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別にNHKの会長がなんといおうと...

以下の文章は、かなり前に頼まれて、早稲田のジャーナリズムスクールに寄稿したもの(http://www.waseda-j.jp/aboutus/jopinion/08-2)であるが、この際再録するに値するかもな、と思いました。

「ジャーナリズムと政治、ジャーナリズムという政治」
 リベラリズムやマルキシズムなど、すべての「イズム」がそうであるように、ジャーナリズムとは、ひとつの主義主張である。ひとつの政治思想、あるいは政治運動といってもよい。
 日本では、このことがよく理解されてないのはないか。逆に、日本では、ジャーナリズムは政治的に中立でなければならない、と考えている人が多いように思う。その考えは、間違っている。
 たとえば、民主化が成功したばかりのある国で、初めて選挙が行われたとしよう。ところが、有効投票を確定する選挙管理人が選挙結果を発表するプロセスを、旧政権の残党が暴力や賄賂を使って妨害しようとしたとする。このとき、ジャーナリズムは、その事実をありのままに報道しなければならない。そのような報道が、政治的に中立ではない結果を生むことになるのは、目に見えている。もしかすると、報道がその国の政治の将来を大きく変えてしまうことになるかもしれない。だが、このような状況においてジャーナリズムに期待される役割は、断じて、民主化勢力と旧政権勢力とのあいだで「中立」の立場を貫くことではない。
 ジャーナリズムという主義ないし思想がその中核に抱く価値は、政治的中立性ではなく、独立性、つまりどのような圧力からも独立して存在するということでなければならない。どのような圧力からも独立しているという条件が整わなければ、事実を事実として取材するということも、真実を真実として伝えることもできない。上記の例では、選挙妨害を報道すること自体に対し暴力や賄賂を使った妨害が起こる可能性があるが、ジャーナリズムには、そのような圧力から独立し、文字通り命をかけて報道を続けるという覚悟とコミットメントが要求されるのである。
 ジャーナリズムは、それ自体が主義主張なので、民主主義からも独立していなければならない。このことも、日本では、よく理解されていないのではないかと思う。たしかに、ジャーナリズムは、有権者の意見を吸い上げたり、政治家や政党の公約を伝えたりというように、民主主義が機能することを補完する役割を担うこともある。しかし、ジャーナリズムと民主主義が、いつも同じ方向を向いているとは限らない。場合によっては、ジャーナリズムには、民主主義の圧力からも独立して、民主主義に起因するさまざまな問題を告発することが求められる。もちろん、多数派の意志が「民主主義的」にジャーナリズムの活動を制限しようとする場合には、ジャーナリズムはそのような動きに対し敢然として、立ち向かわなければならない。
 いうまでもないと思うが、新聞社やテレビ局で雇用されていることが、ある人をジャーナリストにするのではない。ジャーナリストとは、ジャーナリズムという主義主張、あるいは政治思想ないし政治運動にコミットしている者を指す。たとえ○○新聞の記者であっても、その人は○○新聞からも独立していなければ、ジャーナリズムを貫くことはできないのである。


で、ですね、今日ボクのいいたいことは、だからジャーナリストの風上にもおけないような人がNHKの会長になってけしからん、ということではないんですね。だって、NHKで働いている個々の人たちにジャーナリズム魂があるなら、会長が誰であれ、関係ないはず、でしょ。そう、会長が何かいったからってそれで自らの魂を売り渡すようじゃ、彼らはそもそもジャーナリストじゃないんだから。