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2008年08月27日

Clever phrases

北米に長い間過ごした経験のある人なら誰でも経験することだと思うが、こちらではときどき思いもよらない場面で、なかなか気の利いた英語の表現に遭遇する。この夏も、ボクはそういう表現にいくつも出会った。こういうのも、記録にとどめておかないと忘れちゃうので、紹介しておこうと思う。
まずはretail therapy。恋の病にとりつかれた娘に対して、仲のよい友人がYou need a retail therapyと慰めていたのを聞いて、うまいことをいうなあと思った。日本語でいうと、ストレス解消のための買い物、ということだが、買い物ではなくセラピーの方に重心があるところがよい。ちなみに、この友人は、ボクのいる前で、ボクにわざと聞こえるようにいったので、言外には「お父さん(つまりボク)、買い物につれていってあげたら」という意味がこめられていたのである。リテールも、セラピーも、どちらももう日本語として定着しているから、このフレーズは、そのまま日本語としても十分通用するね、きっと。
次にcute proof。これだけ聴いたのでは何のことかちょっとわからないが、解説をきくとなるほど、と納得する。ご存知のとおりsound proofというと「防音」ということ。またwater proofというと「防水」のこと。つまり、proofという単語には、何かを防ぐという意味がある。では、cute proofとは何のことか。Cute を防ぐ?ボクの娘は、夏の間、小さな子供たちに自転車の乗り方を教える野外学校pedal heads(この名前もなかなか気が利いている)でアルバイトをしていた。そういうところに来る子供たちは、一見とっても可愛い(cute)。しかし、一見可愛くても、いざ接してみると、モンスターのような子供も中にはもちろんいる。だだをこねて練習しなかったり、周りの子供たちに迷惑をかけたり、練習中にお漏らししてしまったり。で、娘は、自分は最近cute proofになった、というのである。つまり、cuteな外見にはだまされないようになった、という意味。しかし、ここにくる子供たちは、本当にかわいいです。
3番目は、この夏の間じゅうラジオで流れていたハナ・モンタナの曲の歌詞の一節。If you mean it, I’ll believe it. If you text it, I’ll delete it。前にも書いたが、 Textingとは、携帯でメールをやり取りすること。気持ちを告白するときは、メールではなく、ちゃんと面と向かっていいなさい、という意味がこめられている。彼女がなぜ人気があるのか、ボクにはまったく理解できないが、この一節だけは、当世の若い人たちの心をよくつかんでいると思った。
さて、最後。We aim to please, so you aim, too, please。しばらく行っていなかったら、いつの間にか、cliffhangerという、屋内でロッククライミングができる施設が、新しい場所に引っ越していた。今年、たまたまその新しい方へ行ったとき、そういえば、引っ越す前の場所の男子トイレの中(というか便器の上)には表記のフレーズをいれた可愛い絵がかかっていたっけ、と思い出した。いやー、実に気の利いたフレーズでしょ、これ。で、ボクはこの絵がいまでもかかっているか、楽しみにして男子トイレに入ったのですが、もうありませんでした。残念でした。

2008年08月22日

Vancouver Unitedの赤と黒

午後5時半。
まだ、ほとんど選手たちは到着していない。
ボクは、ゴールポストにネットを張り始める。
白いプラスチックのバケツ。その中には、ネットを芝生に留めるための黄色いペッグが10数本と、そのペッグを打ち込むためのハンマー、そしてサイドネットの張りを良くするための赤いリボンが入っている。それらを一度全部外に出し、空になったバケツを逆さまにする。その上にのって、ゴールポストの上側の留め金に、ひとつひとつネットを引っかけていく・・・。
フィールドを振り返ると、コーチたちは、今日の練習のための打ち合わせをすませ、青やピンクのコーンを等間隔に置いてまわっている。
今年のVancouver United U-17女子チームは、コーチ陣がかつてなく充実した。ヘッドコーチのほかに、アシスタントコーチが3人。キーパー、オフェンス、ディフェンス、そしてフィットネスと、それぞれの担当がきっちり決まっている。
ボクがネットを張り終える頃までには、赤と黒のユニフォームを着た選手たちが、次々に到着している。芝生に車座になって、スパイクの紐をしっかり結びなおしたり、ストレッチしたりしながら、みんなで一時のおしゃべりを楽しんでいる。時々、あたりの静寂をつらぬく笑い声が、空に響く。
北米の一年のサイクルは、9月のレイバー・デイを基準にして始まる。レイバー・デイが過ぎると、サッカーシーズンもいよいよ本番を迎える。だから、8月の中旬から、選手たちは、夏休みでダレ切った身体を絞り込むために、ほとんど毎日のように、練習にはげむ。6時から8時まで、みっちり2時間。チームの当面の目標は、レイバー・デー前に前哨戦として組まれている親善トーナメントで、よい成績を収めることである。
いよいよ、練習が始まった。
赤と黒。黒と赤。めまぐるしく選手たちが動いている。
ときどき、コーチたちがその動きをピタリととめ、指示を出す。
そしてまた、赤と黒、黒と赤。赤と黒、黒と赤・・・。
ボクの娘は、VUの年齢別代表にこれまで6年間連続して選ばれている。6年ずっと選ばれているのは、ほかに5人しかいない。一緒にMFを組む運動量豊富なブリアナ、レフティーでディフェンスの要のヘイリー、堅実なプレイが定評でPKをはずさないサラ・L、背が低いのにヘディングシュートのうまい意外性のサラ・M、そして天才キーパーであるにもかかわらずFWをやりたがるグレタ。みな類まれな女性アスリートたちであり、その一方でまた、みなごく普通のティーンエイジャーでもある。
3年前、VUは、レイバー・デーのトーナメントで優勝した。しかし、残念ながら、このところの成績はかんばしくない。本番のシーズンでも、なかなか勝てず、最近は負け犬チームのレッテルさえ貼られている。州の島部にはいくつも強いチームがあるし、ライバルの隣町バーナビーもなかなか侮れない。
今年は、コーチ陣が充実したし、期待できるFWとMFの新たな戦力も加わった。だからなんとか、リベンジを果たしてもらいたいものだ。Go red! Go black! Go~~ Vancouver United !!!

2008年05月21日

London Fog

ロンドンフォグ。
…といっても、イギリスのロンドンの霧のことではありません。ちなみに、ボクはロンドンへ行ったことがないので、ロンドンの霧がどんなものか、まったく見当もつきません。
実は、ロンドンフォグというのは、ドリンクの名前でもあるのですね。
ボクは、このドリンクのことを、最近娘のある友人から教えてもらいました。
カナダのスターバックスに行って、London Fogと注文すると、たいてい通じる。
それは、アールグレイに、温かいフォームドミルクをいれて、そこにバニラシロップをたらす飲み物です。
これがなかなか美味しい。
というわけで、ちょっとはまっています。
ボクは消化器系が弱いので、一日に何度もコーヒーを飲むと自分の胃がおかしくなるのではないかと心配になる。それで、たまには胃にやさしい紅茶系にしておこうと思うときがある。
でも、スタバで単なる紅茶を注文するのは、気が引ける。
なぜなら、スタバの紅茶は、ティーバックに熱いお湯を注いだだけの、まあぶっちゃけていえばインスタントだからである。しかも、スタバのスタッフのみなさんは、インスタントで紅茶を出すことにまったく罪悪感を感じているそぶりがない。堂々と、ティーバックが入ったままで、商品が手渡されるからである。そんなの、ウチでだって飲めるじゃんか。スタバで注文するからには、スタバでしかできない付加価値をつけてもらいたいじゃんか・・・。
で、このロンドンフォグを注文することになる。
ミルクを温めて、泡立てて、なんていう作業はなかなか面倒くさくて、自宅ではできない。ましてや、バニラシロップなんて、ボクの冷蔵庫の中にはない。だから、このドリンクは、外でしか飲めないのだ、と自分にいいきかせる。そのポジティヴな感覚が、インスタントであるというネガティヴな感覚を凌ぐのである。
日本に戻って、こちらのスタバでも「ロンドンフォグお願いします」といって注文してみたが、これまでのところ、それがどういうドリンクなのかすぐにわかったスタバスタッフにめぐり合っていません。
しかし「アールグレイに、フォームドミルクを入れて、バニラシロップを足してください」と、詳しく説明すると、「ああ、あれね」って感じでわかってくれる場合もある。きっと、同じものを頼む人も、結構多いのでしょうね。
さて今朝も、実家の近くのスタバで、ロンドンフォグを注文しました。そしたら、逆に質問がかえってきました。
「お湯とミルクとの割合はいかがしますか?」
うーん、考えたこともなかった。もちろん、この割合は、ドリンクの質を決定する重要な変数である。そのことについてのボクのリサーチは、まったく進んでいなかった。
「あ、えーと、半々で結構です」。
別に根拠があるわけでもないのに、そう答えてしまいました。
そう、やっぱりシェリングは偉かった、というオチをつけたくなるような話でした(←すみません、ちょっと専門的になりました)。

