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2006年03月31日

続・名前について

ほぼ20年ぶりにアメリカのニューヘブンにあるイェール大学を訪れ、前に住んでいた寮Hall of Graduate Studiesの周りをうろついていたら、ボクがよく朝食をとっていた店がまだ健在だったのでとてもうれしくなった。その名はEducated Burger。昼以降はハンバーガーやフィッシュ&チップスなどのメニューになるが、基本的には典型的なbreakfast placeである。ボクは朝食をしっかりとらないとうまく機能できない方なので、当時、目玉焼きとかフレンチートーストとかを注文していた。卵料理には、トーストとホームフライドポテトがついてきて、それでも安かった。
で、このEducated Burgerという店の名前なんだけど、なんか面白いでしょう?もちろんここのハンバーガーを食べたからといって、頭がよくなるわけではない。また、この店のオーナーや料理人たちが、店のお客さんであるイェール大学の学生たちと同じぐらいインテリで学があるというのでもない(と思う)。この命名の発想は、おそらく逆なんだね。俺たちはイェールの学生さんたちに自分たちの料理を食べさせている、その中には将来有名になる人もいれば、大成功する人もいる。もしかしたらアメリカの大統領になっちゃう人もいるかもしれない。そういう人たちにこの場所でずっと料理を出し続けてやってきた、それをうれしく思うし、そのことは俺たちの誇りだ・・・そんな思いがこの店の名前の裏にあるのではないか、という気がする。
そういえば、北米には、気のきいた名前のついた店がよくある。センスいいなあ、と本当に感心してしまう。ちょっと、いくつか紹介すると・・・・
ワシントンDCを訪れたとき、ホワイトハウスのすぐ近くに、Off the Recordというバーがあった。ね、面白いでしょ?もちろんこの命名は「今晩、オフレコで話そうじゃないか」なんていう政治家やジャーナリストたちの会話を考えた上での洒落である。
バンクーバーのブリティッシュコロンビア大学行きのバス停の横には、Grounds for Coffeeというコーヒーショップがある。コーヒーを「挽く」というときの動詞grind(の過去分詞ground)と、「○○の根拠」というときの「根拠」にあたるgrounds、さらには単に場所という意味でもこのgroundsをかけて使っている。
女性のアパレルのお店で、Wear Else? という店もどこかで見たことがある。「ほかにはありえないでしょ?」ということを意味する「Where Else?」をもじっているんだね。ソファーを売る店で、sofa so goodという店。「so far, so good」という慣用句とかけている。ネクタイの店で、Ties Я Us。これは、もちろん、おもちゃ屋「Toys Я Us」をもじったもの。
日本でも、気をつけてみれば、こういう風に気の利いた命名があるのかもしれない。でも、なんか、日本だと、単なる駄洒落になってしまうのではないかなあ。あの毎週電車のつり広告でみる、AERAのコピー。はっきり言って、あれは、無い方がいいんじゃないでしょうかね。
ちなみに、うちの学部長である藪下先生は、とんでもない駄洒落王です・・・・一度スイッチがはいってしまうと、ホント手がつけられないです・・・・

