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朴大統領の反応について

最近行われた日米韓の首脳会談の記者会見の席で、安倍首相が韓国語で話しかけたのに朴大統領がそっけなかった、ということが話題になっている。で、このことについて「いや実はそっけなかったのは、テレビに映っているときだけで、会談の時は握手もしたし、笑顔だった」ことが明らかにされている。そして、このことから、もっぱらメディアでは「だから、朴大統領の反応は国内向けのものであった。日本に対し妥協したことを見せると政治的コストが大きいからそうしたのだろう」というような解釈が引かれている。
ボクは、こうした分析は、間違っている、というか、一歩足りない、と思う。
まず、朴大統領の行動が単純に韓国国内での政治的コストを考えた上での行動であったのなら、(カメラの入った)会見の時であろうと、(カメラの入らない)会談の時であろうと、ずっとそっけない態度を貫く必要があったはずである。(上記の報道がまさにそうであるが)、朴大統領が外向きの顔と内向きの顔とを使い分けていたという情報がもれてしまえば、韓国国内の対日強硬派は「なんだ、やっぱり朴大統領は妥協したのか」と反発するにちがいないからである。ボクには、そうした対日強硬派が、テレビの画面に映っている時だけ建前的にそっけない対応をしていてくれればよい、などと考えているようには思えない。
さて、ということは、どういうことか。ここには、二つの可能性しかない。第一の可能性は、朴大統領が、会見時の厳しい顔と会談時の穏やかな顔とを使い分けるという情報が外にもれるとは、よもや思っていなかった、という可能性である。もしそうした情報統制がうまくいく(と信じていた)のであれば、表向きにそっけない顔をすることで、彼女は政治的コストを免れる(と信じていた)ことになろう。しかし、実際は、この二つの顔の使い分け自体がニュースになってしまったわけであるから、この情報統制はみごとに失敗した、といわなければならない。ということは、この第一の可能性を論理的につきつめると、朴大統領はそのような情報統制ができるという錯覚に陥った、つまり彼女が判断ミスをした、ということでなければならないことになる。ま、そういうこともありうるかもしれないけれども、ボクには朴大統領(および彼女のまわりにいるスタッフ)が、それほどナイーブだったとは思えない。
第二の可能性は、第一の可能性とはまったく逆に、二つの顔を使い分けるということ自体がニュースになることをあらかじめ十分承知の上で朴大統領はそのような対応をした、という可能性である。こちらのシナリオが正しいとすれば、朴大統領は、たとえ二つの顔の使い分けがばれて国内的に反感を買うようなことがあっても、それを甘受する用意があったということになる。国家と国家の外交においては、このような表の顔と裏の顔を使い分けることはよくあることである。だから、彼女は、むしろあからさまにその使い分けをみせることによってあるシグナルを送っていたと考えることができる。そして、ここが最も重要な点であるが、その送ろうとした相手は、けっして(上記のメディア解釈が示唆するように)韓国国内の対日強硬派だったのではなく、日本だったと考えるべきなのである。
そのシグナルの意味するところが何なのかは、この首脳会談に至る水面下の交渉が不断に行われているわけであるから、このひとつの事例だけからでは正確には判断しようがない。ただ、それが「私だって対日関係を改善したいのよ。(だけれども、国内の強硬派が簡単にそうはさせてくれないのよ。)」という、いってみれば自国の内情の率直な告白であった可能性は十分にあると、ボクには思えるのである。