London Fog

ロンドンフォグ。
…といっても、イギリスのロンドンの霧のことではありません。ちなみに、ボクはロンドンへ行ったことがないので、ロンドンの霧がどんなものか、まったく見当もつきません。
実は、ロンドンフォグというのは、ドリンクの名前でもあるのですね。
ボクは、このドリンクのことを、最近娘のある友人から教えてもらいました。
カナダのスターバックスに行って、London Fogと注文すると、たいてい通じる。
それは、アールグレイに、温かいフォームドミルクをいれて、そこにバニラシロップをたらす飲み物です。
これがなかなか美味しい。
というわけで、ちょっとはまっています。
ボクは消化器系が弱いので、一日に何度もコーヒーを飲むと自分の胃がおかしくなるのではないかと心配になる。それで、たまには胃にやさしい紅茶系にしておこうと思うときがある。
でも、スタバで単なる紅茶を注文するのは、気が引ける。
なぜなら、スタバの紅茶は、ティーバックに熱いお湯を注いだだけの、まあぶっちゃけていえばインスタントだからである。しかも、スタバのスタッフのみなさんは、インスタントで紅茶を出すことにまったく罪悪感を感じているそぶりがない。堂々と、ティーバックが入ったままで、商品が手渡されるからである。そんなの、ウチでだって飲めるじゃんか。スタバで注文するからには、スタバでしかできない付加価値をつけてもらいたいじゃんか・・・。
で、このロンドンフォグを注文することになる。
ミルクを温めて、泡立てて、なんていう作業はなかなか面倒くさくて、自宅ではできない。ましてや、バニラシロップなんて、ボクの冷蔵庫の中にはない。だから、このドリンクは、外でしか飲めないのだ、と自分にいいきかせる。そのポジティヴな感覚が、インスタントであるというネガティヴな感覚を凌ぐのである。
日本に戻って、こちらのスタバでも「ロンドンフォグお願いします」といって注文してみたが、これまでのところ、それがどういうドリンクなのかすぐにわかったスタバスタッフにめぐり合っていません。
しかし「アールグレイに、フォームドミルクを入れて、バニラシロップを足してください」と、詳しく説明すると、「ああ、あれね」って感じでわかってくれる場合もある。きっと、同じものを頼む人も、結構多いのでしょうね。
さて今朝も、実家の近くのスタバで、ロンドンフォグを注文しました。そしたら、逆に質問がかえってきました。
「お湯とミルクとの割合はいかがしますか?」
うーん、考えたこともなかった。もちろん、この割合は、ドリンクの質を決定する重要な変数である。そのことについてのボクのリサーチは、まったく進んでいなかった。
「あ、えーと、半々で結構です」。
別に根拠があるわけでもないのに、そう答えてしまいました。
そう、やっぱりシェリングは偉かった、というオチをつけたくなるような話でした(←すみません、ちょっと専門的になりました)。

2008年04月07日

(続)一期一会

ずいぶん前に、レストラン版を書いたが、今度は「一期一会:人」バージョンを書いてみたい。歳をとればとるほど、一回しか会っていないのに、忘れることのできない人々が増えてくる。ボクの場合、嫌な想い出は記憶から早く遠ざかっていくようで、ボクの人生の中で忘れることのできない人々は、とっても素敵な人々が多い。
まずは、結構最近だが、ふとした偶然から出張先のホテルで朝食を一緒にした女性の話。すれちがうと誰もが振り返るようなブロンドの美しい方で、正直いって同席しているだけでドキドキしてしまった。で、その方の趣味は、旅行だそうである。仕事に疲れると2週間ぐらい休みをとって、どことなく出かける。もう世界中何十カ国と回っているらしい。そして旅行で何をするかというと、何をするわけでもない。宿泊先のホテルから当てもなく歩き始め、午前中はほとんど「どの店で昼食をとるか」を決めるためだけに、ぶらぶらするのだそうである。そして気が向けば同じところに何泊もするし、気が変われば次の目的地を選んで移動する。結婚する気などもちろんないし、ボーイフレンドもあえて作らない。若いのに(あるいは若いからこそ、か?)、現代社会でindependentに生きていこうという女性の強い意志を見せられて、魅了というか圧倒されてしまった。
次は、もう10年ちかくも前に、カナダから日本までの飛行機の中で隣り合わせた紳士。インド系の落ち着いた人で、電力関係の仕事に就いているとのことだった。出張で日本にはじめていくというので、公衆電話のかけ方(当時は携帯などなかった)や、成田から東京までの交通手段などについて教えることから話しが始まった。実は、その後は何についてしゃべったのかよく覚えていない。ただ、どちらもプライベートな部分に深く入り込まないながらも相手と真摯に接しようとし、しかもそのことをお互いappreciateしながら、さらにお互いがappreciateしているということをお互いappreciateしながら・・・、心地よい会話が続き、気がついたらあっという間に日本についていたという感じだった。節度をもって交わす他人との会話が人生を豊かに送る上でいかに重要なことであるかを、そのとき思い知らされた。
最後は、20年以上も前のこと。大学時代にバックパック旅行をし、ある事情でアメリカ北東部のニューロンドンという小さな町のあるカレッジにたどり着いた。そこで出会ったのは、そのカレッジで日本語を教える日本人の先生。背は小さかったが、口ひげをはやし、黒っぽいシャツをうまく着こなし、英語がぺらぺらで、とてもかっこよかった。残念ながら、その人の名前は聞いたのにもう覚えていない。もしかしたらいまでもそのカレッジで教えているのかもしれない。しかし、本当に大げさでなく、この人との出会いは、ボクの人生を変えてしまった。この人と出会ったことで、それまで大学を卒業したら日本で就職し日本で暮らすことを当たり前だと思っていたのに、そんな人生の送り方がまったく当たり前ではないのだ、ということに気づかされたからである。
国木田独歩の短編小説に「忘れえぬ人々」というのがあるが、そこで描かれているように、人生の中で出会った素敵な人々が忘れられないのは、出会ったときの風景や文脈がまざまざと自分の記憶に刻み込まれているからである。

2008年03月11日

レトロな食堂を定義する

ボクはレトロな食堂が大好きである。
レトロな食堂では、「ミックスフライ定食」とか「ハヤシライス」などを食べたい。
そう、レトロな食堂には、ミックスフライとハヤシライスがなければならない。
これがレトロな食堂を定義する上での、ボクの大前提である。
で、ミックスフライがあるということは、牡蠣フライもあるし、海老フライもあるし、鯵のフライもあるし・・・ということでなければならない(←これは単純な演繹的推論である)。ま、要するにフライ系はすべてカバーしている、ということでなければならない(これをレンマ=補助命題としておく)。
それから、ハヤシライスがあるということは、カレーライスも作っているということでなければならない(←これは演繹というよりは、アナロジー=類推だな)。
いずれにせよ、ということは、当然(上の「全フライカバー」命題と併せると)、レトロな食堂にはカツカレーもある、という結論が論理的に導けることになる。
                           ・・・・QED(←??)
・・・というわけで、ずっと前から一度入ってみたかった横浜の「セントラルグリル」に行ってきました。
場所は、本町通りと日本大通りの角。「ええっ、こんなところに?」という大きな交差点に、堂々と、このレトロな食堂はある。
入ってみると、フライ系だけではなく、サバ味噌煮定食とか金目煮付け定食とかもメニューに載っている。ゆで卵と納豆は、単品で注文できるらしい。うーん、これにはちょっと迷った。どうしようかな、フライ系高カロリー路線をやめて、こうした小物を従えての煮魚系に大胆に路線変更するかなとあたふたしましたが、ここは初志貫徹と思い返し、ヒレカツカレーを食べることに。そしたら、キャベツがチョコッと付いて、味噌汁まで付いてきました。そう、だから、正確には、ボクが食べたのは、ヒレカツカレー定食なのでした。美味しかった・・・。
ボクにいわせると、世の中には「レトロ風の食堂」はたくさんあるが、本当に「レトロな食堂」はそれらからきちんと区別されなければならない。本当にレトロな食堂というのは、食器や調度品の古さだけで決まるのではない。そこで働いている人たちも「レトロ」に徹してなければならない。だから、若いシェフやウェイトレスだけがやっているレトロな食堂というのは、ボクの定義上ない。レトロな食堂で働く人たちは、カッポウ着を身につけているとか三角巾のようなものを頭にかぶっているとか、あるいはかけているメガネが昭和の時代に流行したスタイルであるとか、どこかしら存在からしてレトロ性をかもし出している人々でなければならない。
もうひとつ、レトロな食堂というのは、(このセントラルグリルがそうであるように)「こんなところに」というような意外な場所になければならない。そして、それはそこにずーっとそのままの形で存在していたのでなければならない。オシャレな六本木や西麻布などに、レトロ風を売りにして新たに改装した店というのは、本当にレトロな店だとはいえない。
レトロな店は、年輪を感じさせる。それは、いろいろな人や事件に出会い、さまざまな経験をつんできた人間がそうであるのとまったく同じ理由で、とっても魅力的である。

2008年03月05日

ハイドンの無尽蔵

この世の中には、「無尽蔵なもの」は、なかなか存在しない。
たとえば、ボクのような凡人には、ときどき「お金が無尽蔵に使えるほどあったらいいな」とか、「ワインが無尽蔵に飲めたら・・・」、あるいは「ポテトチップを無尽蔵に食べられたら・・・」などという妄想が訪れる。
しかし、当然のことながら、誰だってお小遣いには制限がある(←パリス・ヒルトンを除いては)。最近のボクだと、ワインボトル半分飲んだら酔っ払ってしまうし、チップスターのカンをまるごと一気に食べつくしたのは、もうかれこれ10年ぐらい前の話になってしまった。
無尽蔵であることは、現実ではなく、理想郷というか、遠い憧れの世界の話なのである。
ところが、最近無尽蔵に出合った。少なくとも「無尽蔵に近いもの」に遭遇してしまった。それは、ハイドンの音楽である。
ハイドンは、まぎれもない天才である。交響曲も弦楽四重奏曲も、それ以外の音楽も、実にたくさんの作品をこの世に残していってくれた。
ボクが最初にハイドンをいいと思ったのは、随分昔に、ある人から薦められてチェロ・コンチェルト2番の第2楽章を聴いたときであった。それは、ゆったりとして、ところどころに沈黙があって、まさに癒しの音楽である。疲れた朝に電車の中などで聴くと、間違いなく心地よい眠りに誘ってくれる。今でも、このコンチェルトはよく聴くが、ボクのハイドン体験は、しばらく長い間そこに留まっていたのである。
しかし、少し前に、あるラジオ番組でハイドンの弦楽四重奏曲を聴いて、ボクはたちまちとりこになってしまった。で、先日ようやく、CDにして21枚からなるそのcomplete setを買ってきた。そう、なんと21枚にびっしり詰まっているのである。
このところ、それを片っ端から聴いている。
音楽を聴く上での「無尽蔵性」(←そんな言葉あるのか知らないが)は、大切である。
なぜなら、音楽というのは、どんな気に入ったものであっても、いつかは飽きる時が来るからである。それゆえ、好きな音楽を聴くことには、つねにジレンマがつきまとう。一方では、「今日もまた○○を聴きたいな」と素直に思う。しかし、もう一方では、「あんまり○○ばっかりきいていると、いいと思わなくなる日がそれだけ早く来てしまうのではないか」と不安に駆られる。それで、お気に入りの曲を無作為にシャッフルしてみたり、ローテーション組んだりというような努力をして、お気に入り状態を長続きさせようとする。
しかし、ハイドンの場合、ボクは不安に駆られることなく楽しめる。
もし飽きるまであるひとつの作品を聴いていたら、きっと一生のうちに、彼のピアノソナタと四重奏曲と交響曲とをすべて聴き終わることはできない、それぐらいたくさん彼の作品があるからである。

