« lululemonのバックパック | メイン | リユニオン »

魅力ある人びと

久々に、先輩Mさんと、お気に入りの焼き鳥屋さんに行った。
このところ、Mさんと会うときは、この焼き鳥屋さんで、というのがパターン化している。
場所は、代々木上原。
ご承知の通り、代々木上原には落ち着いたオシャレな店がいくつもある。その中で、この焼き鳥屋さんは、いつ行っても混んでいる。昨日は6時半に予約をしていった。入ったときはだれもいなかったが、その後予約なしで入ってくるお客さんを全部断っていた。案の定、7時を過ぎた頃には、狭い店が満席状態になっちゃった。(そういうわけで、本当はみなさんにお店の名前を教えたいのですが、これ以上混んじゃってボクたちも予約がとりづらくなると嫌なので勘弁してください。)ボクは手羽先が絶品だと思う。それから、水餃子もおいしいし、ポテトサラダもなかなかである。
ところで、この店の若い女将さんは、とっても美しくて評判である。少なくともボクの中では大評判である。日本女性の美醜について、かなり厳しい眼をもっていらっしゃるMさんも、「ここの女将、本当に綺麗よね」と太鼓判を押す。で、しばらく、美しいとか綺麗であるとはどういうことか、ということでわれわれの会話が続いた。
Mさんもボクも、オーラというものを信じている。外見的に目鼻だちの整った人はたくさんいる。しかし、周りの目をひきつけるオーラは、やはり内側から湧き出てくるものである。内面が充実してないのに発することのできるのは、たかだか「光線」にすぎない。ワタシって綺麗でしょ光線とか、アンタなんかめじゃないわよ光線といった類である。光線を発しているような美人さんにも、たしかに1-2秒は目がいく。でも、すぐもういいやって感じになってしまう。しかし、オーラをもった人には、文字通り目が釘付けになる。こちらが意識的に目をそらさないと、ずっと見とれてしまう。ボクはとくに、ひたむき一生懸命吉永小百合風オーラと、純粋天真爛漫オードリーヘップバーン風オーラに、弱い。このお店の女将さんの場合は、優しさというか気遣いというか、客に出すひとつひとつの料理やサービスを丁寧にさせてもらってます、というオーラが自然に出ていて実に魅力的である。
では、オーラというのは何に基づいているのだろうか。よく、オーラは内面的な自信の現れである、というようなことをいう人がいるが、ボクは違うと思う。オーラは、自信があれば出る、というものではない。むしろ、自分自身をよく知っているという意味で、インテリジェンスに近いと思う。だから、面白いことに、オーラというのは、出したり引っ込めたりすることができる。一流の舞台俳優とかバレリーナとかは、そのことをよく心得ていて、ステージの上で自在に自分の出すオーラの量とか種類とかを操作している。
いうまでもないが、人生の良きパートナーにめぐり会えた人は、輝いている。ただ、その輝きはパートナーに出会ったこと自体から来るのではなくて、そのパートナーを選べば自分が輝くことができると知っていた自分自身のインテリジェンスに由来するのではないかと思う。人生の良きパートナーにめぐり合うことがむずかしいのは、相手のことをなかなか知ることができないからではない。自分自身をよく知ることがむずかしいからなのである。