原初記憶
今井美樹の歌に、「瞳がほほえむから」という名曲がある。ある事情により、ボクの歴代のゼミ生たちは、ボクがこの歌を大好きだということを、よーく知っている(クスクス笑)。で、この歌、「♪ねえ~この世に生ま~~れて、最初の朝に、何が見~えた~の…」って始まるんですね。しかし、この歌詞、やっぱりおかしい。
ちょっと人生幸朗的、「オーイ責任者出てコーイ」的ツッコミを入れるようですが、この世に生まれた日に、人間の赤ちゃんに何かが見えるなんてことは、あ・り・え・ま・せ・ん。生まれてすぐの赤ちゃんは、だいたい目を開けてないし、開けていても見えない。万が一、何か見えたとしても、何を見たか覚えているわけがないじゃないですか。覚えていたら、その人お釈迦様と肩をならべちゃうじゃないですか。だから、上の歌詞は「♪ねえ~この世に生ま~~れて、最初に覚えていることってな~に~?」ぐらいの意味に解した方がいいんでしょうね。
では、みなさん、この世に生まれて、最初に覚えていることって、何ですか。
あなたにとっての、原初記憶とでもいうのでしょうか、それはいったい何でしょうか。
ボクの中には、そうした記憶としては、幼稚園の頃の情景のいくつかが鮮明に残っている。机や椅子、一緒に遊んだ同級生のこと、担任(「梅組」)の先生の顔、これらがいまでもはっきり浮かんでくる。初恋の相手の顔も名前も覚えているし、運動会の徒競走で一番になってリボンをもらった記憶もある。ただ、その中で、自分が誰かと会話したことをしっかりと覚えているのは、次のような光景である。
ある日、トイレに入った。そしたら、隣でオシッコをしている同級生が、「こうの、何歳?」ときいてくる。実は、ソイツ(←名前覚えていない)、先ほど5歳の誕生日をみんなでお祝いしてもらったばかりである。で、ソイツ、ボクがまだ4歳だというのを知っていて、年上であることの優越感にひたりたいがために、わざとそういう質問をしてきたのである。そのとき、ボクは、とっさに嘘をついて、「5歳」といった。子供心に、コイツいやなヤツ、と思ったんだろうね。これが、ボクの記憶の中にある自分のはじめての言葉である。もちろん、それは(覚えている限りで)ボクが人生でついた最初の嘘、でもある。そして、それは、ボクがオシッコしながらついたはじめての嘘、でもある。
さて、自分にとってのこうした原初記憶が、最近の子供たちのあいだではどうも曖昧になってきているらしい。なぜかというと、ビデオカメラなどが流通し、ビデオテープで繰り返し見て覚えてしまった光景が、自分の本当の(生の)記憶とごっちゃになってしまうからのようである。もっとも、ボクらの世代でも、親とか親戚のおばさんとかからしつこく聞かされたことが、記憶として定着しちゃっていることもある。ボクの祖母は、「あんたは、小さい頃、庭の柿の木を見上げて『モモ』っていってた」といって、ボクをからかった。ボクは、そんなこともあったかもしれないという気にもなっているが、浮かんでくる情景は、祖母がボクを抱きかかえて庭の木を見上げている姿である。しかし、考えてみれば、祖母に抱きかかえられたボクを傍観しているもうひとり別のボクがいるわけはない。だから、やっぱりこれはあとから「作られた記憶」なんだろうな、とボクは思っている。