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2010年01月24日

2010年1月マイケルとの夕食

娘の親友アダの父マイケルからメールが来て、たまたま日本に来ることになったので、夕食を一緒にできないかというお誘いを受けた。彼が日本を訪れるのは、3度目。東京あたりの路線マップにはもう慣れたもので、渋谷のハチ公前で待ち合わせて、再会した。何を食べたいかと訊くと、「鰻」というので、勝手知っている店ののれんをくぐった。
ボクは、アダを生後9ヶ月ぐらいの頃から知っている。だから、マイケルとの付き合いも17年近くということになる。どちらも、今年高校を卒業し大学へと独り立ちをしていく子供を抱えている身である。しみじみ、これまでのこと、これからのことをいろいろ話した。
まず、自分の娘も相手の娘も本当にうまく育ったと、お互いに「健闘」を讃え合った。そして、娘たちの間に切っても切れない友情が堅く結ばれていることを、うれしく思うと、感謝し合った。二人はそれぞれ違う大学へ進学する。ともに18年ずっと育ったバンクーバーを離れることになる。でも、きっと二人はこれからも変わらぬ親友であり続けるだろうし、その安心感が二人の人生にとってはかけがいのないものだ、と思う。ということで、よかった、よかったと、酒も食も進んだ。
その後、子供を育てあげた親なら誰もがくぐり抜けることになる熟年人生の変化について、語り合うことになった。奥さんは、アダを独り立ちさせることを受け入れるのが難しいのではないか、と訊くと、やはりそうらしい。「なかなか手綱を離したがらない、離さなきゃいけないとはわかっているんだけどね」、と。
マイケルは、ニューヨーク出身である。奥様もどちらかというと都会派。「どうするの、今の家は引き払うの」と訊くと、いずれそうなるかもしれないが、夏のバンクーバーは過ごしやすいので、両方で暮らすことを考えている、という。アダにとっては、バンクーバーが故郷であるし彼女がいつでも帰ってこれるところがあった方がよい、ともいう。
いうまでもないが、人は子供をもってはじめて親になる。だから、人は、親としてなにをどのようにすればよいのかを、実は子供を育てながら実地に学んで行く以外にない。同じことは、子供が育ったあとの付き合い方についてもいえる。大人として育った我が子とどのようにして接するか、これも、大人になった子供と実際にコンタクトを取り続けながら、実地に学んでいく以外にない。そして、もうひとつ。人は、子供を育て終わったあと、自分の人生をどのように再設計するかも、人生を実際に歩みながら考えていく以外にないのである。
その夕食を通して、ボクとマイケルは、そうしたあたりまえのことを自分たちなりに受け止めて、それぞれ自分に納得させようとしていたにすぎないといえる。
最後に、今年の前半のお互いのスケジュールを確認し合った。卒業式や卒業ディナーなどで会いましょう、と。そして、よかったらいつか娘とニューヨークに遊びにきてくれと誘われたので、ボクもいつでもまた日本に来てくれと返して、別れた。そのようにして、我々は、子供を育て終わった後の人生の中にお互いがちゃんと入っているんだよ、ということをメッセージとして伝え合ったのであった。

2009年08月29日

人は死に、夢は生き続ける

エドワード(テディ)ケネディーが亡くなった。
いつも夢を追い、語っていた。夢は、どこに由来し、どのようにして受け継がれてきたのか。

Declaration of Independence:We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal, that they are endowed by their Creator with certain unalienable Rights, that among these are Life, Liberty and the pursuit of Happiness.

Martin Luther King:I have a dream that one day this nation will rise up and live out the true meaning of its creed: "We hold these truths to be self-evident: that all men are created equal."

John F. Kennedy:The problems of the world cannot possibly be solved by skeptics or cynics whose horizons are limited by the obvious realities. We need men who can dream of things that never were.

しかし、兄ジャックも、キング牧師も暗殺されてしまう。そして、もうひとりの大切な兄ボビーも。
声を震わせて弔辞を読んだテッドは、その最後をボビーが好んで引用した言葉で締めくくった。

Some men see things as they are and say, 'Why'? I dream of things that never were and say, 'Why not'?

なお、これはアイルランド人の演劇家George Bernard Shawからとったもので、それはまた1963年に長兄ジャックがアイルランド議会での演説でも引用した言葉でもあった。

一人残されたテッドは、それでも夢を追い続ける。

1980年、カーターに敗れ民主党大統領候補になれなかった時の演説の最後の一節。
For me, a few hours ago, this campaign came to an end. For all those whose cares have been our concern, the work goes on, the cause endures, the hope still lives, and the dream shall never die.

そして、2008年民主党の大統領候補がオバマに決まったときの演説。病をおして駆けつけて、11月の選挙でオバマが大統領になることを確信し、28年前とちがって、前向きに、次のように締めくくった。
And this November the torch will be passed again to a new generation of Americans, so with Barack Obama and for you and for me, our country will be committed to his cause. The work begins anew. The hope rises again. And the dream lives on.

彼の熱のこもった名演説はもう聴くことができないが、彼の夢はわれわれの心の中に生き続けている。
ご冥福をお祈りします。

2009年05月23日

テレビ出演の大騒ぎ

知っている人は知っているが、この前あるテレビ番組に出させていただいた。有名なゲストを相手にするインタヴューのお手伝い、といった役回りであった。ボクは実は、前にNHKの国際放送(英語)で、テレビ・ラジオあわせて結構頻繁に出ていた時期があるのだが、その時はまあ国内にはそれほど視聴者がいないからいいかな、ということで引き受けた。しかし、今回は、生放送で2時間、政治に関心のある多くの人たちがみるような番組である。出演が決定した時点から、緊張しっぱなしであった。
そこで、自分なりに下準備をした。まず、その番組は毎日やっている番組なので、前の週に一度下見にいき、スタジオの隅の方で2時間ずっと番組の進行を見学させてもらった。いったいどのぐらいの人数のスタッフがまわりにいて、コマーシャルの時はどうするのか、とか、自分の前に置かれる机は資料を置けるぐらい大きいか、とか、スタジオの温度はスーツを着ていっても暑くないか、とか、をチェックした。おかげで、前もってスタッフの方々の名前と顔も覚えることができたし、当日、サプライズ要素は少なくてすんだ。
それから、自分が出演している場面を想像していたら、その場でメモを取ることが必要だと思えたので、新しいノートバッドを買いにでかけた。ボクは、どういうわけか、それは黄色いノートパッドでなければいけないという気がしていた。アメリカの大学の生協などにはよく売っている、あの黄色いノートパッドである。なぜそうなのかといわれるとまったく理由もないのだけれども、こういうのは自分勝手に想像しているイメージだから、しょうがない。黄色いノートパッドは、日本ではあまり見たことがないが、週末に同志社で行われていた学会で、たまたま浅野正彦先生がそのまさにボクの思い描いていたノートバッドをもっていたので、「それ、日本だとどこに売っているんですか」と聞いてみた。そしたら、「オフィスディーポになら売ってます」ということだった。それで、ボクは、近くのオフィスディーポまで歩いていって、こだわりの黄色いノートパッドをちゃんと手にいれることができた。
当日は、スタジオに入る前に、床屋でさっぱりと髪を整え、髭もそってもらおうと、前から決めていた。それで予約を取るために「文化理髪」に電話した。ところが、なんと、その日は第3火曜日でお休み、ということが判明した。これには、参った。こういう小さな歯車のズレみたいなところから、自分に自信を無くして、失敗の連鎖につながるんじゃないか、という嫌な予感が走った。それで、この嫌な雰囲気は吹き飛ばさなきゃ、と思い、ジョギングに出かけた。5キロを結構速いペースで走り、汗をビッショリとかいた。床屋さんの熱々タオルで癒される代わりに、自分で精神的にも肉体的にもスッキリとさせておきたかったのである。
さて、残った時間では、自分なりにどういうしゃべり方をすればいいのかを、いろいろ思い悩んだ。それで、You-tubeで、お気に入りのキャスターのしゃべっているところをいろいろ聴いてみた。George Stephanopoulos、Tom Brokaw、古いところではDavid Brinkleyなど。ボクは前から保守派の論客のGeorge Willの自信ありげなしゃべり方がかっこいいなと思っていたので、彼のクリップもじっくり見たが、自分にはこういうしゃべり方は絶対できないと思い、諦めた。結局、いちばん参考になったのは、大好きな(前にブログでも紹介したことのある)Peter Jenningsであった。彼の、無駄をとことんそり落としていくセリフのつくり方、雰囲気の出し方が、いちばんいいのではないか、と思った。もちろん、当日、自分がそれをうまくできたかどうかは別であるが、それを意識していたことだけは、本当です。

