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プレゼントとしての花束

昨日ゼミ生たちが研究室へこぞってやってきて、ボクに卒業論文を手渡すという儀式が行われた。ひとりひとりから手渡されたボクは、ひとりひとりに「ご苦労さん」とねぎらい、ひとりひとりと記念撮影。去年も同じようなことがあったので、この儀式もわがゼミの伝統として確立されつつある。
みんな一生懸命書いたのだろう、ふっきれたというか「やることはやったもんね」という表情をしていた。その一方で、卒論を出し終わって、もう大学キャンパスとサヨナラしなければならないという実感がいよいよこみ上げて、ちょっぴり寂しそうであった。
そのとき、ゼミ生たちから、花束を頂いた。
じーんときた。疲れていたせいもあって、ちょっと涙がでそうになった。ピンクと黄色の花が多く入った花束であった。ついこの前のバースデーパーティの時にも、やはり彼らから花束を頂いたのであるが、そのときは紫の花が多かった。お、こいつら、結構細かいところまで、気を使っているな、と感心してしまった。
いうまでもないが、プレゼントとして、花束は最高である。
花束をもらって嫌な気がする人はいない。第一、花束は綺麗で目立つ。だから、もって歩いていると、必ずまわりから視線を浴びる。みんなこっちを向いて、「うん?なんだ、なんだ?なんでコイツ、花束なんか持って歩いているんだ?」という一瞥をくれていく。すると、こちらとしては「へっ、いいだろう」と、ふんぞり返りたくなる。「へへっだ。オレは花束をもらうぐらい、愛されてるんだからね」と、妙な優越感にひたれる。
とくにボクのような中年男性が花束をもらう機会は、めったにない。それゆえ、けっこう珍しそうに、そしてうらやましそうに、見られる。昨日の夜は、ボクは新幹線にのって新大阪まで行かなければならなかったのだが、実際、車中でいっぱいそうした視線を浴びた。となりに座った美人さんも、ちらちらと、花束とボクとを見比べていた(←というような気がした)。
花束がプレゼントとして最高なのは、短命だからである。花束は、もってせいぜい三日とか五日ぐらいである。つまり、ずっと後まで長く残ることがない。だから花束は、プレゼントとしてとても贅沢である、といえる。
そして、長く残らないものを贈るというのは、贈る側の心遣いをあらわしている。長く記念に残るものをプレゼントとして贈るのは、考えようによっては、「ずっと私のことを忘れないでね」ということを意味していて、押し付けがましい行為である。命はかない花束を贈る方が、ぜんぜん潔いし、大人だし、カッコいい、とボクは思う。
さて、ところが、昨日もらった花束は、新幹線の中が乾燥していたせいもあって、新大阪へついたとき、すでにちょっとシュンとしてしまっていた。このままでは、次の日までもちそうもない。そこで、どうしようかと迷ったが、ホテルのフロントでボクをチェックインしてくれた女性に、「これ頂いたものだけど、どこかに飾っていただけませんか」とお願いして、渡すことにした。そしたら、その女性はとてもとても喜んで、顔を赤らめていた・・・。
・・・↑というような気がした・・・
そう、一人で自己満足にひたれるところも、花束をプレゼントすることの素晴らしいところである。