば「総合=ジェネラリスト」としての自らのアイデンティティを捨てることで、なんとか活路を見出そうとしているようにもみえる。
ボクは、時代とまったく逆を行くようだが、いつも自分の学生にはスペシャリストにならないでジェネラリストになりなさい、といっている。たしかに一見「何でもできる人」が、実は「何にもできない人」であることもある。しかし、一見ではなく本当に「何でもできる人」がいたら、それに越したことはないではないか。
スペシャリストに比べてジェネラリストの評価が低いというのは、どう考えてもおかしい。それは、部分集合の方が和集合よりもでかいと主張するのと同じで、まったく論理的ではない。
ボクの限られた人生経験からいわせてもらうと、趣味のいい人は、どのような分野においても趣味がいい。また、ひとつの分野で才能のある人は、結構いろいろな分野で隠れた才能をもっている。そういうものである。
たとえば、センスのよい音楽を聴いている人は、洒落たユーモアをもち、語彙も豊富で、クレヴァーな会話ができる人が多い(←具体的に誰って言われるとちょっと困るが、たとえば村上春樹とか)。美味しいレストランを知っている人は、オシャレな服を着ているし(←青木昌彦とか)、自分で料理をさせても一流である(←ジョン・フェアジョンとか)。ある競技で秀でたスポーツの才能を持った人は、別の競技をやらせてもたいていうまくこなしてしまうし、場合によってはプロ級の技術を身につけている(←ボクは、バスケットのスティーヴ・ナッシュがサッカーボールを一流のサッカー選手のように扱うのを実際この目で見たことがある)。
・・・というわけで、何がいいたいかというとですね、趣味の良さとか何かに秀でているとかということは、分野を超えて相乗効果を持つものだと思うのです。まったく関係のない分野だと思ってはじめから切り捨てるのではなくて、いろいろな分野で才能を磨いていこうとすると、結局すべて自分に財産となって返ってくる、そういう気がするのであります。
よく大学院へ進学が決まった学生が「先生、授業が始まるまで、何を読んでおいたらいいですか」とたずねてくることがある。そういう時に、ボクは決まって次のようにいう、「院の授業が始まったら、専門的な論文ばかり読むようになるから、まったく関係のない本をいまのうち読んでおきなさい」と。あるいは、映画や演劇を見に行けとか、スポーツをしろとか、いい恋愛を経験しなさい、とか・・・。
要は、何でもよいのであって、何でも真摯に一生懸命に経験することが、必ず、後に自分の専門とする分野にも生きてくる、そういうものなのである。

2008年07月13日

原理的に考えること、あるいは「主権」と「人権」と「権力分立」の話

日本では、小学生のときから民主主義と憲法とは不可分なものだと教えられる。しかし、いろいろな場面ですでに何度も述べてきたことであるが、民主主義と憲法というのは原理的に対立する。単純化していうと、民主主義とは少数派の暴挙によって多数派が踏みにじられないようにすることを保障しようとする制度であり、憲法(立憲主義)とは多数派の暴挙によって少数派が踏みにじられないようにすることを保障しようとする制度である。当然のことながら、この間のバランスをとることはむずかしい。
このように本来原理的に異なるということをさておき、日本の憲法は「民主主義憲法」であるとか、日本は「立憲民主主義」の国であるとかいう言葉だけを覚えたのでは、いったいどうやって「このバランスを実現していくのだろうか」という重要な問いにまったく答えられない。そう、まったく答えられない。
最近つくづく思うのであるが、日本のすさまじくヒドイ社会科教育のもとでは、このように、子供(というかわれわれ大人もふくめて)の想像力を奪ってしまうような常識がまかり通っている。実際、こうしたウソの常識の多さは、呆れるほどである。
たとえば、日本国憲法の三つの特色は、国民主権、基本的人権の尊重、そして平和主義である、と、これまた決まったように、小学生のときから教えられる。しかし、「主権」という概念と「人権」という概念は、原理的に相容れ合わない。そんなことは、すこし想像力を働かせれば、すぐわかることである。主権というのは、国民にせよ、君主にせよ、唯一で絶対的な権力をもつ「誰か」が存在する、という考え方である。これに対して、「人権」というのは、いかなる「誰か」からも犯されることのない崇高な権利をわれわれ一人一人が持っている、という考え方である。
主権と人権が原理的に相容れないからこそ、たとえば、「主権国家」である中国における「人権」が問題となるのである。民主主義と憲法の問題と同様、主権と人権の問題も、相対立する二つの考え方の間でいかにバランスをとるかという話であって、そのようなバランスのとり方を自ら真剣に考え抜こうとしない限りは、いつまでたってもわれわれの中国に対するスタンスが腰の座ったものにはならない。
もうひとつ、日本国憲法についてのウソの常識としては、権力分立というまやかしがある。立法府から人を送り出して行政府を構成する議院内閣制が、権力分立の制度であるわけはない。権力分立の大前提は、同一人物が二つ以上の権限を握るポジションに就かないということである。ゆえに、立法府から行政府に送り出された大臣たちが、議会内での議員としての身分を辞するということが制度化していない限り、権力分立が確立されているとは到底いえない。また、そもそも、権力分立という考え方と、先の主権という考え方とは、相容れない。主権というのは、前述の通り、君主であれ、国民であれ、「誰か」が唯一で絶対的な権力をもつという考え方である。それゆえ、原理的には、どうして「唯一」で「絶対的」な権力を、分けることなどできるのであろうかと問わねばならないはずである。
この疑問に納得する回答が得られない限りは、どのような統治機構の形態が望ましいかというような問題について、われわれはおよそ体系的に考えることはできない。議会は一院制であるべきか二院制であるべきかとか、首相公選制を採用すべきか否かなどといった、今日一部で論争をよんでいるいくつかの「憲法問題」なるものを考える前に、われわれは「原理的に考える」習慣をまず身につけなければならないのである。

2008年07月02日

ソックスの帳尻

銀行では、3時にシャッターがしまったあと、その日の金の出入りをとことん帳尻が合うまでチェックするのだと聞く。最後の1円まで計算が合わないと、銀行員さんたちは帰宅できないらしい。1円や2円計算が合わないだけだったら、自分の財布から出して、帳尻を合わせればよいではないかとも思えるが、たとえ金額が1円であっても、そこでちゃんとけじめをつけなければ、公私混同であることには変わりない。そうした行為を許すと、ひいては横領とか、架空名義口座とか、やってはいけないことへ道を開いてしまうことになるのかもしれない。
しかし、すごいと思うのは、1円まで帳尻を合わそうとして、毎日ちゃんと帳尻が合っているという、その事実である。朝起きて、テレビニュースで「横浜市の○○銀行は、昨日、入金と出金が一致しなかったため、やむをえず今日、業務を一日休むことになりました。お客様には大変ご迷惑をおかけしますが、ご理解ください、とのことです」なんて報道がなされたことは、もちろんいまだかつてない。つまり、世の中の銀行員さんたちは、目をサラのようにして金の出入りをチェックし、最後の1円まで探す努力を、来る日も来る日もけなげに続けておられるのである。
ひるがえって、我が家の話であるが、ウチではよくソックスの片方がなくなる。おかしいじゃんか、ソックスに足が生えて歩き出すことはない、どっかにあるはずだと、目をサラのようにして引き出しやタンスの中を探すのであるが、出てこない。
先日、勘定してみたら、そういう相棒なしソックスが4つもあることに気付いた。これは世の銀行とは大違いである。いつ頃からこうしてソックスの帳尻があってない状態が続いていたのだろうか、と自分ながら情けなくなってしまった。東証一部上場の大企業である銀行は、毎日1円まで、帳尻を合わす努力をしている。他方、はるか零細なウチはなんと4足も靴下がミッシングであっても、さして気にとめるわけでもなく、何事もなかったかのように生活が続いている。これはまずい・・・なんとかしなくてはいけない・・・、と、早稲田のちょいわるオヤジは思い立ったのでありました。
で、ふと思いついて、きのう、洗濯機をよいしょと前の方へ移動し、その後ろになにか隠れてないかなと見てみたら、いました、いました、片割れソックスの相棒たち。ホコリにまみれて、「ああ、見つかっちゃったか」という感じで、次から次へと出てきたのであります。そうなんですね、ボクは洗濯物を洗濯機にいれるとき、遠くから放り入れるクセがあるんですね。それで、もしやと思い、調べてみたのでした。こうしてようやく、我が家のソックスの帳尻を合わせることに成功したのでした。(面白いことに、そこには4足の片割れソックス以外は何もなかった。なんなのだろうか、このソックスの逃亡癖は??)
考えてみれば、このソックスの帳尻合わせに、ボクはかなりの時間と労力を費やした。結構頭脳も使って、あそこではないか、ここではないか、と考えもした。
こうした苦労をしたくないとすれば、どうすればよいか、もちろんわかりますよね。
そう、それは、持っているソックスを全部同じもので揃えればよいのであります。そうすれば、ひとつやふたつなくなったって、なんということはありません。

2008年07月01日

一緒に食事することの意義

ボクの大学院の指導では、修士と博士の学生を合わせて、2コマ続けて授業をしている。今年は、2限と3限にやっているので、その間には昼休みが入るが、ボクらは、弁当を配達してもらって、一緒に食べることにしている。食事を一緒にすることで、研究室の中の連帯感が強まる感じがしてよい。勉強以外のことでも、会話ができる場がそこに出来上がるからである。
友人から聴いた話だが、日本のある有名な二枚目男優さんはけっして自分が食事しているところを他人に見せないのだそうである。ロケでもスタジオでも、どこへいっても食べるときは一人きり。スタッフや共演者とも一緒に食べることはしないし、もちろんマスメディアはシャットアウト。なぜかというと、食べるというのは、その方にとってプライベートな行為だからだそうである。ま、そういわれてみれば、むしゃむしゃと音をたてて食べるクセがあることやどのおかずを食べ残しているかがわかっちゃったりしたら、男優としてイメージダウンにつながる可能性がある。ましてや、ホウレン草が歯の間に挟まっているところを必死で取ろうとしている表情が画像で報じられたりしちゃったら(←別にホウレン草でなくてもよいけど)、取り返しがつかない。食べるという行為の中に、本当は他人に見せたくない要素がいろいろと入っていることは、確かである。
だから、人と一緒に食事をするということは、プライベートな空間を共有することで、その人と親しくなりたいというメッセージを送っていることを意味する。院生たちへの指導においても、同じ弁当を食べることで、場の雰囲気がなごんでいることは疑いない。
しばしば、デートが食事を介して行われるのも、やはりそうした食事の効用があってのことである。もちろん、食事を介したデートには、いろいろな段階というかハイラーキーがある。それゆえ、どういう食事をするかによって、どういうデートにしたいのかについての重要なメッセージを相手に伝えることができる。
たとえば、午後のコーヒー&デザートに誘われたということは、相手はまだまだ「様子見」を決め込んでいるだけだ、と思った方がよい。コーヒー&デザートは、たとえそのようなデートがあったとしても、あとから「そういうつもりじゃなかったの」と平気でいえるような、デートハイラーキーの最下層に位置する段階でしかない。コーヒー&デザートに誘われたくらいで、舞い上がることは禁物である。
おそらくもっとも重要なのは、ランチデートである。はじめてランチに誘われたなら、準備は周到を尽くさなければならない。そこでは相手から、将来発展する可能性があるかを終始真剣に「テスト」されている、と思った方がよい。その場の成績次第ではさらにディナーへと発展するかもしれない。成績が悪ければ、もちろんそうした展開はない。ランチに誘われて、いつまでたってもディナーに誘われなかったら、それは「不合格」をもらったと思って、あきらめるしかないのである。
では、ディナーを一緒にするというのはどうか。これはもう完全に「脈あり」である。すくなくともディナーに誘った側は、その気満々にまちがいない。だからこの場合、問題は受ける側である。その誘いを受けてしまったら、それはあとから「そういうつもりはなかったの」というわけにはいかないような、デートである。だから、ディナーとは、誘うよりも誘われる方が、大きな決断を迫られていると思った方がよい。
悲しいことに、デートのハイラーキーは、登っていくだけのものではない。ときおり「ディナー」から「ランチ」への格下げが起こる、ということもある。あれれ、この前はディナーを一緒にしたのに、などと思ってももう遅い。それは、もう二人の間には将来がなくなりました、というメッセージを送られていると解さなければならないのである。

2008年05月08日

ペアレンティング

英語でparentは「親」という意味の名詞であるが、それを動詞扱いしてparentingという動名詞を用いることがある。直訳すると「親となること」。しかし、これではなんのことかわからない。日本語には「子育て」という言葉があるが、意味はちょっと違う。
「What are you doing this weekend?」
「Oh, I will be busy parenting」
たとえば、スポーツやピアノ教室への送り迎えは、自分の子供を直接的な対象にしたparentingである。しかし、自分の子供だけが対象でない活動もparentingであったりする。たとえば学校でバーベキューパーティがあり、ハンバーガーを焼く係を買って出るといった場合。あるいは子供が不在であっても、学校のPTAミーティングやボランティア活動に参加したりする場合。これらも、立派なparentingである。
思うに、parentingというのは、物理的に「(自分の)子供を育てること」に関わるだけでなく、より社会的なコンセプトであり、「親として責任を果たすこと」という意味をもつ。より正確にいうと、この場合の責任というのは、「社会で期待されている責任」という意味である。したがって、それはかなり広く捉えられる。
実は、先日、ボクはゴールデンウィークを利用して、娘のバレーボールトーナメントに行ってきた。場所は、バンクーバーから車で5時間ぐらいかかるケロウナという町。州のさまざまなバレーボールクラブチームが一同に会し、二つのレベルに分けられて、それぞれのグループで優勝を争う、年に一度の大きな大会である。州には何十という数のクラブがあるから、日程はまるまる2日間に及ぶ。そこで、われわれは2泊3日のちょっとした旅行を計画しなければならない。
大きなバンをもつ親が、何人もの子供を乗せて運転することを買って出る。そして、コーチたちと適度に連携し、彼らだけでは面倒みきれない部分を全般的にアシストすることを約束する。たとえば、試合と試合との合間をぬって、ランチの買出しをしたり、おやつやペットボトルを用意したりする。一日目の夜には、ユニフォームや靴下の洗濯もしなければならない。もちろん、試合のときは、声を枯らしてチームを応援する。中には、試合のスコアキーピングを任された親もいた。実際、こうしたさまざまなparentingに支えられて、トーナメント自体が成立しているのである。
2泊3日の行程をずっと一緒にすごすのであるから、親同士のあいだでは、親密でそれなりに突っ込んだ会話が取り交わされる。子供たち同士は、スポーツ活動を通してよき友人を得るが、自分の子供が所属しているクラブチームがうまく機能するためには、親たちの間でも一定の連帯感がなければならない。それは、ホテルで朝食を一緒に食べたり、子供たちのいいプレイをみて微笑みあったり、夕食時にワインを分け合ったり、というような共通体験を通してしか、生まれてこない。
そう、社会的に期待されているparentingの重要な側面のひとつには、ほかの親たちとのコミュニケーションをはかる、ということもあるのである。

2008年05月07日

フォーマルディナー

先日、ある方のお宅へ、フォーマルディナーに招待された。
フォーマルディナーなるものは、それ以外のふつうのディナーから明確に区別される。なぜなら、フォーマルな行事というのはさまざまなプロトコールによって成立しており、列席するものはそれらのプロトコールに従うことが期待されているからである。
たとえば、結婚式はフォーマルなイベントである。なぜなら、まず、このイベントのために特別に刷られた招待状がある。また結婚式では、会場に着くと同席者のリストが手渡される。リストには、社会的地位を格付けする肩書きが記されており、その地位にふさわしいように、席次やスピーチの順番が決められ、イベントが進行していく。
さて、先日のフォーマルディナーの主賓は、外国からのあるお客様であった。で、なぜボクが招かれたかというと、ボクはいちおう世間的には「現代日本政治の専門家」ということになっており、しかも英語に不自由しないことが知られているからである。そこで、そのディナーの席では、ボクはその主賓の方に、最近の日本政治について思うことをいろいろとお話することが期待されていたわけである。
時間通りに招待状を片手にお宅に伺うと、まずリビングルームに通された。飲み物を勧められたが、ボクはここでアルコールを断り、ジンジャーエールをたのむことにする。はじめから飲みすぎないよう、ここは慎重になる。そして、会話にさりげなく加わりながらも、頭をフル回転させ、その夜自分が置かれた状況を把握することにつとめる。そこには、ボクのほかにもうひとり、ボクより年配の日本政治の専門家の方が同席していた。ということは、自分ばかりぺらぺら喋るわけにはいけない。ボクはあくまで若手、プロトコール的には「2番手」なのだ、ということをしっかりと了解する。
いよいよダイニングルームに移り、食事がはじまる。会話も、だんだんと佳境へと入ってきた。ホストは、プロトコールに従い、まずその先輩先生の方に話を振る。期待通りの展開だ。その先生がお話になっている間に、ボクは目の前の皿にでている料理を急いで平らげる。これも作戦通り。自分の喋る番になった時、食べながら話すというわけにはいかないからである。そして、自分の番になったら、先輩先生の意見を立てながら、手短に自分の考えを述べる。これを、フルコースのメニューに従って、何度も繰り返す。メインに出てきたステーキは、ゆっくりと噛んでいる暇などなく、丸呑みするぐらいであったが、おかげでピタリとタイミングよくディナーを終えることができた。フォーマルディナーは、けっこう忙しいものなのである。
最近読んだある本によると、アメリカの第3代大統領トーマス・ジェファーソンは、ディナーパーティを開くことがとても上手だった。パーティでの会話から情報を得て、同士との連携を強めたり、支持を広げたり、政敵の弱みをつかんだりしたそうである。彼は、招待状を出すとき、「大統領」という肩書きを使わず、ただ「Th. Jefferson」とだけ記した。フェデラリスト党に対抗して、自分は人民によって選ばれたのだということをさりげなく(いや、あからさまに、か?)誇示しようとするのが目的だったのだそうである。

