最近のトンチンカン発言
時津風部屋で若い力士が亡くなった。相撲ファンとしては、大変悲しい。いまの相撲協会の後手後手の対応ぶりをみると、もしかして、このようなことがほかにも行われていたのではないか、ほかの部屋でも同じようなことに加担した力士がいて、そういうやつらが堂々とというかしらじらとというか、われわれの見ている前で神聖なる相撲の土俵に上がっているのではないかという疑念を抑えることができない。はっきりいって、もう相撲は見る気がしない。アンタ方は知っているのか、相撲が国技であることを・・・。あの愛子さまだって、楽しみにしてるんだってことを・・・。
で、今回の時津風部屋の事件について、多くのマスコミは、死んだ原因が「通常の稽古」とみなせる範囲だったか、それともそれを超える「暴行」だったか、という問題のたて方をしていた。ボクにいわせれば、この問題のたて方は、トンチンカンもいいところである。「稽古」であろうがナンであろうが、その結果としてひとりの人間の命が奪われた以上、傷害致死であり、「暴行」に決まっているではないか。相撲における稽古というのは、力士をいまよりももっと強くするため行われるものである。しかるに、ここには強くなった力士は存在しない。彼は、強くなるどころか、死んでしまったのである。だから、時津風部屋で行われた行為は、ことばの定義上、稽古ではない。そんなこと、あったりまえではないか。
さて、次。沖縄戦における「集団自決」での日本軍の関与についての記述が教科書検定で削除された問題で、文部科学省は、記述の修正の検討を始めたそうである。町村信孝官房長官いわく、「教科書検定には政治が関与しないということを踏まえないといけないが、沖縄の人たちの心や痛みをしっかりと受け止めて、何ができるか、文部科学省に考えてもらっている」。・・・???・・・。これって、ナニ???いまの教科書検定の制度自体、政治の関与であるということを、知ってておっしゃっているのか、それともまさか知らないでおっしゃっているのか。いずれにせよ、どうしようもなくトンチンカンな発言で、怒るどころか、笑ってしまった。
しかし、極め付きは、三番目。それは、海上自衛隊の給油に関連し、それがイラク作戦向け艦船へ転用されているのではないかという疑惑に対する政府の説明である。平たくいうと、転用された事実を認めつつも「どこに転用されているかは知りません」という主旨の開き直りであった。ボクは、こういうのを「悪意の善意性」と呼ぶことにしている。この論理が通るのであれば、最近社会問題化している「闇サイト」を運営している連中の論理だって、同じようにまかり通ってしまうことになる。つまり、「サイトでどういう情報が交換されているか、一切知りませんし、関知しません」という論理である。闇サイトでは、犯罪に関わる情報が提供されている。そういう事実があるかもしれないということを予感して、「善意」すなわち自分は「知りません」という態度をとる。しかしだね、ここには、善意を装う動機そのものが、悪意であるという構造が、疑いなくあるじゃあないですか。こんな論理を正々堂々と、あるいはしらじらと言ってのけて、それでもまあ大丈夫だろうなんて思っているところが、いまの日本の政治家たちの限界だね。