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ビル・クリントンの失敗論

出張帰りの飛行機の中で、ビル・クリントンについてのドキュメンタリーを見た。生後6ヶ月にして、父親を交通事故で亡くしたこと。高校時代、家庭内で母に対して義父が暴力をふるうという問題を抱えていたが、そんな問題を他人の前では完璧に押し殺し、学業からスポーツから学級委員にいたるまで賞を総なめにして卒業したこと。エール大学のロースクールでヒラリーに会った頃から、すでに政治家を目指し、授業などどうでもよく、人脈をつくることに長けていたこと。驚異的な体力にまかせて、ライバルよりも何倍も有権者と実際に握手をし対話をすることによって、政治家としての名が知られるようになっていったこと、などが印象に残った。
クリントンを全国的に有名にしたのは、1988年の民主党大会での、マイケル・デュカカス候補へのノミネーションスピーチであった。そのとき、彼はあまりに長くしゃべったので、会場でさんざんな評判であった。その場面も映像で紹介されていたが、疑い深いボクなんかは、それもしたたかな計算の上だったのではないか、という気がした。
しかし、どうやら、そうではないらしい。というのは、彼は、そのスピーチの失敗を取り戻すべく、すぐに次の一手にうってでたからである。その策とは、なんと、人気バラエティー番組Tonight Showに出演すること。当時のホスト、ジョニー・カーソンは、それまで決して政治家を自分の番組に出演させたことがなかった。しかし、政治家としてでなく、サックス奏者として出演させてくれというクリントン側のリクエストを、カーソンは結局受け入れた。クリントンが登場し席につくと、カーソンは机の下から砂時計を取り出し、「一体、今日はどのくらいしゃべるんだ?」と訊く。会場が爆笑に包まれる。こうして、この夜、クリントンは、見事に失敗を成功へと変えてしまった。ジョークの通じる若い政治家として、サックスを吹く新しいタイプの政治家として、彼の名前は全国に知れ渡ることになったのである。
クリントンは、「2度目のチャンスは、2度しか与えられないのではなく、それは失敗の数だけ与えられる」という信念を、まさに自分の人生として体現してきたような人である。これに対しては、とんでもない、という保守派からの反対が当然あるであろう。何度も失敗を重ねている人に、いつまでも甘い顔をするのはよくない、と。しかし、クリントンの凄さは、自分の失敗を失敗と、ちゃんと正しく認識する能力にある。
それを、彼はどこで学んだか。まだ若い1期目のアーカンソー州知事であったとき、彼は州の政治をなにもかも変えようとして、失敗し、人気が急落する。再選を目指そうとするも、いとも簡単に落選。しかし、それからしばらくして、知事として返り咲いたときには、クリントンは、誰もが批判しようもない教育問題の改革に特化して取り組み、大成功をおさめる。何がすべての問題に通じる根源的な問題なのかを見極め、それを軸にして戦略を立て直したことによって、彼は優れた州知事としての地位と名声を築き、大統領選挙へとでていく政治的素地を固めたのである。
失敗から何かを学ぶためには、そして失敗を成功へと転化させるためには、まず自分の失敗を失敗として認めることが、必要である。人々は、失敗から学ぼうとする謙虚な者を受け入れ、応援したいと思うものである。すくなくとも、2度目の失敗ぐらいまでは。
政権交代後の民主党の人気が急落したのも、またかつて政権党であった自民党の支持率が回復しないのも、どちらも、失敗を失敗と認め、自らの失敗から学ぼうという姿勢が伝わってこないからなのである。