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2014年02月04日

Larkin Poe

買い物には、いろいろパターンがある。
最近は、あまりやらなくなったが、昔はよく家の近くの古本屋巡りをした。別に当てがあって行くわけではなく、自分が読んでみたいなと思う本に出会えればよいかな、ぐらいの感覚で、半分は暇つぶしで行くようなものであった。だから、そういう場合、10回に9回ぐらいは何も買わないで帰ってきた。さすがにあとの1回は、「あんまり買わないで冷やかしばかりだと、店主によく思われないのではないか」などと気を回して、何か買って来るという感じだった。
このように書くと、買い物の規準がしっかりしているのか、と思われるかもしれないが、実はそんなことはない。
たとえば、同じ古本屋巡りでも、神保町へ行くのでは、パターンはまるっきり違う。電車賃を使ってわざわざ行くのであるから、そういう場合には何も買わないで帰宅するということは、ほとんどない。若干規準が甘くなり、あとになって「買わなくてもよかったかな」という本も買ってきてしまうことがままある。観光名所を訪れてお土産店へ入っちゃうと、なにかしら買うまではなかなか出られない、というのと同じパターンである。
服とか靴に関しては、あまり気を使わないせいか、そもそもそれほど頻繁に買いに行かない。しかし、何かの拍子で気に入ったのが目に付くと、結構衝動買いをする方だと自分で思う。で、思いのほか、衝動買いしたものは、あとになっても後悔することは少なく、長い間着ているものが多い。
音楽についても、ボクは衝動買いすることが多い。そして、たいていの場合、これまた後悔したことがない。
前に、函館にマウンテンブックスという、ボクらのお気に入りのカフェがあった(残念ながら今は閉店してしまった)。そこにはじめて連れて行ってもらった時、かかっていた音楽が素晴らしいものだったので、店員さんになんという人の曲ですか、と尋ねたら、Kate Walshという人のTims Houseというアルバムの中のYour Songという曲だ、と教えてくれた。そしたら、ボクの妻がそれをちゃんとメモしてくれておいて、何かの折にそのアルバムをボクにプレゼントしてくれた。いまでも、心を沈静化するために、よく聴いている。
さて、つい最近に衝動買いしたのは、Larkin Poeというグループである。若い女性二人のボーカルに、バックバンドがつき、カントリー・ブルースの素晴らしいコーラスと演奏を聴かせくれる。先日出張先のトロントで、娘のショッピングに付き合っていた時のこと、Anthropologieという店で、このグループのSea Songという曲がかかっていた(これも店員さんに尋ねて教えてもらった)。それでボクはいっぺんにファンになって、帰国するなり、この曲の入っているCD4枚組を注文してしまった。アマゾンという、本当に便利なものができたものだ。
今では、7ヶ月になるボクらの息子にも、彼女たちの唄を聴かせています。以下のYouTubeは、二人の魅力が本当によく伝わると思うんで、みなさんも、よかったら一度聴いてみて下さい。
http://www.youtube.com/watch?v=DHxUWaC-c3M
(なお、バンド名は奇妙ですが、二人の姉妹がエドガー・アラン・ポーの子孫なのだそうです。)

2013年01月22日

オバマさんの就任演説

オバマさんの二期目の大統領就任演説をビデオで見た。伝え聞くところによると、オバマさんは、「二期目」をつとめた過去の大統領の演説をよく調べ上げて、最後の最後まで、自分で原稿に手を入れたのだそうだ。演説のすぐあとPBSで行われていた歴史学者たちの鼎談のなかでは、ある方(確かエール大学の教授)が、オバマさんの演説は、F・ルーズベルトの二期目の演説のスタイルに似ていた、と発言していた。ま、そうかもしれない(ボクはその演説を聞いたことがないので、なんともいえない)。
しかし、ボクは、この演説はオバマさんならでは、という気がした。そして、20分という短いものだったけど、とても素晴らしい演説だと思った。
今回のオバマさんの演説は、ジェファソンが起草したアメリカ独立宣言の一節、We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal, that they are endowed by their Creator with certain unalienable Rights, that among these are Life, Liberty and the pursuit of Happinessを引用するところから始まる。この建国時の誓いは、残念ながら、二百数十年たった今も、まだ実現されていない。だからそれを実現していこうではないか。いろいろな違いを乗り越えて、いろいろな政策を通して、みんなでそれを実現していこうではないか。それが、今回の演説の大きなメッセージだった。
さて、いつもながら(というと失礼だが)、日本のメディアはことごとく、この演説の意義というか、重要な部分を伝え損なっていた。いくつかの新聞は、演説の内容を無理矢理に日本との関係に引き寄せて、オバマさんが「同盟国との関係を強化していく」と語った部分を強調していた。しかし、この部分はこの演説にとってまったくもって枝葉末節な部分でしかない。そんなところを取り上げてレポートするのは、ま、はっきりいって、ジャーナリズムとしてセンスがないとしか、いいようがない。
あるいは、さっき見ていたテレビなどでは、オバマさんはこの演説で、国家としての「団結」や「連携」を訴えかけようとした、とさかんに説明していた。それは確かにそうなんだが、しかし、団結や連携を訴えたとだけきくと、オバマさんの演説が「穏健なものだったのか」という印象を与えてしまう。もしそのような印象が伝わるとすると、とんでもない誤解である。というのは、実は、今回のオバマさの演説は、かなりラディカルな内容を含むものだったからである。
演説の中で、観衆の反応がもっとも盛り上がったところ、そしてこここそが今回の演説のキモだと思われるところは、(独立宣言の言葉にもかかわらず)女性や黒人そしてゲイの人々に平等な権利が与えられていないことを訴えた部分である。このくだりでは、オバマさんは具体的な固有名詞を列挙し、聴く人たちの感情を鼓舞していた。1つ目は Seneca Falls。これは、1848年というきわめて早い時期に、女性の権利についての会議が開かれた場所として知られている。そして Selma, Alabama。1965年の 公民権運動の記念碑的な場所である。そして、今回とくに歓声があがったのが、ニューヨークのゲー・バー、The Stonewall 。1969年ここに警察が踏み込み乱闘になったことが、ゲイの権利の運動に火をつけるきっかけとなった場所である。こうして、オバマさんは、これらマイノリティの人々の権利を十全に実現していくことこそ、自分に与えられた二期目の大統領としての仕事だ、と力強く宣言したのである。そこには、団結や連携ではなく、そういう権利の前に立ちはだかる偏見や悪しき伝統と対決するという姿勢がみなぎっていた。
もう一カ所、オバマさんが固有名詞を列挙したくだりがあった。その中に出てきたNewtownという名前。そう、あのコネチカット州ニュータウン、26人もの小学生が銃の乱射によって、犠牲になってしまった場所である。こうした子供たちのLife, Liberty, and Pursuit of Happinessが与えられない限りは、われわれの旅は終わらない、とオバマさんは説いた。ここでも、彼は静かに(しかしラディカルに)銃規制に反対する人たちに対して、戦いを挑んでいく姿勢を明確にしたのである。

2012年12月07日

Dave Brubeck

ボクがジャズを聴くようになったのには、いろいろなきっかけがある。まず、大学に入った時、母方の叔父からオスカー・ピーターソンtの「プリーズリクエスト」というアルバムをもらった。「ロックやフォークソングばっかり聴いてないで、少しは大人の音楽も聴きなさい」というメッセージが込められていたわけだ。たしかに、このアルバムは、短いスタンダード曲ばかりを集めたもので聴きやすく初心者向けであった。しかし、正直いって、これを聴いただけではあまりジャズに傾倒しよう、という気にはならなかった。
それからしばらくして、マンハッタン・トランスファーが日本で公演をして、それをテレビでみて、ボクは凄いショックを受けた。MTは、高校時代に留学していたアメリカで、Boy from New York Cityというヒットを飛ばしていたのを知っていたが、まさか本業がこんなにエンターテーニングなジャズのヴォーカル・グループだとは思わなかった。それ以降、ボクはMTのアルバムを買いあさった。そして、彼らが歌うジャズの名曲に、慣れ親しんでいった。
それでいつしか、ボクはスィングジャーナルという雑誌を買うまでに、ジャズに興味を持つようになった。このジャーナルが、ある時、名盤100選というのを特集していた。その頃はお金がなかったので、それを一枚一枚買い集めるなどということはできなかったが、ヒマを見つけてはその本で、誰が誰の影響をうけてどういう音楽を発展させてきたのか、を勉強した。
その100枚の中の一枚が、デーヴ・ブルーベックqのDave Digs Disneyだった。「ハイ・ホー」とか「いつか王子様が」とか、誰もが知っているディズニーのメロディーを明るくアレンジし、彼の真骨頂である変則リズムもとりいれ、しかもポール・デズモンドのサックスも生かした、素晴らしいアルバムである。その後、彼が大学にジャズを持ち込んで若い人たちにジャズを普及させ、圧倒的な支持を得たということを知った。実際、ボク自身、このアルバムを聴いて、他も聴いてみようと思うようになった。スタンゲッツ、MJQ、マイルド・デーヴィス、セロニアス・モンク、キース・ジャレット...。
しかし、ボクにとって、いちばん最初に聴いた、100選に選ばれたジャズ名盤は、このデーヴ・ブルーベックだったのである。
実は、ボクは、この自分の経験を、友人や学生たちにも伝承しようとしている。
もうずっと前、スタンフォードに留学していた時代にさかのぼるが、現経済産業省から留学していたS・Kさんが、「河野さん、ジャズのCDいっぱいもってますね、どれか聴きやすいオススメはないですか」というので、ボクは迷うことなく、このアルバムを渡した。そしたら、1週間ほどして彼から「落ち込んでいたのに、本当に気持ちが晴れやかになりましたよ」と連絡をうけて、とてもうれしくなったのを覚えている。
最近でも、ゼミ生たちから「先生、ジャズを聴いてみたいと思うんですけど、何から聴けばいいんですか」という質問を受けることがあるが、そうした時はいつでもボクは、このアルバムを推薦することにしている。
一度だけ、ボクは、生身のデーヴ・ブルーベックを見た/聴いたことがあった。イェールに留学していた時、ボクの住んでいた寮のすぐ近くのカレッジに彼が招かれて、演奏を交えたレクチャーをすると聞きつけたので、いってみた。はっきり言って、彼が何をしゃべっているのかは、(当時のボクの英語力では)よくわからなかった。しかし、小気味よいピアノの音は、今でもボクの耳に焼き付いている。

ボクの人生に、素晴らしい音楽を紹介してくれたことに感謝しつつ、心から、ご冥福をお祈りする。

2012年07月24日

党派を超える良識?

共和党のマッケイン上院議員が、(民主党政権の)クリントン国務長官のアシスタント Huma Abedinに対して投げかけられた誹謗中傷を、議会で非難した。そのスピーチの一部をここに抜粋します。果たして、この良識的発言が、マッケイン氏の純粋な心の発露であるのか、それともマッケイン氏自身の(たとえば自らの徳を誇示するための)政治的動機によるものかは、わかりません。しかし、こういうレトリックがなければ、政治はいつまでたっても党派的対立を超えることがないのです(ちなみに、この手紙を書いた中心人物は、あの共和党の大統領候補だったミッシェル・バックマン。そうです、あのサラ・ペイリンと同じくらい、ジョークの対象となっている、あの方です (http://www.youtube.com/watch?v=nLPgTbltFn0 をご覧下さい)。

Recently, it has been alleged that Huma, a Muslim American, is part of a nefarious conspiracy to harm the United States by unduly influencing U.S. foreign policy at the Department of State in favor of the Muslim Brotherhood and other Islamist causes. On June 13, five members of Congress wrote to the Deputy Inspector General of the Department of State, demanding that he begin an investigation into the possibility that Huma and other American officials are using their influence to promote the cause of the Muslim Brotherhood within the U.S. government. The information offered to support these serious allegations is based on a report, ‘The Muslim Brotherhood in America,’ produced by the Center for Security Policy.
To say that the accusations made in both documents are not substantiated by the evidence they offer is to be overly polite and diplomatic about it. It is far better, and more accurate, to talk straight: These allegations about Huma, and the report from which they are drawn, are nothing less than an unwarranted and unfounded attack on an honorable citizen, a dedicated American, and a loyal public servant.
The letter alleges that three members of Huma’s family are ‘connected to Muslim Brotherhood operatives and/or organizations.’ Never mind that one of those individuals, Huma’s father, passed away two decades ago. The letter and the report offer not one instance of an action, a decision, or a public position that Huma has taken while at the State Department that would lend credence to the charge that she is promoting anti-American activities within our government. Nor does either document offer any evidence of a direct impact that Huma may have had on one of the U.S. policies with which the authors of the letter and the producers of the report find fault. These sinister accusations rest solely on a few unspecified and unsubstantiated associations of members of Huma’s family, none of which have been shown to harm or threaten the United States in any way. These attacks on Huma have no logic, no basis, and no merit. And they need to stop now.

2012年07月05日

一世一代の選曲

The following is the list of songs played at our wedding party on June 30th. Thank you all for coming and taking part in the special occasion!

(Opening)
1. String quartet in D major Op. 76 No.5 I. Allegretto (Haydn)
2. String quartet in D major Op. 76 No.5 III. Menuetto Allegro (Haydn)
3. String quartet in Eb major Op. 76 No.6 I. Allegretto Allegro (Haydn)
4. String quartet in Eb major Op. 76 No.6 III. Menuetto Presto (Haydn)
5. Me and You (Duke Ellington)
6. You Are Nobody ‘til Somebody Loves You (Dean Martin)
7. Nobody Knows You When You’re down And Out (Danny Kalb)
8. Partita No.3 in E major, BWV 1006 Menuet I (Bach)

(Welcome Speech)
9. Your Song (Kate Walsh)

(Serving Champaign)
10. Suites II No.7 HWV 440 in B-flat Major I. Allemande (Bach; played by Keith Jarrett)
11. Suites II No.7 HWV 440 in B-flat Major II. Courante (Bach; played by Keith Jarrett)
12. Suites II No.7 HWV 440 in B-flat Major IV. Gigue (Bach; played by Keith Jarrett)

(Toast)
13. Brandenburg Concerto No.2 (Bach; trumpet played by Wynton Marsalis)

(Background)
14. I’m Yours (Jason Mraz)
15. Cheek to Cheek (Ella Fitzgerald and Louis Armstrong)
16. Lili Marlene (Marlene Dietrich)
17. Them There Eyes (Billie Holiday)
18 Don’t Think Twice, It’s All Right (Bob Dylan from “No Direction Home”)

(Background continued)
19. Just You, Just Me (Nat King Cole)
20. This Can’t Be Love (Rosemary Clooney)
21. I’ve Got a Woman (Ray Charles)
22. When You Wish Upon A Star (Dave Brubeck Quartet)
23. I’m Just A Lucky So And So (Wes Montgomery)

(Game)
24. Jiving Sister Fanny (The Rolling Stones)
25. Haven’t Met You Yet (Michael Buble)
26. You Can’t Hurry Love (The Supremes)
27. This Magic Moment (The Drifters)
28. Don’t Be Cruel (Elvis Presley)

(Background)
29. L-O-V-E (Nat King Cole)
30. Les Trois Cloches (Edith Piaf)
31. Because (The Dave Clark Five)
32. The Circle Game (Joni Mitchell)
33. French Suite #5 in G, BWV 816 Gigue (Bach; played by Glenn Gould)
34. French Suite #5 in G, BWV 816 Allemande (Bach; played by Glenn Gould)
35. Tumbling Dice (The Rolling Stones)
36. Hello, Mary Lou (Ricky Nelson)
37. Natural Woman (Aretha Franklin)
38. It Never Entered My Mind (Miles Davis)

(Farewell)
39. When A Man Loves A Woman (Percy Sledge)
40. Don’t Stop (Fleetwood Mac)
41. Hymne A L Amour (Edith Piaf)
42. Both Sides Now (Joni Mitchell, orchestra version)
43. On The Sunny Side of the Street (Billie Holiday)

2011年11月10日

Chuck LorreとChristopher Lloyd

ボクが、チャック・ロアーという人がいる、と知ったのは、Big Bang Theoryというコメディを見ていたときであった。ボクは、このCBS系列のシリーズが、いま大のお気に入りである。Seinfeldなきあと、そしてFriendsなきあと、いま最先端のコメディだと思う。この間北米に出張した際、二つもDVDを買ってしまった。主人公の一人シェルデンのセリフは、どれも抱腹絶倒するものばかりだが、その一方で、いやーよく考えられているなあ、と感心してしまう。インテリジェンスがみなぎったコメディである。そう、リック・ペリーとか、ミシェル・バックマンとかには、絶対に通じないユーモアになっていると思う(でも、ニュート・ギングリッヂには通じるかも)。
で、このシリーズのプロデューサーがチャック・ロアーなのである。どこかで見る名前だな、と思ったら、チャーリー・シーンが物議をかもして降ろされたコメディTwo and a Half Manのプロデューサーでもあった。こちらのシリーズは、ジョン・ステイモスが新たに主人公に決まって、新しいシーズンがスタートした、ときいていた。で、これも、先日北米に出張した際、この新シーズンの第一話を見る機会に恵まれた。大ヒットだった前作の二番煎じになって質が低下するのではないか、と思いきや、とんでもない。すくなくとも、この第一話を見る限りは、期待できる内容となっていた。というわけで、あらためて、ロアーの才能をひしひしと思い知らされたのであった。
Christopher Lloydの方は、もともとFraiserのプロデューサーとして名前を知っていた。ボクは、しばらくの間、この方は映画バック・トゥー・ザ・フューチャーの「ドック」役の俳優さんと同一人物とばかり思い込んでいた。ところが、実は同姓同名なだけで、違うひとなのだ、ということを最近になって知った。
さて、この方の最近のヒット作はModern Familyである。これも、いやはや、実に面白いコメディである。歳の離れたメキシコ人の女性(連れ子あり)と結婚した中年男性。その男性の息子とやり手の奥さんの間に3人のこまっしゃくれた子供がいる。そして、その奥さんの男兄弟がゲイで、パートナーと一緒にベトナム出身の娘を引き取って育てている。この三つの家庭が舞台となって、話が展開する。現代アメリカの家族形態の諸相を鋭く捉えており、こちらもインテリジェンスに満ちている(モルモン教徒のミット・ロムニーやジョン・ハンツマンには、通じないだろうけど)。
いやー、やっぱりアメリカのコメディは、裾野が広いし、才能を感じさせるものが多い。そして、俳優さんたちが、みんなうまい。もしボクがアメリカで生まれていたら、きっとそういう道をめざしていたと思う。

2011年04月01日

名ゼリフ

先日、横浜のあるレストランで、ボクとSignificant Otherが食事をしていたら、30代前半ぐらいの男女が入ってきました。で、その男の方は、席に着くなり、席に案内したサーバーにむかい、次のように言い放ったのであります。
「カノジョが、今日は突然体調崩しちゃって・・・。だから、今日は、会社の後輩、連れてきました。」
ぷふっ。クスクス。あっははは。
いやー、これほどの名ゼリフ、しばらく聞いたことがなかったすね。
そこから、ボクとSOの詮索がいろいろと始まったのであります。
詮索①:そもそもなぜこんなことを、サーバーに告げなければならないのか?
SO:ふつうに考えれば、男の方は常連さんで、いつもとは違う女性を連れてきたことを、レストランの側が怪しいと思うのではないかと考えて、機先を制したっていうことよね。
ボク:しかし、そうだとすると、滑稽もいいところだ。第一に、「レストランの側が怪しいと思うのではないか」などと考えること自体、自意識過剰。それに、一流のレストランであれば、たとえ怪しいと思っても、それを暗示させるようなことは絶対にありえない。ということは、この男は、上のセリフをいうことで、レストランに対して「おたくは一流じゃない」というメッセージを発してしまっているわけだ。いわれた側のレストランにしてみれば、失礼な話だよ。で、それに気づかないってところが、ホント、滑稽だな。
詮索②:二人の関係は?
ボク:本当に後輩かな。それとも、レストランの手前、「後輩ってことにしておいて」と口裏を合わせることにしたのかな。
SO:何らかの後輩は後輩なんじゃない。そんな嘘つくような人に対しては、女の人は警戒するものよ。
ボク:じゃあ、男の彼女さんは、「後輩と行くから」ってこと、知らされているのかな。
SO:まさかー。後輩を気軽に連れて来るレストランじゃないわよ。男には下心がある、絶対。ワインとかガンガン飲んでるし。
詮索③:どちらが上か?
ボク:とすると、この女の方は、男の下心を知りつつ、ついて来たのかな。
SO:純粋においしいものを食べたかったのかもしれないけど、純粋そうに振る舞って、男の気持ちを試しているのかもしれないわね。
ボク:じゃあ、男の方は、女が自分の下心に感づいているということを知りつつ、来ているのかな。
SO:うーん。(しばし沈黙。ちらちらと二人の方へ目をやる。)いや、男は、わかってない。結局、男は単純だから・・・。男は、自分の方が上をいっていると思い込んでも、たいていは女に見透かされているもんだから。

2011年01月23日

シールズ&ブルックス(とオバマ大統領のアリゾナ演説)

念のため、ブルック・シールズ(Brooke Shields)のことではありません。Mark ShieldsとDavid Brooksのこと。
この二人のベテランコラムニストが、毎週金曜日、アメリカのPBSのNews Hourという番組に登場して、一週間の政治について語るというコーナーがある。司会は、これまたベテランで、アンカーとして高く評価されているJim Lehrer。
ボクはこのコーナーが大好きである。落ち着いた大人の会話が流れている。情報の新鮮さというよりも、情報を解釈してみせるときに「鋭いな」と思わせるコメントがどこかに必ず含まれている。二人ともリベラルだ(と思う)が、もちろん評価や意見が異なるときがある。すると、お互い、どこにその違いが由来するのかを考える冷静さをもち、そのプロセスを通じて、視聴者の方も、なるほどいろいろな考え方ができるんだな、ということを納得する。非常に知的な掛け合いである。
ボクは、このコーナーがどのくらい長く続いているのだろうと思い調べてみたら、なんと(年上の)シールズさんの方は1988年から(パートナーを変えながらも)ずっと出演しているのだそうである。すごい、というか、こうなるともう立派な伝統である。夜のプライムタイムでレギュラーをずっと張れるのは、彼らが単に優秀だからではなく、常に努力をおしまず切磋琢磨しているからにほかならない。そうであるがゆえ、このコーナー自体も、多くの人から長いあいだ支持されているわけである。短いスパンで番組(やレギュラー)が次々と衣替えをする日本の報道番組とは、ちょっとちがう。
ジャーナリズムとは、本来、それぞれ自律している個々のジャーナリストたちによる集合的営みとして成立するものである。たとえばブルックスさんは、いちおうNew York Timesのコラムニストということになっているが、PBSのみならずABCやNBCの解説番組でもよくみかける。イギリスBBCの記者がアメリカの(他局の)討論番組に登場するということも頻繁にある。ところが、日本では、読売新聞の記者がテレビ朝日の報道番組に出演するなどということは、あまり想像できない。もしも日本で、ジャーナリズムとは日夜切磋琢磨すべき個々のジャーナリストたちによって支えられるものであるということがよく理解されていないとすれば、各新聞社・テレビ局の営みは累々続いたとしても、ジャーナリズムの伝統が確立されることはない。
さて、二週間ほど前のシールズ&ブルックスでは、アリゾナ州で起きた惨劇と、それについてのオバマ大統領の演説が話題となっていた。シールズさんは、友人の言葉であると断りながらも、この経緯について、次のように見事に、その本質を解説していた。We saw a white, Catholic, Republican federal judge murdered on his way to greet a Democratic woman, member of Congress, who was his friend and was Jewish. Her life was saved initially by a 20-year-old Mexican-American college student, who saved her, and eventually by a Korean-American combat surgeon. …And then it was all eulogized and explained by our African-American president. And, in a tragic event, that's a remarkable statement about the country.
ちなみに、このオバマ大統領の演説は、彼の数々の名演説の中でもとくに素晴らしい演説であったと評価されている。ボクもおそまきながら今日you-tubeで聴いて、涙が止まらなかった。いかにただの言葉にすぎない演説が、人々の魂を鎮め、混乱から国家を救い、国民に夢と希望を復活させることができるのか、みなさんも是非聴いてみてください。

2010年12月16日

Stephanie Nolen

カナダの全国紙であるGlobe and Mailは、世界各地に特派員を送り続けている、いまでは希少なメディアのひとつであるが、その記者Stephanie Nolenさんのお話をラジオで聞いた(CBC “Ideas” Nov. 25)。彼女は、アフガニスタン、イラク、コンゴ、ルワンダなど、数々の戦争や内戦などをカバーし、優れたジャーナリストとして何度も表彰されている。
その番組(ジャーナリストを目指す大学生を対象にして行われた記念講演 “Dalton Camp Lecture” の録音)は、ジャーナリズムの心構えを自分の経験に則して語るというものであったが、そこで語られている経験はハンパではなく、圧倒的な説得力をもっていた(日本で、質問も取材もせず、政治家の言ったことをただただパソコンでメモることがジャーナリズムだと勘違いしている人たちの心構えや経験とは大違いである)。たとえば・・・
ジンバブエでは、いつも不正な選挙をやっており、野党支持者に対する暴力的弾圧などを伝えようとする外国人特派員も、いつも危険にさらされていた。2008年の大統領選挙が始まったとき、Nolenさんは、最初、どうせ同じ不正が繰り替えされるだけと思い込んで現地に行かないことにしていた。ところが、選挙の数日前、ヨハネスブルグの彼女のオフィスにファックスが届き、選挙管理人から正式な取材許可がおりることが知らされる。それでは、と、行ってみたところが、なんと、彼女は歴史的事件を目撃するだけでなく、歴史的事件を作る人となる。選挙管理人たちが勇気をもって彼女に本当の選挙結果を伝え、彼女はその結果をただちに、つまり政府が結果を改ざんしようとする前に、Globe and Mailのウェブサイトにアップロードして世界に発信したのである。このことが、それ以降のムガベ大統領による独裁を大きく揺るがせることになった。
あるいは、コンゴの内戦の話。女性に対する性的暴力が武器であることを取材にいこうとしたところ、現地の援助機関の人たちは「会いに行った所で、誰もあなたに話しをするわけないでしょ」と諭す。それでも、Nolenさんは「私が行かなければ、(しようと思ったって)私に話しをすることはできない」と、ジャングル奥深くへと入っていく。ガイドが用意した建物で「誰も話しをしてくれないとすると、さてはて、どういう記事を書けばいいのだろうと」と考え込んでいると、そこに4人の女性が現れる。「あなたが私たちに起こった話しを聴きたいと、聞いてきた」という。木に一ヶ月のあいだ縛り付けられ、7−8人の兵士たちに毎日レイプされ続けた16歳のアンニャ。自分の夫が銃口を突きつけられるなか、10人の政府軍兵士にレイプされた55歳のイファ。7ヶ月になる自分の子供がすぐそばで泣き叫ぶ中、棒と銃口でレイプされた21歳のシャミ。自分の義父の上に乗っかれと命令され、その上でレイプされた52歳のレオニ・・・。コンゴのどの村へいっても、こうした話しを女性たちが語り、語り続け、Nolenさんの3冊のメモ帳はたちまちいっぱいになる。雑誌の切れ端や航空券チケットの裏にまで、話を書き留める。なぜ、女性たちはこれほどまでに、語したかったか。「それは、私が、彼女たちに話しを聞きたいといった、最初の人間だったからである。彼女たちには、警察もない。裁判所もない。政府もない。」
Nolenさんは、女性の方がジャーナリストに向いていると断言している。それは、世の中に起こっていることの半分は女性が関わっているが、女性には女性にしか打ち明けない真実があるからである、と。その通りだと思う。
彼女の講演を聴くと、いったいジャーナリストは自らが抱える「怒り」をどう処理するのだろうか、と誰もが思う。しかし、彼女はその疑問に対する素晴らしい答えを、質疑応答の中で述べていた。興味がある人は、どうか彼女の講演を聴いてみてください。