2009年04月08日

「脅し」と「警告」、そしてシェリングの誤訳について

最近、北朝鮮のミサイル発射にともなって、北朝鮮の意図と日本の対応について、さまざまな人がメディアで論評していた。ボクもいつか、このことについて何か考えをまとめたいと思い、そのヒントとなるかもしれないと、自分が監訳したシェリングの『紛争の戦略』を読み返していた。そうしたら、ですね、恥ずかしい話ですが、肝心な部分を誤訳していることに気づいてしまいました。読者のみなさん、そしてシェリング先生、ホントに申し訳ありませんでした。出版社には早速連絡をとりまして、次の再版(があればの話ですが)のときに、もう一度全部チェックしてこうした誤訳を極力なおして行くようにしたいと思います。
で、今回のその肝心な部分とはどこか、というと第5章の註5、シェリングが「脅し」と「警告」を区別しているところである。一般的な用語ではこの二つを合わせて脅しといっているが、シェリングは違うといっている。(正しい訳)≪一般的な用語では、「脅し」とは、ある人が敵対する者に対して、従わないと損害を与える行動をとることを示唆したり、想起させたりすることをさすこともある。しかし、その人がそうした行動をとるインセンティヴをもつことが、明白でなければならない≫。ここで重要なのは最後の一節で、そうした行動をとるインセンティヴがその人にあるかどうかによって、本当の脅しかどうかが決まる、とシェリングは考えている。≪たとえば、家へ侵入してきた者に対して警察を呼ぶと「脅す」ことが、これに当てはまる。一方、その者に対して撃つぞというのは、これに当たらない≫。なぜなら、一般の人が銃を撃って人を殺すインセンティヴを持っているとは思えないからである。ゆえにシェリングはいう、≪こうした後者のケースについては、違う言葉を用いる方がよいかもしれない――私は「脅し」でなく「警告」という言葉を用いることを提案する≫。
さて、北朝鮮のミサイル発射に対して、日本は日本の領域に落ちてきたら「撃ち落とすぞ」という姿勢をとった(①)。それに対して、北朝鮮は「撃ち落としたら戦争行為とみなし、日本に対し宣戦布告する」という姿勢をとった(②)。幸いなことに、そのような展開にはならなかったが、①と②がそれぞれシェリングのいう意味での本当の「脅し」となっていたかどうかを考えることは興味深いし、日本の安全保障にとって重要なことのように思える。なので、いまの時点でのボクの見解をまとめておきたい。
順番に考えていこう。まず①については、侵入者に対して撃つぞといっているのであるから、これは一見シェリングの中にでてくる「警告」の例そのもののようにも思えるが、今回の日本の対応は、ただ撃つぞと言っただけでなく詳細な行動を伴うものであった。すなわち、イージス艦やPAC3を配備し、しかもその配備の状況を大々的にメディアを通して公開することによって、本当に来たら撃ち落とすつもりなんだぞ、ということを(誰よりも北朝鮮に)分らせようとしたのであった。しかし、ここで重要なのは、日本が撃ち落とすという≪行動をとるインセンティヴをもつことが、明白≫かどうか、である。もし、いまかりに②が正しいとして、そのような行動が北朝鮮と戦争状態を導くことが予測されるならば、日本があるいは日本国民がそうした行動をとるインセンティヴをもっているかどうかは、それほど明白ではないのではないか、とボクは思う。すくなくとも北朝鮮には、日本がそのようなインセンティヴをもっていることがうまく伝わっていないような気がする。なぜかというと、今回日本は、日本に入ってきたら撃ち落とすという①の対応についてはきわめて詳細に行動で示したが、②の展開になったらどうするかということについてはメディアをとおして何も国民に知らせなかった(そしてそのことを北朝鮮がちゃんと知っていた)からである。
ということは、すべては②の信憑性にかかってくる。つまり、①が起こったとして北朝鮮に手番がまわったとき、それを戦争行為とみなし日本に宣戦布告するというのが「脅し」であったのか、それとも「警告」だったのか、である。ここについては、ボクのような素人には、どちらかといえる十分な情報があたえられていないので、なんともいえない。テレビでは防衛省のある元幹部が北朝鮮の対応は「単なる脅し」にすぎないと一蹴していた。これはシェリングのいう「警告」という意味で「脅し」という言葉を使っていたのであるが、小心者のボクなどはそこまで単純ではないのではないかと思う。繰り返すが、ここでも重要なのは、北朝鮮が何を言っているかではなくて、そうした行動をとるインセンティヴをもっているかどうか、という判断である。ひとつだけいえるのは、今回のミサイル発射事件は、発射後に撃ちあがってもいない衛星がちゃんと軌道に乗っているだとか、日本の新聞も打ち上げ成功を報じているだとか、すぐにウソだと(おそらく自国民にも)わかるウソをわざとついていることも含めて、北朝鮮のインセンティヴがどこにあるのかを伝えるさまざまな貴重な情報を、われわれに提供したのではないかということである。

2009年03月30日

卒業おめでとう 2009

河野ゼミ5期生のみなさん、卒業おめでとう。
この2年間、君たちと一緒に過ごせたことで、ボクは自分の人生をとても楽しく豊かにすることができました。そのことに感謝します。
卒業式の日、君たちがゼミ室に入って最後の時間を過ごしたと聞いて、ジーンときました。本当に、いろいろな想い出が残りましたね。ボクは君たちのことを永遠に忘れない。君たちもボクのことを永遠に忘れないでください。
追いコンの時、「先生お言葉を」と言われて、うまくいえませんでした。
君たちに伝えたいことは、短い言葉で伝えられることではありません。しかし、ボクはこの2年間、いろいろな場面で自分の生きざまを正直にみせることで、君たちにそれを伝えたいと思ってきました。うまくいったかどうかわからないけど、そのうちのすこしでも伝わっていたら、時々それを思い出してください。
最後のカラオケでボクが唄った歌は、ルイ・アームストロングのWhat A Wonderful Worldでした。その中に、こういう一節があります。

赤ちゃんが泣いている
ボクは、彼らが成長するのを見守るだけ
彼らは、これからたくさんのことを学んでいく
きっと、ボクが知り得る何十倍、何百倍のことを

君たちも、ボクより何十倍、何百倍のことをこれから学び、社会に貢献していくでしょう。そして、君たちの子供たちが、君たちよりもさらに多くのことを成し遂げていく。そしてまたその子供たちが・・・・。だから、この世界は素晴らしいのです。
これから社会へでると、君たちもすぐ、自分のあとに続いてくる若い世代のひとたちに、何かを伝えなければならない立場になります。そのとき君たちは、いまボクが感じているように、自分がいかに未成熟で未完全であるかを思い知らされることでしょう。
でも、それでいいのです。そのときに、落ち込んだり自信をなくしたりしないで、上の一節を思い出してください。後から来る人たちが、先人を追い越していくことができるからこそ、この世界が素晴らしいのだ、ということを。
もう一度、卒業おめでとう。これからもっともっと輝いてください。


河野ゼミ5期生に、乾杯! 