2008年02月29日

志高き人は、応援せよ

少し前になるが、知り合いの学部生がアメリカの超一流の大学院に合格したという嬉しいニュースを知らせてきた。この学部生はボクのゼミ生ではなかった。また、必ずしもボクの専門分野のことを勉強しているわけでもなかった。しかし、彼の属するゼミの出身で、現在アメリカに留学しているある優秀な先輩が、「どうしても先生の指導を受けさせてやってください」とボクに頼んできたので、特別にこの一年間ボクの院ゼミに出席することを許可したのであった。もちろん、学部生だからといっても、リーディングを読んでくることも発表することも義務付けられていた。もちろん、彼はちゃんとそれらのことを(他の院生とまったく同じに)こなした。そして、実に立派な英語の卒業論文を完成させた。このたびこれ以上望めないようなキャリアアップの道が開かれたのは、本当によかった。おめでとう。
なぜボクがこの学生を特別扱いしたかかというと、彼がとても志高い若者のように思えたからである。ボクはおそらく、彼の先輩が間に入って紹介しなければ、この学生を特別扱することはなかったと思う。しかし、その先輩に可愛がられているということが、すでに彼のひとつの財産であった。その先輩も、きっと彼の志の高さを感じ取ったのにちがいない。そういうのは、自然と伝わるものである。そして、彼のこの一年間を見守り、その評価がけっして誤りでなかったということがよくわかった。
志の高いものは、応援しなくてはならない。
それが、他の人に比べて多少不公平になるような特別扱いをすることになったとしても、である。
なぜかというと、志の高さというのは、ほかの多くを犠牲にすることの上にしか成立しないからである。趣味や遊ぶ時間、あるいは金銭的な問題だけではない。家族とか、友人や恋人とかとの人間付き合いにおいても、志を高く抱いている人は、目に見えないところでさまざまに退路を断って暮らしているのである。だから、そういう人をみると、自然と応援してあげたくなる。そして、そういう人が自分の目標を達成すると、こちらも心が動かされるのである。
話変わって(いや実は変わらないのであるが)、昨日、富士通レッドウェーブが、WJBLのプレーオフで初優勝した。ボクは、ある友人の紹介がきっかけで、数年前からこのチームを応援している。きのう、代々木の体育館で、その劇的な場面を生でみることができて、よかった。
若い彼女たちは、ほかのことすべてを犠牲にして、バスケットボールに打ち込んでいる。このトーナメントで優勝することだけを目標に掲げて、身体もボロボロになるまで、頑張っていたのである。優勝が決まったときの涙は、彼女たちの志の高さをよく物語っていた。
こちらもおめでとう。
そして素晴らしい感動をボクらに与えてくれて、ありがとうございました。

2008年02月06日

Falling in love with沖縄

同僚の久米先生を中心としたあるプロジェクトが今年で最終年度をむかえ、沖縄の琉球大学にて、仕上がった論文をみんなで発表し合う研究会が開かれた。
というわけで、ボクも沖縄へ行ってきた。沖縄の地に足を踏み入れるのは、これが初めてである。一言でいうと、何から何まで、本当に素晴らしい沖縄初体験となった。
まず着いた日の夜は、国際通りの公設市場まででかけていって、いくつか魚介類を注文しその場でさばいて貰って食べよう、ということになった。お刺身の盛り合わせのほか、グルクンの唐揚げ、伊勢海老の味噌汁などなど。どれも、文句なく新鮮でおいしい。みんな「おなかいっぱい」と腹をさすっているのだが、ボクはどうしてもご飯ものを食べないと気がすまなくて、ボクだけ「ラフティー丼」を追加注文した。これがとろけるようなやわらかさだった。それで「うまい!うまい!」を連発し、みんなから白い視線を浴びてしまった。
泊まった大学の宿泊施設もよかった。安いし、広いし、綺麗だし・・・。朝食サービスはなかったが、ボクは、歩いて10分ほどのところにモスバーガーがあると聞いていたので、次の日の朝そこへ向かった。そしたらですね、そこでですね、ががーん、遭遇してしまいました・・・。(古今亭志ん生風に)「そうだなあ、歳の頃といったら、十七、八ってところだな・・・」、とっても可愛らしい女性の店員さん。この方の笑顔、ホントか・ん・ぺ・きでした。なんというべきか、「混ざりもののない笑顔」とでもいうのだろうか。いやー、マイリマシタ。うーん、沖縄・・・、いいねえ・・・。
さて、研究会が始まった。ホスト役である宗前先生のホスピタリティーも、これまた実に完璧だった。コーヒー、紅茶、さんぴん茶などは当たり前のようにそろっている。そのほか、「これ、絶対美味しいですから」と持ってきたシークワーサージュース。本当にメチャメチャ美味しかった。あとは、長丁場になることを予期して、数々のチョコレートやキャンディーの類。実際、連日8時間ぐらいぶっ通しで会議をしていたので、これらの甘み成分補給には助けられました。
宗前先生の学生さんたちと一緒に話す機会もとても楽しかった。ぜんぜんスレてなくて、人生に直角に向き合い、すがすがしく生きている。礼儀正しいし、ボクら中年オヤジたちの話しを真摯に聞いている。というか、彼らは、本当にボクら(の話)に興味があるのである。それだけ、心がきれいなのである。
とくに、YさんとKさんには、ちょっとだけ沖縄を案内していただき、お世話になった(Yさん、Kさん、ありがとうございました)。前からどうしても訪ねてみたいと思っていた平和祈念公園を地元の若いお二人に案内していただいたことで、いっそう思い出深い経験となった。石碑に刻まれた白い名前の数々、その先の崖、打ち寄せる波、水平線。その光景は、一生忘れることがないと思う。
その後、ランチに「くるくまの森」の中にあるアジアン・カフェへ連れて行ってもらった。ここのチキンカレーは、絶品です。そして、そこでは、日本人に混じって、多くの外国人観光客が、打ち寄せる波と水平線の素晴らしい眺めを、楽しんでいた。なんとも穏やかな空気が流れていた。

2008年01月23日

最後のゼミとアフター

今年最後のゼミが終わった。
たまたま、前日がボクの誕生日だったので、ゼミ生たちが祝ってくれた。
アフターの飲み会の席では、いつのまにか店に忍び込ませたケーキが登場。
イチゴがいっぱいのっていて、美味しいケーキだった。
そして、去年に引き続き、とても素晴らしいプレゼントも頂いた。
それは、アルバムつきのカレンダー。1月から12月まで、それぞれの月にちなんだ想い出の写真が選んで貼ってある。後ろのページには、ひとりひとりからのメッセージが書いてある。もう卒業が近い4年生からは、2年間のボクの指導に対するお礼とかが、3年生からは来年もまたよろしくという趣旨の言葉がちりばめられている。
みなさん、心のこもったプレゼントとメッセージ、本当にありがとうございました。
つくづく思うのであるが、早稲田の(政経の?)ゼミのシステムは素晴らしい。
それは、3年生と4年生が2年間一緒に過ごすことが期待されているからである。
この2年を通して、ゼミ生たちはみな「後輩」としての一年と「先輩」としての一年を過ごすことになる。社会へ出たときに、目上の人とどう接するか、また目下の人とどう付き合うかということの予行演習をしているわけである。歳のちがいを越えて、友情を結ぶことができるのだということも実感できる。そして、前にも書いたが、ここでの関係が、まったく仕事とか給料とかという利害にまみれた関係でないところがよい。
もう周知の事実であるが、ボクは来年からサバティカル(国内での特別研究期間)をもらえることになっている。でも、ゼミだけは、ボランティアで来年も続ける。もし続けなかったら、今の3年生たちが「先輩」の立場を練習する機会を失ってしまう。一度、伝統が途切れると、それをまたつなぎ合わせるのも大変である。
そういえば、ちょっと前に挙行した、来年入ってくるゼミ生(今の2年生)たちとの初顔合わせも、とても楽しかった。みんな最初から元気で、すぐに馴染んでいた。よき先輩たちを見習い、自分たちの立場をわきまえながら、臆することなく活躍してほしい。
さて、ゼミ生たちに誘われて、最後のアフターの二次会はカラオケにいくことになった。ボクも何曲か歌わせてもらった。しかし、だんだん、みんな何かにとり憑かれたようにはしゃぐようになった。気がついたら、3年生と4年生が入り乱れてステージで踊っていた。中には、足がふらふらになっているものもいた。
あまりの熱気に圧倒されて、「いつもこんなはしゃぐのか」ときいたら、細谷君が「みんな、先生にハッピーだっていうところを見せたいんですよ」といっていた。
この言葉には、ジーンと目頭が熱くなった。
今度会うのは、ゼミ論の提出日。
そのあとは、卒業スキー旅行と追いコンが控えている。
まだまだ・・・。うん、まだまだ・・・。

