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市川団十郎

ついこの間、ボクの誕生日だったのだけれど、その時、ある方から、歌舞伎のDVDをプレゼントして頂いた。市川団十郎の「勧進帳」。もちろん団十郎は弁慶。富樫が中村富十郎、義経は尾上菊五郎という配役。

ボクは歌舞伎が大好きで、特に「勧進帳」を東京で演っているときは、必ず見に行くようにしている。しかも、現在活躍している役者の中では、団十郎さんの大ファン。このDVDをプレゼントしてくれた方は、ちゃんとそれを知っていて、選んでくれたのだ。あらためて、感謝、感謝。

さて、この団十郎さん、本当にすごい、と思う。ボクは、団十郎を襲名する前の市川海老蔵の時代も何度も観ていたのだけれど、ま、はっきりいって、その頃はあんまり好きではなかった。独特の声をしていて、それが耳について仕方なかった。ところが、団十郎を襲名した頃から、だんだん変わってきた。それまでは、耳について仕方なかったのに、しだいに、あの声を聞きたい、と思うようになったのだ。その上、いつのまにか、尋常ではないオーラが団十郎さんから出始めた。団十郎さんは、けっして背が高い役者ではない。しかし、見栄をきったり、にらんだりするときのスケールの大きさには、他の追随を許さないものをもっている。で、ボクは、ついに、あの声をきかないと歌舞伎を観た気がしない、団十郎さんが出てないと歌舞伎じゃない、とまで思うようになってきたのだから不思議なものだ。

もちろん、大名跡を継いで、団十郎さんが血のにじむように、精進に励んだことはいうまでもないだろう。日々稽古に稽古を重ねて、歌舞伎役者としての芸を極めていったのにちがいない。しかし、ボクには、どうもそれだけではない、というか、どうも逆ではないかと思えてならない。つまり、団十郎さんが歌舞伎を極めたのではなくて、(うーん、うまくいえないけど)歌舞伎が団十郎さんに近づいていったのではないか、歌舞伎の方が団十郎さんに引き寄せられ、飲み込まれてしまい、歌舞伎なるものが団十郎さんを軸にして新たに再構成されてしまったのではないか、そんな気がするのである。

なぜ、そんなことが起こりうるのか。そんなことがもし起こりうるとすれば、それはもう、芸とか技とかではなくて、魂の仕業でしかないに決まっている。いまの団十郎さんは、その点においては、本当に本当に稀有な役者さんなのではないか、と思う。魂のこもった振舞いは、人を動かし、何百年という伝統にでさえ新たな命を吹き込むことができる。一生のうち、一度でいいから、自分も、そんな仕事をしてみたいものだ。