政治寸評
“A politician's words reveal less about what he thinks about his subject than what he thinks about his audience” (George Will)
まず東国原さんと古賀さんとの会談について。「出馬依頼」が目的なら電話ですれば済むこと。にもかかわらず、二人が仰々しくまた公然と会談を設定したということは、その会談をテレビに映されることがどちらにとっても利のあることと判断したからにほかならない。もちろん会談中に、会談の後お互い何をぶらさがりや記者会見で話すかについては、合意ができていたはず。だから、会談について東国原さんがテレビカメラを前にしていったことを、古賀さんはあらかじめ知っていたし了解していたはず。古賀さんは、この爆弾発言が何らかのポジティヴな効果をもたらすと確信していた。さて、ではその効果とはいったい何だったのか。これを考えはじめると、かなり面白い。いま古賀さんは「浅はかだった」と反省しているが・・・。
サミットを終えた後での麻生さんの記者会見。質問しているイタリア人記者が流暢に話す日本語を、麻生さんが褒めていた。そのようなお世辞をあの場でいうことがプロフェッショナルでないし、失礼に当たるということを、麻生さんはわかってないようであった。軽いジョークのつもりだったのかもしれないが、そうだとすれば大失敗。しかし、まてよ、麻生さんは、自分自身の日本語がおかしいということを自覚して、自虐ネタとしていったのかもしれない。もしそうだとすれば、これは結構手の込んだジョークだということになる。いやしかし、記者の方はそうは受け取ってなかったようだから、いずれにしてもこれは失敗だな。さて、その会見の中で、麻生さんは、インドの「大統領」とカナダの「大統領」に言及していた。あー、やってしまった。やっぱりなあ、やれやれ。「外交の麻生」なんて、誰が言ったのか・・・。
橋下さんが、「知事会」で政党支持を打ち出そうとしたことについて。これはおかしい。橋下さんを含め知事のみなさんだって、国政をあずかっていらっしゃる政治家とまったく同じに、ひとりひとり、選挙で選ばれていま公職にある方々である。その選挙で選ばれた時点で、有権者に「自分は○○党を支持する」といっていたのか。そうしていたならともかく、そうでないなら、いまさら政党支持を打ち出すのは自分たち自身の公約に違反しているのではないか。そういう人が、マニフェストの重要性を訴えるなどというのは、論理的に矛盾している。
オバマ大統領が、ガーナを訪問し、奴隷貿易の遺跡を訪れた。どうしても自分の子供たちに、黒人たちが乗り越えてきた歴史の重みを感じて欲しいからと、サーシャとマリアも連れて。冒頭引用したジョージ・ウィルは、「政治家の言葉」といっているが、実は「政治家の一挙一動」も、見ている観客に何かを伝えているのである。