2006年03月29日

コーヒー文化について

飛行機の中での食事のあと、コーヒーにしますか、ティーにしますか、ときかれる。それでふと思ったのだけれど、この選択をわれわれは一生のうちでいったい何度行っているんだろうね。世の中には、強情頑固なコーヒー党、純粋一途な紅茶派という方々もおられる。しかし、いたって優柔不断なボクは、両方好きだし、その時々の気分によって選ぶことになる。それどころか、ボクは、その時々の気分によって、コーヒーに砂糖やクリームを入れるときもあるし、まったく入れないときもある。紅茶だって、ミルクで飲むときもあるし、レモンのときもある。最近はハーブ系も好きだし・・・という具合に、ま、要するに、ここら辺のことについては、あんまりポリシーがないのですね。
ところで、コーヒーとティーとは、やっぱりどうも永遠のライバルらしい。ま、単純化していうと、昔からあるのがティー、コーヒーはそれに挑戦する新参者という構図である。それゆえ、各国のコーヒー文化の発達には、いろいろと歴史があって面白い(ということが、このたび機内でみたドキュメンタリーでよくわかった)。
たとえば、イギリスでは、昔から紅茶をよく飲むが、18世紀初頭に一時期爆発的にコーヒーが流行ったときがあった。当時は、政治家ご用達のカフェ、証券マンご用達のカフェなどというように職業別にカフェが流行っていた。中には、海運関係の方々のカフェなどもあって、そこで航海の安全についての情報が交換されていたことからあのロイズという有名な保険会社が生まれたらしい。さて、このように一時期流行っていたコーヒー文化がなぜ持続しなかったかというと、ロンドンの女性たちがコーヒーをよく思わなかったからなのだそうだ。なぜか。昔のカフェには売春婦たちがたむろしていて、カフェに通う男性たちは家に帰るとなかなか奥さんを満足させることができなかった。しかるに、イギリスの女性の間では、「コーヒーは性力を減退する」ということが信じられるようになっちゃった。実際、当時の女性たちは、多くの署名を集めてコーヒー輸入に反対アピールまでしている。イギリスでティー文化が繁栄した裏には、もちろん東インド会社が茶の取引を独占し莫大な利益をあげていたという事情もあるけど、ティーのライバルであるコーヒーに対する一般の人々のあいだの根強い不信感も関係していたらしい。
一方、フランスでは、コーヒーは、ティーだけでなくワインのライバルでもあった。どちらも社交のためのドリンクだけど、ワインと違って酔わなくてすむので、ある時期からみんながこぞってコーヒーを飲むようになっていった。フランス革命は、コーヒー文化の発達がなかったら、起こらなかっただろうとさえいわれている。当時パリのカフェは、政治を語る重要な場だった。きのうあたりのニュースをみていると、きっと、いまでもそうなのだろうと思う。
一般に、ヨーロッパでは、カフェやティーハウスへ行くことの社交的側面がよく理解されている。「カフェに行くのは、人を見るため、そして人から見られるため」といわれる。それに比べると、北米大陸のコーヒー文化は、それはそれで独特である。こちらでは、起きぬけのボサボサ髪やシャワーから出たばっかりのビショビショ頭で、若い人が平気でスタバへ立ち寄る。かく言うボクも、いまイェールのキャンパスをジョギングした帰りに、汗だくのまま、マフィンとコーヒーを買ってしまったもんね。

2006年03月27日

卒業おめでとう

本当は、この日記は、卒業式の前に更新しておきたかったのだけれども、ちょっと忙しくて遅くなってしまった。ごめんなさい。それにしても、土曜日の追いコンは、素晴らしかったね。幹事長の雲井君、ホンモノみたいな応援団を務めた木村君、校歌を歌っていてもノリノリでひざで調子をとっていた望月さんをはじめ、企画演出した3期生のみなさん、本当にご苦労さまでした。
そして、あらためて、2期生のみなさん、卒業おめでとう。ボクとしても、ゼミ生を社会に送り出すということには大きな感慨があり、ああよかった、これで少し肩の荷が下ろせるというのが率直な感想です。大学のセンセイというのは、研究者であるとともに、もちろん教育者でもあるわけだが、われわれは心理学の専門家でもないし、教職免許をもっているわけでもないし、実は教育者としてはまったくの素人なんだね。だから、自分の教育方針がうまくいっているのかどうかについては、まったくもって自信がない。ボクのゼミでの指導は、ほかの先生たちよりも人に対する基本的な礼儀とか作法とかにまで及んでいて、もしかすると君たちは苦労したと思う。うるさいことを言うオヤジだな、と思っていたとも思う。でも、君たちは、この2年間、その厳しい指導によく耐えてくれたね。みんな、本当にどこへ出しても恥ずかしくない社会人として成長したのではないか、と思う。
追いコンの場で言ったことだけど、記録に残しておくために、ここに書いておくね。第一に、いつでも個性を大切にね。君たちはいままだ紺色のスーツが似合わないが、それはとっても素敵なことなんだよ。大人になることは、画一的なものの考え方をすることでもなければ、人と同じような生き方をすることでもない。自分の考え方や生き方を確立することが、大人になることなんだからね。いつか、自分に似合うスーツを自分でみつけることができるといいね。
第二に、あまり過去を振り返ってはいけない。ゼミの時代はよかったなどと感傷的に思うことは、今の自分、今の生活を大切にしていないという証拠だからね。ゼミに遊びに来てくれるのはいつでも歓迎するけど、帰ってくるというのではなく、自分の新しい生活をわれわれに紹介してくれたり、われわれを知らない世界へ導いてくれたり、そういう前向きな気持ちでゼミを訪れてね。
第三に、絶対に、ボクより先に死んではダメだよ。この世の流れには、順番というものがある。一期生の木下君たちが卒業して、君たちが卒業して、今度は雲井君たちが卒業して、そして・・・というように、動いていく。その摂理に逆らうようなことがあってはならない。それに、君たちには、そろって、ボクの葬式で校歌を歌ってもらわなければならないんだからね。
最後に、とても素晴らしいプレゼントをたくさんもらってありがとう。サイン入り色紙、ボールペン、ちょいわるオヤジのバスローブ、村上春樹のクックブック、吉永小百合写真集。みんな大切にします。

