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2012年03月12日

セントラルグリル

最近こんなエントリーばかりで悲しくなるが、またひとつ、ボクのお気に入りの場所が消えてしまうのだそうです。想い出のブログ(2008年3月11日付け)をここに再録します。

ボクはレトロな食堂が大好きである。
レトロな食堂では、「ミックスフライ定食」とか「ハヤシライス」などを食べたい。
そう、レトロな食堂には、ミックスフライとハヤシライスがなければならない。
これがレトロな食堂を定義する上での、ボクの大前提である。
で、ミックスフライがあるということは、牡蠣フライもあるし、海老フライもあるし、鯵のフライもあるし・・・ということでなければならない(←これは単純な演繹的推論である)。ま、要するにフライ系はすべてカバーしている、ということでなければならない(これをレンマ=補助命題としておく)。
それから、ハヤシライスがあるということは、カレーライスも作っているということでなければならない(←これは演繹というよりは、アナロジー=類推だな)。
いずれにせよ、ということは、当然(上の「全フライカバー」命題と併せると)、レトロな食堂にはカツカレーもある、という結論が論理的に導けることになる。
                           ・・・・QED(←??)
・・・というわけで、ずっと前から一度入ってみたかった横浜の「セントラルグリル」に行ってきました。
場所は、本町通りと日本大通りの角。「ええっ、こんなところに?」という大きな交差点に、堂々と、このレトロな食堂はある。
入ってみると、フライ系だけではなく、サバ味噌煮定食とか金目煮付け定食とかもメニューに載っている。ゆで卵と納豆は、単品で注文できるらしい。うーん、これにはちょっと迷った。どうしようかな、フライ系高カロリー路線をやめて、こうした小物を従えての煮魚系に大胆に路線変更するかなとあたふたしましたが、ここは初志貫徹と思い返し、ヒレカツカレーを食べることに。そしたら、キャベツがチョコッと付いて、味噌汁まで付いてきました。そう、だから、正確には、ボクが食べたのは、ヒレカツカレー定食なのでした。美味しかった・・・。
ボクにいわせると、世の中には「レトロ風の食堂」はたくさんあるが、本当に「レトロな食堂」はそれらからきちんと区別されなければならない。本当にレトロな食堂というのは、食器や調度品の古さだけで決まるのではない。そこで働いている人たちも「レトロ」に徹してなければならない。だから、若いシェフやウェイトレスだけがやっているレトロな食堂というのは、ボクの定義上ない。レトロな食堂で働く人たちは、カッポウ着を身につけているとか三角巾のようなものを頭にかぶっているとか、あるいはかけているメガネが昭和の時代に流行したスタイルであるとか、どこかしら存在からしてレトロ性をかもし出している人々でなければならない。
もうひとつ、レトロな食堂というのは、(このセントラルグリルがそうであるように)「こんなところに」というような意外な場所になければならない。そして、それはそこにずーっとそのままの形で存在していたのでなければならない。オシャレな六本木や西麻布などに、レトロ風を売りにして新たに改装した店というのは、本当にレトロな店だとはいえない。
レトロな店は、年輪を感じさせる。それは、いろいろな人や事件に出会い、さまざまな経験をつんできた人間がそうであるのとまったく同じ理由で、とっても魅力的である。

2012年01月29日

中毒患者は屁理屈をこねる

何を隠そう、ボクは、マクドナルド中毒患者の一人である。
毎日食べなければ気が済まない、というわけではない。
毎週食べなければ気が済まない、というわけでもない。
しかし、月に一度ぐらいは、どうしても食べたいときがやってくる。そうなるともう、いてもたってもいられない。食べるまで、食べたいという衝動がおさまることがない。
ボクの場合、その衝動は、たいてい夜にやってくる。どういうわけか、さあ寝ようか、という時間に、突然、やってくる。それゆえ、衝動は、どうしたって次の日まで持ち越される。で、次の日の午前中は、文字通り中毒患者のように、「ああ食べたい」「うーん食べたい」と、念じ続けることになる。
マクドナルド中毒にかかる原因の一つは、「犬も歩けば、マクドナルド」という感じで、実に多くの店舗が展開されていることによる。これが東京に一店舗しかない店だったすれば、「食べたいな」と思っても行くのが面倒くさかったりして、すぐさま諦めがつく。ところが、とくに首都圏では、どこにいようとも、マクドナルドで昼食を取ろうと思えば、取ることができてしまう。だから、食べたいなと思ったが最後、食べるまで、衝動はおさまらない。
実は、つい先日(今年になって初めてのことであったが)、とうとう禁断症状がでてしまった。で、妻に、「ごめん、そういうことなんで」と説明し(←?)、買い出しにいった。
ボクは、マクドナルドでは、かならずビックマックセットを注文する。
その日も、そうすることにした。ただ、その日は、ちょっとした事件が起こった。
かつて、マクドナルドでは、セットのドリンクでジンジャーエールを選べた時代があった。コーラやコーヒーだとカフェインが入っているし、オレンジジュースとビックマックでは、相性がよくない(と、ボクは勝手に思い込んでいる)。ところが、その日、ボクは店員さんに「すみません、もうジンジャーエールはやってないんです」といわれてしまった。
そうか、じゃ、しょうがない、「コーラでいいです」、ということにして、代金を払い、紙袋をさげ、ルンルンと引き返してきた。
さて、家に戻り、ポテトをつまみながら、そのジンジャーエールの話を妻にしたところ、「あら、この前の時も、まったく同じこといわれて、コーラにしてたわよ」と、彼女がいう。
「?」
「物覚え、悪くなってきたんじゃない?」と、彼女は心配そうである。
「ちがう、ちがう。こういうのってのは、いらない情報を、なるべく覚えないようにしているだけのことなんだよ。」
「いらない情報?」
「そう、世の中のどうでもいい情報を、覚えないように、ボクの脳はトレーニングされているのさ。」
「いらない情報ってことはないでしょ?だって、この前のこと覚えてたら、カウンターで同じ間違いをしなくてすんだんじゃないの?」
「いや、いや、そんなことはない。だってだよ、マクドナルドは、もしかしたら、将来、ジンジャーエールのサービスを再開するかもしれないじゃないか。もしそうなったら、ジンジャーエールがないと思い込んで注文すると損した気分になる。だから、この場合、情報を覚えないようにするという方が、よっぽど合理的なんだよ。」

2012年01月14日

梅香亭

好きだった梅香亭が閉店してしまいました。
長い間、本当にご苦労様でした。
想い出のブログ(2008年12月27日付け)を以下に再録します。

横浜にある、有名な洋食屋さんにいった。
その名は梅香亭。横浜スタジアムのすぐそばにある。レトロの中のレトロ、というお店。その雰囲気にふれるだけでも、行く価値があると思う。なにせ創業は大正時代である。
ストーブが真ん中にドテッとおいてある。椅子や長椅子には、アイロンがぴんとかかった真っ白な布がかけてある。電話のベルも、あの「ジリリーン」という、レトロな響きがする。
ランチ時をさけて、1時半ごろに行ったのだが、ボクのお目当てはハヤシライスであった。ボリュームがあって、コクがあって、そしてアツアツで出てくる。
ところが、ですね、その日、どうもボクには運がなかったようです。
フロアーを仕切る方が、メニューを持ってきて、律儀に説明する。
「いまはカレーはやっておりません。それから、ハヤシは、おそらく、先ほどのお客様でおわってしまいました。」
?「おそらく」?
しかし、「おそらく」であろうとなんであろうと、「おわってしまった」といわれたものを注文するわけにはいかない。ボクは方針転換を強いられて、メニューをじっくり眺めることになった。
そこに、やってきたのは近くで働く(と思しき)サラリーマン。常連らしく、席につくなり「ハヤシライス」と頼んでいる。そしたら、その律儀なフロアーさん、「あの、もしかするとハヤシは先ほどのお客様でおわってしまったかもしれないので、いま聞いてきます」といって、キッチンに入っていった。ところが、出てくるなり「あの、もう一皿できるそうです」と、ニコニコしながらその客に報告している。
オイオイ、それはボクのハヤシライスでしょうが・・・。
ボク、わざわざ15分も歩いてここまで来て、ハヤシライスを食べようとしたのに・・・。
ボクは、一瞬、ボクもハヤシを食べたかったんだけどな、とボソッと言おうかと思った。でも、そう言ったところで、その客とフロアーさんを困らせるだけだし、と思い返し、メニューをさらにじっくりと検討して、結局エビフライを注文することにした。
狭い店なので、そのとき中にいた周りのお客さんたちは、だれもが起こったことの一部始終を見届けていた。だから、もしボクが、自分もハヤシを食べたかったのになどと言っていたら、ボクには「ハヤシが食べたかったのに、食べられなかった人」というレッテルが貼られてしまうはずであった。いや、もしかすると、みんなは、ボクをバツの悪いヤツとして笑いもの扱いするかもしれない・・・。
だから、ボクは、わざと平然を装い、「ハヤシなんて、別に食べたかったわけじゃないからね」というような顔をして、エビフライを頼んだのである。
さて、ボクがエビフライを食べ始めると、そこにもう一人、今度は若い女性のお客さんが入ってきた。この方も常連らしく、入ってくるなり「ハヤシライス」と注文している。
そしたら、再びその律儀さんは、「あの、もしかするとハヤシは先ほどのお客様でおわってしまったかもしれないので、いま聞いてきます」といって、キッチンに入っていった。
そして、彼がまた嬉しそうにいったのである。
「あのもう一皿、できるそうです、これが最後です。」

2011年11月23日

(続)談志師匠のマクラのように語る

ええー、まったく、最近は能書きが多い店ばっかりですね、ホント。いちいち、説明にきやがるんだ、これはドコトカでとれたナントカです、とか、このお肉はあちらのソースと合わせて召し上がって下さい、とか。あのさぁ、レストランってのは、緊張するために行くところじゃないんだ。うまけりゃ、それでいいってもんじゃないんだ。ゆったりと、雰囲気を楽しむって場合もあるってこと、分かんないのかね。
ま、本当に一流のシェフ、特にオーナーシェフは分かってる、うん、分かっている、と思いますけどねぇ。でも、これが個々のサーバーのレベルまでおりてくると、転倒しちゃうんだな。そう、自分の店でもないくせに、態度が「これから説明してあげるから」とか、「ほら、うまいでしょ、ウチ」みたいな、自分たちが自己満足に浸るためにあるかのような構図になっちゃう。
いや、この前もね、ウチのかみさんの誕生日だったんで、あるレストランに予約して、行ったんですよ。ところが、メニューみても、なにひとつわかんないわけ。これは、うん、笑っちゃったね。
ちなみにその日のメニューは、<山形牛サーロインのスピエディーノ><フォアグラのパスティッチョと無花果のコンポスタ><鮮魚のヴァポーレ><ストロッツァプレッティ ボルチーニとアンチョビ><バッカラとサフランのマンテカート 雛豆のプレア><鮪とパプリカのクッキアイオ><トルテッリ 山鶉のリピエーロ クレマ ディ トピナンプール><鹿のロースト サルサ リクリツィア><栗のムース コーヒーのグラニテ>。
どうみても、このメニュー、普通の客を「田舎もん」扱いするためのものとしか思えない、でしょ。この中に説明きかないで分かるもの、ひとつでもある?えっ?ボルチ―ニとアンチョビは分かりますって?ばか、オレだってそのぐらいは、分かるってばさ。
あのぉ、たとえば、スピエディーノってのは、ですね、イタリア語で、串刺しって意味なんだそうです。じゃ、<山形牛サーロインの串刺し>って書きゃいいじゃんかって、オレなんか思う。そう書いてあるほうが、よっぽど、気取ってなくて、お洒落なんじゃ、ないんですかねえ。
いやね、実はお洒落っていうのは、だね、ちょっとでも「気取る」とか「気負う」とか、そういうところがみえたら、おしまいなんですよ。だから、逆にいうとね、お洒落な客は、きっと、このスピエディーノって言葉が分からなかったら、サーバーにきいちゃうと思うよ。これって、どういう意味なんですかって。で、その時に、そのサーバーの方が、気負うことなく「いやあ、串刺しのことなんですよ」って、さらりといってのけられるか。これが、一流のレストランかどうかを分けるポイントになるんじゃないか、とオレは思うね。

