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リアリストの独り言

今日の日米関係を考える上での大前提は、日本とアメリカは、これまで保たれてきた東アジアの安定から多大な恩恵を受けてきたこと、そして今後もそのような安定が維持されることにおいて利害を共有している、という認識である。この意味で、日米両国はこの地域の秩序について「現状維持」を好むプレイヤーである。これに対して、今の秩序が変わった方がよいと考える「挑戦国」プレイヤーとして、中国が台頭しているという根本的な構図がある。

ちなみに、北朝鮮もこれまでずっと現状維持プレイヤーであり、それはその最大の目的が(公的に掲げられている南北統一ではなく)自国の体制維持におかれているからである。核実験を繰り返すようになった北朝鮮はいまや挑戦国になったのではないかという解釈も成り立たつが、体制存続が未だに北朝鮮にとってもっとも重要な目標であることに、基本的に変わりはない。

韓国が、すくなくとも日本との関係において、現状維持ではなく現状を変える方向に舵を切ったこと、そしてその理由が韓国における民主主義の成熟であることは、浅羽祐樹氏や木村幹氏らがいう通りである(『徹底検証韓国論の通説・俗説』)。

リアリズムは、理想主義と真っ向から対立し、基本的に保守的バイアスを持つことはいうまでもない。しかし、それは保守主義と同義であるわけでも、けっしてない。だから、リアリズムは、たとえば日本が核武装をすべきでないと頭ごなしに主張する理想主義を排する一方で、北方領土の4島一括返還の可能性について正しく判断することができなければならない。

「理想主義的リアリスト」なるものは、定義矛盾であるから、そもそも存在しない。むずかしいのは、保守主義とリアリズムとのバランスを取ること、保守主義的価値を標榜しながらリアリストであり続けることの方である。

リアリズムは、尖閣というひとつの小さな島をめぐり、日本と中国が戦争を起こすことは馬鹿げていると考える。一方、いまここで中国の挑発的な行動にきちんと対峙しておかないと、いずれは沖縄や奄美に対しても中国は領土的支配を目指すのではないかと想定するのも、リアリズムである。問題は、この二つの(正しい)論点を結んでくれるような壮大なリアリズムの構想が、いまの日本に欠落しているという点にある。