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ザ・ディベート

仙台出張を日帰りにして、一生懸命早く家に帰り、オバマとマッケインのディベートを見た。いやー、便利な世の中になったもんだ。きっとどこかにあるだろうと思って探したら、ちゃんとBBCのサイトに、最初から最後まで約1時間半をそっくり映してくれるのが早くもアップされていた。それを夜の1時ぐらいまでかけてみた。ディベートの会場は、ミシシッピ州のある大学。かつて黒人だと、通うことのできなかった大学である。
さて、ボクの印象では、マッケインが勝ったんじゃないかと思った。マッケインはオバマの方を見ないで、司会者ばかり見てしゃべっていた。自分を格上にみせる演出を意識的にしているのではないかと思った。またマッケインは「オバマ上院議員はどうも理解されてないようだが・・・」というフレーズを繰り返していた。それも、ボディーブローのように、有権者に響いていくのではないか、と思った。
ところが、今日Podcastで、ディベートを分析しているいろいろな番組を見ていたら、どうも若干の差でオバマが勝ったという評価がアメリカでは一般的らしいことがわかった。ABCのGeorge Stephanopoulos(クリントン政権の時の報道官)は、項目ごとに細かく採点票をつけていて、たとえばボクが有利だと思ったマッケインの目線を、むしろ「カメラや一般有権者に向かってしゃべっていない印象を与えた」とネガティヴに評価していた。また、どこの放送局の分析だったか忘れたが、オバマが「切り返せるところを切り返さないで自重した」ことを重視していた人もいた。たとえば、マッケインがオバマに対し「あなたは富裕層をどう定義するのか」と聞いた場面。これは、マッケインがオバマの定義のあいまいさをつくつもりで発した言葉であった。これに対して、オバマは「いくつも家をもち、何台も車をもつあなたのような人だ」と、マッケインのイメージをそのまま使って反論できたのに、それをしなかった、というのである。また、たとえばマッケインがオバマに対し「あなたは外交の経験がないようだ」と批判した場面。これに対してオバマは「じゃあ、あなたの選んだ副大統領候補はどうなんだ」と言い返せたのに、それをしなかった、と。なるほどなあ、と思った。
こうした専門家による分析報道をみていて、考えさせられた。政治というのは駆引きであって、政治を観察している人たちはそれが駆引きであるということを知っていながら見ているのである。もっとも、駆引きであることはわかっても、正確にどういう駆引きが起こっているかはわからないときもある。上の場合、オバマは「反論しなかった」という戦略をとった。一見それはオバマにとってマイナス材料のようにもみえるが、もし「反論できるのにしなかった」ということが誰もが知っているような共有知識として確立していたのならば、それはオバマにとってプラス材料に転じる。「オバマっていう人は、汚い口論をしない人なんだ、ということは、彼が論争的になるときはきっと大事な問題だからにちがいない・・・」というようなポジティヴな評価につながっていくからである。
要するに、有権者をなめてはいけない、ということなのである。マッケインが「あなたには経験も知識もないようだが・・・」というとき、そこには「じゃあ、あんたの副大領候補は何なのよ」と切り返している数千万人の有権者がいるのである。そして有権者たちは、それぞれの政治家が、そうした(有権者の)無言の反応に気付くか、気付かないかを冷静にみきわめようとしている。すくなくともオバマはそれに気付いているからこそ、自重戦略を選んだのである。
別に、ひるがえって日本の政治がどうこう、というつもりはない。ただ、今回の自民党総裁選は、その意味では面白い分析材料を提供してくれる。どう考えても、有権者の多くは、この総裁選は最初から出来レースで、真剣勝負だったとは思っていない。ということは、自民党は「有権者が出来レースであることを知っている」ことを知りながら、総裁選をするという戦略をとったことになるが、それはなぜなのであろうか。それとも、まさか「有権者が出来レースであることを知らない」とでも思ったのか。まさか。