2007年12月28日

カリフォルニアのFMラジオ

カリフォルニア州のコールズバッドという小さな町に高校留学していた頃、サンディエゴから流れてくるFM放送局をよく聴いていた。昼間だけでなく、夜も聴いていた。同じ部屋をシェアしていたホストファミリーの弟が、寝るときもラジオをかけっぱなしにするという習慣をもっていたからである。最初は戸惑ったが、ボクもしだいにそれに慣れるようになった。
ステーションの名前は、FM-B100だったと思う。今もあるのかどうか、知らない。
ボクは、日本の高校時代、自分では結構洋楽を聴いている方だと思っていた。ところが、このFM局から流れてくるほとんどの曲を、ボクは知らなかった。世の中には、いっぱいいい歌があるんだ、自分の音楽の知識なんてほんとに氷山の一角に過ぎないんだ、と思い知らされた。
向こうのラジオは、余計なおしゃべりが少ない。それから、前にも書いたことがあると思うが、向こうのラジオでは、新しい曲とともに、かつての名曲を織り交ぜて、かけてくれる。だから、その留学をしていた一年、ずっとFM-B100を聴き続けたことで、本当に自分の音楽の幅が広がったと思う。
帰国しなければならない日が近づき、いろいろエモーショナルなことが重なる中で、ある日、自分の生活の一部となりつつあったこのラジオ局とお別れしなければならないのだ、とハタと気づき、とっても悲しくなった。それで、あわてて自分のもっていたカセットテープの一面に、その時オンエアされているものをそのまま録音することにした。90分テープだったので、45分間のカリフォルニアの時空間が、そこに詰め込まれることになった。それは、1980年夏のある日(夕方)の45分間のボクの人生が詰め込まれた、貴重なテープだった。
もちろん、ボクは、日本に帰ってから、何度も何度もそのテープを聴いた。しばらくは、一日に一回は聴いていた。しかし、時が過ぎ、大学に進学し、大学院の勉強のため再び北米に戻り、新しい生活が始まり、やがて日本に帰国し・・・などと、いろいろ引越しをしているうちに、そのテープはどこかに行ってしまった。すくなくとも、今のボクの家にも実家にもない。もしかしたら、あんまり何度も聴いたので、もう音質がおかしくなって、どこかの時点でついにあきらめて、捨ててしまったのかもしれない。
しかし、人間の記憶というものは、すごいというか恐ろしい。いまでもボクは、そのテープに、どういう曲がどういう順番で流れていたかをほとんど覚えている。・・・”Listen to the Music,” ”Something,” “Time in a Bottle,” ”Wild Horses,” ”Surfer Girl,” “Pretender,” “Steal Away,” “Feel Like a Natural Woman,”・・・と続いていく。ほらね、どれも名曲ばかりでしょ?こんな感じで、一日中続くあのラジオ局は、本当に素晴らしかった。
先日、Jackson Browneのベストアルバムを買い、Pretenderをipodに入れた。これで、なくしたテープを完結したかたちで、再現できるようになった。30年近く前に過ごしたカリフォルニアの日々の想い出とともに。

2007年10月31日

Douglass North先生

ノーベル経済学賞を受賞されたノース先生が早稲田を訪れた。
成田で出迎えたのは、ボクであった。
80歳をとっくに超えていらっしゃるのに、まったくそんなことを感じさせない。
「すこし空港でお休みになってからいきますか、それともすぐにホテルの方へ向かいますか」と尋ねると、「いや、すぐに行こう。あとをついていくから、さあどんどん行ってくれ」とおっしゃる。で、タクシー乗り場まで行き、タクシーに乗った。エレガントな奥様が同行されている。
ボクはノース先生と10年ほど前に一度だけ、言葉を交わしたことがある。真摯にボクの質問に答えてくれたので、そのときボクはとっても感激した(このことについては『制度』のあとがきに書いた)。で、そのことを話したら、それをきっかけにして会話が弾むようになった。共通の友人や知り合い(ボクのかつての先生たち)も結構多く、話題が尽きないうちになんとかホテルまでたどり着くことができた。
で、その次の日からの彼の行動といったら、本当にすごかった。
やはり超一流の人は違う、ということをまざまざと見せ付けられた。
まず、どこからわいてくるのだろうという体力。時差ボケなどまったく影響なかった。
次に、これもどこからわいてくるのだろうという知的好奇心。どんなささいな、学問と関係のない話にも、ちゃんと食いついてきた。
それから、底抜けの明るさ。宴席では、大きな声で笑い、人の肩をぽんぽん叩いてはしゃいでいた。
そして、最後に、頭がさがるほどの気配り。院生たちのポスター発表をひとつひとつ回って、じっくり耳を傾けコメントしていた。もちろん、自分がそうすることでいかに若い研究者たちが励まされるかを自覚してのことである。その姿には、ジーンときた。けっして偉ぶらないで、何かにつけ「君の意見を聴こうじゃないか」とおっしゃっていた。そういえば、講演会場で、ボクが「先生の意見には大方賛成なんですが・・・」と質問を切り出したら、間髪をいれずに「意見が一致しないのはどこなのかね」と逆に催促されてしまったのには笑った。
今回の来日中、かなり個人的なお話をうかがえるまで、親しくさせていただいた。
本当に光栄なことである。ノース先生自身の了解をとってある範囲で、いくつかエピソードを披露すると・・・。
まず、先生は、朝ごはん以外の食事には、赤ワインを欠かさないのだそうである(自分には4分の1イタリア人の血が入っているのだと、あたかもそのことが正当化の理由であるかのようにおっしゃっていた)。それから、毎日午後4時半になると、バーボンを一杯飲む。大学キャンパスまでは、1マイル半の道のりを、行き帰り歩く。執筆するのは午前中で、普段午後からは読書に費やす・・・。
話を聞いていてつくづく思ったのは、とても規則正しい生活をなさっている、ということであった。
久々に、すごい人、いや本当にすごい人と会った。

2007年09月05日

神話とジェラート

世の中には、自分がそう信じていたいがために、あえて真実をつきつめて明らかにしたくないような神話がたくさんある。それは、子供がサンタクロースを信じ続けるのと同じ論理である。サンタクロースがいると信じていた方が、いるわけないと冷静に考えるより、子供にとって圧倒的に得だし、家族全体も和やかになる。それゆえ、サンタクロース神話は、科学がいかに進歩しようとも、未来永劫ずっと引き継がれていくわけである。
ボクの場合、そのように信じている他愛もない神話としては、食に関するものが多い。
「酒は百薬の長である」(←これは神話ではなく諺だな)。
「赤ワインを毎日すこしずつ飲むと癌になる確率が下がる」(←これは神話でないという有力説あり)。
「エビスの黒ビールは健康によい」(←これはあんまり聴かないが、エビスってところがもう完璧な神話になっている)
・・・などなど。
なーんだ「食に関する」じゃなくて「酒に関する」じゃないか、という野次が飛んできそうであるが、ま、こういう神話を信じて中年オヤジは頑張っているものなのである。
さて、この夏をすごしたバンクーバーで、ボクがずっと信じ続けた神話がひとつありました。それは「ジェラートはアイスクリームよりも低カロリーである」というもの。夕食のあと、ほとんど毎日のように、ジェラートを食べに行ったので、もうこの神話がなかったら、ヤバイのなんの。一番小さなカップに1スクープしか注文しないのだが、それでも「大丈夫、低カロリーなんだから」と、自分に言いきかせていたのでした。
なぜそんなに毎日通ったかというと、ジェラートを食べるというのが、ボクにとっては夏のお決まりの光景になっているからである。お気に入りは、KerrisdaleにあるVivo Gelatoという店。ここには夏休みだけのアルバイトといった高校生ぐらいの店員さんがふたりいて、慣れない手つきで働いている。その様子がなんともういういしくて、とってもよい。そして、いつも家族連れ(たいていお父さんが短パンを履き、お母さんはノースリーブ)で適度に込んでいて、ちっちゃな子供たちがわいわいキャーキャーとにぎやかにしている。これらが、ボクにとってはほのぼのする光景として、目に焼きついているのである。
ところで、本当にジェラートはアイスクリームより低カロリーなのだろうか。
あはは、ジェラートっていうのはアイスクリームのイタリア語なの、だからそんなわけないでしょ、などという嘲笑(←なぜか女言葉)が聞こえてくるような気もするが、本当かな、とおもって、グーグルってみました。そしたら、ですね、なんと、ですね、日本には「日本ジェラート協会」なるものがあるんですね。で、そこには、ボクのような無知の人のために、「ジェラートとは」と説明書きがながながと書いてあるのであります。
「ほとんどのジェラートが乳脂肪5%前後で低カロリー、100g当りのカロリー量も120カロリーでショートケーキの340カロリー、食パンの260カロリーと比較して圧倒的に少なく、栄養価の高い健康食品です」
やったね。どうだ。ざまあみろ(←?)。
ただ、そう説得されても、どこか自分の中に「ホントかな」という一抹の疑問が残っている。おそらくそれが、神話の神話たる所以なのである。