談志師匠のご冥福をお祈りいたします。

2010年12月30日

ラーメン隊

われらがラーメン隊を結成した。
・・・というと、若干語弊があり、すでに結成されていたラーメン隊にボクが加わったという方が正確である。隊のオリジナルなメンバーは、早稲田の同僚のH先生と、H先生がかつて同僚だったI先生。I先生はこのところ何年か早稲田に非常勤で来てくれていて、二人ですでに界隈のラーメン店をいろいろ探索していたのだそうで、それを聞きつけてボクが便乗したいとお願いしたのである。
はっきりいって、このHとI両先生は、ボクよりもはるかに若い。そんでもって、この二人はどちらもイケメンで、いつもファッションが決まっている。
そんな中、ちょっと先輩格にあたりジーンズしか履かないボクが加わるのを、彼らは本音では「やりにくくなったな」などと思っているのかもしれない。
しかし、そんなことを気にしていたら、おいしいラーメンにはありつけない。ラーメンに、歳は関係ないのである。ましてや、イケメンもファッションも関係ないのである。ラーメンをすするときは、美男美女であろうが、誰だって「ズズーッ」とすするものなのである。そして、ラーメン店の暖簾をくぐるときに、アルマーニを着ていったからって、順番を先にしてくれることなどありえないのである。
われらがラーメン隊の第一回遠征は、12月28日昼に決行されることになった。ウキウキ、うん、明日は朝食を抜いていこう、うん、一軒だけでまずかったら嫌だから、ま、2軒は行かないとな、ウキウキ、などと一人ではしゃいでいると、前日、律儀なH先生からメールが送られてきた。
《前もって、河野先生の好みを「測定」すべく、以下のごく簡単な質問にお答えください》。
さすがは、世論調査を専門にしているH先生である。この「測定」ってところが、まさに社会科学になっている。
《次にあげるリストの中から、行ったことのあるお店のみを美味しいと感じた順番に並べかえてください。○メルシー(早稲田高校の向かい)○武道家(早稲田駅出口横)○ほずみ(南門通り)○一風堂(早稲田通り沿い)○天下一品(早稲田通り沿い)○麺屋KAZU(大隈通り商店街)○えぞ菊(早稲田通り沿い) ○七福家(早稲田駅エレベータ出口横)》
すごい。この用意周到さ。おいしいラーメンをたべることへのこだわり。先輩格のボクをたてようとする心配り。いやー、これは本当にすごい。明日のラーメン隊への期待が一気に膨らむ・・・。
というわけで、12時に教員室に集合。高田馬場方面に向かって歩き始めました。一軒目は、明治通りをすぎたあたりのちょっと隠れ家的な店。魚介系スープだが、コクがありうまかった。店を出た後、「残ったスープがちょっとこってりし過ぎてたかな」といったら、I先生がすかさず「それはですね、ネギを最後まで残しておくんです。すると、ネギがうまい具合にスープをすって、なじんで、うまかったですよ」と言っていた。なるほど、ボクのネギ消費に計画性が足りなかったのか、と反省した。二軒目は、高田馬場を過ぎたところの塩ラーメンの店。ちょっとあっさり過ぎたかな、と思ったが、「グデングデンに酔っぱらったあとだったら、おいしいかもね」ということで、3人の意見はみごとに一致しました。

2010年11月25日

新規開拓の食事処とカフェ

いま住んでいるところに越してきてかなりの年月が過ぎたが、新しいランチの店とかカフェとかの開拓がそれほど進んでいない。歳をとるごとに保守的になってきて、知らず知らず気に入った所に立ち戻る、という傾向が強いからである。とはいいながらも、去年まで2年間サバティカルをいただいたせいで、少しずつではあるが、お気に入りの店が我が家のまわりに増えてきた。今日は、そのいくつかをご紹介しよう。
まずは、山下公園の前、シルクセンターの地下一階にある、カツカレーの店「どん八」。ここは、とにかくボリュームがすごい。ヒレカツカレーにも(ロース)カツカレーにも、S、M、Lとサイズがある。ボクはSで十分である。ときどきMを注文している人たちもいるが、最後の方になると、みな汗をふきふき、苦しそうに食べている。Lをたのむ無謀なお客さんには、いまだお目にかかったことがない。カツは揚げたて、カレーは昔ながらの味で、ボクは大好きである。ランチしかやってなくて、いついっても混んでいる。一度、1時半頃に行ったことがあるが、「今日はもうゴハンがなくなっちゃって」と断られてしまいました。
馬車道方面に足が向くときに、ときどき訪れる店としては、洋食屋「サクライ」がある。小さな店で、旦那さんと奥さんと、もう一人(奥さんの姉妹ではないかと思える)が、いっしょうけんめい働いていて、心が暖まる。この店の名物は「メキシカンチリハンバーグ」。辛いチリソースのハンバーグなわけだが、これがどういうわけか癖になり、1ヶ月に1度はどうしても食べたくなってしまう。
もうひとつ、最近特にお気に入りは、外人墓地の前にある「ロシュ」というレストラン。落ち着いた雰囲気の洋食屋さんで、ボクはここの海老フライが好きである。海老フライそのものを注文すると、ジャンボサイズのが2本出てくる。どうしても本格的な海老フライが食べたいのなら、それをおすすめするが、お得感のあるのは、ちょっと小ぶりの海老フライ2本とオムライスがセットになっているもの。どちらも本当に美味しいです。
ロシュでランチを食べて、そのまま山手をぶらぶら散歩し、エリスマン邸の喫茶室で勉強するのが、ボクの最近のひとつのコースになっている。ここは、いまだと、元町公園の紅葉を見下ろせて、とてもきれいである。ボクはいつも決まった席にすわって、長居させてもらっている。自家製ではないけれども、ケーキも美味しいです。
さて、最後にご紹介するのは、ジャズバー「491ハウス」。中華街の入り口にある。とある夏の夜、家にワインがなくて、どうしても冷えたシャルドネが飲みたいと思い、ふらりと入ったのがきっかけで、行くようになった。ジャズは、自分の好みと合うときもあれば合わないときもあるけれども、雰囲気としては最高です。バーテンさんは、まだ若いのに、一度クレジットカードで支払いしたらボクの名字をその次からちゃんと覚えていた。そういうプロフェッショナリズムも、大変よろしい。で、ここの冷やしトマト(アンチョビソースがかかっている)とキーマカレーは、本当に絶品です。みなさん、お近くにお出での際は、是非、お試しください。

2010年11月19日

ランチにイタリアンに行くか?

この前、あるひとつの事実に気づいてしまった。
ボクはランチでイタリアンに行くことがあまりない。
それで、はてなぜだろう、と、自分自身のこの行動パターン(あるいは、行動パターンの欠如というべきか)についての自問自答が始まった。
うーん・・・。
まず、ですね、だいたい、ですね、お洒落なイタリアンに行くときには、素敵な女性と行きたい。あるいは素敵な女性と連れ立って、他の素敵なカップルと一緒に、お洒落な雰囲気を楽しみたい。
しかし、大学にいるときには、ボクは圧倒的に一人で昼を食べることが多い。たまに、同僚の久米先生とか、院生たちと一緒にランチをすることもあるが、それは仕事の延長みたいなもんで、お洒落を楽しむためにランチをしているわけではない。
それから、ランチでイタリアンレストランに入ると、たいてい「パスタ」か「ピザ」しか、ランチメニューにない。「今日のパスタか、今日のピザからお選びください。ミニサラダとコーヒーが付いてます。」どこへいっても、決まりきったように、そう書いてある。
だが、イタリアンというのは、パスタとかピザを食べたあとに、ちゃんと肉や魚を食べるところだ、とボクは思い込んでいる。パスタとかピザを食べるまえに、前菜にハムとかカラマリとかを食べるところだ、そして最後にティラミスとエスプレッソを頼むところだ、とボクは信じきっている。
パスタごときなら、家でも簡単に作れるではないか。
ピザごときなら、宅配を手軽に頼めるではないか。
ところが、ランチタイムのイタリアンで、家ではつくれないとびきり美味しいパスタとか、宅配を圧倒的にしのぐ美味しいピザが出てくる、ということは、まずない。実は、パスタとかピザとかは、美味しさを差別化するのがかなり難しい料理である。だから、ランチにイタリアンに行っても、「うーん、これはうまい」と感激することが少ない。というわけで、スズキとか子牛肉とか、デザートの出てこないイタリアンランチには、魅力を感じないのである。
さて、先日、ある都合で、ある方とイタリアンでビジネスランチをすることになった。「今日のパスタ」を見ると、美味しそうな選択肢がない。それで、いいやめんどくさい、とおもい、「今日のピザ」の中から、ルッコラとハムを注文した。ところが、これが失敗であった。こういう時には、ピザではなく、パスタを頼むべきだ、と後から後悔したのである。なぜだか、わかりますか?そう、ピザは、パスタに比べて、取り分けが簡単なのですね。そのときホスト側であったボクは、どうですか、とすすめざるを得ない。いや、パスタだって取り分けすることもできなくない、といわれればそうであるが、なかなかビジネスランチでは、それはむずかしいのではないかな。

2010年05月05日

カツカレーの話

ボクは、カツカレーが大好きである。
カツが好きである上に、カレーも好きなので、カツカレーは、ボクにとっては一挙両得、一石二鳥のメニューの代表格である。
それにカツカレーは、お得である。たとえばある店でカレーライスが750円、カツライスが750円だったとしても、カツカレーが1500円ということはまずない。800円とか、850円とか、ほんのちょっと割高に設定されているだけである。それで、両方を食べられるのだから、ボクにいわせれば、これを注文しない方がおかしい。
また、カツカレーは、リスク分散のメニューでもある。
たとえば、どこか見知らぬ店に入ったとしよう。このとき、カツライスでもなく、カレーライスでもなく、カツカレーを注文するのは、とても合理的である。カツが不味くても、カレーが美味ければ、救われた気持ちになる。カレーが不味くても、カツが美味しければ、諦めもつく。もちろん、カツもカレーも両方美味しければ、いうことはない。
しかし、カツライスを注文して、カツが不味かったらどうか。あるいは、カレーライスを注文して、カレーが不味かったらどうか。どちらも、救われた気持ちにもならないし、諦めもつかない。不確実性に直面しながら100パーセントのリスクを正面から引き受けようとする注文の仕方は、ボクにはまったく理解できない。
カツカレーを出す店には、二つの系統がある。ひとつは、カツカレーを出すときに、スプーンだけをつけてくる店。もうひとつは、スプーンと割り箸をつけてくる店。前者はカレーの延長にカツカレーを位置づけている店で、後者はカツライスの延長にカツカレーを位置づけている店なのかもしれない。カツカレーに、フォークとナイフがついてくる店というのは、ほとんどない。だから、カツカレーの場合、カツは切らないでそのままかじるか、あるいはスプーンでもって、ごしごし切るしかない。いずれにせよ、割り箸の出番は、あんまりない。
カツカレーがどう盛られているかでとても気になる点は、カツの上にカレーがかかっているかどうかである。もしかかっていないと、当然のことながら、カツの下にあるゴハンにも、カレーはかかっていないことになる。ということは、その部分のゴハンにかけるカレーをどこかから調達してくることが必要となる。食事に計画性が要求され、カレーの無駄遣いは許されないことになる。
だから、ボクは、カツの上にも、あらかじめカレーがかかって出てくる方がうれしい。そういうと、カツの上に最初からカレーがかかっていたら、カツのサクサク感がなくなってしまうではないか、という反論がすぐさま聴こえてくる。たしかにその通りである。しかし、そもそもカレーとカツを一緒に食べたいから、カツカレーを注文したのであって、この反論は的をはずしているように思う。
この前、カツの上にあらかじめカレーがかかってないで出てくるカツカレーの店にはいった。そうしたら、カツにトンカツソースをかけて食べているひとがいた。そうか、こういう人のために、スプーンだけでなく、割り箸が用意されているのかと、そのときはじめて納得したのであった。

2010年03月13日

久々の浅草、初めての浅草

ある方に誘われて、浅草演芸ホールへ行った。
お目当ては柳家さん喬師匠。その誘ってくれた方が師匠とお知り合いで、ボクはぜひご一緒させてください、とお願いして実現した。
ボクは、観音様によく初詣に行くのだが、正月はいつも歩けないくらいに人が多い。ゆっくりと浅草を訪れるのは、久々である。そこで、まず乾物屋「熊野屋」を冷やかし、雷門を過ぎてオレンジ通りから新仲見世通りのアーケードをぶらぶら歩く。それから、ここのを食べたらほかのは食べられないという絶品のフリカケの店「薬研彫(ヤゲンボリ)」――世間的には七味唐辛子の店ということになっているが、皆さんここのフリカケも一度お試しください――を右手に見て進み、有名な「ヨシカミ」の前を通って、ホールに到着した。
そしたら、なんと、込んでいる。日曜でどうも団体さんがたくさん入っているらしい。ボクらは、待ち合わせを開演時間ぎりぎりにしたので、立ち見になるかなと心配して中へ入ったのであるが、二つ続きの空席をようやくみつけて、なんとか座ることができた。
さて、その日はなかなか豪華な顔ぶれであった。漫才ののいるこいるは、なんど聴いても可笑しく、ボクは大好きである。中とりが金馬。正蔵(というより、やっぱりこぶ平というイメージが強い)は威勢がよかったし、つなぎに徹した志ん駒も味わいがあった。さらにもうひとつ色物をはさんで、いよいよ、さん喬師匠の出番となった。
師匠は紋付を着て登場、演目は「八五郎の出世」だった。「妾馬」ともいうのだそうだ。八五郎の傍若無人さで散々笑わせてから、妹お鶴を思う愛情でホロリとさせる。でも、最後は(将来の出世の様子を想像させるように)すがすがしい後味を残して終わった。拍手大喝采。みんな満足して帰っていった。
いやー、それだけでも素晴らしい一日だったのに、実はその日はオマケがついてきた。
ボクらは、楽屋前でご挨拶をするつもりで師匠を待っていた。するとそこへ威勢よく師匠が飛び出してきて、おお、おお、と、こちらをみて声をかけるやいなや、「ちょっと何か食べていきましょうよ」ということになった。
で、ボクら三人に、お弟子さん二人が加わり、雷門まで歩いて戻って、大きい方の尾張屋に入った。席に着くなり、どうぞ、どうぞ、と師匠がおっしゃる。どうしようかと迷っていると、お弟子さんたちが二人とも親子丼を注文した。お弟子さんたちはこの辺の店で何がおいしいかをつぶさに知っているに違いない、と思い、ボクも同じものを注文した。初めて尾張屋の親子丼を食べたが、これがメチャクチャおいしかった。
師匠は、自分はまだ仕事があるからといって飲まないのに、ボクらにはビールまでご馳走してくれた。とくに初対面のボクに対しては、申し訳ないぐらい気を使い、いろいろ教えてくださった。それで、ボクはすっかり感動した。いやもう、舞い上がって感動しまくり、だった。一番印象に残ったのは、ボクが「寄席で主任をつとめられて、これからもうひとつお仕事へいらっしゃるなんて、大変ですね」といったときに、「いや、寄席は仕事じゃなくて、修行の場ですから」とおっしゃったことだった。そうかあ、「修行」かあ。ボクは、最近自分はいったいどこで「修行」しているんだろうと、考えさせられてしまった。
久々の浅草。しかし、さん喬師匠とお会いするのは初めて。もちろん、そんな大看板の噺家さんと一緒に尾張屋の親子丼を食べるのも、まったく初めての浅草体験であった。