2008年04月07日

(続)一期一会

ずいぶん前に、レストラン版を書いたが、今度は「一期一会:人」バージョンを書いてみたい。歳をとればとるほど、一回しか会っていないのに、忘れることのできない人々が増えてくる。ボクの場合、嫌な想い出は記憶から早く遠ざかっていくようで、ボクの人生の中で忘れることのできない人々は、とっても素敵な人々が多い。
まずは、結構最近だが、ふとした偶然から出張先のホテルで朝食を一緒にした女性の話。すれちがうと誰もが振り返るようなブロンドの美しい方で、正直いって同席しているだけでドキドキしてしまった。で、その方の趣味は、旅行だそうである。仕事に疲れると2週間ぐらい休みをとって、どことなく出かける。もう世界中何十カ国と回っているらしい。そして旅行で何をするかというと、何をするわけでもない。宿泊先のホテルから当てもなく歩き始め、午前中はほとんど「どの店で昼食をとるか」を決めるためだけに、ぶらぶらするのだそうである。そして気が向けば同じところに何泊もするし、気が変われば次の目的地を選んで移動する。結婚する気などもちろんないし、ボーイフレンドもあえて作らない。若いのに(あるいは若いからこそ、か?)、現代社会でindependentに生きていこうという女性の強い意志を見せられて、魅了というか圧倒されてしまった。
次は、もう10年ちかくも前に、カナダから日本までの飛行機の中で隣り合わせた紳士。インド系の落ち着いた人で、電力関係の仕事に就いているとのことだった。出張で日本にはじめていくというので、公衆電話のかけ方(当時は携帯などなかった)や、成田から東京までの交通手段などについて教えることから話しが始まった。実は、その後は何についてしゃべったのかよく覚えていない。ただ、どちらもプライベートな部分に深く入り込まないながらも相手と真摯に接しようとし、しかもそのことをお互いappreciateしながら、さらにお互いがappreciateしているということをお互いappreciateしながら・・・、心地よい会話が続き、気がついたらあっという間に日本についていたという感じだった。節度をもって交わす他人との会話が人生を豊かに送る上でいかに重要なことであるかを、そのとき思い知らされた。
最後は、20年以上も前のこと。大学時代にバックパック旅行をし、ある事情でアメリカ北東部のニューロンドンという小さな町のあるカレッジにたどり着いた。そこで出会ったのは、そのカレッジで日本語を教える日本人の先生。背は小さかったが、口ひげをはやし、黒っぽいシャツをうまく着こなし、英語がぺらぺらで、とてもかっこよかった。残念ながら、その人の名前は聞いたのにもう覚えていない。もしかしたらいまでもそのカレッジで教えているのかもしれない。しかし、本当に大げさでなく、この人との出会いは、ボクの人生を変えてしまった。この人と出会ったことで、それまで大学を卒業したら日本で就職し日本で暮らすことを当たり前だと思っていたのに、そんな人生の送り方がまったく当たり前ではないのだ、ということに気づかされたからである。
国木田独歩の短編小説に「忘れえぬ人々」というのがあるが、そこで描かれているように、人生の中で出会った素敵な人々が忘れられないのは、出会ったときの風景や文脈がまざまざと自分の記憶に刻み込まれているからである。

2008年03月19日

エスカレーターに関する規範について

社会における規範とは何か、とか、なぜこの世の中に規範なるものが存在するのか、とか、なんともコムズカシイ問題を考える上で、われわれが日常利用するエスカレーターは、実に興味深い題材をいくつも提供してくれる。
ご存知の通り、関東では、エスカレーターに乗ると左側に寄り、右側を空けるという作法が成立している。この作法をみんなが守ることによって、急いでいる人が右側を通って追い越していくことができるようになっている(←関西ではこれが左右反対であるという話もよく知られているが、今日はその問題はおいておく)。
さて、こんな作法は、昔は存在しなかった。つまり、昔は、誰も、エスカレーターに乗っているときに人を追い越そうなどとは、思いもよらなかったのである。
ということは、この話は、エスカレーターについての規範がいまと昔とで、大きく変化したことを物語っている。ここでいう規範とは、「社会の中で、人々があまりに自明だと思っているので、知らず知らずのうちにそれに従ってしまうもの」、という程度の意味である。
では、なぜ「エスカレーターでは追い越すものではない」という規範から、「エスカレーターでも追い越してもよい」という規範へと、変化したのだろうか。ボクが思うに、その理由は日本人の社会生活が忙しくなったからとか、あるいは最近の日本人が前よりせっかちになったからということではなく、単純に、日本の平均的なエスカレーターの距離が長くなったことに関係している。
実際、一昔前までエスカレーターはどこにあったかというと、それはデパートの中にしかなかった。デパートの中のエスカレーターは、階と階とを結ぶ短い距離のもので、人は追い抜こうなどと考える余地もなく、あっという間に着いてしまう。
しかし、どこの駅にもエスカレーターが設置されるようになり、しかも地下鉄が増え、地下数十メートルから数百メートルにまで届くエスカレーターができるようになって、日本の平均的エスカレーターの距離はぐんぐんと長くなった。そうした中で、ずっと立ったまま、人を追い抜けないままでいると、急いでいる人にとってはなんとも効率が悪い。そこで、「追い抜いてもよい」という規範が自然と生まれ、それに従って上記の作法が確立されるようになったのである。
さて、ここまでだけなら、社会の規範には何らかの合理的根拠があるということを示唆するひとつの物語りとしてめでたく完結するのであるが、実は、話はここでは、おわらない。
たしかに、適度に長いエスカレーターであれば、人を追い越させるために片側を空ける作法は効率的であるが、最近一部の駅に設置されているような、気の遠くなるぐらい長いエスカレーターでは、いくら右側が空いていても、追い越そうとする人はほとんどいない(なぜなら、一度右側を選択すると、その人はずっとその気の遠くなるエスカレーターを登り続けなければならないからである)。実際、ボクのよく利用するみなとみらい駅の長いエスカレーターでは、作法が確立しているがゆえに、誰も右側には乗らないでいる状況が毎日毎日繰り返されている。
ここでわれわれが目の当たりにしているのは、規範の存在がちっとも合理的な結果を生んでいないという事実である。なぜなら、左側だけでなく、右側にも人が立てることが許されるとしたら、みなとみらい駅のエスカレーターはもっと効率的に、今よりも2倍の人を同じ時間内に運ぶことができるはずだからである。

2008年03月11日

レトロな食堂を定義する

ボクはレトロな食堂が大好きである。
レトロな食堂では、「ミックスフライ定食」とか「ハヤシライス」などを食べたい。
そう、レトロな食堂には、ミックスフライとハヤシライスがなければならない。
これがレトロな食堂を定義する上での、ボクの大前提である。
で、ミックスフライがあるということは、牡蠣フライもあるし、海老フライもあるし、鯵のフライもあるし・・・ということでなければならない(←これは単純な演繹的推論である)。ま、要するにフライ系はすべてカバーしている、ということでなければならない(これをレンマ=補助命題としておく)。
それから、ハヤシライスがあるということは、カレーライスも作っているということでなければならない(←これは演繹というよりは、アナロジー=類推だな)。
いずれにせよ、ということは、当然(上の「全フライカバー」命題と併せると)、レトロな食堂にはカツカレーもある、という結論が論理的に導けることになる。
                           ・・・・QED(←??)
・・・というわけで、ずっと前から一度入ってみたかった横浜の「セントラルグリル」に行ってきました。
場所は、本町通りと日本大通りの角。「ええっ、こんなところに?」という大きな交差点に、堂々と、このレトロな食堂はある。
入ってみると、フライ系だけではなく、サバ味噌煮定食とか金目煮付け定食とかもメニューに載っている。ゆで卵と納豆は、単品で注文できるらしい。うーん、これにはちょっと迷った。どうしようかな、フライ系高カロリー路線をやめて、こうした小物を従えての煮魚系に大胆に路線変更するかなとあたふたしましたが、ここは初志貫徹と思い返し、ヒレカツカレーを食べることに。そしたら、キャベツがチョコッと付いて、味噌汁まで付いてきました。そう、だから、正確には、ボクが食べたのは、ヒレカツカレー定食なのでした。美味しかった・・・。
ボクにいわせると、世の中には「レトロ風の食堂」はたくさんあるが、本当に「レトロな食堂」はそれらからきちんと区別されなければならない。本当にレトロな食堂というのは、食器や調度品の古さだけで決まるのではない。そこで働いている人たちも「レトロ」に徹してなければならない。だから、若いシェフやウェイトレスだけがやっているレトロな食堂というのは、ボクの定義上ない。レトロな食堂で働く人たちは、カッポウ着を身につけているとか三角巾のようなものを頭にかぶっているとか、あるいはかけているメガネが昭和の時代に流行したスタイルであるとか、どこかしら存在からしてレトロ性をかもし出している人々でなければならない。
もうひとつ、レトロな食堂というのは、(このセントラルグリルがそうであるように)「こんなところに」というような意外な場所になければならない。そして、それはそこにずーっとそのままの形で存在していたのでなければならない。オシャレな六本木や西麻布などに、レトロ風を売りにして新たに改装した店というのは、本当にレトロな店だとはいえない。
レトロな店は、年輪を感じさせる。それは、いろいろな人や事件に出会い、さまざまな経験をつんできた人間がそうであるのとまったく同じ理由で、とっても魅力的である。

2008年02月29日

志高き人は、応援せよ

少し前になるが、知り合いの学部生がアメリカの超一流の大学院に合格したという嬉しいニュースを知らせてきた。この学部生はボクのゼミ生ではなかった。また、必ずしもボクの専門分野のことを勉強しているわけでもなかった。しかし、彼の属するゼミの出身で、現在アメリカに留学しているある優秀な先輩が、「どうしても先生の指導を受けさせてやってください」とボクに頼んできたので、特別にこの一年間ボクの院ゼミに出席することを許可したのであった。もちろん、学部生だからといっても、リーディングを読んでくることも発表することも義務付けられていた。もちろん、彼はちゃんとそれらのことを(他の院生とまったく同じに)こなした。そして、実に立派な英語の卒業論文を完成させた。このたびこれ以上望めないようなキャリアアップの道が開かれたのは、本当によかった。おめでとう。
なぜボクがこの学生を特別扱いしたかかというと、彼がとても志高い若者のように思えたからである。ボクはおそらく、彼の先輩が間に入って紹介しなければ、この学生を特別扱することはなかったと思う。しかし、その先輩に可愛がられているということが、すでに彼のひとつの財産であった。その先輩も、きっと彼の志の高さを感じ取ったのにちがいない。そういうのは、自然と伝わるものである。そして、彼のこの一年間を見守り、その評価がけっして誤りでなかったということがよくわかった。
志の高いものは、応援しなくてはならない。
それが、他の人に比べて多少不公平になるような特別扱いをすることになったとしても、である。
なぜかというと、志の高さというのは、ほかの多くを犠牲にすることの上にしか成立しないからである。趣味や遊ぶ時間、あるいは金銭的な問題だけではない。家族とか、友人や恋人とかとの人間付き合いにおいても、志を高く抱いている人は、目に見えないところでさまざまに退路を断って暮らしているのである。だから、そういう人をみると、自然と応援してあげたくなる。そして、そういう人が自分の目標を達成すると、こちらも心が動かされるのである。
話変わって(いや実は変わらないのであるが)、昨日、富士通レッドウェーブが、WJBLのプレーオフで初優勝した。ボクは、ある友人の紹介がきっかけで、数年前からこのチームを応援している。きのう、代々木の体育館で、その劇的な場面を生でみることができて、よかった。
若い彼女たちは、ほかのことすべてを犠牲にして、バスケットボールに打ち込んでいる。このトーナメントで優勝することだけを目標に掲げて、身体もボロボロになるまで、頑張っていたのである。優勝が決まったときの涙は、彼女たちの志の高さをよく物語っていた。
こちらもおめでとう。
そして素晴らしい感動をボクらに与えてくれて、ありがとうございました。

2008年02月15日

ラジオと人生経験の外生性について

この前、昔カリフォルニアで聞いたラジオ局のことを書いたが、つい先日、出張先のカナダでCBCラジオを聞いていたら、次のような話題が語られていた。ウォータールー大学(オンタリオ州)には、学生たちが1970年代からやっている有名なラジオ局がある。このラジオ局は、毎年学生たちが授業料に11ドルを上乗せしていることによって運営されている。この局で働く多くの学生が、その後各地の民間ラジオ局に就職したりするのだそうである。しかし、最近このキャンパスラジオが本当に必要なのか、という議論が起こっている。だいたい、どのくらいのリスナーがいるのかは把握しようがないし、学生たちの利益になる情報ばかりをラジオ局が流しているわけでもない。ipodで音楽やニュースまで聞けるようになっている時代に、キャンパスラジオなんか時代遅れだ、などという極論もある。で、さんざん議論された結果、「レファレンダム」つまりは「全住民(=全学生)投票」をやって、このラジオ局を存続させるかどうかを決めようということになった。レファレンダムをやろうと言い出した学生がスタジオに来ていて、インタヴューに答え、「僕はどちらでもいいんです、とにかく学生たちの意思で決めればいいとおもって」といっていた・・・・。
ボクは、この話を、いくつかの点で興味深く聞いていた。まず、北米では、どこの大学のキャンパスにも、ラジオ局が存在する。そうした局は、結構その地元コミュニティーで、重要な役割を果たしている。このこと自体、とても面白い話である。北米におけるコミュニティーのあり方を、特徴的に物語っている気がする。ひるがえって、東京に一極集中している日本では、大学にひとつずつラジオ局があったら、東京ばかりにキャンパスラジオが多くできちゃって大変なことになる。それから、時代が変わって、こうしたラジオ局がいま存続の危機に立たされているというのも面白い話である。ウォータールーだけでなく、きっといくつかの大学のラジオ局も、似たような状況に追い込まれているのではないか、と思う。そして、レファレンダムをやって決着をつけよう、というのも、非常に面白い。北米では民主主義がよく根付いているなあ、とあらためて思う。日本の大学で、いま全キャンパスを通じてレファレンダムをやろうとしたって、おそらく学生組織も整っていなし、できない。
ボクは、ipodで音楽やニュースまで聞けるようになったから、ラジオは時代遅れになる、という議論には同意できない。ラジオの魅力は何かというと、自分が普段聴かない音楽、あるいは得ようとしているわけではないニュースを、向こうから(勝手に)流してくれるというところにある。つまり、自分にとって情報を収集する過程が、「ひと(ラジオ局)まかせ」になっている、それがラジオのいいところなのである。たしかに、ipodには自分のお気に入りの音楽や自分のお気に入りのpodcastからの情報がはいっている。しかし、そればかり聞いていたのでは、自分の「お気に入り」の範囲が縮小均衡してしまうのではないか。自分が選曲したわけではない音楽が流れきて「いいなこれ」と感動したり、自分が聞きたくもないニュースが流れてきて「なんだこれ」と不思議に思ったりする。そういう(専門用語をつかって申し訳ないが)一種の「外生性」が、われわれの経験を豊かにしてくれるものにほかならないのである。

2008年01月13日

正月に考える

みなさん、明けましておめでとうございます。
昨年は、ブログ更新が思うようにできませんでした。
今年は、何とか改善したいと思いますので、変わらぬご贔屓のほどよろしくお願いします。

・・・というわけで、正月を実家で過ごしました。
たまっている仕事を、まあはっきりいってすべてブッチぎり、同僚のT先生やS先生に迷惑をかけながら、原稿を待っているUさんにものすごい後ろめたさを感じながら、それでも今は家族と一緒に過ごすことがプライオリティだと自分にいいきかせて、有意義な時間を過ごすことにしました。
で、誰にでもそうであると思うが、正月という時期は、いろいろなことを考えさせられる時期なんですね。たとえば、ボクのような歳にもなると、強烈に「老いる」ということを意識させられる。自分の年齢を日本人の平均寿命から引いてみたり、働き盛りの男性が突然死をとげる確率はどのくらいだろうかと想像してみたりして、あと何回このような平穏な正月を迎えられるのかをおそるおそる心のどこかで考えている。
なぜ正月はものを考えるようになるのかというと、正月は、まあだいたいの人にとっては休みなので、普段より時間がゆっくり流れているんですね。だから、ついつい、いろいろ余計なことまで考えてしまう。初詣の電車の中で富士山を遠くに望むと、なんか特別な気分になったり、いつもと違った感慨を覚えたりする。あれっ、富士山ってこんなにでかかったっけとか、高層ビルのなかった昔の時代の人は毎日美しいこの富士山の姿を拝むことができたんだとか、だから日本には富士見町なんていう地名がたくさんあるんだとか、どんどんと想像が膨らんでいく。
なかには、ちょいと背筋を伸ばして、元旦には一年の計を立てなければいけないなどと気張っている人もいる。さて今年の目標は何にしようかとかと考えるのは、マットウなことではある。しかし、なかには、今年一年は親切な人でいようとか、今年こそもっといい人になろうなんて、本気で考えている人もいる。ま、そんなこと考えられるのは、そもそも時間に余裕があるからなのであって、正月休みがすぎれば、そんな目標はすぐに忘れ去られる。満員電車に揺られているサラリーマンさんや赤信号をハイヒールで必死で駆け抜けていくOLさんに、今年はもっと親切でいましょうとかいい人になりましょうとかいったって、無理に決まっている。
もちろん、だからって、立派な目標を立てることに意味がないなんていっているわけではないですよ。目標を立てるのなら、正月のような非日常ではなく、日常的世界にどっぷりと浸ってる中からやった方がいいんじゃないですか、と提案しているだけです。
あと、ボクは、正月にさまざまあるフォーマリティ、つまり儀式ばったところが好きですね。元旦には、家族に対しても「明けましておめでとうございます」と挨拶をいい、礼をつくす。毎年同じように、おせち料理をつつき、お雑煮を食べる。毎年行っている神社に、決まったことのように初詣に行く。
人間は変化を求める動物であるが、同時に「変化しない」ということに大きな心の安らぎを覚える。正月なるものを設けて、一年に一度お祝いするのは、そこに理由があるのである。

2007年12月20日

プリンシプルの孤独

先日、ある席である同僚から「河野さんは、プリンシプルの人だから」といわれた。
ボクはそれを褒め言葉であると解釈して、とても嬉しかった。
とくに、その発言をした人が、ボクの尊敬する同僚だったので、そういわれたときには思わずウキウキしてしまった。
しかし、である。
プリンシプルを貫くことは、往々にして辛い。
ときに、それは我慢できないほどの悲しみをもたらす。
プリンシプルを守り通すことは、非情なまでに孤独である。
外から見ると、プリンシプルを立てて守る人は、自信を持っている人のように見えるらしい。
たしかに、自分が何を求めているか、自分が何を大切だと思うかを確信できなければ、プリンシプルを貫き通すことはできないようにも思える
しかし、ボクの場合、実はまったく逆である。
つまり、ボクの場合、さまざまな場面に遭遇したときに自分で自分を律することに自信がないからこそ、あらかじめプリンシプルを立てて、それを行動の指針とするのである。
ボクは、自分が弱い人間だということを嫌というほど知っている。
だから、あらかじめプリンシプルを宣言して、あとから変な誘惑にかられないように、また後から悪い評判をたてられないように、自分の身を守ろうとしているのである。
ということは、すくなくともボクの場合、プリンシプルを立てて行動することは、小心者が人生を送る上での姑息な処世術であるとさえ、いえる。
プリンシプルを貫き通すことで、大事な友人や恋人を失うことがある。
それは、自分のプリンシプルを貫き通すことで、相手の自由が束縛される可能性が高いからにほかならない。
では、大事な友人や恋人を失うという大きな犠牲を払ってまで、プリンシプルを守る理由はなにか。
その理由は、自分が自分であることの証明を手にいれたいからである。
弱い人間であるがゆえに、ボクは、そのような証明がなくなったとき、自分がどのような自暴自棄の行動にでるか、見当もつかない。
それが恐ろしいので、弱い自分にだって世界に誇れるような自己証明があることを示す必要がある。
そのために、プリンシプルを立てて、それを守ろうとするのである。
プリンシプルを貫くことの孤独は、同じくプリンシプルを貫くことの孤独を知っている人にしか理解できない。
そして、その事実が、プリンシプルを守ることの孤独をより一層深めているのである。

