マンハッタン・トランスファーと青二才の人生論
先週、東京青山のブルーノートにマンハッタン・トランスファーを聴きに行った。ちょっとさすがに年取っちゃったかな、という感じの4人ではあったが、それでも持ち前のエンターテイメント精神を発揮し、最初から最後まで息をつかせることなく聴衆を楽しませてくれた。ボクの好きなYou can depend on meやBirdlandといった初期の曲目も歌ってくれて、感激した。
さて、その夜は、リーダーのティム・ハウザーが、いまレコーディング中だというソロアルバムから、一曲披露した。正直言うと、ボクは、あんまりその歌自体には感動しなかった。ただ、その紹介として彼が語った話がとても印象に残った。
彼によると、この曲(というかそのソロアルバム全体)は、もともと、数年前、日本に来たときにインスパイアーされたのだ、という。六本木ヒルズができる前、「WAVE」というレコード店があり、そこをぶらついていたら、知らないヴォーカルの曲が店内でかかっていた。プロである自分が、その声が誰だかわからないのが我慢できず、彼は店員に誰が歌っているのかと尋ねた。すると店員は、「ミルト・ジャクソン」と答えた。「ミルト・ジャクソン?あのMJQのミルト・ジャクソン?彼がヴォーカルとして歌うわけないだろう?」といったら、その店員がCDのジャケットを持ってきて、そのタイトルがなんと「Milt Sings・・・」というものであった。で、ティム・ハウザーは、そのCDを買って帰って、この偉大なビブラフォン奏者の音楽性と人間性を再認識し、それが彼の新しいソロCDの出発点になった・・・、というような話であった。
ボクは、なぜこの話が自分の中で印象に残ったのかなと考えていたが、きっとこういうことなのではないかと思うにいたった。つまり、この話は、プロの(しかもティム・ハウザーのような超一流の)音楽家でも知らないCDが世の中には出回っているという事実を物語っている。偶然そのときそのレコード店に居合わせなければ、もしかすると彼は一生、このCDの存在すら知らなかったかもしれない。それは、裏返せば、この世の中には良いCD、良い音楽が無尽蔵に存在するということである。ボクらはいかに長生きしても、一生のうち、そうした素晴らしい音楽の、ほんの一部分しか堪能することができない。これは、考えてみれば、きわめて悲しい現実ではないか。そして、もちろん、これは音楽に限った話ではない。この世の中には、よい絵画、心を打つ小説、美しい自然、素敵な人、美味しい料理・・・などなど、素晴らしいものが限りなく存在する。ボクらの人生は、そのホンの氷山の一角をなめるような経験に過ぎないのである。きっとそういうことを暗示する話だったので、印象に残ったのではないかと思う。
で、問題は、この先である。この話から、どのような人生の教訓を引くべきなのか。実は、ボクにはよくわからない。氷山の一角だから、いまある自分、これまで自分がすることができた経験を一期一会として、貴重なものと思い知るべきなのか。それとも、氷山の一角だから、いまある自分、これまで自分がすることができた経験をとりたてて特別なことと考えてはならないと思い知るべきなのか。とっくに不惑の歳を過ぎているが、何を隠そう、ボクは、人生のこうした基本的な姿勢さえ固められない、青二才なのである。