ピーター・ジェニングス
去年まで、アメリカの三大ネットワークのひとつABC放送に、夕方30分間のニュースを毎晩担当するピーター・ジェニングスというアンカーがいた。
ボクは、このアンカーマンが大好きだった。まず、ルックスがとってもカッコよかった。ほとんどいつも、濃紺のスーツをオシャレに着こなしていた。だれが見てもハンサムな上に、だれが見ても知性と気品があふれていた。それから、ニュースを読むときに、まったくといってよいほど、カムことがなかった。ニュースだけでなく、たとえば、選挙速報などの生の実況を担当しても、この人は絶対にトチラなかった。何人かのゲストを同時に招く特別な番組で司会をさせても、実に上手かった。非の打ちどころがなかった。そうしたプロフェッショナリズムが、ボクは本当に大好きだった。
ABCには、テッド・コッペルという、もうひとり有名なアンカーマンがいる。こちらは、インタヴュー相手に鋭くつっこむことが身上で、もっと遅い時間から始まる夜の報道特集番組をおもに担当している。しかし、動のテッド・コッペルに対し、ピーター・ジェニングスはあくまで静。沈着で、ソフトな喋りで、スキがないとでもいうのだろうか、一秒もずれることなく時間ピッタリにおわった。そして、毎晩、「I’m Peter Jennings, Good Night」といって、去っていくのであった。
アメリカのニュース番組は、日本のそれとは大違いで、ごく淡々と、事実を伝えることに重きをおいている。そして、アメリカのアンカーたちは、番組の中で自分のコメントをいっさい言わない。論評は視聴者がするものと、ちゃんとわきまえて自ら身を引いているのである。彼らは、ただ自分の目の前に(あるいは、耳の後ろから)フィードされるニュース原稿を、ひたすら読むだけである。もちろん、彼らは、そうした原稿を作る作業、またニュースを選び、どのニュースをどの順番で報じるかを決める作業の中では、大きな役割を担っているのであろう。しかし、これらは、番組が始まる前までに、すべて完了している作業である。ひとたび番組が始まってしまうと、アンカーにはほとんど何をする余地も与えられていない。いかに間違いなく原稿を読むかが、彼らにとっては何より重要なことなのである。
しかし、ピーター・ジェニングスは、このきわめて小さな裁量の範囲内でも、生きたニュースを演出し、それを伝えることに見事に成功していた。たとえば、とっても憤りを感じるようなニュースを報じた後は、ほんの一瞬、次のニュースへ移る前にためらった。皆が呆れはててしまうようなニュースを報じた後は、眉をちょっとだけ吊り上げてみせた。人間の温かみを感じるようなニュースを報じた後は、照れくさそうに微笑みをチラリとのぞかせた。そして、面白おかしいニュースを報じた後には、肩をほんの少しすくめてみせた。
こうした小さな仕草や表情は、自然にでたものかもしれないし、計算されたものであったのかもしれない。いずれにせよ、それらが見る者を引きつけ、共感をよび、彼が送るメッセージを生きたものにしていた。
ピーター・ジェニングスは、去年、癌で亡くなった。67歳だった。