2007年10月02日

最近のトンチンカン発言

時津風部屋で若い力士が亡くなった。相撲ファンとしては、大変悲しい。いまの相撲協会の後手後手の対応ぶりをみると、もしかして、このようなことがほかにも行われていたのではないか、ほかの部屋でも同じようなことに加担した力士がいて、そういうやつらが堂々とというかしらじらとというか、われわれの見ている前で神聖なる相撲の土俵に上がっているのではないかという疑念を抑えることができない。はっきりいって、もう相撲は見る気がしない。アンタ方は知っているのか、相撲が国技であることを・・・。あの愛子さまだって、楽しみにしてるんだってことを・・・。
で、今回の時津風部屋の事件について、多くのマスコミは、死んだ原因が「通常の稽古」とみなせる範囲だったか、それともそれを超える「暴行」だったか、という問題のたて方をしていた。ボクにいわせれば、この問題のたて方は、トンチンカンもいいところである。「稽古」であろうがナンであろうが、その結果としてひとりの人間の命が奪われた以上、傷害致死であり、「暴行」に決まっているではないか。相撲における稽古というのは、力士をいまよりももっと強くするため行われるものである。しかるに、ここには強くなった力士は存在しない。彼は、強くなるどころか、死んでしまったのである。だから、時津風部屋で行われた行為は、ことばの定義上、稽古ではない。そんなこと、あったりまえではないか。
さて、次。沖縄戦における「集団自決」での日本軍の関与についての記述が教科書検定で削除された問題で、文部科学省は、記述の修正の検討を始めたそうである。町村信孝官房長官いわく、「教科書検定には政治が関与しないということを踏まえないといけないが、沖縄の人たちの心や痛みをしっかりと受け止めて、何ができるか、文部科学省に考えてもらっている」。・・・???・・・。これって、ナニ???いまの教科書検定の制度自体、政治の関与であるということを、知ってておっしゃっているのか、それともまさか知らないでおっしゃっているのか。いずれにせよ、どうしようもなくトンチンカンな発言で、怒るどころか、笑ってしまった。
しかし、極め付きは、三番目。それは、海上自衛隊の給油に関連し、それがイラク作戦向け艦船へ転用されているのではないかという疑惑に対する政府の説明である。平たくいうと、転用された事実を認めつつも「どこに転用されているかは知りません」という主旨の開き直りであった。ボクは、こういうのを「悪意の善意性」と呼ぶことにしている。この論理が通るのであれば、最近社会問題化している「闇サイト」を運営している連中の論理だって、同じようにまかり通ってしまうことになる。つまり、「サイトでどういう情報が交換されているか、一切知りませんし、関知しません」という論理である。闇サイトでは、犯罪に関わる情報が提供されている。そういう事実があるかもしれないということを予感して、「善意」すなわち自分は「知りません」という態度をとる。しかしだね、ここには、善意を装う動機そのものが、悪意であるという構造が、疑いなくあるじゃあないですか。こんな論理を正々堂々と、あるいはしらじらと言ってのけて、それでもまあ大丈夫だろうなんて思っているところが、いまの日本の政治家たちの限界だね。

2007年09月05日

神話とジェラート

世の中には、自分がそう信じていたいがために、あえて真実をつきつめて明らかにしたくないような神話がたくさんある。それは、子供がサンタクロースを信じ続けるのと同じ論理である。サンタクロースがいると信じていた方が、いるわけないと冷静に考えるより、子供にとって圧倒的に得だし、家族全体も和やかになる。それゆえ、サンタクロース神話は、科学がいかに進歩しようとも、未来永劫ずっと引き継がれていくわけである。
ボクの場合、そのように信じている他愛もない神話としては、食に関するものが多い。
「酒は百薬の長である」(←これは神話ではなく諺だな)。
「赤ワインを毎日すこしずつ飲むと癌になる確率が下がる」(←これは神話でないという有力説あり)。
「エビスの黒ビールは健康によい」(←これはあんまり聴かないが、エビスってところがもう完璧な神話になっている)
・・・などなど。
なーんだ「食に関する」じゃなくて「酒に関する」じゃないか、という野次が飛んできそうであるが、ま、こういう神話を信じて中年オヤジは頑張っているものなのである。
さて、この夏をすごしたバンクーバーで、ボクがずっと信じ続けた神話がひとつありました。それは「ジェラートはアイスクリームよりも低カロリーである」というもの。夕食のあと、ほとんど毎日のように、ジェラートを食べに行ったので、もうこの神話がなかったら、ヤバイのなんの。一番小さなカップに1スクープしか注文しないのだが、それでも「大丈夫、低カロリーなんだから」と、自分に言いきかせていたのでした。
なぜそんなに毎日通ったかというと、ジェラートを食べるというのが、ボクにとっては夏のお決まりの光景になっているからである。お気に入りは、KerrisdaleにあるVivo Gelatoという店。ここには夏休みだけのアルバイトといった高校生ぐらいの店員さんがふたりいて、慣れない手つきで働いている。その様子がなんともういういしくて、とってもよい。そして、いつも家族連れ(たいていお父さんが短パンを履き、お母さんはノースリーブ)で適度に込んでいて、ちっちゃな子供たちがわいわいキャーキャーとにぎやかにしている。これらが、ボクにとってはほのぼのする光景として、目に焼きついているのである。
ところで、本当にジェラートはアイスクリームより低カロリーなのだろうか。
あはは、ジェラートっていうのはアイスクリームのイタリア語なの、だからそんなわけないでしょ、などという嘲笑(←なぜか女言葉)が聞こえてくるような気もするが、本当かな、とおもって、グーグルってみました。そしたら、ですね、なんと、ですね、日本には「日本ジェラート協会」なるものがあるんですね。で、そこには、ボクのような無知の人のために、「ジェラートとは」と説明書きがながながと書いてあるのであります。
「ほとんどのジェラートが乳脂肪5%前後で低カロリー、100g当りのカロリー量も120カロリーでショートケーキの340カロリー、食パンの260カロリーと比較して圧倒的に少なく、栄養価の高い健康食品です」
やったね。どうだ。ざまあみろ(←?)。
ただ、そう説得されても、どこか自分の中に「ホントかな」という一抹の疑問が残っている。おそらくそれが、神話の神話たる所以なのである。

2007年08月05日

世界は狭いか

ボクが最近興味をもっているのは、アメリカの独立前後の歴史であるが、この前ある本を読んでいて、いろいろ面白いことを知った。たとえば、アメリカの司法権の独立を確立した判決で知られる最高裁判所長官ジョン・マーシャル。この方は、トーマス・ジェファーソンの従兄弟にあたるのだそうである。ジェファーソンは、ご存知の通り、アメリカの第3代大統領であるが、ジェファーソンは、ワシントン、アダムスと続いてきた連邦党政権にかわって、はじめて共和党から大統領となった。しかし、一方のマーシャルは、連邦党の側の政治家で、躍進する共和党の政治的主張をにがにがしく思っていた。そのマーシャルが、(最高裁判所長官の役目として)ジェファーソンの大統領就任式を執り行わなければならなかったのは、なんとも皮肉なめぐり合わせであった。
また、ジェファーソンと大統領の座を争ったアーロン・バーという政治家。この二人のあいだで大統領指名をめぐって繰り広げられた政治プロセスは、それ自体、実に興味深い。で、結局、バーはジェファーソンの副大統領となる。しかし、その後の話はもっと面白くて、彼は酒場で決闘をすることになるのである。この決闘の相手が、なんとアレキサンダー・ハミルトン。ハミルトンはアダムスの後継として連邦党を盛り立てていかなければならない人物であったのに、バーはこの決闘でハミルトンに致命傷を負わせてしまうのである。当時の決闘のしきたりでは、一発目は空にむけて打つことが決められていた。銃の名手であったハミルトンはそれに従って打ったのであるが、バーは銃の扱いが下手で、狙いもしないのに一発目でハミルトンの心臓を打ってしまった。ハミルトンが死に、連邦党はついに命運が尽きることになる。そもそも、バーは、大統領の座をジェファーソンと争ったとき、連邦党の側に担がれていた人物である。そのバーが、連邦党の将来を託されていたハミルトンを殺してしまったのである。これも、なんとも皮肉なことであった。
こういう事実関係をいろいろ知ると、当時は誰もが誰もを知っていた、そういう時代だったんだな、と思えてくる。そういえば、日本でも、明治維新の前後に活躍した人たちも、ネットワークでつながっていた。吉田松陰の松下村塾人脈はもちろんのことだが、それ以外にも、たとえば道場つながりというのがあった。たとえば、それぞれが有力な人物となるはるか以前に、桂小五郎と坂本龍馬がどこかで一度手合わせをしたという話をきいたことがある。人的なつながりがいろいろな形で張り巡らされていたことが、革命を実現する大きな原動力になったことは間違いないのである。
しかし、このように狭い世界の中でいろいろなことが決まっていくのは、あながち遠い昔の話だけではない。というのも、ボクは、日本の若手エリートの集まりのような会合とかパーティに、一時期顔を出していたことがある。○○省で活躍されている方、将来が約束されている××社の御曹司、テレビで見たことのある新進政治家、そしてそうした人たちのネットワークをつくっている黒子のようなマスメディア関係の人・・・。で、そういうところにいると、こういうところに集まる人々が話し合う中から、日本という国家の大きな流れが、決められているんだな、と実感した覚えがある。
やはり、世界は狭いのではないか。その「世界」に入れないというかなじめない人間には、ちょっと苦々しいけど、そんな感じがするのである。

2007年06月24日

日本語になりにくい英語

最近論文を翻訳する機会が多く、そのたびに日本語になりにくい英単語に苦労している。で、いつかそういう単語をAからZまでひとつずつ集めて「訳しにくい英単語集」という本でも出そうかと思っているのであるが、まめにメモを取ることをしないので、いっこうにそのリストが完成しない。しかし、今日はそのリストの候補になると思われる単語をここにちょっといくつか並べてみようかと思う。あとで付け足していってもいいしね。
まず、Aはというと、これは結構候補を挙げることができる。たとえばavailable。あるいはその名詞形のavailability。これがどちらもなかなか訳せない。「ありえる」とか「手に取ることのできる」とか訳して通じるときもあるが、それでもピッタリ感がない。「利用可能な」と訳したりするときもある。Are you available on Sunday?は「日曜日、お暇ですか」とか「ご都合つきますか」と訳さなければならない。Is she available now?を「彼女って、いまカレシ募集中?」と訳さなければならない場合もある。
Aのもうひとつの有力候補はalternative。いつかゼミ生たちにからかわれたことがあるが、どうもボクは授業中にこの言葉を「オルターナティヴ」とカタカナ読みにして、すでに結構使っているらしい。これを「もうひとつの選択肢」とか「代替案」とか訳しても、ピンとこない。外国のCD店にいくと、「ちょっと変わった趣味の」とか「めずらしい」とかいうジャンルの音楽を指す場合にも、この言葉が用いられている。いい加減日本語にしてもいいのではないか、と思うくらいの単語である。
Cの有力候補はcool。もうこれはクールと訳すしかない。He is so coolは、「カッコイイ」や「素敵」では、全然通じない。日本語の「カッコイイ」とか「素敵」という言葉は、下から上へ見上げているような眼線にのっている。これに対してcoolは、対等な相手に対して「アイツいいやつだよ」という感じで使われるし、そのように自分も努力してなりたいというようにあくまで対等感が暗黙にこめられている。
Cでは、civilという言葉もある。政治学では「市民の」とか「市民的な」と訳されるが、これではまったく通じない場合がある。たとえば、喧嘩をしたあとの友人同士や離婚したあとの元夫婦の関係がcivil to each otherであるというのは、再び会う機会があっても取っ組み合いや引っ掻き合いに発展するのでなく、すくなくとも対話が成り立つ程度には穏やかである、という意味である。そうそう、これと似たような意味で使われるbehaveという言葉も、なかなか訳せない。そうした再会の場で「did he behave?」というのは、「わきまえた行動をとっていたか」という意味である。これを辞書通りに「行動したか」と訳したのでは、わからない。
Oblivious。これも、なかなかいい訳が浮かばない単語である。「忘却している」なんて辞書通りに訳したら、意味がまったく伝わらない。She is so oblivious to everyday lifeとかいうと、「世事に疎い」とか「浮世離れしている」とかいう意味(大学教授みたいに?)である。幼い子供たちが、まわりにある危険を顧みず、一心不乱に道路の真ん中で遊んでいたりする様子も、この言葉で表現できる。こういうと、純真さをイメージするかもしれないが、そればかりではない。とんでもないマイペースでまわりにまったく気を使わない人を、oblivious to others とかいうこともできる。電車の中でマナーのない人をみると、ボクは「ミスターオブリヴィアス」とか「ミスオブリヴィアス」とか呼ぶことにしている。これ、流行らせたいなあ・・・。

2007年04月04日

マーケット

この前ニューヨークを訪れたとき、リンカーンセンターの地下のホールフーズマーケットに行った。
当地の事情に詳しいある人から「とてつもなく広いスペースにホールフーズが出店したんですよ」と聞いていたので、セントラルパークを散歩したあと立ち寄ってみた。
そしたら、本当にここのホールフーズは、凄かった。
どどーんと、日本でならば有明とか幕張とかにあるコンベンションセンターぐらいの広い空間に、ありとあらゆる食材がアイルごとにきれいに整理されて並んでいる。壁際には、フィッシュとミートの陳列だなが、どこまでも延々と続いている。量り売りのセクションも、実に充実していた。
ご存知の通り、ニューヨークは人種や民族のるつぼである。だから、異なった人々の趣向や生活に合わせて、多種多様の品揃えがしてある。みたこともないような魚が眼を見開いていたり、「ナニコレ?」というような異様な形状の野菜が並んであったり、名前をきいても当然何だかわからないような食べ物が調理されて、売られている。
手にとったり、匂いをかいでみたり・・・。とにかく見てまわるだけで楽しい。
日本には、世界有数の「築地」という市場がある。しかし、一般の人々が日々の食材を調達するマーケットについて言えば、日本人に与えられている選択肢は、情けないほど貧弱である。コンセプトとして一番近いのは、いわゆる「デパチカ」ではないかと思われるが、なにしろ規模が違いすぎて、話にならない。すくなくとも東京近辺ではそうである。あそこでは「いかに早くこの息苦しい空間から抜け出るか」を優先してしまい、ゆったりと「さて今晩は何をつくって食べようかな」などと考える余裕が生まれない。
「Whole Foods Market」は、知っている人は知っているが、自然食にこだわった北米の(チェーンの)店である。スタンフォードにいたときにも近くにあってお世話になったが、そのようにこだわったマーケットであるにもかかわらず、大量の品揃えができてしまうところが凄いと思う。ボクが長く住んでいたバンクーバーにも、やはり自然食を重視した「Capers」や「Choices」という店があった。そういうこだわりに関しても、日本人に与えられている選択肢は限られているとしかいいようがない。確かに最近日本でも自然食の店がいろいろなところにできてきたが、どれも規模が小さくて「選んで買う」というまでにはなかなかいかない。
ボクがあこがれている究極の生活は、毎日仕事の帰りに品揃え豊富な自然食マーケットに立ち寄り、そこでインスピレーションを得て、晩御飯の献立を考えて、必要な食材を買って帰るという生活である。
しかし、いまの自分の生活パターンを振り返って考えてみると、そんな穏やかで豊かな生活からはほど遠い、という感じがする。どうして夜の10時半とか11時ごろまで、外で飲んだり食事したりする日々がこうも続いてしまうのだろうか。どう考えても、それはマットウな生活とは思えないのだが、いかにしてそこから抜け出せるか、いまのところうまく戦略をたてることができないでいるのである。

2007年03月15日

不自由を選択することの自由

ニューヨークのホテルからJFK空港まで、タクシーで行った。JFKから市内までは、均一料金で45ドルだが、その逆は必ずしもそうと決まっているわけではない。しかし、この運転手さんは、フラットにしてくれた。
人のよい、フレンドリーな運転手さんだった。
彼は、バングラデシュからの移民だった。
5年ほど前にアメリカに来て、帰化したのだそうである。「今度国へ帰るんだよ」と、嬉しそうにいう。こちらで結婚し子供ができたので、家族を連れて故郷へ帰り、両親に見せたいのだそうである。お父様が最近心臓の手術を受けられて、ここのところずっと心配しているのだ、ともいう。
いうまでもなく、タクシーの運転手としての稼ぎは、それほど大きくはない。
しかし、彼はいう。「子供二人連れてバングラデシュまで行ったら、とっても高くつくのはわかってる。帰ってきたら、破産みたいなもんだよ。でも、金は問題じゃない。金なんか後からどうにでもなる。でもオヤジが子供たちに会えるのは、今しかないかもしれない。そうだろ?」
「その通り。」
ボクは、このような考え方が大好きである。
そして、ボク自身、同じような生き方をしているように思うので、とっても共感した。
では、このような考え方、生き方とは、どういうものか。
それは、不自由を選択することの自由を大切にする、ということである。
・・・などというと、ちょっとコムズカシイので、もうすこしわかりやすくいうと、ですね・・・
現代人は、いつでもさまざまな選択肢を持って生きているわけですね。何を食べようか、何を着ようか、この人とデートしようか、あの会社に就職しようか、などなど。しかし、ボクには、それと同時に、人には、(このタクシーの運転手さんのように)その時々でやらなければならないことが与えられているようにも思えるのであります。
で、これは、倫理の問題とか道徳の問題とかではない。ここにあるのは、究極的には「いかにして自分が幸せでいられるか」という個人の(もっといえば個人主義的な)判断ではないか、と思う。
たとえば、この運転手さんは、今故郷に帰らないと決断した場合の、その後の自分の人生が(たとえ金に困らないでいられるとしても)どれくらい不幸せなものになるのかを、よくわかっているのである。だからこそ、たとえお金に困るという「不自由」が生じるとしても、それを自らよろこんで引き受けようとしているのである。今、故郷に帰れば、子供たちとお祖父さんとが会えたという記憶が残る。そしてその記憶は、当然、子供たちにもずっと長く残ることになるのである。
こうした考えは、幸せなるものを刹那、刹那に捉える限りでは、生まれてこない。しかし、ボクにいわせれば、幸せとは、時間を超えて、今日だけでなく10年先、20年先のことをも考えた上で、自分に与えられている最良の選択肢を選びとることに他ならないのである。