2010年09月08日

政治とコメディ

最近、日本では、世相を皮肉る芸人が少ない(ような気がする)。
ボクが育ち盛りのときは、モノマネといえば、政治家のモノマネが定番だった。田中とか福田とか大平とか、格好のネタだった。それがいつ頃からだろうか(天才コロッケの登場あたりからか)、すっかりメジャーの笑いから外れている。政治家の真似をしても面白くないと思っているのか。あるいは、真似してもウケを狙える大物の政治家がいなくなったのか。
ボクのゼミの一期生にK君という八方破りの男がいるのだが、K君はよく政治家のモノマネをして、みんなを笑わせてくれた。小泉元首相とか、石破茂政調会長とか。そう、現代においても、モノマネしたら面白い政治家はたくさんいると思う。民主党の(しゃべり出したらとまらない)Y副代表、(笑顔が作り笑顔にしかならない)R大臣、みんなの党の(髪の毛を立ててない素の顔を見てみたい)W代表・・・。どれも特徴をつかみやすいし、結構笑えると思うけど。
ボクは、海外へいくたびに飛行機の中やホテルで、HBOのスタンドアップコメディーを見ることにしているが、向こうでは「ここまでいっちゃって大丈夫か」というような、政治風刺がいまでも盛んである。たいがい、こうしたコメディアンたちは、共和党や保守派に対して特に批判的であり、ブッシュやサラ・ペーリンなどが格好のターゲットにされている。どれも一時間以上にわたって、もちろん何もメモなどみることなく、次から次へとネタを浴びせ続け、客を掴んではなさない。はっきりいって、こうした計算されたプロの笑いを見てしまうと、今の日本のお笑い芸人の芸は薄っぺらで、比べようもない。
最近の中では、ひとつはBill Maherの新しいショーが強烈だった。「いまだに進化論を受け入れない(←つまり神様がこの世を作ったと信じている)人たちが多数派を占めるアメリカは、アホstupidで、反知的anti-intellectualである」と決め付け、テキサスあたりの「いなかもの」をとことんコケにする。そして、アフガニスタン戦争への反対を唱え、オバマ政権にも釘をさす。それを、すべて笑いにつつんでやるところが、うーん、すごいな、と感心する。
しかし、今回それよりも、もっとすごいのをみた。Robert Klineの新しいネタ、Unfair and Unbalanced。この人のショーは、いつも歌が入る。自分でハーモニカも吹いて、エンターテイメントとして本当に素晴らしい(ただし、あまりに露骨な性的表現が多いので、それがいやな人には見せられない)。今回は、ゲイ批判を続けていたのに自分もゲイだったことが発覚した元上院議員を皮肉った場面が、最高に面白かった。この上院議員は、なんと、空港の公衆トイレでセックス行為をしていたところを見つかっちゃったのである。その滑稽さを、さんざんバカにして、からかっていた。みなさん、本当に可笑しいので、ぜひチャンスがあったら、ご覧になってください。
いうまでもないが、政治家をネタとして笑い飛ばす、というのは、民主主義においてきわめて健全なことである。笑い飛ばしているのが有権者であり、笑い飛ばされているのが(その奉仕者であるべき)政治家という構図は、民主主義の権力関係をよく凝縮して表現しているからである。もしも、万が一、政治家をネタとして笑い飛ばしてはならないなどという雰囲気ないし圧力を、日本の芸人たちや(彼らを採用する)メディアの方が感じているとすれば、それはとんでもない、反民主主義的な事態である。

2009年11月01日

コンファメーションについて


チャーリー・パーカーが残した名曲のひとつにConfirmationというのがある。テンポが速く、音階も広くてJazzの難曲のひとつとされる。コンファメーションというのは、英語で「確認する」とか「確約する」とかいう意味である。ボクはこの曲になんでそのようなタイトルが付いているんだろうと、気になってネットでいろいろ調べたことがあった。しかし、結局答えはみつからなかった。マンハッタン・トランスファーがジョン・ヘンドリックスの付けた歌詞でこの曲を歌っていて、それは「ジャズっていいねえ」ということをこの曲でチャーリー・パーカーが確認したかったんだというような内容になっているが、どうもその解釈は違うような気がする。それよりは、この曲があまりにむずかしいので、「これがちゃんと吹けたら、一人前として認めてやる」というメッセージを、彼が送りたかったのではないか、と、ボクは一応のところ解釈している。
ところが、この前ふと、もしかしてこのConfirmationというタイトルには、もうひとつ別の意味が隠されているのではないか、と思うにいたった。それは、人間の行動についての、深層的というか哲学的というか、そういうレベルの話である。そして、それはボクの研究している政治学とか政治経済学とかと、根本的なところでつながっている、と空想が広がってしまった。
ボクらの業界では(←つまり研究者のあいだでは、という意味)、一般に、人間は自分の満足を高めたり効用を最大化したりする存在だ、と考えられている。たとえば、同じ金額を払うのであれば、質の悪いB社の製品よりは、質のよいA社の製品を手に入れたいと思うであろうし、同じ質の製品であれば、価格の高いB社よりは価格の低いA社を選ぶだろう、というわけである。もちろん、世の中には自分ではいかんともしがたい(たとえば給料とかの)制約がいろいろある。だから、無制限に自分の欲望を満たすような選択をすることはできない(そんなことをしたら法律という制約に引っかかって刑務所に入れられることになる)。ただ、すくなくとも既存の制約の範囲内では、人間は自分にとってもっとも良い(と思える)合理的な選択をしている、と考えられているのである。
しかし、ボクの経験では、どう考えても自分では合理的とは思えないような行動をしているときが多い。おそらくボクだけでなく誰もがそういう経験をしたことがあるのではないかと思うが、たとえば、何度いってもあの店のカレーライスは不味いなと思いながらも、どういうわけかその店にいってカレーライスを注文してしまうとか、あるいは、どう考えてもこういうタイプの異性と付き合ったら傷ついて破局をむかえるだけだとわかっているのに、なんども同じタイプの異性を好きになってしまう、といったように、である。このようなわれわれの行動を、満足や効用の最大化原理によって導かれていると考えることは、なかなか(かなりのこじつけをしない限り)むずかしい。
そこでボクがふと思いついたのは、人間の行動というのは、すべてわれわれのConfirmationへの欲求によって突き動かされているのではないか、ということなのであった。つまり、不味いカレーライスを食べにいくのは、そういう行動をとることで「ああ今日もやっぱり不味かったなあ」と、自分の評価が正しかったことを確認したいからなのではないだろうか。同じタイプの異性と付き合ってしまうのは「ああ今回もやっぱりだめだったなあ」と、自分の見通しが正しかったことを確認したいからなのではないだろうか。そうすると、こうしたネガティブで自己破壊的な行動のみならず、一見合理的だと考えられる行動も、同じ論理で説明できることに気づく。つまり、おいしいカレーライスを食べたいと思い、おいしいカレーライスを出してくれる店にいくのも、「ああここはいつ来てもおいしいなあ」という、自分の(ポジティブな)評価が正しかったことを確認したいからなのではないか、ということなのである。
Confirmation。そのようなことを考えつつあらためてこの曲を聴いていると、うーん、やっぱりオレの発想も捨てたもんじゃない、と自己満足的に自らの才能を再確認している自分がいるのである。

2009年10月07日

小三治の厩火事を聴く

鈴本の夜の部に小三治師匠が出ていると知ったので、時間をやりくりして聴きに行った。
生で見るのは、初めてである。プロフェッショナルという番組で彼の特集を見たとき、やはりこの人の噺は一度ちゃんと寄席で聴いておきたいと思うに至り、今回それがようやく実現した。
上野広小路に着いたのは、開場30分前。しかし、雨の中もうずらりと行列ができている。ふつうの日だからすいているかと思ったら、大間違いであった。そんなことで、弁当も買い損ねて、中で海苔せんべいとミックスナッツとビールを買い込み、着席。それがその日の夕食代わりとなった。
大看板が登場するまでには、まだ3時間もある。しかし、その3時間のあいだ、すべての観客が彼の出番を待っていた。それは誰の目にも明らかであった。他の出演者も「あと少しで出てきますから」などといって、客が自分ではなく柳家小三治を聴きに来ているのだということを素直に受けとめていた。楽屋に師匠がいるということを意識してか、舞台は最初から最後まで緊張感に包まれ、非常に引き締まっていたように思う。
マクラが面白かった。「昨日は、マクラで乾電池の話をしたんです」と始まり、結局その日のマクラも、その乾電池の話の発展系に終始した。師匠は、マクラでの客の反応をみて、演目を決めるらしいので、ボクは「いったいこの反応だと、どういう噺になるのだろう」と、自分たちの笑いのレベルがどんなものなのか気にしながら聴いていた。一段落したところで、「じゃあ、この辺で、落語でもやりますか」と、彼らしく笑いを誘っておいて、「厩火事」が始まった。
「落語には、面白くない噺も多いんです、今日の話もそのひとつです。」
たしかに、厩火事は、人情に訴えるところもある。夫婦関係を考えさせるという、かなりシビアなメッセージもある。またあまりに有名な最後のサゲは、ブラックユーモアの極限みたいなもので、「滑稽」という意味での「面白い」とは程遠い。しかし、それでも師匠は、細かなところで笑いをとりつつ、絶妙に(ホント、肘の使い方ひとつで)人物を演じ分けて、われわれを髪結い女房とその亭主の世界に引きずりこんでいった。ボクは、大満足であった。
家にもどって、もう一度プロフェッショナルという特集番組をyou-tubeで見た。彼は、悩んでいたとき、「落語を面白くするには、面白くしようとしないことだ」という志ん生の言葉に活路を見出し、自分をありのまま出そうとすることを心がけようとすることで境地を開いたのだそうである。そして、彼は「笑わせようとするんじゃなく、つい笑ってしまうのが芸だ」という。
志ん生の言葉も、師匠自身の言葉も、どちらもとてつもない逆説を含んでいる。
ボクが、文章を書くことを職業にしたときに、自分の中で大きく響いていたのは、村上春樹がむかしあるインタヴューで語っていた言葉で、それは確か「うまい文章を書くためには、うまい文章を書くことをあきらめることだ」というような内容であった。ここにも、同じような逆説があるが、それをボクはボクなりに、「よい文章とは、すべてを捨て去ったまっさらな中から自然と生まれてくるもの」と理解してきた。
小三治師匠には遠く及ばないながらも、ボクも仕事の中で、もっともっとうまく自分のありのままを出せるように、と願うばかりである。

2009年08月23日

When We Met Jake

We met Jake on Lane 13 of Arbutus Bowling Club.
Well, we did not meet Jake, to be exact. We simply saw him.
He was with his mother, his sister, and sister’s friend (seemingly).
They were playing their game of 5-pin bowling on Lane 14, right next to ours.
All happy and cheerful, one summer afternoon.
Jake looked about five years old.
He could not lift the bowling ball with just one hand. So, he used two hands and threw the ball underhand; just as many other five year olds would do.
And, often, his mother helped him carry and release the ball; just as many other mothers of five year olds would do.
He sometimes uttered: “Am I winning? …Mom, am I winning?”
The mother always replied, “you are at the top.”
Certainly, his name appeared at the top of the players’ list on the screen.
But, his score was certainly not the highest.
Even as he tried hard, his ball usually missed the pins. Often completely.
So he uttered, too: “Am I still the number one? … Mom, am I still the number one?”
The mother replied, “well, not quite, but the game is not over yet.”
What makes wonderful mothers is universal in the world: 95 % patience and 5% wisdom.
By this point, my daughter, her two cousins visiting from Toronto, and I were all in love with Jake; with his untidy blonde hair and T-shirt too short for him, too.
“Mom, am I still winning? Am I the champion?”
“Well, you are still at the top, Jake. You are still at the top.”
We left the bowling place first, so we do not know what prize Jake got for finishing as the “top.”
We could not stop talking about Jake for the rest of the day.
Indeed, for several days.
And, finally, we saw Jake again.
We were in a car driving back from lunch or something, and he was walking with his family on West 12th street.
“That’s Jake! That’s Jake!”
Everybody in the car screamed at once.
He again made our day.
All happy and cheerful, another summer afternoon in Vancouver 2009.

2009年06月21日

ソフトクリームの世代論

はじめてソフトクリームを食べたのは、まだ小学生の時であった。
今でもよく覚えているが、ある日突然、ボクの住んでいた日吉(東急東横線沿い)の駅を降り立ったすぐ目の前に、ソフトクリームを売る店が登場した。いまちょうど文明堂の売店があるあたりである。ボクをはじめとして、当時遊び盛りの日吉のガキンチョたちは、「なんだ、なんだ」という感じで、最初遠巻きに、その店を眺めていた。そのうち、大人たちがおいしそうに、そこでソフトクリームを買って食べているのをみて、食べたくなった。それで、親にねだって買ってもらった。それが最初であった。
たしか、当初その店で売っていたソフトクリームの種類は、バニラしかなかった。そのあと、チョコレートとバニラのミックスが出て、それから薄ピンク色のストロベリーも出た(と記憶している)。ボクのお気に入りは、なんといってもチョコレートとバニラのミックスであった。
ソフトクリームは、当時の日本では贅沢品であった。その当時ボクらガキンチョがふつう食べていたのは、定価30円とか50円とかの、カップに入ったアイスクリームであった。お小遣いが少ない時は、定価10円とかのアイスキャンディーで我慢した。
しかし、ソフトクリームは、当時150円とか、桁外れの値段がした。だから、もちろんそう頻繁には食べられない。ソフトクリームを食べるのは、なにか特別なときだったのである。
ソフトクリームはすぐにとけてしまうので、そのまま立って食べたり、歩きながら食べたりしなければならない。ところが、当時ソフトクリームはまだ身近な商品ではなかったので、大人たちの食べ方は、みなどことなくぎこちなかった。実際、ボクの父親などは、立ってそのまま食べるのは「はしたない」ということで、挑戦しようともしなかった。しかし、ボクらガキンチョはそんなのは平気なやんちゃ少年少女で、みな、あんぐりと口をあけ、ぺろぺろと舌を出し、くるくるとコーンを回しながら食べた。
考えてみれば、ボクの父親の世代は、彼らが子供の時にソフトクリームを食べたことがないので、一生ソフトクリームの食べ方がぎこちないままで終わった世代であった。そこへいくと、ボクらの世代は、日本でソフトクリームの食べ方を子供の時に身につけた、最初の世代である。ソフトクリームを食べることに関しては、パイオニア、ないし草分け的存在なのである。
ボクは、いまでも週一回、ソフトクリームを食べることにしている。それは、毎週土曜日、テニスへ行く前に、エネルギー補給と称して、食べるのである。
テニスコートの近くのフードコートで買って、そのまま食べながらコートまで歩いていく。自分のような中年のオヤジでも、ソフトクリームを食べて歩いていると、子供の時のあのやんちゃな気分に戻ることができる。だから、まわりを歩いている同世代の人たちに対してこれみよがしに、「ほらほら、オレ、まだこんなにやんちゃなんだぜ、若いんだぜ」と、いうシグナルを送りながら歩く。ソフトクリームを食べて歩いていると、ボクよりもはるかに若い人からも、羨望の視線を浴びる。一番うれしいのは、こっちを見た子供たちが「あ、ボクもたべたーい」と親にねだっている声が、どこからかきこえてくるときである。

2009年05月12日

オリジナルはベストか

今日、いつものように、朝、いきつけのコーヒーショップで勉強していたら、昔よく聴いたジョージ・ハリスンの名曲を誰かがアレンジしなおしたのが流れてきた。あ、これ、All Things Must Passだ、そう思った瞬間、ショップのお姉さんと目が合ってしまって、「知ってる、この曲?もとはジョージ・ハリスンの唄だったんだよ」といった。
すると、彼女、「ジョージ・ハリスンって誰ですか?」。
ガーン、ショック・・・。そうか、いまの若いひとは、ジョージ・ハリスンを知らないのかぁ、SMAPのメンバーの名前は全員言えても(←ボクは言えない)、ビートルズの4人が誰かは知らないんだ・・・。
「ええと、ジョージ・ハリスンはねぇ・・・、ビートルズが解散するとすぐ、3枚組みのアルバムを出してね、それがAll Things Must Passっていうアルバムで、さっきのはそのタイトルソングだったんだよ・・・」と、親切に説明しようかと思ったけど、面倒くさくなって、やめた。
相手が同年代だと、「ジョージ・ハリスンって、ほら、パティ・ボイドと結婚して、でも彼女をエリック・クラプトンに寝取られちゃった人」というと、たいていウケるわけだが、そんなこといったって、通じるわけがない。
家に戻って、ジョージの唄が懐かしくなってしまい、いろいろ、you-tubeで探してみた。そうそう、バングラデシュ救済コンサートの中で、いくつか、いまでは考えられないような共演があったっけと思い出し、それを中心に、サーチをかけた。
そしたら、ある、ある、珠玉の名演がちゃんと、見られるのである。
知っている人は知っている通り、このコンサートには、リンゴ・スター、エリック・クラプトン、ボブ・ディランなど、そうそうたるジョージの友人たちが、無報酬で参加している。で、それぞれのもとの持ち歌とは全然ちがうライブテイクが聴けるのである。
まず、Here Comes the Sun。これは、アコースティックギターで、ジョージが弾き語りするもの。これは、掛け値なしに、素晴らしい。「アビーロード」に入っているオリジナルよりも、こっちの方が全然ロマンチックである。
それから、ジョージとディランとレオン・ラッセルによる共演で、Just Like a Woman。ボクは、「偉大なる復活(Before the Flood)」の、ギター一本(プラスハーモニカ)のバージョンも大好きだが、もう何十年ぶりにこの3人の共演バージョンを聴いて、これもいいなあ、とあらためて思った。ボブ・ディランの凄いところは、この唄に限らず、どの唄も、バージョンによって、まったく違う唄になっちゃうというところ。彼の場合、オリジナルよりも、こうしたライブの方が、圧倒的に魅力的である。
ボブ・ディランとジョージは、If Not For Youでも共演している。これは、もともとは、ジョージがディランに送った曲だったと思う。しかし、これに関しては、ボクはジョージの3枚組の中のバージョンの方が好きである。
・・・というわけで、結論をいうと、オリジナルは、必ずしもベストではない。後から作られたリメイクの方が、いい場合もあるし、そっちの方が有名になることもある。
さて、ひとしきり、昔聴いた音楽を何十年ぶりかに聴いたあとで、まさかないだろう、と思ったが、もしや、と思い、オードリー・ヘップバーンが映画「ティファニーで朝食を」の中で唄う「ムーン・リヴァー」をサーチしてみた。そしたら、ジャジャジャーァン、ちゃんとありました。もう、この曲に限っては、誰がなんと言おうと、このオリジナルがベストです、はい。みなさんも、彼女の美しさとイノセントな唄声に、どうか魅せられてください。

2009年04月17日

Night Ride Home

それは、ある7月4日のこと。場所は、ハワイ。
独立記念日の晩、どこかで開かれていたパーティから、恋人と二人で車で帰るところ。
「たまにあるのよね、大きくて青い月の下に、こういう夜がやってくることが・・・」と、語りかけるように、その唄は始まる(“Once in a while, in a big blue moon, there comes a night like this・・・”)。
アコースティックギターの音と、夜に鳴く虫の声がバックに流れる。
唄の題名は、Night Ride Home。唄っているのは、ジョニ・ミッチェルである。
ジョニ・ミッチェルについてはすでに何度かこの日記でも書いてきた(たとえば2007年3月3日付「『雲と愛と人生と』の話」参照)。しかし、何度書いてもいい足りないほど、彼女の音楽は本当に素晴らしい。
で、その中でも、最近のボクのお気に入りは、このタイトルソングがはいっているアルバムである。
ボク自身、3月にハワイへ行ってきて、その余韻がまだ残っているせいだと思う。
ハワイの、平和で静かで美しい夜の風景が想いだされる。
地元のバンドが、大きな木の下で演奏している。その向こうには、夜の散歩を楽しむ人々。さらにその向こうには、ホテルの光が波を白く映し出す。
一日を終えて、若いカップルは手をつないで音楽を聴いている。
歩んできた人生を振り返って、老夫婦はゆっくりグラスを合わせている。
そして、その日ホテルで行われた結婚式に参加した小さな子供たちが、綺麗なドレスやタキシードを着飾ったまま、芝生を駆け回っている。
そう、そうしたハワイの光景の非日常性が、まさに「たま(once in a while)」にしか訪れない、という唄の冒頭のフレーズによって切りとられているように感じられる。
ジョニ・ミッチェルは、このNight Ride Homeというアルバムがつくられた当時、Larry Kleinという音楽家と結婚していた。そして、この唄は、二人でおそらくバケーションを過ごしていたハワイで、本当にあったロマンチックな夜を、再現したのだといわれている。
フラダンスを踊っている女性。ウクレレを持った男。独立記念日を祝って打ち上がる花火。
でも、隣には自分が愛する男がいる。
「I love the man beside me」
その気持ちを、その自分の感覚を、何度もかみしめる。
自分たちの車以外、だれもいない道を、ドライブしながら。
めまぐるしい仕事や忙しい文明から遠ざかって、自分たちの家へ向かいながら。
「night ride home・・・night ride home・・・」
最後まで、虫の声は鳴り止まない・・・
「night ride home・・・」

2009年04月09日

蕎麦屋で飲む

最近、蕎麦屋で飲むことにはまっている。
蕎麦屋は、店を閉めるのが早い。8時半とか9時がラストオーダーというのが一般的である。
だから、蕎麦屋で飲むときは、早くから飲み始めなければいけない。
4時半とか、5時とか。
「なぁにぃ?平日の4時半とか5時とかから、フツウの人間が飲めるわけないだろっ!」
・・・しかしですね、どういうわけだか、この世の中には、そのくらいから蕎麦屋で一杯やっている人たちがいるんですね。ウソだと思うなら、東海林さだおさんのエッセーを読んでごらんなさい。それで、神田まつやへいってごらんなさい。
ボクも、まさかと思ったけれども、もうかれこれ10年ほど前、日本へ帰って来てすぐ、神田まつやへ初めて行ってみたのでした。そしたら、本当にいるじゃあないですか、そういう粋な人たちが。ちびりちびり、飲んでいるじゃないですか。
・・・というわけで、ボクも蕎麦屋の名店で飲むということをやってみたい、といつしか思うようになったのであります。で、今年、サバティカルなので、ボクはそれを実行しているのであります。なんか自分がすごく大人になった気がするのであります。ま、自己満足に浸っているのであります。
蕎麦屋で飲むときは、ひとりで飲むことが多い。
「あったりめいだろっ、マットウな人間は4時半とか5時は、まだ会社で働いてるんだってば!」
うん、たしかに。
しかも、ですね、蕎麦屋で出てくる小料理は、ひとりで食べるようにできているものが多いんですね。たとえば板わさ。かまぼこの方はまだいいけれど、ワサビ漬は一度箸をつけてしまうと、なかなか「はいどうぞ」と分割できるような代物ではない。蕎麦掻も海苔の佃煮も同じ。焼き海苔だってそうである。カノジョさんと来て、「じゃ半分こしようか、アーン」などとちぎっていては、せっかくの「粋」の雰囲気が台無しになってしまう。
そう、だから蕎麦屋では、ひとりで飲むことが基本なのであります。
ボクのお気に入りは、関内の「利休庵」。うなぎの「わかな」といい、天ぷらの「天吉」といい、こう考えると、関内には本当にいいお店がいっぱいあるなあ。
さて、利休庵は、入り口が戸を横に引いて開けるようになっている。「自動ではありません」と張り紙してあるところが、飾り気がなくてよい。で、入っていくと、女将さん(と思しきひと)が「いらっしゃい」と声を掛ける。相席にさせることもあるが、ボクは早くいくので、たいていひとりで座らせてくれる。
ここは、なにを食べても本当においしい。蛍烏賊と鯵の味醂干し。うるめ鰯。卵焼き。上新香。天ぷらの盛り合わせ、などなど。
つい先日も、行ってまいりました。イナゴの佃煮、小カブのサラダ、板わさでつい飲みすぎ。それでも、せいろで締めくくることに。蕎麦湯が南部の鉄瓶で出てくるところも、とってもよい。

2009年03月14日

Erin Burnettさんと、彼女にはるか及ばない人たちの話

アメリカの三大ネットワークのひとつNBCが毎週(現地時間で)日曜日の朝にやっているMeet the Pressという伝統ある番組がある。ボクはこれを欠かさずポッドキャストで見るようにしているのだが、去年の暮れからそのアンカーが政治記者出身のDavid Gregory氏に代わった。ボクの印象では、一生懸命さが前に出すぎて、早口だし、新聞からの引用が多すぎるし(どういうわけかその引用を読むときにいつもカムし)、質問の内容が抽象的すぎるし、一般の人々にはわかりにくくなってしまったのではないか、という気がする。ま、引き継いでからまだ間もないので、ちょっと長い目でみてあげよう、と思っているのだが、今日のお話は、この人ではなく、最近この番組によく登場するErin Burnettという方のこと。この方、経済についての討論になると出演するのであるが、聡明で、ハキハキしていて、コメントのバランスが取れていて、しかもとっても美人で、いまちょっと気になる存在である。おそらくボクの考えでは、アンカー自身が若返ったので、登場するコメンテーターも若い人を起用しようという局としての方針なのだと思うが、Burnett氏の起用は大成功だと思う。
この方、まだ30代そこそこなのに、どうやら他に二つほど、CNBCの方で自分がキャスターをつとめる番組をもっているらしい。メディア界に転身する前は金融機関につとめていた経験もあり、だから経済全般の最新情報に明るく、しかもひとつひとつのニュースに対する自分の理解の仕方みたいなものをもっていて、それを分かりやすく伝えてくれる。もちろん、彼女はこの番組ではあくまで脇役でしかない。しかし、ちゃんとそれを心得ていて、その役を忠実に演じている。
新米アンカーであるGregory氏にしてみれば、同じネットワークの中で働く彼女は心強い存在であろう。Meet the Pressの討論部分は、だいたいいつも4人ぐらいのゲストが呼ばれるのだが、その中でBurnett氏はいってみれば身内のコメンテーターである。だから、困ったら彼女にふればなんとかなる、という感じなのである。そして、実際のところ、どのような場面で話をふっても、Burnett氏はたいていうまく対応している。本当にすばらしい。彼女は最初からキャスターを目指していたわけでもなんでもないらしいが、おそらく、今後さらに立派なキャスターとして成長していくと思う。
さて、ひるがえって日本では、経験も実力もプロとしての自覚もない人たちが、報道関係に多すぎるような気がする。なんで酔っ払い中川と一緒に食事をしていた「美人」記者さんは、ダンマリを決め込んで、そのことを記事にしようとしないのか。よくそれで平気で給料もらっているよな、といいたくなる。あるいは大学を卒業したばかりのズブの素人が、なんでいきなりプライムタイムのニュース番組に登場できちゃうんだろうか。視聴者をなめているのか、といいたくなる。一般に女子アナには大学のミスキャンパスコンテストなどというものに躊躇なく出場しちゃうような人が多いが、どうして報道にたずさわる者としてそのような悪趣味の人たちを適格と判断し採用できるのか、ボクには不思議でしょうがない。
こんな状況では、Burnettさんにはとうてい及びもつかないし、世界に通用するジャーナリストは絶対育つわけがないと、確信してしまうのである。