2006年03月22日

メガネの選び方

みなさん、メガネフレームをどのようにして選んでますか?
藪から棒にそんな質問をしたら、「あんた、ナニゆーてんねん、そんなの、眼鏡店で試着して、似合うかどうか見て選ぶに決まってるやろ」(←なぜか関西弁)という答えが返ってきそうである。しかし、話しはそう簡単ではないんですね。もう、お気づきのことと思いますが、この質問には「メビウスの輪」みたいなネジレがある。上のような答えを即座に返してくる人は、メガネを必要としない、視力のよい人ではないかな。だって、そうでしょう、もし視力が悪かったら、試着したメガネが似合っているかどうかさえ、本人には見えないはずなんだからね。視力のよい人がサングラスやファッショングラスを選ぶのであれば、何の問題もない。しかし、視力の悪い人が自分に必要なメガネを選ぶときには、何らかの仕掛けがいるのです。
で、オプションは三つ。ひとつは、目をできる限り細くして視力を最大化し、なんとか無難にメガネ選択を乗り切ろうという方法。ボクのみるところ、中年以上の方を中心として世の中の半分ぐらいの人が、この方法を採用している。しかし、ボクに言わせれば、このメガネ選びは必ず失敗する・・・というか、絶対後悔すると思う。第一に、ですね、この方法によるとメガネを選ぶときは、目をホソークホソークしようとしているわけでしょう?ということは、もうその時点で、その人の素顔ではない顔になっているわけですね。目を細くしようとすると口がとんがるようにもなるし・・・だから、そんな歪んだ顔に似合うメガネが、目を細めないときの素顔に似合うメガネであることはありえない。第二に、このような方法では、メガネと顔のフィットは判断できても、身体全体のバランスとか服装とかとの兼ね合いを判断することがむずかしい。第三に、そんな窮屈な顔をしてメガネ選びをしていると、必ず顔の筋肉が疲れてくる。で、疲れてきて、「この辺でいいか」と妥協してしまう。妥協は後悔の母ですからねえ。
では二つめのオプションは何かというと、自分で選べないから、他人の感覚を頼りにしようとする方法。ま、恋人や家族の人を一緒に連れて行って、「これ、どう?」って聞くパターンですね。若い人を中心にして世の中の3割ぐらいの人がこれをやっているけど、ボクの意見では、この方法もやめた方がよい。これはですね、はっきりいって喧嘩のもとです。メガネを選ぶのは、服などの装飾品を選ぶのとは、全然ワケが違う。メガネは装飾品ではなく必需品なのです。服であれば気に入らなければ着なければすむけど、メガネというのは常時かけていなければならない。だから、他人の意見を聞き入れてメガネを選んでしまい、もしそれが気に入らなかったら、そのカップルや夫婦には、大いなる亀裂が走ることになる。
というわけで、メガネ選びの方法は、最後の第三のオプションしかない、とボクは思っている。それはですね、メガネを選ぶ日には、コンタクトをいれていく、もうこれしかないのです。コンタクトが入っていれば、素顔のままだし、顔とのフィットも身体全体とのバランスも無理なく判断できる。長いこと時間をかけたって、顔の筋肉が疲れることもない。だから、「メガネをかけてる人はコンタクトも併用すべきである」という命題は、ボクの中ではしっかりと確立された一つの「マーフィーの法則」みたいなもんなんだな。ためしに、似合うメガネをかけている人に聞いて御覧なさい。きっとその人は、コンタクトを併用しているから。

