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道路標識の謎

最近ずっと考えている問題に、道路標識の矛盾がある。
きっと同じような例は日本にもあると思うが、具体的にボクの頭を悩ましているのは、今年の夏バンクーバーでみた、二つの標識である。
それは、
1)月曜日から金曜日の3-6時まで、ここには駐停車してはいけない
という標識と
2)月曜日から金曜日、ここには2時間まで駐車してよい
という標識である。
道路標識とは法律の一種である。ということは、これは法律には二つの異なった方向性をもつものがあることを示唆している。ひとつは1)のようなネガティヴな法、つまりなにかを禁止している法であり、もうひとつは2)のようななにかを許可しているポジティヴな法である。
この辺までは、まあ当たり前の話かもしれない。
さて、実際にバンクーバーへ行ってみるとわかるが、この二つの標識は、ときどき隣り合わせに張られている。すると、どうしても一瞬頭が混乱する。これはどういう意味なんだろうか、と。あれ、いまここに車をとめてもいいのかな、と。
もし2)だけであれば、たとえば水曜日の4時にそこに駐車しても、罰金をとられることはない。もちろん4時から2時間以上駐車したら罰金をとられるが、2時間を越えなければ問題はないはずである。しかし、2)と1)の標識が両方あったら、これは4時に駐車してもよい、ということにはならない。おかしいことに、2)を字義通り解釈すれば4時にとめてもよいことになっているから、それをたてにとめてもいいではないかという議論もできそうな気がするが、そのような解釈にもとづいて駐車したらたちまち罰金を払わなければならないことになる。
これは、どういうことなのだろうか。ポジティヴな法とネガティヴな法があったら、かならずネガティヴな法の方が優越する、ということなのだろうか。これも興味ある問題だが、ボクにはもうひとつ重要なメッセージがこの先にあるように思えてならない。
それは、ネガティヴな法とポジティヴな法というのは、人間社会の基本的な見方として対抗関係にあるということである。ネガティヴな法というのは、3-6時以外であれば、何時間でもとめてよい、ということを意味する。ということは、一見とても規制的にみえるが、それはわれわれにより多くの裁量を与えるような見方を提供している。これに対して、ポジティヴな法というのは、2時間はとめられますというように、一見われわれに対して多くの特権を与えているかのように見えるが、それは逆に「2時間しかとめられない」ということをいっているのであるから、より規制的で、小さな裁量しか与えていない見方に立っているように思える。つまり、法が前提として考えている人間社会のあり方について、ネガティヴな法の書き方のほうが、われわれの自由をより大きくとらえる見方になっているのではないかと思うのである。
ご存知のとおり、現行の日本の憲法には、次のように書いてある。
第十九条【思想及び良心の自由】
 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
第二十条【信教の自由、国の宗教活動の禁止】
 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。
なぜ、19条はネガティヴに、そして20条はポジティヴに書かれているのか、謎はますます深まるのである。