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ジョギングの快楽

ボクがいま住んでいるマンションに越したのは、ジョギングのためである。すぐそばに山下公園があり、赤レンガ倉庫、みなとみらいへと走りやすい遊歩道が続いている。それが海側コースだとすれば、もうひとつは、元町から山手へむかって坂を上がり、フェリスや外人墓地の前を通って降りてくるという山側コース。どちらのコースもだいたい30分弱である。二つを組み合わせて、一時間ぐらい走ることもある。
よく、ジョギングなどすると疲れちゃうと思っている人がいるけれども、それはまったく違いますね。朝30分走っただけで、目や頭が冴えて、一日中シャキっとしていられる。逆に走らない日のほうが、昼ごはんの後や帰りの電車の中で、ぐったりして眠くなったりする。
もちろん、精神衛生上も、ジョギングは非常によい。ボクの場合、いつも締め切りを抱えているので、自分で時間を作らない限り四六時中仕事に追い詰められる生活になってしまう。「ジョギングしている暇なんかないのに」と思う一方で、それでもジョギングを強行する。すると、なにより自分の「自由」を取り戻せたと感じることができる。また、運動をしているということが、自分の自信にもつながる。汗をびっしょりかくと、「おお、いい汗かいてるじゃん、44歳とはいえ、まだまだ大丈夫だな」とか思う。
ボクがジョギングを始めたのは、スタンフォードの院生時代だった。パートナーを見つけて、週に2日一時間ぐらい一緒に走っていた。アメリカでは、ジョギング人口がものすごい。どの時間帯にキャンパスのどこを走っても、何十人のジョガーたちとすれちがう。しかし、日本に帰ってきてからは、ジョギングに適した場所もなく、走らなくなってしまった。それを再開することにしたのには、あるきっかけがあった。
2000年夏、ケベックシティーでの世界政治学会のとき、並行して日米の少数の研究者だけのある会議が開かれた。朝の9時から午後の5時まで、スケジュールのびっしり詰まった2日間にわたる会議だった。その1日目、会議が終了すると、インディアナ大学(当時)のハックフェルド先生が、「これから5キロぐらい走ろうと思うけど、誰か一緒に行かないか」と声をかけた。ところが、日本側のメンバーたちは、みなもうぐったりしちゃって、誰も手を挙げない。そのときボクは、思った。こんなことではいつまでたってもアメリカの研究に太刀打ちできないぞ、と。向こうの研究者たちは、家庭で普通に料理をつくり、子育てにも積極的にかかわり、さらに毎日5キロぐらいを平気に走って、研究活動にいそしんでいる。それに比べると、なんと日本の研究者たちに余裕がないことか。そんな余裕がない中で、いいアイディアが生まれてくるわけないではないか、と。それで、ジョギングを再開し、それが高じてホノルルマラソンを2度も走ることになった…。
…と、この前、この話を、早稲田を訪れた大阪大学の曽我謙悟氏にした。そしたら、「会議の後に5キロ走るアメリカの研究者たちもたしかにスゴイけど、それを聞いて自分もやらなきゃと思いたつ河野さんもスゴイ」とほめてくれた。この言葉、ホントうれしかったですねえ。曽我さん、どうもありがとうございました。
最後になるが、ジョギングは、出張や旅行にいっても一人で手軽にできるという点もよい。景色を楽しめて、地元の風景に自分が馴染んでいくような気分になるのが、何ともいえない快楽である。