2007年08月21日

白洲次郎

飛行機の中で、前から読みたいと思っていた白洲次郎さんの『プリンシプルのない日本』(新潮文庫)を読んだ。期待していた通り、そこに描かれている彼の生き方はとても魅力的であった。また、政治的な主張においても、とっても納得のいくことばかりおっしゃっていたことを知って、感動した。いや、感動というよりは、「ああ、こういう人が日本にもいたんだ」と安堵の念をもった、という方が正確かもしれない。
一番すごいと思ったのは、戦争中に「勝ち目はない、東京もいずれすぐ焼け野原になる」と考え、さっさと疎開して農民生活をするところである。自分に与えられたその時々の状況の中で、考えられること(あるいは考えるべきこと)を論理的に考え抜こうとする態度、そして結論を迷わず行動に移してしまう実行力が素晴らしいと思った。
それから、人間を互いに尊敬しあう基本的な礼儀の大切さが日本に欠けているという観察、これにも共感した。たとえば、イギリスの旧貴族はいなかに大きな家を構えていて、その領地の中に村がいくつかある、というようなことがある。≪その田舎道を旧城主の子供が歩いている、向こうからその領地内の小作人のおじいさんが歩いてくる、そういう場合の子供が年長者に対する態度は、実に立派なものだ。ちゃんとミスターづけで、「グッド・モーニング・ミスターだれそれ」とやる。片方も丁寧に「グッド・モーニング・ロード」と挨拶する≫。それに引き換え、日本ではとんでもない勘違いが横行している、と。日本の旧名家などでは、子供がまわりの人たちに威張り散らしている。≪銀行の頭取だの、社長だの、大臣だのの子供が、親父の主宰するところに働いている大人に対する態度も実に言語道断だ≫(23-24頁)。 こういうことについての「教育」(学校で教えることではなく、家庭で教える教養や素養のこと)がなってないという主張も、まったくその通りだと思った。
しかし、こういう個々の主張や観察よりも、白洲さんの書いたものを読んでボクが共感したのは、日本においてバイカルチャーな人、つまり日本のこともそれ以外の国のことも両方知ってしまった人が持つ根源的なジレンマのようなものである。たとえば、上の話でも、イギリスのことを知らなければ、いかに日本の旧名家の子供たちがダメであるか、あるいはいかに日本には基本的な礼節みたいなものが欠落しているかを実感できない。それを説明しようと思って(白洲さんのように)「例えば、英国では・・・」という言い方をすると、たちまち「外国カブレ」と批判をうける可能性がある。いや、下手をすると、「なにいってんだ、日本ほど礼儀正しい文化の国はないんだ」などと、外国に一度も行ったこともない人から反論されてしまうのである。
で、二つを知っているバイカルチャー人間は、一つしか知らないモノカルチャー人間に絶対に勝てない。なぜかというと、モノカルチャー人間には相手のいうことが理解できないが、バイカルチャー人間には相手の主張がどこに由来するのかがよく見えてしまうからである。ということは、この二種類の人間が相対すると、バイカルチャーな方が相手の土俵に降りてこない限り、論争自体が成立しない。つまり、論争の出発点においてすでに、バイカルチャーな人間はモノカルチャーな人間に譲歩しているのであって、それゆえ負けるしかないのである。ボク自身、何度もそういう場面に遭遇しているので、今回読んで感じたのは、きっと白洲さんもそうしたバイカルチャーのジレンマを抱えていたにちがいないという連帯意識のようなものであった。もっとも、白洲さんは、そんなジレンマを突き抜けてしまうような、ものすごいパワーを持ち合わせていたようである。なんともうらやましい。

2007年07月28日

落語から学ぶ

大学生の頃、よく立川談志さんの独演会を見に行った。国立小劇場とか何とかホールとか、それほど大きくない場所で開かれていて、その頃はまだチケットを取るのもそれほど大変ではなかった。当時は山藤章二さんがプロデュースしていて(←いまでもそうなのかもしれないが)、落語に入る前に、最初に立ったままで長~い「時事ネタ」のトークがあった。これが本当によく考えられていて、楽しみだった。もちろん、その後の落語も、素晴らしかった。落語というものが、可笑しいだけでなく、構成やプレゼンテーションがよく練られていて、知的に面白いものなんだと思うようになった。
いまでも目に焼きついているのは、談志さんの絶大なるオーラである。彼の前に、二つ目とかが演じていても、観客はざわついていたり、なんとなく集中していない。ところが、談志さんが御囃子にのり舞台の右袖から出てくるだけで、観客はシーンとなる。深々と頭を下げ、ゆっくりと顔を上げると、その瞬間、観客の目は彼一点に集中している。この「出方」は、本当にすごい、と素人ながらに思った。
かつて、山藤さんとの対談の中で、春風亭小朝さんが談志師匠の出方を勉強するために、大阪の花月まで聴きに行ったことがあるという話しを読んだことがある。関西では、演者に対してへつらうようなところがなく、観客が「とっちらかっている」ことがふつうなのだそうで、そういう場で談志さんがどうサバクかを見たいと思ったからだという。そしたら、談志さんは、いつもよりも倍丁寧にお辞儀をし、観客のほうに媚をうりまくって、まずツカミをしっかりしておいて、それから自分のペースへもっていったのだそうである。
こういうことは、当然のことながら、教壇にたつボクとしても大変勉強になる。いったいどういう出方をすれば、学生たちの集中を引き寄せることができるか、そしてどうやったらそれを持続させることができるか、本当は毎日もっと意識してやらなければならない。話しのテンポとか、メリハリとか、目配りとか、大学の教員は、もっともっと落語を聴きにいって、勉強すべきなのである。
というわけで、このあいだ、新宿末広亭に行ってきました。土曜日だったので満員、立ち見もでるほどの盛況でした。末広亭ははじめて行ったのであるが、上野の鈴本と違い、中でお酒が飲めないんですね、ちょっとがっかりでした。サキイカでビール、と思っていたのに・・・。
橘家円蔵師匠の「道具屋」が聴けてよかったでした。

寄席に一緒に行こうといっていた知り合いの方がご病気になられてしまいました。
一日も早くご回復するよう、心よりお祈り申し上げております。

2007年07月16日

キング牧師とオバマ議員のスピーチ

アメリカのエール大学にいたとき、民主党の大統領候補にも名乗りをあげたことのあるジェシー・ジャクソン牧師が演説をするというので、聴きに行った。会場に入ったら全然空いている席がなく、うしろの方で立ち見というか立ち聴きするしかなかった。残念ながら、遠くのほうで、しかもかなり強いアクセントでしゃべっていたので、正直言って、ボクの当時の英語力では、その内容をほとんど理解することができなかった。しかし、それでも、ジャクソンさんがいかに演説の名手であるかはよくわかった。聴衆は、まるでロックコンサートにでも来ているかのように、酔っているという感じであった。
その時思ったのは、こんなに演説のうまい政治家は日本にはいない、ということであった。その印象は、それ以来今日までずっと変わっていない。日本では、心を動かされる演説というものを、聴いたためしがない。
よい演説には、リズムがある。いくつかの重要なフレーズを繰り返す。あるいはちょっとずつ違うフレーズを畳み掛ける。拍手と歓声に波乗りするかのように、自分の声の抑揚を合わせて、聴衆の関心を一点に集中させていく。ところどころに、ハッとさせるような寓話やコンセプトを入れて、ほんの一瞬、聴衆が自分の人生や考え方を振り返るように仕向ける。しかし、すぐ手綱を引き締め、重要なフレーズを繰り返しあるいは畳みかけて、集中をまた自分の方へ向けさせていく・・・。
ボクがこれまででいちばん感動した演説は、なんといってもマーティン・ルーサー・キング牧師のI Have a Dreamである。アメリカでは、1月に彼の誕生日を祝う休日があるが、スタンフォード時代、ボクら院生たちは毎年この日になると、この演説のビデオを借りてきて一緒に見るということをしていた。この演説は、英語もわかりやすくて、ボクでもよく理解できた。はじめて聴いたとき、力強いのであるが、その一方でキングさんの声がなんとなく震えているような気がして仕方なかった。そして、そのことと、キングさんが後に暗殺されることになるということとがイメージとしてボクの中でかぶってしまって、ジーンとした。(おそらくもうすでに何度となくこの演説を聴いたことがあったであろう)アメリカ人の友人たちが、真剣に、尊敬というか畏怖の念をもって、この演説にそろって耳を傾けている姿は、忘れられない。自分の国を愛するということは、実は素晴らしいことなのである。
最近、YouTubeなるものを利用して、このI Have a Dream演説をいつでも好きなときに聴けるのだということを発見した。このYouTubeには、ほかにもいろいろな演説がおさめられている。I have a Dreamについで、ボクがかねてから聴いてみたいと思っていたのは、2004年の民主党大会での、バラク・オバマ上院議員の演説であった。彼は、この演説で一躍全国的に有名になり、ご存知のとおり今ではヒラリー・クリントン上院議員と民主党の大統領候補の座を争っている。もちろん、YouTubeにはちゃんと、この演説も入っている。聴いてみたら、評判通りの、すごい演説であった。そして、聴いてみればわかるが、オバマさんの演説の最後の部分は、明らかにキングさんの演説を意識して書かれている。そうした細工も、もちろん、オバマさんの演説を感動的なものにしているひとつの要素なのである。

2007年06月13日

Ipodの微妙

このあいだもチラリと書いたが、Ipodをよく利用するようになった。CDを移すのに、時間がかかり、結構めんどうくさい。でも、いろいろな作業の片手間にちょこちょこやって、ようやく400曲以上を登録した。
このあいだ調べたところでは、いちばんよく聴いている曲はストーンズのJiving Sister Fannyであった。あと、同じくストーンズのHonky Tonk Women、キャロル・キングのTapestry、セロニアス・モンクのBlue Monkと続き、おなじみジョニ・ミッチェル、ボブディランなども上位を占め、意外にもベートーベンの弦楽四重奏曲とかワーグナーの序曲集とかクラシックも善戦していた。
Ipodを身につけるようになって、自分自身の中で、時間の感覚が変った。
以前、駅のプラットフォームで次の電車が来るまで3分もあると、すごく長く感じた。しかし、3分というと、実はどんなCDの1曲よりも短い。電車を待つ間に1曲をまるごと聴き終わることはまずない。それから、東横線の終点から終点、つまり渋谷から元町・中華街まで乗ると40分ぐらいかかるのであるが、これでもアルバムひとつを演奏するのには時間が足りない。いかに普段、自分が生き急いでいるかがわかる。
もちろん、好きな音楽を好きな時に聴けるというのは、とてもありがたいことである。ボクの場合、耳栓のように中にはいる小さなイヤホンを使っているので、音漏れするようなこともなく、まわりに迷惑をかけていることはない、と思う。
しかし、その一方で、Ipodを愛用することには、マイナスの部分もあるかな、とも思う。
まず、Ipodを利用するようになってから、家に帰って静かに音楽を聴くことのありがたみが減ってしまったような気がする。前は、家に帰ってから「さて今日は何を聴こうかな」と考えるのがささやかな楽しみであった。しかし、帰りの電車でもずっと好きな音楽を聴くことができるようになって、家であらためて何かを聴こうという気がなかなか起こらない。これは、とっても寂しい。
それから、Ipodで音楽を聴いていると、ボクの場合困ったことに、膝とか踵とかが自然と動いてしまう。つまり、しらずしらずのうちに身体が調子をとっているのである。これは外からみるとどうもみっともない、という気がする。「見ろよ、アイツ、年甲斐もなく、ノリノリだぜ」などとささやかれているのではないか、と心配になる。もっとも、Ipodを聴いているボクには、当然のことながら、そんな陰口は聴こえてこない。そうそう、Ipodには、他人からの眼線に対して、鈍感になるという効能もあるように思う。
先日、はじめて音楽ではなく、落語のCDを一枚入れてみた。古今亭志ん生の「あくび指南」、「まんじゅうこわい」、「強情灸」が入っている一枚である。ボクとしては、リラックスするためにいいかなと思ったのであるが、これは失敗であった。落語のCDを電車の中で聴くのは、かなり勇気がいる。しらずしらずのうちに、にやにやしてしまうのではないかと心配になり、リラックスどころか、歯を食いしばって聴かなければならないのである。