2009年03月02日

メッセージにはメッセージを

ちょっと前になるが、ゼミ生たちがボクの誕生日を祝ってくれて、寄せ書き入りのサッカーボールをプレゼントしてくれた。ところが、マジックがだんだん薄くなって読めなくなってきたので、ここにメッセージを書き写しておこうと思う。ボールは、今度のゼミ合宿で、使おうね。
まずは、シンプルな方から。
西山君「お誕生日おめでとうございます。先生みたいな年のとり方をしていきたいです」。
←うん、シンプルだが心がこもっていてうれしい。
次は、俣野君。「先生のような年のとり方ができるといいなあと勝手に思っております」。
←西山君とほぼ同じなのに、「勝手に」ってところが見事に俣野語録になっている。
それが幹事長の吉田君になるとこうだ。
「若さとダンディズムが共鳴する河野先生が素敵です!かっこよく年をとる秘訣を教えてください」。
(←うっ・・・)
さて、誕生日だから、どうしてもボクの年齢とそれから体力のことが話題になる。
畑中君「僕も素敵な40代目指して頑張ります」。
細井君「僕も先生に負けない体づくりをしたいと思います」。
←そうそう、心も体もいまから鍛えないと、40代になってからでは遅いのである。
風間君「いつまでも走り続ける先生を尊敬です」。
←ところがだね、最近あんまり走ってなくて、お腹はブヨブヨになる、人間は丸くなる・・・。気をつけます、ハイ。
鎌田さん「お誕生日、おめでとうございます。来年辺り、先生に体力で負ける気がします」。
←あのさ、キミに体力で負けた覚えは、今年もないんだけど・・・
日野さん「私も先生みたいにサッカーできるようになりたいです」。
←ボクがサッカーできるというのは誤解です。
藤居さん「ゼミ生の誰よりも若い先生、OB会でお会いしてもきっとお変わりないことと思います」。
←そりゃ、いつまでも変わらずにいたいけど、むずかしいかも・・・
綿岡君「90歳になっても一緒にサッカーをしましょう」
←そりゃ、無理かも・・・
そうそう、学生の中には、こういう機会を利用して、中年オヤジをからかうタチの悪いのもいる。これらを本気にして、人生を誤ることがあってはいけないのだ。
佐藤さん「パスタとポークジンジャーおいしかったです。キッチンにたっている先生が1番かっこよかったです。胸キュン(ハートマーク)。心臓発作(ハートマーク)」。
←なーにが胸キュンだ、なーにが心臓発作だ、なーーーにがハートマークだ、だまされない、だまされない。
板村さん「先生に惚れて入ったこのゼミ、本当にすてきなゼミでした。いつまでもかっこいい先生でいてください」。
←うーん、君に惚れられても、年齢差だけじゃなくて、身長差が問題になるんだけれども・・・
森田君「こんにちは、先生大好き(ハートマーク)」(←うっ・・・キモい・・・)
匿名希望「どんどん顔がエロくなってきましたネ」。←失礼な。これって、ボクがキミにいった言葉でしょうが、ねえ、上河君。
最後に、卒業していく人の中には、感謝の言葉を書いてくれた人もいた。
白瀧さん「大変お世話になりました」。出口君「先生いままでありがとうございました」。
←いえいえ、至らぬところも多々ありました。こちらこそ楽しいゼミにしてくれて、みなさんありがとうございました。

2009年01月13日

2008年から2009年へ

年末から年始にかけて、実にいろいろな行事がボクの周りに起こって、ブログの更新が遅れてしまいました。いますこし風邪気味ですが、来週にはまた大きなシンポジウム(←みなさま是非おいでください)を控えており、徐々にペースを上げてまいります。
みなさま、本年もどうかよろしくお願いします。
というわけで、いくつか近況報告を。
まずは、年末の定例ゼミOB会。今年も多くの人たちが集まってくれました。また一段と縦のつながりが太くなったようでよかった。OBたちの多くは、さかんにボクが「丸くなった」(←「肥えた」という意味ではなく、「優しくなった」という意味)と評していた。そうかなあ、そんなことはないのに、と思うが、ま、こういうものは自分ではなかなか客観的には判断できないので、そういうところもあるかもしれない。面白かったのは、現役たちがOBにあんまりボクにそう言わないでくれ、と懇願していたこと。反応してまた厳しいボクに戻られてはかなわん、と恐れているらしい。
もうひとつ、ゼミ関連では忘年会も催された。2次会はカラオケへ行って、学生たちのものすごいエネルギーを見せ付けられてしまった。ボクも、「いとしのエリー」などを歌わせてもらって、ご機嫌だった。
年が明けて、元日は恒例により、天皇杯サッカーを見に行った。延長の末、ガンバが播戸のシュートで勝った素晴らしい試合だった。娘には遠藤の動きを追うようにといっておいた。そしたら、パスの出し方や、スペースの埋め方など、すごく参考になったといっていた。
娘の来日を記念したエリーズ杯は、昨年同様、横浜のフットサルコートで開催された。2時間たっぷり汗を流した後は、拙宅で新年会。どういうわけか、今年は自分で料理してもてなしたいという気分だったので、チキン入りサラダ、パスタ、ナスと豚肉の中華風炒めものの3品をつくった。男子学生に対しては「男でも料理ができるのが当たり前なんだよ」、そして女子学生には「料理もできない男に引っかかったらだめだよ」というメッセージを送りつつ。
テニスも、2回した。日本でしかしないのに、娘のテニスの上達ぶりは驚異的であった。いつのまにか、フツーにダブルスができるようになった。そして、親子対決のとき、不覚にも、ボクはサービスエースを2本もとられてしまった。ボクの周りのテニス関係者は、来年は絶対にボクを追い抜いていると、口を揃えて言っていた。うーん、そうかもな、と自分も納得。
それから、早稲田女子サッカー部の練習場を訪ねる機会に恵まれた。藤居さんのはからいで、ただ見るだけでなく参加しても大丈夫といわれていたので、着替えを持って行き、全国2位という輝かしい実績を誇る選手たちに混じって娘が練習させてもらった。最初のクロスからのシュート練習では緊張気味だったが、4対4のミニゲームを始めたら、緊張もとれていい動きをしだした。そして、なんと途中からは、人数が足りないということで、ボクもミニゲームに参加させてもらった。本当に楽しかったし、トップレベルの方々と一緒にできて、光栄でした。
おかげさまで、娘が帰った後も、快晴が続いた横浜では、心穏やかなつかの間の休日を過ごすことができました。ありがとうございました。