2006年03月21日

生ゴミ粉砕機

前住んでいたマンションには付いていなかったが、いま住んでるところのキッチンには生ゴミ粉砕機が装備されている。なんとも便利なしろものである。野菜の切り残しから、パスタから、フランスパンにいたるまで、なんだって中に落としてしまって、ガーガーとやる。そして、音がガーガーからシューシューに変わったら、仕事が無事完了したという合図である。本当にきれいに何でも処理してくれる。これが無かったら、きっとわが家から出るゴミの量は、二倍程度に膨らんでいると思う。もうボクはこの機械にぞっこん惚れ込んでいる。
考えてみれば、生ゴミ粉砕機ほど、頻繁に使われている家庭用電化製品はないのではないか。だって、そうでしょう、電気洗濯機、これ毎日使っているご家庭ありますか?ま、そういう几帳面なご家庭もあるのかもしれないけど、ウチではため込んで一週間に一回走らせるぐらい。ウチのには、乾燥機までついているのに、そんなの使ったことがない(←一度試したらものすごい時間がかかったから)。電気掃除機、これも、毎日使うご家庭はないんではないでしょうかね。それから、ミキサーやジューサーの類。これらは、まあ、パーティでも開いて、凝った料理を作るときぐらいしか活用されない。トースターも炊飯器も毎日は使わないし、電子レンジだって一日おきぐらい。そうねえ、使用頻度の上で、生ゴミ粉砕機に対抗しうる電化製品といったら、ステレオとパソコンかな。しかし、これらは、明らかに系統が違うので一緒にはすることはできない。ね、どうです、もう生ゴミ粉砕機の独走、圧勝でしょう。
と、ここまで書いてきて、キッチンへ行き何か飲もうと思ったら、にわかに声がするではありませんか。まずは電気冷蔵庫の低い声。「ちょっと、あなた、私だって毎日お使いになっているでしょうに・・・それに気がつかないのは、ひどくありませんか」。ああ、そうだった、そうだった、冷蔵庫さんには、確かに毎日お世話になっている。冷蔵庫さんの恩を忘れてはバチがあたりますね。その横から、コーヒーグラインダーの甲高い声。「あなた、挽きたてのコーヒーは全然ちがうとかいって、毎日私を使って豆を挽いてコーヒーを飲んでいるではありませんか。ちゃんと感謝してもらわないと困りますよ」。ああ、そうでした、そうでした、コーヒーグラインダーさんにもお世話になっていました。失礼しました・・・
ただですね、生ゴミ粉砕機の素晴らしいところは、使い終わったあと、きれいさっぱり何もない状態になっているというところなんですね。この歯切れよさ、あとくされのない性格(←?)。江戸っ子が「おぅ、たばんなってかかってきやがれ」とかいって、悪いやつらをばっさばっさと切り捨てているような気持ちよさ。ま、大川橋蔵の役回りだね(←だれも知らないって)。でも、もちろん、中になにか間違ったものを入れてしまうと、いつまでたってもガーガーはシューシューにならない。実は、ボクは、前に一度、ビンビールの蓋を落としたまま、粉砕機を回してしまったことがあった。そしたら、蓋が、角が取れた蓋に結構カワイク変身を遂げて、出てきたのでした。ね、ボクの江戸っ子橋蔵君は、とっちらかっているやつらの更正までをも手がけている、本当にすごい機械なのです。