2007年04月04日

マーケット

この前ニューヨークを訪れたとき、リンカーンセンターの地下のホールフーズマーケットに行った。
当地の事情に詳しいある人から「とてつもなく広いスペースにホールフーズが出店したんですよ」と聞いていたので、セントラルパークを散歩したあと立ち寄ってみた。
そしたら、本当にここのホールフーズは、凄かった。
どどーんと、日本でならば有明とか幕張とかにあるコンベンションセンターぐらいの広い空間に、ありとあらゆる食材がアイルごとにきれいに整理されて並んでいる。壁際には、フィッシュとミートの陳列だなが、どこまでも延々と続いている。量り売りのセクションも、実に充実していた。
ご存知の通り、ニューヨークは人種や民族のるつぼである。だから、異なった人々の趣向や生活に合わせて、多種多様の品揃えがしてある。みたこともないような魚が眼を見開いていたり、「ナニコレ?」というような異様な形状の野菜が並んであったり、名前をきいても当然何だかわからないような食べ物が調理されて、売られている。
手にとったり、匂いをかいでみたり・・・。とにかく見てまわるだけで楽しい。
日本には、世界有数の「築地」という市場がある。しかし、一般の人々が日々の食材を調達するマーケットについて言えば、日本人に与えられている選択肢は、情けないほど貧弱である。コンセプトとして一番近いのは、いわゆる「デパチカ」ではないかと思われるが、なにしろ規模が違いすぎて、話にならない。すくなくとも東京近辺ではそうである。あそこでは「いかに早くこの息苦しい空間から抜け出るか」を優先してしまい、ゆったりと「さて今晩は何をつくって食べようかな」などと考える余裕が生まれない。
「Whole Foods Market」は、知っている人は知っているが、自然食にこだわった北米の(チェーンの)店である。スタンフォードにいたときにも近くにあってお世話になったが、そのようにこだわったマーケットであるにもかかわらず、大量の品揃えができてしまうところが凄いと思う。ボクが長く住んでいたバンクーバーにも、やはり自然食を重視した「Capers」や「Choices」という店があった。そういうこだわりに関しても、日本人に与えられている選択肢は限られているとしかいいようがない。確かに最近日本でも自然食の店がいろいろなところにできてきたが、どれも規模が小さくて「選んで買う」というまでにはなかなかいかない。
ボクがあこがれている究極の生活は、毎日仕事の帰りに品揃え豊富な自然食マーケットに立ち寄り、そこでインスピレーションを得て、晩御飯の献立を考えて、必要な食材を買って帰るという生活である。
しかし、いまの自分の生活パターンを振り返って考えてみると、そんな穏やかで豊かな生活からはほど遠い、という感じがする。どうして夜の10時半とか11時ごろまで、外で飲んだり食事したりする日々がこうも続いてしまうのだろうか。どう考えても、それはマットウな生活とは思えないのだが、いかにしてそこから抜け出せるか、いまのところうまく戦略をたてることができないでいるのである。

2007年03月10日

ローマの休日の共有知識

ニューヨークまでの飛行機の中で、「ローマの休日」を見た。
いうまでもなく、オードリー・ヘップバーンとグレゴリー・ペックが共演する古典的名作である。もう、何度見ても面白い。そして、もう何度見ても(オードリー・ヘップバーンが)可愛い。なんというか、ため息が出てしまうほど、可愛い。
彼女はこの映画でデヴューした。だから、最初の出演者の字幕のところで、「introducing Audrey Hepburn」と出る。ま、結構知られた話だが、最初、大俳優のグレゴリー・ペックは、自分主演の映画だと思って、この映画を作り始めた。ところが、撮っているうちに、これは大変な新人と共演しているのだと気づいた。それで、宣伝用のポスターの題字の大きさを、二人とも同じにしてくれと、彼から頼んだ、のだそうである。
この映画の最後のシーンは、一日中楽しいデートをしたものの大使館に戻らなければならず悲しいサヨナラをした翌朝に、ヘップバーン扮する王女さまが、大勢の記者たちと面会するシーンである。彼女はその中に、思いもかけず、ペック扮するアメリカ人記者が立っているのを発見する。いうまでもなく、この映画の最大のキモがここにある。なぜここがキモかというと、この場面は(ちょっと学術的用語を使ってしまって申し訳ないが)二人の間で「共有知識」がはじめて成立する場面だからである。
つまり、彼は、彼女が本当は王女であるということを知って(それを特ダネにしようという下心をもって)、前日デートをしていた。しかし、その段階では、彼女は彼が記者であるということは知らない。もちろん彼は、彼女が知らないということも知った上でデートしていたのである(←この辺に「やっぱりこの映画、ジェンダーバイアスがかかっているわよね」という批判が成立しそうであるが、ちょっとそれはおいておく)。で、この最後のシーンがキモであるのは、彼女が「ああ、そういうことだったの」と、状況をいまはじめて正しく理解したということを、表情ひとつでみせなければならないからである。このシーンにおけるオードリー・ヘップバーンの(表情ひとつだけの)演技で、この映画が素晴らしいものになるかそうでないかが決定する。そして、それが本当に素晴らしいので、われわれはこの映画を何度も何度も見ようという気になるのである。
もちろん、グレゴリー・ペックの方も負けていない。なぜかというと、この場面で、彼は、彼女がすべてを理解したんだということを理解したことを、こちらも表情ひとつでみせなければならないからである。そう、共有知識というのは、両方が知っているというだけでは成立しない。二人とも知っており、二人とも相手が知っているということを知っており、二人とも相手が相手が知っているということを知っているということを知っており・・・・(無限に続く)・・・という状況でなければならないのである。
ところで、いうまでもないが、ここにはもうひとつの共有知識がある。
それは、この映画を見ているわれわれ観客は、前日まで彼は知っているが彼女は知らない、そしてこの場面で初めて彼も彼女も知るようになるんだ、ということをすべて知っているということである。
映画の面白さは、登場人物のあいだで成立している(あるいは成立していない)共有知識と、観客のあいだで成立している共有知識のズレにあるといえるのである。

2007年03月03日

「雲と愛と人生と」の話

この表題を見ただけで、ピンと来る人はすごい。これは、ジョニ・ミッチェルの名曲のひとつ、Both Sides Nowという唄の中に出てくる、いわば三大話である。
ジョニ・ミッチェルは、あんまり日本ではメジャーではないような気がするが、ボクは大好きである。唄だけでなく、あの人の生きざまも大~~~好きである。
ところが、最近ゼミ生たちに「ジョニ・ミッチェル知ってるか」ときくと、たいてい知らないという答えが帰ってくる。とても悲しい。
ただ、このBoth Sides Nowだったら、最近でもテレビのコマーシャルに使われているので、聴けば「あああの曲ね」という方も、結構多いのではないかと思う。
さて、この唄には、日本語では「青春の光と影」というタイトルがついている。
誰がつけたのか知らないが、ボクはこれは変なというか、困った訳だなと思っている。
まず、日本語の「青春」に相当する言葉は、英語には存在しない。
それから、「青春の光と影」というのは、重いというか、濃すぎる。このタイトルだけが一人歩きして、素晴らしい唄がすっ飛んでしまう。なんとももったいない。
そして、もっとも致命的なのは、「青春の光と影」などというと、大人が自分の若い頃を振り返っているというような感じがすることである。あるいは、斜に構えた傍観者が、誰か他人の人生を観察して、あなたの人生にも光と影があったわね、いい時も悪い時も両方あったわね、まあ人生なんてそんなもんよ、などと達観し、偉そうに語っている感じがつきまとってしまうことである。
これは、本当に困る。
なぜかというと、この唄の中でジョニ・ミッチェルが伝えたいのは、こうしたイメージとはまったく逆のメッセージだからである。
つまり・・・・
自分は、空に浮かぶ雲をみても、ひとつの見方じゃないんだということを思い知らされた。
いろいろな恋愛を経験して、愛するとか愛されるとかいうことが何なのかわからなくなった。
ましてや、人生なんて、自分でどう考えていいのか、いまだにこれっぽっちも見当がつかない。
・・・
だから、「達観」とか「傍観」とか「偉そうに」というイメージとは正反対に、この唄は、成長したところで絶対に消えてなくなることのない、人間の根本的な迷いとか疑いについて、語っている唄なのである。嘘だと思うのなら、一度じっくり、彼女の歌詞を英語で読み、彼女の奥行きある歌声を聴いてみるといいと思う。そのメッセージは、心に沁みわたるように、伝わると思う
では、ボクだったら、この唄に日本語のタイトルをつけるとき、なんとつけるか。ボクだったら、きっと、このブログの表題のように「雲と愛と人生と」とする。その方がずっと自然でシンプルで、唄の内容にそのまま即している。
ちなみに、この唄はいろいろな人の持ち歌になっているが、是非彼女自身がオーケストラをバックに歌っているバージョンを聴いてみてください。

2007年02月17日

役と役者(中村吉右衛門さんの話)

