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「Flawless」における自由

カナダからの帰りの飛行機の中、あまり勉強する気になれなかったので、3本も映画をたて続けにみてしまった。1本目は、ロバート・ダウニー主演「アイアンマン」。これはもうすぐ日本で公開のようですね。アクションもので神経を高ぶらせた後は、ダイアン・レインとジョン・クーザックの「理想の恋人.Com」。ダイアン・レインは、その前の「トスカーナの休日」の時もそう感じましたが、本当に美しく齢を重ねている女性だと思う。ボク、こういうラブコメ、大好きです。「ありえないよな」って展開ばかりが続くのですが、そこが浮世を忘れさせてくれてよい。さて、それで、すっかりマッタリしたあと、いよいよ3本目Flawlessの上映となった。
うーん、これはよかった。ボクはあんまり映画を見る人ではないので、友人などから「最近面白い映画みた?」ときかれると、いつも答えに窮するのであるが、ここしばらくはこのFlawlessをみんなに薦めようと思う。といっても、これは日本で公開されたんでしょうかね?
主演は、デミ・ムーアとマイケル・ケイン。舞台は40年ほど前のロンドンで、二人が共謀して、というか協力して、当時世界のダイアモンド市場を牛耳っていた会社からダイアモンドを盗むという話しである。魅力的な女性と年老いた男の泥棒コンビなので、どこかで、キャサリン・エタ・ジョーンズとショーン・コネリーの「エントラップメント」を違うバージョンで見ているような感じもしていた。しかし、こちらはプロの泥棒ではなく、中年にさしかかったキャリアウーマンとよぼよぼの清掃夫という、二人とも素人の設定である。過激なアクションもまったくないし、二人の間に愛情が芽生えることもない。それぞれ会社に対する恨みを晴らすという共通の目的が、一時的に二人をつなぐことになる。
この映画の冒頭は、年老いた女性に、チャラチャラした若い女性ジャーナリストがインタヴューするというシーンからはじまる。この年老いた女性がデミ・ムーアなのだが、こういうように、現在から過去を回想するという設定ではじまる映画というのは、ボクはあんまり好きではない。しかし、あとで考えたらこれがよく効いているな、と思った。話しを全部聞き終わった後、つまり回想の過程に相当する映画の大部分が終わった後、このチャラチャラ女のあっけに取られた表情がアップで映り、過去から現在へと聴衆は引き戻される。そのときのギャップが素晴らしい。で、もう一度デミ・ムーアの表情にカメラが行く。その表情からは、いろんなメッセージが読み取れる。別にそうはいっていないのだが、ムーアは「あんたみたいなチャラチャラ人生からでは想像もつかないことを、私はしちゃったの」というよう言っているようにも見えるし、「キャリアウーマンとしてやっていくことが今と昔ではぜんぜん違ったんだから」といっているようにも見える。
しかし、それ以上に、ここには自由なるものの概念についての深い洞察がある。ムーアは「盗みに成功したことによって、この40年間自由でなかった」というのであるが、その言葉をチャラチャラ女は「刑務所に入っていたの?」と最初勘違いをする。しかし、そうではないのである。ムーアの最後の告白には、チャラチャラ女が自分の存在自体で体現しちゃっているような「自由」とはまったく異なる、もうひとつの「自由」の概念が、ポトリと描かれている。映画のタイトルであるflawlessとは、非の打ち所のない成功によっても手に入れることができない自由というものが、人生にはあるのだということを暗示しているのである。