2006年03月20日

フランス語とヨーロッパの歴史について

ヨーロッパにいって、風邪を引いて帰ってきました。高熱が続くので、インフルエンザだろうね。帰りの飛行機では、咳がとまらず、きっと周りの乗客に自分に移ったら嫌だなと心配させてしまいました。本当に申し訳ありませんでした。
さて、ヨーロッパにいくといつも思うことが二つある。ひとつは、フランス語ができるといいなあ、ということ。今回の出張では、オランダとベルギーを訪ねたのだが、とくにベルギーのブリュッセルでは、圧倒的にフランス語だった。ブリュッセルはベルギーでも北部の方だからオランダ語圏かと思いきや、ホテル、レストラン、タクシーまで、ほぼみんなフランス語だった。ま、英語も通じるのでぜんぜん問題ないのだけど、まわりがフランス語で会話していると、自分のしゃべっている英語の音感がいやに堅苦しく耳についてしまう。「イエス、トゥー・コッフィー」ではなく「ウィ、ドゥ・カフェ」などとさらりといって、注文してみたいものだ。ちなみに、ブリュッセルのレストランは本当に美味しかったです。
もうひとつは、ヨーロッパの歴史をもっとちゃんと勉強しておけばよかった、ということ。飛行機や電車で移動中に、ガイドブックにある短い紹介文を読んで理解しようとするのだが、その短い紹介文すら、複雑すぎてなかなか頭に入ってこない。封建諸侯の群雄割拠、スペインやフランスの覇権拡張、宗教対立、そして他国による占領など、とにかくいろいろあったんですな、この地方は。で、すこし詳しい概説書になると、もう大変なことになる。フランク王国のシャルルマーニュ、ハプスブルグ家のマクシミリアン1世、カール5世、フェリペ2世、カルロス5世、フェリペ5世・・・などなど、名前さえ覚えきれない多くの人々が登場する。そのそれぞれがどういう関係になるのかなんて、一夜漬け式に覚えられるわけないよね。
でも、今回、ひとつだけよくわかったことは、ブルージュとアントワープとアムステルダムの関係。この三つの都市は、それぞれ国際的商業都市として発展したのだが、それぞれの関係がどうなっていたのかは、ボクはまったくわかっていなかった。で、ボクの今回仕入れた泥縄的知識によると、ですね、最初栄えたのはブルージュ、だったんですね。ところが、ブルージュは沈泥によって港が使えなくなってしまう。そこで、代わってアントワープが栄えるようになった。しかし、オランダが台頭し、ベルギー地域を支配していたスペインに対して強硬な要求ができるようになると、ベルギーの方へ流れている河口を閉鎖することに同意させてしまった。それで、アントワープが衰退し、代わりにアムステルダムが栄えるようになった・・・と、どうもそういうことらしい。
こう考えると、この三つの都市は、時代はかなりずれるけれども、ライバル関係にあった、ということもいえる。そういうライバル意識みたいなものを、今でも引きずっているのか、ちょっと興味あるところだ。ただ、そういうのは、短い滞在ではなかなか感じることができないかもしれない。すこし長期に滞在して、それぞれの街にすむ人々の生の声を聞くと、きっとヨーロッパの歴史ももっとすっきりと頭にはいってくるようになるんだろうね。

