オバマさんの就任演説
オバマさんの二期目の大統領就任演説をビデオで見た。伝え聞くところによると、オバマさんは、「二期目」をつとめた過去の大統領の演説をよく調べ上げて、最後の最後まで、自分で原稿に手を入れたのだそうだ。演説のすぐあとPBSで行われていた歴史学者たちの鼎談のなかでは、ある方(確かエール大学の教授)が、オバマさんの演説は、F・ルーズベルトの二期目の演説のスタイルに似ていた、と発言していた。ま、そうかもしれない(ボクはその演説を聞いたことがないので、なんともいえない)。
しかし、ボクは、この演説はオバマさんならでは、という気がした。そして、20分という短いものだったけど、とても素晴らしい演説だと思った。
今回のオバマさんの演説は、ジェファソンが起草したアメリカ独立宣言の一節、We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal, that they are endowed by their Creator with certain unalienable Rights, that among these are Life, Liberty and the pursuit of Happinessを引用するところから始まる。この建国時の誓いは、残念ながら、二百数十年たった今も、まだ実現されていない。だからそれを実現していこうではないか。いろいろな違いを乗り越えて、いろいろな政策を通して、みんなでそれを実現していこうではないか。それが、今回の演説の大きなメッセージだった。
さて、いつもながら(というと失礼だが)、日本のメディアはことごとく、この演説の意義というか、重要な部分を伝え損なっていた。いくつかの新聞は、演説の内容を無理矢理に日本との関係に引き寄せて、オバマさんが「同盟国との関係を強化していく」と語った部分を強調していた。しかし、この部分はこの演説にとってまったくもって枝葉末節な部分でしかない。そんなところを取り上げてレポートするのは、ま、はっきりいって、ジャーナリズムとしてセンスがないとしか、いいようがない。
あるいは、さっき見ていたテレビなどでは、オバマさんはこの演説で、国家としての「団結」や「連携」を訴えかけようとした、とさかんに説明していた。それは確かにそうなんだが、しかし、団結や連携を訴えたとだけきくと、オバマさんの演説が「穏健なものだったのか」という印象を与えてしまう。もしそのような印象が伝わるとすると、とんでもない誤解である。というのは、実は、今回のオバマさの演説は、かなりラディカルな内容を含むものだったからである。
演説の中で、観衆の反応がもっとも盛り上がったところ、そしてこここそが今回の演説のキモだと思われるところは、(独立宣言の言葉にもかかわらず)女性や黒人そしてゲイの人々に平等な権利が与えられていないことを訴えた部分である。このくだりでは、オバマさんは具体的な固有名詞を列挙し、聴く人たちの感情を鼓舞していた。1つ目は Seneca Falls。これは、1848年というきわめて早い時期に、女性の権利についての会議が開かれた場所として知られている。そして Selma, Alabama。1965年の 公民権運動の記念碑的な場所である。そして、今回とくに歓声があがったのが、ニューヨークのゲー・バー、The Stonewall 。1969年ここに警察が踏み込み乱闘になったことが、ゲイの権利の運動に火をつけるきっかけとなった場所である。こうして、オバマさんは、これらマイノリティの人々の権利を十全に実現していくことこそ、自分に与えられた二期目の大統領としての仕事だ、と力強く宣言したのである。そこには、団結や連携ではなく、そういう権利の前に立ちはだかる偏見や悪しき伝統と対決するという姿勢がみなぎっていた。
もう一カ所、オバマさんが固有名詞を列挙したくだりがあった。その中に出てきたNewtownという名前。そう、あのコネチカット州ニュータウン、26人もの小学生が銃の乱射によって、犠牲になってしまった場所である。こうした子供たちのLife, Liberty, and Pursuit of Happinessが与えられない限りは、われわれの旅は終わらない、とオバマさんは説いた。ここでも、彼は静かに(しかしラディカルに)銃規制に反対する人たちに対して、戦いを挑んでいく姿勢を明確にしたのである。