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ハヤシライスが食べられなかった話

横浜にある、有名な洋食屋さんにいった。
その名は梅香亭。横浜スタジアムのすぐそばにある。レトロの中のレトロ、というお店。その雰囲気にふれるだけでも、行く価値があると思う。なにせ創業は大正時代である。
ストーブが真ん中にドテッとおいてある。椅子や長椅子には、アイロンがぴんとかかった真っ白な布がかけてある。電話のベルも、あの「ジリリーン」という、レトロな響きがする。
ランチ時をさけて、1時半ごろに行ったのだが、ボクのお目当てはハヤシライスであった。ボリュームがあって、コクがあって、そしてアツアツで出てくる。
ところが、ですね、その日、どうもボクには運がなかったようです。
フロアーを仕切る方が、メニューを持ってきて、律儀に説明する。
「いまはカレーはやっておりません。それから、ハヤシは、おそらく、先ほどのお客様でおわってしまいました。」
?「おそらく」?
しかし、「おそらく」であろうとなんであろうと、「おわってしまった」といわれたものを注文するわけにはいかない。ボクは方針転換を強いられて、メニューをじっくり眺めることになった。
そこに、やってきたのは近くで働く(と思しき)サラリーマン。常連らしく、席につくなり「ハヤシライス」と頼んでいる。そしたら、その律儀なフロアーさん、「あの、もしかするとハヤシは先ほどのお客様でおわってしまったかもしれないので、いま聞いてきます」といって、キッチンに入っていった。ところが、出てくるなり「あの、もう一皿できるそうです」と、ニコニコしながらその客に報告している。
オイオイ、それはボクのハヤシライスでしょうが・・・。
ボク、わざわざ15分も歩いてここまで来て、ハヤシライスを食べようとしたのに・・・。
ボクは、一瞬、ボクもハヤシを食べたかったんだけどな、とボソッと言おうかと思った。でも、そう言ったところで、その客とフロアーさんを困らせるだけだし、と思い返し、メニューをさらにじっくりと検討して、結局エビフライを注文することにした。
狭い店なので、そのとき中にいた周りのお客さんたちは、だれもが起こったことの一部始終を見届けていた。だから、もしボクが、自分もハヤシを食べたかったのになどと言っていたら、ボクには「ハヤシが食べたかったのに、食べられなかった人」というレッテルが貼られてしまうはずであった。いや、もしかすると、みんなは、ボクをバツの悪いヤツとして笑いもの扱いするかもしれない・・・。
だから、ボクは、わざと平然を装い、「ハヤシなんて、別に食べたかったわけじゃないからね」というような顔をして、エビフライを頼んだのである。
さて、ボクがエビフライを食べ始めると、そこにもう一人、今度は若い女性のお客さんが入ってきた。この方も常連らしく、入ってくるなり「ハヤシライス」と注文している。
そしたら、再びその律儀さんは、「あの、もしかするとハヤシは先ほどのお客様でおわってしまったかもしれないので、いま聞いてきます」といって、キッチンに入っていった。
そして、彼がまた嬉しそうにいったのである。
「あのもう一皿、できるそうです、これが最後です。」