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メッセージを送るとはどういうことか

最近読んだ論文のなかに、次のような例が書かれていた。あるカップルが問題を抱えていて、夫が妻に対して「僕はこの関係を本当に修復したいと思っているんだが、君が変わらないんだったら離婚してもいいと思う」といったとする。このような状況で関係修復が難しいのは、このメッセージには表面上の意味に加えて、より高次のメッセージが伝えられているからである、と。
どういうことかというと、夫が妻に上のように伝えたということは、妻にしてみれば「夫が離婚を考えている」ことを知っている、ということを意味する。それはさらに、夫は「妻が『オレが離婚を考えていること』を知っている」ことを知っている、ということを意味する。夫は、できるものなら関係を修復したいと真摯に思っていたかもしれない。しかし、上のようなメッセージが伝わると、修復はより難しくなる。離婚の可能性がまったく視野になかったら、妻は関係を修復するよう一段と努力することを考えたかもしれないのに、いまや彼女はその可能性をも考慮にいれて自分の人生を考えなくてはならない。そして夫は、妻がそのような可能性があることを知っちゃった上では、「関係を続けようと頑張ってくれないかも」と疑わざるを得なくなり、そうした疑念をもちつつ自分の人生を考えなくてはならないからである。
この話から導かれる重要な教訓は何かというと、われわれはメッセージを伝えることで、同時に相手からメッセージを受け取っている、という認識である。上の例でいえば、表面上メッセージを発したのは、夫だけである。妻の方は、表面上は夫に対して何もメッセージを返していない。しかし、にもかかわらず、夫が上のメッセージを発することによって、妻の方は「アタシは知っているのよ」というメッセージを伝えているのである。つまり、われわれは、一方的にメッセージを送ったつもりであっても、相手から暗に送り返されているメッセージを前提に、次の行動を選択しなければならない立場に追い込まれていく。メッセージを発するということは、それがどのような重大な結果に自らを導いてしまうかを、十分覚悟して行わなければならない。
以上のことは、男女関係という日常生活の一端から例が引かれていることからもわかるように、すこし落ち着いて考えればだれでも気づくことではないか、と思われる。それゆえ、次のような報道が立て続けになされると、はてどういうことだろうと、ボクは首を傾げてしまうのである。
「政府は8日、北朝鮮のミサイル発射を受け、日本独自の追加制裁策として検討していた北朝鮮への全品目の輸出禁止措置を見送る方針を固めた。制裁措置による拉致や核問題の進展が見込めないことに加え、日本のみが国際社会で突出した行動をとることを避ける考えもあるようだ」。
「政府は10日午前の閣議で、13日に期限切れを迎える北朝鮮に対する日本独自の経済制裁を1年間延長することを決定した」。
「麻生太郎首相は10日午後、首相官邸で記者会見し、安保理協議について『拘束力がある決議が望ましいと考えているが、決議にこだわったため内容が分からないものになるのでは意味がない』と述べ、議長声明でも容認する考えを初めて示した。首相は『声明、決議、いろいろあるが、きちんとした国際社会のメッセージが伝わるのが一番大事だ』と強調した」。
日本として、独自の突出した行動をとりたいのか、とりたくないのか。国連安保理の決議でなくても、本当にきちんとした国際社会のメッセージが伝わるのか。もしそうであるのなら、どうして最初から決議にこだわったのか。そして、もっとも大事なことだが、こうした首尾一貫しないメッセージを送ることで、相手からどういうメッセージが送り返されていて、またそれをどうわれわれは受け止めようとしているのか。