2007年03月10日

ローマの休日の共有知識

ニューヨークまでの飛行機の中で、「ローマの休日」を見た。
いうまでもなく、オードリー・ヘップバーンとグレゴリー・ペックが共演する古典的名作である。もう、何度見ても面白い。そして、もう何度見ても(オードリー・ヘップバーンが)可愛い。なんというか、ため息が出てしまうほど、可愛い。
彼女はこの映画でデヴューした。だから、最初の出演者の字幕のところで、「introducing Audrey Hepburn」と出る。ま、結構知られた話だが、最初、大俳優のグレゴリー・ペックは、自分主演の映画だと思って、この映画を作り始めた。ところが、撮っているうちに、これは大変な新人と共演しているのだと気づいた。それで、宣伝用のポスターの題字の大きさを、二人とも同じにしてくれと、彼から頼んだ、のだそうである。
この映画の最後のシーンは、一日中楽しいデートをしたものの大使館に戻らなければならず悲しいサヨナラをした翌朝に、ヘップバーン扮する王女さまが、大勢の記者たちと面会するシーンである。彼女はその中に、思いもかけず、ペック扮するアメリカ人記者が立っているのを発見する。いうまでもなく、この映画の最大のキモがここにある。なぜここがキモかというと、この場面は(ちょっと学術的用語を使ってしまって申し訳ないが)二人の間で「共有知識」がはじめて成立する場面だからである。
つまり、彼は、彼女が本当は王女であるということを知って(それを特ダネにしようという下心をもって)、前日デートをしていた。しかし、その段階では、彼女は彼が記者であるということは知らない。もちろん彼は、彼女が知らないということも知った上でデートしていたのである(←この辺に「やっぱりこの映画、ジェンダーバイアスがかかっているわよね」という批判が成立しそうであるが、ちょっとそれはおいておく)。で、この最後のシーンがキモであるのは、彼女が「ああ、そういうことだったの」と、状況をいまはじめて正しく理解したということを、表情ひとつでみせなければならないからである。このシーンにおけるオードリー・ヘップバーンの(表情ひとつだけの)演技で、この映画が素晴らしいものになるかそうでないかが決定する。そして、それが本当に素晴らしいので、われわれはこの映画を何度も何度も見ようという気になるのである。
もちろん、グレゴリー・ペックの方も負けていない。なぜかというと、この場面で、彼は、彼女がすべてを理解したんだということを理解したことを、こちらも表情ひとつでみせなければならないからである。そう、共有知識というのは、両方が知っているというだけでは成立しない。二人とも知っており、二人とも相手が知っているということを知っており、二人とも相手が相手が知っているということを知っているということを知っており・・・・(無限に続く)・・・という状況でなければならないのである。
ところで、いうまでもないが、ここにはもうひとつの共有知識がある。
それは、この映画を見ているわれわれ観客は、前日まで彼は知っているが彼女は知らない、そしてこの場面で初めて彼も彼女も知るようになるんだ、ということをすべて知っているということである。
映画の面白さは、登場人物のあいだで成立している(あるいは成立していない)共有知識と、観客のあいだで成立している共有知識のズレにあるといえるのである。

2007年02月26日

死について

最近、死について考えることが多かった。
そこで、今日は、死について、これまで聞いたり考えたりしたことの中から、すこし書いてみようかと思う。
・人間は、他人の死しか経験することができない。人間が自分の死を経験することは(「経験」なる行為が生きている間しかできないので)定義上ありえない。だから、「死とはなにか」というような哲学的思索をするとき、われわれはあくまで他人の死を念頭に置かざるを得ない。
・柄谷行人がどこかで書いていたが、人間は「死」と「不在」をうまく区別することができない。ある人が長い間不在であることと、ある人が死んだということがもたらす効果は、経験的には同じはずである。そうだとすると、「死」は社会的にしか定義することができないことになる。もっといえば、人間が死ぬためには、葬式という儀式がなければならない。つまり、人間は、その共同体の中で「○○さんは死んだ」ということをみんなが確認しあうことを通して初めて死ぬ、というわけである。
・肉体は滅びるけれども魂や精神は死なないという考え方は、世界のいろいろなところに共通してある考え方だそうである。そういう考え方をもっとも良く表しているのは、次のような社会である。その共同体社会の中で、△△さんが死んだとする。するとその共同体に次に生まれてくる子供に△△という名前をつける。そうして、魂や精神は循環し、決して去っていかないと考える社会がある。
・この前、タクシーに乗ったら、運転手さんが三浦半島のさきの三崎市にお住まいの方で、その地方での葬式に関して、興味深い話を聞かせてくれた。もともとその地元に住んでいる人たちは、葬式というのは、へべれけになるまで飲んで騒いで、陽気に行うものだと考えている。しかし、新しくこの地方へ移り住んだ人たちは、葬式というのは、しめやかにおごそかに行うものだと考えている。この考え方の違いが、けっこう頻繁に喧嘩のたねになるのだそうである。これも、人間の死の社会性を物語る、ひとつのエピソードのように思える。
・先日、ある知り合いが亡くなり、お通夜に参列した。その方の遺言が尊重されて、無宗教でとり行われ、献花するだけのとてもシンプルなお通夜だった。このように、花輪は固くお断りしますとか、身内だけで済ませますとか、生前からの本人の意思に従って通夜や葬式を行う人たちが多くなってきたように思う。これらは、社会的な死を自分の死として取り戻そうとする試みなのかもしれない。こうした傾向が強くなってきたことをどう考えればよいのか、ボクにはよくわからない。
・ただボクも、最近、自分の葬式のことを考えるようになった。ボク自身も、自分の葬式では、ボクが好きだった音楽をかけてもらいたいと思っている。オスカー・ピーターソンが弾く「Hymn to Freedom」。『Night Train』というアルバムの最後に入っている曲である。

2007年02月08日

夜食に何を食べるか

夜食に何を食べるか。
これは、ボクのような中年諸氏にとっては、大きな問題である。
学生時代、ボクは平気で、夜食にインスタントラーメンを食べていた。
そう、カップラーメンではなく、インスタントラーメン。
もちろん両者の違いは、第一には、料理するのに鍋が必要か、それともヤカンだけですむか、である。しかし、もうひとつの重要な違いは、カップラーメンには、ほんのチョコッとであるが、具らしきものが入っていることにある。カマボコのようなもの。浅葱のようなもの。卵のようなもの。まあ、全部「○○のようなもの」にすぎないのだが、この申し訳程度に入っている具のおかげで、カップラーメンは一応それ自体で自己完結的にできている。
他方、インスタントラーメンは、原則として、具が中になにも入っていない。具は自分で調達することが期待されているので、袋には麺が入っているだけである。
つまり、インスタントラーメンは、それだけ食べても、栄養価はおそらくゼロ。このインスタントラーメンを、ボクは学生時代、躊躇することもなく、罪悪感にかられることもなく、夜食として食していたのである。
時代が経て、いまボクの家ではさまざまな河野家諸法度が整備されつつあり、その第一条が「ラーメン類、夜10時以降に食するベカラズ」である。ボクぐらいの歳になると、カロリーを摂取する機会は、同時に栄養分を摂取する機会でなければならない。だから、朝昼晩の三食以外にラーメン類を食べることはもちろんダメ。ポテトチップとか、アイスクリームとかも禁止。クッキーの類も基本的にはダメ、ということになっている。
ところが、最近、このクッキーが、食べてよい夜食のリストとして復活した。
なぜかというと、ボクは、最近たんぱく質不足が心配になってきたからである。とくにミルクを飲む機会がめっきり減ったことが気になっていて、一緒にミルクを飲むことを条件に、クッキーを夜食リストとして復活させたのである。今のお気に入りはOreoのサンドイッチ。甘くて、まあ三つも食べると、カロリー的には本当は一大事なのであるが、そこんところは目をつぶって、「たんぱく質摂取も大事だから」と言い聞かせている。それにしても、クッキーとミルクはよく合う。実際、クッキーをたべると、ミルクが何杯でも飲めてしまう。アメリカの子供たちが、クリスマスの夜、煙突から入ってくるサンタクロースのために用意しておくという伝統もよく理解できる。
ところで、夜食を食べると、朝起きたときに身体が重たい。
それゆえ、夜食は翌朝、ジョギングに行くというインセンティヴを生む。
これが好循環を生み出しているかというと、そうでもない。
ジョギングに行くと、結局、また大きな朝食を食べたくなってしまうからである。今日なんかは、ジョギングの帰り道に、24時間開いているスーパーにわざわざ立ち寄って(現金を持って出るのである)、国産牛肉を買い、小松菜も買い、なんと朝から「焼肉」を食べてしまった。大根おろしと醤油につけて食べたので、白いゴハンももりもり食べてしまった。でも美味しかったッスよ。
あーあ、なんだかんだいって、やっぱりボクは食べることが大好きなのである。

2007年02月03日

プレゼントとしての花束

昨日ゼミ生たちが研究室へこぞってやってきて、ボクに卒業論文を手渡すという儀式が行われた。ひとりひとりから手渡されたボクは、ひとりひとりに「ご苦労さん」とねぎらい、ひとりひとりと記念撮影。去年も同じようなことがあったので、この儀式もわがゼミの伝統として確立されつつある。
みんな一生懸命書いたのだろう、ふっきれたというか「やることはやったもんね」という表情をしていた。その一方で、卒論を出し終わって、もう大学キャンパスとサヨナラしなければならないという実感がいよいよこみ上げて、ちょっぴり寂しそうであった。
そのとき、ゼミ生たちから、花束を頂いた。
じーんときた。疲れていたせいもあって、ちょっと涙がでそうになった。ピンクと黄色の花が多く入った花束であった。ついこの前のバースデーパーティの時にも、やはり彼らから花束を頂いたのであるが、そのときは紫の花が多かった。お、こいつら、結構細かいところまで、気を使っているな、と感心してしまった。
いうまでもないが、プレゼントとして、花束は最高である。
花束をもらって嫌な気がする人はいない。第一、花束は綺麗で目立つ。だから、もって歩いていると、必ずまわりから視線を浴びる。みんなこっちを向いて、「うん?なんだ、なんだ?なんでコイツ、花束なんか持って歩いているんだ?」という一瞥をくれていく。すると、こちらとしては「へっ、いいだろう」と、ふんぞり返りたくなる。「へへっだ。オレは花束をもらうぐらい、愛されてるんだからね」と、妙な優越感にひたれる。
とくにボクのような中年男性が花束をもらう機会は、めったにない。それゆえ、けっこう珍しそうに、そしてうらやましそうに、見られる。昨日の夜は、ボクは新幹線にのって新大阪まで行かなければならなかったのだが、実際、車中でいっぱいそうした視線を浴びた。となりに座った美人さんも、ちらちらと、花束とボクとを見比べていた(←というような気がした)。
花束がプレゼントとして最高なのは、短命だからである。花束は、もってせいぜい三日とか五日ぐらいである。つまり、ずっと後まで長く残ることがない。だから花束は、プレゼントとしてとても贅沢である、といえる。
そして、長く残らないものを贈るというのは、贈る側の心遣いをあらわしている。長く記念に残るものをプレゼントとして贈るのは、考えようによっては、「ずっと私のことを忘れないでね」ということを意味していて、押し付けがましい行為である。命はかない花束を贈る方が、ぜんぜん潔いし、大人だし、カッコいい、とボクは思う。
さて、ところが、昨日もらった花束は、新幹線の中が乾燥していたせいもあって、新大阪へついたとき、すでにちょっとシュンとしてしまっていた。このままでは、次の日までもちそうもない。そこで、どうしようかと迷ったが、ホテルのフロントでボクをチェックインしてくれた女性に、「これ頂いたものだけど、どこかに飾っていただけませんか」とお願いして、渡すことにした。そしたら、その女性はとてもとても喜んで、顔を赤らめていた・・・。
・・・↑というような気がした・・・
そう、一人で自己満足にひたれるところも、花束をプレゼントすることの素晴らしいところである。

2006年12月10日

愛することと愛されること

昨日ゼミのOB会があった。
一年に一度、年末恒例の行事である。
遠くから、忙しい1期生、2期生たちも参加してくれた。
いつの間にこんなに大所帯になったのだろうというくらいの人数であった。
ボクのゼミを通して、これだけ多くの人々が繋がっているのだという事実に、感動した。
すこしはボクも世の中の役にたっているのだと思えて、嬉しかった。
みんな、いい子たちである。
みんな、ひとりずつ、本当に可愛い。
みんな、ひとりずつ、自分なりに真剣に人生を歩んでいる。
人間だからそれぞれ悩みや嫉みや恨みを持っているに違いない。
まだ若いからそれぞれ自分の将来に不安を抱えていないわけがない。
しかし、みんな一生懸命、それらと格闘している。
その姿が、それぞれ輝いている。
知っている人は知っているが、ボクは最初から大学の教師になろうと思っていたわけではなかった。
大学の教師になったのは、ま、はっきりいって、偶然みたいなものであった。
しかし、いま、大学の教師になって、本当に、本当によかったと思う。
こんなにいい子たちにいつも囲まれて、これ以上を望んだら、バチあたりである。
損得のない人と人との付き合いは、社会に出てしまった後では、なかなか経験できるものではない。
大学のゼミとは、そういう付き合いが可能なのだということを実感できる、貴重な場である。
そういう付き合いがあることを知って社会にでて人生をおくる人と、知らないまま一生を終える人とでは、人生の豊かさに格段の違いがある。
一期生の一人がいっていたように、そうした付き合いこそ、人生において「いつも戻って来れる心の原点」にほかならないからである。
これからもずっと、ボクのゼミとそのOB会が、そうした原点を提供できればいいと思う。
もう14年も前に娘が生まれた時、遅まきながらボクが学んだことは、人を愛するということは、その人に対して無償の愛をささげることなのだ、ということであった。
無償の愛とは、いうまでもなく、損得勘定などが入り込む余地のない愛のことである。
人間だから、いつか見返りがあるのではないか、これだけの愛を注いだらきっと相手も愛を返してくれるのではないか、などと期待してしまうこともある。
ま、そういうこともあるかもしれない。
しかし、面白いことに、いや本当に面白いことに、無償の愛をささげると、無償の愛がちゃんと返ってくるのである。
人を愛するということがどういうことなのかを、ボクは娘に、娘の笑顔と仕草に、教えられたのである。
人を愛するということは、素晴らしい。
なぜなら、人を愛するということが、人から愛されること、だからである。

ゼミ生のみなさん、ゼミのOBのみなさん、また来年元気に顔を合わせましょう。

2006年12月08日

道路標識の謎

最近ずっと考えている問題に、道路標識の矛盾がある。
きっと同じような例は日本にもあると思うが、具体的にボクの頭を悩ましているのは、今年の夏バンクーバーでみた、二つの標識である。
それは、
1)月曜日から金曜日の3-6時まで、ここには駐停車してはいけない
という標識と
2)月曜日から金曜日、ここには2時間まで駐車してよい
という標識である。
道路標識とは法律の一種である。ということは、これは法律には二つの異なった方向性をもつものがあることを示唆している。ひとつは1)のようなネガティヴな法、つまりなにかを禁止している法であり、もうひとつは2)のようななにかを許可しているポジティヴな法である。
この辺までは、まあ当たり前の話かもしれない。
さて、実際にバンクーバーへ行ってみるとわかるが、この二つの標識は、ときどき隣り合わせに張られている。すると、どうしても一瞬頭が混乱する。これはどういう意味なんだろうか、と。あれ、いまここに車をとめてもいいのかな、と。
もし2)だけであれば、たとえば水曜日の4時にそこに駐車しても、罰金をとられることはない。もちろん4時から2時間以上駐車したら罰金をとられるが、2時間を越えなければ問題はないはずである。しかし、2)と1)の標識が両方あったら、これは4時に駐車してもよい、ということにはならない。おかしいことに、2)を字義通り解釈すれば4時にとめてもよいことになっているから、それをたてにとめてもいいではないかという議論もできそうな気がするが、そのような解釈にもとづいて駐車したらたちまち罰金を払わなければならないことになる。
これは、どういうことなのだろうか。ポジティヴな法とネガティヴな法があったら、かならずネガティヴな法の方が優越する、ということなのだろうか。これも興味ある問題だが、ボクにはもうひとつ重要なメッセージがこの先にあるように思えてならない。
それは、ネガティヴな法とポジティヴな法というのは、人間社会の基本的な見方として対抗関係にあるということである。ネガティヴな法というのは、3-6時以外であれば、何時間でもとめてよい、ということを意味する。ということは、一見とても規制的にみえるが、それはわれわれにより多くの裁量を与えるような見方を提供している。これに対して、ポジティヴな法というのは、2時間はとめられますというように、一見われわれに対して多くの特権を与えているかのように見えるが、それは逆に「2時間しかとめられない」ということをいっているのであるから、より規制的で、小さな裁量しか与えていない見方に立っているように思える。つまり、法が前提として考えている人間社会のあり方について、ネガティヴな法の書き方のほうが、われわれの自由をより大きくとらえる見方になっているのではないかと思うのである。
ご存知のとおり、現行の日本の憲法には、次のように書いてある。
第十九条【思想及び良心の自由】
 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
第二十条【信教の自由、国の宗教活動の禁止】
 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。
なぜ、19条はネガティヴに、そして20条はポジティヴに書かれているのか、謎はますます深まるのである。