2006年03月13日

久米先生と弁当の混乱と待ち時間8分の話

土曜日、同僚の久米(郁男)先生を中心にしたある研究会が、神戸で開かれた。東京方面から他にも何人か参加者がいたのであるが、ボクだけ6時半ごろの新幹線で日帰りすることになった。すると、久米先生が「そんなら美味しい駅弁教えたる。すき焼き弁当買って入るとええでぇ。紐引くと温かくなるんや」という。久米先生は、もともと神戸大学法学部で長く教えられていたので(彼はなんと神戸大名誉教授である)、さすがにこの辺は事情通である。これはありがたい、ボクはいつも弁当に迷うので、とてもいいことを聞いたと思った。そしたら、神戸大(現役の)教授の品田裕先生が横から「でもすき焼き弁当は今の時間だともう売切れですよ」とポツリといい、ニヤニヤしている。ボク「?」。あっ、そうか、久米先生は、売切れることまで見越した上でボクに薦めていたのか。期待を高めてストーンと落としてやろうという、いかにも久米先生らしいエピソードである。
さて、駅に着いて売店で「すき焼き弁当ってありますか」ときくと、まだあるという。「へん、やったね♪」。久米さんを見返せたようで、なんだかうれしくなる。ところが、ですね、その時ボクは、となりで「すき焼きご飯」なるお弁当を買っているお客様がいることに気付いてしまったのです。あれれ。オススメは確かすき焼きベントウだったよな。すき焼きゴハンの間違いじゃないだろうな。ボク「あのぉ、これ、紐ひいて温めて食べるやつですよね」。店員「ハイ」。ボク「あのぉ、そっちのすき焼きご飯は?」店員「あ、こちらも温めるようになってますけど」・・・さあて、困ったぞ。どっちだろう。迷っていると店員が丁寧に説明する・・「白いご飯と別になっていて、生卵が付くのが、すき焼きベントウ。すき焼きゴハンの方は、ご飯の上にすき焼きが最初からのっているんです」。生卵がつく?そんなの聞いてないよう、初耳だよう・・・。そっちでいいのかな・・・。結局単純に値段の高い方はどちらかときいて、すき焼きベントウを買うことにしました。
はっきり言って、新神戸駅で売っている弁当の名前は、紛らわしいです。実は、ボクは次回のことも考えて、あなご関連の弁当についても、ちょっと調査してみたのですね。そしたら、どうです、こちら関連でも「穴子ベントウ」と「穴子ザンマイ」という二つの種類が売られているではありませんか!あとでわかったのだが、穴子ベントウの方は温かくするが、穴子ザンマイの方はお寿司なので温かくしないのである。でも、そんなの、あらかじめ聞いてたとしても、注文する段になってわかんなくなると思うよ。ボクの買ったすき焼きベントウだって、駅のホームでは、「あっちっちすき焼き」という商品名になっていた(←なんというネーミング)。紛らわしいこと、甚だしい。
「あっちっちすき焼き」こと、ご飯別生卵付すき焼きベントウは、紐をさっと抜くと下に敷いてある発熱体が反応するという仕掛けになっていた。箱の横に書いてある注意書きをよく読んで、その指示を忠実に実行に移す。しかし、その後なんと8分も待たなければならない。そう、8分も、です!われわれは、カップラーメンの3分に慣れてるせいもあってか、8分は本当に苦痛でした。8分ぐらいなんでもない、なんて軽く考える方がいらっしゃったら、ご自身でぜひ体験してみてください。絶対なが~~いと感じると思いますよ。でも、たしかに、評判に違わず、このすき焼き弁当は、非常に美味しかったです。久米名誉教授、ご紹介ありがとうございました。
今日からその久米さんたちと、出張です。今度の行き先は、オランダとベルギー。みなさん、またまた、おみあげ話を期待していてくださいね。

2006年03月12日

人間にとって罪(sin)とは何か

先日西欧式ディナーパーティの話をこの日記に書いたが、ボクが人生のある一時期大変お世話になったカナダのご夫妻は、よく難しいトピックを選んで夕食時の会話の題材とするということをしていた。別に正しい答えを出そうとか、相手を論破しようということが目的ではない。難しい問題をどういう風に考えるか、各人おのずと異なる考え方の多様性とでもいうものを、彼らは純粋に知的に楽しんでいる風であった。もちろん英語で行われるのでついていけないときもあったけど、ボクも、できるだけ会話に加わろうと、いつも一生懸命がんばった。
ある日、そのご夫妻のうちに遊びにいったら、その日のお題は「人間にとって最も重い罪は何か」であった。ここでの罪は、英語でいうと、crimeではなく、sinの方ですね。ご夫妻はキリスト教信者ではない。しかし、ボクは、このトピックだとどうしても宗教的な方向へ会話が流れてしまうのではないかな、と思った。そしたら、案の定、嘘をつくこと、他人を軽蔑すること、モノやお金を無駄使いすること、などなど、聖書のどこかに書いてありそうな、ま、はっきりいってありきたりな、項目が次々と挙げられて、「そうだね」、「でもそれはそんなに悪くないんじゃない」というように、議論が展開していった。
彼らの話が一段落したところで、ボクに水が向けられ「マサルは人間にとって何がもっとも悪いsinだと思う?」と聞く。ボクは、そのとき「taken-for-grantedness」ではないか、と答えた。それは面白いねと、ご夫妻は褒めてくれた。実は、ボクは、いまでも、この答えが大そう気に入っている。
take it for grantedは、うまく日本語にできないけど、当たり前と思う、あるいは自明視する、といったような意味である。それを無理やり名詞形にしてしまって、当たり前だと思うこと、あるいは自明視すること、それが人間にとっての最大の罪、というのがボクの考えである。だってそうじゃない、われわれのまわりには、いま自分が享受できていることへの感謝を忘れてしまうようなものがたくさんあるでしょ。健康や才能、与えられた資産や仕事、友人や同僚からの信頼、家族や恋人からの愛・・・などなど。本当は、われわれは、これらのものを自明視することなく、日々守っていく努力をしていかなければならないのですね。
ところが、というか、やっぱり、というか、われわれか弱い人間は、つい、そうした努力を忘れる。そして、これらのものを失うと、自分が不幸になったと思ってしまう。しかしね、実は、これは勘違いなんだね。健康や豊かさ、信頼や愛などという大切なものは、それらを失う不幸を憂うのではなく、それらをいま享受できることを幸福だと思わなくてならない。いつもそんなものが当たり前のようにあると思っては、人生の荒波をなめてることになる、そんな気がするのであります。