2009年01月29日

John Ferejohn

スタンフォード大学のジョン・フェアジョン先生は、ボクのヒーローである。その先生と、ほぼ1週間日本で一緒に過ごした。これほど光栄なことはなかった。今回は、ボクが企画したシンポジウムの基調講演者としてお呼びしたのであるが、そばで見ていて、あらためて何から何まで、彼の凄さに圧倒された。
まず、彼は律儀である。そしてhumble、つまり偉ぶったところが全然ない。基調講演のテキストは、ほぼ締め切り通りに送られてきた。企画している立場からのコメントが欲しいというので、おそるおそる送ると、ちゃんと修正したバージョンが返ってきた。それだけではない。同志社でプレコンファランスを開き、講演のリハーサルをやってもらい、そこでの発表に対してまたいろいろと注文をつけたら、先生は嫌な顔ひとつせず、もういちど大きな修正をして本番に臨んでくれた。おかげで、シンポジウム当日の講演はすごく分かりやすくなった。コミットメントの高さ。他の人の意見やアドバイスに耳を傾ける謙虚さ。頭が下がるばかりである。
次に、彼は頭がいい。本当に頭がいい。講演のテキストはいずれ活字にするし、英語がわかる人はもうすぐGLOPEIIのHPでビデオで見れるようにするから、それらを見れば分かるが、そこでは期待と制度と合理性についてのこれまでの考え方を大きく方向転換するような重大な問題提起が行われている。こんな大風呂敷を広げた議論ができる人は、そうはいない。また、彼はいつでも知的好奇心にあふれている。シンポジウムの他のセッションでも、先生はじっと他の人たちの発表を聞いていた。そういう場で先生が居眠りをしているところを、ボクは見たことがない。実際のところ、彼はあくびひとつしないのである。いつもノートをとらず、じっと集中して聞き、そしてほとんどの発表を(なんと数年たっても)覚えているのである。
それから、フェアジョン先生は、とてつもなくエネルギッシュである。京都では、ホテルに着くなりバーに連れて行かれた。次の日の夜は、木屋町のレストランにお付き合いした。バーもレストランも、どちらも彼が京都に来たときに必ず立ち寄る店なのだそうである。とくに、そのOgawaというレストランでは、再会したシェフにひとつひとつ料理の中味を聞いていた。「大根」や「出汁」はもちろんのこと、「紫蘇」とか「湯葉」といった言葉まで、全部彼は知っていた。そう、彼自身、一流のシェフなのである。
東京では、どうしてもジャズを聴きたい、それも日本人のジャズを聴きたいというので、新宿のJスポットというクラブに行くことになった。ボクは知らなかったのであるが、ここは早稲田の関係者が作ったジャズスポットで、その日は鶴丸はるかさんという女性ボーカルと諸田富男さんというバンドリーダーが率いる六重奏団が演奏していた。たまたま、店の代表の幸田(稔)さんに、先生もサックスを吹くんですよといったら、早稲田の縁もあってか、それでは飛び入りで参加してください、ということになった。
第2ステージの2曲目がおわると、先生の名前が大きくよばれて紹介された。曲はNow is the Time。キーはF。最初のソロを、先生が取った。彼のサックスを聴くのはこれが初めてだったが、バンドの他の人たちのソロとまったく遜色のない、なめらかな演奏だった。

2008年11月29日

サンフランシスコ再訪2008

ボクの大好きな街サンフランシスコを、また訪れることができた。今回は、結構めんどくさい仕事のための出張で、のんびりというわけには行かなかったが、それでも時間の許す限りお気に入りの場所を再訪した。
まずは、ノースビーチ。うん、なにはともあれノースビーチ。いいねえ、やっぱり、このイタリア人街。そうそう、このブログで紹介したのはもう何年も前になるが、ボクが大好きなチーズケーキの店の名前を間違えて覚えていたことに今回気づきました。正しくはカフェ・グレコ(Greco)で、前に書いたプッチーニはそのお隣さんだった。ま、ボクのブログを読んでお店を訪ねたという人はいないと思うけど、万が一そんなことがあったらごめんなさい。
で、カフェ・グレコのレアチーズケーキは、相変わらず素晴らしかった。短い滞在だったのに、計3回も行ってしまった。店の人にはチョコレートチーズケーキもすすめられたが、毎回やっぱりレアの方にした。またしばらく来れなくなるのかと思うと、本当に悲しくなって、最後は小さく小さく切って、名残りを惜しむかのように食べた。
続いて、コロンブス通りのピザ店Osteria。ここも、実は、2回も行った。イタリアンソーセージのピザが、もう圧倒的にうまい。2回目のときは、デザートはいいのか、とオーナーが聞いてきた。いや、これからカフェ・グレコに行ってチーズケーキを食べなければならない、といったら、それは残念だ、ウチのティラミスは最高だぞ、という。どうしようかなと迷っていると、まずいと思ったら金をとらないからどうだ、といわれたので、そこまでいうならと挑戦してみた。そしたら、これも本当によかった。ラムだかブランデーだかがよくクラストに染みていて、チーズクリームがフワフワ。でも、グレコのチーズケーキもその後やっぱり食べることにしていたので、なんだか浮気をしている気分だ、といったら、オーナーが笑っていた。
次は、例の一期一会の店、サウサリートのAngelino。車を借りるつもりがなかったので、当初は行けないなとあきらめていた。ところが、今回お目にかかる必要のあったUCデーヴィスのモンティノーラ先生が、どうせなら車をだすから、あなたの好きなレストランに行きましょうといってくれた。それで、おそるおそるサウサリートなんだけどいいかと聞いたら、快諾してくれた。彼女の友人たちも交えた、にぎやかな楽しい夕食会になった。テーブルに着くなり、ボクはマッシュルームトマトソースのかかったラヴィオリがメニューにあるかどうか確かめた。そしたら、残念なことに、ない。ウェイターにきいたら、ラヴィオリではないが、同じソースで、リコッタとほうれん草をつめたカナロニが今日のスペシャルだ、というので、ボクは迷わずそれにした。そしたら、あとの5人のうち3人までがボクと同じものを注文することになった。期待にたがわずおいしく、みんな納得して食べてくれた。紹介したボクは、鼻高々だった。あと、ここでは今回も一期一会を経験してしまった。それは、前菜として注文したカラマリ。これも、もう絶品でした。ああ、また食べたい・・・ああ、いま思い出すだけでも、口の中に唾液が溜まってくる、ああ・・・。
日本に帰る前の日は、雨だったけど、どうしてもまた歩きたかったので、Crissy Fieldに行った。ゴールデンゲート橋やアルカトラズ、野生の鳥、ジョギングする人々、そして沢山の犬たち。おかげさまで、素敵な想い出がまたひとつできました。ありがとうございました。

2008年11月06日

歴史的演説から

以下は、2008年11月4日、次期アメリカ大統領に決まった民主党候補バラク・オバマ氏の勝利演説の一部を翻訳したものである。このような瞬間に、同時代人として立ち会うことができた幸運に心から感謝したい。

この選挙では、「初めて」ということがたくさん起こり、これから何世代にもわたって語り継がれていくであろう多くの物語がうまれました。しかし、今夜、私の心にあるのは、アトランタで一票を投じたある女性のことです。この方は、今回の選挙で自らの声を聴いてほしいと長い投票所の列に並んだ何百万の一人です。しかし、一点だけ、彼女はほかの人と違っていました。このアン・ニクソン・クーパーさん、106歳なんです。
彼女が生まれたのは奴隷制が終わってすぐの時代、まだ車も飛行機もない時でした。そして、それは彼女のような人が投票できなかった時代でした。その理由は二つ。ひとつは彼女が女性だったから。そしてもうひとつの理由は彼女の肌の色でした。
今宵、私は、彼女がこの百年の間にアメリカで見てきたことに思いをはせるのです。失望と希望。闘争と進歩。「そんなことできるわけない」といわれた時代、しかしそれでもアメリカの理想を掲げて、前へ進もうとした人たち。
Yes, we can そう、われわれにはできるのです。
女性たちの声が掻き消されその希望が捨て去られても、クーパーさんはその人生において、女性たちが再び立ち上がり、声を上げ、投票へ向かうのを見てきたのです。
Yes, we can そう、われわれにはできるのです。
砂嵐が猛威をふるい、全国に不況が襲ったとき、彼女は、ニューディールによって、新しい仕事に就くことによって、そして新しい共通の目標を分かち合うことによって、国民が自らの恐怖を退治するところを見ていました。
Yes, we can そう、われわれにはできるのです。
わが領土の湾が爆撃をうけ、暴政が世界を脅かしたときも、彼女は偉大な世代が立ち上がり、民主主義が守られるのを目撃していました。
Yes, we can そう、われわれにはできるのです。
彼女は、モンゴメリーのバスにも、バーミンガムの放水の中にも、セルマの橋にも居合わせました。そして、アトランタから来た牧師が「乗越えていこうではないか(We shall overcome)」と人々に説いたときにも、そこにいたのです。
Yes, we can そう、われわれにはできるのです。
人間は月に降り立ち、ベルリンの壁は崩れました。世界は、科学とイマジネーションによってつながるようにもなりました。そして、今年、この選挙において、クーパーさんは自分の指をスクリーンの上で動かして、みずからの一票を投じたのです。なぜか。それは、彼女がこのアメリカで106年間、よいときも暗黒の時代も経験してきて、アメリカという国がいかに変われるかを知っているからです。
Yes, we can われわれにはできるのです。

2008年09月10日

「Flawless」における自由

カナダからの帰りの飛行機の中、あまり勉強する気になれなかったので、3本も映画をたて続けにみてしまった。1本目は、ロバート・ダウニー主演「アイアンマン」。これはもうすぐ日本で公開のようですね。アクションもので神経を高ぶらせた後は、ダイアン・レインとジョン・クーザックの「理想の恋人.Com」。ダイアン・レインは、その前の「トスカーナの休日」の時もそう感じましたが、本当に美しく齢を重ねている女性だと思う。ボク、こういうラブコメ、大好きです。「ありえないよな」って展開ばかりが続くのですが、そこが浮世を忘れさせてくれてよい。さて、それで、すっかりマッタリしたあと、いよいよ3本目Flawlessの上映となった。
うーん、これはよかった。ボクはあんまり映画を見る人ではないので、友人などから「最近面白い映画みた?」ときかれると、いつも答えに窮するのであるが、ここしばらくはこのFlawlessをみんなに薦めようと思う。といっても、これは日本で公開されたんでしょうかね?
主演は、デミ・ムーアとマイケル・ケイン。舞台は40年ほど前のロンドンで、二人が共謀して、というか協力して、当時世界のダイアモンド市場を牛耳っていた会社からダイアモンドを盗むという話しである。魅力的な女性と年老いた男の泥棒コンビなので、どこかで、キャサリン・エタ・ジョーンズとショーン・コネリーの「エントラップメント」を違うバージョンで見ているような感じもしていた。しかし、こちらはプロの泥棒ではなく、中年にさしかかったキャリアウーマンとよぼよぼの清掃夫という、二人とも素人の設定である。過激なアクションもまったくないし、二人の間に愛情が芽生えることもない。それぞれ会社に対する恨みを晴らすという共通の目的が、一時的に二人をつなぐことになる。
この映画の冒頭は、年老いた女性に、チャラチャラした若い女性ジャーナリストがインタヴューするというシーンからはじまる。この年老いた女性がデミ・ムーアなのだが、こういうように、現在から過去を回想するという設定ではじまる映画というのは、ボクはあんまり好きではない。しかし、あとで考えたらこれがよく効いているな、と思った。話しを全部聞き終わった後、つまり回想の過程に相当する映画の大部分が終わった後、このチャラチャラ女のあっけに取られた表情がアップで映り、過去から現在へと聴衆は引き戻される。そのときのギャップが素晴らしい。で、もう一度デミ・ムーアの表情にカメラが行く。その表情からは、いろんなメッセージが読み取れる。別にそうはいっていないのだが、ムーアは「あんたみたいなチャラチャラ人生からでは想像もつかないことを、私はしちゃったの」というよう言っているようにも見えるし、「キャリアウーマンとしてやっていくことが今と昔ではぜんぜん違ったんだから」といっているようにも見える。
しかし、それ以上に、ここには自由なるものの概念についての深い洞察がある。ムーアは「盗みに成功したことによって、この40年間自由でなかった」というのであるが、その言葉をチャラチャラ女は「刑務所に入っていたの?」と最初勘違いをする。しかし、そうではないのである。ムーアの最後の告白には、チャラチャラ女が自分の存在自体で体現しちゃっているような「自由」とはまったく異なる、もうひとつの「自由」の概念が、ポトリと描かれている。映画のタイトルであるflawlessとは、非の打ち所のない成功によっても手に入れることができない自由というものが、人生にはあるのだということを暗示しているのである。

2008年08月27日

Clever phrases

北米に長い間過ごした経験のある人なら誰でも経験することだと思うが、こちらではときどき思いもよらない場面で、なかなか気の利いた英語の表現に遭遇する。この夏も、ボクはそういう表現にいくつも出会った。こういうのも、記録にとどめておかないと忘れちゃうので、紹介しておこうと思う。
まずはretail therapy。恋の病にとりつかれた娘に対して、仲のよい友人がYou need a retail therapyと慰めていたのを聞いて、うまいことをいうなあと思った。日本語でいうと、ストレス解消のための買い物、ということだが、買い物ではなくセラピーの方に重心があるところがよい。ちなみに、この友人は、ボクのいる前で、ボクにわざと聞こえるようにいったので、言外には「お父さん(つまりボク)、買い物につれていってあげたら」という意味がこめられていたのである。リテールも、セラピーも、どちらももう日本語として定着しているから、このフレーズは、そのまま日本語としても十分通用するね、きっと。
次にcute proof。これだけ聴いたのでは何のことかちょっとわからないが、解説をきくとなるほど、と納得する。ご存知のとおりsound proofというと「防音」ということ。またwater proofというと「防水」のこと。つまり、proofという単語には、何かを防ぐという意味がある。では、cute proofとは何のことか。Cute を防ぐ?ボクの娘は、夏の間、小さな子供たちに自転車の乗り方を教える野外学校pedal heads(この名前もなかなか気が利いている)でアルバイトをしていた。そういうところに来る子供たちは、一見とっても可愛い(cute)。しかし、一見可愛くても、いざ接してみると、モンスターのような子供も中にはもちろんいる。だだをこねて練習しなかったり、周りの子供たちに迷惑をかけたり、練習中にお漏らししてしまったり。で、娘は、自分は最近cute proofになった、というのである。つまり、cuteな外見にはだまされないようになった、という意味。しかし、ここにくる子供たちは、本当にかわいいです。
3番目は、この夏の間じゅうラジオで流れていたハナ・モンタナの曲の歌詞の一節。If you mean it, I’ll believe it. If you text it, I’ll delete it。前にも書いたが、 Textingとは、携帯でメールをやり取りすること。気持ちを告白するときは、メールではなく、ちゃんと面と向かっていいなさい、という意味がこめられている。彼女がなぜ人気があるのか、ボクにはまったく理解できないが、この一節だけは、当世の若い人たちの心をよくつかんでいると思った。
さて、最後。We aim to please, so you aim, too, please。しばらく行っていなかったら、いつの間にか、cliffhangerという、屋内でロッククライミングができる施設が、新しい場所に引っ越していた。今年、たまたまその新しい方へ行ったとき、そういえば、引っ越す前の場所の男子トイレの中(というか便器の上)には表記のフレーズをいれた可愛い絵がかかっていたっけ、と思い出した。いやー、実に気の利いたフレーズでしょ、これ。で、ボクはこの絵がいまでもかかっているか、楽しみにして男子トイレに入ったのですが、もうありませんでした。残念でした。

2008年08月22日

Vancouver Unitedの赤と黒

午後5時半。
まだ、ほとんど選手たちは到着していない。
ボクは、ゴールポストにネットを張り始める。
白いプラスチックのバケツ。その中には、ネットを芝生に留めるための黄色いペッグが10数本と、そのペッグを打ち込むためのハンマー、そしてサイドネットの張りを良くするための赤いリボンが入っている。それらを一度全部外に出し、空になったバケツを逆さまにする。その上にのって、ゴールポストの上側の留め金に、ひとつひとつネットを引っかけていく・・・。
フィールドを振り返ると、コーチたちは、今日の練習のための打ち合わせをすませ、青やピンクのコーンを等間隔に置いてまわっている。
今年のVancouver United U-17女子チームは、コーチ陣がかつてなく充実した。ヘッドコーチのほかに、アシスタントコーチが3人。キーパー、オフェンス、ディフェンス、そしてフィットネスと、それぞれの担当がきっちり決まっている。
ボクがネットを張り終える頃までには、赤と黒のユニフォームを着た選手たちが、次々に到着している。芝生に車座になって、スパイクの紐をしっかり結びなおしたり、ストレッチしたりしながら、みんなで一時のおしゃべりを楽しんでいる。時々、あたりの静寂をつらぬく笑い声が、空に響く。
北米の一年のサイクルは、9月のレイバー・デイを基準にして始まる。レイバー・デイが過ぎると、サッカーシーズンもいよいよ本番を迎える。だから、8月の中旬から、選手たちは、夏休みでダレ切った身体を絞り込むために、ほとんど毎日のように、練習にはげむ。6時から8時まで、みっちり2時間。チームの当面の目標は、レイバー・デー前に前哨戦として組まれている親善トーナメントで、よい成績を収めることである。
いよいよ、練習が始まった。
赤と黒。黒と赤。めまぐるしく選手たちが動いている。
ときどき、コーチたちがその動きをピタリととめ、指示を出す。
そしてまた、赤と黒、黒と赤。赤と黒、黒と赤・・・。
ボクの娘は、VUの年齢別代表にこれまで6年間連続して選ばれている。6年ずっと選ばれているのは、ほかに5人しかいない。一緒にMFを組む運動量豊富なブリアナ、レフティーでディフェンスの要のヘイリー、堅実なプレイが定評でPKをはずさないサラ・L、背が低いのにヘディングシュートのうまい意外性のサラ・M、そして天才キーパーであるにもかかわらずFWをやりたがるグレタ。みな類まれな女性アスリートたちであり、その一方でまた、みなごく普通のティーンエイジャーでもある。
3年前、VUは、レイバー・デーのトーナメントで優勝した。しかし、残念ながら、このところの成績はかんばしくない。本番のシーズンでも、なかなか勝てず、最近は負け犬チームのレッテルさえ貼られている。州の島部にはいくつも強いチームがあるし、ライバルの隣町バーナビーもなかなか侮れない。
今年は、コーチ陣が充実したし、期待できるFWとMFの新たな戦力も加わった。だからなんとか、リベンジを果たしてもらいたいものだ。Go red! Go black! Go~~ Vancouver United !!!

2008年05月21日

London Fog

ロンドンフォグ。
…といっても、イギリスのロンドンの霧のことではありません。ちなみに、ボクはロンドンへ行ったことがないので、ロンドンの霧がどんなものか、まったく見当もつきません。
実は、ロンドンフォグというのは、ドリンクの名前でもあるのですね。
ボクは、このドリンクのことを、最近娘のある友人から教えてもらいました。
カナダのスターバックスに行って、London Fogと注文すると、たいてい通じる。
それは、アールグレイに、温かいフォームドミルクをいれて、そこにバニラシロップをたらす飲み物です。
これがなかなか美味しい。
というわけで、ちょっとはまっています。
ボクは消化器系が弱いので、一日に何度もコーヒーを飲むと自分の胃がおかしくなるのではないかと心配になる。それで、たまには胃にやさしい紅茶系にしておこうと思うときがある。
でも、スタバで単なる紅茶を注文するのは、気が引ける。
なぜなら、スタバの紅茶は、ティーバックに熱いお湯を注いだだけの、まあぶっちゃけていえばインスタントだからである。しかも、スタバのスタッフのみなさんは、インスタントで紅茶を出すことにまったく罪悪感を感じているそぶりがない。堂々と、ティーバックが入ったままで、商品が手渡されるからである。そんなの、ウチでだって飲めるじゃんか。スタバで注文するからには、スタバでしかできない付加価値をつけてもらいたいじゃんか・・・。
で、このロンドンフォグを注文することになる。
ミルクを温めて、泡立てて、なんていう作業はなかなか面倒くさくて、自宅ではできない。ましてや、バニラシロップなんて、ボクの冷蔵庫の中にはない。だから、このドリンクは、外でしか飲めないのだ、と自分にいいきかせる。そのポジティヴな感覚が、インスタントであるというネガティヴな感覚を凌ぐのである。
日本に戻って、こちらのスタバでも「ロンドンフォグお願いします」といって注文してみたが、これまでのところ、それがどういうドリンクなのかすぐにわかったスタバスタッフにめぐり合っていません。
しかし「アールグレイに、フォームドミルクを入れて、バニラシロップを足してください」と、詳しく説明すると、「ああ、あれね」って感じでわかってくれる場合もある。きっと、同じものを頼む人も、結構多いのでしょうね。
さて今朝も、実家の近くのスタバで、ロンドンフォグを注文しました。そしたら、逆に質問がかえってきました。
「お湯とミルクとの割合はいかがしますか?」
うーん、考えたこともなかった。もちろん、この割合は、ドリンクの質を決定する重要な変数である。そのことについてのボクのリサーチは、まったく進んでいなかった。
「あ、えーと、半々で結構です」。
別に根拠があるわけでもないのに、そう答えてしまいました。
そう、やっぱりシェリングは偉かった、というオチをつけたくなるような話でした(←すみません、ちょっと専門的になりました)。

London Fog

ロンドンフォグ。
…といっても、イギリスのロンドンの霧のことではありません。ちなみに、ボクはロンドンへ行ったことがないので、ロンドンの霧がどんなものか、まったく見当もつきません。
実は、ロンドンフォグというのは、ドリンクの名前でもあるのですね。
ボクは、このドリンクのことを、最近娘のある友人から教えてもらいました。
カナダのスターバックスに行って、London Fogと注文すると、たいてい通じる。
それは、アールグレイに、温かいフォームドミルクをいれて、そこにバニラシロップをたらす飲み物です。
これがなかなか美味しい。
というわけで、ちょっとはまっています。
ボクは消化器系が弱いので、一日に何度もコーヒーを飲むと自分の胃がおかしくなるのではないかと心配になる。それで、たまには胃にやさしい紅茶系にしておこうと思うときがある。
でも、スタバで単なる紅茶を注文するのは、気が引ける。
なぜなら、スタバの紅茶は、ティーバックに熱いお湯を注いだだけの、まあぶっちゃけていえばインスタントだからである。しかも、スタバのスタッフのみなさんは、インスタントで紅茶を出すことにまったく罪悪感を感じているそぶりがない。堂々と、ティーバックが入ったままで、商品が手渡されるからである。そんなの、ウチでだって飲めるじゃんか。スタバで注文するからには、スタバでしかできない付加価値をつけてもらいたいじゃんか・・・。
で、このロンドンフォグを注文することになる。
ミルクを温めて、泡立てて、なんていう作業はなかなか面倒くさくて、自宅ではできない。ましてや、バニラシロップなんて、ボクの冷蔵庫の中にはない。だから、このドリンクは、外でしか飲めないのだ、と自分にいいきかせる。そのポジティヴな感覚が、インスタントであるというネガティヴな感覚を凌ぐのである。
日本に戻って、こちらのスタバでも「ロンドンフォグお願いします」といって注文してみたが、これまでのところ、それがどういうドリンクなのかすぐにわかったスタバスタッフにめぐり合っていません。
しかし「アールグレイに、フォームドミルクを入れて、バニラシロップを足してください」と、詳しく説明すると、「ああ、あれね」って感じでわかってくれる場合もある。きっと、同じものを頼む人も、結構多いのでしょうね。
さて今朝も、実家の近くのスタバで、ロンドンフォグを注文しました。そしたら、逆に質問がかえってきました。
「お湯とミルクとの割合はいかがしますか?」
うーん、考えたこともなかった。もちろん、この割合は、ドリンクの質を決定する重要な変数である。そのことについてのボクのリサーチは、まったく進んでいなかった。
「あ、えーと、半々で結構です」。
別に根拠があるわけでもないのに、そう答えてしまいました。
そう、やっぱりシェリングは偉かった、というオチをつけたくなるような話でした(←すみません、ちょっと専門的になりました)。

2008年04月07日

(続)一期一会

ずいぶん前に、レストラン版を書いたが、今度は「一期一会:人」バージョンを書いてみたい。歳をとればとるほど、一回しか会っていないのに、忘れることのできない人々が増えてくる。ボクの場合、嫌な想い出は記憶から早く遠ざかっていくようで、ボクの人生の中で忘れることのできない人々は、とっても素敵な人々が多い。
まずは、結構最近だが、ふとした偶然から出張先のホテルで朝食を一緒にした女性の話。すれちがうと誰もが振り返るようなブロンドの美しい方で、正直いって同席しているだけでドキドキしてしまった。で、その方の趣味は、旅行だそうである。仕事に疲れると2週間ぐらい休みをとって、どことなく出かける。もう世界中何十カ国と回っているらしい。そして旅行で何をするかというと、何をするわけでもない。宿泊先のホテルから当てもなく歩き始め、午前中はほとんど「どの店で昼食をとるか」を決めるためだけに、ぶらぶらするのだそうである。そして気が向けば同じところに何泊もするし、気が変われば次の目的地を選んで移動する。結婚する気などもちろんないし、ボーイフレンドもあえて作らない。若いのに(あるいは若いからこそ、か?)、現代社会でindependentに生きていこうという女性の強い意志を見せられて、魅了というか圧倒されてしまった。
次は、もう10年ちかくも前に、カナダから日本までの飛行機の中で隣り合わせた紳士。インド系の落ち着いた人で、電力関係の仕事に就いているとのことだった。出張で日本にはじめていくというので、公衆電話のかけ方(当時は携帯などなかった)や、成田から東京までの交通手段などについて教えることから話しが始まった。実は、その後は何についてしゃべったのかよく覚えていない。ただ、どちらもプライベートな部分に深く入り込まないながらも相手と真摯に接しようとし、しかもそのことをお互いappreciateしながら、さらにお互いがappreciateしているということをお互いappreciateしながら・・・、心地よい会話が続き、気がついたらあっという間に日本についていたという感じだった。節度をもって交わす他人との会話が人生を豊かに送る上でいかに重要なことであるかを、そのとき思い知らされた。
最後は、20年以上も前のこと。大学時代にバックパック旅行をし、ある事情でアメリカ北東部のニューロンドンという小さな町のあるカレッジにたどり着いた。そこで出会ったのは、そのカレッジで日本語を教える日本人の先生。背は小さかったが、口ひげをはやし、黒っぽいシャツをうまく着こなし、英語がぺらぺらで、とてもかっこよかった。残念ながら、その人の名前は聞いたのにもう覚えていない。もしかしたらいまでもそのカレッジで教えているのかもしれない。しかし、本当に大げさでなく、この人との出会いは、ボクの人生を変えてしまった。この人と出会ったことで、それまで大学を卒業したら日本で就職し日本で暮らすことを当たり前だと思っていたのに、そんな人生の送り方がまったく当たり前ではないのだ、ということに気づかされたからである。
国木田独歩の短編小説に「忘れえぬ人々」というのがあるが、そこで描かれているように、人生の中で出会った素敵な人々が忘れられないのは、出会ったときの風景や文脈がまざまざと自分の記憶に刻み込まれているからである。