2008年07月21日

2008年夏ゼミOB会

先日、ゼミのOB会が催された。現役生と卒業生合わせて50人が参加した。小さなレストランのような(バーのような)会場は自由に歩けないぐらいひしめき合い、熱気で埋め尽くされてしまった。
50人とカンタンに言うけど、これはすごい人数である。知り合いの名前を挙げてみろといわれて、すぐ50人もの名前が思い浮かぶ人は、政治家とか会社の社長さんとかは別にして、ボクぐらいの年齢の大人の男性ではそうはいないと思う。本当に、大学の先生になってよかった。みんな、本当に素晴らしい子たちで、このような若い人たちと交流することができて、ボクは幸せものである。
さて、事前に現役生たちには警告しておいたのであるが、先輩たちは相変わらずものすごくパワフルであった。1期生の木下君と酒井君は、いつものように、ボクに対して下ネタ攻撃を機関銃のように浴びせた。はじめのうちボクは反論していたのだが、彼らのパワーに圧倒されて、最後は黙ってしまった。その一部始終を、6期生の垣坂君と今井君があっけにとられて見ていた。いい刺激になったことと思う(←別にまねする必要はないからね、いっておくけど)。
2期生の中では、藤井君と卒業以来はじめて再会することができた。11時を回ってもちゃんと駆けつけてくれたことがとっても嬉しかった。3期生では五味君が1次会の終わりに、また4期生の杉山さんも2次会から出たところに駆けつけてくれた。みんな、疲れている中、顔を見せてくれて、感謝、感謝。
中には、人生の転機を迎えている人もいた。1期生の大村さんからは結婚したとの報告を受け、会が始まる前に夫を連れてきて紹介してくれた。おめでとう。それから、何人かの卒業生は転職していたし、また転職を計画中である人もいた。それぞれ、いろいろと考えた末での決心であろうかと思うが、ちょっと心配だったのは、そういう中に女性の卒業生が目立ったことであった。女性の働きやすい環境が日本社会の中でもはやく確立してほしいものである。いつか、君たちの経験を、現役のゼミ生たちにぜひ紹介してください。
今回は、幹事を務めた6期生の境さんが、素晴らしい準備と円滑な運営をしてくれた。綿岡君など現役4年生たちが、先輩たちとの調整や連絡で大きく尽力してくれたらしい。いちばん下の6期生も、パワフルな先輩たちになんとか絡もうと、みんなけなげに頑張っていた。現役幹事長の古條君も、まあ彼なりによく努力していた(←ただ乾杯のときの「すべり」はどうしようもなった)。
逆に、先輩たちも、後輩たちと絡むことができて嬉しそうであった。1期生の仁木君は、早稲田のスポーツ話で5期生の藤居さんと「盛り上がっていた」(←そう自分で表現していた)。4期生の細谷君と木村君は、6期生の女の子に囲まれて話していて、心底楽しそうだった(←去年はまったく相手にされなかったのに、よかったね)。それから、5期生の佐藤さん、鎌田さん、日野さん、森田君などは、目立たないところでいろいろ気を使ってくれていた。ありがとうございました。
OB会も、回を重ねるごとに、同期の人だけでなく、縦同士でもつながりが出てきた気がして、とても嬉しい。実際、2期生の片山君と5期生の畑中君のように、これからは役所のなかでカウンターパートになる可能性もある人もいるし、また3期生の吹出さんと5期生の俣野君のように同じ会社で先輩後輩の関係になる人もいるわけである。将来も、ここで築かれた人間関係を核にしていってほしいと思う。
OB会に来れなかった卒業生のみなさん、今回は残念だったが、また年末もやるので、是非そのときには元気な顔を見せてください。

2008年06月29日

ゼミ対抗フットサル大会

すこし前になるが、ゼミ対抗フットサル大会なるものが開催された。
場所は所沢。所沢ということころは都心から遠いと思っていたが、案外近いのである。高田馬場から指定席付の特急にのると30分もかからない。ボクは朝、横浜方面から向かったので、2時間ぐらい前に出たら、早く着きすぎて、駅のスタバでヒマをもてあましてしまった。
そのスタバからみていると、どうやら早稲田生らしい一群が次々と到着。われわれゼミのメンバーもだいたいそろったので、現地へ向かった。
われわれの面子は、飯田、今井、橘田、西山、古條、綿岡、それにボク。板村と日野が応援に駆けつけてくれた。3つのグループにわけ、それぞれ8試合まずやって、上位2チームが決勝トーナメントに進むという方式だった。
さて、最初の出番を待っていると、久米ゼミチームがボクのところへきて「先生、人数がまだそろわないので、出てください」という。その日は、日差しが強く暑かったので、あんまり最初から飛ばすと体力がなくなるのではないか、と心配だったが、本番の前のウォーミングアップのつもりで出た。試合には負けたが、久米先生に恩を売ることができた(←久米さん、忘れないように!)。
で、本当の最初の試合は、森ゼミチーム。ここには(後で名前が判明した)「ヒトミちゃん」という、女性ストライカーがいた。女性の得点は2点。われわれは、試合の最初の方でこのヒトミちゃんにゴールを決められ、リズムを崩した。次の試合は勝ったものの、それ以降も、この初戦敗戦のショックが尾を引き、結局予選突破は早々とあきらめなければならなくなった。
試合の合間の休憩時間には、いろいろ面白い光景を見た。ナチ(板村)は、体育会部所属からか、やはりこういう場では顔が広い。橘田という男は、知っているいないにかかわらず、次々からへと声をかけて、友人を増やしていくという稀有な才能を持っていることがわかった。古條は、われわれとよりも、知り合いの女の子と一緒にいることを好んでいて、西山や綿岡から、「ホント、チャライよな、あいつ」という顰蹙を買っていた。その古條の友人の「リエちゃん」という女の子とボクが仲良くしゃべっていると、彼はヤキモチを焼いていた。しかし、このときは、ボクが自分をさておき、ゼミ生でない学生としゃべっていることに、ヤキモチをやいているのだ、と解説していた。ま、それが本心かどうかはわからない・・・。
フットサル大会を主宰した吉野ゼミの幹事の学生は、背が高く、とても感じがよい好青年だった。ボクが参加したことを、感謝していた。ボクは自分がフットサルをしたいだけだったのだが、あとから聞いたら、ボクがいることで、たとえばその場で酒盛りが始まるというようなことがなく、場が締まっていたということだった。そんなことならお安い御用で、毎年参加したいと思う。
最終試合の相手は、田中愛治ゼミだった。ボクらはピッチで円陣を組んで、この一試合に持っている力を全部出し切ろうと誓って、のぞんだ。0-0のまま、半分が過ぎ、飯田と交代して、ボクに出番がまわってきた。ボクは右の前の方に張っていたら、そこに西山からの好パスが来た。それを振りぬいて、ゴール左隅に決勝点を決めた。
おかげさまで、とてもよい思いをさせてもらった一日となった。
チームメートのみなさん、関係者のみなさん、どうもありがとうございました。

2008年03月25日

卒業おめでとう 2008

河野ゼミ4期生のみなさん、卒業おめでとう。
3月25日の卒業式の式典には参列できませんが、代わりにこの日記で君たちへ贈る言葉を書き残します。

この2年の間、君たちと接し、すこしずつ一人ひとりを知ることができたことを、光栄に思います。ゼミで過ごした時間が、君たちにとって、人生の中で貴重な経験として、これからも大切に記憶されていくことを心から願っています。
また、ボクも、君たちと一緒に過ごせたことで、自分の人生を豊かにすることができました。本当にありがとうございました。
この2年を振り返り、なにより思い知らされるのは、君たち一人ひとりの個性の強さです。何ごとにも物怖じせずに積極的な人、飲み会で抜群の能力を発揮する人、ピュアな心を持った人、暖かい心配りのできる人、意外性に満ちた人、研究者としての才能に恵まれた人、後輩の面倒見がいい人・・・などなど。個性に満ち溢れていることは、素晴らしい。なぜなら、人が輝いている時とは、その人の個性がいかんなく発揮されている時にほかならないからです。これから社会に出て行ったあとも、自分の個性を大事にしながら、存分に活躍してください。
今年卒業していく君たちも、去年の3期生に負けず劣らず、みな素晴らしい卒業論文を完成させました。これは、本当に、誇りに思ってください。おそらく、君たちは、自分の可能性を一歩、そしてまた一歩と先へ伸ばしながら、ひとつのプロジェクトを完成させていくことの快感を覚えたのではないでしょうか。これからは君たちの人生そのものを、そのようなプロジェクトだと思い、同じところに留まるのではなく、つねに前を見据えていってください。
新しい一歩を踏み出すときに、あまり後ろを振り返ってはいけません。しかし、いつでも心と身体を休めるために、ゼミへ遊びに来てください。そして、君たちの輝きを後輩にみせてあげてください。

卒業にあたって、今年は以下の言葉を贈ることにしました。

社会へ飛び立つ君よ、英雄たれ
To strive, to seek, to find, and not to yield.
(Alfred Lord Tennyson, Ulysses より)

河野ゼミ4期生に、乾杯! 