さて、最近ボクの教え子の二人が入籍しました。
本当におめでとう。
若いお二人に、心から「お幸せに」という言葉を贈りたい。

2006年03月11日

サム・クック

「♪歴史はあんまり知らないよ、生物学のこともね・・・科学の本も読んだことないし、学校で習ったフランス語もよくわかんない。でも、ボクが間違いなく知っているのは、ボクが君を愛しているということ。そして、もし君もボクを愛してくれていたなら、なんて世界が素晴らしいか、ってこと♪・・・」(「What a Wonderful World」より)
いいねえ、サム・クック。今回カナダへ出張していたとき、スタバに彼のベストアルバムがおいてあったので、つい買ってしまった。帰国してから、もうこればかり聴いている。朝聴いてもいいし、夜聴いてもいい。お風呂に入るときも、ドアを開けっ放しにして、聴こえるようにしている。
多分ボクがはじめてサム・クックの歌を聴いたのは、アメリカに高校留学していた時だと思う。彼が活躍していたのは、せいぜい1960年代初頭だから、もちろんリアルタイムではありませんよ。向こうでは、よくラジオを聞いていたんだけど、そのとき流れていたのですね。アメリカのラジオ局は、古くてもいい曲だったら、ちゃんと敬意を払って、かけてくれる。こうして、文字通り、時代を超えた名曲が作られていく、ってわけですね。で、彼の「You Send Me」とか、「Cupid」とか、「Everybody Loves Cha Cha Cha」とかは、一日に一回ずつぐらいは聞いていたんじゃないかなあ。
最初は、曲をいいなあと思っても、何という人が唄っているのか、わからない。別にDJはすべての曲の紹介をするわけでもないし、こちらの英語の聴き取りも未熟だから早口で紹介されても、「えっ?だれだって?」って感じで過ぎ去ってしまう。たまたま、自分の気に入った曲がかかったときに、友人と車に乗り合わせていたりすると、教えてもらえた。きっと、彼の名前も、そうして覚えたのではないかと思う。
こうした名曲の数々は、映画の中で使われたりしていて、思いがけないときに出会うことになる。冒頭に引用したWonderful Worldは、ハリソン・フォード主演のWitnessという映画の美しい1シーンで、使われている。フォード演じる刑事は、ある事件の目撃者であるアーミッシュの少年をかばいながら、アーミッシュ村に入りこんでしまう。で、その少年の未亡人の母親(ケリー・マッギルズ)と、納屋の中で古いラジオから流れてくるこの曲に合わせて、はじめてダンスするんですね。この曲は、映画の観客だれもがノスタルジーにひたってしまう曲なので、ハリソン・フォードが我慢しきれず彼女をダンスに誘ってしまう気持ちが本当によく伝わってくる。
今度初めて知ったのだけど、サムクックの歌は、ほとんどが彼のオリジナルなんだってね。だからこそ彼の歌には心がこもっているんだということがよくわかった。わかりやすいし、会話調で語りかけるようになっていて、われわれの感覚にピタリとあう。そういう歌をつくる才能は、なかなか一朝一夕にできるものではない。
と思って解説書をよんでたら、「サム・クックは常に書いていた。ナプキンの上。車の中。ホテルの部屋。彼のノートは、歌詞だけでなく、スケッチで溢れていた」、とある。ありゃま、そうかあ、やっぱりなあ。最近日記の更新が遅れ気味のボクには、ちょっと耳が痛いなあ・・・

