「ホントかよ」と思ってしまうような、本当にヒドイ話
このブログでは、あんまり悪口を書かないようにしようと思っているのだが、今回はどうしても我慢ができないので、書くことにした。
先日、知人を介して、若いカナダ人を紹介された。このAD氏、日本の文部科学省から奨学金をもらい、日本のある大学院で勉強したことがある、という。ところが、その奨学金の期間は2年だったのにもかかわらず、1年で帰ってきてしまったそうである。いろいろ話をきいてみたら、この奨学金の運用というか運営というか、信じられないくらいヒドイ。
まず、AD氏によると、この奨学金を受けるためには「奨学生に選ばれたことがわかってから2週間のうちに、どこかの大学から受け入れの通知をもらわなければならない」というルールがあるのだそうである。え、たったの2週間?何度聞き返しても、そうだという答えが返ってくる。
しかも、である、受け入れ通知をもらえなければ、奨学金は取り消される、という。日本の「まとも」な大学で「まとも」に入学審査をしている学部や研究科において、2週間で外国人に入学許可を出すところはまずない、と思う。しかも、AD氏によれば、奨学生に選ばれたという知らせをもらうまでは、けっして事前に日本の大学関係者に連絡をとってはいけない、と念をおされたのだそうだ。もしそんなことが本当にあったとすれば、学問の自由が侵害されているのではないかとさえ、思える。
いずれにせよ、この奨学金制度は、「来る者は拒まず」と門戸を開いている日本の一部の大学の一部の学部・研究科にしか、奨学生を行かせないようにしている制度だと思われても仕方がない。学問の自由はともかく、すくなくともこの制度の運用には、研究の内容に応じてベストなマッチングをみつけてあげようなどという学術的配慮は微塵もない。いや、より一般的にいって、日本を訪れようという外国人に対する、尊重の念というか、基本的な礼節も欠落しているように思える。
さらに驚いたのは、実際に日本に着いてからの奨学生たちの実態である。この奨学金を受け取るために、AD氏は月に一度、大学の事務所に顔を出す必要があったという。しかし、それをのぞいては、AD氏には何の義務もなかった。大学に行こうが行くまいが、授業をとろうがとるまいが、研究を進めようがサボろうが、誰も感知しないのだそうである。たしかに、審査をしていったん奨学金を出すと決めたからには、奨学生の側の自主性を尊重するという方針も、理解できないわけではない。しかし、韓国や中国など、日本の近隣から来ている奨学生の中には、母国にそのまま住み続け、月に一度だけ来日して、奨学金を受け取る手続きをすませ、「貯金」することだけに専念していた者が少なからずいた、という。すでに、この奨学金制度については、そういうことをしても誰も何もいわないという暗黙の評判が出来上がっているので、とんでもない慣行がずっと続いているらしい。
AD氏は、この奨学金制度の運用に嫌気がさし、2年の期間をまっとうせず、カナダに帰ってきてしまったのである。ボクは、この話を聴いて、怒るというよりも、とても悲しくなった。この経験を通して、さもなければ日本に関心のあった1人の才能ある外国の若者が結局日本を去る決断をし、現在では日本とまったく関連のないキャリアを歩むことになったわけである。AD氏の関心を引き止められなかったことは、大げさでなく、日本の国益にとって大きな損失だったのであって、こういうことを積み重ねているうちは、日本はいつまでたっても国際社会に確固たる地位を築けない。
最後にAD氏はこう付け加えた。この奨学金のルールは毎年のように変更されるので、もしかしたら現在は、自分が経験した時と異なった運用がなされているかもしれない、と。AD氏は、日本人であるボクに、日本の制度の悪口をさんざんいったので、最後にさらりと礼節ある大人の発言をしたわけである。ボクとしては、AD氏の言を待つまでもなく、奨学金をめぐる状況が大幅に改善されつつあることを、強く願うばかりである。