フォーマルディナー
先日、ある方のお宅へ、フォーマルディナーに招待された。
フォーマルディナーなるものは、それ以外のふつうのディナーから明確に区別される。なぜなら、フォーマルな行事というのはさまざまなプロトコールによって成立しており、列席するものはそれらのプロトコールに従うことが期待されているからである。
たとえば、結婚式はフォーマルなイベントである。なぜなら、まず、このイベントのために特別に刷られた招待状がある。また結婚式では、会場に着くと同席者のリストが手渡される。リストには、社会的地位を格付けする肩書きが記されており、その地位にふさわしいように、席次やスピーチの順番が決められ、イベントが進行していく。
さて、先日のフォーマルディナーの主賓は、外国からのあるお客様であった。で、なぜボクが招かれたかというと、ボクはいちおう世間的には「現代日本政治の専門家」ということになっており、しかも英語に不自由しないことが知られているからである。そこで、そのディナーの席では、ボクはその主賓の方に、最近の日本政治について思うことをいろいろとお話することが期待されていたわけである。
時間通りに招待状を片手にお宅に伺うと、まずリビングルームに通された。飲み物を勧められたが、ボクはここでアルコールを断り、ジンジャーエールをたのむことにする。はじめから飲みすぎないよう、ここは慎重になる。そして、会話にさりげなく加わりながらも、頭をフル回転させ、その夜自分が置かれた状況を把握することにつとめる。そこには、ボクのほかにもうひとり、ボクより年配の日本政治の専門家の方が同席していた。ということは、自分ばかりぺらぺら喋るわけにはいけない。ボクはあくまで若手、プロトコール的には「2番手」なのだ、ということをしっかりと了解する。
いよいよダイニングルームに移り、食事がはじまる。会話も、だんだんと佳境へと入ってきた。ホストは、プロトコールに従い、まずその先輩先生の方に話を振る。期待通りの展開だ。その先生がお話になっている間に、ボクは目の前の皿にでている料理を急いで平らげる。これも作戦通り。自分の喋る番になった時、食べながら話すというわけにはいかないからである。そして、自分の番になったら、先輩先生の意見を立てながら、手短に自分の考えを述べる。これを、フルコースのメニューに従って、何度も繰り返す。メインに出てきたステーキは、ゆっくりと噛んでいる暇などなく、丸呑みするぐらいであったが、おかげでピタリとタイミングよくディナーを終えることができた。フォーマルディナーは、けっこう忙しいものなのである。
最近読んだある本によると、アメリカの第3代大統領トーマス・ジェファーソンは、ディナーパーティを開くことがとても上手だった。パーティでの会話から情報を得て、同士との連携を強めたり、支持を広げたり、政敵の弱みをつかんだりしたそうである。彼は、招待状を出すとき、「大統領」という肩書きを使わず、ただ「Th. Jefferson」とだけ記した。フェデラリスト党に対抗して、自分は人民によって選ばれたのだということをさりげなく(いや、あからさまに、か?)誇示しようとするのが目的だったのだそうである。