2010年01月31日

ピスタチオがとまらない話

最近、ピスタチオがとまらない。
  ♪やめられない♪とまらない ピスタチオ・・・。
ビール、ワイン、日本酒、泡盛・・・と、ピスタチオはなんにでも合う。
キッチンにいようが、リビングのソファーにごろんとしてようが、水戸黄門をみながらであろうが、小宮悦子さんの時間であろうが、いつでもどこでも合う。
  ♪やめられない♪とまらない ピスタチオ・・・。
ピスタチオは、健康によいらしい。だって、袋にそう書いてある。「ビタミンEを豊富に含む」。
しかし、ピスタチオはカロリーも高い。「エネルギー(可食部100gあたり)607カロリー」。そうも書いてある。
うーん、ヤバイ。ボクはたいてい一日一袋ぺろっとたべてしまう。一袋約110g。これでは、せっかく成功しかけていたダイエットの成果が、水泡に帰してしまうではないか・・・。まてよ、「可食部」というとあの外側の殻は入らないから大丈夫かな、いやいや、それでも400から500カロリーぐらいか、うーん、やっぱりヤバイ、ヤァーバイ・・・。
実は、ついこのあいだまで、ボクは、ラーメンが止まらなかった。
高田馬場、実家の近くの日吉、神楽坂などで、二日連続、いや三日連続で味比べをするなどという無謀もした。12月に訪れた旭川のラーメン村では、ラーメンのハシゴまでしてしまった。
しかし、おいしいラーメンは、そもそも、おいしいラーメン店まで行かなければ食することができない。だからラーメン止まらない病には、おのずと内在的な限界がある。それと比べると、困ったことに、ピスタチオははるかに手軽に手に入ってしまう。スーパーはもちろん、最近はコンビニでも売っている。
なぜ、ピスタチオが止まらないのか。この話をすると、ボクの周りでも結構、ピスタチオ止まらない病にかかったことのある人が多いことが分かった。
その中のひとり、院生の山崎君は「あの殻を剥くという作業工程にその秘密があるのではないか」という仮説を立てている。指先感覚快感仮説である。
これは結構説得力があるが、ボクはついきのうある対抗仮説を思い付いた。
それは、量的幻覚仮説である。
ボクもそうだが、人はピスタチオを食べるとき、たいてい剥いた殻を別の容器に移し替えない。殻とまだ食べてないピスタチオとが、ひとつの容器の中で混在することになる。すると全体の量はまったく変わっていないように見えるので、人は自分の食べたピスタチオの量を正確に実感できないまま、ついつい食べ過ぎてしまうのではないか。
 ♪やめられない♪とまらない ピスタチオ・・・。
さてみなさんは、どちらの仮説が正しいと思いますか。あるいは別の仮説が思い付きますか。
どちらにせよ、仮説を証明しようとするあまり、ピスタチオ止まらない病にかからないように、くれぐれもご注意くださいね。

2009年07月29日

ランチタイムのミニサラダ

昼時にレストランに入ると、「今日のスペシャル」とか、「今日のサービスランチ」というのがどこにでもある。そうしたメニューは、安いところでは650円ぐらい、高くても1000円ぐらいが相場で、だいたい「ミニサラダ、ドリンク付き」ということになっている。昔ながらの洋食屋さんだとメインは揚げ物でそれにライスかパン、今風のカフェだとメインはパスタやサンドイッチで、それらのほかにミニサラダと、食後のコーヒーか紅茶がつく、ということになっているのである。
しかし、ボクは、このランチのミニサラダ、あまり好きではない。
まず第一に、ランチに出てくるミニサラダは、本当に文字通りミニチュアの、まったく食べた気がしない程度の量しかでてこない。ボクぐらいの歳になると、サラダというのは、普段からの野菜摂取不足を補うために、モリモリ、ザクザク食べたい。そう、サラダとは、いろいろな種類の野菜が大盛りに盛られていて、それを食べたら「あ、オレ、今日は健康になったかも」という幻想にかられるようなものでなければならない。しかし、である。ランチのミニサラダは、こうしたサラダの概念からは外れている。それはいつもちっぽけな透明のボールにでてくる。しかも、たいていはレタスかサラダ菜だけ。たまに玉ねぎのスライスが1-2枚、あるいはプチトマトがひとつ、あるいは缶詰コーンが8-9個、上にのっかっているときもあるが、それはラッキーな方で、基本的にはランチタイムのミニサラダは数枚の葉っぱでしかない。あのねえ、こういうの、サラダっていわないんだってば。「ミニサラダ、ドリンク付き」なんて宣伝するの、誇大広告だってば。
第二に、ランチタイムのミニサラダには、ドレッシングがあらかじめかかっているのが多い。それも、たいていかけすぎぐらいにかかっている。これがまたボクは気に入らない。その日、ボクはサラダをドレッシングなしで食べたいと思っているかもしれないじゃないですか。じゃぶじゃぶのフレンチじゃなくて、ゆずゴマドレッシングをほんのちょっとたらして食べたいと思っているかもしれないじゃないですか。いや、そんなことないですよ、ちゃんと「ドレッシングは何になさいますか」と訊くレストランだってありますよ、とあなたは反論するかもしれない。うん、たしかに、ところによってはドレッシングに選択肢が与えられる場合もないわけではない。しかしだね、キミ、そもそも、葉っぱしか入っていないサラダごときに、「ドレッシングは何になさいますか」もなにも、ないんじゃないの。ドレッシングを選べるぐらいなら、もっと中味の方を充実させる方がよっぽど先決なんじゃないの。
第三に、ランチタイムのミニサラダは、もうかれこれ数時間も前に作られ冷蔵庫の中にいれておかれたものが出されている、という感じがしてならない。たしかに、ランチ時、お客さんでごった返しているときに、サラダをいちいちつくって出すわけにはいかない。だから、流行っている店であればあるほど、ミニサラダはずっと前に作りおきされていたものである可能性が高い。しかしだね、アンタ、2時間も前に切った野菜、いや葉っぱ、がみずみずしいわけがないでしょうが。だからって、ドレッシングをじゃぶじゃぶぶっかけてごまかそうなんて、見え透いてるってもんでしょうが。
あ、そうそう、名誉のために言っておきますが、ボクがよくいく「高田牧舎」では、「ミニサラダ」というメニューが別にあり、葉っぱだけではないサラダを注文することができます。残念ながら、ドレッシングは選べないけどね。

2009年06月21日

ソフトクリームの世代論

はじめてソフトクリームを食べたのは、まだ小学生の時であった。
今でもよく覚えているが、ある日突然、ボクの住んでいた日吉(東急東横線沿い)の駅を降り立ったすぐ目の前に、ソフトクリームを売る店が登場した。いまちょうど文明堂の売店があるあたりである。ボクをはじめとして、当時遊び盛りの日吉のガキンチョたちは、「なんだ、なんだ」という感じで、最初遠巻きに、その店を眺めていた。そのうち、大人たちがおいしそうに、そこでソフトクリームを買って食べているのをみて、食べたくなった。それで、親にねだって買ってもらった。それが最初であった。
たしか、当初その店で売っていたソフトクリームの種類は、バニラしかなかった。そのあと、チョコレートとバニラのミックスが出て、それから薄ピンク色のストロベリーも出た(と記憶している)。ボクのお気に入りは、なんといってもチョコレートとバニラのミックスであった。
ソフトクリームは、当時の日本では贅沢品であった。その当時ボクらガキンチョがふつう食べていたのは、定価30円とか50円とかの、カップに入ったアイスクリームであった。お小遣いが少ない時は、定価10円とかのアイスキャンディーで我慢した。
しかし、ソフトクリームは、当時150円とか、桁外れの値段がした。だから、もちろんそう頻繁には食べられない。ソフトクリームを食べるのは、なにか特別なときだったのである。
ソフトクリームはすぐにとけてしまうので、そのまま立って食べたり、歩きながら食べたりしなければならない。ところが、当時ソフトクリームはまだ身近な商品ではなかったので、大人たちの食べ方は、みなどことなくぎこちなかった。実際、ボクの父親などは、立ってそのまま食べるのは「はしたない」ということで、挑戦しようともしなかった。しかし、ボクらガキンチョはそんなのは平気なやんちゃ少年少女で、みな、あんぐりと口をあけ、ぺろぺろと舌を出し、くるくるとコーンを回しながら食べた。
考えてみれば、ボクの父親の世代は、彼らが子供の時にソフトクリームを食べたことがないので、一生ソフトクリームの食べ方がぎこちないままで終わった世代であった。そこへいくと、ボクらの世代は、日本でソフトクリームの食べ方を子供の時に身につけた、最初の世代である。ソフトクリームを食べることに関しては、パイオニア、ないし草分け的存在なのである。
ボクは、いまでも週一回、ソフトクリームを食べることにしている。それは、毎週土曜日、テニスへ行く前に、エネルギー補給と称して、食べるのである。
テニスコートの近くのフードコートで買って、そのまま食べながらコートまで歩いていく。自分のような中年のオヤジでも、ソフトクリームを食べて歩いていると、子供の時のあのやんちゃな気分に戻ることができる。だから、まわりを歩いている同世代の人たちに対してこれみよがしに、「ほらほら、オレ、まだこんなにやんちゃなんだぜ、若いんだぜ」と、いうシグナルを送りながら歩く。ソフトクリームを食べて歩いていると、ボクよりもはるかに若い人からも、羨望の視線を浴びる。一番うれしいのは、こっちを見た子供たちが「あ、ボクもたべたーい」と親にねだっている声が、どこからかきこえてくるときである。

2009年04月09日

蕎麦屋で飲む

最近、蕎麦屋で飲むことにはまっている。
蕎麦屋は、店を閉めるのが早い。8時半とか9時がラストオーダーというのが一般的である。
だから、蕎麦屋で飲むときは、早くから飲み始めなければいけない。
4時半とか、5時とか。
「なぁにぃ?平日の4時半とか5時とかから、フツウの人間が飲めるわけないだろっ!」
・・・しかしですね、どういうわけだか、この世の中には、そのくらいから蕎麦屋で一杯やっている人たちがいるんですね。ウソだと思うなら、東海林さだおさんのエッセーを読んでごらんなさい。それで、神田まつやへいってごらんなさい。
ボクも、まさかと思ったけれども、もうかれこれ10年ほど前、日本へ帰って来てすぐ、神田まつやへ初めて行ってみたのでした。そしたら、本当にいるじゃあないですか、そういう粋な人たちが。ちびりちびり、飲んでいるじゃないですか。
・・・というわけで、ボクも蕎麦屋の名店で飲むということをやってみたい、といつしか思うようになったのであります。で、今年、サバティカルなので、ボクはそれを実行しているのであります。なんか自分がすごく大人になった気がするのであります。ま、自己満足に浸っているのであります。
蕎麦屋で飲むときは、ひとりで飲むことが多い。
「あったりめいだろっ、マットウな人間は4時半とか5時は、まだ会社で働いてるんだってば!」
うん、たしかに。
しかも、ですね、蕎麦屋で出てくる小料理は、ひとりで食べるようにできているものが多いんですね。たとえば板わさ。かまぼこの方はまだいいけれど、ワサビ漬は一度箸をつけてしまうと、なかなか「はいどうぞ」と分割できるような代物ではない。蕎麦掻も海苔の佃煮も同じ。焼き海苔だってそうである。カノジョさんと来て、「じゃ半分こしようか、アーン」などとちぎっていては、せっかくの「粋」の雰囲気が台無しになってしまう。
そう、だから蕎麦屋では、ひとりで飲むことが基本なのであります。
ボクのお気に入りは、関内の「利休庵」。うなぎの「わかな」といい、天ぷらの「天吉」といい、こう考えると、関内には本当にいいお店がいっぱいあるなあ。
さて、利休庵は、入り口が戸を横に引いて開けるようになっている。「自動ではありません」と張り紙してあるところが、飾り気がなくてよい。で、入っていくと、女将さん(と思しきひと)が「いらっしゃい」と声を掛ける。相席にさせることもあるが、ボクは早くいくので、たいていひとりで座らせてくれる。
ここは、なにを食べても本当においしい。蛍烏賊と鯵の味醂干し。うるめ鰯。卵焼き。上新香。天ぷらの盛り合わせ、などなど。
つい先日も、行ってまいりました。イナゴの佃煮、小カブのサラダ、板わさでつい飲みすぎ。それでも、せいろで締めくくることに。蕎麦湯が南部の鉄瓶で出てくるところも、とってもよい。