2007年06月22日

Erratum

このブログを読んでくださっている方々の中には、親切にも、ボクが書いたことの間違いをいろいろ指摘してくださる人がいらっしゃる。今日は、いくつかそういう項目がたまったので、erratumを書こうと思う。
まず、ある方から、ニューヨークにあるwhole foods marketについての説明が間違っているのではないか、とご指摘を受けました(4月4日付け「マーケット」)。その方によると、あれはコロンバス・サークルにあるのであって、(ボクが書いたように)リンカーン・センターの地下にあるわけではない、とおっしゃる。で、たしかにホームページで確認すると、コロンバス・サークル店ということになっている。こういうところに気付くこの人、さっすがだなあ・・・。ただ、ま、リンカーン・センターにも近いと思うんですけどね。おそらく、車で行くときには、コロンバス・サークルを目指して行くということになるので、混乱させてはいけないわけですね。申し訳ありませんでした。ただ、徒歩だったら、セントラル・パークを散歩した帰りに立ち寄るのに絶好の場所であることは間違いありません。みなさんも、どうぞ利用してください。
第二に、別の方からは、6月13日付けの日記(「Ipodの微妙」)のアイポッドの表記は、小文字のipodでなければならない、とご指摘を受けました。へー、そうなんですか。ボクは、まったく知りませんでした。こういうところに気付くこの人も、すっごいなあ・・・。こういうのは商標とかいろいろ問題がありそうなので、大変不注意であったことを反省しております。この場をお借りして、陳謝いたします。失礼致しました。
第三に、2006年11月3日付けのブログ(「ある日の出来事」)の中で出てくる院生さんのお名前は、表記の「足立さん」なくでは、正確には「安達さん」でした。これも、大変失礼な誤りで、しかも長い間訂正せず、申し訳ありませんでした。
第四に、これは間違いといえるかどうか、結構微妙なのですが、2006年5月12日に書いた日記(「銀座ライオンとギネスの話」)の中で、このビアホールの圧倒的な多くの客がサラリーマンとOLであるという一節に異論を唱えた方がおられました。その方は「サラリーマンは、あんなところでは飲まない」と言い張られる。「あんなところ」というのは、「あんな高級なところ」という意味なのです。「河野さん、ダッメだなあ。これだからダイガクキョウジュは浮世離れしてて困っちゃうんだよ。蝶ネクタイつけたボーイさんがいるところで、ふつうのサラリーマンが飲むわけないでしょ。ジャーマンポテトなんておつまみがでてくるところで、ふつうのサラリーマンが飲むわけないでしょ。われわれは、ね、ふつう立ち飲みですよ、立ち飲み。で、出てくるのは、ホッピー。そういう世界なんだから・・・」うーん、これにはコメントしようがないです。この方は、もともとの嗜好からして、B級やC級グルメのような気もする。ただ、大学教授が「浮世離れしてる」ってくだりには、おおかた同意いたしますです、ハイ・・・
さて、ということで、これからも間違った内容や表現を使わないように気をつけますので、どうか末永くお付き合いください。

2007年05月24日

輝いている君へ

暑い日だったね。
第1試合は、緊迫した試合だった。
先に1点とられたものの、終了直前、ジェンのシュートで追いついた。
負ければ、その時点でトーナメントから敗退だったのに、PK戦で勝った。
君もちゃんと決めた。
ここで、君たちWolvesは、一気に流れをつかんだ。
いや、この試合を制した後は、君のためにお膳だてられたような、そんな一日だったね。
第2試合は、2-0。
混戦からの、君のシュートが、試合を決定づけた。
昼休み。
ここで、なんとも思いがけない幸運が待っていたね。
となりで練習していたナショナルチームのメンバーの何人かが、コーチのスティーヴを知っていて、訪ねてきてくれた。これは、本当にラッキーだった。
で、アンドリアが言葉を交わしてくれたんだってね。
しかも、アンドリアは、ちゃんと君の顔と名前を覚えていてくれたんだね。
それは、感動したよね。
「どう?勝ち進んでいる?あれ、君たちの何人かには、見覚えがあるぞ。エリーズ・コーノ、元気?怪我はもうすっかりいいの?」
背番号5が背番号5に話しかけたんだね。
これで、発奮しないわけがないよね。
第3試合は、3-1。
ホーリーが決めたのも、君からのパスからだったね。
スティーヴが、君とジェンを後半ひっこめて温存したら、チームはうまくまとまらなかった。でも、その判断は正しかったんだよ。だって、優勝をかけたもう一試合があったんだから。
で、いよいよその第4試合。
ここでも君は落ち着いて、でも力強くプレイしたね。
1-1で後半へ。
最後は誰がコーナーを蹴ったんだっけ?
スティーヴは、君をゴール前に貼り付けたかったんだよ。
で、君はちゃんとそれに応えた。
頭できれいに決めた。
生まれて初めてのヘディングシュート。
そして勝利を決めたヘディングシュート。
みんなから祝福をうける君。
君は本当に輝いていたよ。

トーナメント優勝、本当におめでとう。

――遠くから見守る父より

2007年05月20日

回復基調

実は、最近元気がなかった。
体調もよくなかったし、ストレスが大きくたまっていた。
いろいろ理由があったのであるが、それはさておき、どのようにしてそこから立ち直ったのかをちょっと書いてみよう、と思う。
まず、行きの電車の中で、Ipodをよく聴くようにした。
普段なら、論文を読むなど、勉強の時間にあてるところであるが、とにかくリラックスすることに専念した。最近のお気に入りは、なんといってもJoni Mitchell。とくに、名盤の誉れ高いLadies of the Canyonを、毎朝欠かさず聴くようにした。Morning MorgantownからFor Freeへ。そしてWoodstockから最後のCircle Gameへ。どれも、本当に素晴らしい内容の詩であり、音楽である。
次に、ボクの「お抱えの」(?)相談相手であるMさんから、いろいろアドバイスを貰うことにした。ボクは、普段あんまり電話で長話しをしないのだが、この前などは、なんと2時間半も話しこんでしまった。
それにしても、Mさんから頂くアドバイスは、いつも目の覚めるような鋭い直感と分析に支えられていて、心を落ち着かせてくれる。(Mさん、いつもありがとうございます!)
それから、ボクの「お抱えの」(?)マスースSさん。最近なかなか時間が合わずに予約を取れないでいたのだが、この前ようやく長めの予約を入れることができて、心身を癒してもらった。Sさんには天性の治癒の力がそなわっている、と思う。すくなくとも、ボクに対しては、本当によく効く。(Sさん、いつもありがとうございます!)
それから、学会をサボった。
誘われた研究会にも行かなかった。
どちらも、ちょっと罪悪感に駆られたが、自分の健康と精神衛生のためにはしょうがない、と割り切った。
そして、最後に、もうひとつ、ボクの回復基調を支えたもの・・・
それは、夢を見たことであった。
ボクは、自分でみる夢を覚えている方ではない。
しかし、先日、とっても印象深い夢を見て、朝起きても覚えていた。
それは、自分が、自分の家に火をつけている夢であった。ところが、なかなか火がまわらず、家がいつまでたっても焼けない。一生懸命、火を起して、古い書物とか手紙とかアルバムとか家具とかを焼こうとしているのに、いっこうに火の勢いが増すことがない・・・というような、そんな夢であった。
この夢が何を暗示しているのかは、ボクにはさっぱりわからなかった。
フロイトだったら、きっとウンチクを傾けた分析をしたに違いない。
しかし、いずれにしても、どういうわけか、この夢を見て起きたあと、とてもすっきりした気分になることができた。いや、何かを悟った気分といった方が、正確であろうか。
不思議な話であるが、本当の話である。

