世界は狭いか
ボクが最近興味をもっているのは、アメリカの独立前後の歴史であるが、この前ある本を読んでいて、いろいろ面白いことを知った。たとえば、アメリカの司法権の独立を確立した判決で知られる最高裁判所長官ジョン・マーシャル。この方は、トーマス・ジェファーソンの従兄弟にあたるのだそうである。ジェファーソンは、ご存知の通り、アメリカの第3代大統領であるが、ジェファーソンは、ワシントン、アダムスと続いてきた連邦党政権にかわって、はじめて共和党から大統領となった。しかし、一方のマーシャルは、連邦党の側の政治家で、躍進する共和党の政治的主張をにがにがしく思っていた。そのマーシャルが、(最高裁判所長官の役目として)ジェファーソンの大統領就任式を執り行わなければならなかったのは、なんとも皮肉なめぐり合わせであった。
また、ジェファーソンと大統領の座を争ったアーロン・バーという政治家。この二人のあいだで大統領指名をめぐって繰り広げられた政治プロセスは、それ自体、実に興味深い。で、結局、バーはジェファーソンの副大統領となる。しかし、その後の話はもっと面白くて、彼は酒場で決闘をすることになるのである。この決闘の相手が、なんとアレキサンダー・ハミルトン。ハミルトンはアダムスの後継として連邦党を盛り立てていかなければならない人物であったのに、バーはこの決闘でハミルトンに致命傷を負わせてしまうのである。当時の決闘のしきたりでは、一発目は空にむけて打つことが決められていた。銃の名手であったハミルトンはそれに従って打ったのであるが、バーは銃の扱いが下手で、狙いもしないのに一発目でハミルトンの心臓を打ってしまった。ハミルトンが死に、連邦党はついに命運が尽きることになる。そもそも、バーは、大統領の座をジェファーソンと争ったとき、連邦党の側に担がれていた人物である。そのバーが、連邦党の将来を託されていたハミルトンを殺してしまったのである。これも、なんとも皮肉なことであった。
こういう事実関係をいろいろ知ると、当時は誰もが誰もを知っていた、そういう時代だったんだな、と思えてくる。そういえば、日本でも、明治維新の前後に活躍した人たちも、ネットワークでつながっていた。吉田松陰の松下村塾人脈はもちろんのことだが、それ以外にも、たとえば道場つながりというのがあった。たとえば、それぞれが有力な人物となるはるか以前に、桂小五郎と坂本龍馬がどこかで一度手合わせをしたという話をきいたことがある。人的なつながりがいろいろな形で張り巡らされていたことが、革命を実現する大きな原動力になったことは間違いないのである。
しかし、このように狭い世界の中でいろいろなことが決まっていくのは、あながち遠い昔の話だけではない。というのも、ボクは、日本の若手エリートの集まりのような会合とかパーティに、一時期顔を出していたことがある。○○省で活躍されている方、将来が約束されている××社の御曹司、テレビで見たことのある新進政治家、そしてそうした人たちのネットワークをつくっている黒子のようなマスメディア関係の人・・・。で、そういうところにいると、こういうところに集まる人々が話し合う中から、日本という国家の大きな流れが、決められているんだな、と実感した覚えがある。
やはり、世界は狭いのではないか。その「世界」に入れないというかなじめない人間には、ちょっと苦々しいけど、そんな感じがするのである。