世の中にはボクの原稿を待っている編集者さんがいる(←実にありがたいことです)。
そういう編集者さんには申し訳ないのだけれども、この前、また時間を作って歌舞伎座へと、足を運んでしまいました。
2月の出し物は、昼夜を通しての仮名手本忠臣蔵。
いうまでもなく歌舞伎を代表する通し狂言である。
ボクのお目当ては、大星由良之助を演じる吉右衛門さんであった。
先月、彼の俊寛をみて、やっぱりこの人の舞台は全部見ておかなきゃと思うようになり、ちょっと無理して夜の部へ行ってしまった(U原さん、Y田さん、申し訳ない・・・。頑張って原稿も仕上げますから・・・)。
そしたら、期待に違わずよかった。
祇園一力茶屋で酒に酔い遊んでいるところ、スケールのどでかい人間を感じさせた。品があって、知性があって、そして色気もあって、紫色の着物がよくはえていた。最後、縁の下に隠れている裏切り者を切り、これから討ち入りにいくぞという決意をみなぎらせるところ、ゾクゾクしてしまった。
菊五郎さんの勘平もよかった。どこかでボタンを掛け違って人生の歯車が狂ってしまった人間の悲劇がよく出ていた。それから、お軽を演じた玉三郎さんも素晴らしかった。綺麗なことはもちろんだが、背の高さがまったく気にならない。強靭な足腰で、女形としての身のこなしをきわめていると思う。今回は、たっぷり(正直言うとちょっとクドイくらい)花道での(仁左衛門さんとのからみの)観客サービスがあった。
それにしても、この3人、それぞれの役がピタリとはまっている。
あまりにはまっているので、これ以外の役者さんが演じる由良之助や勘平やお軽を想像することが難しいくらいである。しだいに、「吉右衛門の大星由良之助」ではなく「大星由良之助の吉右衛門」を見ているという感じがしてくる。つまり観ているものにとって、役と役者があまりに相互一体化しちゃっているので、その関係が逆転する錯覚にとらわれるのである。ここまでくればたいしたものである。そしてきっと、ここまでくるにはゆるぎない信念とスンゴイ努力の積み重ねがあったのだろうと思う。
・・・と、ここまで書いてきて、役と役者というこの話には、もうひとつ先があるのではないかと最後に思った。
うーん、うまくいえないけど、こういうことです。
役者というのは、役を演じることのプロですよね。
だから、たしかに大星を演じている吉右衛門がいるのであるが、実は、その先にもうひとり(大星を演じている)吉右衛門を演じている本名波野辰次郎さんという人間がいらっしゃる、という構図になっているのではないか。普段われわれは、この方の本名を覚えることがまったくないほどに、この方は二代目中村吉右衛門という大役を見事に演じきっている、といえると思うのである。

2007年02月11日

Lost in Translation

遅ればせながら(ちょっと遅ればせ過ぎるが)、ソフィア・コッポラ監督の映画Lost in Translationを見た。アメリカの友人たちに会うたびにだれからも「あの映画、見たか」といわれていたので、ずっとみたいみたいと思っていたのだが、最近になってようやっとみる機会を得た。
で、感想は、というと・・・。
まず、とっても面白かった。
たとえば、最初の方の、ウィスキーを飲むCMを撮るシーン。無能な通訳が若い監督の指示を伝えられないところ(←まさにlost in translation)は、バイリンガルな人が聞くとかなり傑作なやりとりだと思う。
それから、アメリカにいる奥さんからFedexでカーペットの切りはしサンプルがホテルに送られてくるところ。実は、このシーンは、かのB・ワインゲスト先生のお気に入りのシーンである。ワインゲスト先生を早稲田のシンポジウムに招待したとき、彼はPark Hyattにどうしても泊まりたいとおっしゃられて、その理由がこの映画を見たから、というものであった。で、このシーン、別の意味でのlost in translationを良く象徴していた。
2003年に作られたこの映画が、現代日本の社会をどのように捉えているかという点からも(←ちょっと学術的というか、職業病的であるが)、とても興味深かった。ゲーセン、パチンコ、カラオケ、渋谷や新宿の雑踏などが、まあ誇張も多少入っているが、うまく伝えられていると思った。
セリフも、なかなかよかった。
大きなベッドに並んで横たわって、主人公ボブ(Bill Murry演じる中年映画俳優)に、結婚2年目でありながら歩んでいる人生に疑問を感じ始めた女性シャーレット(Scarlett Johanson)が尋ねるシーンがある。
「I feel stuck.・・・Does it get easier?」
で、これに対し、ボブは、間髪をいれず「No」と答えるのだが、すぐさま「Yes」と言い換える。このあたり、ボクのような中年のオジサンには、コタエル会話である・・・。
バーの歌手と浮気したボブを、すき焼きを食べながらシャーレットが皮肉るシーンで「歳が近いから、育った50年代のこととか、話が合うんじゃない?」というセリフがある。さりげなく知的である。
知的といえば、シャーレットがイェールの哲学科卒業という設定も面白いと思った。そのシャーレットが、ダメ夫から「タバコは健康によくないから止めたら」といわれて、「I stop later」というところがある。このセリフも、笑えた。
この映画は、最後に、帰国の途につくボブがタクシーを止め、ちゃんとしたサヨナラをいいそこねたシャーロットを雑踏の中で抱きしめて、何かをささやく場面がある。そこでどのような言葉が交わされているか、映画ではわからないようになっている。ここにもlost in translationがある。
心の通い合ったプライベートな会話は、当事者二人以外の人間にとっては意味のないものである。しかし、その二人の人間にとっては、はかりしれない重みのある言葉なのである。

2006年12月15日

なでしこイレブン

時間が時間だっただけに、見ようかな、どうしようかなと迷ったけど、きのうの夜、結局午前1時から、アジア大会の女子サッカー決勝の試合を見てしまった。0-0で、延長戦へ。そして、PK戦へ。終わったのは、3時半を過ぎていた。
日本は金メダルには及ばなかったけど、感動的な、素晴らしい試合だった。
リアルタイムで見ることができて、本当によかった。
それにしても、日本の選手たちは、よく頑張った。
スピードも、パスの正確さも、ボールコントロールも、すべて北朝鮮の方が明らかに上回っていた。それを、日本は、戦術とチームワークで補った。最初から最後まで、足の止まる選手がいなかった。この相手に対してはこの戦い方しかないという戦い方を、日本は一丸となって貫いた。DF岩清水、安藤、磯崎、矢野が、ガッツと沈着さを併せ持って、相手の攻撃を封じた。キーパー福元のファインセーブも、目を見張った。
たまらず相手がじれて、そして疲れてきて、数少ないけども日本にチャンスがめぐってきた。日本の選手たちは、それらをちゃんとものにして、相手を脅かした。荒川の左サイドからの三人突破のドリブル、そして沢へのラストパス。いやあ惜しかった。沢のヘッディングから、オフサイド判定で幻のゴールとなった大野のボレーシュート。これも本当に惜しかった。どちらも得点であってもちっともおかしくなかった。勝敗は、まったくもって紙一重であった。
ボクは、自分の娘がサッカーをすることもあって、女子サッカーがもっともっと日本でも普及すればいいなあと思っている。だいいち、女子サッカーは、見ていて楽しい。女子サッカーは、男子のサッカーに比べて、汚いファウルが少ないので、すがすがしい感じがする。たしかに、男子に比べて、シュートやパスの勢いは劣るし、個人技で抜け出てる選手も少ない。しかし、その分女子サッカーにはチームワークが要求されるので、戦術や各プレイヤーのポジショニングがより大切になる。その意味では、男子サッカーより女子サッカーの方が、知的なスポーツである。
それに、女子アスリートは、カッコいい。
ボクの娘は、前にカナダナショナルチームのキャプテン、アンドリア・ニール(Vancouver Whitecaps所属、背番号5)の指導を受けたことがあって、ボクもその縁でアンドリアさんに何度かお目にかかったことがあるが、この方、実にさわやかで、ホレボレしてしまった。ボクの娘もチームで背番号5番をつけているので、彼女にとってもとてもよいロールモデルとなってくれている。
毎年、ボクと娘は、元旦に国立競技場で行われる天皇杯の試合を見に行くことにしている。あまり一般には知られていないが、午後の男子の試合の前に、女子サッカーの天皇杯の試合も組まれている。同じチケットで、両方とも見れるのである。
今年は、より多くの人が、女子の決勝も見にきてくれるといいなあと、願っている。

2006年12月14日

みなとみらい

みなさん、みなとみらい線のみなとみらいという駅で降り立ったことがあるでしょうか。
ボクは、この駅とこの駅周辺が大好きである。
駅の改札口をでて、クィーンズスクェアーの方へ向かうと、ものすごく長いエスカレーターがあって、それに乗っているだけで本当に未来(みらい)都市の空間にいるような感じがする。エスカレーターから下を見おろすと、なんと電車のプラットホームまで見通せてしまう。つまり、駅自体がとてつもない吹き抜け構造になっているのである。これだけ凝ったつくりの駅は、東京にもなかなかない。
みなとみらい周辺には、ショッピングモールがいくつもある。
お金がなくても、ウィンドウショッピングするだけで、実に楽しい。
クィーンズスクェアーのモールは、ディーゼルとかビームスとか、どちらかというと若者向けの店が多いので、ボクのようなオジサンには入りづらい。ときどき勇気を出してコムサストアーをのぞくと、お決まりのビートルズがかかっていて懐かしい気分になるが、やっぱりここにもボクが買うようなものは置いてない(アイスクリームを食べることはあるけどね)。
そこで、オジサンは、どちらかというと、となりのランドマークプラザの方へ足が向いてしまう。JCrewがあり、COACHがあり、In the Roomがあり、この辺がボクのうろつく場所である。クィーンズスクェアーとランドマークプラザの間には、Hard Rock Café Yokohamaがあって、どうしても「今日はアメリカン」な気分に浸りたいとき、どうしてもハンバーガーとポテトが食べたいときに、入ることにしている。
しかし、最近のボクのお気に入りは、コスモワールド遊園地をへだてたワールドポーターズというモールである。その4階には、結構オシャレなインテリアの店がいくつも入っている。ソファーとか、テーブルとか、ベッディング類とか、かなり充実している。2階にはタリーズもあるし、1階の食料品売り場も品揃えが豊富である。そして、最近ボクの勉強場所になりつつあるのが、1階にあるイタリアン・レストランである。この前、時間をずらしてランチに入って、そのままずっと居座って勉強してしまった。平日行くと、結構空いていることがわかったので、また使わせてもらおうと思っている。
ワールドポーターズに飽きたら、そのまま赤れんが倉庫のモールまで歩いていって海を眺めるのもいいし、引き返して横浜美術館方面へ歩いていくのもひろびろしていてとてもすがすがしい散歩コースである。
そうそう、ま、いうまでもないけど、この辺は夜景がとってもきれいである。
どっしりと構えたランドマークタワー、そのまえにある三つの波のようなクィーンズタワー、帆のようなインターコンチネンタルホテル、そしてコスモワールドの観覧車。すこし先にはマリンタワー、そして遠くにはベイブリッジも見える。
横浜は、本当にすばらしい町である。
海が近くにあることが、活動というのか生活というのか、そうしたもののリズムになんともいえない癒しを与えてくれるので、大学からちょっと遠いけど、もう離れられないのである。