2009年02月10日

リゾットの顛末

この前から、リゾットを作りたいとずっと思っていた。どういうわけか、冷蔵庫に使いかけの粉チーズが3本も並んでおり、そのうち1本ぐらいは使い切らなきゃ、とずっと気になっていたというのが主な理由である。あと、フェアジョン先生に、つくり方のコツを教えてもらったというのもある。結構強火でかき混ぜない、というのがアドバイスであった。
リゾットを作るためには、綿密な計画と下準備を必要とする。
ボクの場合、リゾット作りの全行程は、一日目と二日目との二部に分かれる。
一日目。ボクはリゾットをチキンスープで作るので、まずはそのチキンスープを用意しなければならない。大きな鍋に水を入れ、鶏のモモ肉とガーリックを丸ごと全部薄く刻んだのを放りこんで、月桂樹の葉っぱと塩コショウで味付けして、コトコトとやりだす。しかし、リゾットに使うのは、このうちの4分の1ぐらいである。なので、煮立ったところで、そのぐらいの分量を他の容器に移す。もちろん鍋に残っている鶏肉がもったいないので、そこに長ネギ、ニンジン、椎茸、をいれ、時間を見計らってジャガイモを入れて、ネギが柔らかくなるまで待つ。一日目は、そのスープと具を食べる。そう、だからリゾット作りの一日目は、実はリゾットにはありつけないのである。しかし、これは計画通り。おいしいリゾットを食するのは、次の日のお楽しみ、というわけである。
二日目。ようやくリゾット作りに入る。別容器に移しておいたチキンスープを冷蔵庫から取り出す。もし脂肪が浮いているのが気になれば、それを取り除いてもよい。おー、順調、順調、これで今日は美味しいリゾットが作れるぞ、とわくわくしてくる。次に、玉ねぎを細かく切る。そして鶏のササミ。これも小さめに切る。どちらもあまり量が多くてはいけない。さて、ここにガーリックを細かく刻んでフライパンで炒めて、コメを入れて、スープを足していけば、出来上がりなはず・・・、おー、やったね、もうすぐもうすぐ・・・。
・・・と、そこまではすべてが計画通りに進んでいる感じであった。
ところが、ですね、そこに思いがけない落とし穴が待っていたのでありました。
歯車が一個、かみ合わなかった、というか、足りなかった、のであります。
それは何かといえば、ガーリック。
ボクは、なんとガーリックをまるごと全部、きのうのスープを作る段階で使い果たしていたことに、その時点で気づいたのであります。
あちゃー、もう遅いじゃんか。玉ねぎとササミ、切っちゃったじゃんか。フライパンにはオリーブオイルを引いちゃってあるし・・・。あーあ、どうするんだよ、ガーリックが入っていないリゾットなんて、ありえないぞ。あたふた、あたふた・・・。
しかし、ここでボクは、はたと、とってもいいアイディアを思いつく
ガーリックの代わりに、カレーパウダーを入れるっていうのは、どうだ、と。
うん、そうだ、カレー味なら強烈なので、誰も(←といったって、食べるひとはボクしかいないのであるが)ガーリックが入っていないことを気にしないはずである。
で、これが大正解で、とっても美味しいカレー味リゾットができあがった。
というわけで、うーん、やっぱりオレは天才だな、料理ってのはこうして臨機応変にできなきゃいけない、などと食べている最中は悦に入りながら、すべてをきれいに平らげたのでありました。
・・・と、その自己満足からさめたころ、別のことに気づいてしまった。
カレー味のせいで、ガーリックの不在が気にならなかったばかりでなく、その夜結局ボクは粉チーズをまったく消費していなかったのであった。

2009年02月08日

旅の衣はダウンジャケット

2月の末が締め切りの原稿を抱えている。
実は、2つも抱えている。
まったくはかどらないので、いろいろ気分転換をしてみた。
まずは、歌舞伎座へ。お目当ての出し物は、吉右衛門の勧進帳であった。
前半、活気あふれるというよりは、落ち着いた弁慶がたんたんと演じられていた。
が、ひとつの見せ場である、巻物の中味を覗かれそうになりさっと身をかわすところで、静が動に切り替わる。そしたら、「播磨屋ア」と一声、自分でも思いがけず出てしまった。隣に座っていた方(中年の女性)は、一瞬席から飛び上がるほど、驚いていた。ごめんなさい。
菊五郎の富樫が凛々しくて、よかった。涙を振り払うかのようにさっと上を向き、引き下がる場面。ま、一度驚かしちゃったから、まいっか、という感じで、ここでまた、「音羽屋ア」とかけた。いや、ホント、声をかけたくなるくらい、情がこもって素晴らしかったです。
次の日。京都へ。
旅の~ 衣は~ すずかけの~~、ではなく、ブルーのダウンジャケット。
まったく普段着のまま、下着と靴下の替えと、パソコンだけをもっていった。
京都でのお目当ては、前回フェアジョン先生と行ったレストランOgawa。ホテルのコンシェルジェに「また来ました。いちばん遅い時間に、カウンター席を予約してください」と頼んだら、その場で電話してくれて、8時半に来てくださいということだった。
それで、それまで、じっくり原稿と格闘する時間ができた。
うん、格闘したけど、仕上がったわけではないです。
うん、まったく・・・。
さて、時間通り、8時半にレストランを訪れると、シェフ自らお出迎えしてくれた。挨拶を交わし、おまかせで9品のディナーを頼みました。牡蠣、河豚のお刺身、シラス(宍道湖産)のから揚げ、イベリコ豚のサラダ、などなど。最後は、鴨肉。長ネギがのって、ソースはバルサミコと(京都の)赤味噌を混ぜたソースでした。どれもが本当に絶品ばかり。ああ、来てよかった。もう感動しまくりでした。
若いお弟子さんたちが、ボクのことを覚えていてくれたのもとても嬉しかった。一人客なので、シェフがボクの相手をできないときは、そのお弟子さんたちが入れ替わり、会話を途切れさせないようにしてくれた。この辺、すごく教育が行き届いているなあ、と感心した。
一泊して、すぐ東京に帰って、その夜は、毎週恒例のテニスに参加。
相変わらず、自分から下手な仕掛けをしてペースを崩すという悪い癖がでて、コーチのO君は苦い顔をしていた。しかし、それでもダブルスで、M君夫妻に6-4で勝った。ちょっと嬉しかった。
・・・というように、論文を書くため、いろいろジタバタしてみた。
うん、ジタバタしたけど、仕上がったわけではないです。
うん、まったく・・・。

2008年12月27日

ハヤシライスが食べられなかった話

横浜にある、有名な洋食屋さんにいった。
その名は梅香亭。横浜スタジアムのすぐそばにある。レトロの中のレトロ、というお店。その雰囲気にふれるだけでも、行く価値があると思う。なにせ創業は大正時代である。
ストーブが真ん中にドテッとおいてある。椅子や長椅子には、アイロンがぴんとかかった真っ白な布がかけてある。電話のベルも、あの「ジリリーン」という、レトロな響きがする。
ランチ時をさけて、1時半ごろに行ったのだが、ボクのお目当てはハヤシライスであった。ボリュームがあって、コクがあって、そしてアツアツで出てくる。
ところが、ですね、その日、どうもボクには運がなかったようです。
フロアーを仕切る方が、メニューを持ってきて、律儀に説明する。
「いまはカレーはやっておりません。それから、ハヤシは、おそらく、先ほどのお客様でおわってしまいました。」
?「おそらく」?
しかし、「おそらく」であろうとなんであろうと、「おわってしまった」といわれたものを注文するわけにはいかない。ボクは方針転換を強いられて、メニューをじっくり眺めることになった。
そこに、やってきたのは近くで働く(と思しき)サラリーマン。常連らしく、席につくなり「ハヤシライス」と頼んでいる。そしたら、その律儀なフロアーさん、「あの、もしかするとハヤシは先ほどのお客様でおわってしまったかもしれないので、いま聞いてきます」といって、キッチンに入っていった。ところが、出てくるなり「あの、もう一皿できるそうです」と、ニコニコしながらその客に報告している。
オイオイ、それはボクのハヤシライスでしょうが・・・。
ボク、わざわざ15分も歩いてここまで来て、ハヤシライスを食べようとしたのに・・・。
ボクは、一瞬、ボクもハヤシを食べたかったんだけどな、とボソッと言おうかと思った。でも、そう言ったところで、その客とフロアーさんを困らせるだけだし、と思い返し、メニューをさらにじっくりと検討して、結局エビフライを注文することにした。
狭い店なので、そのとき中にいた周りのお客さんたちは、だれもが起こったことの一部始終を見届けていた。だから、もしボクが、自分もハヤシを食べたかったのになどと言っていたら、ボクには「ハヤシが食べたかったのに、食べられなかった人」というレッテルが貼られてしまうはずであった。いや、もしかすると、みんなは、ボクをバツの悪いヤツとして笑いもの扱いするかもしれない・・・。
だから、ボクは、わざと平然を装い、「ハヤシなんて、別に食べたかったわけじゃないからね」というような顔をして、エビフライを頼んだのである。
さて、ボクがエビフライを食べ始めると、そこにもう一人、今度は若い女性のお客さんが入ってきた。この方も常連らしく、入ってくるなり「ハヤシライス」と注文している。
そしたら、再びその律儀さんは、「あの、もしかするとハヤシは先ほどのお客様でおわってしまったかもしれないので、いま聞いてきます」といって、キッチンに入っていった。
そして、彼がまた嬉しそうにいったのである。
「あのもう一皿、できるそうです、これが最後です。」

2008年11月29日

サンフランシスコ再訪2008

ボクの大好きな街サンフランシスコを、また訪れることができた。今回は、結構めんどくさい仕事のための出張で、のんびりというわけには行かなかったが、それでも時間の許す限りお気に入りの場所を再訪した。
まずは、ノースビーチ。うん、なにはともあれノースビーチ。いいねえ、やっぱり、このイタリア人街。そうそう、このブログで紹介したのはもう何年も前になるが、ボクが大好きなチーズケーキの店の名前を間違えて覚えていたことに今回気づきました。正しくはカフェ・グレコ(Greco)で、前に書いたプッチーニはそのお隣さんだった。ま、ボクのブログを読んでお店を訪ねたという人はいないと思うけど、万が一そんなことがあったらごめんなさい。
で、カフェ・グレコのレアチーズケーキは、相変わらず素晴らしかった。短い滞在だったのに、計3回も行ってしまった。店の人にはチョコレートチーズケーキもすすめられたが、毎回やっぱりレアの方にした。またしばらく来れなくなるのかと思うと、本当に悲しくなって、最後は小さく小さく切って、名残りを惜しむかのように食べた。
続いて、コロンブス通りのピザ店Osteria。ここも、実は、2回も行った。イタリアンソーセージのピザが、もう圧倒的にうまい。2回目のときは、デザートはいいのか、とオーナーが聞いてきた。いや、これからカフェ・グレコに行ってチーズケーキを食べなければならない、といったら、それは残念だ、ウチのティラミスは最高だぞ、という。どうしようかなと迷っていると、まずいと思ったら金をとらないからどうだ、といわれたので、そこまでいうならと挑戦してみた。そしたら、これも本当によかった。ラムだかブランデーだかがよくクラストに染みていて、チーズクリームがフワフワ。でも、グレコのチーズケーキもその後やっぱり食べることにしていたので、なんだか浮気をしている気分だ、といったら、オーナーが笑っていた。
次は、例の一期一会の店、サウサリートのAngelino。車を借りるつもりがなかったので、当初は行けないなとあきらめていた。ところが、今回お目にかかる必要のあったUCデーヴィスのモンティノーラ先生が、どうせなら車をだすから、あなたの好きなレストランに行きましょうといってくれた。それで、おそるおそるサウサリートなんだけどいいかと聞いたら、快諾してくれた。彼女の友人たちも交えた、にぎやかな楽しい夕食会になった。テーブルに着くなり、ボクはマッシュルームトマトソースのかかったラヴィオリがメニューにあるかどうか確かめた。そしたら、残念なことに、ない。ウェイターにきいたら、ラヴィオリではないが、同じソースで、リコッタとほうれん草をつめたカナロニが今日のスペシャルだ、というので、ボクは迷わずそれにした。そしたら、あとの5人のうち3人までがボクと同じものを注文することになった。期待にたがわずおいしく、みんな納得して食べてくれた。紹介したボクは、鼻高々だった。あと、ここでは今回も一期一会を経験してしまった。それは、前菜として注文したカラマリ。これも、もう絶品でした。ああ、また食べたい・・・ああ、いま思い出すだけでも、口の中に唾液が溜まってくる、ああ・・・。
日本に帰る前の日は、雨だったけど、どうしてもまた歩きたかったので、Crissy Fieldに行った。ゴールデンゲート橋やアルカトラズ、野生の鳥、ジョギングする人々、そして沢山の犬たち。おかげさまで、素敵な想い出がまたひとつできました。ありがとうございました。

2008年11月28日

大先生たちとRedwood Cityでメキシカンを立ち食いする

スタンフォード大学のフーバー研究所でセミナーをやらせていただいた。名誉なことで、しかも久しぶりの英語のプレゼンだったので、かなり緊張した。前日はホテルに缶詰状態で英語のパワポ作り。昼も夜もルームサービスで食事を済ませ、気がついたら12時間以上かかった。日本にいた共同研究者の荒井君は、彼からすれば「なにをいまさら」「そんなこともわかんないんですか」というようななりふり構わないボクからの問い合わせメールの殺到に、閉口した様子であった。それでも辛抱強くひとつひとつ教えてくれて、助かった。
セミナーの当日、聴衆は少なかったが、フェアジョン先生とワインゲスト先生が目の前に並んでどてんと座っておられて、正直ビビった。彼らは頭の回転が異常に速い。考えがいつもわれわれ普通の人の2歩か3歩先を行っている。こちらも緩急をつけたevasive maneuverをいろいろ用意したつもりだったのだが、それでもやっぱりいろいろなところでシッポをつかまれてしまった。もちろん、とてもためになるコメントも頂きました、ありがとうございました。
さて、セミナーのあとランチへ連れて行ってくれるということになっていたので、ボクはてっきり大学のファカルティークラブにでも行くのかと思ったら、メキシカンに行こうということになった。フェアジョン先生が運転してくれて、同乗者はボクとワインゲスト先生と共通の友人の4人。知っている人は知っているが、フェアジョン先生はフットワークがとても軽く、特に食に関してはおいしいものなら時間をかけてでもどこへでも追いかけて行く。今回も、スタンフォード周辺のメキシカン料理店は眼中になく、はじめからレッドウッドシティーまで足を伸ばすつもりでいた。
レッドウッドシティーは、スタンフォードから車で20分ぐらいの、メキシコ系の人々が多くすんでいる町である。エルカミーノ街道をはさんで西側にはアサトンという高級住宅街が広がっているが、東側には庶民的で安い店がいっぱいならんでいる。その中でも、われわれが目指したのは、トラック(つまり屋台)の店。先生は、運転しながら「今日はいるかな・・・いるとしたら、あそこが一番おいしいんだがな・・・」とつぶやいている。ボクは、よくもまあそういうB級、いやC級グルメ店までおさえているな、と感心していた。
で、ありました、ありました、その店。なんと廃業したガソリンスタンドの敷地にトラックを引き込んで、商売をしている。手作りの小さめのトーティアが、先生のお気に入りの理由である。そして、牛タンとか内臓とか、これまでボクが食べてきたメキシコ料理店ではお目にかかれないtacosメニューが取り揃っている。ボクは先生と同じものを4つ注文した。座るところはなく、みんなで立ち食い。先生が全部払ってくれたのだが、飲み物4本を含めても、20ドルもしない。「これならフーバーに付けるまでもないか」、「いや、付けようと思ったって領収書をもらってないぞ」、「どうだ、マサル、すごい歓待だろう、アハハハ」などと、会話が楽しく続いた。
その帰り道、フェアジョン先生はワインを買いたいと、どうやら行きつけらしい専門店に立ち寄った。そうしたら、そこで、フェアジョン先生もワインゲスト先生も、感謝祭が近いということもあって、それぞれ何百ドルというほどのワインとシャンパンを買い込んでいった。この大胆な買い物の仕方も、とても印象的だった。
高かろうが安かろうが、屋台だろうが専門店だろうが、おいしいもの、よいものにとことんこだわりをもつこの大先生ふたりの姿は、セミナーでの彼らの鋭いコメントと同じぐらい、ボクにとって刺激となった。