2008年03月11日

レトロな食堂を定義する

ボクはレトロな食堂が大好きである。
レトロな食堂では、「ミックスフライ定食」とか「ハヤシライス」などを食べたい。
そう、レトロな食堂には、ミックスフライとハヤシライスがなければならない。
これがレトロな食堂を定義する上での、ボクの大前提である。
で、ミックスフライがあるということは、牡蠣フライもあるし、海老フライもあるし、鯵のフライもあるし・・・ということでなければならない(←これは単純な演繹的推論である)。ま、要するにフライ系はすべてカバーしている、ということでなければならない(これをレンマ=補助命題としておく)。
それから、ハヤシライスがあるということは、カレーライスも作っているということでなければならない(←これは演繹というよりは、アナロジー=類推だな)。
いずれにせよ、ということは、当然(上の「全フライカバー」命題と併せると)、レトロな食堂にはカツカレーもある、という結論が論理的に導けることになる。
                           ・・・・QED(←??)
・・・というわけで、ずっと前から一度入ってみたかった横浜の「セントラルグリル」に行ってきました。
場所は、本町通りと日本大通りの角。「ええっ、こんなところに?」という大きな交差点に、堂々と、このレトロな食堂はある。
入ってみると、フライ系だけではなく、サバ味噌煮定食とか金目煮付け定食とかもメニューに載っている。ゆで卵と納豆は、単品で注文できるらしい。うーん、これにはちょっと迷った。どうしようかな、フライ系高カロリー路線をやめて、こうした小物を従えての煮魚系に大胆に路線変更するかなとあたふたしましたが、ここは初志貫徹と思い返し、ヒレカツカレーを食べることに。そしたら、キャベツがチョコッと付いて、味噌汁まで付いてきました。そう、だから、正確には、ボクが食べたのは、ヒレカツカレー定食なのでした。美味しかった・・・。
ボクにいわせると、世の中には「レトロ風の食堂」はたくさんあるが、本当に「レトロな食堂」はそれらからきちんと区別されなければならない。本当にレトロな食堂というのは、食器や調度品の古さだけで決まるのではない。そこで働いている人たちも「レトロ」に徹してなければならない。だから、若いシェフやウェイトレスだけがやっているレトロな食堂というのは、ボクの定義上ない。レトロな食堂で働く人たちは、カッポウ着を身につけているとか三角巾のようなものを頭にかぶっているとか、あるいはかけているメガネが昭和の時代に流行したスタイルであるとか、どこかしら存在からしてレトロ性をかもし出している人々でなければならない。
もうひとつ、レトロな食堂というのは、(このセントラルグリルがそうであるように)「こんなところに」というような意外な場所になければならない。そして、それはそこにずーっとそのままの形で存在していたのでなければならない。オシャレな六本木や西麻布などに、レトロ風を売りにして新たに改装した店というのは、本当にレトロな店だとはいえない。
レトロな店は、年輪を感じさせる。それは、いろいろな人や事件に出会い、さまざまな経験をつんできた人間がそうであるのとまったく同じ理由で、とっても魅力的である。

2008年03月05日

ハイドンの無尽蔵

この世の中には、「無尽蔵なもの」は、なかなか存在しない。
たとえば、ボクのような凡人には、ときどき「お金が無尽蔵に使えるほどあったらいいな」とか、「ワインが無尽蔵に飲めたら・・・」、あるいは「ポテトチップを無尽蔵に食べられたら・・・」などという妄想が訪れる。
しかし、当然のことながら、誰だってお小遣いには制限がある(←パリス・ヒルトンを除いては)。最近のボクだと、ワインボトル半分飲んだら酔っ払ってしまうし、チップスターのカンをまるごと一気に食べつくしたのは、もうかれこれ10年ぐらい前の話になってしまった。
無尽蔵であることは、現実ではなく、理想郷というか、遠い憧れの世界の話なのである。
ところが、最近無尽蔵に出合った。少なくとも「無尽蔵に近いもの」に遭遇してしまった。それは、ハイドンの音楽である。
ハイドンは、まぎれもない天才である。交響曲も弦楽四重奏曲も、それ以外の音楽も、実にたくさんの作品をこの世に残していってくれた。
ボクが最初にハイドンをいいと思ったのは、随分昔に、ある人から薦められてチェロ・コンチェルト2番の第2楽章を聴いたときであった。それは、ゆったりとして、ところどころに沈黙があって、まさに癒しの音楽である。疲れた朝に電車の中などで聴くと、間違いなく心地よい眠りに誘ってくれる。今でも、このコンチェルトはよく聴くが、ボクのハイドン体験は、しばらく長い間そこに留まっていたのである。
しかし、少し前に、あるラジオ番組でハイドンの弦楽四重奏曲を聴いて、ボクはたちまちとりこになってしまった。で、先日ようやく、CDにして21枚からなるそのcomplete setを買ってきた。そう、なんと21枚にびっしり詰まっているのである。
このところ、それを片っ端から聴いている。
音楽を聴く上での「無尽蔵性」(←そんな言葉あるのか知らないが)は、大切である。
なぜなら、音楽というのは、どんな気に入ったものであっても、いつかは飽きる時が来るからである。それゆえ、好きな音楽を聴くことには、つねにジレンマがつきまとう。一方では、「今日もまた○○を聴きたいな」と素直に思う。しかし、もう一方では、「あんまり○○ばっかりきいていると、いいと思わなくなる日がそれだけ早く来てしまうのではないか」と不安に駆られる。それで、お気に入りの曲を無作為にシャッフルしてみたり、ローテーション組んだりというような努力をして、お気に入り状態を長続きさせようとする。
しかし、ハイドンの場合、ボクは不安に駆られることなく楽しめる。
もし飽きるまであるひとつの作品を聴いていたら、きっと一生のうちに、彼のピアノソナタと四重奏曲と交響曲とをすべて聴き終わることはできない、それぐらいたくさん彼の作品があるからである。

2008年02月29日

志高き人は、応援せよ

少し前になるが、知り合いの学部生がアメリカの超一流の大学院に合格したという嬉しいニュースを知らせてきた。この学部生はボクのゼミ生ではなかった。また、必ずしもボクの専門分野のことを勉強しているわけでもなかった。しかし、彼の属するゼミの出身で、現在アメリカに留学しているある優秀な先輩が、「どうしても先生の指導を受けさせてやってください」とボクに頼んできたので、特別にこの一年間ボクの院ゼミに出席することを許可したのであった。もちろん、学部生だからといっても、リーディングを読んでくることも発表することも義務付けられていた。もちろん、彼はちゃんとそれらのことを(他の院生とまったく同じに)こなした。そして、実に立派な英語の卒業論文を完成させた。このたびこれ以上望めないようなキャリアアップの道が開かれたのは、本当によかった。おめでとう。
なぜボクがこの学生を特別扱いしたかかというと、彼がとても志高い若者のように思えたからである。ボクはおそらく、彼の先輩が間に入って紹介しなければ、この学生を特別扱することはなかったと思う。しかし、その先輩に可愛がられているということが、すでに彼のひとつの財産であった。その先輩も、きっと彼の志の高さを感じ取ったのにちがいない。そういうのは、自然と伝わるものである。そして、彼のこの一年間を見守り、その評価がけっして誤りでなかったということがよくわかった。
志の高いものは、応援しなくてはならない。
それが、他の人に比べて多少不公平になるような特別扱いをすることになったとしても、である。
なぜかというと、志の高さというのは、ほかの多くを犠牲にすることの上にしか成立しないからである。趣味や遊ぶ時間、あるいは金銭的な問題だけではない。家族とか、友人や恋人とかとの人間付き合いにおいても、志を高く抱いている人は、目に見えないところでさまざまに退路を断って暮らしているのである。だから、そういう人をみると、自然と応援してあげたくなる。そして、そういう人が自分の目標を達成すると、こちらも心が動かされるのである。
話変わって(いや実は変わらないのであるが)、昨日、富士通レッドウェーブが、WJBLのプレーオフで初優勝した。ボクは、ある友人の紹介がきっかけで、数年前からこのチームを応援している。きのう、代々木の体育館で、その劇的な場面を生でみることができて、よかった。
若い彼女たちは、ほかのことすべてを犠牲にして、バスケットボールに打ち込んでいる。このトーナメントで優勝することだけを目標に掲げて、身体もボロボロになるまで、頑張っていたのである。優勝が決まったときの涙は、彼女たちの志の高さをよく物語っていた。
こちらもおめでとう。
そして素晴らしい感動をボクらに与えてくれて、ありがとうございました。

2008年02月06日

Falling in love with沖縄

同僚の久米先生を中心としたあるプロジェクトが今年で最終年度をむかえ、沖縄の琉球大学にて、仕上がった論文をみんなで発表し合う研究会が開かれた。
というわけで、ボクも沖縄へ行ってきた。沖縄の地に足を踏み入れるのは、これが初めてである。一言でいうと、何から何まで、本当に素晴らしい沖縄初体験となった。
まず着いた日の夜は、国際通りの公設市場まででかけていって、いくつか魚介類を注文しその場でさばいて貰って食べよう、ということになった。お刺身の盛り合わせのほか、グルクンの唐揚げ、伊勢海老の味噌汁などなど。どれも、文句なく新鮮でおいしい。みんな「おなかいっぱい」と腹をさすっているのだが、ボクはどうしてもご飯ものを食べないと気がすまなくて、ボクだけ「ラフティー丼」を追加注文した。これがとろけるようなやわらかさだった。それで「うまい!うまい!」を連発し、みんなから白い視線を浴びてしまった。
泊まった大学の宿泊施設もよかった。安いし、広いし、綺麗だし・・・。朝食サービスはなかったが、ボクは、歩いて10分ほどのところにモスバーガーがあると聞いていたので、次の日の朝そこへ向かった。そしたらですね、そこでですね、ががーん、遭遇してしまいました・・・。(古今亭志ん生風に)「そうだなあ、歳の頃といったら、十七、八ってところだな・・・」、とっても可愛らしい女性の店員さん。この方の笑顔、ホントか・ん・ぺ・きでした。なんというべきか、「混ざりもののない笑顔」とでもいうのだろうか。いやー、マイリマシタ。うーん、沖縄・・・、いいねえ・・・。
さて、研究会が始まった。ホスト役である宗前先生のホスピタリティーも、これまた実に完璧だった。コーヒー、紅茶、さんぴん茶などは当たり前のようにそろっている。そのほか、「これ、絶対美味しいですから」と持ってきたシークワーサージュース。本当にメチャメチャ美味しかった。あとは、長丁場になることを予期して、数々のチョコレートやキャンディーの類。実際、連日8時間ぐらいぶっ通しで会議をしていたので、これらの甘み成分補給には助けられました。
宗前先生の学生さんたちと一緒に話す機会もとても楽しかった。ぜんぜんスレてなくて、人生に直角に向き合い、すがすがしく生きている。礼儀正しいし、ボクら中年オヤジたちの話しを真摯に聞いている。というか、彼らは、本当にボクら(の話)に興味があるのである。それだけ、心がきれいなのである。
とくに、YさんとKさんには、ちょっとだけ沖縄を案内していただき、お世話になった(Yさん、Kさん、ありがとうございました)。前からどうしても訪ねてみたいと思っていた平和祈念公園を地元の若いお二人に案内していただいたことで、いっそう思い出深い経験となった。石碑に刻まれた白い名前の数々、その先の崖、打ち寄せる波、水平線。その光景は、一生忘れることがないと思う。
その後、ランチに「くるくまの森」の中にあるアジアン・カフェへ連れて行ってもらった。ここのチキンカレーは、絶品です。そして、そこでは、日本人に混じって、多くの外国人観光客が、打ち寄せる波と水平線の素晴らしい眺めを、楽しんでいた。なんとも穏やかな空気が流れていた。

2008年01月23日

最後のゼミとアフター

今年最後のゼミが終わった。
たまたま、前日がボクの誕生日だったので、ゼミ生たちが祝ってくれた。
アフターの飲み会の席では、いつのまにか店に忍び込ませたケーキが登場。
イチゴがいっぱいのっていて、美味しいケーキだった。
そして、去年に引き続き、とても素晴らしいプレゼントも頂いた。
それは、アルバムつきのカレンダー。1月から12月まで、それぞれの月にちなんだ想い出の写真が選んで貼ってある。後ろのページには、ひとりひとりからのメッセージが書いてある。もう卒業が近い4年生からは、2年間のボクの指導に対するお礼とかが、3年生からは来年もまたよろしくという趣旨の言葉がちりばめられている。
みなさん、心のこもったプレゼントとメッセージ、本当にありがとうございました。
つくづく思うのであるが、早稲田の(政経の?)ゼミのシステムは素晴らしい。
それは、3年生と4年生が2年間一緒に過ごすことが期待されているからである。
この2年を通して、ゼミ生たちはみな「後輩」としての一年と「先輩」としての一年を過ごすことになる。社会へ出たときに、目上の人とどう接するか、また目下の人とどう付き合うかということの予行演習をしているわけである。歳のちがいを越えて、友情を結ぶことができるのだということも実感できる。そして、前にも書いたが、ここでの関係が、まったく仕事とか給料とかという利害にまみれた関係でないところがよい。
もう周知の事実であるが、ボクは来年からサバティカル(国内での特別研究期間)をもらえることになっている。でも、ゼミだけは、ボランティアで来年も続ける。もし続けなかったら、今の3年生たちが「先輩」の立場を練習する機会を失ってしまう。一度、伝統が途切れると、それをまたつなぎ合わせるのも大変である。
そういえば、ちょっと前に挙行した、来年入ってくるゼミ生(今の2年生)たちとの初顔合わせも、とても楽しかった。みんな最初から元気で、すぐに馴染んでいた。よき先輩たちを見習い、自分たちの立場をわきまえながら、臆することなく活躍してほしい。
さて、ゼミ生たちに誘われて、最後のアフターの二次会はカラオケにいくことになった。ボクも何曲か歌わせてもらった。しかし、だんだん、みんな何かにとり憑かれたようにはしゃぐようになった。気がついたら、3年生と4年生が入り乱れてステージで踊っていた。中には、足がふらふらになっているものもいた。
あまりの熱気に圧倒されて、「いつもこんなはしゃぐのか」ときいたら、細谷君が「みんな、先生にハッピーだっていうところを見せたいんですよ」といっていた。
この言葉には、ジーンと目頭が熱くなった。
今度会うのは、ゼミ論の提出日。
そのあとは、卒業スキー旅行と追いコンが控えている。
まだまだ・・・。うん、まだまだ・・・。

2007年12月28日

カリフォルニアのFMラジオ

カリフォルニア州のコールズバッドという小さな町に高校留学していた頃、サンディエゴから流れてくるFM放送局をよく聴いていた。昼間だけでなく、夜も聴いていた。同じ部屋をシェアしていたホストファミリーの弟が、寝るときもラジオをかけっぱなしにするという習慣をもっていたからである。最初は戸惑ったが、ボクもしだいにそれに慣れるようになった。
ステーションの名前は、FM-B100だったと思う。今もあるのかどうか、知らない。
ボクは、日本の高校時代、自分では結構洋楽を聴いている方だと思っていた。ところが、このFM局から流れてくるほとんどの曲を、ボクは知らなかった。世の中には、いっぱいいい歌があるんだ、自分の音楽の知識なんてほんとに氷山の一角に過ぎないんだ、と思い知らされた。
向こうのラジオは、余計なおしゃべりが少ない。それから、前にも書いたことがあると思うが、向こうのラジオでは、新しい曲とともに、かつての名曲を織り交ぜて、かけてくれる。だから、その留学をしていた一年、ずっとFM-B100を聴き続けたことで、本当に自分の音楽の幅が広がったと思う。
帰国しなければならない日が近づき、いろいろエモーショナルなことが重なる中で、ある日、自分の生活の一部となりつつあったこのラジオ局とお別れしなければならないのだ、とハタと気づき、とっても悲しくなった。それで、あわてて自分のもっていたカセットテープの一面に、その時オンエアされているものをそのまま録音することにした。90分テープだったので、45分間のカリフォルニアの時空間が、そこに詰め込まれることになった。それは、1980年夏のある日(夕方)の45分間のボクの人生が詰め込まれた、貴重なテープだった。
もちろん、ボクは、日本に帰ってから、何度も何度もそのテープを聴いた。しばらくは、一日に一回は聴いていた。しかし、時が過ぎ、大学に進学し、大学院の勉強のため再び北米に戻り、新しい生活が始まり、やがて日本に帰国し・・・などと、いろいろ引越しをしているうちに、そのテープはどこかに行ってしまった。すくなくとも、今のボクの家にも実家にもない。もしかしたら、あんまり何度も聴いたので、もう音質がおかしくなって、どこかの時点でついにあきらめて、捨ててしまったのかもしれない。
しかし、人間の記憶というものは、すごいというか恐ろしい。いまでもボクは、そのテープに、どういう曲がどういう順番で流れていたかをほとんど覚えている。・・・”Listen to the Music,” ”Something,” “Time in a Bottle,” ”Wild Horses,” ”Surfer Girl,” “Pretender,” “Steal Away,” “Feel Like a Natural Woman,”・・・と続いていく。ほらね、どれも名曲ばかりでしょ?こんな感じで、一日中続くあのラジオ局は、本当に素晴らしかった。
先日、Jackson Browneのベストアルバムを買い、Pretenderをipodに入れた。これで、なくしたテープを完結したかたちで、再現できるようになった。30年近く前に過ごしたカリフォルニアの日々の想い出とともに。

2007年10月31日

Douglass North先生

ノーベル経済学賞を受賞されたノース先生が早稲田を訪れた。
成田で出迎えたのは、ボクであった。
80歳をとっくに超えていらっしゃるのに、まったくそんなことを感じさせない。
「すこし空港でお休みになってからいきますか、それともすぐにホテルの方へ向かいますか」と尋ねると、「いや、すぐに行こう。あとをついていくから、さあどんどん行ってくれ」とおっしゃる。で、タクシー乗り場まで行き、タクシーに乗った。エレガントな奥様が同行されている。
ボクはノース先生と10年ほど前に一度だけ、言葉を交わしたことがある。真摯にボクの質問に答えてくれたので、そのときボクはとっても感激した(このことについては『制度』のあとがきに書いた)。で、そのことを話したら、それをきっかけにして会話が弾むようになった。共通の友人や知り合い(ボクのかつての先生たち)も結構多く、話題が尽きないうちになんとかホテルまでたどり着くことができた。
で、その次の日からの彼の行動といったら、本当にすごかった。
やはり超一流の人は違う、ということをまざまざと見せ付けられた。
まず、どこからわいてくるのだろうという体力。時差ボケなどまったく影響なかった。
次に、これもどこからわいてくるのだろうという知的好奇心。どんなささいな、学問と関係のない話にも、ちゃんと食いついてきた。
それから、底抜けの明るさ。宴席では、大きな声で笑い、人の肩をぽんぽん叩いてはしゃいでいた。
そして、最後に、頭がさがるほどの気配り。院生たちのポスター発表をひとつひとつ回って、じっくり耳を傾けコメントしていた。もちろん、自分がそうすることでいかに若い研究者たちが励まされるかを自覚してのことである。その姿には、ジーンときた。けっして偉ぶらないで、何かにつけ「君の意見を聴こうじゃないか」とおっしゃっていた。そういえば、講演会場で、ボクが「先生の意見には大方賛成なんですが・・・」と質問を切り出したら、間髪をいれずに「意見が一致しないのはどこなのかね」と逆に催促されてしまったのには笑った。
今回の来日中、かなり個人的なお話をうかがえるまで、親しくさせていただいた。
本当に光栄なことである。ノース先生自身の了解をとってある範囲で、いくつかエピソードを披露すると・・・。
まず、先生は、朝ごはん以外の食事には、赤ワインを欠かさないのだそうである(自分には4分の1イタリア人の血が入っているのだと、あたかもそのことが正当化の理由であるかのようにおっしゃっていた)。それから、毎日午後4時半になると、バーボンを一杯飲む。大学キャンパスまでは、1マイル半の道のりを、行き帰り歩く。執筆するのは午前中で、普段午後からは読書に費やす・・・。
話を聞いていてつくづく思ったのは、とても規則正しい生活をなさっている、ということであった。
久々に、すごい人、いや本当にすごい人と会った。

2007年09月05日

神話とジェラート

世の中には、自分がそう信じていたいがために、あえて真実をつきつめて明らかにしたくないような神話がたくさんある。それは、子供がサンタクロースを信じ続けるのと同じ論理である。サンタクロースがいると信じていた方が、いるわけないと冷静に考えるより、子供にとって圧倒的に得だし、家族全体も和やかになる。それゆえ、サンタクロース神話は、科学がいかに進歩しようとも、未来永劫ずっと引き継がれていくわけである。
ボクの場合、そのように信じている他愛もない神話としては、食に関するものが多い。
「酒は百薬の長である」(←これは神話ではなく諺だな)。
「赤ワインを毎日すこしずつ飲むと癌になる確率が下がる」(←これは神話でないという有力説あり)。
「エビスの黒ビールは健康によい」(←これはあんまり聴かないが、エビスってところがもう完璧な神話になっている)
・・・などなど。
なーんだ「食に関する」じゃなくて「酒に関する」じゃないか、という野次が飛んできそうであるが、ま、こういう神話を信じて中年オヤジは頑張っているものなのである。
さて、この夏をすごしたバンクーバーで、ボクがずっと信じ続けた神話がひとつありました。それは「ジェラートはアイスクリームよりも低カロリーである」というもの。夕食のあと、ほとんど毎日のように、ジェラートを食べに行ったので、もうこの神話がなかったら、ヤバイのなんの。一番小さなカップに1スクープしか注文しないのだが、それでも「大丈夫、低カロリーなんだから」と、自分に言いきかせていたのでした。
なぜそんなに毎日通ったかというと、ジェラートを食べるというのが、ボクにとっては夏のお決まりの光景になっているからである。お気に入りは、KerrisdaleにあるVivo Gelatoという店。ここには夏休みだけのアルバイトといった高校生ぐらいの店員さんがふたりいて、慣れない手つきで働いている。その様子がなんともういういしくて、とってもよい。そして、いつも家族連れ(たいていお父さんが短パンを履き、お母さんはノースリーブ)で適度に込んでいて、ちっちゃな子供たちがわいわいキャーキャーとにぎやかにしている。これらが、ボクにとってはほのぼのする光景として、目に焼きついているのである。
ところで、本当にジェラートはアイスクリームより低カロリーなのだろうか。
あはは、ジェラートっていうのはアイスクリームのイタリア語なの、だからそんなわけないでしょ、などという嘲笑(←なぜか女言葉)が聞こえてくるような気もするが、本当かな、とおもって、グーグルってみました。そしたら、ですね、なんと、ですね、日本には「日本ジェラート協会」なるものがあるんですね。で、そこには、ボクのような無知の人のために、「ジェラートとは」と説明書きがながながと書いてあるのであります。
「ほとんどのジェラートが乳脂肪5%前後で低カロリー、100g当りのカロリー量も120カロリーでショートケーキの340カロリー、食パンの260カロリーと比較して圧倒的に少なく、栄養価の高い健康食品です」
やったね。どうだ。ざまあみろ(←?)。
ただ、そう説得されても、どこか自分の中に「ホントかな」という一抹の疑問が残っている。おそらくそれが、神話の神話たる所以なのである。

2007年08月21日

白洲次郎

飛行機の中で、前から読みたいと思っていた白洲次郎さんの『プリンシプルのない日本』(新潮文庫)を読んだ。期待していた通り、そこに描かれている彼の生き方はとても魅力的であった。また、政治的な主張においても、とっても納得のいくことばかりおっしゃっていたことを知って、感動した。いや、感動というよりは、「ああ、こういう人が日本にもいたんだ」と安堵の念をもった、という方が正確かもしれない。
一番すごいと思ったのは、戦争中に「勝ち目はない、東京もいずれすぐ焼け野原になる」と考え、さっさと疎開して農民生活をするところである。自分に与えられたその時々の状況の中で、考えられること(あるいは考えるべきこと)を論理的に考え抜こうとする態度、そして結論を迷わず行動に移してしまう実行力が素晴らしいと思った。
それから、人間を互いに尊敬しあう基本的な礼儀の大切さが日本に欠けているという観察、これにも共感した。たとえば、イギリスの旧貴族はいなかに大きな家を構えていて、その領地の中に村がいくつかある、というようなことがある。≪その田舎道を旧城主の子供が歩いている、向こうからその領地内の小作人のおじいさんが歩いてくる、そういう場合の子供が年長者に対する態度は、実に立派なものだ。ちゃんとミスターづけで、「グッド・モーニング・ミスターだれそれ」とやる。片方も丁寧に「グッド・モーニング・ロード」と挨拶する≫。それに引き換え、日本ではとんでもない勘違いが横行している、と。日本の旧名家などでは、子供がまわりの人たちに威張り散らしている。≪銀行の頭取だの、社長だの、大臣だのの子供が、親父の主宰するところに働いている大人に対する態度も実に言語道断だ≫(23-24頁)。 こういうことについての「教育」(学校で教えることではなく、家庭で教える教養や素養のこと)がなってないという主張も、まったくその通りだと思った。
しかし、こういう個々の主張や観察よりも、白洲さんの書いたものを読んでボクが共感したのは、日本においてバイカルチャーな人、つまり日本のこともそれ以外の国のことも両方知ってしまった人が持つ根源的なジレンマのようなものである。たとえば、上の話でも、イギリスのことを知らなければ、いかに日本の旧名家の子供たちがダメであるか、あるいはいかに日本には基本的な礼節みたいなものが欠落しているかを実感できない。それを説明しようと思って(白洲さんのように)「例えば、英国では・・・」という言い方をすると、たちまち「外国カブレ」と批判をうける可能性がある。いや、下手をすると、「なにいってんだ、日本ほど礼儀正しい文化の国はないんだ」などと、外国に一度も行ったこともない人から反論されてしまうのである。
で、二つを知っているバイカルチャー人間は、一つしか知らないモノカルチャー人間に絶対に勝てない。なぜかというと、モノカルチャー人間には相手のいうことが理解できないが、バイカルチャー人間には相手の主張がどこに由来するのかがよく見えてしまうからである。ということは、この二種類の人間が相対すると、バイカルチャーな方が相手の土俵に降りてこない限り、論争自体が成立しない。つまり、論争の出発点においてすでに、バイカルチャーな人間はモノカルチャーな人間に譲歩しているのであって、それゆえ負けるしかないのである。ボク自身、何度もそういう場面に遭遇しているので、今回読んで感じたのは、きっと白洲さんもそうしたバイカルチャーのジレンマを抱えていたにちがいないという連帯意識のようなものであった。もっとも、白洲さんは、そんなジレンマを突き抜けてしまうような、ものすごいパワーを持ち合わせていたようである。なんともうらやましい。