2006年11月23日

コーヒーテーブルと写真と日本のプライバシー感覚の話

ボクのうちにはコーヒーテーブルがある。それは、ソファーの前に置いてあって、2段の透明なガラスでできている。ボクの家に招かれたゲストたちは、まずはそこへ案内され、コーヒーやお茶のもてなしをうける。時間帯によっては、ビールやワインということもあるが、我が家ではとりあえずそこが一服する場所、ということになっている。
前に北米に住んでいたとき、どこの家のコーヒーテーブルにも、コーヒーテーブル用の、趣味のよい本や写真集がおいてあった。ホストがコーヒーや紅茶の用意をしたり、あるいはディナーを料理したりするあいだ、ゲストが手持ちぶさたにならないよう、ぱらぱらとめくるために置かれているのである。それゆえ、なかなか手にはいらない有名な小説の初版本とか、面白いジョーク集とか、凝った写真集がおいてあることが多かった。
ボクはこの習慣はとてもよい気配りになると思っているので、うちのコーヒーテーブルにも常時いくつかの本と写真集を置くようにしている。現に今置いてあるのは、ひとつはカナダで買ってきたグレン・グールドの写真集。もうひとつは南アフリカで買ってきたサファリ(ボクが実際に泊まったリザーブ)の写真集。もうひとつは韓国で買ってきた、夭逝した現代芸術家の作品集。そしてもうひとつは卒業生たちがくれた吉永小百合の写真集。このように、ボクはボクなりに、おもしろい組み合わせを考えて、どのような趣味をもった人が来訪しても対応できるようにしているつもりなのである。
ところが、最近気付いたのであるが、ボクの家を訪れる日本人の友人や知人たちは、これらの写真集を手にとって見ることがまずない。(面白いことに、外国人は必ず手にとる。)どうもうちに来る日本人は、コーヒーテーブルにおいてあるそれらのものが、ボク自身がよく手にするパーソナルな品々で、覗いてはいけないものと思ってるらしいのである。そういえば、コーヒーテーブルの上の写真集だけではない。ボクの家にはいろいろなところに、自分や家族や友人の写真が飾ってあるのであるが、彼らはそれらについても、横目でちらちらみるだけで、お世辞のひとつも言わない。ましてや「ここに写っているこれ誰?」などと質問することもないのである。
こうした経験は、日本におけるプライバシー感覚のちぐはぐさを物語っていると思う。ボクにしてみれば、ある人を家に招待したということは、もうその時点で、その人に対して自分のプライベートな空間を見せる覚悟を決めたということを意味する。だから、ボクにいわせると、すでに家まで入り込んできているくせに、コーヒーテーブルの上の写真集を手にとらなかったり、壁にかかっている写真について何もコメントしないのは、むしろおかしい。もちろん、どうしても隠したいベッドルームとか洗濯物とかのある部屋は、ドアを開けてないので、そこではちゃんとプライバシーを守っている。しかし、こちらが共有するつもりでいた空間を共有してくれないのは、どこか手を差し伸べたのに拒絶された感じがして、寂しい感じがするのである。
もしボクがある人の家に招待されていくことになったら(そしてパーソナルな写真がそこに隠さず飾ってあったら)、そのホストはボクとプライベートな空間をある程度共有する心構えでいるのだなと解釈すると思う。そのとき、こちらが何も反応しなかったら、かえって相手に対して失礼にあたってしまう。なぜなら、それは、自分にはあなたとプライベートな空間を共有する心構えがありませんよと宣言しているととられても仕方ないからである。

2006年11月20日

本能と直感について

先日、ある人と話していたら、われわれ人間が普段の生活においていかに本能や直感に頼って生きているか、しかしそれにもかかわらず、いかにそうした能力を過小評価しているか、ということで意見が一致した。いうまでもなく、近代以降、人間社会においては、「理性」なるものが重んじられるようになった。また、喜怒哀楽といった「感情」も、人間にとってそれなりに大事であると、一般に考えられている。それに引き換え、本能とか直感はどちらかというと軽んじられ、むやみやたらにそれらに従ってはいけないと諭されることが多いように思える。しばしば、本能に従うことは、他の動物と同じレベルに人間を引き下げる、蔑むべき行為であるかのように語られる。そして、われわれは、学校選びとか結婚とか就職とかいった人生の岐路の重大な決定を、単なる直感によって決めてはいけないと、小さい頃から教えられて育つ。
しかし、人間も動物である。動物は、種の保存や身の安全のために、さまざまな鋭い感覚を発達させている。たとえば、動物は、すれちがいざま(あるいはすれちがうはるか以前から)、瞬時にして、相手が自分に対して危険な存在かどうかを直感で察知するようにプログラム化されている。同様に、動物は、膨大な選択肢の中から、子孫を残すためにはどの相手と生殖行為を行うのが適切かを、本能的に見きわめるようにプログラム化されている。当然のことながら、そうした感覚は、人間も身につけている。そして、実に驚くべきほどに、われわれは普段から、そうした感覚をおおいに使って生活しているのである。
たとえば、われわれは、電車に乗って席が空いていても、その空いている席の横に座っている人の目つきとか風体とかから何かを感じとって、「この人の隣りには座りたくない」と瞬時に判断する時がある。また、われわれは、暗闇を歩いていて向こうに人影が見えたとき、その人影の動きや雰囲気から、それが危険な人物かそうでないかを、やはり瞬時に判断することができる。さらに、われわれは、食事の席やパーティーの場で、ある異性が自分に対して関心を向けてくれているかどうかを、その人の視線とかボディランゲージのようなものを通して実感することもある。これらの感覚は、その根拠を示せといわれると、なかなか示せるようなものではない。しかし、こうした本能とか直感が働いているからこそ、平均的な人生の中で、われわれはそれほど多くの事故にもあわないし、またそれほど多くの事件に巻き込まれることもない、ともいえるのである。
それゆえ、コミュニケーション手段が文字媒体であるとき、しかも手書きの手紙ではなく、電子メールのような決められたフォントを使わなければならないとき、われわれは、多くの利用すべき感覚を利用できない状態のまま、意思疎通を図ろうとしているのだ、といわねばならない。電子メールのやりとりから、友情や愛情を育んだり、信頼や尊敬を構築しようとすることはきわめて難しい。電子メールは便利であるが、電子メールによるコミュニケーションが誤解や行き違いに発展しやすいことは、肝に銘じておかねばならない。
さて、近日中に、いよいよ新しいゼミ生候補たちとの面接が始まる。
ボクの直感と本能をフルに利用して、今年もまたよい学生たちにめぐり合えるようにしたい。

2006年09月30日

魅力ある人びと

久々に、先輩Mさんと、お気に入りの焼き鳥屋さんに行った。
このところ、Mさんと会うときは、この焼き鳥屋さんで、というのがパターン化している。
場所は、代々木上原。
ご承知の通り、代々木上原には落ち着いたオシャレな店がいくつもある。その中で、この焼き鳥屋さんは、いつ行っても混んでいる。昨日は6時半に予約をしていった。入ったときはだれもいなかったが、その後予約なしで入ってくるお客さんを全部断っていた。案の定、7時を過ぎた頃には、狭い店が満席状態になっちゃった。(そういうわけで、本当はみなさんにお店の名前を教えたいのですが、これ以上混んじゃってボクたちも予約がとりづらくなると嫌なので勘弁してください。)ボクは手羽先が絶品だと思う。それから、水餃子もおいしいし、ポテトサラダもなかなかである。
ところで、この店の若い女将さんは、とっても美しくて評判である。少なくともボクの中では大評判である。日本女性の美醜について、かなり厳しい眼をもっていらっしゃるMさんも、「ここの女将、本当に綺麗よね」と太鼓判を押す。で、しばらく、美しいとか綺麗であるとはどういうことか、ということでわれわれの会話が続いた。
Mさんもボクも、オーラというものを信じている。外見的に目鼻だちの整った人はたくさんいる。しかし、周りの目をひきつけるオーラは、やはり内側から湧き出てくるものである。内面が充実してないのに発することのできるのは、たかだか「光線」にすぎない。ワタシって綺麗でしょ光線とか、アンタなんかめじゃないわよ光線といった類である。光線を発しているような美人さんにも、たしかに1-2秒は目がいく。でも、すぐもういいやって感じになってしまう。しかし、オーラをもった人には、文字通り目が釘付けになる。こちらが意識的に目をそらさないと、ずっと見とれてしまう。ボクはとくに、ひたむき一生懸命吉永小百合風オーラと、純粋天真爛漫オードリーヘップバーン風オーラに、弱い。このお店の女将さんの場合は、優しさというか気遣いというか、客に出すひとつひとつの料理やサービスを丁寧にさせてもらってます、というオーラが自然に出ていて実に魅力的である。
では、オーラというのは何に基づいているのだろうか。よく、オーラは内面的な自信の現れである、というようなことをいう人がいるが、ボクは違うと思う。オーラは、自信があれば出る、というものではない。むしろ、自分自身をよく知っているという意味で、インテリジェンスに近いと思う。だから、面白いことに、オーラというのは、出したり引っ込めたりすることができる。一流の舞台俳優とかバレリーナとかは、そのことをよく心得ていて、ステージの上で自在に自分の出すオーラの量とか種類とかを操作している。
いうまでもないが、人生の良きパートナーにめぐり会えた人は、輝いている。ただ、その輝きはパートナーに出会ったこと自体から来るのではなくて、そのパートナーを選べば自分が輝くことができると知っていた自分自身のインテリジェンスに由来するのではないかと思う。人生の良きパートナーにめぐり合うことがむずかしいのは、相手のことをなかなか知ることができないからではない。自分自身をよく知ることがむずかしいからなのである。

2006年09月15日

財布という厄介

このあいだ財布を落としてしまった。一時肝を冷やしたが、幸運にも届けてくれた人がいたので助かった。
ボクの財布は、結構分厚い。分厚いといっても、現金で太っているわけではない。圧倒的に多いのはクレジットカードやポイントカードなどの類である。そのほかに免許証、教員証、診察券といったID系のカードがある。それから、おつりと一緒に手渡されるレシートがたたんで入っていることもあるし、突然貰った名刺などが紛れ込んでいることもある。
このように太った財布を持ち運ぶのは、結構厄介なものである。ランチに出るときに忘れるので、鞄やバックパックにしまっておくことはできない。上着の外ポケットにいれると、スリの被害にあうのではないかと心配である。上着の内ポケットにいれると、重いのでそちら側の肩だけ下がってしまって格好悪い。というわけで、ボクの場合は、ジーンズの左前のポケットにいつも入れている。右前のポケットには、鍵やコインがはいっているからそれでバランスがとれる。かつて、財布は左のお尻のポケットと決まっていたのであるが、あまりに分厚いので椅子に座ったときに財布がお尻に突き刺さるようで座り心地が悪かった。それで、左前ポケットに昇格(?)させたのである。(なお、そのあおりで、それまで左前ポケットと決まっていた携帯電話が行き場を無くしてしまった。今のところ鞄の中へしまうことにしているが・・・)
そう、今思えば、ここには、ひとつのシステムがしっかりと確立されていたのである。ボクの財布が左前のポケットに入っていることには、それなりの理由があったわけだ。
では、それにもかかわらず、なぜ今回、財布を落とすという失態を演じたのか。
実は、その日、ボクは新しく買ったジーンズをはじめてはいたのであった。ボクは、前にはいていたジーンズのポケットのところがちょうど財布の形に色あせているのが気になっていた。それで、きっと、すこしでも長く、そうした跡がつかないようにこの新しいジーンズをはきたいと無意識に思ったのだろう。ボクは、武蔵小杉駅で目黒線から東横線に乗り換える直前に、財布をジーンズの左前ポケットから上着の左外ポケットに移したのである。午後4時ごろで電車も空いているし、まあスリの心配はないだろうと思ってのことだった。
これが間違いであった。駅について座席から立ちあがったときに、ボクの財布は、上着のポケットにしっかりと収まっていなくて、ポロリと落ちた(らしい)。
ボクは、日吉の実家ですぐにそれに気付いて、東急の落し物係に電話をかけた。武蔵小杉から折り返し発車していた目黒線の車両を特定し、目黒駅で車内検査をしてもらうことになった。そしたら、ちょうどそのとき、目黒駅にボクの財布を届けてくれた人がいたのである。なんと幸運なのだろうと思った
その日のうちに、ボクは目黒駅まで取って返して、財布を受け取りにいった。
ボク「財布だから、もう出ないとあきらめていましたよ。こんなこともあるんですね。」
駅員さん「ま、世の中、変わった人もいますから。気をつけてくださいね。」(←??)
関係者のみなさま、ご迷惑をおかけしました。

2006年09月13日

幸せをめぐる連想ゲーム

Suppose you have a choice between a happy life with no money and an unhappy life with lots of money. Which do you think you will choose? 今、お金がないのに幸せな生活と、お金がたくさんあっても不幸せな生活という二つの選択肢があるとします。あなたなら、どちらを選ぶと思いますか。

Suppose, then, you have a choice between a happy life without a friend and an unhappy life with lots of friends. Which do you think you will choose? ひとりの友人もいないのに幸せな生活と、友人がたくさんいても不幸せな生活という二つの選択肢だったら、どちらを選びますか。

Further suppose you have a choice between a happy life without knowing much of the rest of the world and an unhappy life as a result of knowing different cultures and different ways of living in other parts of the world. Which would you choose? では、世界の他の地域のことをあまり知らないまま幸せな生活を送るのと、世界のいろいろなところの文化や生活を知ってしまったがゆえに不幸せな生活を送るのとでは、どうでしょう。

If you have a child, do you want your child to be happy, or do you want your child to be successful in life? もしあなたに子供がいた場合、あなたは、子供が幸せになることを望みますか、それとも人生で成功することを望みますか。

Do you yourself want be happy, or do you want to be successful? あなたご自身はどうですか、ご自分では幸せになりたいですか、それとも成功したいですか。

Do you want your child to be independent and strong, or do you want your child to be compassionate and kind to other people? あなたは、自分の子供に、ひとりでもたくましく生きていける強い子に育ってほしいと思いますか、それとも他人を気遣う心の優しい子に育ってほしいと思いますか。

And, do you want your child to be happy even though the child does not love you at all, or do you want your child to love you even though the child is unhappy? あなたをまったく愛してないのにその子供が幸せならばその方がいいですか、それともその子供が不幸せでもあなたを愛しているならばその方がいいですか。

Do you think you can find happiness in the freedom and fulfillment at each moment of your life, or do you think happiness is something that you discover just before you die, something that you can only judge whether your life was happy or unhappy at the very end of your life? あなたは、幸せは、そのときそのときを自由に精一杯生きることに見出せると思いますか、それとも幸せとは死ぬ直前になってはじめて発見するもので、自分の人生のいちばん終わりにならなければ自分の人生は幸せだったとか不幸せだったとかと判断できないものだと思いますか。

2006年09月04日

数独、あるいは趣味の兼ね合いについて

誰が考え付いたのか知らないけど、数独、楽しいですね。
いま、結構ハマッテおります。
第一に、数独は、とてもよい暇つぶしになる。ボクは日常生活のなかで別に暇をもてあましているわけではないけれども、電車や飛行機を待っているときなど、どうしても時間が余ってしまうときがある。そういう時に、手頃な余興になる。
第二に、数独をしていると、自分の頭がよくなるのではないか、ボケ防止によいのではないか、と思うことができる。なにしろ、論理的に考えないと解けない。ひとつ間違えると、必ず後になってその間違いが発覚する。「あちゃー」と、その瞬間、やり場のない怒りと悔しさがこみ上げてくるが、そのあと冷静になって、どこでどう間違えたのかをたどるのも、結構楽しい。
ただ、本当に頭の体操になっているかといわれると、ちょっと怪しいかも、とボクは最近疑っている。すこし続けてみるとわかるが、数独の解法にも、いくつかのパターンがあって、あるレベルまではそれらのパターンに従えば、すらすらとできてしまう。そのパターンさえ理解すれば、実はあんまり頭を使わないのである。もちろん、レベルの高い問題は、あまりパターン化されたやり方ではできない。ちょっとしたイノヴェーションを、その都度必要とするようである。「ようである」などという言い方をするのは、恥ずかしいかな、ボクにはまだそれほどレベルの高い問題を解くことができないからである。しかし、数独の道を極めちゃうと、もしかすると、やはりそこにもパターンが出てくるのではないか、と思っている。
レベルの高い問題をやりはじめると、ボクのような未熟者では1時間や2時間、あっという間にたってしまう。すると、手頃な暇つぶしのつもりでやりはじめたのに、そうではなくなってしまっていることに気付く。シャカリキになって数字とにらめっこしている自分を発見するのである。「そんなにむずかしい問題に挑まなければいいではないか」といわれるかもしれないが、すらすら解けてしまうような問題ばかり解いていたのでは楽しくない。なんというか、この兼ね合いが、非常にむずかしい。
これは、なにも数独の問題だけではない。ガーデニングも料理も、あるいは俳句作りもスポーツもみんなそうであるが、趣味を趣味として楽しむ、というのは結構むずかしいことである。毎年同じ花の球根ばかりを植えるのでは飽きてしまう…いつも自分と同じレベルの人とだけテニスをしていたのでは面白くない…などというように。
世の中には、多趣味の人がいる。そういう人は、きっと、ひとつのことばかりを趣味にしていると飽きてしまうので、いくつもの趣味を同時並行的に楽しむことで、飽きることから解放されたいと思っているのであろう。
そういえば、ボクの尊敬するある研究者が、「あなたの人生の目的は何ですか」ときかれたときに “not to be bored” と答えた、という逸話がある。その人は、学問上も、実に広い分野にわたって業績を残している。そして、その人は、学生と一緒になってバスケもするし、料理もうまいし、ジャズにも詳しいし、自分でサックスだって吹けちゃうのである。

2006年08月24日

勉強場所

どこで勉強するか、これはかなり大きな問題である。
ボクは、どちらかというと速読することが得意な方なので、授業や会議のためにどうしても読まなければならないものはたいてい電車で読むことができる。座れれば、答案やレポートの採点だって、電車の中でできちゃう。しかし、ボクは、じっくり読みたい本はじっくりと、しっかりノートをとりながら読む。そうした作業は電車の中ではできない。ましてや、執筆という作業は、短い時間しかない通勤の中ではやっぱりむずかしい。
「大学のセンセイには研究室ってものが与えられているんだから、そこで勉強すればいいではないか」と思われるかもしれない。たしかにそれは、正論である。しかし、実際にはこれはうまくいかない。いまのボクの研究室は、ごちゃごちゃいろいろなものが置いてあって、落ち着いて勉強する環境とはいえない。研究室はどちらかというと授業の準備をする場所という位置づけになってしまって、自分の勉強をする場所ではなくなってしまった。
「大学のセンセイは授業のない日は出講しなくてもよいのだから、自宅で勉強すればいいではないか」と言われるかもしれない。これもまた正論であるが、やっぱりそう簡単ではない。だいたい、最近は授業以外の用事が増えて、大学にでかけないでよい日がほとんどなくなってきた。それで、たまに自宅にいられる日があると、いろいろ誘惑のタネがあって仕方がない。たまにウチにいられるんだから、今日は長いジョギングにでもでかけるかとか、今日は凝った料理でもつくるかとか、どうも勉強とは違った方向に関心がいってしまう。
というわけで、ボクはカフェへいって、勉強することが結構多い。まわりの話し声が気にならないのかと不思議がられるかもしれないが、実は、会話の内容を聞き取れない程度の雑音のある方がよく勉強できる。昔のお気に入りは、アークヒルズのスターバックス。あそこは、天井が高く、広々とした感じがあってとっても気分がよい。そういえば、いつかばったりと、ゼミ生の福田さんに会ったことがあったっけ。最近のお気に入りは、横浜中華街の近くのブレンズコーヒー。朝から一日中勉強していることもある。
ボクらは、いつも複数のプロジェクトを同時並行的に抱えているので、ひとつひとつのプロジェクトに、それぞれの勉強場所があると集中できるような気がする。だから、本当は、お気に入りのカフェをいくつも用意しておいて、こっちのプロジェクトの場合はここのカフェ、あっちのプロジェクトの場合はあそこのカフェ、という具合にすれば一番効率がいいのではないか、と思っている。ただ、自宅からの路線が便利で、気持ちのよいカフェというのは、そうたくさんあるものではない。
昔から、小説家とかが「ホテルにこもって執筆をする」とよくきいていたが、なんてかっこいい生活なんだろうとずっとあこがれていた。ところが、この歳になると、自分もそんなことをやるようになってきたのである。数年前、『政治学辞典』(弘文堂)の項目を100以上も頼まれたとき、サンフランシスコのホテルニッコーにとじこもって、いっきに書き上げたことがあった。すでにインターネット時代だったので、書いては送り、書いては送り、という感じで片付けていった。これは、自分にとっては本当にうまくいった経験だった。だから、どうしても仕事を仕上げなくてはならないときの最後の手段として、大切にとってあるのである。