2008年11月21日

ピザの想い出

日本ではじめてピザを食べたのは、高校生のとき、渋谷の公園通りにあったシェーキーズだった。だいたい当時の日本には、シェーキーズぐらいしか、ピザの専門店がなかった。どこの学校も文化祭シーズンで、その休みを利用し、ある女の子とどちらも制服のまま店に入っていった。長テーブルに赤と白のテーブルクロス(といっても紙)が引かれていたのが印象的だった。その「デート」で気に入って、シェーキーズはそれから何度か利用した。たしかその頃は、お昼に行くとピザが食べ放題。焼きたてのピザがカウンターに出てくるとはそれを取りにいってガツガツと食べた。横にガーリック味のポテトもおいてあった。
アメリカにはじめて留学したときには、ホストファミリーの弟と教会の帰りに、ピンボールマシンのおいてあるピザ店へよく行った。そこは、教会のユースグループのたまり場になっていて、必ずみんなペッパローニを注文した。そして、ペッパローニをかじりながら、ピンボールの腕を競っていた。でも今思うと、そこのピザはおいしくはなかった。
ピザの良し悪しがわかるようになったのは、スタンフォードに行ってからである。まだ着いて間もない頃、先輩たちが新入生歓迎の集まりをOasisというスポーツバーのようなところで開いてくれた。実はピザの専門店ではなくハンバーガーが旨いということで知られていたらしいが、そこで出てきた焼き立てのピザを食べたとき、ボクは自分の中でのピザの概念が変ってしまった。薄いクラストの上にチーズがふんだんにのっていて、それまで食べてきたピザとはまったく次元の異なるピザであった。そこ以外にも、スタンフォードのキャンパスの周りには、旨いピザの店がたくさんあって、しかもいろいろ個性のあるピザを楽しむことができた。
スタンフォードでは、友人たちと集まって宅配ピザもよく取った。ただ意地でも注文しなかったのは、今や日本でもチェーンを展開しているドミノであった。当時の噂では、ドミノのオーナーが中絶反対のキャンペーンに巨大な寄付をした、ということだった。女性が中絶する権利をもつのは当たり前だとボクも思っていたので、そういうことならとボイコットに加わった。ボクの大好きなコメディーSeinfeldに、ドミノとは名指ししていないが、あるピザのチェーン店が中絶反対派であることをたっぷり皮肉ったエピソードがある。面白いので、よかったら見てください。
さて、2年ほど前には、全米でも有名なあるピザ店を訪れることができた。イェール大学でシンポジウムを行ったとき、日本からお招きした慶応の阿川尚之先生と京都の待鳥聡史先生たちが、(主催者のひとりであった)ボクを慰労するという名目で、ある有名なピザ店に連れて行ってくれたのである。そこはクリントン元大統領も気に入っている店というだけあって、さすがにおいしかった。
最近、バンクーバーでピザを食べるときは、だいたいいつもブロードウェイのNat’sである。ニューヨークのイタリア人街をイメージした小さな店で、通りがかりにスライスを一枚買っていく人もいれば、小さな子供を連れた家族がディナーを楽しんでいることもある。ここでは、なんといっても、the 5th Avenueという、ほうれん草、オニオン、トマトとたくさんフェタチーズがのっているピザが最高においしい。この命名がこの店独特のメニューなのか、それとも「フィフスアヴェニュー」といえば、どこのピザ店でも通じるものなのか、ボクはいまだに知らない。いずれにしても、同じようなピザを、日本ではまだ見たことがない。
海外でしか食べられないおいしいものが残っているということは、われわれに人生を豊かにしてくれる貴重な経験を与えてくれる。それはまた、俗にいうグローバル化なる現象がいかに表層的なものであるかをよく物語っている。

2008年03月12日

大井町の意外と一興

ボクにとって、大井町はいつも「通過駅」であった。
京浜東北線から大井町線に乗り換えるときに使う駅。ただ、それだけの駅。
降りたこともないし、当然どんな店があるのかも知らない。
ところが、友人でボクのテニスのコーチであるO君は、「先生、大井町いいっすよ、なかなか。捨てたもんじゃないっすよ」という。彼は、長らく仕事場が大井町の近くだったので、美味しいところをいろいろ知っている、というのである。
というわけで、行ってきました、大井町。
場所は、とある焼き鳥店さん。面子は、O君はじめ、テニス関係者4名。
まず頼んだのが、マグロのぶつ切り。みたところ、なんの変哲もない、ちょっと普通すぎるくらい普通の赤身のマグロなのに、脂の乗り方が完璧でした。
「ホントだ、いいねえ。美味い、美味い」と褒める。
ついで、出てきたのが、キャベツ。これも、なんの変哲もないキャベツ。ザルの上に、どかどかとチギッてあって、ごま油と塩がかけてあるだけ。ところが、それがいける。
「ほう、なかなか」などといいながら、バリバリ食べてる。
それから、お任せで何本か頼む。手羽先、モツ、ハラミなどがでてきた。お好みでワサビをつけて食べる。「なるほどなるほど・・・結構いけるね・・・うん、なかなか・・・」。つべこべ言いながら、もうすっかりこの店のファンになっている。
そして、O君が「ミンピー」なるものを注文する。
ミンピー?
ミンチのミンに、ピーマンのピー。つくねをほぐし、それを半分に切ったピーマンで巻いて食べるのである。ピーマンには、軽く塩が振ってある。
これが最高に美味かった!
「うまい!これ、うまい!」を連発。
いや、本当に大井町は捨てたもんではない。
雰囲気も、一興であった。
その店では、常連と思しき客が、カウンターでひとりずっと飲んでいた。
どうみても、あんまり肝っ玉の大きそうな男ではない。後から入ってきたもう一人のシングル客に、なにかご馳走して、自己完結的に喜んでいた。
そしてこの男、一生懸命、外国人と思しき店員さんを口説いていたのである。
しかし、その口説き方が、なんとも中途半端であった。「・・・・ナントカカントカナントカ・・・(君)ほんと、可愛いよね。じゃ、今度、ボクとデートしようか」。
あのねぇ、「じゃ」じゃないでしょ。「デートしようか」じゃなくて、「デートして下さい」でしょ。
なんで正直に、堂々といえないんだよ。はずかしいのかよ、その歳にもなって。
で、帰るとき、その客は、女から「じゃ、また明日ね」と声をかけられていた。
そうか、この情景はここで毎晩起こっているんだ。そう思うと、情が通っていて、微笑ましく思えてくるのであった。

2008年03月11日

レトロな食堂を定義する

ボクはレトロな食堂が大好きである。
レトロな食堂では、「ミックスフライ定食」とか「ハヤシライス」などを食べたい。
そう、レトロな食堂には、ミックスフライとハヤシライスがなければならない。
これがレトロな食堂を定義する上での、ボクの大前提である。
で、ミックスフライがあるということは、牡蠣フライもあるし、海老フライもあるし、鯵のフライもあるし・・・ということでなければならない(←これは単純な演繹的推論である)。ま、要するにフライ系はすべてカバーしている、ということでなければならない(これをレンマ=補助命題としておく)。
それから、ハヤシライスがあるということは、カレーライスも作っているということでなければならない(←これは演繹というよりは、アナロジー=類推だな)。
いずれにせよ、ということは、当然(上の「全フライカバー」命題と併せると)、レトロな食堂にはカツカレーもある、という結論が論理的に導けることになる。
                           ・・・・QED(←??)
・・・というわけで、ずっと前から一度入ってみたかった横浜の「セントラルグリル」に行ってきました。
場所は、本町通りと日本大通りの角。「ええっ、こんなところに?」という大きな交差点に、堂々と、このレトロな食堂はある。
入ってみると、フライ系だけではなく、サバ味噌煮定食とか金目煮付け定食とかもメニューに載っている。ゆで卵と納豆は、単品で注文できるらしい。うーん、これにはちょっと迷った。どうしようかな、フライ系高カロリー路線をやめて、こうした小物を従えての煮魚系に大胆に路線変更するかなとあたふたしましたが、ここは初志貫徹と思い返し、ヒレカツカレーを食べることに。そしたら、キャベツがチョコッと付いて、味噌汁まで付いてきました。そう、だから、正確には、ボクが食べたのは、ヒレカツカレー定食なのでした。美味しかった・・・。
ボクにいわせると、世の中には「レトロ風の食堂」はたくさんあるが、本当に「レトロな食堂」はそれらからきちんと区別されなければならない。本当にレトロな食堂というのは、食器や調度品の古さだけで決まるのではない。そこで働いている人たちも「レトロ」に徹してなければならない。だから、若いシェフやウェイトレスだけがやっているレトロな食堂というのは、ボクの定義上ない。レトロな食堂で働く人たちは、カッポウ着を身につけているとか三角巾のようなものを頭にかぶっているとか、あるいはかけているメガネが昭和の時代に流行したスタイルであるとか、どこかしら存在からしてレトロ性をかもし出している人々でなければならない。
もうひとつ、レトロな食堂というのは、(このセントラルグリルがそうであるように)「こんなところに」というような意外な場所になければならない。そして、それはそこにずーっとそのままの形で存在していたのでなければならない。オシャレな六本木や西麻布などに、レトロ風を売りにして新たに改装した店というのは、本当にレトロな店だとはいえない。
レトロな店は、年輪を感じさせる。それは、いろいろな人や事件に出会い、さまざまな経験をつんできた人間がそうであるのとまったく同じ理由で、とっても魅力的である。

2008年02月14日

バイキングという食事形式

「バイキング」という食事の形式がある。カッコよくいうと「ビュッフェ」スタイル。ぶっちゃけていうと「食べ放題」スタイル。一定の額を払ったら、食べるだけ食べていいですよ、という形式である。
ホテルに泊まると、朝食がこの形式になっていることが多い。日本では、ある程度の規模のホテルだと、たいてい洋食と和食の両方が用意されている。ところが、どちらのメニューもふんだんにバラエティーに富むのならいいのだが、和食も洋食もと欲張るがゆえに、どちらも品薄な場合がある。オイオイ、どっちかに特化すれば、もっと充実するのに、と思うことも多い。
この前、赤坂のプリンスホテルで食事を取る機会があったのだが、そのとき、たまたまケーキのバイキングをやっているところに遭遇してしまった。噂には聞いていたが、本当にケーキバイキングなるものがこの世の中にはあるのである。そして、噂には聞いていたが、本当にケーキを4つも5つも(あるいは6つも7つも)平気で平らげてしまう女性がこの世の中にはいるのである。あたりを見回すと、全員女性。下は女子高生の4人組ぐらいから、上は結構ご年配の3人組まで。みんな楽しそうに、そして満足そうに、次から次へとケーキを平らげていた。
さて、先週、ゼミの卒業旅行に上越国際へスキーに行った。その夕食は中華のバイキングであった。ウェイターさんがやってきて「ソフトドリンク類は無料でついてきます」と軽くご挨拶を終えると、用意ドン、みな一斉に食べ物の方へむかう。ボクはてっきり個人競技だとおもっていたら、学生たちは団体競技のように役割分担をしていた。大根もちを持ってくる人、春巻きを持ってくる人、シュウマイと小龍包を持ってくる人・・・・。なーるほど、大人数だと、そういう手もあるわけだ。
バイキングという形式の食事は、われわれの脳の活動を活性化する。たとえば、ですね、われわれは食事を取りながらも、必ず頭のどこかで、いったいこのレストランは一人当たりどのくらい食べると見越して、価格設定をしているのだろうか、と考えている。そして、自分の食べている量がそれとどのくらい見合っているか、などと比較している。それから、どの品目からどのような順番で食べたら、もっとも効率的か(←つまりよく元が取れるか)を探っている。出ている品々を見渡して、自分の頭の中で一瞬のうちにメニューを組み立て、それにしたがって自分の選ぶ品目の適量をひとつずつ計算している。
バイキングでは、頭だけでなく、気も使う。本当にこんなにいっぱい食べちゃっていいのだろうか、と周りの目が気になる。逆に、となりのテーブルの人たちはどのくらい食べているか、何を食べているか、などというのも気になる。さらに、自分の皿に少し食べ残しがあってもウェイターさんがちゃんと片付けてくれるだろうか、などと心配になる。それから、自分の好きな品目が品薄になっていると、早く追加をもってこいよ、などとイライラしたりする。
正直いうと、ボクはバイキング形式の食事があんまり好きではない。
食事の時ぐらい、頭も使わず、気も使わず、リラックスして食べたいからである。