2007年07月28日

落語から学ぶ

大学生の頃、よく立川談志さんの独演会を見に行った。国立小劇場とか何とかホールとか、それほど大きくない場所で開かれていて、その頃はまだチケットを取るのもそれほど大変ではなかった。当時は山藤章二さんがプロデュースしていて(←いまでもそうなのかもしれないが)、落語に入る前に、最初に立ったままで長~い「時事ネタ」のトークがあった。これが本当によく考えられていて、楽しみだった。もちろん、その後の落語も、素晴らしかった。落語というものが、可笑しいだけでなく、構成やプレゼンテーションがよく練られていて、知的に面白いものなんだと思うようになった。
いまでも目に焼きついているのは、談志さんの絶大なるオーラである。彼の前に、二つ目とかが演じていても、観客はざわついていたり、なんとなく集中していない。ところが、談志さんが御囃子にのり舞台の右袖から出てくるだけで、観客はシーンとなる。深々と頭を下げ、ゆっくりと顔を上げると、その瞬間、観客の目は彼一点に集中している。この「出方」は、本当にすごい、と素人ながらに思った。
かつて、山藤さんとの対談の中で、春風亭小朝さんが談志師匠の出方を勉強するために、大阪の花月まで聴きに行ったことがあるという話しを読んだことがある。関西では、演者に対してへつらうようなところがなく、観客が「とっちらかっている」ことがふつうなのだそうで、そういう場で談志さんがどうサバクかを見たいと思ったからだという。そしたら、談志さんは、いつもよりも倍丁寧にお辞儀をし、観客のほうに媚をうりまくって、まずツカミをしっかりしておいて、それから自分のペースへもっていったのだそうである。
こういうことは、当然のことながら、教壇にたつボクとしても大変勉強になる。いったいどういう出方をすれば、学生たちの集中を引き寄せることができるか、そしてどうやったらそれを持続させることができるか、本当は毎日もっと意識してやらなければならない。話しのテンポとか、メリハリとか、目配りとか、大学の教員は、もっともっと落語を聴きにいって、勉強すべきなのである。
というわけで、このあいだ、新宿末広亭に行ってきました。土曜日だったので満員、立ち見もでるほどの盛況でした。末広亭ははじめて行ったのであるが、上野の鈴本と違い、中でお酒が飲めないんですね、ちょっとがっかりでした。サキイカでビール、と思っていたのに・・・。
橘家円蔵師匠の「道具屋」が聴けてよかったでした。

寄席に一緒に行こうといっていた知り合いの方がご病気になられてしまいました。
一日も早くご回復するよう、心よりお祈り申し上げております。

2007年07月16日

キング牧師とオバマ議員のスピーチ

アメリカのエール大学にいたとき、民主党の大統領候補にも名乗りをあげたことのあるジェシー・ジャクソン牧師が演説をするというので、聴きに行った。会場に入ったら全然空いている席がなく、うしろの方で立ち見というか立ち聴きするしかなかった。残念ながら、遠くのほうで、しかもかなり強いアクセントでしゃべっていたので、正直言って、ボクの当時の英語力では、その内容をほとんど理解することができなかった。しかし、それでも、ジャクソンさんがいかに演説の名手であるかはよくわかった。聴衆は、まるでロックコンサートにでも来ているかのように、酔っているという感じであった。
その時思ったのは、こんなに演説のうまい政治家は日本にはいない、ということであった。その印象は、それ以来今日までずっと変わっていない。日本では、心を動かされる演説というものを、聴いたためしがない。
よい演説には、リズムがある。いくつかの重要なフレーズを繰り返す。あるいはちょっとずつ違うフレーズを畳み掛ける。拍手と歓声に波乗りするかのように、自分の声の抑揚を合わせて、聴衆の関心を一点に集中させていく。ところどころに、ハッとさせるような寓話やコンセプトを入れて、ほんの一瞬、聴衆が自分の人生や考え方を振り返るように仕向ける。しかし、すぐ手綱を引き締め、重要なフレーズを繰り返しあるいは畳みかけて、集中をまた自分の方へ向けさせていく・・・。
ボクがこれまででいちばん感動した演説は、なんといってもマーティン・ルーサー・キング牧師のI Have a Dreamである。アメリカでは、1月に彼の誕生日を祝う休日があるが、スタンフォード時代、ボクら院生たちは毎年この日になると、この演説のビデオを借りてきて一緒に見るということをしていた。この演説は、英語もわかりやすくて、ボクでもよく理解できた。はじめて聴いたとき、力強いのであるが、その一方でキングさんの声がなんとなく震えているような気がして仕方なかった。そして、そのことと、キングさんが後に暗殺されることになるということとがイメージとしてボクの中でかぶってしまって、ジーンとした。(おそらくもうすでに何度となくこの演説を聴いたことがあったであろう)アメリカ人の友人たちが、真剣に、尊敬というか畏怖の念をもって、この演説にそろって耳を傾けている姿は、忘れられない。自分の国を愛するということは、実は素晴らしいことなのである。
最近、YouTubeなるものを利用して、このI Have a Dream演説をいつでも好きなときに聴けるのだということを発見した。このYouTubeには、ほかにもいろいろな演説がおさめられている。I have a Dreamについで、ボクがかねてから聴いてみたいと思っていたのは、2004年の民主党大会での、バラク・オバマ上院議員の演説であった。彼は、この演説で一躍全国的に有名になり、ご存知のとおり今ではヒラリー・クリントン上院議員と民主党の大統領候補の座を争っている。もちろん、YouTubeにはちゃんと、この演説も入っている。聴いてみたら、評判通りの、すごい演説であった。そして、聴いてみればわかるが、オバマさんの演説の最後の部分は、明らかにキングさんの演説を意識して書かれている。そうした細工も、もちろん、オバマさんの演説を感動的なものにしているひとつの要素なのである。

2007年06月13日

Ipodの微妙

このあいだもチラリと書いたが、Ipodをよく利用するようになった。CDを移すのに、時間がかかり、結構めんどうくさい。でも、いろいろな作業の片手間にちょこちょこやって、ようやく400曲以上を登録した。
このあいだ調べたところでは、いちばんよく聴いている曲はストーンズのJiving Sister Fannyであった。あと、同じくストーンズのHonky Tonk Women、キャロル・キングのTapestry、セロニアス・モンクのBlue Monkと続き、おなじみジョニ・ミッチェル、ボブディランなども上位を占め、意外にもベートーベンの弦楽四重奏曲とかワーグナーの序曲集とかクラシックも善戦していた。
Ipodを身につけるようになって、自分自身の中で、時間の感覚が変った。
以前、駅のプラットフォームで次の電車が来るまで3分もあると、すごく長く感じた。しかし、3分というと、実はどんなCDの1曲よりも短い。電車を待つ間に1曲をまるごと聴き終わることはまずない。それから、東横線の終点から終点、つまり渋谷から元町・中華街まで乗ると40分ぐらいかかるのであるが、これでもアルバムひとつを演奏するのには時間が足りない。いかに普段、自分が生き急いでいるかがわかる。
もちろん、好きな音楽を好きな時に聴けるというのは、とてもありがたいことである。ボクの場合、耳栓のように中にはいる小さなイヤホンを使っているので、音漏れするようなこともなく、まわりに迷惑をかけていることはない、と思う。
しかし、その一方で、Ipodを愛用することには、マイナスの部分もあるかな、とも思う。
まず、Ipodを利用するようになってから、家に帰って静かに音楽を聴くことのありがたみが減ってしまったような気がする。前は、家に帰ってから「さて今日は何を聴こうかな」と考えるのがささやかな楽しみであった。しかし、帰りの電車でもずっと好きな音楽を聴くことができるようになって、家であらためて何かを聴こうという気がなかなか起こらない。これは、とっても寂しい。
それから、Ipodで音楽を聴いていると、ボクの場合困ったことに、膝とか踵とかが自然と動いてしまう。つまり、しらずしらずのうちに身体が調子をとっているのである。これは外からみるとどうもみっともない、という気がする。「見ろよ、アイツ、年甲斐もなく、ノリノリだぜ」などとささやかれているのではないか、と心配になる。もっとも、Ipodを聴いているボクには、当然のことながら、そんな陰口は聴こえてこない。そうそう、Ipodには、他人からの眼線に対して、鈍感になるという効能もあるように思う。
先日、はじめて音楽ではなく、落語のCDを一枚入れてみた。古今亭志ん生の「あくび指南」、「まんじゅうこわい」、「強情灸」が入っている一枚である。ボクとしては、リラックスするためにいいかなと思ったのであるが、これは失敗であった。落語のCDを電車の中で聴くのは、かなり勇気がいる。しらずしらずのうちに、にやにやしてしまうのではないかと心配になり、リラックスどころか、歯を食いしばって聴かなければならないのである。

2007年04月04日

マーケット

この前ニューヨークを訪れたとき、リンカーンセンターの地下のホールフーズマーケットに行った。
当地の事情に詳しいある人から「とてつもなく広いスペースにホールフーズが出店したんですよ」と聞いていたので、セントラルパークを散歩したあと立ち寄ってみた。
そしたら、本当にここのホールフーズは、凄かった。
どどーんと、日本でならば有明とか幕張とかにあるコンベンションセンターぐらいの広い空間に、ありとあらゆる食材がアイルごとにきれいに整理されて並んでいる。壁際には、フィッシュとミートの陳列だなが、どこまでも延々と続いている。量り売りのセクションも、実に充実していた。
ご存知の通り、ニューヨークは人種や民族のるつぼである。だから、異なった人々の趣向や生活に合わせて、多種多様の品揃えがしてある。みたこともないような魚が眼を見開いていたり、「ナニコレ?」というような異様な形状の野菜が並んであったり、名前をきいても当然何だかわからないような食べ物が調理されて、売られている。
手にとったり、匂いをかいでみたり・・・。とにかく見てまわるだけで楽しい。
日本には、世界有数の「築地」という市場がある。しかし、一般の人々が日々の食材を調達するマーケットについて言えば、日本人に与えられている選択肢は、情けないほど貧弱である。コンセプトとして一番近いのは、いわゆる「デパチカ」ではないかと思われるが、なにしろ規模が違いすぎて、話にならない。すくなくとも東京近辺ではそうである。あそこでは「いかに早くこの息苦しい空間から抜け出るか」を優先してしまい、ゆったりと「さて今晩は何をつくって食べようかな」などと考える余裕が生まれない。
「Whole Foods Market」は、知っている人は知っているが、自然食にこだわった北米の(チェーンの)店である。スタンフォードにいたときにも近くにあってお世話になったが、そのようにこだわったマーケットであるにもかかわらず、大量の品揃えができてしまうところが凄いと思う。ボクが長く住んでいたバンクーバーにも、やはり自然食を重視した「Capers」や「Choices」という店があった。そういうこだわりに関しても、日本人に与えられている選択肢は限られているとしかいいようがない。確かに最近日本でも自然食の店がいろいろなところにできてきたが、どれも規模が小さくて「選んで買う」というまでにはなかなかいかない。
ボクがあこがれている究極の生活は、毎日仕事の帰りに品揃え豊富な自然食マーケットに立ち寄り、そこでインスピレーションを得て、晩御飯の献立を考えて、必要な食材を買って帰るという生活である。
しかし、いまの自分の生活パターンを振り返って考えてみると、そんな穏やかで豊かな生活からはほど遠い、という感じがする。どうして夜の10時半とか11時ごろまで、外で飲んだり食事したりする日々がこうも続いてしまうのだろうか。どう考えても、それはマットウな生活とは思えないのだが、いかにしてそこから抜け出せるか、いまのところうまく戦略をたてることができないでいるのである。

2007年03月10日

ローマの休日の共有知識

ニューヨークまでの飛行機の中で、「ローマの休日」を見た。
いうまでもなく、オードリー・ヘップバーンとグレゴリー・ペックが共演する古典的名作である。もう、何度見ても面白い。そして、もう何度見ても(オードリー・ヘップバーンが)可愛い。なんというか、ため息が出てしまうほど、可愛い。
彼女はこの映画でデヴューした。だから、最初の出演者の字幕のところで、「introducing Audrey Hepburn」と出る。ま、結構知られた話だが、最初、大俳優のグレゴリー・ペックは、自分主演の映画だと思って、この映画を作り始めた。ところが、撮っているうちに、これは大変な新人と共演しているのだと気づいた。それで、宣伝用のポスターの題字の大きさを、二人とも同じにしてくれと、彼から頼んだ、のだそうである。
この映画の最後のシーンは、一日中楽しいデートをしたものの大使館に戻らなければならず悲しいサヨナラをした翌朝に、ヘップバーン扮する王女さまが、大勢の記者たちと面会するシーンである。彼女はその中に、思いもかけず、ペック扮するアメリカ人記者が立っているのを発見する。いうまでもなく、この映画の最大のキモがここにある。なぜここがキモかというと、この場面は(ちょっと学術的用語を使ってしまって申し訳ないが)二人の間で「共有知識」がはじめて成立する場面だからである。
つまり、彼は、彼女が本当は王女であるということを知って(それを特ダネにしようという下心をもって)、前日デートをしていた。しかし、その段階では、彼女は彼が記者であるということは知らない。もちろん彼は、彼女が知らないということも知った上でデートしていたのである(←この辺に「やっぱりこの映画、ジェンダーバイアスがかかっているわよね」という批判が成立しそうであるが、ちょっとそれはおいておく)。で、この最後のシーンがキモであるのは、彼女が「ああ、そういうことだったの」と、状況をいまはじめて正しく理解したということを、表情ひとつでみせなければならないからである。このシーンにおけるオードリー・ヘップバーンの(表情ひとつだけの)演技で、この映画が素晴らしいものになるかそうでないかが決定する。そして、それが本当に素晴らしいので、われわれはこの映画を何度も何度も見ようという気になるのである。
もちろん、グレゴリー・ペックの方も負けていない。なぜかというと、この場面で、彼は、彼女がすべてを理解したんだということを理解したことを、こちらも表情ひとつでみせなければならないからである。そう、共有知識というのは、両方が知っているというだけでは成立しない。二人とも知っており、二人とも相手が知っているということを知っており、二人とも相手が相手が知っているということを知っているということを知っており・・・・(無限に続く)・・・という状況でなければならないのである。
ところで、いうまでもないが、ここにはもうひとつの共有知識がある。
それは、この映画を見ているわれわれ観客は、前日まで彼は知っているが彼女は知らない、そしてこの場面で初めて彼も彼女も知るようになるんだ、ということをすべて知っているということである。
映画の面白さは、登場人物のあいだで成立している(あるいは成立していない)共有知識と、観客のあいだで成立している共有知識のズレにあるといえるのである。

2007年03月03日

「雲と愛と人生と」の話

この表題を見ただけで、ピンと来る人はすごい。これは、ジョニ・ミッチェルの名曲のひとつ、Both Sides Nowという唄の中に出てくる、いわば三大話である。
ジョニ・ミッチェルは、あんまり日本ではメジャーではないような気がするが、ボクは大好きである。唄だけでなく、あの人の生きざまも大~~~好きである。
ところが、最近ゼミ生たちに「ジョニ・ミッチェル知ってるか」ときくと、たいてい知らないという答えが帰ってくる。とても悲しい。
ただ、このBoth Sides Nowだったら、最近でもテレビのコマーシャルに使われているので、聴けば「あああの曲ね」という方も、結構多いのではないかと思う。
さて、この唄には、日本語では「青春の光と影」というタイトルがついている。
誰がつけたのか知らないが、ボクはこれは変なというか、困った訳だなと思っている。
まず、日本語の「青春」に相当する言葉は、英語には存在しない。
それから、「青春の光と影」というのは、重いというか、濃すぎる。このタイトルだけが一人歩きして、素晴らしい唄がすっ飛んでしまう。なんとももったいない。
そして、もっとも致命的なのは、「青春の光と影」などというと、大人が自分の若い頃を振り返っているというような感じがすることである。あるいは、斜に構えた傍観者が、誰か他人の人生を観察して、あなたの人生にも光と影があったわね、いい時も悪い時も両方あったわね、まあ人生なんてそんなもんよ、などと達観し、偉そうに語っている感じがつきまとってしまうことである。
これは、本当に困る。
なぜかというと、この唄の中でジョニ・ミッチェルが伝えたいのは、こうしたイメージとはまったく逆のメッセージだからである。
つまり・・・・
自分は、空に浮かぶ雲をみても、ひとつの見方じゃないんだということを思い知らされた。
いろいろな恋愛を経験して、愛するとか愛されるとかいうことが何なのかわからなくなった。
ましてや、人生なんて、自分でどう考えていいのか、いまだにこれっぽっちも見当がつかない。
・・・
だから、「達観」とか「傍観」とか「偉そうに」というイメージとは正反対に、この唄は、成長したところで絶対に消えてなくなることのない、人間の根本的な迷いとか疑いについて、語っている唄なのである。嘘だと思うのなら、一度じっくり、彼女の歌詞を英語で読み、彼女の奥行きある歌声を聴いてみるといいと思う。そのメッセージは、心に沁みわたるように、伝わると思う
では、ボクだったら、この唄に日本語のタイトルをつけるとき、なんとつけるか。ボクだったら、きっと、このブログの表題のように「雲と愛と人生と」とする。その方がずっと自然でシンプルで、唄の内容にそのまま即している。
ちなみに、この唄はいろいろな人の持ち歌になっているが、是非彼女自身がオーケストラをバックに歌っているバージョンを聴いてみてください。

2007年02月17日

役と役者(中村吉右衛門さんの話)

世の中にはボクの原稿を待っている編集者さんがいる(←実にありがたいことです)。
そういう編集者さんには申し訳ないのだけれども、この前、また時間を作って歌舞伎座へと、足を運んでしまいました。
2月の出し物は、昼夜を通しての仮名手本忠臣蔵。
いうまでもなく歌舞伎を代表する通し狂言である。
ボクのお目当ては、大星由良之助を演じる吉右衛門さんであった。
先月、彼の俊寛をみて、やっぱりこの人の舞台は全部見ておかなきゃと思うようになり、ちょっと無理して夜の部へ行ってしまった(U原さん、Y田さん、申し訳ない・・・。頑張って原稿も仕上げますから・・・)。
そしたら、期待に違わずよかった。
祇園一力茶屋で酒に酔い遊んでいるところ、スケールのどでかい人間を感じさせた。品があって、知性があって、そして色気もあって、紫色の着物がよくはえていた。最後、縁の下に隠れている裏切り者を切り、これから討ち入りにいくぞという決意をみなぎらせるところ、ゾクゾクしてしまった。
菊五郎さんの勘平もよかった。どこかでボタンを掛け違って人生の歯車が狂ってしまった人間の悲劇がよく出ていた。それから、お軽を演じた玉三郎さんも素晴らしかった。綺麗なことはもちろんだが、背の高さがまったく気にならない。強靭な足腰で、女形としての身のこなしをきわめていると思う。今回は、たっぷり(正直言うとちょっとクドイくらい)花道での(仁左衛門さんとのからみの)観客サービスがあった。
それにしても、この3人、それぞれの役がピタリとはまっている。
あまりにはまっているので、これ以外の役者さんが演じる由良之助や勘平やお軽を想像することが難しいくらいである。しだいに、「吉右衛門の大星由良之助」ではなく「大星由良之助の吉右衛門」を見ているという感じがしてくる。つまり観ているものにとって、役と役者があまりに相互一体化しちゃっているので、その関係が逆転する錯覚にとらわれるのである。ここまでくればたいしたものである。そしてきっと、ここまでくるにはゆるぎない信念とスンゴイ努力の積み重ねがあったのだろうと思う。
・・・と、ここまで書いてきて、役と役者というこの話には、もうひとつ先があるのではないかと最後に思った。
うーん、うまくいえないけど、こういうことです。
役者というのは、役を演じることのプロですよね。
だから、たしかに大星を演じている吉右衛門がいるのであるが、実は、その先にもうひとり(大星を演じている)吉右衛門を演じている本名波野辰次郎さんという人間がいらっしゃる、という構図になっているのではないか。普段われわれは、この方の本名を覚えることがまったくないほどに、この方は二代目中村吉右衛門という大役を見事に演じきっている、といえると思うのである。

2007年02月11日

Lost in Translation

遅ればせながら(ちょっと遅ればせ過ぎるが)、ソフィア・コッポラ監督の映画Lost in Translationを見た。アメリカの友人たちに会うたびにだれからも「あの映画、見たか」といわれていたので、ずっとみたいみたいと思っていたのだが、最近になってようやっとみる機会を得た。
で、感想は、というと・・・。
まず、とっても面白かった。
たとえば、最初の方の、ウィスキーを飲むCMを撮るシーン。無能な通訳が若い監督の指示を伝えられないところ(←まさにlost in translation)は、バイリンガルな人が聞くとかなり傑作なやりとりだと思う。
それから、アメリカにいる奥さんからFedexでカーペットの切りはしサンプルがホテルに送られてくるところ。実は、このシーンは、かのB・ワインゲスト先生のお気に入りのシーンである。ワインゲスト先生を早稲田のシンポジウムに招待したとき、彼はPark Hyattにどうしても泊まりたいとおっしゃられて、その理由がこの映画を見たから、というものであった。で、このシーン、別の意味でのlost in translationを良く象徴していた。
2003年に作られたこの映画が、現代日本の社会をどのように捉えているかという点からも(←ちょっと学術的というか、職業病的であるが)、とても興味深かった。ゲーセン、パチンコ、カラオケ、渋谷や新宿の雑踏などが、まあ誇張も多少入っているが、うまく伝えられていると思った。
セリフも、なかなかよかった。
大きなベッドに並んで横たわって、主人公ボブ(Bill Murry演じる中年映画俳優)に、結婚2年目でありながら歩んでいる人生に疑問を感じ始めた女性シャーレット(Scarlett Johanson)が尋ねるシーンがある。
「I feel stuck.・・・Does it get easier?」
で、これに対し、ボブは、間髪をいれず「No」と答えるのだが、すぐさま「Yes」と言い換える。このあたり、ボクのような中年のオジサンには、コタエル会話である・・・。
バーの歌手と浮気したボブを、すき焼きを食べながらシャーレットが皮肉るシーンで「歳が近いから、育った50年代のこととか、話が合うんじゃない?」というセリフがある。さりげなく知的である。
知的といえば、シャーレットがイェールの哲学科卒業という設定も面白いと思った。そのシャーレットが、ダメ夫から「タバコは健康によくないから止めたら」といわれて、「I stop later」というところがある。このセリフも、笑えた。
この映画は、最後に、帰国の途につくボブがタクシーを止め、ちゃんとしたサヨナラをいいそこねたシャーロットを雑踏の中で抱きしめて、何かをささやく場面がある。そこでどのような言葉が交わされているか、映画ではわからないようになっている。ここにもlost in translationがある。
心の通い合ったプライベートな会話は、当事者二人以外の人間にとっては意味のないものである。しかし、その二人の人間にとっては、はかりしれない重みのある言葉なのである。

2006年12月15日

なでしこイレブン

時間が時間だっただけに、見ようかな、どうしようかなと迷ったけど、きのうの夜、結局午前1時から、アジア大会の女子サッカー決勝の試合を見てしまった。0-0で、延長戦へ。そして、PK戦へ。終わったのは、3時半を過ぎていた。
日本は金メダルには及ばなかったけど、感動的な、素晴らしい試合だった。
リアルタイムで見ることができて、本当によかった。
それにしても、日本の選手たちは、よく頑張った。
スピードも、パスの正確さも、ボールコントロールも、すべて北朝鮮の方が明らかに上回っていた。それを、日本は、戦術とチームワークで補った。最初から最後まで、足の止まる選手がいなかった。この相手に対してはこの戦い方しかないという戦い方を、日本は一丸となって貫いた。DF岩清水、安藤、磯崎、矢野が、ガッツと沈着さを併せ持って、相手の攻撃を封じた。キーパー福元のファインセーブも、目を見張った。
たまらず相手がじれて、そして疲れてきて、数少ないけども日本にチャンスがめぐってきた。日本の選手たちは、それらをちゃんとものにして、相手を脅かした。荒川の左サイドからの三人突破のドリブル、そして沢へのラストパス。いやあ惜しかった。沢のヘッディングから、オフサイド判定で幻のゴールとなった大野のボレーシュート。これも本当に惜しかった。どちらも得点であってもちっともおかしくなかった。勝敗は、まったくもって紙一重であった。
ボクは、自分の娘がサッカーをすることもあって、女子サッカーがもっともっと日本でも普及すればいいなあと思っている。だいいち、女子サッカーは、見ていて楽しい。女子サッカーは、男子のサッカーに比べて、汚いファウルが少ないので、すがすがしい感じがする。たしかに、男子に比べて、シュートやパスの勢いは劣るし、個人技で抜け出てる選手も少ない。しかし、その分女子サッカーにはチームワークが要求されるので、戦術や各プレイヤーのポジショニングがより大切になる。その意味では、男子サッカーより女子サッカーの方が、知的なスポーツである。
それに、女子アスリートは、カッコいい。
ボクの娘は、前にカナダナショナルチームのキャプテン、アンドリア・ニール(Vancouver Whitecaps所属、背番号5)の指導を受けたことがあって、ボクもその縁でアンドリアさんに何度かお目にかかったことがあるが、この方、実にさわやかで、ホレボレしてしまった。ボクの娘もチームで背番号5番をつけているので、彼女にとってもとてもよいロールモデルとなってくれている。
毎年、ボクと娘は、元旦に国立競技場で行われる天皇杯の試合を見に行くことにしている。あまり一般には知られていないが、午後の男子の試合の前に、女子サッカーの天皇杯の試合も組まれている。同じチケットで、両方とも見れるのである。
今年は、より多くの人が、女子の決勝も見にきてくれるといいなあと、願っている。

2006年12月14日

みなとみらい

みなさん、みなとみらい線のみなとみらいという駅で降り立ったことがあるでしょうか。
ボクは、この駅とこの駅周辺が大好きである。
駅の改札口をでて、クィーンズスクェアーの方へ向かうと、ものすごく長いエスカレーターがあって、それに乗っているだけで本当に未来(みらい)都市の空間にいるような感じがする。エスカレーターから下を見おろすと、なんと電車のプラットホームまで見通せてしまう。つまり、駅自体がとてつもない吹き抜け構造になっているのである。これだけ凝ったつくりの駅は、東京にもなかなかない。
みなとみらい周辺には、ショッピングモールがいくつもある。
お金がなくても、ウィンドウショッピングするだけで、実に楽しい。
クィーンズスクェアーのモールは、ディーゼルとかビームスとか、どちらかというと若者向けの店が多いので、ボクのようなオジサンには入りづらい。ときどき勇気を出してコムサストアーをのぞくと、お決まりのビートルズがかかっていて懐かしい気分になるが、やっぱりここにもボクが買うようなものは置いてない(アイスクリームを食べることはあるけどね)。
そこで、オジサンは、どちらかというと、となりのランドマークプラザの方へ足が向いてしまう。JCrewがあり、COACHがあり、In the Roomがあり、この辺がボクのうろつく場所である。クィーンズスクェアーとランドマークプラザの間には、Hard Rock Café Yokohamaがあって、どうしても「今日はアメリカン」な気分に浸りたいとき、どうしてもハンバーガーとポテトが食べたいときに、入ることにしている。
しかし、最近のボクのお気に入りは、コスモワールド遊園地をへだてたワールドポーターズというモールである。その4階には、結構オシャレなインテリアの店がいくつも入っている。ソファーとか、テーブルとか、ベッディング類とか、かなり充実している。2階にはタリーズもあるし、1階の食料品売り場も品揃えが豊富である。そして、最近ボクの勉強場所になりつつあるのが、1階にあるイタリアン・レストランである。この前、時間をずらしてランチに入って、そのままずっと居座って勉強してしまった。平日行くと、結構空いていることがわかったので、また使わせてもらおうと思っている。
ワールドポーターズに飽きたら、そのまま赤れんが倉庫のモールまで歩いていって海を眺めるのもいいし、引き返して横浜美術館方面へ歩いていくのもひろびろしていてとてもすがすがしい散歩コースである。
そうそう、ま、いうまでもないけど、この辺は夜景がとってもきれいである。
どっしりと構えたランドマークタワー、そのまえにある三つの波のようなクィーンズタワー、帆のようなインターコンチネンタルホテル、そしてコスモワールドの観覧車。すこし先にはマリンタワー、そして遠くにはベイブリッジも見える。
横浜は、本当にすばらしい町である。
海が近くにあることが、活動というのか生活というのか、そうしたもののリズムになんともいえない癒しを与えてくれるので、大学からちょっと遠いけど、もう離れられないのである。