2006年07月12日

工事は終わらない

この前、南北線で帰ったら、南北線の乗り入れている東急目黒線の武蔵小山と西小山の駅が、ともに地下にもぐっていてびっくりしてしまった。一夜にして、地上から地下へと、路線が切り替わっちゃったのである。「こんなことができちゃうんだ」と、まずは日本のそうした工事技術の水準の高さに恐れ入ったが、それとともにボクの胸中では哀愁の感が溢れ出した。武蔵小山も西小山も、ともに下町的な商店街の残る情緒ある町である。いつも大売出しの赤札を掲げるふとん店、ダイコンを安売りしている八百屋、駅前の焼き鳥屋の暖簾とその向こうに見えるサラリーマンの影、昔ながらのキャバレーとその前で客引きする蝶ネクタイ男、山積みになった放置自転車、ちょっと入ると猫が出てくる路地があり、そこに町工場がひしめいている、などなど・・・これらがボクの持っている武蔵小山と西小山のイメージである。前までの(地上)駅は、どちらも小さくカワイク、また暗くて汚くて(←失礼!)、そういった町の雰囲気とピッタリ釣合っていた。しかし、どうも、地下化された新しいピカピカの駅は、似合っているとはいえない。
踏み切りを避けるためだか、地上に駅ビルを建てるためだか知らないが、ボクの馴染み深い東急沿線からは、昔のスタイルの駅がどんどん消滅している。東横線も、かつては、日吉とか新丸子とか田園調布とか、個性あふれる駅がたくさんあった。今では、それらが、画一化され、地下にもぐった駅に次々変身している。今では、田園調布と日吉と大岡山は、簡単には見分けられない駅になってしまった。酔っ払っていたら、日吉で降りるつもりが、田園調布で降りてしまうことも、十分考えられる。そして、これは、笑い事ではないのである。
ま、近代化や都市化の流れだからしょうがないねとあきらめることもできるが、ボクには、どうもしっくり来ないところがある。どうもボクには、近代化とか都市化とやらが、未来永劫、これからずっと続くプロセスなのだ、ということが、自分自身でよく理解できてないような気がするのである。
ええと、どういえばいいのかな。工事とは、ふつうわれわれは、始まりがあって終わりがあるもの、として理解している。建設現場などでよく「工事中、ご迷惑をおかけします」という看板を見かけるが、これは「工事が終わったら、元の静かな生活に戻れますから、それまでちょっとのあいだ辛抱してください」というような意味の看板である。しかし、実は、工事は終わることがない。近代化、都市化の流れのなかでは、工事は永遠に続くのである。
たしかに、今回、西小山と武蔵小山の駅は、地下にもぐった。しかし、東急関連では、現在、武蔵小杉までしか乗り入れていない目黒線を、日吉まで伸ばす別の大工事がすでに進行中である。それとは別に、渋谷では東急文化会館が取り壊され、そのスペースを利用し、うまく東横線が早稲田近辺まで地下鉄で乗り入れできるための工事が進んでいるらしい。そして、ご存知のとおり、その地下鉄のための工事で、明治通りはここ何年か常に工事中であり、昼から夜まで渋滞の温床となっている。つまり、ある工事が終わっても、次の工事、その工事が終わっても、そのまた次の工事・・・というように、ここには終わりのないプロセスがある。すべての工事がおわり、いつか安寧の地に至るということは、ボクらにはありえない。
「工事中ご迷惑をおかけします」などというのは、なんともしらじらしい感じがする。考えるとちょっとおぞましいが、そうした工事中の看板がひとつもない、静かな世界にわれわれが住むようになる時代は、絶対に訪れないと考えた方がよいのである。

2006年07月10日

似ている、ということ

先々週だったか、ゼミの途中で、あることに気付いた。
ボクと出村君は、似ているかも、と。
髪の長さもスタイルも、顔の形も結構似ている。かけてるメガネまで、似ている。
そう考えると、なんだか出村君の話し方まで、ボクの話し方に似ているような気がしてきた。
その瞬間、ボクの内部で衝撃が走った。いったい、このことについて、どう考えていけばよいのか、という自問が始まった。
まてよ・・・他人の空似というのは、よくあることではないか・・・そんなことで、いちいちうろたえるのはおかしいぞ・・・と、一応思ってみる。
しかし、まてよ・・・もしゼミ生の誰かが気付いちゃって、「出村君と先生ってサア、なんか似てない?」なんていいだしたら、どうしようか・・・いや、これは気まずいゾオ・・・いくらなんでも「おお、そうか、それは嬉しいねえ」なんて白々しくて言えやしない・・・かといって「いやそんなことないよ」なんていったら、出村君が傷ついちゃうかもしれない・・・さあて、どう、受け流せばいいんだろう・・・
出村君は、ボクのゼミ生である。ボクは、ゼミの教官である。これからも、ボクと出村君は、机を隔てて、何度も何度も、顔を会わせなければならない。そのたびに、お互いがちらちらと似ていることを確認しあうのは、なんとも気持ち悪い・・・まわりのみんなから、じろじろと見比べられるのも嫌だし・・・
でも、ですね、今日ですね、実は、ボクは、じっくり出村君を観察しました。
そしたら、それほど似ていない、という結論に達しました。
なあーんだ、よかった、よかった。めでたし、めでたし(?)。
というわけで、そのことを、この日記に書くことにしたのであります。
ところで、なぜ、血のつながりのない赤の他人同士が似ているなんてことがあるのか?ボクは、それは人間の認知力の問題ではないか、と思っている。
人間の顔とか表情は、DNAによって決まっている。おそらくは数え切れないコンビネーションがあるのであろうけれども、人間は生活上、そうした巨大な情報を自分にとって分かりやすい情報、処理できるぐらいの情報に圧縮して考えなければやっていけない。それゆえ、人間は、知らず知らず、顔とか表情とかの特徴をいろいろな(おそらくはそれほど多くない)カテゴリーに分けて考えるようになっている。まったく関係のない人同士のあいだにも、共通項を見出そうとする習性がついているのは、そのためだと思う。
人種や民族のステレオタイプも、同じ理由から起こるのであろう。それから、親と子が似ている(ように見える)のも、親子だと知っているから、見ている方が共通項を見出そうというバイアスをもっていることの影響が大きいと思う。それが証拠に、世の中には、言われてみなければけっして親子とわからないような、一見全然似てない親子もちゃんといる。
さて、中田英寿が引退することになった。ボクは、いろいろな人から中田に似ているといわれる。このあいだも、ボクの日記を読んでくれている学生から、「引退残念ですね。ところで、先生って、中田に似てますね」といわれた。もちろん、悪い気はしない。ボク、中田大好きだからね。しかし、そういう場合、それはチガウだろうと、次のように諭してやることにしている。「キミねえ、オレと中田とどっちが年上だと思っているの?オレが中田に似ているんじゃないの。中田がオレに似たんだからね。」

2006年06月29日

名前について(その3)

自分の書いた本や論文にどういうタイトルをつけるか、というのは、研究者に与えられているささやかな楽しみの一つである。ただ、著者だからといって、自由にタイトルをつけられるかというと、そんなことはない。本の場合は、出版社から、注文がつくことが多い。論文も、学術誌ではなく一般向けの総合雑誌に掲載する場合は、なるべく平易な言葉を選ぶようにと、圧力がかかる。そうしたいろいろな制約の中で、気の利いたタイトルはないかなと考えるのが、結構楽しい。
ボクがプリンストン大学出版会から出した最初の本のタイトルは、Japan’s Postwar Party Politicsという。それは、博士論文をほとんどそのまま出版したものであったが、博士論文の時は、A Microanalytic Reassessmentというコムズカシイ副題がついていた。出版会のエディターから、これはちょっと堅いので取りましょうよ、といわれ、ボクはその提案を喜んで受け入れた。その方が断然すっきりするし、日本に関心あるより広い読者が買ってくれそうな気がしたからである(←とはいってもたいして売れなかったが・・・)。
ボクが書いた論文のタイトルとして気に入っているのは、ちょっと前に発表したOn the Meiji Restorationという英語の論文と、昨年『中央公論』に書いた「なぜ、憲法か」という日本語の論文である。前者は、訳すと「明治維新について」ということになるが、これはとてつもなく大風呂敷を広げた感じがして、気に入っている。後者は、実はある人が書いた英語の論文のタイトル(Why constitution?)をそのまま訳して使わせてもらった。ボクはその論文をとても気に入っていたので、『中央公論』の編集長さんに自分の草稿を送るとき「タイトルは絶対変えないでください」とうるさく念を押したのを覚えている。
人が書いた本のタイトルでいいな、と思ったものをいくつかあげると、ボクの恩師であるS・クラズナーが書いた本にDefending the National Interestというのがある。これは、国益を国家が守るという意味と、国益を分析の中心にすえたリアリズム理論を自分(クラズナー)が擁護するという意味とが重なっていて、とてもうまいタイトルだと思う。
それから、ノーベル記念経済学賞を受賞したG・ベッカーの本に、Accounting for Tasteという本がある。たとえば、麻薬中毒のような奇異なものも含めて、ふつうは外生的に与えられ説明することのない選好の形成を経済学的に説明しちゃおうという野心作である。そのタイトルは、もちろん、No account for tasteという英語の熟語をもじったもので、これも技あり、といった感じである。
あと、S・ホームズの代表作にPassions and Constraintsという本がある。これは、立憲主義について書かれた本であるが、ここで使われているPassionsは、ジェームズ・マディソンが『フェデラリスト・ペーパーズ』の中で頻繁に登場するひとつのキイワードである。ホームズがそれを十分受け止めて書いているということが読んでみるとじわじわ伝わってきて、これもうまくつけたな、と思う。
まったくの畑違いであるが、ボクの知り合いが「You can’t always get what you want」という、ストーンズの曲のタイトルをつけた論文を、あるジャーナルに発表したことがあった。そのとき、ボクは、コイツかっこいいことやるなあ、とうらやましく思った。それ以来、ボクもいつか、(この前訳した)ディランの曲の一節を引いて、「I gave you my heart, but you wanted my soul」というタイトルの論文をどこかに発表したいと、ひそかに思っている。ただ、いまのところ、それが何についての論文になるのかは、自分でもさっぱり見当がついていないのである。

2006年06月28日

マンハッタン・トランスファーと青二才の人生論

先週、東京青山のブルーノートにマンハッタン・トランスファーを聴きに行った。ちょっとさすがに年取っちゃったかな、という感じの4人ではあったが、それでも持ち前のエンターテイメント精神を発揮し、最初から最後まで息をつかせることなく聴衆を楽しませてくれた。ボクの好きなYou can depend on meやBirdlandといった初期の曲目も歌ってくれて、感激した。
さて、その夜は、リーダーのティム・ハウザーが、いまレコーディング中だというソロアルバムから、一曲披露した。正直言うと、ボクは、あんまりその歌自体には感動しなかった。ただ、その紹介として彼が語った話がとても印象に残った。
彼によると、この曲(というかそのソロアルバム全体)は、もともと、数年前、日本に来たときにインスパイアーされたのだ、という。六本木ヒルズができる前、「WAVE」というレコード店があり、そこをぶらついていたら、知らないヴォーカルの曲が店内でかかっていた。プロである自分が、その声が誰だかわからないのが我慢できず、彼は店員に誰が歌っているのかと尋ねた。すると店員は、「ミルト・ジャクソン」と答えた。「ミルト・ジャクソン?あのMJQのミルト・ジャクソン?彼がヴォーカルとして歌うわけないだろう?」といったら、その店員がCDのジャケットを持ってきて、そのタイトルがなんと「Milt Sings・・・」というものであった。で、ティム・ハウザーは、そのCDを買って帰って、この偉大なビブラフォン奏者の音楽性と人間性を再認識し、それが彼の新しいソロCDの出発点になった・・・、というような話であった。
ボクは、なぜこの話が自分の中で印象に残ったのかなと考えていたが、きっとこういうことなのではないかと思うにいたった。つまり、この話は、プロの(しかもティム・ハウザーのような超一流の)音楽家でも知らないCDが世の中には出回っているという事実を物語っている。偶然そのときそのレコード店に居合わせなければ、もしかすると彼は一生、このCDの存在すら知らなかったかもしれない。それは、裏返せば、この世の中には良いCD、良い音楽が無尽蔵に存在するということである。ボクらはいかに長生きしても、一生のうち、そうした素晴らしい音楽の、ほんの一部分しか堪能することができない。これは、考えてみれば、きわめて悲しい現実ではないか。そして、もちろん、これは音楽に限った話ではない。この世の中には、よい絵画、心を打つ小説、美しい自然、素敵な人、美味しい料理・・・などなど、素晴らしいものが限りなく存在する。ボクらの人生は、そのホンの氷山の一角をなめるような経験に過ぎないのである。きっとそういうことを暗示する話だったので、印象に残ったのではないかと思う。
で、問題は、この先である。この話から、どのような人生の教訓を引くべきなのか。実は、ボクにはよくわからない。氷山の一角だから、いまある自分、これまで自分がすることができた経験を一期一会として、貴重なものと思い知るべきなのか。それとも、氷山の一角だから、いまある自分、これまで自分がすることができた経験をとりたてて特別なことと考えてはならないと思い知るべきなのか。とっくに不惑の歳を過ぎているが、何を隠そう、ボクは、人生のこうした基本的な姿勢さえ固められない、青二才なのである。

2006年06月19日

マイルス・デイヴィスと中田英寿

観客に背を向けてトランペットを吹く男、それがマイルスであった。
観客に媚を売ることなく、どこまでもよい音楽を追求した。ジャズに数々の革命を引き起こし、心に沁みる名演奏や美しいメロディーをたくさん残した。もちろん、そのレコーディングだけでも、歴史に名を残す大業績である。しかし、ボクは何より、多くの若手ミュージシャンの才能を引き出し育てたことが、マイルスのもっとも偉大な業績ではなかったか、と思う。彼の影響を受けた次世代の、そしてそのまた次世代のミュージシャンたちが、次々と音楽を進化させている。
マイルスについてのドキュメンタリーをみたことがある。その中に次のようなエピソードがあった。若いかけ出しの頃、マイルス率いるクィンテットに入ってサックスを吹いたことのあるミュージシャンの話しであったが、あるときそのミュージシャンがステージで、不注意にも、出してはいけない音を吹いてしまったのだそうである。本人いわく、それは、演奏の流れをぶち壊してしまうような、致命的なミスであった。しかし、マイルスは、その瞬間、絶妙な音を自分のトランペットで吹いて、そのミスをカバーしたのだそうである。それで、観客はそんなミスがあったことにまったく気付かなかった。「なぜ、あんな芸当が瞬時にできてしまうのか」と、そのミュージシャンはなかばあきれるように、マイルスの稀有な才能を褒めたたえていた。マイルスがジャズ界のトップに長く君臨していたのは、そうした確かな才能を誰もが認めていたからにほかならない。
さて、中田英寿の話。ボクの見るところ、彼は、日本のサッカーについての、数少ない健全な批評家である。ワールドカップ関連でテレビに出てくる解説者たちは、そのほとんどが、ことさら日本のサッカーについて好意的というか、楽観的なことばかり強調する。解説をするのでなく、「がんばってほしいですね」とか「勝ってほしいですね」とか、ボクらと同じ目線で、単に応援しているだけではないか、と思うような人もいる。しかし、批評家は、冷徹な批評をするのが本来の役割である。ある意味では、聞きたくもない批評をいう人、嫌われ者になることを引き受けるものがいなければ、日本のサッカーがこれからよくなっていくことはありえない。聞きたくもない批評がなされて、選手の側が怒って発奮し、それを乗り越えるべく努力するようにならなければ、世界で通用するようなサッカーは生まれない。そのような批評家が不在の中で、中田は自ら批評家の役割を買ってでている。彼を個人主義的とか孤高の人などと称するものがいるが、ボクはとんでもない勘違いだ、と思う。彼ほど真剣に、日本のサッカーを考えているプレイヤーはいない。テレビ局との契約を第一に考えて辛口な批評をすることを控える解説者たちこそ、自分勝手で個人主義的なのである。
昨日の試合を見てもわかるとおり、中田は、他のどの選手よりも運動量が多い。自分が先頭にたち、まず自分が範を示して、まわりの信頼を勝ち得ようとする。本当に素晴らしい。たとえ、決勝トーナメント進出はならなくても、中田の姿は、われわれの記憶に刻まれていくであろう。そして、彼のパッションは、まちがいなく、次世代の優秀なサッカープレイヤーたちへと、引き継がれていくであろう。

