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西欧形式ディナーパーティ

ご存知のとおり、西欧社会では、自宅で人をもてなすということが頻繁に行われる。日本ではナンノカンノ理屈をつけて「飲み会」なるものが開かれるが、向こうでもナンノカンノ理屈をつけて「ディナーパーティ」なるものが開かれているのである。もちろん、パーティといっても、家庭のダイニングテーブルに座れる人数はおのずと限られている。大人数立食バイキング形式の場合もあるが、より一般的なのは、4~8人ぐらいがひとつのテーブルを囲んでわりと親密に会話をしようとする、パーティである。小規模形式、親密濃厚空間、礼儀作法結構重要、品目結構少数然熱烈美食、目的即相互理解促進也的、宴席である。
ボクは、長い間北米に住んでいたけれど、この手のパーティがあまり得意ではなかった。おそらくこういうパーティでのエチケットというのは、向こうでは成長していく過程で自然に身につくものなんだろうけど、はるか遠いアジアの国からやってきたボクに、そんなのわかるわけないよね。
たとえば、ですね、招かれたからには、何かギフトをもっていくのが礼儀ですよね。しかし、いったい何をもっていけばよいのか、またいくらぐらいのものを持っていけばよいのか、こんな基本的なことすら、よくわからない。やっぱりワインかな、白ワインだと冷やさなきゃならないから赤にしようかな、いやでも、そもそもアルコールを飲まないひとたちだったらどうしようかな・・・などと、いろいろと考えてしまうわけですね。それから、ディナーでの会話。これについていくのが、実に大変。こういう席では、みんなよくジョークをいう。本当に、ある意味競い合うように、ジョークを飛ばしあっている。しかし英語に不自由なこちらはジョークなのかどうなのか一言も漏らさないように一生懸命聴いてなければならない。で、みんなが笑うと、あわててとりつくろうに笑う(←だって笑わないと失礼だ思われるでしょ)。この、真剣に聴き耳をたてている自分の顔と、みんなにあわせて一テンポ遅れて笑っている自分の顔の、なんというのか、落差、とでもいうのかな、自分で気付いているんだけど、まあ、なんとも情けない・・・
食事での会話は、いつもジョークやお軽い話ばかりではない。こちらの知的レベルが問われるようなこともよく行われた。たとえば、ある誕生会では、ひとりずつ即興で詩をつくって朗読しよう、ということになっちゃった。詩?・・ポエム?・・即興で?・・嘘でしょ?・・・だよね。それから、よく行われるのは、トースト(乾杯)。ワイングラスをスプーンでちんちんとならし、”I propose a toast to Mr.○○・・・” と言い出すと、みんな黙ってそれを聞く。みんながグラスを上げるとき、乾杯の対象とされている人は飲まないのが、礼儀である。この誰かさんに乾杯は、会話をはさみながらひとまわりおこなわれる。つまり、宴が終了する頃には、みんな一回ずつは乾杯の対象になっている、というわけ。ということは、ボクも一度は誰かのために、ちんちんとならして乾杯の音頭を取らなければならないわけ、です。パーティに同席している人でも、よく知らない人ももちろんいるから、あまり最後まで、この音頭とりしないでいると、その日まであったことのない相手のために乾杯の辞をのべなければならない状況に追い込まれることになる。むこうの人たちのすごいのは、それでも、なにかでっち上げるところなんだよね。なるほどそういう風にするのか、うまいもんだなあ、と感心してしまうように辻褄をあわせた祝辞を、みんなでっちあげている。
ボクは、パーティに招かれると、人がやりだす前に、いつも自分から、ちんちんをやるようになった。「ええ、みなさん、今日のこの素晴らしいディナーを作ってくださったシェフ○○さんに乾杯しましょう」。最初に乾杯の音頭をとれば、パーティを開いてくれたホストに対してすればいいので、簡単だからね。