2006年11月15日

「エキストラ」

先日、新宿紀伊國屋のサザンシアターで、東京ヴォードヴィルショーの公演「エキストラ」を見た。
ヴォードヴィルの芝居を見るのは、たしか3回目である。もう2年ぐらい前、ヴォードヴィルに所属するある女優さんと仲のよい友人に誘われてはじめていったらとても面白かったので、ボクは、それ以来ずっと、機会があったらまた行きたいとお願いしている。今回は三谷幸喜作・演出で、しかも伊東四朗さんが客演として出るので、どうしても見たいと思っていた。それが実現したわけである。
そしたら、期待通り、よかった。
なんといっても、伊東四朗さんが素晴らしかった。観客の視線を一手に引きつけておいた上でストンと落としたり、まったく思いもかけない間で登場してきたり、会話の受け手(ボケ)を絶妙に演じたり、それでいてちゃんと哀愁を漂わせたり、いやホント、感激しました。
それから、同じく客演の(欽ちゃん劇団出身の)はしのえみさんも、明るくてとってもよかった(ちょっとファンになってしまいそう)。もちろん、大黒柱である佐藤B作・あめくみちこご夫妻も、相変わらず元気いっぱいで、十分楽しませてくれました。
ひとつのセットで、2時間、それも休憩なしに突っ走るというのはかな~り凄いことである。三谷さんの芝居は登場人物が多いことで有名らしいが、今回もちゃんとそれぞれの人物にコネタが仕掛けてあった。こういうシナリオを書くの、楽しいだろうなあ、と思いながら、ボクはうらやましくみていた。この展開のあとにあの話しをもってきて…とか、このシーンのためにはあそこでネタをまいとかなきゃ…とか、結局シナリオづくりというのは、よい学術論文を書くのとまったく同じ作業なのである。
芝居が終わった後で、(友人にくっついて)楽屋を訪ねるのがまた楽しい。出演者のハイテンションがそのまま持続されていて、そこらじゅうにエネルギーがみなぎっている。「あの場面マジで笑いがとまらなくて困ったわ」とか「あそこでトチッちゃってさあ」とか、いろいろ裏話もしてくれて、それをまたほかの劇団員が横からからかったりして、なんか家族のような感じがする。もちろん、中に入るといろいろ神経を使う嫌なことも多いのだろうけど、すくなくとも芝居がハネた直後は、みんな生き生きとしている。
公演は、翌日も、その翌日も、ずっと続く。役者さんは、体調を崩すわけにはいかない。だから、彼らは、楽をむかえるまでは、飲みに行ったりすることもできない。しかも、ひとつの公演がおわると、次の公演が控えている。すぐその稽古に入らなければならないので、ゆっくり休養したりすることもできない。
こう考えると、舞台俳優というのは、かなり強固な自己規律とコミットメントを必要とする職業である。
この辺は、われわれ学者と似ている、とはいえないかもしれない。

2006年11月13日

テニス

ラケットを持って大学のキャンパスを歩いていたりすると、同僚や学生たちから「もうテニスは長いんですか」と聞かれたりすることがある。
そういう時は、「ええ、結構長いんです。でも、ちっともうまくならなくてね」と答える。
ボクが最初にテニスをしたのは、高校時代にアメリカに留学したときである。ホストファミリーの弟がかなりの経験者で、彼に手ほどきを受けたのが最初であった。その後、スタンフォードに留学していた時代に、かなりやった。テニスメートがいたので彼女と毎週水曜日に時間を決めてやっていたし、日本人の留学生仲間と週末遊ぶことも多かった。スタンフォードではキャンパスのいたるところにテニスコートがあって、気軽にできたのが本当によかった。
そして、日本に帰ってきてからは、すでに7―8年続いている。
日本では、毎週テニスをする仲間たちがいる。テレビ関係者、音楽家、サラリーマン、アパレル関係の人、サーファー・・・などなど、実に多彩な人たちが集まって、土曜の夜遅くから、ある場所でやっている。ボクも都合のつく限り、行くことにしている。いや、都合がつかなくても、無理に行くこともある。このあいだの土曜日もそうであった。いまのボクの生活は、無理に都合をつけないと仕事で首がまわらないくらい忙しいので、気分転換のためだと割り切って、参加することにしているのである。
仲間内のテニスといっても、のんべんだらりとやっているわけではない。大学時代に体育会でやっていた二人がコーチの役割をしてくれて、ミニテニス、ストローク、ボレー、サーブ、サーブアンドリターンの一連の練習を、まずみっちり約1時間15分ぐらいする。全身汗まみれになり、はあはあ息が切れるまでやらされる。そして、そのあと45分ほど、パートナーを代えてダブルスで試合をする。われわれの2時間の練習は、本当にうまくなるように組まれている。それに比べると、ある有名なテニススクールに入ったこともあるが、はっきりいって、ああいった類いは、時間の無駄、お金の無駄だと思う。
仲間うちでボクは一応「センセイ」と呼ばれている。しかし、もちろん大学教授だからといって、容赦はない。厳しい「愛のムチ」がどんどんくる。「センセイ、足動いてないよー」、「センセイ、かまえてかまえて」、「センセイ、よくボールみてー」、「センセイ、足、足」・・・などという指導が、次々に大声で飛んでくる。どうもボクに対しては特に厳しいのではないか、と思うこともある。このコーチの二人は、大学教授という職業に対して恨みでもあるのではないか、大学時代、教授の先生にいじめられたのではないか、とかんぐりたくなるほどである。
仲間うちでは、ボクが一番下手である。下手なりにうまくはなっているのであるが、ほかのみんなも同時にうまくなっているので、いつまでたっても彼らに追いつかない。しかし、テニスの上達というのは、語学の上達に似ている。日々努力しても、短期的にはその向上はなかなか目に見えないが、たとえば一年前と比べたら、確実に格段によくなっていることに気付く、そういうものである。
娘が日本に来ると、この仲間たちはいつも暖かく彼女を迎えてくれる。ボクはそのことに、大変感謝している。ふた月後、彼女が日本にやってくる。日本で何をしたいかときくと、娘は必ず「テニス、それからテニス」と答えるのである。

2006年11月07日

エスカレーター設置の恩恵と誘惑

しばらく前になるが、JR高田馬場駅にエスカレーターが新設された。以前は、早稲田方面に行くには、階段を降りるしかなかったが、今ではこのエスカレーターを下っていくことができるようになった。エスカレーターで降りたった地点の方が、階段で降りたつ地点よりも改札口に近い。ご存知のように、高田馬場駅はいつも込んでいて、人を掻き分けるように歩かなければならない。新しい経路の方が、すれ違う人の数も少なくてすむので、とても便利になった。
で、この新しいエスカレーターの設置であるが、実は、もうひとつ、ボクに思いがけない恩恵をもたらしてくれている。それは・・・(エヘヘ)・・・。
以前は、渋谷で山手線に乗る際、高田馬場駅の階段の位置に合わせて乗るようにしていた。しかし、今度できた新しいエスカレーターは、階段よりすこし後方(新宿寄り)に設置されている。そこで、ボクは、最近、このエスカレーターの位置に合わせて乗るようになった。ちょうど6号車の車両の一番後ろにあたる。ホームに電車がきてないと、当然、ボクはその位置で電車を待つことになる。すると、である。すると、ナント、である。目の前に、あの吉永小百合さんがいるのである♪。
そう、Sharpアクオス、「世界の亀山モデル」のどでかい広告が、ボクの目の前にがががーんと掲げられている。吉永さんは、和服をさらりと着こなして、すこし横を向いて座って、微笑みをたたえている。「たたずんでいる」という雰囲気である。どうしたって、ウットリと、見とれてしまう。
いっておきますが、ボクぐらいの年齢になると、そうたやすく、電車の中刷り広告とか駅のポスターとかをじろじろ見入ったりすることはできない、のであります。しかし、電車を待っているボクには、6号車の位置に立つ正当な理由があるのです。別に「見入ってたい」ために、その位置に立っているんじゃないんだからね。高田馬場で降りたとき「そこにちょうどエスカレーターがあって便利」という理由で、ボクはその位置で電車を待っているんだからね。誰に説明する必要もないのだが、ボクはこうしてちゃんと理論武装をした上で、毎朝素晴らしい目の保養ができるようになったのである。エヘヘ。すくなくとも、この広告が掲げられているあいだはね。
さて、実は、もうひとつ、エスカレーター設置によって、とても気になることができてしまった。それは「駅の定食屋ちゃぶぜん」。エスカレーター新設にともなって、高田馬場駅の地下通路にできたお店である、エスカレーターを降り、右へ曲がると、どどーんと丼物の写真が張ってあり、そこに「丼、持ち帰り可」の文字がある。この「持ち帰り可」に、「むむ・・」と一瞬どうしても心が躍る。踊らされて、それでも先へ進むと、今度は「モーニングサービス有り」という文字が目に入る。それが二の矢だとすると、「椅子席あります」という三の矢まで、ある。うまい。実に、うまい。もう完全にこちらとしては興味津々である。いつか入ってみたいなあ、という気にさせられている。どうしようかな、いつか朝ごはんをここで思い切って食べてみるかな、と。
ただ、ここは食券を買うシステムになっているのですね。誘惑に負けて入っても、食券を買うのにモタモタして、学生に見つかっちゃう可能性大である。「先生、今日、ちゃぶぜんで、食券買ってましたね、何食べたんですか」なんて、いわれるの、やっぱりはずかしいかも・・・。

2006年10月10日

Seinfeld

知っている人は知っているが、ボクは将来シナリオライターになりたいという夢をもっている。半年間、表参道にあるその筋のスクールに通ったこともある。毎週課題を提出して、添削もちゃんと受けた。なので、一応、シナリオの書き方の最低限のルールは知っているつもりである。あとは、時間さえあればなあ・・・。うん、ホント、時間さえあれば大作が書けるのになあ・・・。ま、早稲田に就職している限りは、そんな時間に余裕のある生活なんて、どう考えてもできそうにないけどね。
さて、ボクの書きたいシナリオは、コメディーである。ボクは、以前から、日本のコメディーは、ドタバタや会話の妙で笑わせるものばかりで、ストーリーの展開で笑わせるものがないという不満を持っている。それに比べると、アメリカのテレビのシットコムは、本当によく考えられている。ボクのお気に入りは、Cheers、Mad about You、Will and Grace、そしてFrasierなどなど。実は、ボクのうちには、これらのDVDが買い揃えてある。「勉強」のつもりで、ときどき見ては、笑わせてもらっている。
しかし、中でも圧倒的に好きなのは、Seinfeldである。このシットコムは、Jerry SeinfeldというコメディアンとLarry Davidというプロデューサーの手による傑作である。これまでのところ第6シーズンまで、DVDが発売されている。もちろん、北米にいけば、いまでも再放送を見ることができる。
Seinfeldが他のコメディーと違うのは、ばかばかしさに徹しているところである。Cheersにせよ、それを受けて作られたFrasierにせよ、どこかウエットな部分を持っている。家族や恋愛問題、あるいは老いることについてのメッセージがあって、ちょっと考えさせたあとで笑わせるという仕掛けが見え隠れする。またMad about Youには男女のあいだの平等に関しての、さらにWill and Grace にはゲイに対する差別とかに関してのメッセージがあって、どこか現代社会を風刺してやろうという思惑が見え隠れする。Seinfeldには、そのような仕掛けや思惑が一切ない。もう最初から最後までばかばかしいストーリーの展開があるだけである。これぞ本物のコメディー、コメディーとはかくあるべしというようなコメディーなのである。
アメリカの知識人でSeinfeldを知らない人はいない。Seinfeldを囲む3人の友人George、Elaine、Kramerという登場人物が誰なのかを知らない人もいない。ボクは、Seinfeldなしに現代アメリカ文化を語ることは不可能であると思う。実際、このコメディーについては、まともな政治哲学者が研究書まで出しているほどである。
Seinfeldは、英語の慣用句を新たにいくつも世に送り出したことでもユニークである。これらの慣用句は、いまでは会話の端々に普通に使われている。yada yada yadaとか、Master of Domainとか、sponge-worthyとか。こうした慣用句の多くはセクシャルな意味合いを持っているので、カクテルパーティなどで隠語として使えて、とても便利である。首相になった安倍さん、訪米する前にいくつか覚えて行ったらどうですか?ウケると思いますよ。

2006年09月23日

lululemonのバックパック

この夏、いくつかの品を衝動買いしたのであるが、そのうちのひとつがlululemonのバックパックである。いま、これがとってもお気に入りである。毎日、これを背負って大学に通勤している。
今日も、得意になって、このバックパックで大学に行った。用があったので事務所の江夏さんのところに立ち寄ったら、彼は、やはりこの夏衝動買いをしてしまったナイキのオレンジ色の腕時計を褒めてくれた。しかし、江夏さんはバックパックについては、ウンともスンとも褒めてくれない。なので、ボクのほうから、「ほらほら、みてみて、これルールーレモンのバックパックなんですよー」といって、お世辞を強要してしまった・・・。
知っている人は知っているが、lululemon は、ヨガをするひとたちご用達のお店である。日本には、まだ青山に一軒あるだけであるが、カナダではもう16軒も店舗を展開している。ちょっと価格が高めだが、縫製がしっかりしたとても丈夫な衣料品を揃えている。もちろん、あちらでは、流行の先端をいっているようなカッコイイひとたちが普段着としても着ている。ボクの娘も、ここのパンツとパーカーを持っている。実は、娘の同級生の一人が、lululemonの創業(共同)経営者のご令嬢なのである。
で、この夏、ボクは何度かバンクーバーのロブソン通りやオークリッジセンターモールにある店をみて回っていた。そして、ある時、このバックパックを発見し、衝動に走って、買ってしまった。娘からも御墨付きがもらえて、「Good choice, Dad!」
何がそんなに気に入ったか、というと、まず外側に用途別のポケットがたくさん用意されている。歯ブラシセットをいれるところ、サングラスをいれるところ、財布をいれるところ、クレジットカードをいれるところ、ペットボトルをいれるところ、携帯電話を入れるところ、IPODをいれるところ、IPODのイヤホンのコードを出すところ、などなど。これらのポケットが、異なる色のロゴジッパーで区別されているところが、なんともカワイイ。
そして、カワイイだけでなく、このバックパックは機能的でもあるのである。内側にはラップトップパソコンを入れるところがちゃんとある。汗をかいたりよごれたりした衣類を入れるところも別になっている。そして、ヨガのマットレスを丸めて運べるような仕掛けもついている。えっ、ヨガなんか、やるのかって?いや、べつに、まだやったことないですけど・・・
というわけで、このパックパック、なんか持っているだけで、ウキウキするような一品なのである。
実は、さきほど、日本のlululemon店のホームページをチェックして、このバックパックが入荷しているかどうかをしらべてみました。そしたら、まだみたいでした。
やったね♪ボクのバックパックは、日本で持っている人はまだほかにだれもいないのかも・・・最近は、こうした希少価値の商品がなくなってきたので、これはとっても嬉しいかも・・・
ま、もちろん、いまの時代だから、インターネットで簡単に注文できるのだろうけど、もし現物を見たいという人があったら、いつでも遠慮なくお声をかけてください。

2006年09月18日

朝からRock

先日、夏休み中ずっとご無沙汰していたキャンパスのCafé 125にいった。
朝9時前で、朝食を食べそこなっていたので、チキンとナチュラルチーズのべーグルサンドイッチを食べようと入っていった。そしたら、大音量で、ロックのライブがかかっている。観客、じゃなかった、お客さんはまだだれもいない。
ここの女性の店長さんは、とっても感じのよい人である。いつもスタッフ不足に悩まされながら、朝から夜まで長時間本当によく働いて、それでいて常に明るく、ポジティヴなところがボクは大好きである。
「ご無沙汰でしたぁ、夏休みはどうでしたか・・・」ってな感じの、月並みな挨拶を交わす。べーグルが焼けるまでしばらく世間話。で、そのあと、どうしても気になってしまって、これ何でしたっけと、かかっている音楽のことを聴いた。
それはエリック・クラプトンのOne More Car, One More Riderだった。2001年のツアーのいいとこどりをしたようなアルバムだという。そういえば、間違いなく、クラプトンのギターとヴォーカルである。
「朝から、ロック!って感じで」と、店長さんがすこし顔を赤らめる。
あまりの大音響で自分の趣味の音楽をかけているところを見られたのが恥ずかしかったのかもしれないし、ロックを聴いて自分を元気付けているところをみつかっちゃったのが恥ずかしかったのかもしれない。いいじゃないすか、朝からロックで・・・
と、そのとき、突然クラプトンが「Over the Rainbow」をアンコールに歌い始めた。これがとても心に沁みた。
「いいすねこれ。ボク今日、これ買って帰ります。」
で、大学からの帰り道、高田馬場駅前の店で、このアルバムを買った。
クラプトンは、このライブの中で、新旧の名曲をとりまぜて、ストレートな演奏と歌を聴かせてくれる。無駄なおしゃべりや演出はまったくなし。この人らしい。さらにこのアルバムでは、クラプトンは、一曲おわるごとに、thank youと、観客に丁寧にお礼をいっていた。その言い方が、この人の実直さと、それからこの人の余裕とでもいうものを伝えている気がした。
ロックは、やっぱりカッコイイ。Key to the Highwayとか、Sunshine of Your Loveとか、Wonderful Tonightとか聴いちゃったら、やっぱりそういわなきゃしょうがないっしょ!

たまには、朝からロックを聴くものである。
それは、中学や高校時代の生意気なエネルギーを呼びさます。
それは、日常や他人や友人のことさえまったく気にもとめず、一日中音楽ばかり聴く生活があったことを思い出させる。
そして、それは、前へ前へと行けばいいんだよ、とボクらをけしかけてくれるのである。

2006年09月09日

スタンレー公園

バンクーバーを代表する公園は、スタンレー公園である。ダウンタウンのはずれの、三方を海に囲まれているように突き出たところにある。背の高い木が多く、きれいな空気を吸える。公園の中を突っ切る道を進むと、ライオンズゲート橋に出て、隣町ノースバンクーバーとつながっている。
スタンレー公園の中には、バラ園も遊園地も小さな動物園もあるが、なんといっても素晴らしいのは海を見ながら公園を一周できるSea Wallという遊歩道である。公園は一周10㌔弱。近くには、貸し自転車や貸しローラーブレードの店がたくさんあって、多くの観光客はそれらを利用して楽しんでいる。ボクも、何度か自転車でまわったことがあるし、またローラーブレードも一度だけやったことがある。
最近は、バンクーバーにくると、1時間ぐらいかけて、この公園の周りを走ることを楽しみにしている。Sea Wallは、ちゃんと自転車・ローラーブレード用のサイドと、ジョギング・歩道用のサイドとにわかれていて、ぶつからないようになっているから安心である。ジョギングの途中では、水面から首だけだしているアシカに出会うこともある。大きな鶴が岩に舞い降りてきて、ここはオレの場所なんだと、あたりにいるカモメたちを蹴散らす場面に遭遇することもある。
夏のバンクーバーは、ほとんど雨が降らない。来る日も来る日も、心地よい快晴が続く。日の入りは、8時頃。だから、8時半ごろに走り終わるようにジョギングを開始すると、とんでもないくらいに美しいサンセットを、走りながら満喫できる。
ウェスティンホテル前のマリーナからスタートして、ライオンズゲート橋ぐらいまでで、ちょうど半分。それまでに日が沈んでいると、橋をくぐって復路にさしかかったとたん、海の向こうのオレンジ色に染まった空に山々の陰がくっきり浮かび上がる光景が目に飛び込んでくる。それは、「こんなきれいな光景がこの世にあってもよいのか」と思うくらい、きれいな光景である。カモメが鳴き、ゆったりした波が打つ。散歩する人、ベンチに座っている人。若いカップルもいるし、年配のご夫婦もいるし、大家族もいる。むこうからジョギングしてくる人と挨拶を交わすこともある。「きれいな夕陽だね」という言葉が、お互い自然に出る。
10㌔は、自分でペースを設定して走ることのできる、気持ちのよい距離である。日常のことを忘れて、ストレスを発散するために一生懸命走ることもできるし、逆に日常のなかで考えを整理しなければならないことに、ゆっくり思いをはせながら走ることもできる。
ボクは、この夏はじめて、14歳になった娘と、Sea Wallを走った。娘の方から一緒に走りたいと言い出した。スポーツが大好きとはいえ、10㌔もの距離を走るのは初めてで、走り出すまで緊張していた。しかし、たわいもない世間話を続け、ジョークを飛ばしあいながら、ゆっくりとゆっくりと、肩を並べて走った。そして、ついに、10㌔の距離を、休みをとることもなく、走りきった。この上ない幸せを感じた。

2006年09月04日

数独、あるいは趣味の兼ね合いについて

誰が考え付いたのか知らないけど、数独、楽しいですね。
いま、結構ハマッテおります。
第一に、数独は、とてもよい暇つぶしになる。ボクは日常生活のなかで別に暇をもてあましているわけではないけれども、電車や飛行機を待っているときなど、どうしても時間が余ってしまうときがある。そういう時に、手頃な余興になる。
第二に、数独をしていると、自分の頭がよくなるのではないか、ボケ防止によいのではないか、と思うことができる。なにしろ、論理的に考えないと解けない。ひとつ間違えると、必ず後になってその間違いが発覚する。「あちゃー」と、その瞬間、やり場のない怒りと悔しさがこみ上げてくるが、そのあと冷静になって、どこでどう間違えたのかをたどるのも、結構楽しい。
ただ、本当に頭の体操になっているかといわれると、ちょっと怪しいかも、とボクは最近疑っている。すこし続けてみるとわかるが、数独の解法にも、いくつかのパターンがあって、あるレベルまではそれらのパターンに従えば、すらすらとできてしまう。そのパターンさえ理解すれば、実はあんまり頭を使わないのである。もちろん、レベルの高い問題は、あまりパターン化されたやり方ではできない。ちょっとしたイノヴェーションを、その都度必要とするようである。「ようである」などという言い方をするのは、恥ずかしいかな、ボクにはまだそれほどレベルの高い問題を解くことができないからである。しかし、数独の道を極めちゃうと、もしかすると、やはりそこにもパターンが出てくるのではないか、と思っている。
レベルの高い問題をやりはじめると、ボクのような未熟者では1時間や2時間、あっという間にたってしまう。すると、手頃な暇つぶしのつもりでやりはじめたのに、そうではなくなってしまっていることに気付く。シャカリキになって数字とにらめっこしている自分を発見するのである。「そんなにむずかしい問題に挑まなければいいではないか」といわれるかもしれないが、すらすら解けてしまうような問題ばかり解いていたのでは楽しくない。なんというか、この兼ね合いが、非常にむずかしい。
これは、なにも数独の問題だけではない。ガーデニングも料理も、あるいは俳句作りもスポーツもみんなそうであるが、趣味を趣味として楽しむ、というのは結構むずかしいことである。毎年同じ花の球根ばかりを植えるのでは飽きてしまう…いつも自分と同じレベルの人とだけテニスをしていたのでは面白くない…などというように。
世の中には、多趣味の人がいる。そういう人は、きっと、ひとつのことばかりを趣味にしていると飽きてしまうので、いくつもの趣味を同時並行的に楽しむことで、飽きることから解放されたいと思っているのであろう。
そういえば、ボクの尊敬するある研究者が、「あなたの人生の目的は何ですか」ときかれたときに “not to be bored” と答えた、という逸話がある。その人は、学問上も、実に広い分野にわたって業績を残している。そして、その人は、学生と一緒になってバスケもするし、料理もうまいし、ジャズにも詳しいし、自分でサックスだって吹けちゃうのである。

2006年08月20日

Law and Order

ボクは、日本のテレビドラマはほとんど見ないが、アメリカのテレビドラマは大好きである。アメリカのドラマの中には、「ER」のように、日本で(数年遅れで)放映されるようになるものもあるが、向こうでしか見ることの出来ないシリーズも多い。
一般に、アメリカで人気のあるドラマは、ディテールが実に正確である。警察モノ、弁護士モノ、病院モノ、政治モノなど、どのような分野をとっても、その道の専門家を何人も雇って、練りに練った考証をしている。たとえば、ERでよくある場面だが、患者が担架にのってかつぎ込まれながら、取り囲む医師や看護婦たちが薬の名前を早口でいったり、病名を患者にわからないようにコード名でいったりすると、当然英語についていけないボクには何のことやらわからない。しかし、普通のアメリカ人だって、そんな会話にはついていけないのである。それがリアリティーを高めている。医者とか看護婦の知人たちにいわせると、そういったシーンは本当に正確に出来ているそうである。
中でも、ボクが大好きで、いまでも北米に出張するときに再放送を楽しみにしているのはLaw and Orderという、NBC系列で放映されているものである。大当たりを続けていて、いろいろ姉妹編も登場するようになったみたいだが、いちばんはじめにこのシリーズを見たときは、とっても斬新な構成と内容にびっくりしてしまった。まず、前半と後半で、活躍する主人公がまったく違うというのに驚いた。前半は刑事たちが事件の犯人を突き止めることを中心にストーリーが展開する。後半はその容疑を立件する検事たちが主人公である。ニューヨークを舞台にして、政治家の汚職、人種差別、貧困、連邦警察との縄張り争い、ゲイ、麻薬など、時事的にも重要な問題が扱われていて、製作者たちが高い社会性をもって番組作りをしていることがよくわかる。そして、法律に詳しいひとがみていても、後半部分の中で繰り広げられる法律解釈の内容は緻密で、先例なども間違いなく引かれているという。番組のために、一流のロースクール出身のアドバイザーが何人もスタッフとしてついているのだそうである。
後半部分の中心人物は、州の次席検事で、ジャック・マッコイという人物をサム・ウォーターソンという俳優がもうずいぶん長いあいだ演じている。しかし、ボクは初代の次席検事ベン・ストーンを演じたマイケル・モリアーティーが大好きだった。相手の弁護士に対して絶対に妥協せず、時には上司とも衝突する一途な頑固さに、自分こそが社会秩序の番人なのだという自覚がよくにじみ出ていた。陪審員を前にすっくと立って最終弁論を滔々と述べる姿も、なんともカッコよかった。その最終回の場面は、いまでも強烈な印象に残っている。ベン・ストーンは、ある女性を説得し、身の安全をちゃんと保障するからといって、証人として法廷で証言させた。その晩、報復として、その女性はロシアマフィアに殺されてしまう。それで彼は、辞職を決意するのである。
Law and Orderは、番組の中でほとんどBGMが使われないで、淡々と話が展開していくところもよい。このあたり、日本で人気の韓流ドラマとは、どうも反対の方向性をもっているような気がしてならない。