2008年02月06日

Falling in love with沖縄

同僚の久米先生を中心としたあるプロジェクトが今年で最終年度をむかえ、沖縄の琉球大学にて、仕上がった論文をみんなで発表し合う研究会が開かれた。
というわけで、ボクも沖縄へ行ってきた。沖縄の地に足を踏み入れるのは、これが初めてである。一言でいうと、何から何まで、本当に素晴らしい沖縄初体験となった。
まず着いた日の夜は、国際通りの公設市場まででかけていって、いくつか魚介類を注文しその場でさばいて貰って食べよう、ということになった。お刺身の盛り合わせのほか、グルクンの唐揚げ、伊勢海老の味噌汁などなど。どれも、文句なく新鮮でおいしい。みんな「おなかいっぱい」と腹をさすっているのだが、ボクはどうしてもご飯ものを食べないと気がすまなくて、ボクだけ「ラフティー丼」を追加注文した。これがとろけるようなやわらかさだった。それで「うまい!うまい!」を連発し、みんなから白い視線を浴びてしまった。
泊まった大学の宿泊施設もよかった。安いし、広いし、綺麗だし・・・。朝食サービスはなかったが、ボクは、歩いて10分ほどのところにモスバーガーがあると聞いていたので、次の日の朝そこへ向かった。そしたらですね、そこでですね、ががーん、遭遇してしまいました・・・。(古今亭志ん生風に)「そうだなあ、歳の頃といったら、十七、八ってところだな・・・」、とっても可愛らしい女性の店員さん。この方の笑顔、ホントか・ん・ぺ・きでした。なんというべきか、「混ざりもののない笑顔」とでもいうのだろうか。いやー、マイリマシタ。うーん、沖縄・・・、いいねえ・・・。
さて、研究会が始まった。ホスト役である宗前先生のホスピタリティーも、これまた実に完璧だった。コーヒー、紅茶、さんぴん茶などは当たり前のようにそろっている。そのほか、「これ、絶対美味しいですから」と持ってきたシークワーサージュース。本当にメチャメチャ美味しかった。あとは、長丁場になることを予期して、数々のチョコレートやキャンディーの類。実際、連日8時間ぐらいぶっ通しで会議をしていたので、これらの甘み成分補給には助けられました。
宗前先生の学生さんたちと一緒に話す機会もとても楽しかった。ぜんぜんスレてなくて、人生に直角に向き合い、すがすがしく生きている。礼儀正しいし、ボクら中年オヤジたちの話しを真摯に聞いている。というか、彼らは、本当にボクら(の話)に興味があるのである。それだけ、心がきれいなのである。
とくに、YさんとKさんには、ちょっとだけ沖縄を案内していただき、お世話になった(Yさん、Kさん、ありがとうございました)。前からどうしても訪ねてみたいと思っていた平和祈念公園を地元の若いお二人に案内していただいたことで、いっそう思い出深い経験となった。石碑に刻まれた白い名前の数々、その先の崖、打ち寄せる波、水平線。その光景は、一生忘れることがないと思う。
その後、ランチに「くるくまの森」の中にあるアジアン・カフェへ連れて行ってもらった。ここのチキンカレーは、絶品です。そして、そこでは、日本人に混じって、多くの外国人観光客が、打ち寄せる波と水平線の素晴らしい眺めを、楽しんでいた。なんとも穏やかな空気が流れていた。

2007年09月05日

神話とジェラート

世の中には、自分がそう信じていたいがために、あえて真実をつきつめて明らかにしたくないような神話がたくさんある。それは、子供がサンタクロースを信じ続けるのと同じ論理である。サンタクロースがいると信じていた方が、いるわけないと冷静に考えるより、子供にとって圧倒的に得だし、家族全体も和やかになる。それゆえ、サンタクロース神話は、科学がいかに進歩しようとも、未来永劫ずっと引き継がれていくわけである。
ボクの場合、そのように信じている他愛もない神話としては、食に関するものが多い。
「酒は百薬の長である」(←これは神話ではなく諺だな)。
「赤ワインを毎日すこしずつ飲むと癌になる確率が下がる」(←これは神話でないという有力説あり)。
「エビスの黒ビールは健康によい」(←これはあんまり聴かないが、エビスってところがもう完璧な神話になっている)
・・・などなど。
なーんだ「食に関する」じゃなくて「酒に関する」じゃないか、という野次が飛んできそうであるが、ま、こういう神話を信じて中年オヤジは頑張っているものなのである。
さて、この夏をすごしたバンクーバーで、ボクがずっと信じ続けた神話がひとつありました。それは「ジェラートはアイスクリームよりも低カロリーである」というもの。夕食のあと、ほとんど毎日のように、ジェラートを食べに行ったので、もうこの神話がなかったら、ヤバイのなんの。一番小さなカップに1スクープしか注文しないのだが、それでも「大丈夫、低カロリーなんだから」と、自分に言いきかせていたのでした。
なぜそんなに毎日通ったかというと、ジェラートを食べるというのが、ボクにとっては夏のお決まりの光景になっているからである。お気に入りは、KerrisdaleにあるVivo Gelatoという店。ここには夏休みだけのアルバイトといった高校生ぐらいの店員さんがふたりいて、慣れない手つきで働いている。その様子がなんともういういしくて、とってもよい。そして、いつも家族連れ(たいていお父さんが短パンを履き、お母さんはノースリーブ)で適度に込んでいて、ちっちゃな子供たちがわいわいキャーキャーとにぎやかにしている。これらが、ボクにとってはほのぼのする光景として、目に焼きついているのである。
ところで、本当にジェラートはアイスクリームより低カロリーなのだろうか。
あはは、ジェラートっていうのはアイスクリームのイタリア語なの、だからそんなわけないでしょ、などという嘲笑(←なぜか女言葉)が聞こえてくるような気もするが、本当かな、とおもって、グーグルってみました。そしたら、ですね、なんと、ですね、日本には「日本ジェラート協会」なるものがあるんですね。で、そこには、ボクのような無知の人のために、「ジェラートとは」と説明書きがながながと書いてあるのであります。
「ほとんどのジェラートが乳脂肪5%前後で低カロリー、100g当りのカロリー量も120カロリーでショートケーキの340カロリー、食パンの260カロリーと比較して圧倒的に少なく、栄養価の高い健康食品です」
やったね。どうだ。ざまあみろ(←?)。
ただ、そう説得されても、どこか自分の中に「ホントかな」という一抹の疑問が残っている。おそらくそれが、神話の神話たる所以なのである。

2007年04月04日

マーケット

この前ニューヨークを訪れたとき、リンカーンセンターの地下のホールフーズマーケットに行った。
当地の事情に詳しいある人から「とてつもなく広いスペースにホールフーズが出店したんですよ」と聞いていたので、セントラルパークを散歩したあと立ち寄ってみた。
そしたら、本当にここのホールフーズは、凄かった。
どどーんと、日本でならば有明とか幕張とかにあるコンベンションセンターぐらいの広い空間に、ありとあらゆる食材がアイルごとにきれいに整理されて並んでいる。壁際には、フィッシュとミートの陳列だなが、どこまでも延々と続いている。量り売りのセクションも、実に充実していた。
ご存知の通り、ニューヨークは人種や民族のるつぼである。だから、異なった人々の趣向や生活に合わせて、多種多様の品揃えがしてある。みたこともないような魚が眼を見開いていたり、「ナニコレ?」というような異様な形状の野菜が並んであったり、名前をきいても当然何だかわからないような食べ物が調理されて、売られている。
手にとったり、匂いをかいでみたり・・・。とにかく見てまわるだけで楽しい。
日本には、世界有数の「築地」という市場がある。しかし、一般の人々が日々の食材を調達するマーケットについて言えば、日本人に与えられている選択肢は、情けないほど貧弱である。コンセプトとして一番近いのは、いわゆる「デパチカ」ではないかと思われるが、なにしろ規模が違いすぎて、話にならない。すくなくとも東京近辺ではそうである。あそこでは「いかに早くこの息苦しい空間から抜け出るか」を優先してしまい、ゆったりと「さて今晩は何をつくって食べようかな」などと考える余裕が生まれない。
「Whole Foods Market」は、知っている人は知っているが、自然食にこだわった北米の(チェーンの)店である。スタンフォードにいたときにも近くにあってお世話になったが、そのようにこだわったマーケットであるにもかかわらず、大量の品揃えができてしまうところが凄いと思う。ボクが長く住んでいたバンクーバーにも、やはり自然食を重視した「Capers」や「Choices」という店があった。そういうこだわりに関しても、日本人に与えられている選択肢は限られているとしかいいようがない。確かに最近日本でも自然食の店がいろいろなところにできてきたが、どれも規模が小さくて「選んで買う」というまでにはなかなかいかない。
ボクがあこがれている究極の生活は、毎日仕事の帰りに品揃え豊富な自然食マーケットに立ち寄り、そこでインスピレーションを得て、晩御飯の献立を考えて、必要な食材を買って帰るという生活である。
しかし、いまの自分の生活パターンを振り返って考えてみると、そんな穏やかで豊かな生活からはほど遠い、という感じがする。どうして夜の10時半とか11時ごろまで、外で飲んだり食事したりする日々がこうも続いてしまうのだろうか。どう考えても、それはマットウな生活とは思えないのだが、いかにしてそこから抜け出せるか、いまのところうまく戦略をたてることができないでいるのである。

2007年02月08日

夜食に何を食べるか

夜食に何を食べるか。
これは、ボクのような中年諸氏にとっては、大きな問題である。
学生時代、ボクは平気で、夜食にインスタントラーメンを食べていた。
そう、カップラーメンではなく、インスタントラーメン。
もちろん両者の違いは、第一には、料理するのに鍋が必要か、それともヤカンだけですむか、である。しかし、もうひとつの重要な違いは、カップラーメンには、ほんのチョコッとであるが、具らしきものが入っていることにある。カマボコのようなもの。浅葱のようなもの。卵のようなもの。まあ、全部「○○のようなもの」にすぎないのだが、この申し訳程度に入っている具のおかげで、カップラーメンは一応それ自体で自己完結的にできている。
他方、インスタントラーメンは、原則として、具が中になにも入っていない。具は自分で調達することが期待されているので、袋には麺が入っているだけである。
つまり、インスタントラーメンは、それだけ食べても、栄養価はおそらくゼロ。このインスタントラーメンを、ボクは学生時代、躊躇することもなく、罪悪感にかられることもなく、夜食として食していたのである。
時代が経て、いまボクの家ではさまざまな河野家諸法度が整備されつつあり、その第一条が「ラーメン類、夜10時以降に食するベカラズ」である。ボクぐらいの歳になると、カロリーを摂取する機会は、同時に栄養分を摂取する機会でなければならない。だから、朝昼晩の三食以外にラーメン類を食べることはもちろんダメ。ポテトチップとか、アイスクリームとかも禁止。クッキーの類も基本的にはダメ、ということになっている。
ところが、最近、このクッキーが、食べてよい夜食のリストとして復活した。
なぜかというと、ボクは、最近たんぱく質不足が心配になってきたからである。とくにミルクを飲む機会がめっきり減ったことが気になっていて、一緒にミルクを飲むことを条件に、クッキーを夜食リストとして復活させたのである。今のお気に入りはOreoのサンドイッチ。甘くて、まあ三つも食べると、カロリー的には本当は一大事なのであるが、そこんところは目をつぶって、「たんぱく質摂取も大事だから」と言い聞かせている。それにしても、クッキーとミルクはよく合う。実際、クッキーをたべると、ミルクが何杯でも飲めてしまう。アメリカの子供たちが、クリスマスの夜、煙突から入ってくるサンタクロースのために用意しておくという伝統もよく理解できる。
ところで、夜食を食べると、朝起きたときに身体が重たい。
それゆえ、夜食は翌朝、ジョギングに行くというインセンティヴを生む。
これが好循環を生み出しているかというと、そうでもない。
ジョギングに行くと、結局、また大きな朝食を食べたくなってしまうからである。今日なんかは、ジョギングの帰り道に、24時間開いているスーパーにわざわざ立ち寄って(現金を持って出るのである)、国産牛肉を買い、小松菜も買い、なんと朝から「焼肉」を食べてしまった。大根おろしと醤油につけて食べたので、白いゴハンももりもり食べてしまった。でも美味しかったッスよ。
あーあ、なんだかんだいって、やっぱりボクは食べることが大好きなのである。