2006年11月15日

「エキストラ」

先日、新宿紀伊國屋のサザンシアターで、東京ヴォードヴィルショーの公演「エキストラ」を見た。
ヴォードヴィルの芝居を見るのは、たしか3回目である。もう2年ぐらい前、ヴォードヴィルに所属するある女優さんと仲のよい友人に誘われてはじめていったらとても面白かったので、ボクは、それ以来ずっと、機会があったらまた行きたいとお願いしている。今回は三谷幸喜作・演出で、しかも伊東四朗さんが客演として出るので、どうしても見たいと思っていた。それが実現したわけである。
そしたら、期待通り、よかった。
なんといっても、伊東四朗さんが素晴らしかった。観客の視線を一手に引きつけておいた上でストンと落としたり、まったく思いもかけない間で登場してきたり、会話の受け手(ボケ)を絶妙に演じたり、それでいてちゃんと哀愁を漂わせたり、いやホント、感激しました。
それから、同じく客演の(欽ちゃん劇団出身の)はしのえみさんも、明るくてとってもよかった(ちょっとファンになってしまいそう)。もちろん、大黒柱である佐藤B作・あめくみちこご夫妻も、相変わらず元気いっぱいで、十分楽しませてくれました。
ひとつのセットで、2時間、それも休憩なしに突っ走るというのはかな~り凄いことである。三谷さんの芝居は登場人物が多いことで有名らしいが、今回もちゃんとそれぞれの人物にコネタが仕掛けてあった。こういうシナリオを書くの、楽しいだろうなあ、と思いながら、ボクはうらやましくみていた。この展開のあとにあの話しをもってきて…とか、このシーンのためにはあそこでネタをまいとかなきゃ…とか、結局シナリオづくりというのは、よい学術論文を書くのとまったく同じ作業なのである。
芝居が終わった後で、(友人にくっついて)楽屋を訪ねるのがまた楽しい。出演者のハイテンションがそのまま持続されていて、そこらじゅうにエネルギーがみなぎっている。「あの場面マジで笑いがとまらなくて困ったわ」とか「あそこでトチッちゃってさあ」とか、いろいろ裏話もしてくれて、それをまたほかの劇団員が横からからかったりして、なんか家族のような感じがする。もちろん、中に入るといろいろ神経を使う嫌なことも多いのだろうけど、すくなくとも芝居がハネた直後は、みんな生き生きとしている。
公演は、翌日も、その翌日も、ずっと続く。役者さんは、体調を崩すわけにはいかない。だから、彼らは、楽をむかえるまでは、飲みに行ったりすることもできない。しかも、ひとつの公演がおわると、次の公演が控えている。すぐその稽古に入らなければならないので、ゆっくり休養したりすることもできない。
こう考えると、舞台俳優というのは、かなり強固な自己規律とコミットメントを必要とする職業である。
この辺は、われわれ学者と似ている、とはいえないかもしれない。

2006年11月13日

テニス

ラケットを持って大学のキャンパスを歩いていたりすると、同僚や学生たちから「もうテニスは長いんですか」と聞かれたりすることがある。
そういう時は、「ええ、結構長いんです。でも、ちっともうまくならなくてね」と答える。
ボクが最初にテニスをしたのは、高校時代にアメリカに留学したときである。ホストファミリーの弟がかなりの経験者で、彼に手ほどきを受けたのが最初であった。その後、スタンフォードに留学していた時代に、かなりやった。テニスメートがいたので彼女と毎週水曜日に時間を決めてやっていたし、日本人の留学生仲間と週末遊ぶことも多かった。スタンフォードではキャンパスのいたるところにテニスコートがあって、気軽にできたのが本当によかった。
そして、日本に帰ってきてからは、すでに7―8年続いている。
日本では、毎週テニスをする仲間たちがいる。テレビ関係者、音楽家、サラリーマン、アパレル関係の人、サーファー・・・などなど、実に多彩な人たちが集まって、土曜の夜遅くから、ある場所でやっている。ボクも都合のつく限り、行くことにしている。いや、都合がつかなくても、無理に行くこともある。このあいだの土曜日もそうであった。いまのボクの生活は、無理に都合をつけないと仕事で首がまわらないくらい忙しいので、気分転換のためだと割り切って、参加することにしているのである。
仲間内のテニスといっても、のんべんだらりとやっているわけではない。大学時代に体育会でやっていた二人がコーチの役割をしてくれて、ミニテニス、ストローク、ボレー、サーブ、サーブアンドリターンの一連の練習を、まずみっちり約1時間15分ぐらいする。全身汗まみれになり、はあはあ息が切れるまでやらされる。そして、そのあと45分ほど、パートナーを代えてダブルスで試合をする。われわれの2時間の練習は、本当にうまくなるように組まれている。それに比べると、ある有名なテニススクールに入ったこともあるが、はっきりいって、ああいった類いは、時間の無駄、お金の無駄だと思う。
仲間うちでボクは一応「センセイ」と呼ばれている。しかし、もちろん大学教授だからといって、容赦はない。厳しい「愛のムチ」がどんどんくる。「センセイ、足動いてないよー」、「センセイ、かまえてかまえて」、「センセイ、よくボールみてー」、「センセイ、足、足」・・・などという指導が、次々に大声で飛んでくる。どうもボクに対しては特に厳しいのではないか、と思うこともある。このコーチの二人は、大学教授という職業に対して恨みでもあるのではないか、大学時代、教授の先生にいじめられたのではないか、とかんぐりたくなるほどである。
仲間うちでは、ボクが一番下手である。下手なりにうまくはなっているのであるが、ほかのみんなも同時にうまくなっているので、いつまでたっても彼らに追いつかない。しかし、テニスの上達というのは、語学の上達に似ている。日々努力しても、短期的にはその向上はなかなか目に見えないが、たとえば一年前と比べたら、確実に格段によくなっていることに気付く、そういうものである。
娘が日本に来ると、この仲間たちはいつも暖かく彼女を迎えてくれる。ボクはそのことに、大変感謝している。ふた月後、彼女が日本にやってくる。日本で何をしたいかときくと、娘は必ず「テニス、それからテニス」と答えるのである。

2006年11月07日

エスカレーター設置の恩恵と誘惑

しばらく前になるが、JR高田馬場駅にエスカレーターが新設された。以前は、早稲田方面に行くには、階段を降りるしかなかったが、今ではこのエスカレーターを下っていくことができるようになった。エスカレーターで降りたった地点の方が、階段で降りたつ地点よりも改札口に近い。ご存知のように、高田馬場駅はいつも込んでいて、人を掻き分けるように歩かなければならない。新しい経路の方が、すれ違う人の数も少なくてすむので、とても便利になった。
で、この新しいエスカレーターの設置であるが、実は、もうひとつ、ボクに思いがけない恩恵をもたらしてくれている。それは・・・(エヘヘ)・・・。
以前は、渋谷で山手線に乗る際、高田馬場駅の階段の位置に合わせて乗るようにしていた。しかし、今度できた新しいエスカレーターは、階段よりすこし後方(新宿寄り)に設置されている。そこで、ボクは、最近、このエスカレーターの位置に合わせて乗るようになった。ちょうど6号車の車両の一番後ろにあたる。ホームに電車がきてないと、当然、ボクはその位置で電車を待つことになる。すると、である。すると、ナント、である。目の前に、あの吉永小百合さんがいるのである♪。
そう、Sharpアクオス、「世界の亀山モデル」のどでかい広告が、ボクの目の前にがががーんと掲げられている。吉永さんは、和服をさらりと着こなして、すこし横を向いて座って、微笑みをたたえている。「たたずんでいる」という雰囲気である。どうしたって、ウットリと、見とれてしまう。
いっておきますが、ボクぐらいの年齢になると、そうたやすく、電車の中刷り広告とか駅のポスターとかをじろじろ見入ったりすることはできない、のであります。しかし、電車を待っているボクには、6号車の位置に立つ正当な理由があるのです。別に「見入ってたい」ために、その位置に立っているんじゃないんだからね。高田馬場で降りたとき「そこにちょうどエスカレーターがあって便利」という理由で、ボクはその位置で電車を待っているんだからね。誰に説明する必要もないのだが、ボクはこうしてちゃんと理論武装をした上で、毎朝素晴らしい目の保養ができるようになったのである。エヘヘ。すくなくとも、この広告が掲げられているあいだはね。
さて、実は、もうひとつ、エスカレーター設置によって、とても気になることができてしまった。それは「駅の定食屋ちゃぶぜん」。エスカレーター新設にともなって、高田馬場駅の地下通路にできたお店である、エスカレーターを降り、右へ曲がると、どどーんと丼物の写真が張ってあり、そこに「丼、持ち帰り可」の文字がある。この「持ち帰り可」に、「むむ・・」と一瞬どうしても心が躍る。踊らされて、それでも先へ進むと、今度は「モーニングサービス有り」という文字が目に入る。それが二の矢だとすると、「椅子席あります」という三の矢まで、ある。うまい。実に、うまい。もう完全にこちらとしては興味津々である。いつか入ってみたいなあ、という気にさせられている。どうしようかな、いつか朝ごはんをここで思い切って食べてみるかな、と。
ただ、ここは食券を買うシステムになっているのですね。誘惑に負けて入っても、食券を買うのにモタモタして、学生に見つかっちゃう可能性大である。「先生、今日、ちゃぶぜんで、食券買ってましたね、何食べたんですか」なんて、いわれるの、やっぱりはずかしいかも・・