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人間は同じという見方、人間は違うという見方

「自然は人びとを、心身の諸能力において平等につくったのであり、その程度は、ある人が他の人よりも肉体においてあきらかにつよいとか、精神の動きがはやいということが、ときどきみられるにしても、すべてをいっしょにして考えれば、人と人との違いは、ある人がそのちがいにもとづいて、他人がかれと同様には主張してはならないような便益を、主張できるほど顕著なものではない、というほどなのである。」(ホッブス[1651]『レヴァイアサン』第13章(水田洋訳)岩波文庫, 207ページ)

“When we consider how nearly equal all men are in their bodily force, and even in their mental powers and faculties, till cultivated by education, we must necessarily allow, that nothing but their own consent could, at first, associate them together, and subject them to any authority.” (David Hume [1748], “Of the Original Contract”)

「さまざまの人の生得の才能の差異というものは、われわれが気づいているよりも、実ははるかに小さいものであって、さまざまな職業にたずさわる人々が青年に達すると、天分にひじょうな差異があっていかんも他をひきはなしているように思われるけれども、多くのばあい、それは分業の原因というよりもむしろその結果なのである。もっとも異質的な人物のあいだの差異、たとえば哲学者と街頭のありふれた荷運人とのあいだの差異にしても、それは生得のものから生じているというよりも、むしろ習癖・習慣および教育から生じるように思われる。かれらがこの世に生まれでてきたとき、つまりその生存の最初の六年ないし八年のあいだというものは、かれらはおそらくはひじょうによく似ていたであろうし、またかれらの両親もあそび仲間も、なに一つとして顕著な差異をみとめなかったであろう。...取引し、交易し、そして交換するという性癖がなかったならば、あらゆる人はそのほしいと思うあらゆる生活必需品および便益品を自分自身で調達しなければならなかったはずである。」(アダム・スミス[1776]『諸国民の富』第1編第2章(大内兵衛・松川七郎訳)岩波文庫, 121ページ)

「およそ人間の理性が誤りうるものであり、人間がその理性を自由に行使しうるものである限り、相異なった意見が生ずるのは当然であろう。人間の理性とその自愛心との間につながりがある限り、その意見と感情とは互いに影響し合う。...人間の才能が多種多様なものであるところから財産権が生じるのであるが、それと同様、人間の才能が多様であることにこそまた人間の利害関係が同一たりえない基本的な原因がある。そして、こうした人間の多様な才能を保護することこそ、何よりも政府の目的なのである。」(マディソン[1787]『フェデラリスト』第10篇(斎藤眞訳)岩波文庫, 54-55ページ)