2006年11月02日

一期一会

1回しか○○したことがないけれど忘れられない××。
人生も長く生きてくると、こういうもののリストが結構増えてくる。
今日は、ボクが一度しかいったことがないけれども、忘れられないレストランを二つ紹介したい。
ひとつは、カリフォルニアのモントレーにある「Inn at the Spanish Bay」。もう10年以上も前のことだが、ここで食べたコース料理は、一生忘れられない味となった。モントレーは、ボクの通っていたスタンフォード大学から車で3時間ぐらいのところにある町で、ゴルフリゾートとして全米でも有名である。数あるレストランの中で、たまたま迷い込んで食べたのが、このInn at the Spanish Bayのクラブハウスであった。それまで貧乏な院生だったので、ほとんどコース料理などというものを食べたことがなかったが、今思えば、そのときは博士号をとったばかりで、多いに散財しようという気になっていたのであろう。ゆったりとしたソファーのような椅子から、大きな窓ごしに波が打ち寄せるところが見えて、ロマンチックというよりはゴージャスという感じであった。それは、ボクが一人前の大人になってはじめて経験したちゃんとした食事といっても大げさでないかもしれない。なかでも特に印象に残っているのが、真ん中あたりに出されたイカ墨リゾット。オニオンと香草とチーズの風味で臭みが消え、ライスをトロリとさせている食感が絶妙であった。デザート(なんだか覚えていないのだが)もとびきり美味しかった。実は、最近モントレーに住んでいる人から便りを貰って、当時の感動をとても懐かしく思い出していたのである。
さて、もうひとつの忘れられない店も、カリフォルニアにある。それはサンフランシスコ郊外のサウサリートという町にある、Angelinoという小奇麗なイタリアンの店。地元のおなじみさんばかりで、店のスタッフも客同士もみんな知り合い、という感じの店である。ボクはここへはほとんど偶然に入ったのであるが、そこで食べたラヴィオリはもう一生忘れられない味となった。中はリコッタチーズ入りで、ソースはボルチーニマッシュルーム入りのソース。あんまり美味しかったので、ボクは、何かのついでにフロアーに顔を出したシェフをみつけて声をかけて、その作り方を尋ねてしまった(←この辺が、なんともボクのずうずうしいところである)。「あの~企業秘密でしょうけど・・・ご覧の通りボク日本人なんで・・・けっして商売敵になろうなんて思ってないんで、教えてもらえませんかね」。そしたら、白髪の人のよさそうなシェフは、親切に教えてくれた。「コツは、マッシュルームソースとトマトソースを別々に作って、最後に合わせるんだよ」。それ以来、この作り方は、我が家では「アンジェリーナ風」と呼ばれ、さまざまなパスタ料理に使われている。
旅先でいくレストランはもちろん別だが、身近にある良いレストランの重要な評価の基準は、「いついっても美味しい」という安定性にある。野田岩の白焼き、神田まつやの海老天ぷら、アントニオ(渋谷)のVeal Parmigiana、代々木上原○○の焼き鳥、自由が丘丸栄のヒレカツ・・・これらは、毎回期待を裏切ることなく、そのたびごとに、一期一会を感じさせてくれる貴重なお店である。

2006年10月17日

西澤家にて蕎麦を打つ

先週末、同志社大学で会合があった帰りに、西澤先生のお宅を訪問した。
西澤先生は、イェール時代のボクの先輩である。どちらかというと、しっちゃかめっちゃかな人生を送っているボクを、奥様ともども、いつもやさしく見守ってくれている。いやはや、感謝の言葉もない。
いつも通り今回も暖かくアットホームなもてなしをしてくれたのであるが、翌日曜日には、ナント、ナナナント、蕎麦を打つことになった。活動的な奥様は、とっくに出かけている。もちろん、お子様たちは、それぞれの用事でいない。というわけで、そう、ボクと西澤先生の二人で、お昼用の蕎麦を打つことになったのである。
西澤先生は、前にも何度か経験があるらしい。
「外国からのお客さまが来ると、喜ぶんですよ」。ふんふん。
「粘土みたいなもんでね。子供の頃にかえった感じで楽しいんですよ」。なるほど。
「それにね、自分で作るから、まずくても文句いわれないでしょ」。←???
このあたりの発言に、西澤先生独特の合理的ユーモアを感じる。
まず、石鹸で手を爪の中までよく洗う。次に、蕎麦打ち用具5点セット、すなわち板と臼と棒、それに包丁と包丁に合わせて使う木片(←専門用語があるのだろうけど知らない)をおもむろにテーブルの上に広げる。
テキストは、ベターホーム出版局の『初めて打つ蕎麦・うどん』。これをちらちらとみながら、慎重に粉の量に見合う水を用意する。
蕎麦打ちは、水の量が命である。こねながら、すこしずつ水を足していく。ボクもこねるのを手伝う。「手際よくやってください」とテキストに書いてある。時間をかけると、乾いた部分ができてしまうからで、一度乾いてしまうとあとから水を足したりすることはできない。ここが全工程の中でおそらくいちばんむずかしいところである。それから、「パンを作るように伸ばしてはいけない」と書いてある。あくまで、内へ内へとこねていくのである。
艶が出てきたところで、今度は薄っぺらに伸ばす。これは、西澤先生に任せた。
そして、いよいよ蕎麦を切る段になる。ここは、ボクの出番である。
木片に包丁をあわせ、ストンと落とすように切る。包丁をほんのわずか斜めに倒し、その圧力で1ミリ程度木片が動く。そしてまたストンとやる。これを繰り返す。案外、慎重になりすぎると、太さが一定に切れない。リズムにのってやるのがコツである。悦に入って、神田まつやの主人になった気分であった。
自分で打った蕎麦は、たしかに美味しかったです。
西澤先生、どうもごちそうさまでした。
えっ?では、うちでもやるかって?実は用具5点セットを見たときは、いいなあ、うちでも揃えてみようかな、という気になりました。しかし、やってみると、かなり労働集約型作業だということがわかりました。そうねえ、たしかに客人をもてなすにはいいかもしれないが、自分ひとりでやるかといわれると、どうかなあ・・・。
ところで、なんで蕎麦を「打つ」というんですかね。行き着けの、早稲田の蕎麦屋の主人にこの前聞いたら、「私も知りません、今度調べておきます」だってさ。オイオイ、大丈夫かなあ。

2006年05月12日

銀座ライオンとギネスの話

いやー、いよいよというか、とうとうというか、待ってましたというか・・・
ついにビールの季節がやってきましたねえー。
なんてったって、日本の夏は、ビールなしには過ごせない。
蒸し暑い一日を終え、シャツもパンツもズボンも汗でビショビショになりながら、とりあえず、とにもかくにも、やあやあと、ビールで乾杯する。
ジョッキが衝突する音、がしゃ、がしゃ、がしゃ・・・
口に含んだビールをゴクリとすると、一瞬ヒヤリと咽喉が絞まる。その一瞬だけ、暑さを忘れ、天国にいく。しかし、すぐさま、あたりのジトジトな空気が、全身の皮膚を攻略にかかる。暑いよー、暑いよー、もうあきらめなさいよー、といった感じで攻めてくる。汗がじわじわにじみ出る。
それをまたなんとか凌ごうと、もう一回、ビールを口にする。しかし、残念ながら、この二口めには、一口めほどの感動は、もうない。そして、三口め、四口めぐらいになると、体を冷やす効果なんて、もう全然なくなっている。ま、日本の夏には、結局勝てっこないんですけど、ちょっと抵抗してやろうじゃんか、という気にさせてくるのがビールなのではないか。
さて、ボクの好きなビアーホールは、銀座のライオンです。
えっ?なぜかって?
まず、なにしろ、あの広々とした感じがよい。
それから、客層が圧倒的にサラリーマンとOL、というところもよい。今日も一日一生懸命働いたんだから、いいでしょ飲んだって、てな感じで、みんなビールを飲んでる。みんな楽しそうに飲んでいる。女を口説いてやろうなんてヨコシマな考えを持った男は、あんまり銀座ライオンにはいない。ここでイケメン男を引っ掛けてやろうなんてヨコシマな考えを持った女も、あんまりいない(←多分)。そうした変な駆け引きや下心のような雰囲気がまったく感じられず、あっけらかんとしているのが、素晴らしい。
ボクは、それほどビールに詳しいわけではないが、最近好んで飲むビールは、Guinnessである。ギネスのジョッキというのは日本ではあんまりないので、ビアーホールなどでは、サッポロ黒生を頼むことにしている。なぜか、黒ビールは、カラダによいのではないか、という迷信をボクは持っている(←これが迷信でないとどなたかに教えてもらいたいものだ)。
家では、もっぱら、ギネスをビンから直接飲んでいる。ビールというのは、缶から飲んでもまったく美味しくない。缶ビールであれば、必ずグラスに注いで飲む。しかし、ビンから飲むビールはとっても美味しい。グラスに注がない方が美味しい、とボクは思う。
実は、いまも、ボクはギネスを飲みながら、これを書いている。おとといからほんのさっきまで、締め切り原稿に追われていたのであるが、ようやくひと段落ついて、ホットしているところである。で、ギネスを飲み始めたら、日記を更新しなきゃと思い立ち、そうだ、ビールについて書こうという気になったのである。
いま、悩んでいるのは、もう1本飲んでいいものかどうか、ということである・・・。

2006年05月08日

カツサンドの売切れ

ボクはサンドイッチのなかで、カツサンドが特に大好きである。コンビニや駅の売店で、たくさんの種類のサンドイッチが並んでいても、カツサンドがあると、ついそこに手が伸びてしまう。カツサンドは、他のサンドイッチよりも、存在感というのか、インパクトというのかが、断然大きい。
別に、中味がトンカツである必要はない。チキンカツであってもよい。ボクの住んでいる近くの横浜元町では、海老カツサンドやカジキカツサンドなるものを売っている店があるが、それらもボクのストライクゾーン内である。要するに、揚げコロモとパンに甘いとんかつソースがジワリとしみ込んでいれば、それ以上、あんまりうるさいことはいわない。
ただ、世の中で売られているカツサンドに、キャベツが入っていない場合がある。キャベツの代わりにレタスが使われていることも、ときどき見受けられる。これらは、なんとも理不尽な話である。カツにキャベツ。本来、このふたつは、切っても切れない縁で結ばれている。トンカツ店へいって、キャベツの付いてないロースカツ定食やヒレカツ定食が出てくることは絶対にありえない。だから、キャベツの入っていないカツサンドなるものも、絶対にあってはならない。
カツサンドについては、子供のときの、ある想い出がある。
昔、ボクの家族は、毎年夏休みになると友人家族と連れ立って、山中湖に遊びに行くことにしていた。向こうでは、ボートに乗ったり(←怖かった)、魚釣りをしたり(←結局一匹も連れなかった)、花火をしたり(←よく覚えていない)、夜トランプしたり(←とっても楽しかった)して遊んだ。山中湖へ行くのに、われわれはいつも新宿から小田急ロマンスカーに乗った。現在では通勤にも使われるようになったが、当時ロマンスカーはまだ文字通りロマンに満ちていて、ボクら子供にとっては、遠足とかこうした家族旅行の時にしか乗らない特別な電車だった。
で、ロマンスカーでは、昼食を車内で注文できた。メニューには、カツサンドと書いてある。たしか、350円だった。ミックスサンドは300円。ボクは毎年、迷わず、カツサンドを注文した。しかし、不思議なことにカツサンドはいつでも売り切れだった。なので、ボクは、毎年仕方なく、ミックスサンドで我慢しなければならなかった。ミックスサンド・・・卵とかトマトとかハムとかが入っていて、バラエティに富むが、どこかインパクトに欠けるサンドイッチ・・・。ボクは、しぶしぶそれを食べながら、毎年、来年はきっとカツサンドを食べられるな、と信じることにした。それでも、翌年も、その翌年も、やっぱり、カツサンドはないのであった。
小学校高学年になり、すこし生意気になったボクは、ある年「申し訳ありません、カツサンドは売り切れです」と言われて、「あのぉ、去年も、おととしも売り切れだったんですけど、メニューに書いてあっても、本当はないんじゃないですか」と、イヤミったらしく販売員さんに文句をつけたのを覚えている。もちろん、その販売員さんは、そんなことはない、ちゃんとあります、といっていた(ように記憶している)。
でも、本当に、カツサンドは、毎年毎年、売り切れだったのかな。ボクは、新宿から発車するとすぐ販売員さんを見つけ出して注文するようにしていたから、どうしても最初からなかったんじゃないかという疑いをぬぐいきれない。それとも、ボクは、このカツサンド事件を、いつか夢かなにかで見ただけなのだろうか。大人になってから、ある小田急の関係者の方にこの話をしたことがあるが、その人もそんな昔のこと分かるわけないし、困っただろうね。というわけで、このミステリーは迷宮入り、真相が解明されることは、きっともうないのである。

2006年04月20日

食道楽

ボクは、基本的に食べることが大好きである。
悲しいかな、この「基本的に」というところが、今日の話のポイントですね。
食べることは大好きなのだが、食べ過ぎると太るという法則がいまではボクにも当てはまるようになってしまったからである。
昔はそんなことはなかった。すこぶるノーテンキであった。ボクだけは、この法則から一生逃げきれると、思っていた。自分が何万人にひとりの幸運な人と、ずっとたかをくくっていた。
しかし、やっぱり甘かった。いつしか、確実におなか周りが充実しはじめた。特に脇腹の充実度が最近とっても高い。ジョギングのときに、一生懸命、身体をよじったりひねったりして、ボクなりに「サイドをえぐる動き」をいろいろ試みる。だが、なかなか成果が上がらない。
というわけで、無心に好きなものをなんでも食べてよい時代は、ボクにとって終わってしまった。
食べ過ぎると太る・・・、考えてみれば人間の活動というか営みに関して、これほど単純でしかも一般的に当てはまる法則はなかなかないのではないか。食べ過ぎると太る、食べ過ぎなければ太らない、太るのは食べ過ぎたから、太ってないのは食べ過ぎに注意しているから・・・などと、命題の逆だの裏だの対偶だのをとってみても、すべて真である。しかも、この命題は、日本人だけでなく、アメリカ人であろうが、エジプト人であろうが、タンザニア人であろうが、世界のどこへ行っても通じる(←多分)。ニュートンのリンゴ落下法則と同じくらい、汎用性の高い命題である。
で、そのことをよく承知しているのであるが、なんとですね、昨日ですね、ボクは一日に5食も食べてしまいました。5食!自分でも「あれれー、いいのー?」って感じです・・・トホホ・・・。どういう経緯で、そうなってしまったのか。これがよくわからない。よくわからないが、あとで勘定してみたら、どうも5回も食事らしきものをとっていた、ということになってしまっていたのです。
まず一回目。これは、家でパンを朝食べました。そして二回目。1限と2限とのあいだに、おなかが空いてしまって(←いちいち言い訳がましい)、カフェ125でベーグルサンド(スモークチキン)を買ってきて、谷澤さんの授業を聴講しながら食べてしまいました。三回目、午後、研究室でずっと三谷君と論文を書いていたら、3時ごろにまたお腹がすいてきたので(←はいはい)、たまたま訪れた荒井君と3人で連れ立って、ラーメンを食べに行きました。そのときは餃子まで食べてしまいました。そして、その夕方は、大隈会館で、院生たちを囲むレセプションがあり、そこでもお鮨とサンドイッチなどを食べました。会費を払ったので食わなきゃ損かなという根性が働いてしまって(←アホ)、皿をあさるように、ローストビーフなども食べてしまいました。で、そのあと、久米先生と和食店で、野菜天ぷらとか、和牛カルビとか、を食べてしまいました。
あちゃー。これで、しめて何カロリーなんだろうか。こう書いてみると、あらためて、ゾッとするなあ。おっと、ここにはアルコールがまだ計算に入っていないぞ・・・大変だぞ、これは・・・ええと、大隈会館でビールが3-4杯に、ワインが3杯ぐらいに、和食店でビールが・・・・

