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コーヒー文化について

飛行機の中での食事のあと、コーヒーにしますか、ティーにしますか、ときかれる。それでふと思ったのだけれど、この選択をわれわれは一生のうちでいったい何度行っているんだろうね。世の中には、強情頑固なコーヒー党、純粋一途な紅茶派という方々もおられる。しかし、いたって優柔不断なボクは、両方好きだし、その時々の気分によって選ぶことになる。それどころか、ボクは、その時々の気分によって、コーヒーに砂糖やクリームを入れるときもあるし、まったく入れないときもある。紅茶だって、ミルクで飲むときもあるし、レモンのときもある。最近はハーブ系も好きだし・・・という具合に、ま、要するに、ここら辺のことについては、あんまりポリシーがないのですね。
ところで、コーヒーとティーとは、やっぱりどうも永遠のライバルらしい。ま、単純化していうと、昔からあるのがティー、コーヒーはそれに挑戦する新参者という構図である。それゆえ、各国のコーヒー文化の発達には、いろいろと歴史があって面白い(ということが、このたび機内でみたドキュメンタリーでよくわかった)。
たとえば、イギリスでは、昔から紅茶をよく飲むが、18世紀初頭に一時期爆発的にコーヒーが流行ったときがあった。当時は、政治家ご用達のカフェ、証券マンご用達のカフェなどというように職業別にカフェが流行っていた。中には、海運関係の方々のカフェなどもあって、そこで航海の安全についての情報が交換されていたことからあのロイズという有名な保険会社が生まれたらしい。さて、このように一時期流行っていたコーヒー文化がなぜ持続しなかったかというと、ロンドンの女性たちがコーヒーをよく思わなかったからなのだそうだ。なぜか。昔のカフェには売春婦たちがたむろしていて、カフェに通う男性たちは家に帰るとなかなか奥さんを満足させることができなかった。しかるに、イギリスの女性の間では、「コーヒーは性力を減退する」ということが信じられるようになっちゃった。実際、当時の女性たちは、多くの署名を集めてコーヒー輸入に反対アピールまでしている。イギリスでティー文化が繁栄した裏には、もちろん東インド会社が茶の取引を独占し莫大な利益をあげていたという事情もあるけど、ティーのライバルであるコーヒーに対する一般の人々のあいだの根強い不信感も関係していたらしい。
一方、フランスでは、コーヒーは、ティーだけでなくワインのライバルでもあった。どちらも社交のためのドリンクだけど、ワインと違って酔わなくてすむので、ある時期からみんながこぞってコーヒーを飲むようになっていった。フランス革命は、コーヒー文化の発達がなかったら、起こらなかっただろうとさえいわれている。当時パリのカフェは、政治を語る重要な場だった。きのうあたりのニュースをみていると、きっと、いまでもそうなのだろうと思う。
一般に、ヨーロッパでは、カフェやティーハウスへ行くことの社交的側面がよく理解されている。「カフェに行くのは、人を見るため、そして人から見られるため」といわれる。それに比べると、北米大陸のコーヒー文化は、それはそれで独特である。こちらでは、起きぬけのボサボサ髪やシャワーから出たばっかりのビショビショ頭で、若い人が平気でスタバへ立ち寄る。かく言うボクも、いまイェールのキャンパスをジョギングした帰りに、汗だくのまま、マフィンとコーヒーを買ってしまったもんね。