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コラボについて

小学校からの友人M君は、ボクの日記を愛読してくれている。で、ある日、彼はボクの日記で扱ってほしいトピックのリストを送ってきた。リクエストにお答えしなきゃとずっと思っていたのであるが、なかなかいいアイディアが思いつかない。なぜかというと、そもそも彼の送ってきたトピックが難しいものばかりだからである。たとえば「日本の譲り合い文化」について書け、とおっしゃる。正義感の強いM君はそれが衰退していることを嘆いていて、オマエはどう思うか意見をのべろ、というわけである。あるいは「バント」について書け、とおっしゃる。草野球仲間であるM君はつねづねお客さんの観にくるプロ野球で4番バッターにバントをさせるのはおかしいと憤慨していて、オマエはどう思うか意見をのべろ、というわけである。
しかし、ボクは、こういう話題は、どちらの立場をとっても絶対に反対意見が出てくるものではないかと思う。そして、反対意見を持っている人をいくら説得しようとしても、そういう人が説得されることはまずない。「そうねえ、日本の譲り合い文化ねえ、そういえば希薄になっているようにもみえるけど・・・」と切り出しても、そのうち「でもさあ・・・」と反論がはじまる。「だって、今日地下鉄で若くて一見チャラチャラしたカップルがお年寄りに席を譲っていたぞー」などと、反対の事例を持ち出す(←実は本当にボクは東西線の中で今日そういう光景を目撃した)。厄介なのは、こうした事例というのは、どちらの立場からでも、いくらでも持ち出せるところにある。まさに、科学哲学でいうところの「データの理論負荷性」というやつである。人間は、もともと自分の思い込みの方が強いので、自分の立場と整合的な事例ばかりが目に付き、記憶してしまうものなのである。
さて、M君の送ってくれたリストには、ほかにもいくつかトピックがあったが、その中に「コラボ」というのが入っていた。ボクは、最初これが流行語だと知らず、「何それ?」と聞き返してしまった。M君「コラボーレーション、です、ご存じなかった?」ボク「それって、何と何のコラボレーションのことなの?」M君「例えば、ユニクロが企業とのコラボレーションで作っているTシャツや、吉田カバンとBEAMSとで作ったBagなど、いろいろ有ります・・・」そうか、知らなかった、そういうのをいまコラボっていうんだ・・・。それなら、われわれ研究者業界では、日常的に行われている。共著で本や論文を書いたりするのもそうであるし、ディシプリンの違う人々が協力し合って、あたらしい学問分野や研究テーマを立ち上げよう、などというのもコラボ、っていうことになる。
知っている人は知っているが、ボクの最初の業績は、現同志社大学法学部の学部長である(偉くなっちゃったなあ)西澤由隆氏との共著論文であった。もともとは英語の論文であったが、それを訳して日本のある学術雑誌に載せたとき、上の年代の先生たちから「共著なんですね」とめずらしがられたのを覚えている。その頃はまだ、日本の、すくなくとも政治学の分野では、共著論文というスタイルで研究成果を発表することがあまりなかった。もちろん、いまではそれは珍しいものではなくなった。そういう意味では、(エヘン)ボクは、もう15年も前に、コラボ流行の先端をきっていたわけなのさ♪
さて、M君、こんなもんで、どうかね。風邪、お大事にね。