2007年03月17日

卒業おめでとう 2007

河野ゼミ3期生のみなさん、卒業おめでとう。
来る3月25日の卒業式の式典には、参列できないので、代わりにこの日記で君たちへ贈る言葉を書き残します。

3期生のみなさん、2年間ボクの厳しい指導に耐えて、よく頑張りました。君たちは、それぞれ立派な卒業論文を提出しました。まったくお世辞ではなく、君たちの卒論はどれも、なみなみならぬ「努力」の刻まれた素晴らしい卒論として仕上がったと思う。実をいうと、ボクは、ここまで全員そろって頑張れるとは思っていなかった。でもひとりも落ちこぼれることなく、みんなで一緒にこれて、本当によかった。自分の書いた卒論を誇りに思ってください。この経験は、今後の人生で揺るぎない自信となりますよ。いや、おそらくもうすでに君たちは、そのことを予感できているのではないでしょうか。
また、この2年間、君たちは、合宿や飲み会やスポーツを通じて、互いをさらけ出しあい、感性を磨きあい、おもいやりや気遣いを学んだのではないかと思います。時に気持ちのすれ違うことがあっても、そうした場面をどううまく乗り切るかということも、すこしずつではあるが、習得できたと思う。君たちは、もうどこに出してもけっして恥ずかしくない人間として成長した。そのことに自信をもち、あとは、ボクなんかが教えることのできないことを、ひとつずつ吸収していって、さらにさらに大きくなっていってください。
そうそう、忘れてはいけない。ボクも、君たちに囲まれて過ごした2年間、本当にとても楽しい思いをさせてもらいました。君たちからは、いつも若いエネルギーを吸収させてもらった。君たちと接していると、好奇心が刺激され、歳をとってもいろいろなことに心をときめかせることを忘れてはならないのだと教えられた。ボクの人生を豊かにしてくれて、本当にありがとう。
君たちの中には、ボクが早稲田に赴任した最初の年に一年生として授業を受けた人もいますね。そういう人とは、すでに人生の4年間を付き合ったことになるわけだね。しかし、まだまだこれから・・・。これはほんの「始まり」にすぎない。みなさん、どうかこれからも末永く、よろしくお願いします。

卒業にあたって、今年は以下の言葉を贈ることにしました。

いつでも夢をもちなさい。
いつでも純粋に、真剣に、堂々と生きなさい。
いつでも不思議に思い、考え、解決しようとしなさい。
たとえ心を奪われることがあっても、魂を渡すことのないようにしなさい。

河野ゼミ3期生に、乾杯! 

卒業おめでとう 2007

河野ゼミ3期生のみなさん、卒業おめでとう。
来る3月25日の卒業式の式典には、参列できないので、代わりにこの日記で君たちへ贈る言葉を書き残します。

3期生のみなさん、2年間ボクの厳しい指導に耐えて、よく頑張りました。君たちは、それぞれ立派な卒業論文を提出しました。まったくお世辞ではなく、君たちの卒論はどれも、なみなみならぬ「努力」の刻まれた素晴らしい卒論として仕上がったと思う。実をいうと、ボクは、ここまで全員そろって頑張れるとは思っていなかった。でもひとりも落ちこぼれることなく、みんなで一緒にこれて、本当によかった。自分の書いた卒論を誇りに思ってください。この経験は、今後の人生で揺るぎない自信となりますよ。いや、おそらくもうすでに君たちは、そのことを予感できているのではないでしょうか。
また、この2年間、君たちは、合宿や飲み会やスポーツを通じて、互いをさらけ出しあい、感性を磨きあい、おもいやりや気遣いを学んだのではないかと思います。時に気持ちのすれ違うことがあっても、そうした場面をどううまく乗り切るかということも、すこしずつではあるが、習得できたと思う。君たちは、もうどこに出してもけっして恥ずかしくない人間として成長した。そのことに自信をもち、あとは、ボクなんかが教えることのできないことを、ひとつずつ吸収していって、さらにさらに大きくなっていってください。
そうそう、忘れてはいけない。ボクも、君たちに囲まれて過ごした2年間、本当にとても楽しい思いをさせてもらいました。君たちからは、いつも若いエネルギーを吸収させてもらった。君たちと接していると、好奇心が刺激され、歳をとってもいろいろなことに心をときめかせることを忘れてはならないのだと教えられた。ボクの人生を豊かにしてくれて、本当にありがとう。
君たちの中には、ボクが早稲田に赴任した最初の年に一年生として授業を受けた人もいますね。そういう人とは、すでに人生の4年間を付き合ったことになるわけだね。しかし、まだまだこれから・・・。これはほんの「始まり」にすぎない。みなさん、どうかこれからも末永く、よろしくお願いします。

卒業にあたって、今年は以下の言葉を贈ることにしました。

いつでも夢をもちなさい。
いつでも純粋に、真剣に、堂々と生きなさい。
いつでも不思議に思い、考え、解決しようとしなさい。
たとえ心を奪われることがあっても、魂を渡すことのないようにしなさい。

河野ゼミ3期生に、乾杯! 

2007年01月29日

今年はどんな年に?

みなさん、ご無沙汰しましたが、お元気でしょうか。
あっという間に、クリスマスから正月が過ぎていきましたね。
今日は久しぶりに日記をつけるので、最近の出来事をいくつか。
12月x日。大学近くにあるマッサージ屋さんに行きました。たまたまその日担当してくれた方が本当に素晴らしい方だったので、それ以来ハマリ中。それにしても、ボクの肉体はどんどん衰えているような・・・。
12月x日。朝早くおきて、久しぶりにいつもの倍の10キロジョギングしたら、そのあと見事に風邪を引いた。しかしどうしても早く治さなきゃならない理由があったので、気合で2日で治した。「病は気から」というのは本当です。人間、やろうと思ったら、何でもできるもんだ。
元日。天皇杯サッカーを見に行きました。浦和レッズの将来がちょっと心配になるような、そんな一戦でした。今年もスタンドでのレッズファンの応援には感動した。あれはひとつの芸術だね。
1月x日。初詣。
1月x日。お墓参り。
1月x日。ゼミ生たちとサッカーをしました。天気よく、人工芝のグラウンドも最高だった。よい想い出になりました。ありがとうございました。
1月x日。女子バスケの試合を見に行きました。応援している富士通がシャンソンに勝ち、そのあと見事、二連覇達成!おめでとうございます。
1月x日。実家で、UNO大会をやりました。知ってますか、大黒バージョンのUNO。「2枚引け・カード」や「4枚引け・カード」に対して「オウンゴール・カード」で逆襲できることになっていて、チョー面白い。やっぱり、正月はカードゲームで遊ぶもんだ、と思った。
1月x日。ある用事で京成立石というところに行きました。行く前に「面白いところですよ」と聞いていたが、噂通り、下町感あふれるところでした。ぶらりと入った蕎麦屋のカツ丼が美味かった。
1月x日。ゼミ生たちが納会のときに、ボクのために大きなバースデーケーキを用意してくれた。それから素晴らしいプレゼントも頂いた。愛情をいっぱい感じました。ありがとう。
1月x日。歌舞伎座に中村吉右衛門さんの「俊寛」を見に行きました。歌舞伎は一期一会、これは思い切って見にいってよかった。最後の場面で、流刑されている島に一人取り残されて、仏様のように祈る姿が目に焼きつきました。
1月x日。いつもながらのテニス、と思いきや、その日は4人と人数が少なくて、1セットのダブルスゲームをすることに。これが「死闘」となった。ブレーク、またブレークの連続で、ゲームカウント6対6でタイブレークにもつれこみました。そのタイブレーク、一時5対2まで取られちゃって「マズイ」と思ったのですが、それから集中して5対5まで盛り返しました。しかし、ここでボクがミスしてしまって、結局7対5で負けました。でも充実した2時間でした。