2006年07月28日

品田先生

世の中には、嫌われやすい人と好かれやすい人がいる。ボクが前者のタイプの典型だとすると、神戸大学の品田裕先生は後者の代表格である。まず、見るからに温厚である。物腰も柔らかい。歩いている時の「スタスタ」感といい、話すときの「トツトツ」感といい、独特の「間」を持っていらっしゃる。いつも、ボクは、品田さんのようになれたらいいなあ、と思っている。(品田さん、本当ですよ!)
で、昨日と今日と、ボクは品田さんと、研究会などで一緒だった。ところが、ボクは大失敗を犯してしまった。ある人に、品田さんを「同志社大学の品田さんです」と紹介してしまったのである。なんとも失礼な話しである。考えれば考えるほど、失礼な話である。ボクがサラリーマンだったとしたら、お得意様を誰かに紹介するときに会社名を間違うなんてことは許されない。自分の社内でも、所属を間違えて誰かに紹介しちゃったら、お叱りを頂戴するところである。あとで思ったのだが、もし誰かがボクを「青山学院の河野さんです」なんていったら、きっとボクは「この人ボクのことあんまり知らないんだ」と落胆するにちがいない。ましてや、誰かが「慶応の河野さんです」なんていったら、ボクは落胆を通りこして、きっと不機嫌になっているだろうと思う。
というわけで、ボクはそのあと反省しきりであった。それでも、品田さんはニコニコして、ボクのそんな無礼な間違いをやり過ごしてくれた。この辺からして、彼の人格がにじみ出ている。脱帽である。
はて、それにしてもなぜ間違ったのだろうか、と、そのあと自問自答してみた。で、思いついたのは、ボクの頭の中では、品田さんは、京都の人というイメージがあるからだ、ということになった。京都といえば御所、御所といえば同志社。それで、品田さん=京都=御所=同志社というように、ボクの中での連想ゲームが進んでいってしまったのだと思う。それに、現在、同志社には、西澤さん、森(裕城)さんという、選挙や投票行動を研究している優秀な研究者がそろっている。きっと、それも勘違いの源泉になっているかな、とも思った。
しかし、である。品田さんは、あのように一見イノセントにみせておいて、結構交渉上手、依頼上手なのである。実は、今日、電車の中で、品田さんから頼まれていたあることを思い出したので、「あの件はどうなっているんでしたっけ」とボクは聴いてみた。そしたら彼は、その件についてはまったく触れずに、あたかももうひとつ別の件のことをボクが尋ねているというフリをするのである。ボクは、その「別件」の方については、まったく聴いていない。初耳であった。で、ボクが「えっ?そんなの聴いてないですよ」というと、「あ、そうでしたっけ」と、おとぼけになる。そして、例の「トツトツ」感たっぶりに、その別件を説明し始めたのである。
何のことはない、品田さんは、ボクが「あの件」へ言及したことをうまく利用して、もうひとつの「別件」をも、ボクに押し付けようという作戦に出ているのである。そして、それをいかにもイノセントにするところが、彼の凄い技なのである。
今回のところは、一応ごまかして、その「別件」の方について確約するのをさけることに成功した。ただ、今度会う時までには、こちらもいろいろと交換条件を準備しておかなければ、と身を引き締めているところである。

2006年07月03日

ボクの好きなライブアルバム

スタジオ録音とライブ録音とでは、やっぱり根本的にちがう、という感じがする。まあ、そんなの当たり前といえば、当たり前だけどね。ボクは、スタジオ録音の音楽を聞くと、ライブにくらべて、どうしても緊張感という点で劣っていると思ってしまう。失敗したってどうせ後から音をかぶせられるじゃないかという先入観がこちら側にあるもんだから、なかなか心底から感動することがない。しかし、ライブ録音、とくに「いわくつき」のコンサートを録音したものは、いずれも、物凄い緊張感がみなぎっていて、楽しめる。
1938年、殿堂カーネギーホールにおいて、はじめてジャズを演奏したのは、ベニー・グッドマンであった。その演奏をまとめた2枚組を、ボクはときどき聴く。マイク一本で録音されたもので音質はひどいが、にもかかわらず、いつ聞いてもすさまじい迫力を感じる。その時、演者として、デューク・エリントンではなく、またカウント・ベイシーでもなく、ベニー・グッドマンが選ばれたのは、彼が白人だったからだといわれている。エリントンらそうそうたる黒人のジャズミュージシャンたちは、観客席からベニー・グッドマンを見守っていた。そんな中、ベニー・グッドマンと彼のバンドは、一世一代の素晴らしい演奏をした。ライバルたちが見守るプレッシャーが、この名演奏を生み出したのである。
解散する前のMJQのラストコンサートも、ボクのお気に入りである。最初に収録されているSoftly as in the Morning Sunriseの、なんとおごそかなことか。これから最後のコンサートをやるんだという、決意のみなぎった演奏になっている。そして、なかほどまでくると、4人は、グループとして最後となる演奏を楽しんでいるかのようである(←実は後に再結成されることになるが・・・)。たとえば、Skating in Central Park。ゆったりとして、聴いているものをニューヨークでスケートをしている気分にさせてくれる。さらに、なんといっても極めつけは、アンコール曲のBag’s Grooveである。ジョン・ルイスのピアノ、パーシー・ヒースのベースのソロを、ボクは何度お風呂の中で口笛吹いたことか。
ボブ・ディランを聴くときは、Before the Flood、日本語では「偉大なる復活」というタイトルがついている2枚組である。バックを担当しているザ・バンドのUp on Cripple CreekやI Shall Be Releasedも秀逸の出来だと思う。しかし、何より、ディランが、Don’t Think Twice, Its All Right、Just Like a Womanの2曲を、彼のギターとハーモニカだけで続けて歌うところが、最高の聴きどころである。
ライブは、映像がなくても、十分その場の張り詰めた空気が伝わってくる。しかし、映像があると、やはりその場との一体感が高まる。この前、ボクはフンパツして、キース・ジャレットの2002年の東京ソロコンサートのDVDを買ってしまった。実は、東京ソロは、たとえばケルンなどと比べるとあんまり評判がよくない。たしかに、現代音楽の音階が多くて、ボクなどにはついていけないところがある。でも、その中でも、最後の方に収録されているPart 2dは、本当に素晴らしい。こんな美しいメロディーがどこから出てきちゃうのだろう、と思ってしまう。ボクは、聴いているうちに自然にポロポロと涙を流してしまった。みなさんも、ぜひ聴いてみてください。

2006年06月28日

マンハッタン・トランスファーと青二才の人生論

先週、東京青山のブルーノートにマンハッタン・トランスファーを聴きに行った。ちょっとさすがに年取っちゃったかな、という感じの4人ではあったが、それでも持ち前のエンターテイメント精神を発揮し、最初から最後まで息をつかせることなく聴衆を楽しませてくれた。ボクの好きなYou can depend on meやBirdlandといった初期の曲目も歌ってくれて、感激した。
さて、その夜は、リーダーのティム・ハウザーが、いまレコーディング中だというソロアルバムから、一曲披露した。正直言うと、ボクは、あんまりその歌自体には感動しなかった。ただ、その紹介として彼が語った話がとても印象に残った。
彼によると、この曲(というかそのソロアルバム全体)は、もともと、数年前、日本に来たときにインスパイアーされたのだ、という。六本木ヒルズができる前、「WAVE」というレコード店があり、そこをぶらついていたら、知らないヴォーカルの曲が店内でかかっていた。プロである自分が、その声が誰だかわからないのが我慢できず、彼は店員に誰が歌っているのかと尋ねた。すると店員は、「ミルト・ジャクソン」と答えた。「ミルト・ジャクソン?あのMJQのミルト・ジャクソン?彼がヴォーカルとして歌うわけないだろう?」といったら、その店員がCDのジャケットを持ってきて、そのタイトルがなんと「Milt Sings・・・」というものであった。で、ティム・ハウザーは、そのCDを買って帰って、この偉大なビブラフォン奏者の音楽性と人間性を再認識し、それが彼の新しいソロCDの出発点になった・・・、というような話であった。
ボクは、なぜこの話が自分の中で印象に残ったのかなと考えていたが、きっとこういうことなのではないかと思うにいたった。つまり、この話は、プロの(しかもティム・ハウザーのような超一流の)音楽家でも知らないCDが世の中には出回っているという事実を物語っている。偶然そのときそのレコード店に居合わせなければ、もしかすると彼は一生、このCDの存在すら知らなかったかもしれない。それは、裏返せば、この世の中には良いCD、良い音楽が無尽蔵に存在するということである。ボクらはいかに長生きしても、一生のうち、そうした素晴らしい音楽の、ほんの一部分しか堪能することができない。これは、考えてみれば、きわめて悲しい現実ではないか。そして、もちろん、これは音楽に限った話ではない。この世の中には、よい絵画、心を打つ小説、美しい自然、素敵な人、美味しい料理・・・などなど、素晴らしいものが限りなく存在する。ボクらの人生は、そのホンの氷山の一角をなめるような経験に過ぎないのである。きっとそういうことを暗示する話だったので、印象に残ったのではないかと思う。
で、問題は、この先である。この話から、どのような人生の教訓を引くべきなのか。実は、ボクにはよくわからない。氷山の一角だから、いまある自分、これまで自分がすることができた経験を一期一会として、貴重なものと思い知るべきなのか。それとも、氷山の一角だから、いまある自分、これまで自分がすることができた経験をとりたてて特別なことと考えてはならないと思い知るべきなのか。とっくに不惑の歳を過ぎているが、何を隠そう、ボクは、人生のこうした基本的な姿勢さえ固められない、青二才なのである。

2006年06月09日

早大正門行きのバス

朝、高田馬場から早大正門行きのバスを利用することがある。
ボクは、この経路で通勤することが、最近とても気に入っている。
これから梅雨に入るが、天気の悪い日には、雨の中を歩く距離をなるべく短くしたいと思うので、大学の正門の直ぐ前まで連れて行ってもらえるのは、とてもありがたい。
一方、天気の良い日にバスに乗るのも、もちろん気分がよい。地下鉄ではなく、地上を走るバスを利用して、明るい外をボンヤリと眺めていると、リラックスできる。たいてい、ボクは、一番後ろの左側の窓際の席にすわって、立ち並ぶラーメン店や古本屋、「馬場歩き」をしている早大生たちのファッションなどを何の気なしに観ている。ときどき、その中にひときわ背の高い飯島先生を発見して、びっくりすることもある(彼にいわせると「馬場歩き」だけが、いまの彼にとっての唯一の運動なのだそうである)。
バスに乗り合わせると、地下鉄や電車とは違った空気が流れている。うまく言えないが、それは、アットホームな、ほのぼのした空気である。バスの空間は狭いので、人と人との距離が近い。揺れるし、込んでいるとすぐぶつかったりしてしまう。しかし、そのように狭い分、バスに乗り合わせると、知らず知らずのうちに、人は誰しも、同乗者に対して気を使うようになるのだと思う。そして、席とかスペースとかの譲り合いが自然に起こっているような気がする。
このバスに乗り合わせる人のほとんどが、早稲田の関係者である、というところも、バスの中に暖かい空気を生んでいる。基本的に、地下鉄や電車の中には、冷たい他人の関係しか存在しない。しかし、このバスに乗り合わせる人々は、早稲田へ行くという共通の目的で、すでに縁のつながっている人々なのである。狭い中に、同じ目的を持っている人が集まる空間というのは、まちがいなく、コミュニケーションが成立しやすい空間である。だから、バスに乗ると、意識するわけでもないのに、目が知り合いの先生や学生がいないかなと探していることに気付く。久しぶりに再会したらしい学生同士が、今日は何の授業をサボルつもりなのかなどと話しているのを聞くと、こちらも、まさかオレの授業のことを話しているんじゃないだろうな、などとつい聞き耳を立ててしまう。バスの中では、ボクは知らなくても、ボクのことを知っている学生が乗っているかもしれないという意識も働いて、チラチラと横目でボクの方をみている学生がいても、嫌な気分がしない。ただ、ボクとしては、(エヘン)若い格好しかしないので、うまく周りの学生に紛れ込んでいるつもりなんだけどね。
ところで、高田馬場駅でこのバスに乗ろうとすると、とっても快活な女性が、乗り場を仕切っている。「ハイ、それでは、発車しまーす。お待たせしましたー、後ろオーライ!」この声を聞くと、とっても元気になる。というか、そうだ、ボクも今日一日、元気いっぱいで仕事をしなきゃ、という気分にさせられるのである。

2006年05月14日

アールグレイ&キャプテンピカード

TREKKIE、すなわちスタートレック・ファンなら誰でも知っているが、キャプテン(ジョン・ルーク)ピカードのお気に入りの紅茶は、アールグレイである。彼は、いつもUSSエンタープライズの船長室で、食物再現機に向かって「熱いアールグレイ」と注文して、飲んでいた。彼と微妙な関係の美しいドクター、(ビヴァリー)クロッシャーも、たしかアールグレイが好きだったのではないか、と記憶している。
このアールグレイであるが、ボクらが子供の頃、そんな紅茶は、日本になかった。だいたいボクらが小学校に通っていた時代には、日東紅茶かリプトンのティーバッグぐらいしか、紅茶なるものが日本には(←正確にいうと、わが家のまわりには)存在しなかった。ところが、今では、ごくふつうのスーパーでも、数え切れない種類の紅茶を陳列してある。その中からどれを選んでいいのかは、いつも迷う。最近は、文字通り経路依存でもって、アールグレイにしてしまう。
よく知らないけれども、アールグレイは、紅茶の中では、異端の部類に入るのではないか。他のティーとちがって、香りと味が人工的な感じがする。実際、最初飲んだとき、なんだかリップクリームだか香水だかの混ざった紅茶を飲んでいるようで、好きになれなかった。ところが、どういうわけか、何度か飲んでいるうちに、これが忘れられない風味になってくるのである。まさに、英語でいうところのacquired taste。だから、ほかに、たくさんの種類の自然系・正統派の美味しいティーがあるのに、わざわざアールグレイを買ってしまう。ストロベリーとかバニラとか、ほかにいろいろ自然系・正統派のアイスクリームがある中で、わざわざ抹茶アイスクリームなどというものを注文してしまうのと似ている。
ところで、キャプテン・ピカードがアールグレイ以外のティーを入れて飲むシーンって、あるんでしょうか。ボクは、そこまで熱烈なトレッキーじゃないので、そんなシーンがあるのかどうか、知らない。多分ないのではないか、と思う。こういうのは、登場人物にリアリティーを持たせるための、一種の仕掛けだからね。007シリーズで、ジェームス・ボンドがいつも「ウオッカマティーニ。ステアせず、シェイクしたやつをね」と注文するのと、まったく一緒である。ただ、ジェームス・ボンドに関しては、どこかで聞いたことがあるが、シリーズの中で2回だか3回だか、ウオッカマティーニ以外のドリンクをオーダーする場面があるんだそうである。しかし、考えてみれば、これもまた、リアリティーをもたせるための、仕掛けかもしれない。ごくたまに、そのようないつもと違う行動をさせることで、観客に「あれ、今日はなんか、あったのかな」などと、想像を掻き立たせることになるからである。
キャプテン・ピカードを演じていた俳優は、パトリック・スチュアートという。イギリス出身で、もとは舞台俳優であった。ボクは、この人に会ったことがある。もう2年ぐらい前になるが、銀座の歌舞伎座の前で人と待ち合わせていたら、彼が突然チケット売り場から出てきた。近づいていって、「写真をとっていいか」と聞いたら、断られてしまった。しかし、その代わり、がっちり握手をしてくれた。イメージしていたより、背が低かった。とっても綺麗な、若いブロンドの女性を連れていた。

2006年05月12日

銀座ライオンとギネスの話

いやー、いよいよというか、とうとうというか、待ってましたというか・・・
ついにビールの季節がやってきましたねえー。
なんてったって、日本の夏は、ビールなしには過ごせない。
蒸し暑い一日を終え、シャツもパンツもズボンも汗でビショビショになりながら、とりあえず、とにもかくにも、やあやあと、ビールで乾杯する。
ジョッキが衝突する音、がしゃ、がしゃ、がしゃ・・・
口に含んだビールをゴクリとすると、一瞬ヒヤリと咽喉が絞まる。その一瞬だけ、暑さを忘れ、天国にいく。しかし、すぐさま、あたりのジトジトな空気が、全身の皮膚を攻略にかかる。暑いよー、暑いよー、もうあきらめなさいよー、といった感じで攻めてくる。汗がじわじわにじみ出る。
それをまたなんとか凌ごうと、もう一回、ビールを口にする。しかし、残念ながら、この二口めには、一口めほどの感動は、もうない。そして、三口め、四口めぐらいになると、体を冷やす効果なんて、もう全然なくなっている。ま、日本の夏には、結局勝てっこないんですけど、ちょっと抵抗してやろうじゃんか、という気にさせてくるのがビールなのではないか。
さて、ボクの好きなビアーホールは、銀座のライオンです。
えっ?なぜかって?
まず、なにしろ、あの広々とした感じがよい。
それから、客層が圧倒的にサラリーマンとOL、というところもよい。今日も一日一生懸命働いたんだから、いいでしょ飲んだって、てな感じで、みんなビールを飲んでる。みんな楽しそうに飲んでいる。女を口説いてやろうなんてヨコシマな考えを持った男は、あんまり銀座ライオンにはいない。ここでイケメン男を引っ掛けてやろうなんてヨコシマな考えを持った女も、あんまりいない(←多分)。そうした変な駆け引きや下心のような雰囲気がまったく感じられず、あっけらかんとしているのが、素晴らしい。
ボクは、それほどビールに詳しいわけではないが、最近好んで飲むビールは、Guinnessである。ギネスのジョッキというのは日本ではあんまりないので、ビアーホールなどでは、サッポロ黒生を頼むことにしている。なぜか、黒ビールは、カラダによいのではないか、という迷信をボクは持っている(←これが迷信でないとどなたかに教えてもらいたいものだ)。
家では、もっぱら、ギネスをビンから直接飲んでいる。ビールというのは、缶から飲んでもまったく美味しくない。缶ビールであれば、必ずグラスに注いで飲む。しかし、ビンから飲むビールはとっても美味しい。グラスに注がない方が美味しい、とボクは思う。
実は、いまも、ボクはギネスを飲みながら、これを書いている。おとといからほんのさっきまで、締め切り原稿に追われていたのであるが、ようやくひと段落ついて、ホットしているところである。で、ギネスを飲み始めたら、日記を更新しなきゃと思い立ち、そうだ、ビールについて書こうという気になったのである。
いま、悩んでいるのは、もう1本飲んでいいものかどうか、ということである・・・。

2006年05月08日

カツサンドの売切れ

ボクはサンドイッチのなかで、カツサンドが特に大好きである。コンビニや駅の売店で、たくさんの種類のサンドイッチが並んでいても、カツサンドがあると、ついそこに手が伸びてしまう。カツサンドは、他のサンドイッチよりも、存在感というのか、インパクトというのかが、断然大きい。
別に、中味がトンカツである必要はない。チキンカツであってもよい。ボクの住んでいる近くの横浜元町では、海老カツサンドやカジキカツサンドなるものを売っている店があるが、それらもボクのストライクゾーン内である。要するに、揚げコロモとパンに甘いとんかつソースがジワリとしみ込んでいれば、それ以上、あんまりうるさいことはいわない。
ただ、世の中で売られているカツサンドに、キャベツが入っていない場合がある。キャベツの代わりにレタスが使われていることも、ときどき見受けられる。これらは、なんとも理不尽な話である。カツにキャベツ。本来、このふたつは、切っても切れない縁で結ばれている。トンカツ店へいって、キャベツの付いてないロースカツ定食やヒレカツ定食が出てくることは絶対にありえない。だから、キャベツの入っていないカツサンドなるものも、絶対にあってはならない。
カツサンドについては、子供のときの、ある想い出がある。
昔、ボクの家族は、毎年夏休みになると友人家族と連れ立って、山中湖に遊びに行くことにしていた。向こうでは、ボートに乗ったり(←怖かった)、魚釣りをしたり(←結局一匹も連れなかった)、花火をしたり(←よく覚えていない)、夜トランプしたり(←とっても楽しかった)して遊んだ。山中湖へ行くのに、われわれはいつも新宿から小田急ロマンスカーに乗った。現在では通勤にも使われるようになったが、当時ロマンスカーはまだ文字通りロマンに満ちていて、ボクら子供にとっては、遠足とかこうした家族旅行の時にしか乗らない特別な電車だった。
で、ロマンスカーでは、昼食を車内で注文できた。メニューには、カツサンドと書いてある。たしか、350円だった。ミックスサンドは300円。ボクは毎年、迷わず、カツサンドを注文した。しかし、不思議なことにカツサンドはいつでも売り切れだった。なので、ボクは、毎年仕方なく、ミックスサンドで我慢しなければならなかった。ミックスサンド・・・卵とかトマトとかハムとかが入っていて、バラエティに富むが、どこかインパクトに欠けるサンドイッチ・・・。ボクは、しぶしぶそれを食べながら、毎年、来年はきっとカツサンドを食べられるな、と信じることにした。それでも、翌年も、その翌年も、やっぱり、カツサンドはないのであった。
小学校高学年になり、すこし生意気になったボクは、ある年「申し訳ありません、カツサンドは売り切れです」と言われて、「あのぉ、去年も、おととしも売り切れだったんですけど、メニューに書いてあっても、本当はないんじゃないですか」と、イヤミったらしく販売員さんに文句をつけたのを覚えている。もちろん、その販売員さんは、そんなことはない、ちゃんとあります、といっていた(ように記憶している)。
でも、本当に、カツサンドは、毎年毎年、売り切れだったのかな。ボクは、新宿から発車するとすぐ販売員さんを見つけ出して注文するようにしていたから、どうしても最初からなかったんじゃないかという疑いをぬぐいきれない。それとも、ボクは、このカツサンド事件を、いつか夢かなにかで見ただけなのだろうか。大人になってから、ある小田急の関係者の方にこの話をしたことがあるが、その人もそんな昔のこと分かるわけないし、困っただろうね。というわけで、このミステリーは迷宮入り、真相が解明されることは、きっともうないのである。

2006年04月26日

長嶋茂雄

ボクの永遠のヒーローは、長嶋さんである。
ボクが野球のユニフォームを最初に作ったのは、たしか小学校3年か4年のときであったが、もちろん背番号は3番だった。袖にはオレンジ色でgiantsの文字。おそらく、その頃、世の中に出回っていた少年野球ユニフォームの半分ぐらいは、背番号が3だったのではないか。それくらい、長嶋さんは、ボクら少年たちのあこがれであった。
東京ドームの前身は、後楽園球場といった。そこに、ボクは1年のうち2-3回、ジャイアンツ戦を見に行っていた。幼心に「ここで打ってよー」と祈ると、長嶋さんは必ず打ってランナーを返してくれた。幼心に「これ取ってよー」と念じると、ボールはちゃんと長嶋さんのグラブの中におさまっていた。そんな人は、あとにも先にも、ほかにいない。だから、彼は、ボクにとって永遠のヒーローとして、心に刻まれている。
つい先日、長嶋さんをお見かけした。
実は、今回は、言葉まで交わしてしまった。
場所は、あの文化理髪。
その日、ボクは4時に予約をいれていた。店に着くと、店主がいつもの窓側とは違う席にボクを案内する。一瞬「あれ?」と思ったが、機材でも調整してるんだろうぐらいに思っていた。で、散髪が進む中「このごろ、監督お見えになるの?」と訊いてみた。すると、「いや、実は、今日、4時過ぎに来ることになってるんですよ」という。
「ええっー!!!!!」
そういえば、長嶋さんを担当するもう一人の理容師さんが、そわそわしている。窓側の席は、今日はVIP席に早変わりしている。そして、なんとなく、ボクの髪を切っている店主にも、落ち着きがない。床の上に散乱しているボクの髪の毛を、頻繁に掃除して片付けている。で、そのたびごとに、ちらちらと、時計を気にしている。
ボクが座った席は、入り口のまん前の席である。つまりボクは長嶋さんが店に入ってくると、鏡ごしに彼と真正面に向かい合う位置にいる。こんな絶好な機会はない。今日は、何が何でも、なんとか大きな声で挨拶だけしよう、と決心する。もうそれからは、こちらもドキドキ、そわそわ。もう4時15分だぞ・・・ドキドキ・・・あれれ、もう4時半だぞ・・・そわそわ・・・まさかもうこないんじゃないだろうな・・・ドキドキ・・・そわそわ・・・
しかし、みなさん・・・(松平アナ風に)ついにそのときがやってきました・・・。自動ドアが開いて、長嶋さんが入ってくる。ドキドキは最高潮に達する。「こんにちわー」と、ボクが大きな声でいい、大きくお辞儀をする。すると、長嶋さんも、「あ、こんにちわー」といって、ボクをみる。目と目がしっかりと合った。やったー!ついに、言葉を交わした。目線まで交わした。長嶋さんは、ボクに、ボクだけに「こんにちわー」って、いったんだからね♪
今度の日曜日、ボクの入っている草野球チームの試合がある。
ボクの背番号は、いまでも、もちろん、3番である。

2006年04月12日

Decaffinated Coffeeその他の発明

Decaffinated Coffee、つまりカフェイン抜きのコーヒーを発明した人は、天才である。なんたって、コーヒーのコク深い香りや味を、カフェインの作用を気にせず楽しめるということを可能にしちゃったんだからね。ボクはこれでもけっこう繊細な神経の持ち主なので(←ほんとダヨ)、夜遅くなってからコーヒーを飲むと眠れなくなる。外食をするとレストランによってはデザートが登場するのが10時とか10時半を過ぎることもあるが、こんなに遅くなってからコーヒーを飲んで大丈夫かな、と心配になる。そういうときに、店の人からDecaffinated Coffeeもありますよ、といわれるととても嬉しい。
ところで、このDecaffinated Coffeeって、日本語で何というんですかね?英語ではこれを「De-Caf」(前方Deの方にアクセント)と略すのであるが、日本で「ディカフェ」といってもほとんど通じない。実は、昨夜も、夕食のあとに丸ビルの一階にあるカフェでデザートを食べようということになって、ウェイトレスさんに「ディカフェありますか」といったら、ぜんぜん通じなかった。そこで、「カフェイン抜きのコーヒーありますか」と聞き直すと、そのウェイトレスさんは不思議そうな顔して「カフェインだけのコーヒーですか」と聞き返してきた。ナイスボケ!キミねえ、ちょっとねえ、いくら若いとはいえねえ・・・、もうすこし勉強しなさい。
考えると、世の中の発明には、「ナントカ抜きカントカ」系と、「ナントカ入りカントカ」系との、正反対の方向性をもった二種類がある。前者の典型として、昔から名を馳せているのはなんといっても種無しブドウ、より最近では種無しスイカでしょうかね。これらを発明した人は、すごく偉いと思う。口にいったん入れてから出すあの「ぺっ」(スイカの場合は「ぺっ、ぺっ」)という、人間にとってなんとも醜い行為を、この世から消滅させた貢献はたいしたものである。それから、アルコール抜きのビールとか、アルコール抜きのシャンパンとかいうのもあるけど、これらを発明した人も、もちろん偉い。社会から悪酔い飲酒運転を減らすことに貢献しているんだから、もう表彰モンである。
これに比べると「ナントカ入りカントカ」系の方の発明は、あんまりぱっとしない。ちがうものを一緒にしようという発想には、効率性や利便性の追求というところもあるが、それらを通り越して、手抜き、馴れ合い、安っぽさ、などといった概念に通じるところがある。たとえば、安いホテルに泊まると、バスルームに「コンディショナー入りシャンプー」が置いてある。これをみると、ああ、このホテル経営努力をしてて偉いなと、たしかに一瞬思うが、次の瞬間とっても悲しくなってくる。シャンプーとコンディショナーもちがう容器に入れられないのかよ、そこまでするのかよ、そこまでするホテルにオレは泊まっているのかよ・・・、といった感じである。実際、コンディショナー入りシャンプーなるものの洗い心地は、よかったためしがない。
と、思ったら、今朝「ナントカ入りカントカ」系の発明で、毎日お世話になっているものがあることに気付いてしまった。あの、「野菜一日これ一本」とかいう類のドリンク。あれは、すごい。あれを飲むと、健康になった(心地よい)錯覚に陥るところがとってもよい。

