兎と亀の政治学的会話(解散・衆院選②):争点、争点って、うるさすぎ
兎:今回の選挙についてのメディア報道をみていると、争点、争点って、うるさいよね・・・。
亀:ああ、君もそう思うかい? まったく同意見。
兎:大学時代に、政治過程論とか政治行動論っていう授業をとったけど、有権者がどのように投票先を決めるかっていう話は、もっと複雑だよね。
亀:いや、ホント。有権者が何らかの政策を争点にして投票するなんていうのは、ひとつの考え方、ワンオブゼムの理論にすぎない。それなのに、「争点は何か」みたいな特集をすること自体、あんたたち、選挙ってものを、あるいは有権者の投票行動っていうものを、わかってんのか、っていいたくなる。
兎:争点以外にも、候補者のイメージとか、業績評価とか、あるいは政党支持とか、有権者の投票を決定する要因については、いろいろ考えられるわけだよね。
亀:それに加えて、どの争点で「投票するのか」という「である論」レベルの話と、どの争点で「投票すべきか」という「ベキ論」とが混同されて、報道されている。こういう報道を平気でするメディアの人たち、勉強不足もいいところじゃないかね。
兎:今日の夜のNHKの番組では、どこかの部のデスクとかいう偉そうな人が、外交が今回の選挙の争点になるかのような話をしていた。
亀:へええ。それは、その人の個人的な見解というか、個人的な願望ってことなら許されるが、何を根拠にそんなことが言えるのかな。そういう報道ぶりをみると、どこの局のどの人が政治学の基本的知識をもっていて、どの人はテキトーにしゃべっているかって、一目瞭然にわかっちゃうな。
兎:だいたい争点投票っていうのは、ものすごく高いハードルを有権者に設定しているわけだよね。
亀:そう。有権者は、まず政策そのものについての知識をある程度もっている、ということが前提になる。それから、それぞれの政党がその政策争点についてどのような立場をとっているかという情報をもっていることも、必要となる。これは、今回の選挙のように10何党もが乱立している状況では、とっても難しい要件だな。そして、自分自身がその政策についてどう考えるかという自己認識も、もちろんなければならない。
兎:争点投票というのは、その3つの要素を組み合わせて投票先を決めるというメカニズムだよね。それは、たとえばこっちの候補者の方がハンサムだとか、あの党は信頼できる、という候補者イメージや政党支持で投票を決めるというメカニズムよりも、はるかに高度で洗練された行動が要求されているわけだ。
亀:いつも早稲田のちょいわるオヤジさんがいっていることだが、民主主義のもとで有権者ができることというのは、一票を投じるという、非常に限られたことでしかない。で、その虎の子の一票にはいろいろなことが託されている。
兎:政策争点を見極めるということもあれば、政権枠組みを選ぶということもある。
亀:あるいは、世襲議員はいやだなと思う人のように、一票を投じることで日本の民主主義の質を向上させたいと考えている人もいる。
兎:あるいは、憲法改正の是非を問いたいと思っている有権者は、日本の政治体制そのものの変革をこの一票に託しているといえるかもしれない
亀:そうそう、つまり、有権者は、それぞれいろいろな思いで、一票を投じるわけだ。
兎:だから、そのようなとっても貴重な、さまざまな可能性をもった投票という行為を、あたかも、すべての有権者がなんらかの争点について投票している、あるいは投票しなければならない、かのような前提で捉えること自体、壮大な誤解に基づいているとしかいえないね。
亀:そう、そして、いまの報道のあり方は、まさにそのような壮大な誤解にもとづいて、次から次へと番組が制作されているって感じがする。