みなさま、本年もよろしくお願いいたします。

2006年12月10日

愛することと愛されること

昨日ゼミのOB会があった。
一年に一度、年末恒例の行事である。
遠くから、忙しい1期生、2期生たちも参加してくれた。
いつの間にこんなに大所帯になったのだろうというくらいの人数であった。
ボクのゼミを通して、これだけ多くの人々が繋がっているのだという事実に、感動した。
すこしはボクも世の中の役にたっているのだと思えて、嬉しかった。
みんな、いい子たちである。
みんな、ひとりずつ、本当に可愛い。
みんな、ひとりずつ、自分なりに真剣に人生を歩んでいる。
人間だからそれぞれ悩みや嫉みや恨みを持っているに違いない。
まだ若いからそれぞれ自分の将来に不安を抱えていないわけがない。
しかし、みんな一生懸命、それらと格闘している。
その姿が、それぞれ輝いている。
知っている人は知っているが、ボクは最初から大学の教師になろうと思っていたわけではなかった。
大学の教師になったのは、ま、はっきりいって、偶然みたいなものであった。
しかし、いま、大学の教師になって、本当に、本当によかったと思う。
こんなにいい子たちにいつも囲まれて、これ以上を望んだら、バチあたりである。
損得のない人と人との付き合いは、社会に出てしまった後では、なかなか経験できるものではない。
大学のゼミとは、そういう付き合いが可能なのだということを実感できる、貴重な場である。
そういう付き合いがあることを知って社会にでて人生をおくる人と、知らないまま一生を終える人とでは、人生の豊かさに格段の違いがある。
一期生の一人がいっていたように、そうした付き合いこそ、人生において「いつも戻って来れる心の原点」にほかならないからである。
これからもずっと、ボクのゼミとそのOB会が、そうした原点を提供できればいいと思う。
もう14年も前に娘が生まれた時、遅まきながらボクが学んだことは、人を愛するということは、その人に対して無償の愛をささげることなのだ、ということであった。
無償の愛とは、いうまでもなく、損得勘定などが入り込む余地のない愛のことである。
人間だから、いつか見返りがあるのではないか、これだけの愛を注いだらきっと相手も愛を返してくれるのではないか、などと期待してしまうこともある。
ま、そういうこともあるかもしれない。
しかし、面白いことに、いや本当に面白いことに、無償の愛をささげると、無償の愛がちゃんと返ってくるのである。
人を愛するということがどういうことなのかを、ボクは娘に、娘の笑顔と仕草に、教えられたのである。
人を愛するということは、素晴らしい。
なぜなら、人を愛するということが、人から愛されること、だからである。

ゼミ生のみなさん、ゼミのOBのみなさん、また来年元気に顔を合わせましょう。

2006年10月01日

リユニオン

ゼミの一期生と二期生がうちに集まった。
みな忙しいので、全員というわけではなかったが、10名ほどで楽しい時間を過ごした。
彼らは、卒業してからずっとうちに遊びに来たいといっていたので、ようやくそれが実現できてよかった。前の日から、大きな鍋でカレーを煮込んでおいて、それをメインにした。あとは、野菜サラダとパスタサラダを作った。みんな、おいしい、おいしい、といって食べてくれた。まあみんな、本当によく食べること・・・。冷蔵庫はすっかり空になった。
彼らから、いろいろなことを言われた。
「先生、相変わらず、若いですね」←これは嬉しい。
「でも、ちょっと白髪増えましたね」←じゃかあしい。
「結構オシャレなところに住んでますね」←さんきゅー。
「インテリアとか、ご自分で選んだんですか」←失礼な、オレにセンスがないとでもいうのか。
正直言うと、卒業したら学生たちはボクのことなんか忘れてしまうのではないか、と思っていた。だから、彼らがボクをいまでも慕ってくれるのはとてもうれしい。でも、卒業したら、やはりどうしてもかつてのようには、緊密に連絡を取り合うことができなくなってしまう。もしかしたら、いつかボクのことを忘れてしまう人も出て来るだろうと、やっぱり思う。
でも、それでいいのである。
ルイ・アームストロングが歌うように、ボクは彼らが成長するのを見守ることしかできない。彼らはこれからたくさんのこと、ボクがいま知っている何十倍、何百倍のことを学んでいくのである。
ボクは、たしかに、彼らの若かったある一時期に、多少彼らの人生に影響を与えたかもしれない。しかし、ボクが彼らの人生にこれからずっと影響を与えられるような存在であるわけがない。
重要なのは、彼らがもうすこし年を取ったときに、今度は立場をかえて、彼ら自身が次の若い世代に自分の経験や理想を語っていく責務を負うということである。そのとき彼らも、きっといまのボクと同じ心境に達すると思う。そうして、時代が変わっても、素晴らしい世界が続いていくのである。
いや、だからって別に、ボクのことを忘れろなんていってるんじゃないですよ。
いや、というか、もし君たちが偉くなって、日経新聞の裏面の交遊録にボクの名前を出してくれたら、それはきっと嬉しいと思うよ。それから、君たちが成功して会社つくって、ボクにその「社外取締役」に就任して下さいなんていうリクエストをもってきたら、きっと大歓迎するだろうねえ。とくにボクの定年の頃にそういう話を持ってきてくれるとありがたいんだけどなあ。
あ、そうそう、もちろん、おいしいワインとチーズをもって、先生今夜いっぱいやりましょうよ、とブラリと訪れてくれるのも、とっても嬉しいかも・・・。
みなさん、また会いましょうね。