2006年05月18日

人生のニアミス

きのう帰宅途上の九段下駅で、東西線から半蔵門線に乗り換えるときに、ゼミ生の渡辺さんにばったりと出会った。ボクの早稲田からの帰宅経路は、ほかにもJR高田馬場経由、メトロ飯田橋経由、メトロ大手町―JR東京駅経由などいくつかあるので、これはちょっとした偶然である。ただまあこのぐらいの偶然なら、そんなに驚くこともないのかもしれない。しかし、この前の休日、横浜元町の喜久屋でお茶していた時、大島さんがご両親と一緒に入ってこられたときには、本当にびっくりした。えっ、これってどういうこと?という感じだった。人違いだったら嫌なので、ホンモノの(?)大島さんかどうか厳重に確認してから、声をかけた。そして、「おい、大島」と声をかけたら、「だれだ、オレを呼び捨てにするのは」といった表情でお父様がこちらを振り向いた。そりゃそうだよね。その節は、大変失礼いたしました。
思いがけないところで思いもよらない人に出会うことは、もちろん、それほど日常茶飯事に起こるわけではない。しかし、そうした偶然は結構起こるもの、という印象をボクはもっている。実際、ボクは、東京や日本のみならず、海外でも、こうした偶然の出会いを経験している。たとえば、昨日話題に上った西澤先生とボクとは、カナダの首都オタワのある橋の上でばったり出会ったことがある。また、ワシントンDCを歩いていたら、フーバー研究所時代に仲のよかった経済学者とはちあわせになったことがある。身近な東京や狭い日本だけならまだしも、世界的な範囲でこうしたことが起こるものなのである。
さて、このような人生における偶然を、どう考えればいいんでしょうかね。ひとつひとつの「偶然」になにか特別な意味が込められていると思い込むのは、モダンでロマンチストすぎる気がする。だからといって、ポストモダンニヒリストのように、こうした偶然が人間のあり方について示唆することが何もない、と断じるのも、ちょっと違うような気がする。ボクの考えは以下の通りである(←もしかしたら、こんなことはもう誰か(ヴィトゲンシュタインか?)がいっていることなのかもしれないが・・・)
思いもかけない偶然が起こる、それは何を示唆しているかいうと、もしかするとこの世界では、そうした偶然があとちょっとのところで起こったかもしれない「ニアミス」が無数に起こっている、ということではないだろうか。それらはニアミスであるがゆえに、ほとんど気付かれないで過ぎていってしまう。西澤先生とボクは、もうすでに、何回も、東京の山手線や京都の地下鉄で、隣同士の車両に乗り合わせたことがあったかもしれない。ボクと吉永小百合は、早稲田のラグビーの試合をごく近くの席同士で観戦していたことがあったかもしれない。偶然はわれわれの脳裏に記憶として刻まれるが、ニアミスはまったく記録に残らない。そして記録に残らなければ、それは世界の歴史上、起こらなかったことに等しいのである。
よく「運も実力のうち」という言葉を耳にする。ボクはその通りだと思う。なぜなら、ニアミスは、すべての人に平等に訪れているはずだからであり、この場合の実力とは、そうした「ニアミス」を「偶然」に引き寄せてしまう、その人の何らかの力にほかならないからである。

2006年05月17日

コラボについて

小学校からの友人M君は、ボクの日記を愛読してくれている。で、ある日、彼はボクの日記で扱ってほしいトピックのリストを送ってきた。リクエストにお答えしなきゃとずっと思っていたのであるが、なかなかいいアイディアが思いつかない。なぜかというと、そもそも彼の送ってきたトピックが難しいものばかりだからである。たとえば「日本の譲り合い文化」について書け、とおっしゃる。正義感の強いM君はそれが衰退していることを嘆いていて、オマエはどう思うか意見をのべろ、というわけである。あるいは「バント」について書け、とおっしゃる。草野球仲間であるM君はつねづねお客さんの観にくるプロ野球で4番バッターにバントをさせるのはおかしいと憤慨していて、オマエはどう思うか意見をのべろ、というわけである。
しかし、ボクは、こういう話題は、どちらの立場をとっても絶対に反対意見が出てくるものではないかと思う。そして、反対意見を持っている人をいくら説得しようとしても、そういう人が説得されることはまずない。「そうねえ、日本の譲り合い文化ねえ、そういえば希薄になっているようにもみえるけど・・・」と切り出しても、そのうち「でもさあ・・・」と反論がはじまる。「だって、今日地下鉄で若くて一見チャラチャラしたカップルがお年寄りに席を譲っていたぞー」などと、反対の事例を持ち出す(←実は本当にボクは東西線の中で今日そういう光景を目撃した)。厄介なのは、こうした事例というのは、どちらの立場からでも、いくらでも持ち出せるところにある。まさに、科学哲学でいうところの「データの理論負荷性」というやつである。人間は、もともと自分の思い込みの方が強いので、自分の立場と整合的な事例ばかりが目に付き、記憶してしまうものなのである。
さて、M君の送ってくれたリストには、ほかにもいくつかトピックがあったが、その中に「コラボ」というのが入っていた。ボクは、最初これが流行語だと知らず、「何それ?」と聞き返してしまった。M君「コラボーレーション、です、ご存じなかった?」ボク「それって、何と何のコラボレーションのことなの?」M君「例えば、ユニクロが企業とのコラボレーションで作っているTシャツや、吉田カバンとBEAMSとで作ったBagなど、いろいろ有ります・・・」そうか、知らなかった、そういうのをいまコラボっていうんだ・・・。それなら、われわれ研究者業界では、日常的に行われている。共著で本や論文を書いたりするのもそうであるし、ディシプリンの違う人々が協力し合って、あたらしい学問分野や研究テーマを立ち上げよう、などというのもコラボ、っていうことになる。
知っている人は知っているが、ボクの最初の業績は、現同志社大学法学部の学部長である(偉くなっちゃったなあ)西澤由隆氏との共著論文であった。もともとは英語の論文であったが、それを訳して日本のある学術雑誌に載せたとき、上の年代の先生たちから「共著なんですね」とめずらしがられたのを覚えている。その頃はまだ、日本の、すくなくとも政治学の分野では、共著論文というスタイルで研究成果を発表することがあまりなかった。もちろん、いまではそれは珍しいものではなくなった。そういう意味では、(エヘン)ボクは、もう15年も前に、コラボ流行の先端をきっていたわけなのさ♪
さて、M君、こんなもんで、どうかね。風邪、お大事にね。

2006年04月29日

賞味期限の哲学

誰が考えたのか、この世には賞味期限というコンセプトがある。
このコンセプトは、われわれの人生に緊張感をもたらしている。賞味期限があるゆえに、われわれはしなくてもよい意思決定を迫られる。しかし、賞味期限があるゆえに、われわれの存在は、大いに自立し、活性化されている。
たとえば、ボクは朝、よく牛乳とヨーグルトを口にするのであるが、どちらにも賞味期限が付いている。ある日、ふと自分が食べようとしていたヨーグルトの賞味期限が切れていたとする。すると、ボクは、賞味期限を守ってそのヨーグルトを捨てるか、それとももったいないから賞味期限を破って食べてしまうか、という選択を迫られているわけである。一日や二日ぐらい過ぎていたっておそらく大丈夫だろうと考えて食べてしまうのも自己責任。他方、これを食べてお腹をこわしたら嫌だなと、買ったヨーグルトを無駄にしてしまうのも自己責任。どちらにせよ、賞味期限が表示されていることで、自分で自分の行う行為に責任を取ることが強制されるようになっている。
賞味期限は、その商品を購入する時点においても、複雑な意思決定を迫っていることが多い。たとえば、ある人が明日の朝の牛乳がないことに気付き、近くのコンビニへ行くとする。そこにはあと3日で切れる小さな牛乳とあと一週間は持つ大きな牛乳とが置いてある。たいてい前者は後者より割高な価格設定になっている。すると、この人は、そこで即座に、自分の一週間分の行動を頭に思い描くことを迫られる。この一週間のうちに、出張などで家をあけることはなかったっけ、とか、今度友人が家に遊びにくることになっているがその友人はコーヒーにミルクを入れるんだっけ、とか、そうそう冷蔵庫にイチゴが買ってあったからイチゴにかけるミルクを余分に買っておかなければならないじゃないか、といった具合に、いろいろなことが頭の中をかけめぐる。そうしていろいろ考えた末に、自分の思考が及ぶ限りにおいて、適切な選択をしているのである。
もちろん、この世の中には、人生をぼやぼや生きてたり、あいまいに生きてたりする人もいる。そういう人は、賞味期限に由来するこうした複雑な意思決定をショートカットしがちである。しかし、そういう人の冷蔵庫の中には、賞味期限の過ぎた製品がワンサカ入っているものである。そして、ぼやぼやあいまいだから、その人はいつか賞味期限のとっくに過ぎていた牛乳やヨーグルトを口にし、おなかをこわすというしっぺ返しを食らうことになっている。ま、世の中、うまくできているのである。
賞味期限なるものは、毎日使うものだけに付いているわけではない。隠れてひっそりと(?)付いている場合がある。食卓用の醤油を大瓶で購入したりすると、すっかり忘れてしまって、いつのまにか期限が切れているということがある。サラダドレッシングや生パン粉にも、もちろん賞味期限があるが、これらもしばらく使わないでいると、いつのまにか切れている。しかし、一週間分の行動予定ぐらいなら頭に思い浮かべることはできるが、3ヶ月とか1年先まで考えて、ドレッシングや生パン粉を購入するわけにはいかない。だから、面白いことに、期限の過ぎたドレッシングや生パン粉は、牛乳やヨーグルトの場合と違って、以外にあっさりと、後悔の念に駆られず捨てることができるのである。

2006年04月12日

Decaffinated Coffeeその他の発明

Decaffinated Coffee、つまりカフェイン抜きのコーヒーを発明した人は、天才である。なんたって、コーヒーのコク深い香りや味を、カフェインの作用を気にせず楽しめるということを可能にしちゃったんだからね。ボクはこれでもけっこう繊細な神経の持ち主なので(←ほんとダヨ)、夜遅くなってからコーヒーを飲むと眠れなくなる。外食をするとレストランによってはデザートが登場するのが10時とか10時半を過ぎることもあるが、こんなに遅くなってからコーヒーを飲んで大丈夫かな、と心配になる。そういうときに、店の人からDecaffinated Coffeeもありますよ、といわれるととても嬉しい。
ところで、このDecaffinated Coffeeって、日本語で何というんですかね?英語ではこれを「De-Caf」(前方Deの方にアクセント)と略すのであるが、日本で「ディカフェ」といってもほとんど通じない。実は、昨夜も、夕食のあとに丸ビルの一階にあるカフェでデザートを食べようということになって、ウェイトレスさんに「ディカフェありますか」といったら、ぜんぜん通じなかった。そこで、「カフェイン抜きのコーヒーありますか」と聞き直すと、そのウェイトレスさんは不思議そうな顔して「カフェインだけのコーヒーですか」と聞き返してきた。ナイスボケ!キミねえ、ちょっとねえ、いくら若いとはいえねえ・・・、もうすこし勉強しなさい。
考えると、世の中の発明には、「ナントカ抜きカントカ」系と、「ナントカ入りカントカ」系との、正反対の方向性をもった二種類がある。前者の典型として、昔から名を馳せているのはなんといっても種無しブドウ、より最近では種無しスイカでしょうかね。これらを発明した人は、すごく偉いと思う。口にいったん入れてから出すあの「ぺっ」(スイカの場合は「ぺっ、ぺっ」)という、人間にとってなんとも醜い行為を、この世から消滅させた貢献はたいしたものである。それから、アルコール抜きのビールとか、アルコール抜きのシャンパンとかいうのもあるけど、これらを発明した人も、もちろん偉い。社会から悪酔い飲酒運転を減らすことに貢献しているんだから、もう表彰モンである。
これに比べると「ナントカ入りカントカ」系の方の発明は、あんまりぱっとしない。ちがうものを一緒にしようという発想には、効率性や利便性の追求というところもあるが、それらを通り越して、手抜き、馴れ合い、安っぽさ、などといった概念に通じるところがある。たとえば、安いホテルに泊まると、バスルームに「コンディショナー入りシャンプー」が置いてある。これをみると、ああ、このホテル経営努力をしてて偉いなと、たしかに一瞬思うが、次の瞬間とっても悲しくなってくる。シャンプーとコンディショナーもちがう容器に入れられないのかよ、そこまでするのかよ、そこまでするホテルにオレは泊まっているのかよ・・・、といった感じである。実際、コンディショナー入りシャンプーなるものの洗い心地は、よかったためしがない。
と、思ったら、今朝「ナントカ入りカントカ」系の発明で、毎日お世話になっているものがあることに気付いてしまった。あの、「野菜一日これ一本」とかいう類のドリンク。あれは、すごい。あれを飲むと、健康になった(心地よい)錯覚に陥るところがとってもよい。

2006年04月11日

原初記憶

今井美樹の歌に、「瞳がほほえむから」という名曲がある。ある事情により、ボクの歴代のゼミ生たちは、ボクがこの歌を大好きだということを、よーく知っている(クスクス笑)。で、この歌、「♪ねえ~この世に生ま~~れて、最初の朝に、何が見~えた~の…」って始まるんですね。しかし、この歌詞、やっぱりおかしい。
ちょっと人生幸朗的、「オーイ責任者出てコーイ」的ツッコミを入れるようですが、この世に生まれた日に、人間の赤ちゃんに何かが見えるなんてことは、あ・り・え・ま・せ・ん。生まれてすぐの赤ちゃんは、だいたい目を開けてないし、開けていても見えない。万が一、何か見えたとしても、何を見たか覚えているわけがないじゃないですか。覚えていたら、その人お釈迦様と肩をならべちゃうじゃないですか。だから、上の歌詞は「♪ねえ~この世に生ま~~れて、最初に覚えていることってな~に~?」ぐらいの意味に解した方がいいんでしょうね。
では、みなさん、この世に生まれて、最初に覚えていることって、何ですか。
あなたにとっての、原初記憶とでもいうのでしょうか、それはいったい何でしょうか。
ボクの中には、そうした記憶としては、幼稚園の頃の情景のいくつかが鮮明に残っている。机や椅子、一緒に遊んだ同級生のこと、担任(「梅組」)の先生の顔、これらがいまでもはっきり浮かんでくる。初恋の相手の顔も名前も覚えているし、運動会の徒競走で一番になってリボンをもらった記憶もある。ただ、その中で、自分が誰かと会話したことをしっかりと覚えているのは、次のような光景である。
ある日、トイレに入った。そしたら、隣でオシッコをしている同級生が、「こうの、何歳?」ときいてくる。実は、ソイツ(←名前覚えていない)、先ほど5歳の誕生日をみんなでお祝いしてもらったばかりである。で、ソイツ、ボクがまだ4歳だというのを知っていて、年上であることの優越感にひたりたいがために、わざとそういう質問をしてきたのである。そのとき、ボクは、とっさに嘘をついて、「5歳」といった。子供心に、コイツいやなヤツ、と思ったんだろうね。これが、ボクの記憶の中にある自分のはじめての言葉である。もちろん、それは(覚えている限りで)ボクが人生でついた最初の嘘、でもある。そして、それは、ボクがオシッコしながらついたはじめての嘘、でもある。
さて、自分にとってのこうした原初記憶が、最近の子供たちのあいだではどうも曖昧になってきているらしい。なぜかというと、ビデオカメラなどが流通し、ビデオテープで繰り返し見て覚えてしまった光景が、自分の本当の(生の)記憶とごっちゃになってしまうからのようである。もっとも、ボクらの世代でも、親とか親戚のおばさんとかからしつこく聞かされたことが、記憶として定着しちゃっていることもある。ボクの祖母は、「あんたは、小さい頃、庭の柿の木を見上げて『モモ』っていってた」といって、ボクをからかった。ボクは、そんなこともあったかもしれないという気にもなっているが、浮かんでくる情景は、祖母がボクを抱きかかえて庭の木を見上げている姿である。しかし、考えてみれば、祖母に抱きかかえられたボクを傍観しているもうひとり別のボクがいるわけはない。だから、やっぱりこれはあとから「作られた記憶」なんだろうな、とボクは思っている。

2006年04月07日

大学教授と似た職業は何か

大学教授と似た職業は何か。それは、ずばり、落語家です。
だって、そうでしょう。まず、どちらも、大勢の人の前で長い時間にわたって、ひとりで話をする商売である。最近は、凝ったパワーポイントやビデオというような「鳴り物」が入ることもあるけど、ほとんどしゃべることだけで観客をひきつけなければならない。話がつまらなければ、観客はすぐに寝る。ホント最近の客は、遠慮も恥らいもなく、グーグー寝る。それで、こちらが寝させないよういろいろ「くすぐり」を入れるところもよく似ている。どちらも、時間がきたら話をきりあげて、高座からさっさとおりなければならない。それから、同じネタを、違う観客相手に何度も繰り返して話すところも、実にそっくりである。
逆に、大学のセンセイと似ても似つかない職業は、この世の中にたくさんある。歌舞伎役者と大学教授との間に共通点がありますか?マツモトキヨシの売り子さんと大学教授との間に共通点がありますか?消防士と大学教授、タクシーの運転手と大学教授、ペット犬のブリーダーと大学教授…ね、どうです、こうして思いつくままにいろいろ職業を挙げていっても、どれもほとんど似てないでしょう。
もちろん、大学教授にも、落語家と同じようにいろいろなタイプの人がいます。たとえば、ですね、もちネタの数は少ないけれども、ひとつひとつをとことん極めていく人。落語家でいうと、先代桂文楽。その反対に、ぶっつけ本番でも客を魅了しちゃう、天才肌の志ん生タイプ。いるいる、それぞれにそういう感じの人。そのほかにも、古いネタを掘り起こして現代へ適用しようとする米朝のような人、地味だけどクロウト受けする仕事をする八代目可楽みたいな感じの人、研究熱心で多くの分野から知識を吸収しようとする小朝のような人、既成概念をハチャメチャに破ってやろうという枝雀や円丈、ウケればいいじゃんと割り切る三平、時事問題を軽いノリで滑っていく文珍、などなど…。あはは、どのセンセイがどのタイプかを考えていくと、これ結構面白いな…。
大学教授の生態というのか習性というのか、これも落語家のそれと非常によく似ている。大学のセンセイたちはふつう学会なるものに属している。ところが、この学会なるものが、いま日本では分裂、乱立状態なんですね。学会という組織の理事とか理事長とかになると何かいいことあるのかどうか知らないけれども(←ボクはなったことがない)、落語家たちの団体も東西に分かれ、さらにいろいろな協会が独立してある。三遊亭円生たちが落語協会から追い出されたり、立川談志が柳家小さん一門から「破門」されたりしたことがあったけれども、そういえば似たようなことがわれわれ学者の世界にもあったっけ、とおかしくなってくる。
いっておきますが、「落語なんて、ただの娯楽にすぎないじゃない、学問のためにある大学の授業と同じわけないわよ」(←なぜか東京女言葉)なんて、いまどき野暮な反論をしたらいけませんよ。落語にも、歴史物や人情話のように、ためになる話がいっぱいある。一方、大学にも、何の役にもたたない講義もたくさんあるんですから。

