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蕎麦屋で飲む

最近、蕎麦屋で飲むことにはまっている。
蕎麦屋は、店を閉めるのが早い。8時半とか9時がラストオーダーというのが一般的である。
だから、蕎麦屋で飲むときは、早くから飲み始めなければいけない。
4時半とか、5時とか。
「なぁにぃ?平日の4時半とか5時とかから、フツウの人間が飲めるわけないだろっ!」
・・・しかしですね、どういうわけだか、この世の中には、そのくらいから蕎麦屋で一杯やっている人たちがいるんですね。ウソだと思うなら、東海林さだおさんのエッセーを読んでごらんなさい。それで、神田まつやへいってごらんなさい。
ボクも、まさかと思ったけれども、もうかれこれ10年ほど前、日本へ帰って来てすぐ、神田まつやへ初めて行ってみたのでした。そしたら、本当にいるじゃあないですか、そういう粋な人たちが。ちびりちびり、飲んでいるじゃないですか。
・・・というわけで、ボクも蕎麦屋の名店で飲むということをやってみたい、といつしか思うようになったのであります。で、今年、サバティカルなので、ボクはそれを実行しているのであります。なんか自分がすごく大人になった気がするのであります。ま、自己満足に浸っているのであります。
蕎麦屋で飲むときは、ひとりで飲むことが多い。
「あったりめいだろっ、マットウな人間は4時半とか5時は、まだ会社で働いてるんだってば!」
うん、たしかに。
しかも、ですね、蕎麦屋で出てくる小料理は、ひとりで食べるようにできているものが多いんですね。たとえば板わさ。かまぼこの方はまだいいけれど、ワサビ漬は一度箸をつけてしまうと、なかなか「はいどうぞ」と分割できるような代物ではない。蕎麦掻も海苔の佃煮も同じ。焼き海苔だってそうである。カノジョさんと来て、「じゃ半分こしようか、アーン」などとちぎっていては、せっかくの「粋」の雰囲気が台無しになってしまう。
そう、だから蕎麦屋では、ひとりで飲むことが基本なのであります。
ボクのお気に入りは、関内の「利休庵」。うなぎの「わかな」といい、天ぷらの「天吉」といい、こう考えると、関内には本当にいいお店がいっぱいあるなあ。
さて、利休庵は、入り口が戸を横に引いて開けるようになっている。「自動ではありません」と張り紙してあるところが、飾り気がなくてよい。で、入っていくと、女将さん(と思しきひと)が「いらっしゃい」と声を掛ける。相席にさせることもあるが、ボクは早くいくので、たいていひとりで座らせてくれる。
ここは、なにを食べても本当においしい。蛍烏賊と鯵の味醂干し。うるめ鰯。卵焼き。上新香。天ぷらの盛り合わせ、などなど。
つい先日も、行ってまいりました。イナゴの佃煮、小カブのサラダ、板わさでつい飲みすぎ。それでも、せいろで締めくくることに。蕎麦湯が南部の鉄瓶で出てくるところも、とってもよい。