日記開始宣言!
学生たちにそそのかされて、日記を書くことにした。一応これでも文章を書くことをナリワイにしている人々の端くれにいるので、定期的に書くのは訓練にもなるし、日々浮かんでくるアイディアの記録をとっておくのもあとでなにかの役に立つかなとも思うし・・・ま、いつまで続くか、わかんないけどね。
最初なので、今日は日記のタイトルについて。ボクは、週刊誌もテレビもほとんど見ないので、こういう流行語に弱いのだが「ちょいわるオヤジ」というこの言葉は、ゼミの学年末納会(つまり飲み会←大学関係者でない読者を想定した注)の時に、学生たちに教えてもらった。ネガティヴな表現なのかと思ったら、褒め言葉なんだってね。学生たちは、そういってボクを褒めてくれたわけだ。ただの「オヤジ」だったら嫌だけど、その前に「ちょいわる」がつくといいらしい。
で、なんでボクが「ちょいわる」なの?いろいろ聴いたけど、こういうのはイメージとかセンスとかの問題だから、決まった答えがあるわけではもちろんない。ただボクの場合は、授業をふつうの服装でする、どうもそれがひとつの要因らしい。「ジーンズと革ジャンで教壇に上がる先生なんて、うちの学部、そういないッスよ。」そうかなあ。そんなことはない。経済の清水(和巳)さんとか栗山さんとか、結構普段着をオシャレに着こなす先生たちは多いと思うよ。
ほかの人はともかく、ボクの場合、スーツにネクタイという格好で授業をしないのは、ま、スーツやネクタイを買うお金がないという現実の問題もあるけど、ボクなりに教育効果を狙っている、というところもある。村上春樹の初期の短編(「象の消滅」『パン屋再襲撃』所収)に「僕の個人的な意見はネクタイをはずさないと出てこないんです」という名セリフがあるのだが、格好というのはコミュニケーションの場を規定してしまうから、気を使わなければならない、とボクは思っている。だって、こちらがいかにも大学教授という格好で上から押し付けるような物言いで授業したら、学生たちはぼんやり聞いているだけになるでしょ。学生たちのオリジナルな思考を育みたい、すこしでも「一緒に考えようよ」ってメッセージを伝えたいなら、自分と学生が同じステージにいることを演出しなくっちゃね。それにね、毎回同じようなスーツとネクタイだったら、学生たちはそれだけで飽きちゃうよ。「先生今日はどんな服着てくるかな」ということをちらりとでも思わせたら、その時点ではこちらの勝ち、だって「ツカミ」に成功しているわけだからね(←ちょっと大げさ)。
さて、ちょいわるオヤジ。学生たちに、芸能人では誰がそれに当たるのか、と聴いたら、いろいろ名前をあげてくれたが、ボクのしらない人ばっかりだった。「矢沢永吉ってのはどう」とこちらから聞くと、「あれは、チョイちがいます。あれはチョイワルではなく、セクシーですから。」そうか、上には上があるんだ・・・ちなみに、ちょいわるオヤジの女性版は「アデージョ(艶女)」です。飯島先生、知ってました?