吉本隆明さんについての想い出
ボクは、文芸評論とか思想とかの本を読んでいた変わった高校生で、しかし、ボクの高校時代には、そのような変わった高校生をかわいがってくれる変わった先生たちが何人かいた。そのような先生たちは、学校の勉強と関係なく教え子たちを囲んで読書会をしてくれて、ボク(ら)の知らない評論家とか思想家とかの名前を出して、今度読んでみるといいよ、などと薦めてくれた。読書会は、先生たちの家にいって(ときにはアルコールを交えて)行われることもあった。そうした先生たちの家には、決まって吉本隆明全集がおいてあった。勁草書房の、飾り気のない薄茶色のボックスに入った、青色の帯がかかった、あの全集である。ボクの頭の中には、そのようにして、吉本隆明という名前と勁草書房という出版社の名前が刻まれることになった。
大学へと進学することになったとき、親から何が欲しいかと聴かれたので、ボクは、吉本隆明全集と小林秀雄全集(こちらは当時新潮社から新しいのが出たばっかりだった)が欲しい、とねだった。重いのに、親戚筋にあたる本屋さんが、家まで運んできてくれた。ボクは、大学に入るまでのあいだ、それらをつらつら読んだ。印象に残った論文には、鉛筆で線をひき、余白に感想を書き込んだ。この二つの全集は、今でも大事に、ボクの家の書庫にならんである。高校生のときにボクの書いた感想も、もちろんそのまま残っている。
時は、流れて、ボクは研究者としてなんとかひとりだちし、大学で教える身となり、その後『アクセス日本政治論』(日本経済評論社)という教科書の中で、日本政治の見方が戦後どのように発展してきたかという章を執筆することになった。ボクは、どうしてもその中で吉本さんについて触れたいと考えて、丸山真男氏との論争を紹介する形で、吉本さんの「自立の思想」や「大衆の原像」について書いた。ボクの印象としては、「在野」を貫いた吉本さんが、「正規の」というか、大学で教えられる政治学の中でまともに取り上げられることが少ないことが不満だったので、自分ではそのときとても大事な仕事をしたつもりだった。今でもよく覚えているが、平野浩先生と伊藤光利先生から、学会の懇親会の席で、それぞれ、そのことについてお褒めいただいたのが、とてもうれしかった。そうそう、そんな自負もあって、ボクは出版社の方に頼んで、一冊を吉本さんに直接献本してくださるようにと、お願いした。
時は、さらに流れ、縁があって、ボクは、勁草書房から、何冊か本を出させて頂くことになった。ボクにとってみればそれは光栄なことだった。あの吉本さんの全集を出した出版社から、ボクが本を出すことができるようになったんだと、噛みしめるようなうれしさが湧いてきた。
「井の中の蛙は・・・」という、あの鶴見俊輔さんに向けた有名な言葉は、一時だけ編集にかかわった、ある政治学雑誌の編集後記で引用させてもらった。そして、その政治学雑誌とは、ある事情で、訣別せざるを得なくなった。最後まで、身ぎれいに自分を貫いた吉本さんのことが、そのときも、ボクの心の片隅にあった。
謹んでご冥福をお祈りします。