2006年04月05日

ジョギングの快楽

ボクがいま住んでいるマンションに越したのは、ジョギングのためである。すぐそばに山下公園があり、赤レンガ倉庫、みなとみらいへと走りやすい遊歩道が続いている。それが海側コースだとすれば、もうひとつは、元町から山手へむかって坂を上がり、フェリスや外人墓地の前を通って降りてくるという山側コース。どちらのコースもだいたい30分弱である。二つを組み合わせて、一時間ぐらい走ることもある。
よく、ジョギングなどすると疲れちゃうと思っている人がいるけれども、それはまったく違いますね。朝30分走っただけで、目や頭が冴えて、一日中シャキっとしていられる。逆に走らない日のほうが、昼ごはんの後や帰りの電車の中で、ぐったりして眠くなったりする。
もちろん、精神衛生上も、ジョギングは非常によい。ボクの場合、いつも締め切りを抱えているので、自分で時間を作らない限り四六時中仕事に追い詰められる生活になってしまう。「ジョギングしている暇なんかないのに」と思う一方で、それでもジョギングを強行する。すると、なにより自分の「自由」を取り戻せたと感じることができる。また、運動をしているということが、自分の自信にもつながる。汗をびっしょりかくと、「おお、いい汗かいてるじゃん、44歳とはいえ、まだまだ大丈夫だな」とか思う。
ボクがジョギングを始めたのは、スタンフォードの院生時代だった。パートナーを見つけて、週に2日一時間ぐらい一緒に走っていた。アメリカでは、ジョギング人口がものすごい。どの時間帯にキャンパスのどこを走っても、何十人のジョガーたちとすれちがう。しかし、日本に帰ってきてからは、ジョギングに適した場所もなく、走らなくなってしまった。それを再開することにしたのには、あるきっかけがあった。
2000年夏、ケベックシティーでの世界政治学会のとき、並行して日米の少数の研究者だけのある会議が開かれた。朝の9時から午後の5時まで、スケジュールのびっしり詰まった2日間にわたる会議だった。その1日目、会議が終了すると、インディアナ大学(当時)のハックフェルド先生が、「これから5キロぐらい走ろうと思うけど、誰か一緒に行かないか」と声をかけた。ところが、日本側のメンバーたちは、みなもうぐったりしちゃって、誰も手を挙げない。そのときボクは、思った。こんなことではいつまでたってもアメリカの研究に太刀打ちできないぞ、と。向こうの研究者たちは、家庭で普通に料理をつくり、子育てにも積極的にかかわり、さらに毎日5キロぐらいを平気に走って、研究活動にいそしんでいる。それに比べると、なんと日本の研究者たちに余裕がないことか。そんな余裕がない中で、いいアイディアが生まれてくるわけないではないか、と。それで、ジョギングを再開し、それが高じてホノルルマラソンを2度も走ることになった…。
…と、この前、この話を、早稲田を訪れた大阪大学の曽我謙悟氏にした。そしたら、「会議の後に5キロ走るアメリカの研究者たちもたしかにスゴイけど、それを聞いて自分もやらなきゃと思いたつ河野さんもスゴイ」とほめてくれた。この言葉、ホントうれしかったですねえ。曽我さん、どうもありがとうございました。
最後になるが、ジョギングは、出張や旅行にいっても一人で手軽にできるという点もよい。景色を楽しめて、地元の風景に自分が馴染んでいくような気分になるのが、何ともいえない快楽である。

2006年04月01日

スターバックスのマフィン

ボクは、カナダのバンクーバーをよく訪れるのであるが、そこでの朝食は、たいていスターバックスで、と決まっている。バンクーバーは、スターバックスの発祥地であるシアトルから近く、ロブソン通りの第1号店をはじめとして、本当にたくさんの店が展開している。石を投げればスタバに当たる、犬も歩けばスタバに当たる、すべての道はスタバに通じる、渡りに船ならぬ渡りにスタバ…、まさにそんな感じである。
一般に、北米のスターバックスは、日本のスターバックスよりも、ペイストリー系メニューが充実していて、いろいろな種類のマフィンやスコーン、ケーキなどがおいてある。ところが、ですね、すべてのスタバがすべて同じメニューかというと、そんなことはけっしてないんですね。ボクのお気に入りのマフィンは、Low-fat Banana Wild Blueberry Muffin with Soy Milkという舌を噛みそうになるくらい長い名前なんだけど、バンクーバーでも、これを置いてあるところとないところがある。行き当たりばったりに入った店で、ウィンドーを見わたし、このマフィンがおいてないとがっかりする。で、そこでは、コーヒーだけ買って、行き着けの違う店に、わざわざこのマフィンを買いに行ったりしたこともある。このマフィンは人気があって結構早く売り切れてしまうので、一軒、二軒と、なんと「スタバのハシゴ」までして、このマフィンを探したことさえある。ホント、それほど、おいしいんですね。
さて、このマフィン、名前があまりにも長いので、日本人のボクには注文するのが結構大変である。最初の頃は、律儀に「ロゥファットバナナワイルドブルーベリーマフィンウィズソイミルク、プリーズ」と全部いっていた。いっぺんにいおうとすると、絶対どこかでつまる。朝の混雑時には、後ろにお客さんがずらりと並んでいるから、ついあせる。で、あせればあせるほど、つまっちゃって、何度も言い直さなければならない。ところが、次第に、店員さんたちがこのマフィンの名前を縮めて、呼んでいるのに気がついたのですね。店員さんたちだって、こんな長い名前をいちいち全部復唱していたら、時間がかかってしょうがない。で、ボクの観察では、その省略の仕方には、いろいろなパターンがあることがわかった。「バナナブルーベリーウィズソイ」がまあ一番一般的なんだけど、「バナナウィズソイ」とか「ロゥファットバナナ」だけの人もいる。
というわけで、それ以来、ボクも省略形でこのマフィンを呼ぶことにしている。一時期は、毎回違う省略形のパターンを使ってみて、どこまで省略したら店員さんに通じなくなるかを試すというのが、ボクの中で朝のひとつのエンターテイメントであったこともあった。ボクの経験からすると、「バナナブルーベリー」や、「ロゥファットブルーベリー」は、ぜんぜん通じる。「ブルーベリーウィズソイ」や「ワイルドブルーベリー」もオッケー。しかし、「マフィンウィズソイ」や「ウィズソイ」だけだと、やっぱりダメ。いくら何でも、それは横着って感じかな。ただ、ウィンドー越しに指さして、これこれ、って感じのジェスチャーをすれば、どんなに省略しても結局大丈夫でした。以上、どうでもいいような、体験レポートでした。

2006年03月21日

生ゴミ粉砕機

前住んでいたマンションには付いていなかったが、いま住んでるところのキッチンには生ゴミ粉砕機が装備されている。なんとも便利なしろものである。野菜の切り残しから、パスタから、フランスパンにいたるまで、なんだって中に落としてしまって、ガーガーとやる。そして、音がガーガーからシューシューに変わったら、仕事が無事完了したという合図である。本当にきれいに何でも処理してくれる。これが無かったら、きっとわが家から出るゴミの量は、二倍程度に膨らんでいると思う。もうボクはこの機械にぞっこん惚れ込んでいる。
考えてみれば、生ゴミ粉砕機ほど、頻繁に使われている家庭用電化製品はないのではないか。だって、そうでしょう、電気洗濯機、これ毎日使っているご家庭ありますか?ま、そういう几帳面なご家庭もあるのかもしれないけど、ウチではため込んで一週間に一回走らせるぐらい。ウチのには、乾燥機までついているのに、そんなの使ったことがない(←一度試したらものすごい時間がかかったから)。電気掃除機、これも、毎日使うご家庭はないんではないでしょうかね。それから、ミキサーやジューサーの類。これらは、まあ、パーティでも開いて、凝った料理を作るときぐらいしか活用されない。トースターも炊飯器も毎日は使わないし、電子レンジだって一日おきぐらい。そうねえ、使用頻度の上で、生ゴミ粉砕機に対抗しうる電化製品といったら、ステレオとパソコンかな。しかし、これらは、明らかに系統が違うので一緒にはすることはできない。ね、どうです、もう生ゴミ粉砕機の独走、圧勝でしょう。
と、ここまで書いてきて、キッチンへ行き何か飲もうと思ったら、にわかに声がするではありませんか。まずは電気冷蔵庫の低い声。「ちょっと、あなた、私だって毎日お使いになっているでしょうに・・・それに気がつかないのは、ひどくありませんか」。ああ、そうだった、そうだった、冷蔵庫さんには、確かに毎日お世話になっている。冷蔵庫さんの恩を忘れてはバチがあたりますね。その横から、コーヒーグラインダーの甲高い声。「あなた、挽きたてのコーヒーは全然ちがうとかいって、毎日私を使って豆を挽いてコーヒーを飲んでいるではありませんか。ちゃんと感謝してもらわないと困りますよ」。ああ、そうでした、そうでした、コーヒーグラインダーさんにもお世話になっていました。失礼しました・・・
ただですね、生ゴミ粉砕機の素晴らしいところは、使い終わったあと、きれいさっぱり何もない状態になっているというところなんですね。この歯切れよさ、あとくされのない性格(←?)。江戸っ子が「おぅ、たばんなってかかってきやがれ」とかいって、悪いやつらをばっさばっさと切り捨てているような気持ちよさ。ま、大川橋蔵の役回りだね(←だれも知らないって)。でも、もちろん、中になにか間違ったものを入れてしまうと、いつまでたってもガーガーはシューシューにならない。実は、ボクは、前に一度、ビンビールの蓋を落としたまま、粉砕機を回してしまったことがあった。そしたら、蓋が、角が取れた蓋に結構カワイク変身を遂げて、出てきたのでした。ね、ボクの江戸っ子橋蔵君は、とっちらかっているやつらの更正までをも手がけている、本当にすごい機械なのです。

2006年03月11日

サム・クック

「♪歴史はあんまり知らないよ、生物学のこともね・・・科学の本も読んだことないし、学校で習ったフランス語もよくわかんない。でも、ボクが間違いなく知っているのは、ボクが君を愛しているということ。そして、もし君もボクを愛してくれていたなら、なんて世界が素晴らしいか、ってこと♪・・・」(「What a Wonderful World」より)
いいねえ、サム・クック。今回カナダへ出張していたとき、スタバに彼のベストアルバムがおいてあったので、つい買ってしまった。帰国してから、もうこればかり聴いている。朝聴いてもいいし、夜聴いてもいい。お風呂に入るときも、ドアを開けっ放しにして、聴こえるようにしている。
多分ボクがはじめてサム・クックの歌を聴いたのは、アメリカに高校留学していた時だと思う。彼が活躍していたのは、せいぜい1960年代初頭だから、もちろんリアルタイムではありませんよ。向こうでは、よくラジオを聞いていたんだけど、そのとき流れていたのですね。アメリカのラジオ局は、古くてもいい曲だったら、ちゃんと敬意を払って、かけてくれる。こうして、文字通り、時代を超えた名曲が作られていく、ってわけですね。で、彼の「You Send Me」とか、「Cupid」とか、「Everybody Loves Cha Cha Cha」とかは、一日に一回ずつぐらいは聞いていたんじゃないかなあ。
最初は、曲をいいなあと思っても、何という人が唄っているのか、わからない。別にDJはすべての曲の紹介をするわけでもないし、こちらの英語の聴き取りも未熟だから早口で紹介されても、「えっ?だれだって?」って感じで過ぎ去ってしまう。たまたま、自分の気に入った曲がかかったときに、友人と車に乗り合わせていたりすると、教えてもらえた。きっと、彼の名前も、そうして覚えたのではないかと思う。
こうした名曲の数々は、映画の中で使われたりしていて、思いがけないときに出会うことになる。冒頭に引用したWonderful Worldは、ハリソン・フォード主演のWitnessという映画の美しい1シーンで、使われている。フォード演じる刑事は、ある事件の目撃者であるアーミッシュの少年をかばいながら、アーミッシュ村に入りこんでしまう。で、その少年の未亡人の母親(ケリー・マッギルズ)と、納屋の中で古いラジオから流れてくるこの曲に合わせて、はじめてダンスするんですね。この曲は、映画の観客だれもがノスタルジーにひたってしまう曲なので、ハリソン・フォードが我慢しきれず彼女をダンスに誘ってしまう気持ちが本当によく伝わってくる。
今度初めて知ったのだけど、サムクックの歌は、ほとんどが彼のオリジナルなんだってね。だからこそ彼の歌には心がこもっているんだということがよくわかった。わかりやすいし、会話調で語りかけるようになっていて、われわれの感覚にピタリとあう。そういう歌をつくる才能は、なかなか一朝一夕にできるものではない。
と思って解説書をよんでたら、「サム・クックは常に書いていた。ナプキンの上。車の中。ホテルの部屋。彼のノートは、歌詞だけでなく、スケッチで溢れていた」、とある。ありゃま、そうかあ、やっぱりなあ。最近日記の更新が遅れ気味のボクには、ちょっと耳が痛いなあ・・・

2006年02月25日

ピーター・ジェニングス

去年まで、アメリカの三大ネットワークのひとつABC放送に、夕方30分間のニュースを毎晩担当するピーター・ジェニングスというアンカーがいた。
ボクは、このアンカーマンが大好きだった。まず、ルックスがとってもカッコよかった。ほとんどいつも、濃紺のスーツをオシャレに着こなしていた。だれが見てもハンサムな上に、だれが見ても知性と気品があふれていた。それから、ニュースを読むときに、まったくといってよいほど、カムことがなかった。ニュースだけでなく、たとえば、選挙速報などの生の実況を担当しても、この人は絶対にトチラなかった。何人かのゲストを同時に招く特別な番組で司会をさせても、実に上手かった。非の打ちどころがなかった。そうしたプロフェッショナリズムが、ボクは本当に大好きだった。
ABCには、テッド・コッペルという、もうひとり有名なアンカーマンがいる。こちらは、インタヴュー相手に鋭くつっこむことが身上で、もっと遅い時間から始まる夜の報道特集番組をおもに担当している。しかし、動のテッド・コッペルに対し、ピーター・ジェニングスはあくまで静。沈着で、ソフトな喋りで、スキがないとでもいうのだろうか、一秒もずれることなく時間ピッタリにおわった。そして、毎晩、「I’m Peter Jennings, Good Night」といって、去っていくのであった。
アメリカのニュース番組は、日本のそれとは大違いで、ごく淡々と、事実を伝えることに重きをおいている。そして、アメリカのアンカーたちは、番組の中で自分のコメントをいっさい言わない。論評は視聴者がするものと、ちゃんとわきまえて自ら身を引いているのである。彼らは、ただ自分の目の前に(あるいは、耳の後ろから)フィードされるニュース原稿を、ひたすら読むだけである。もちろん、彼らは、そうした原稿を作る作業、またニュースを選び、どのニュースをどの順番で報じるかを決める作業の中では、大きな役割を担っているのであろう。しかし、これらは、番組が始まる前までに、すべて完了している作業である。ひとたび番組が始まってしまうと、アンカーにはほとんど何をする余地も与えられていない。いかに間違いなく原稿を読むかが、彼らにとっては何より重要なことなのである。
しかし、ピーター・ジェニングスは、このきわめて小さな裁量の範囲内でも、生きたニュースを演出し、それを伝えることに見事に成功していた。たとえば、とっても憤りを感じるようなニュースを報じた後は、ほんの一瞬、次のニュースへ移る前にためらった。皆が呆れはててしまうようなニュースを報じた後は、眉をちょっとだけ吊り上げてみせた。人間の温かみを感じるようなニュースを報じた後は、照れくさそうに微笑みをチラリとのぞかせた。そして、面白おかしいニュースを報じた後には、肩をほんの少しすくめてみせた。
こうした小さな仕草や表情は、自然にでたものかもしれないし、計算されたものであったのかもしれない。いずれにせよ、それらが見る者を引きつけ、共感をよび、彼が送るメッセージを生きたものにしていた。
ピーター・ジェニングスは、去年、癌で亡くなった。67歳だった。

2006年02月21日

好きな音楽

ひとそれぞれ、音楽に好みがある。そして、ひとそれぞれ、状況に応じて聞く音楽というものがある。ボクはそれほど音楽に造詣が深いわけではないけれど、それでも音楽なしの生活は考えられない。たとえば、今は、ディーン・マーティンを聴きながら、これを書いている。彼の優しい唄声、ホントにいいよね。これは、カナダに行ったときに、向こうのスタバで買ってきたうちの一枚です。日本のスタバでは売ってないと思って向こうに行くたびによくCDをあつらえてきたのだが、最近は日本のスタバでもCDを売るようになったみたいだから、この一枚も日本で手に入るかもね。いずれにせよ、選曲がなかなかいいので、ボクはこのスタバシリーズをたくさんもっている。いつどれをかけても、はずれることなく、心が落ち着く。
執筆などのために集中力を高める必要があるときには、いつもキース・ジャレットの『ザ・ケルン・コンサート』を聴く。澄みきって緊迫した音、あふれ出る創造力と熱情(パッション)。あれを聴くと、自分の創作意欲もグーンとアップするのがわかる。キース・ジャレットには、そのほかにもいろいろお世話になっている。朝コーヒーをいれながらよく聴くのは、彼がクラシックを弾いているもの。バッハのゴールドベルグ変奏曲、そう、あのチェンバロで弾いているやつ。それから、ヘンデルのクラヴィーア組曲、同じくヘンデルのリコーダーソナタもいいですよ。眠れない夜に聴くのもキース・ジャレットで、『The Melody At Night With You』という一枚。これは、先輩のMさんに教えてもらった。キース・ジャレットは、アメリカにいたとき、一度コンサートに行きました。いやー、彼は間違いなく天才です。
どういうわけか、洗濯物を干したり、アイロンをかけたりしながら聴くのは、ローリング・ストーンズ。三枚組の『Singles Collection』というのがあって、その三枚目、Honky Tonk WomanとかWild Horsesとかが入っているのがお気に入りです。残念ながら、ミック・ジャガーは、まだ生で見たことがない。もう、無理かなあ・・・。
読書をしながら聴く時は、グレン・グールドのピアノが多いかな。特にお気に入りは、バッハのフランス組曲とモーツアルトのソナタ集。ボクは、あまり「ながら作業」ができないので、小さな音量にして、聞こえるか聞こえないかぐらいにかけておく。すると、ちょうど心地よく、読書も邪魔されない環境が作り出される。
夜お酒を飲みながら聴くのは、ビリーホリデー。部屋を真っ暗にして、ひとつだけ小さな灯りをつけて聴く。友人をよんで家でパーティする時には、ノーラ・ジョーンズとか、マイルス・デーヴィスとか、ビートルズとか、万人受けするCDをかけるようにしている。
と、ここまで書いてきて、日本の音楽がないのに気がつきましたか?そう、最近、日本製音楽を聴く気分にまったくなれないのです。なぜかなあ。前は、サザンとかユーミンとか今井美樹とか、聴いていたのに・・・。ま、カラオケへいったら、このあたりから唄うことにしているんだけどね。

2006年02月17日

ノースビーチ

出張から帰ってきましたので、日記再開します。
さて、サンフランシスコが大好き、ということは前にこの日記にも書いたけど、その中でもとくにボクのお気に入り、それはノースビーチです。そう、ここは、イタリア人街。一時、さびれて、ストリップクラブが軒を連ねるちょっと危ないところというイメージだったのだけど、いまではもうすっかりその汚名を返上した。夜遅くまでにぎやかで、歩いていてもぜんぜん安全で、快適。ユニオンスクエアーから中華街を突っ切って10分もすれば、コロンバス通りにでる。それを左の方へ上がっていく。City Lightsという屋根裏部屋のような本屋さんがあり、そこで一服するもよし。音楽をききたければ、Pink Pearlsという結構レベルの高いジャズクラブもあるし、そのほかにもライブ演奏しているバーも数多くある。裏通りには、いくつか凝ったインテリアの店もあって、ホントウに楽しい。
ノースビーチで食べるなら、もちろんイタリアン。今回は大きな一軒家を改造したような店、Bocce Caféに行きました。店内は、天井が高くて気持ちがよい。暖かければ、外のバルコニー席も選べる。混んでいるときは、カウンターで一杯飲んでからドリンクをもって椅子席に移動する。運がよければ、ソファー席にゆっくり座ることもできる。ここは、値段が手ごろで、かつ膨大な量の料理が出てくるので、とりすぎ食べすぎにご注意ください。
軽くピザでもというときには、コロンバス通りに面している小さな店、Osteriaへどうぞ。夜いくといつも並んでいるので、昼にいくといいかもね。コーラを注文すると、缶ごとストローと一緒にでてくるという感じで、まったく飾りのない店。でも、味も雰囲気も申し分ない。
絶対はずせないのは、プッチーニというカフェのデザート。コロンバス通りには、いくつもカフェがあるので、分かりにくいかもしれないけれど、ここのチーズケーキは絶品です。他にも、ティラミスとか、日替わりのケーキがあっておいしそうなのだけれど、ボクはあるとき偶然出会ってしまったここのチーズケーキの味が忘れられず、いつもそればかり注文してしまう。今回も行きましたが、以前とまったく変わってなくて、安心しました。店には、いつも見習い風の若い衆がいて、彼らが一生懸命なのも、とても好感がもてる。
ところで、ノースビーチには、ちょいわるオヤジたちがたくさんいるのです。夜、食事もデザートも済ませて、もう一杯だけ飲んで帰ろうかと、その辺のバーに入るでしょ。すると、いるいる、アメリカ版ちょいわるオヤジたち。結構お腹もでて頭も禿げ上がっているのに、どういうわけか、若い綺麗な女の子を連れて、ゆったりと構えて座っている。で、ライブ音楽が始まると、二人で踊りだすのです。それがセクシーで、格好いいんだな。ラテン系の強みなのかなあ。ああいう腰の動きは、われわれ日本人のオヤジたちには、真似できませんね、ちょっと練習してみたけど・・・

2006年02月07日

市川団十郎

ついこの間、ボクの誕生日だったのだけれど、その時、ある方から、歌舞伎のDVDをプレゼントして頂いた。市川団十郎の「勧進帳」。もちろん団十郎は弁慶。富樫が中村富十郎、義経は尾上菊五郎という配役。

ボクは歌舞伎が大好きで、特に「勧進帳」を東京で演っているときは、必ず見に行くようにしている。しかも、現在活躍している役者の中では、団十郎さんの大ファン。このDVDをプレゼントしてくれた方は、ちゃんとそれを知っていて、選んでくれたのだ。あらためて、感謝、感謝。

さて、この団十郎さん、本当にすごい、と思う。ボクは、団十郎を襲名する前の市川海老蔵の時代も何度も観ていたのだけれど、ま、はっきりいって、その頃はあんまり好きではなかった。独特の声をしていて、それが耳について仕方なかった。ところが、団十郎を襲名した頃から、だんだん変わってきた。それまでは、耳について仕方なかったのに、しだいに、あの声を聞きたい、と思うようになったのだ。その上、いつのまにか、尋常ではないオーラが団十郎さんから出始めた。団十郎さんは、けっして背が高い役者ではない。しかし、見栄をきったり、にらんだりするときのスケールの大きさには、他の追随を許さないものをもっている。で、ボクは、ついに、あの声をきかないと歌舞伎を観た気がしない、団十郎さんが出てないと歌舞伎じゃない、とまで思うようになってきたのだから不思議なものだ。

もちろん、大名跡を継いで、団十郎さんが血のにじむように、精進に励んだことはいうまでもないだろう。日々稽古に稽古を重ねて、歌舞伎役者としての芸を極めていったのにちがいない。しかし、ボクには、どうもそれだけではない、というか、どうも逆ではないかと思えてならない。つまり、団十郎さんが歌舞伎を極めたのではなくて、(うーん、うまくいえないけど)歌舞伎が団十郎さんに近づいていったのではないか、歌舞伎の方が団十郎さんに引き寄せられ、飲み込まれてしまい、歌舞伎なるものが団十郎さんを軸にして新たに再構成されてしまったのではないか、そんな気がするのである。

なぜ、そんなことが起こりうるのか。そんなことがもし起こりうるとすれば、それはもう、芸とか技とかではなくて、魂の仕業でしかないに決まっている。いまの団十郎さんは、その点においては、本当に本当に稀有な役者さんなのではないか、と思う。魂のこもった振舞いは、人を動かし、何百年という伝統にでさえ新たな命を吹き込むことができる。一生のうち、一度でいいから、自分も、そんな仕事をしてみたいものだ。

2006年02月04日

村上春樹

ボクの日記に村上春樹の名前が出てきてびっくりというコメントが何通かきたので、「へっ、なんで?」という感じだった。というのは、ボクは、大学時代、村上春樹を読みまくっていたからだ。

『羊をめぐる冒険』を読んだときのショックは忘れられない。この小説は、「新聞で偶然彼女の死を知った友人が電話で僕にそれを教えてくれた」という一文で始まるのだが、それだけ読んで「これだぁー、オレの待っていた小説は!」と感動した。人生の偶然性、人間の存在の社会性、(いわゆる「私小説」に満ち溢れている)自意識(過剰)の無意味性を、小説の冒頭でこんなに端的に表現している人はいない、と思ってしまった。

感動して、なんどもなんども読みふけっていたら、そのうち『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』が出版される、ということになった。で、この小説も読んでみたら、とっても感動した。ま、小説からすると、こちらの方が完成度が高い、ということになるのでしょうねえ・・・ちなみに、ボクは、この本の初版本をちゃんとゲットしているのです(えへっ!)。でも、実は、ボクは、『羊をめぐる冒険』の方が、やっぱり好きなんだな。

この『羊をめぐる冒険』と『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』との関係は、イーグルスの『呪われた夜』と『ホテルカリフォルニア』との関係に良く似ている。『呪われた夜』が出たとき、「すげぇー、これは傑作だな。これ以上のアルバムはつくれないだろうなあ」とか思ったものだ。そしたら、あっさり、『ホテルカリフォルニア』をつくっちゃうんだからね。でも、やっぱり、ボク、『呪われた夜』に対する愛着があるんです。「ハリウッドワルツ」、「アフター・ザ・スリル・イズ・ゴーン」、「アイ・ウィッシュ・ユー・ピース」、ああ、なつかしいなあ。

さて、村上春樹。ボクは大学時代、村上春樹を読め読めと、会う人ごとに薦めまくっていた。そのひとりが、ボクの先輩で、敬愛するMさん。この方は、プリンストン大学に留学していたのですが、偶然、そのとき村上春樹さんが同大学に滞在していたのでした。そしたら、このMさん、ちゃっかり、村上さんと友達になってしまったのです(!)。おいおい、ボクをわすれないでよー、ボクだったでしょ、村上さん紹介したの~~。というわけで、このMさん、村上さんと食事したりする仲らしいのだけれど、ボクは、村上さんと友達ではありません。

あと、ボクが大学時代読んだ小説といえば、夏目漱石、ドストエフスキー、国木田独歩、安岡章太郎、中上健次。評論では、小林秀雄、吉本隆明、柄谷行人、蓮實重彦、加藤典洋。小説とか、評論とか、政治学にあんまり関係ないと思うかもしれないけど、ボク自身は、実は、こういった人たちを読んでいたおかげで、いまの自分の思考の仕方とか、自分の文章の組み立て方があると思っている。読書は、できるときにしておかないとね。
あ、日がすっかり暮れてきた。散歩にでようかな。小さな波の音でも聴くために。