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大学教授と似た職業は何か

大学教授と似た職業は何か。それは、ずばり、落語家です。
だって、そうでしょう。まず、どちらも、大勢の人の前で長い時間にわたって、ひとりで話をする商売である。最近は、凝ったパワーポイントやビデオというような「鳴り物」が入ることもあるけど、ほとんどしゃべることだけで観客をひきつけなければならない。話がつまらなければ、観客はすぐに寝る。ホント最近の客は、遠慮も恥らいもなく、グーグー寝る。それで、こちらが寝させないよういろいろ「くすぐり」を入れるところもよく似ている。どちらも、時間がきたら話をきりあげて、高座からさっさとおりなければならない。それから、同じネタを、違う観客相手に何度も繰り返して話すところも、実にそっくりである。
逆に、大学のセンセイと似ても似つかない職業は、この世の中にたくさんある。歌舞伎役者と大学教授との間に共通点がありますか?マツモトキヨシの売り子さんと大学教授との間に共通点がありますか?消防士と大学教授、タクシーの運転手と大学教授、ペット犬のブリーダーと大学教授…ね、どうです、こうして思いつくままにいろいろ職業を挙げていっても、どれもほとんど似てないでしょう。
もちろん、大学教授にも、落語家と同じようにいろいろなタイプの人がいます。たとえば、ですね、もちネタの数は少ないけれども、ひとつひとつをとことん極めていく人。落語家でいうと、先代桂文楽。その反対に、ぶっつけ本番でも客を魅了しちゃう、天才肌の志ん生タイプ。いるいる、それぞれにそういう感じの人。そのほかにも、古いネタを掘り起こして現代へ適用しようとする米朝のような人、地味だけどクロウト受けする仕事をする八代目可楽みたいな感じの人、研究熱心で多くの分野から知識を吸収しようとする小朝のような人、既成概念をハチャメチャに破ってやろうという枝雀や円丈、ウケればいいじゃんと割り切る三平、時事問題を軽いノリで滑っていく文珍、などなど…。あはは、どのセンセイがどのタイプかを考えていくと、これ結構面白いな…。
大学教授の生態というのか習性というのか、これも落語家のそれと非常によく似ている。大学のセンセイたちはふつう学会なるものに属している。ところが、この学会なるものが、いま日本では分裂、乱立状態なんですね。学会という組織の理事とか理事長とかになると何かいいことあるのかどうか知らないけれども(←ボクはなったことがない)、落語家たちの団体も東西に分かれ、さらにいろいろな協会が独立してある。三遊亭円生たちが落語協会から追い出されたり、立川談志が柳家小さん一門から「破門」されたりしたことがあったけれども、そういえば似たようなことがわれわれ学者の世界にもあったっけ、とおかしくなってくる。
いっておきますが、「落語なんて、ただの娯楽にすぎないじゃない、学問のためにある大学の授業と同じわけないわよ」(←なぜか東京女言葉)なんて、いまどき野暮な反論をしたらいけませんよ。落語にも、歴史物や人情話のように、ためになる話がいっぱいある。一方、大学にも、何の役にもたたない講義もたくさんあるんですから。