2006年03月08日

西欧形式ディナーパーティ

ご存知のとおり、西欧社会では、自宅で人をもてなすということが頻繁に行われる。日本ではナンノカンノ理屈をつけて「飲み会」なるものが開かれるが、向こうでもナンノカンノ理屈をつけて「ディナーパーティ」なるものが開かれているのである。もちろん、パーティといっても、家庭のダイニングテーブルに座れる人数はおのずと限られている。大人数立食バイキング形式の場合もあるが、より一般的なのは、4~8人ぐらいがひとつのテーブルを囲んでわりと親密に会話をしようとする、パーティである。小規模形式、親密濃厚空間、礼儀作法結構重要、品目結構少数然熱烈美食、目的即相互理解促進也的、宴席である。
ボクは、長い間北米に住んでいたけれど、この手のパーティがあまり得意ではなかった。おそらくこういうパーティでのエチケットというのは、向こうでは成長していく過程で自然に身につくものなんだろうけど、はるか遠いアジアの国からやってきたボクに、そんなのわかるわけないよね。
たとえば、ですね、招かれたからには、何かギフトをもっていくのが礼儀ですよね。しかし、いったい何をもっていけばよいのか、またいくらぐらいのものを持っていけばよいのか、こんな基本的なことすら、よくわからない。やっぱりワインかな、白ワインだと冷やさなきゃならないから赤にしようかな、いやでも、そもそもアルコールを飲まないひとたちだったらどうしようかな・・・などと、いろいろと考えてしまうわけですね。それから、ディナーでの会話。これについていくのが、実に大変。こういう席では、みんなよくジョークをいう。本当に、ある意味競い合うように、ジョークを飛ばしあっている。しかし英語に不自由なこちらはジョークなのかどうなのか一言も漏らさないように一生懸命聴いてなければならない。で、みんなが笑うと、あわててとりつくろうに笑う(←だって笑わないと失礼だ思われるでしょ)。この、真剣に聴き耳をたてている自分の顔と、みんなにあわせて一テンポ遅れて笑っている自分の顔の、なんというのか、落差、とでもいうのかな、自分で気付いているんだけど、まあ、なんとも情けない・・・
食事での会話は、いつもジョークやお軽い話ばかりではない。こちらの知的レベルが問われるようなこともよく行われた。たとえば、ある誕生会では、ひとりずつ即興で詩をつくって朗読しよう、ということになっちゃった。詩?・・ポエム?・・即興で?・・嘘でしょ?・・・だよね。それから、よく行われるのは、トースト(乾杯)。ワイングラスをスプーンでちんちんとならし、”I propose a toast to Mr.○○・・・” と言い出すと、みんな黙ってそれを聞く。みんながグラスを上げるとき、乾杯の対象とされている人は飲まないのが、礼儀である。この誰かさんに乾杯は、会話をはさみながらひとまわりおこなわれる。つまり、宴が終了する頃には、みんな一回ずつは乾杯の対象になっている、というわけ。ということは、ボクも一度は誰かのために、ちんちんとならして乾杯の音頭を取らなければならないわけ、です。パーティに同席している人でも、よく知らない人ももちろんいるから、あまり最後まで、この音頭とりしないでいると、その日まであったことのない相手のために乾杯の辞をのべなければならない状況に追い込まれることになる。むこうの人たちのすごいのは、それでも、なにかでっち上げるところなんだよね。なるほどそういう風にするのか、うまいもんだなあ、と感心してしまうように辻褄をあわせた祝辞を、みんなでっちあげている。
ボクは、パーティに招かれると、人がやりだす前に、いつも自分から、ちんちんをやるようになった。「ええ、みなさん、今日のこの素晴らしいディナーを作ってくださったシェフ○○さんに乾杯しましょう」。最初に乾杯の音頭をとれば、パーティを開いてくれたホストに対してすればいいので、簡単だからね。