「脅し」と「警告」、そしてシェリングの誤訳について
最近、北朝鮮のミサイル発射にともなって、北朝鮮の意図と日本の対応について、さまざまな人がメディアで論評していた。ボクもいつか、このことについて何か考えをまとめたいと思い、そのヒントとなるかもしれないと、自分が監訳したシェリングの『紛争の戦略』を読み返していた。そうしたら、ですね、恥ずかしい話ですが、肝心な部分を誤訳していることに気づいてしまいました。読者のみなさん、そしてシェリング先生、ホントに申し訳ありませんでした。出版社には早速連絡をとりまして、次の再版(があればの話ですが)のときに、もう一度全部チェックしてこうした誤訳を極力なおして行くようにしたいと思います。
で、今回のその肝心な部分とはどこか、というと第5章の註5、シェリングが「脅し」と「警告」を区別しているところである。一般的な用語ではこの二つを合わせて脅しといっているが、シェリングは違うといっている。(正しい訳)≪一般的な用語では、「脅し」とは、ある人が敵対する者に対して、従わないと損害を与える行動をとることを示唆したり、想起させたりすることをさすこともある。しかし、その人がそうした行動をとるインセンティヴをもつことが、明白でなければならない≫。ここで重要なのは最後の一節で、そうした行動をとるインセンティヴがその人にあるかどうかによって、本当の脅しかどうかが決まる、とシェリングは考えている。≪たとえば、家へ侵入してきた者に対して警察を呼ぶと「脅す」ことが、これに当てはまる。一方、その者に対して撃つぞというのは、これに当たらない≫。なぜなら、一般の人が銃を撃って人を殺すインセンティヴを持っているとは思えないからである。ゆえにシェリングはいう、≪こうした後者のケースについては、違う言葉を用いる方がよいかもしれない――私は「脅し」でなく「警告」という言葉を用いることを提案する≫。
さて、北朝鮮のミサイル発射に対して、日本は日本の領域に落ちてきたら「撃ち落とすぞ」という姿勢をとった(①)。それに対して、北朝鮮は「撃ち落としたら戦争行為とみなし、日本に対し宣戦布告する」という姿勢をとった(②)。幸いなことに、そのような展開にはならなかったが、①と②がそれぞれシェリングのいう意味での本当の「脅し」となっていたかどうかを考えることは興味深いし、日本の安全保障にとって重要なことのように思える。なので、いまの時点でのボクの見解をまとめておきたい。
順番に考えていこう。まず①については、侵入者に対して撃つぞといっているのであるから、これは一見シェリングの中にでてくる「警告」の例そのもののようにも思えるが、今回の日本の対応は、ただ撃つぞと言っただけでなく詳細な行動を伴うものであった。すなわち、イージス艦やPAC3を配備し、しかもその配備の状況を大々的にメディアを通して公開することによって、本当に来たら撃ち落とすつもりなんだぞ、ということを(誰よりも北朝鮮に)分らせようとしたのであった。しかし、ここで重要なのは、日本が撃ち落とすという≪行動をとるインセンティヴをもつことが、明白≫かどうか、である。もし、いまかりに②が正しいとして、そのような行動が北朝鮮と戦争状態を導くことが予測されるならば、日本があるいは日本国民がそうした行動をとるインセンティヴをもっているかどうかは、それほど明白ではないのではないか、とボクは思う。すくなくとも北朝鮮には、日本がそのようなインセンティヴをもっていることがうまく伝わっていないような気がする。なぜかというと、今回日本は、日本に入ってきたら撃ち落とすという①の対応についてはきわめて詳細に行動で示したが、②の展開になったらどうするかということについてはメディアをとおして何も国民に知らせなかった(そしてそのことを北朝鮮がちゃんと知っていた)からである。
ということは、すべては②の信憑性にかかってくる。つまり、①が起こったとして北朝鮮に手番がまわったとき、それを戦争行為とみなし日本に宣戦布告するというのが「脅し」であったのか、それとも「警告」だったのか、である。ここについては、ボクのような素人には、どちらかといえる十分な情報があたえられていないので、なんともいえない。テレビでは防衛省のある元幹部が北朝鮮の対応は「単なる脅し」にすぎないと一蹴していた。これはシェリングのいう「警告」という意味で「脅し」という言葉を使っていたのであるが、小心者のボクなどはそこまで単純ではないのではないかと思う。繰り返すが、ここでも重要なのは、北朝鮮が何を言っているかではなくて、そうした行動をとるインセンティヴをもっているかどうか、という判断である。ひとつだけいえるのは、今回のミサイル発射事件は、発射後に撃ちあがってもいない衛星がちゃんと軌道に乗っているだとか、日本の新聞も打ち上げ成功を報じているだとか、すぐにウソだと(おそらく自国民にも)わかるウソをわざとついていることも含めて、北朝鮮のインセンティヴがどこにあるのかを伝えるさまざまな貴重な情報を、われわれに提供したのではないかということである。