2006年03月27日

卒業おめでとう

本当は、この日記は、卒業式の前に更新しておきたかったのだけれども、ちょっと忙しくて遅くなってしまった。ごめんなさい。それにしても、土曜日の追いコンは、素晴らしかったね。幹事長の雲井君、ホンモノみたいな応援団を務めた木村君、校歌を歌っていてもノリノリでひざで調子をとっていた望月さんをはじめ、企画演出した3期生のみなさん、本当にご苦労さまでした。
そして、あらためて、2期生のみなさん、卒業おめでとう。ボクとしても、ゼミ生を社会に送り出すということには大きな感慨があり、ああよかった、これで少し肩の荷が下ろせるというのが率直な感想です。大学のセンセイというのは、研究者であるとともに、もちろん教育者でもあるわけだが、われわれは心理学の専門家でもないし、教職免許をもっているわけでもないし、実は教育者としてはまったくの素人なんだね。だから、自分の教育方針がうまくいっているのかどうかについては、まったくもって自信がない。ボクのゼミでの指導は、ほかの先生たちよりも人に対する基本的な礼儀とか作法とかにまで及んでいて、もしかすると君たちは苦労したと思う。うるさいことを言うオヤジだな、と思っていたとも思う。でも、君たちは、この2年間、その厳しい指導によく耐えてくれたね。みんな、本当にどこへ出しても恥ずかしくない社会人として成長したのではないか、と思う。
追いコンの場で言ったことだけど、記録に残しておくために、ここに書いておくね。第一に、いつでも個性を大切にね。君たちはいままだ紺色のスーツが似合わないが、それはとっても素敵なことなんだよ。大人になることは、画一的なものの考え方をすることでもなければ、人と同じような生き方をすることでもない。自分の考え方や生き方を確立することが、大人になることなんだからね。いつか、自分に似合うスーツを自分でみつけることができるといいね。
第二に、あまり過去を振り返ってはいけない。ゼミの時代はよかったなどと感傷的に思うことは、今の自分、今の生活を大切にしていないという証拠だからね。ゼミに遊びに来てくれるのはいつでも歓迎するけど、帰ってくるというのではなく、自分の新しい生活をわれわれに紹介してくれたり、われわれを知らない世界へ導いてくれたり、そういう前向きな気持ちでゼミを訪れてね。
第三に、絶対に、ボクより先に死んではダメだよ。この世の流れには、順番というものがある。一期生の木下君たちが卒業して、君たちが卒業して、今度は雲井君たちが卒業して、そして・・・というように、動いていく。その摂理に逆らうようなことがあってはならない。それに、君たちには、そろって、ボクの葬式で校歌を歌ってもらわなければならないんだからね。
最後に、とても素晴らしいプレゼントをたくさんもらってありがとう。サイン入り色紙、ボールペン、ちょいわるオヤジのバスローブ、村上春樹のクックブック、吉永小百合写真集。みんな大切にします。

2006年03月12日

人間にとって罪(sin)とは何か

先日西欧式ディナーパーティの話をこの日記に書いたが、ボクが人生のある一時期大変お世話になったカナダのご夫妻は、よく難しいトピックを選んで夕食時の会話の題材とするということをしていた。別に正しい答えを出そうとか、相手を論破しようということが目的ではない。難しい問題をどういう風に考えるか、各人おのずと異なる考え方の多様性とでもいうものを、彼らは純粋に知的に楽しんでいる風であった。もちろん英語で行われるのでついていけないときもあったけど、ボクも、できるだけ会話に加わろうと、いつも一生懸命がんばった。
ある日、そのご夫妻のうちに遊びにいったら、その日のお題は「人間にとって最も重い罪は何か」であった。ここでの罪は、英語でいうと、crimeではなく、sinの方ですね。ご夫妻はキリスト教信者ではない。しかし、ボクは、このトピックだとどうしても宗教的な方向へ会話が流れてしまうのではないかな、と思った。そしたら、案の定、嘘をつくこと、他人を軽蔑すること、モノやお金を無駄使いすること、などなど、聖書のどこかに書いてありそうな、ま、はっきりいってありきたりな、項目が次々と挙げられて、「そうだね」、「でもそれはそんなに悪くないんじゃない」というように、議論が展開していった。
彼らの話が一段落したところで、ボクに水が向けられ「マサルは人間にとって何がもっとも悪いsinだと思う?」と聞く。ボクは、そのとき「taken-for-grantedness」ではないか、と答えた。それは面白いねと、ご夫妻は褒めてくれた。実は、ボクは、いまでも、この答えが大そう気に入っている。
take it for grantedは、うまく日本語にできないけど、当たり前と思う、あるいは自明視する、といったような意味である。それを無理やり名詞形にしてしまって、当たり前だと思うこと、あるいは自明視すること、それが人間にとっての最大の罪、というのがボクの考えである。だってそうじゃない、われわれのまわりには、いま自分が享受できていることへの感謝を忘れてしまうようなものがたくさんあるでしょ。健康や才能、与えられた資産や仕事、友人や同僚からの信頼、家族や恋人からの愛・・・などなど。本当は、われわれは、これらのものを自明視することなく、日々守っていく努力をしていかなければならないのですね。
ところが、というか、やっぱり、というか、われわれか弱い人間は、つい、そうした努力を忘れる。そして、これらのものを失うと、自分が不幸になったと思ってしまう。しかしね、実は、これは勘違いなんだね。健康や豊かさ、信頼や愛などという大切なものは、それらを失う不幸を憂うのではなく、それらをいま享受できることを幸福だと思わなくてならない。いつもそんなものが当たり前のようにあると思っては、人生の荒波をなめてることになる、そんな気がするのであります。

さて、最近ボクの教え子の二人が入籍しました。
本当におめでとう。
若いお二人に、心から「お幸せに」という言葉を贈りたい。

2006年02月01日

日記開始宣言!

学生たちにそそのかされて、日記を書くことにした。一応これでも文章を書くことをナリワイにしている人々の端くれにいるので、定期的に書くのは訓練にもなるし、日々浮かんでくるアイディアの記録をとっておくのもあとでなにかの役に立つかなとも思うし・・・ま、いつまで続くか、わかんないけどね。

最初なので、今日は日記のタイトルについて。ボクは、週刊誌もテレビもほとんど見ないので、こういう流行語に弱いのだが「ちょいわるオヤジ」というこの言葉は、ゼミの学年末納会(つまり飲み会←大学関係者でない読者を想定した注)の時に、学生たちに教えてもらった。ネガティヴな表現なのかと思ったら、褒め言葉なんだってね。学生たちは、そういってボクを褒めてくれたわけだ。ただの「オヤジ」だったら嫌だけど、その前に「ちょいわる」がつくといいらしい。

で、なんでボクが「ちょいわる」なの?いろいろ聴いたけど、こういうのはイメージとかセンスとかの問題だから、決まった答えがあるわけではもちろんない。ただボクの場合は、授業をふつうの服装でする、どうもそれがひとつの要因らしい。「ジーンズと革ジャンで教壇に上がる先生なんて、うちの学部、そういないッスよ。」そうかなあ。そんなことはない。経済の清水(和巳)さんとか栗山さんとか、結構普段着をオシャレに着こなす先生たちは多いと思うよ。

ほかの人はともかく、ボクの場合、スーツにネクタイという格好で授業をしないのは、ま、スーツやネクタイを買うお金がないという現実の問題もあるけど、ボクなりに教育効果を狙っている、というところもある。村上春樹の初期の短編(「象の消滅」『パン屋再襲撃』所収)に「僕の個人的な意見はネクタイをはずさないと出てこないんです」という名セリフがあるのだが、格好というのはコミュニケーションの場を規定してしまうから、気を使わなければならない、とボクは思っている。だって、こちらがいかにも大学教授という格好で上から押し付けるような物言いで授業したら、学生たちはぼんやり聞いているだけになるでしょ。学生たちのオリジナルな思考を育みたい、すこしでも「一緒に考えようよ」ってメッセージを伝えたいなら、自分と学生が同じステージにいることを演出しなくっちゃね。それにね、毎回同じようなスーツとネクタイだったら、学生たちはそれだけで飽きちゃうよ。「先生今日はどんな服着てくるかな」ということをちらりとでも思わせたら、その時点ではこちらの勝ち、だって「ツカミ」に成功しているわけだからね(←ちょっと大げさ)。

さて、ちょいわるオヤジ。学生たちに、芸能人では誰がそれに当たるのか、と聴いたら、いろいろ名前をあげてくれたが、ボクのしらない人ばっかりだった。「矢沢永吉ってのはどう」とこちらから聞くと、「あれは、チョイちがいます。あれはチョイワルではなく、セクシーですから。」そうか、上には上があるんだ・・・ちなみに、ちょいわるオヤジの女性版は「アデージョ(艶女)」です。飯島先生、知ってました?