2006年04月01日

スターバックスのマフィン

ボクは、カナダのバンクーバーをよく訪れるのであるが、そこでの朝食は、たいていスターバックスで、と決まっている。バンクーバーは、スターバックスの発祥地であるシアトルから近く、ロブソン通りの第1号店をはじめとして、本当にたくさんの店が展開している。石を投げればスタバに当たる、犬も歩けばスタバに当たる、すべての道はスタバに通じる、渡りに船ならぬ渡りにスタバ…、まさにそんな感じである。
一般に、北米のスターバックスは、日本のスターバックスよりも、ペイストリー系メニューが充実していて、いろいろな種類のマフィンやスコーン、ケーキなどがおいてある。ところが、ですね、すべてのスタバがすべて同じメニューかというと、そんなことはけっしてないんですね。ボクのお気に入りのマフィンは、Low-fat Banana Wild Blueberry Muffin with Soy Milkという舌を噛みそうになるくらい長い名前なんだけど、バンクーバーでも、これを置いてあるところとないところがある。行き当たりばったりに入った店で、ウィンドーを見わたし、このマフィンがおいてないとがっかりする。で、そこでは、コーヒーだけ買って、行き着けの違う店に、わざわざこのマフィンを買いに行ったりしたこともある。このマフィンは人気があって結構早く売り切れてしまうので、一軒、二軒と、なんと「スタバのハシゴ」までして、このマフィンを探したことさえある。ホント、それほど、おいしいんですね。
さて、このマフィン、名前があまりにも長いので、日本人のボクには注文するのが結構大変である。最初の頃は、律儀に「ロゥファットバナナワイルドブルーベリーマフィンウィズソイミルク、プリーズ」と全部いっていた。いっぺんにいおうとすると、絶対どこかでつまる。朝の混雑時には、後ろにお客さんがずらりと並んでいるから、ついあせる。で、あせればあせるほど、つまっちゃって、何度も言い直さなければならない。ところが、次第に、店員さんたちがこのマフィンの名前を縮めて、呼んでいるのに気がついたのですね。店員さんたちだって、こんな長い名前をいちいち全部復唱していたら、時間がかかってしょうがない。で、ボクの観察では、その省略の仕方には、いろいろなパターンがあることがわかった。「バナナブルーベリーウィズソイ」がまあ一番一般的なんだけど、「バナナウィズソイ」とか「ロゥファットバナナ」だけの人もいる。
というわけで、それ以来、ボクも省略形でこのマフィンを呼ぶことにしている。一時期は、毎回違う省略形のパターンを使ってみて、どこまで省略したら店員さんに通じなくなるかを試すというのが、ボクの中で朝のひとつのエンターテイメントであったこともあった。ボクの経験からすると、「バナナブルーベリー」や、「ロゥファットブルーベリー」は、ぜんぜん通じる。「ブルーベリーウィズソイ」や「ワイルドブルーベリー」もオッケー。しかし、「マフィンウィズソイ」や「ウィズソイ」だけだと、やっぱりダメ。いくら何でも、それは横着って感じかな。ただ、ウィンドー越しに指さして、これこれ、って感じのジェスチャーをすれば、どんなに省略しても結局大丈夫でした。以上、どうでもいいような、体験レポートでした。

2006年03月13日

久米先生と弁当の混乱と待ち時間8分の話

土曜日、同僚の久米(郁男)先生を中心にしたある研究会が、神戸で開かれた。東京方面から他にも何人か参加者がいたのであるが、ボクだけ6時半ごろの新幹線で日帰りすることになった。すると、久米先生が「そんなら美味しい駅弁教えたる。すき焼き弁当買って入るとええでぇ。紐引くと温かくなるんや」という。久米先生は、もともと神戸大学法学部で長く教えられていたので(彼はなんと神戸大名誉教授である)、さすがにこの辺は事情通である。これはありがたい、ボクはいつも弁当に迷うので、とてもいいことを聞いたと思った。そしたら、神戸大(現役の)教授の品田裕先生が横から「でもすき焼き弁当は今の時間だともう売切れですよ」とポツリといい、ニヤニヤしている。ボク「?」。あっ、そうか、久米先生は、売切れることまで見越した上でボクに薦めていたのか。期待を高めてストーンと落としてやろうという、いかにも久米先生らしいエピソードである。
さて、駅に着いて売店で「すき焼き弁当ってありますか」ときくと、まだあるという。「へん、やったね♪」。久米さんを見返せたようで、なんだかうれしくなる。ところが、ですね、その時ボクは、となりで「すき焼きご飯」なるお弁当を買っているお客様がいることに気付いてしまったのです。あれれ。オススメは確かすき焼きベントウだったよな。すき焼きゴハンの間違いじゃないだろうな。ボク「あのぉ、これ、紐ひいて温めて食べるやつですよね」。店員「ハイ」。ボク「あのぉ、そっちのすき焼きご飯は?」店員「あ、こちらも温めるようになってますけど」・・・さあて、困ったぞ。どっちだろう。迷っていると店員が丁寧に説明する・・「白いご飯と別になっていて、生卵が付くのが、すき焼きベントウ。すき焼きゴハンの方は、ご飯の上にすき焼きが最初からのっているんです」。生卵がつく?そんなの聞いてないよう、初耳だよう・・・。そっちでいいのかな・・・。結局単純に値段の高い方はどちらかときいて、すき焼きベントウを買うことにしました。
はっきり言って、新神戸駅で売っている弁当の名前は、紛らわしいです。実は、ボクは次回のことも考えて、あなご関連の弁当についても、ちょっと調査してみたのですね。そしたら、どうです、こちら関連でも「穴子ベントウ」と「穴子ザンマイ」という二つの種類が売られているではありませんか!あとでわかったのだが、穴子ベントウの方は温かくするが、穴子ザンマイの方はお寿司なので温かくしないのである。でも、そんなの、あらかじめ聞いてたとしても、注文する段になってわかんなくなると思うよ。ボクの買ったすき焼きベントウだって、駅のホームでは、「あっちっちすき焼き」という商品名になっていた(←なんというネーミング)。紛らわしいこと、甚だしい。
「あっちっちすき焼き」こと、ご飯別生卵付すき焼きベントウは、紐をさっと抜くと下に敷いてある発熱体が反応するという仕掛けになっていた。箱の横に書いてある注意書きをよく読んで、その指示を忠実に実行に移す。しかし、その後なんと8分も待たなければならない。そう、8分も、です!われわれは、カップラーメンの3分に慣れてるせいもあってか、8分は本当に苦痛でした。8分ぐらいなんでもない、なんて軽く考える方がいらっしゃったら、ご自身でぜひ体験してみてください。絶対なが~~いと感じると思いますよ。でも、たしかに、評判に違わず、このすき焼き弁当は、非常に美味しかったです。久米名誉教授、ご紹介ありがとうございました。
今日からその久米さんたちと、出張です。今度の行き先は、オランダとベルギー。みなさん、またまた、おみあげ話を期待していてくださいね。

2006年02月03日

早稲田界隈のメシ処その2

ええと、きのうからの続きね。

カフェ125。ちょっと早稲田キャンパスには似つかない感じ(と、みなさん思いませんか?)のオシャレなカフェ。そうそう、そういえば、この前、テレビの取材が入っていたっけ。ここは、ほとんど毎日といっていいくらい、一日のどこかで立ち寄って、ブレンドコーヒーをテイクアウトしている。従業員さんたちはみんなボクがコーヒーに砂糖とミルクを入れることを知っていて、いうまえから先回りして入れてくれる。店がすいている頃を見計らって、ここでのんびり本をよんだり、採点をしたりすることもありますよ。
このカフェの良いところは、いろいろな学生たちに出会えること、かな。授業などで顔は知っているけど名前は知らないというような学生とは、なかなか話す機会が生まれない。キャンパスですれ違っても、そういう学生たちはお辞儀するぐらいだしね(お辞儀もしないで、わざと目をそらす人もいるけど、そういう人はこちらがそれに気付いてないとでも思っているのかなあ)。だけど、このカフェなら、そういう学生でも、結構気軽にこちらから声をかけられる。ところで、ここのベーグルは、かな~り、おいしいです。ボクはアメリカ留学時代にベーグルが大好きだったんだけど、日本でおいしいベーグルにはなかなかめぐり会わない。でも、ここのベーグルはホント、結構いけます。みなさん、ぜひ一度試してください。

五郎八。地下鉄の駅をあがってすぐのところにある。この界隈の蕎麦屋では、ボクは、ここが圧倒的に好きだね。一階のカウンター席の、木のカウンター自体が格好いいし、流れているジャズも心地よい。何を注文するかといったら、きざみ鴨せいろ。これは、ヤミツキになりました。冷たいお蕎麦を、ちょっとあたたかいつゆ汁に浸して食べる。その汁のなかに、きざんだ鴨肉と葱がはいっているのです。最後は、もちろん蕎麦湯を入れて、その汁を最後まで飲む。値段も高くないし、週に一回は通ってます。

すず金。これは、現在改装中のうなぎやさんです。ボクは、健康を考えて、毎週うなぎを食べるようにしているので(うなぎをたべると必要なミネラル類が一週間分取れると聞いたから)、ここは(改装前は)よく行った。はやく、再開しないかなあ。渋谷や銀座で食べるよりもうーんと安く、しかもおいしいうなぎだったので、この店がやっていないのは、ホント困ったものだ。

楠亭。ご存知、早稲田の教員食堂。学生たちにとっては、あまり馴染みがないかもね。入ってみたい人は、だれか先生と仲良くなって、つれてってもらうしか、ないんだろうね。ここは、リーガロイヤルホテルが入っている(←多分)ので、この種の食堂としてはリーズナブルなランチが出てくる。ここの良くないところは、なにせ、同僚がたくさんいるので、「めったな話」ができないこと。えっ?「めったな話」って何かって?そんなの、決まっているでしょうに・・・

2006年02月02日

早稲田界隈のメシ処

よく学生たちに、どこでランチするのか、と聞かれる。そこで、いくつかボクのよくいく店を紹介しよう。あ、そうそう、今日は、早稲田界隈の話ね。より広く、東京や(いまボクの住んでる)横浜のお気に入りレストランについては、またいつか日を改めて、ということで・・・

高田牧舎。早稲田周辺の食事処としてはめずらしくゆったりとしたスペースでテーブルが並んでいるのが心地よい。オーナーの藤田さんとは、3年前ボクが早稲田に赴任して、すぐ仲良くなった。その頃ボクはフットサルを毎週金曜の夜にやっていて、ある日その話をしていたら、藤田さん、自分も行きたいと言い出した。それで彼もフットサル仲間に加わったのでした。もちろん、彼の方がずっと若いし、ずっとうまいですよ。ここ一年、ボクは忙しくて行けないのに、藤田さんは毎週行っているみたい。
で、この高田牧舎、早稲田の先生だと、ツケが利くのです。ツケの利く店があるって、なんか、いいよね。なんか自分が特別な存在になったような気がして、自慢したくなる。えっ?ツケって、どういうシステムなのかって?現金で払わずに、小さな所定の紙に自分の所属学部と名前を書いて出てくる。すると、その集計した金額が大学からもらう給料から毎月引かれるというシステムになっている。実は、昨日も一昨日も、ここでお昼を食べました。Bランチの和定食。おととい店にいったら、ちょうどゼミ論文を提出にきていたゼミ生4人がいて、そのうち前田君がこの和定食を食べていた。豚汁がおいしそうだったので、迷わずボクもそれを注文。実際おいしくて、きのうも続けて同じものを食べてしまった。あと、ここはメンチカツがとびきりおいしい、ジューシーでね。

トキワ。ここも、ボクの研究室からだとすごく近い。いま早稲田の大学院からコーネルに留学している遠藤君に、はじめ何回か連れて行ってもらった。遠藤君はポークジンジャーがお気に入りだったけど、ボクはカツカレー。学期中は、毎週一回は行くかな。ここのマスター、ホント、元気が良くて、礼儀正しくて、よく働いて、話題も豊富で、素晴らしい。ここで食べて出てくると、「ウン、世の中すてたもんじゃない」という気分になるのです、ハイ。

北京。ゼミ生たちをよく連れて行く中華料理屋さん。昼時は、一般の早稲田関係者ではないような人たちも、たくさん食べていて、いつも活気あふれている。ここでのボクのお気に入りは、かた焼きそばとタンメン。どちらも野菜がいっぱい入っている。疲れたり風邪を引きかけたかなと思うような時は、そのどちらかを注文して、さらに半餃子をつけたりする。すると身体の抵抗力が増すような気になるのです。そうそう、「病は気から」って、本当なんだよね。こう考えると、この店、ボクの健康管理の上で、かなり重要な役割をになっているんだなあ。