2006年03月31日

続・名前について

ほぼ20年ぶりにアメリカのニューヘブンにあるイェール大学を訪れ、前に住んでいた寮Hall of Graduate Studiesの周りをうろついていたら、ボクがよく朝食をとっていた店がまだ健在だったのでとてもうれしくなった。その名はEducated Burger。昼以降はハンバーガーやフィッシュ&チップスなどのメニューになるが、基本的には典型的なbreakfast placeである。ボクは朝食をしっかりとらないとうまく機能できない方なので、当時、目玉焼きとかフレンチートーストとかを注文していた。卵料理には、トーストとホームフライドポテトがついてきて、それでも安かった。
で、このEducated Burgerという店の名前なんだけど、なんか面白いでしょう?もちろんここのハンバーガーを食べたからといって、頭がよくなるわけではない。また、この店のオーナーや料理人たちが、店のお客さんであるイェール大学の学生たちと同じぐらいインテリで学があるというのでもない(と思う)。この命名の発想は、おそらく逆なんだね。俺たちはイェールの学生さんたちに自分たちの料理を食べさせている、その中には将来有名になる人もいれば、大成功する人もいる。もしかしたらアメリカの大統領になっちゃう人もいるかもしれない。そういう人たちにこの場所でずっと料理を出し続けてやってきた、それをうれしく思うし、そのことは俺たちの誇りだ・・・そんな思いがこの店の名前の裏にあるのではないか、という気がする。
そういえば、北米には、気のきいた名前のついた店がよくある。センスいいなあ、と本当に感心してしまう。ちょっと、いくつか紹介すると・・・・
ワシントンDCを訪れたとき、ホワイトハウスのすぐ近くに、Off the Recordというバーがあった。ね、面白いでしょ?もちろんこの命名は「今晩、オフレコで話そうじゃないか」なんていう政治家やジャーナリストたちの会話を考えた上での洒落である。
バンクーバーのブリティッシュコロンビア大学行きのバス停の横には、Grounds for Coffeeというコーヒーショップがある。コーヒーを「挽く」というときの動詞grind(の過去分詞ground)と、「○○の根拠」というときの「根拠」にあたるgrounds、さらには単に場所という意味でもこのgroundsをかけて使っている。
女性のアパレルのお店で、Wear Else? という店もどこかで見たことがある。「ほかにはありえないでしょ?」ということを意味する「Where Else?」をもじっているんだね。ソファーを売る店で、sofa so goodという店。「so far, so good」という慣用句とかけている。ネクタイの店で、Ties Я Us。これは、もちろん、おもちゃ屋「Toys Я Us」をもじったもの。
日本でも、気をつけてみれば、こういう風に気の利いた命名があるのかもしれない。でも、なんか、日本だと、単なる駄洒落になってしまうのではないかなあ。あの毎週電車のつり広告でみる、AERAのコピー。はっきり言って、あれは、無い方がいいんじゃないでしょうかね。
ちなみに、うちの学部長である藪下先生は、とんでもない駄洒落王です・・・・一度スイッチがはいってしまうと、ホント手がつけられないです・・・・

2006年03月29日

コーヒー文化について

飛行機の中での食事のあと、コーヒーにしますか、ティーにしますか、ときかれる。それでふと思ったのだけれど、この選択をわれわれは一生のうちでいったい何度行っているんだろうね。世の中には、強情頑固なコーヒー党、純粋一途な紅茶派という方々もおられる。しかし、いたって優柔不断なボクは、両方好きだし、その時々の気分によって選ぶことになる。それどころか、ボクは、その時々の気分によって、コーヒーに砂糖やクリームを入れるときもあるし、まったく入れないときもある。紅茶だって、ミルクで飲むときもあるし、レモンのときもある。最近はハーブ系も好きだし・・・という具合に、ま、要するに、ここら辺のことについては、あんまりポリシーがないのですね。
ところで、コーヒーとティーとは、やっぱりどうも永遠のライバルらしい。ま、単純化していうと、昔からあるのがティー、コーヒーはそれに挑戦する新参者という構図である。それゆえ、各国のコーヒー文化の発達には、いろいろと歴史があって面白い(ということが、このたび機内でみたドキュメンタリーでよくわかった)。
たとえば、イギリスでは、昔から紅茶をよく飲むが、18世紀初頭に一時期爆発的にコーヒーが流行ったときがあった。当時は、政治家ご用達のカフェ、証券マンご用達のカフェなどというように職業別にカフェが流行っていた。中には、海運関係の方々のカフェなどもあって、そこで航海の安全についての情報が交換されていたことからあのロイズという有名な保険会社が生まれたらしい。さて、このように一時期流行っていたコーヒー文化がなぜ持続しなかったかというと、ロンドンの女性たちがコーヒーをよく思わなかったからなのだそうだ。なぜか。昔のカフェには売春婦たちがたむろしていて、カフェに通う男性たちは家に帰るとなかなか奥さんを満足させることができなかった。しかるに、イギリスの女性の間では、「コーヒーは性力を減退する」ということが信じられるようになっちゃった。実際、当時の女性たちは、多くの署名を集めてコーヒー輸入に反対アピールまでしている。イギリスでティー文化が繁栄した裏には、もちろん東インド会社が茶の取引を独占し莫大な利益をあげていたという事情もあるけど、ティーのライバルであるコーヒーに対する一般の人々のあいだの根強い不信感も関係していたらしい。
一方、フランスでは、コーヒーは、ティーだけでなくワインのライバルでもあった。どちらも社交のためのドリンクだけど、ワインと違って酔わなくてすむので、ある時期からみんながこぞってコーヒーを飲むようになっていった。フランス革命は、コーヒー文化の発達がなかったら、起こらなかっただろうとさえいわれている。当時パリのカフェは、政治を語る重要な場だった。きのうあたりのニュースをみていると、きっと、いまでもそうなのだろうと思う。
一般に、ヨーロッパでは、カフェやティーハウスへ行くことの社交的側面がよく理解されている。「カフェに行くのは、人を見るため、そして人から見られるため」といわれる。それに比べると、北米大陸のコーヒー文化は、それはそれで独特である。こちらでは、起きぬけのボサボサ髪やシャワーから出たばっかりのビショビショ頭で、若い人が平気でスタバへ立ち寄る。かく言うボクも、いまイェールのキャンパスをジョギングした帰りに、汗だくのまま、マフィンとコーヒーを買ってしまったもんね。

2006年03月22日

メガネの選び方

みなさん、メガネフレームをどのようにして選んでますか?
藪から棒にそんな質問をしたら、「あんた、ナニゆーてんねん、そんなの、眼鏡店で試着して、似合うかどうか見て選ぶに決まってるやろ」(←なぜか関西弁)という答えが返ってきそうである。しかし、話しはそう簡単ではないんですね。もう、お気づきのことと思いますが、この質問には「メビウスの輪」みたいなネジレがある。上のような答えを即座に返してくる人は、メガネを必要としない、視力のよい人ではないかな。だって、そうでしょう、もし視力が悪かったら、試着したメガネが似合っているかどうかさえ、本人には見えないはずなんだからね。視力のよい人がサングラスやファッショングラスを選ぶのであれば、何の問題もない。しかし、視力の悪い人が自分に必要なメガネを選ぶときには、何らかの仕掛けがいるのです。
で、オプションは三つ。ひとつは、目をできる限り細くして視力を最大化し、なんとか無難にメガネ選択を乗り切ろうという方法。ボクのみるところ、中年以上の方を中心として世の中の半分ぐらいの人が、この方法を採用している。しかし、ボクに言わせれば、このメガネ選びは必ず失敗する・・・というか、絶対後悔すると思う。第一に、ですね、この方法によるとメガネを選ぶときは、目をホソークホソークしようとしているわけでしょう?ということは、もうその時点で、その人の素顔ではない顔になっているわけですね。目を細くしようとすると口がとんがるようにもなるし・・・だから、そんな歪んだ顔に似合うメガネが、目を細めないときの素顔に似合うメガネであることはありえない。第二に、このような方法では、メガネと顔のフィットは判断できても、身体全体のバランスとか服装とかとの兼ね合いを判断することがむずかしい。第三に、そんな窮屈な顔をしてメガネ選びをしていると、必ず顔の筋肉が疲れてくる。で、疲れてきて、「この辺でいいか」と妥協してしまう。妥協は後悔の母ですからねえ。
では二つめのオプションは何かというと、自分で選べないから、他人の感覚を頼りにしようとする方法。ま、恋人や家族の人を一緒に連れて行って、「これ、どう?」って聞くパターンですね。若い人を中心にして世の中の3割ぐらいの人がこれをやっているけど、ボクの意見では、この方法もやめた方がよい。これはですね、はっきりいって喧嘩のもとです。メガネを選ぶのは、服などの装飾品を選ぶのとは、全然ワケが違う。メガネは装飾品ではなく必需品なのです。服であれば気に入らなければ着なければすむけど、メガネというのは常時かけていなければならない。だから、他人の意見を聞き入れてメガネを選んでしまい、もしそれが気に入らなかったら、そのカップルや夫婦には、大いなる亀裂が走ることになる。
というわけで、メガネ選びの方法は、最後の第三のオプションしかない、とボクは思っている。それはですね、メガネを選ぶ日には、コンタクトをいれていく、もうこれしかないのです。コンタクトが入っていれば、素顔のままだし、顔とのフィットも身体全体とのバランスも無理なく判断できる。長いこと時間をかけたって、顔の筋肉が疲れることもない。だから、「メガネをかけてる人はコンタクトも併用すべきである」という命題は、ボクの中ではしっかりと確立された一つの「マーフィーの法則」みたいなもんなんだな。ためしに、似合うメガネをかけている人に聞いて御覧なさい。きっとその人は、コンタクトを併用しているから。

2006年03月12日

人間にとって罪(sin)とは何か

先日西欧式ディナーパーティの話をこの日記に書いたが、ボクが人生のある一時期大変お世話になったカナダのご夫妻は、よく難しいトピックを選んで夕食時の会話の題材とするということをしていた。別に正しい答えを出そうとか、相手を論破しようということが目的ではない。難しい問題をどういう風に考えるか、各人おのずと異なる考え方の多様性とでもいうものを、彼らは純粋に知的に楽しんでいる風であった。もちろん英語で行われるのでついていけないときもあったけど、ボクも、できるだけ会話に加わろうと、いつも一生懸命がんばった。
ある日、そのご夫妻のうちに遊びにいったら、その日のお題は「人間にとって最も重い罪は何か」であった。ここでの罪は、英語でいうと、crimeではなく、sinの方ですね。ご夫妻はキリスト教信者ではない。しかし、ボクは、このトピックだとどうしても宗教的な方向へ会話が流れてしまうのではないかな、と思った。そしたら、案の定、嘘をつくこと、他人を軽蔑すること、モノやお金を無駄使いすること、などなど、聖書のどこかに書いてありそうな、ま、はっきりいってありきたりな、項目が次々と挙げられて、「そうだね」、「でもそれはそんなに悪くないんじゃない」というように、議論が展開していった。
彼らの話が一段落したところで、ボクに水が向けられ「マサルは人間にとって何がもっとも悪いsinだと思う?」と聞く。ボクは、そのとき「taken-for-grantedness」ではないか、と答えた。それは面白いねと、ご夫妻は褒めてくれた。実は、ボクは、いまでも、この答えが大そう気に入っている。
take it for grantedは、うまく日本語にできないけど、当たり前と思う、あるいは自明視する、といったような意味である。それを無理やり名詞形にしてしまって、当たり前だと思うこと、あるいは自明視すること、それが人間にとっての最大の罪、というのがボクの考えである。だってそうじゃない、われわれのまわりには、いま自分が享受できていることへの感謝を忘れてしまうようなものがたくさんあるでしょ。健康や才能、与えられた資産や仕事、友人や同僚からの信頼、家族や恋人からの愛・・・などなど。本当は、われわれは、これらのものを自明視することなく、日々守っていく努力をしていかなければならないのですね。
ところが、というか、やっぱり、というか、われわれか弱い人間は、つい、そうした努力を忘れる。そして、これらのものを失うと、自分が不幸になったと思ってしまう。しかしね、実は、これは勘違いなんだね。健康や豊かさ、信頼や愛などという大切なものは、それらを失う不幸を憂うのではなく、それらをいま享受できることを幸福だと思わなくてならない。いつもそんなものが当たり前のようにあると思っては、人生の荒波をなめてることになる、そんな気がするのであります。

さて、最近ボクの教え子の二人が入籍しました。
本当におめでとう。
若いお二人に、心から「お幸せに」という言葉を贈りたい。

2006年03月08日

西欧形式ディナーパーティ

ご存知のとおり、西欧社会では、自宅で人をもてなすということが頻繁に行われる。日本ではナンノカンノ理屈をつけて「飲み会」なるものが開かれるが、向こうでもナンノカンノ理屈をつけて「ディナーパーティ」なるものが開かれているのである。もちろん、パーティといっても、家庭のダイニングテーブルに座れる人数はおのずと限られている。大人数立食バイキング形式の場合もあるが、より一般的なのは、4~8人ぐらいがひとつのテーブルを囲んでわりと親密に会話をしようとする、パーティである。小規模形式、親密濃厚空間、礼儀作法結構重要、品目結構少数然熱烈美食、目的即相互理解促進也的、宴席である。
ボクは、長い間北米に住んでいたけれど、この手のパーティがあまり得意ではなかった。おそらくこういうパーティでのエチケットというのは、向こうでは成長していく過程で自然に身につくものなんだろうけど、はるか遠いアジアの国からやってきたボクに、そんなのわかるわけないよね。
たとえば、ですね、招かれたからには、何かギフトをもっていくのが礼儀ですよね。しかし、いったい何をもっていけばよいのか、またいくらぐらいのものを持っていけばよいのか、こんな基本的なことすら、よくわからない。やっぱりワインかな、白ワインだと冷やさなきゃならないから赤にしようかな、いやでも、そもそもアルコールを飲まないひとたちだったらどうしようかな・・・などと、いろいろと考えてしまうわけですね。それから、ディナーでの会話。これについていくのが、実に大変。こういう席では、みんなよくジョークをいう。本当に、ある意味競い合うように、ジョークを飛ばしあっている。しかし英語に不自由なこちらはジョークなのかどうなのか一言も漏らさないように一生懸命聴いてなければならない。で、みんなが笑うと、あわててとりつくろうに笑う(←だって笑わないと失礼だ思われるでしょ)。この、真剣に聴き耳をたてている自分の顔と、みんなにあわせて一テンポ遅れて笑っている自分の顔の、なんというのか、落差、とでもいうのかな、自分で気付いているんだけど、まあ、なんとも情けない・・・
食事での会話は、いつもジョークやお軽い話ばかりではない。こちらの知的レベルが問われるようなこともよく行われた。たとえば、ある誕生会では、ひとりずつ即興で詩をつくって朗読しよう、ということになっちゃった。詩?・・ポエム?・・即興で?・・嘘でしょ?・・・だよね。それから、よく行われるのは、トースト(乾杯)。ワイングラスをスプーンでちんちんとならし、”I propose a toast to Mr.○○・・・” と言い出すと、みんな黙ってそれを聞く。みんながグラスを上げるとき、乾杯の対象とされている人は飲まないのが、礼儀である。この誰かさんに乾杯は、会話をはさみながらひとまわりおこなわれる。つまり、宴が終了する頃には、みんな一回ずつは乾杯の対象になっている、というわけ。ということは、ボクも一度は誰かのために、ちんちんとならして乾杯の音頭を取らなければならないわけ、です。パーティに同席している人でも、よく知らない人ももちろんいるから、あまり最後まで、この音頭とりしないでいると、その日まであったことのない相手のために乾杯の辞をのべなければならない状況に追い込まれることになる。むこうの人たちのすごいのは、それでも、なにかでっち上げるところなんだよね。なるほどそういう風にするのか、うまいもんだなあ、と感心してしまうように辻褄をあわせた祝辞を、みんなでっちあげている。
ボクは、パーティに招かれると、人がやりだす前に、いつも自分から、ちんちんをやるようになった。「ええ、みなさん、今日のこの素晴らしいディナーを作ってくださったシェフ○○さんに乾杯しましょう」。最初に乾杯の音頭をとれば、パーティを開いてくれたホストに対してすればいいので、簡単だからね。

2006年02月19日

名前について

アメリカの高校に初めて一年間留学したとき、ボクの名前Masaruを正確に発音できる人がなかなかいなかった。カリフォルニアの小さな町で、日本人と接するのがはじめてというごく普通のアメリカ人高校生ばかりだったから、ま、しょうがないといえばしょうがない。マサルの「マ」にアクセントがついて「サルゥ」と尻つぼみになったり、「サ」をヤタラに強調する結果「マサールー」とかなったり・・・「そうじゃない、そうじゃない、どこにもアクセントをおかずにフラットに言ってみてヨ」と、最初はそのたびごとに修正してたんだけど、こちらも面倒くさくなり、しだいに「覚えてくれたんだから、なんでもいっかぁ」と思うようになってしまった。それにしても、英語以外喋ったことのないアメリカ人の語学に関する不器用さといったら、ひどいもんだ。ボクの名前のように、母音が三つ入っているだけでもうお手上げという人がたくさんいた。なかには、「Masa」と省略して「私はあなたをそう呼ぶことにしたの」と勝手に決め込む人までいたんだからね。
だいたい、一般のアメリカ人たちの名前って、ありふれてるのが多すぎると思いませんか?男だとデーヴィッドとかスティーヴとか。女だとステファニーとかリサとか。学校で30人ほどのクラスだと、必ず、二人ぐらいずつデーヴィッドとリサがいる。よくもまあ、混乱しないものだ、と思う。
さて、先日、バークレイで再会した友人K・K君のパートナーは、フィリピン出身で、名前をシェリルという。ボクは、ずっと、彼女にはフィリピンの名前があって、でもアメリカに来たらみんなにそれをうまく発音してもらえないので、シェリルという呼び名をつけたものとばっかり思っていた。イタリア人でもマルコをマークと言い換えたりする人もいるし、似た発音の元のフィリピン名前に由来したニックネームなのかな、と思い込んでいたわけだ。そしたら、フィリピンでは、アメリカの植民地統治時代の影響で、生まれたときから英語の名前をそのまま付ける場合があるんだってね。(←これ、本来は考えさせられる重たい問題を含んでいるわけだけど、今回はそれ以上深く突っ込まないことにして、話しを進めることに。)「へぇ~、で、なんでシェリルなの?」ときくと、その答えが面白かった。お父さんがテレビで放映されていたチャーリーズエンジェルの一人シェリルラッッドのファンだったから、だって。「えっ、ホントカよ」って、感じでしょ。フィリピンでは、今では、「マイケルジョーダン」とか「タイガーウッズ」とかいう名前をつけられる子供たちがいるんだそうです。彼女の子供時代には「ベートーベン」と名付けられた男の子が同級生にいた、といっていた。ファーストネームで、ですよ。いくらなんでも、それは可哀想だなあ、と思いながら、それでもボクは笑ってしまった。
ちなみに、シェリルには妹さんがいるそうです。しかし、その名前はジャクリンではありませんでした。ファラフォーセットでもありませんでした。残念でした。