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2012年04月30日

政治家とプライベート情報

ブログでも、(最近始めた)ツイッターでも紹介した、ボクのお気に入りのShields and BrooksというPBSの番組の中で、政治家と有権者との関係について、ブルックスさんが興味深い分析をしていた(http://www.pbs.org/newshour/bb/politics/jan-june12/shieldsbrooks_04-20.html)。
ご存知かと思うが、共和党の大統領候補ミット・ロムニーは、しばしば、有権者と「connect」していない、と批判されている。メッセージが伝わってこないとか、何を考えているかまったくわからない、という意味である。その理由として、彼がものすごい大金持ちであるということ、あるいは彼がよく意見を変える人(flip-flopper)であることがよく指摘される。しかし、ブルックスさんは、その最大の原因は、彼が自分の生い立ちについて、家族について、語らないからではないか、といっている。彼の父親は、メキシコからの移民であり、また彼はモルモン教の信者である。こうした部分を語ることが、もしかすると共和党という保守政党の候補としては、マイナスに働く可能性はもちろんある。しかし、これらの、いってみればプライベートな部分について語らないがゆえに、彼はいつまでたっても有権者とconnectできないのではないか、とブルックスさんは分析するのである。
ひるがえって、自分のことを考えてみる。ボクがそもそもブログを始めたのは、ゼミ生たちに、自分のプライベートな部分を少し(もちろん全部ではない)見せることによって、文字通り彼らとconnectすることができるのではないか、自分が授業で伝えたいメッセージとか自分の考え方のようなものが通じやすくなるのではないか、という動機からであった。
そして、最近になってボクがツイッターをはじめたのも基本的には同じであり、すこしずつではあるが新聞やテレビに出させて頂くようになったので、読者や視聴者の人にボクという人について若干情報量を増やすことで、connectionがうまくいくのではないか、と思ったからである。
もういちどひるがえって、日本の政治家たちのことを考える。橋下さんがいま人気があるのは、彼が自分の人間性(たとえばけんかっ早いところとか)をちらりとみせているからではないだろうか。かつて小泉さんが絶大な人気を誇ったのも、「なんとか」の一つ覚えのように、郵政民営化、郵政民営化と繰り返して、この人本当に「なんとか」かもしれない、あるいはこの人やっぱり変人だわと、有権者に思わせるような演出に成功したからではないだろうか。そして、いま首相である野田さんが一時期支持率を高くできたのも、自分をどじょうにみたて、ルックスにある種のコンプレックスをもっていることをちらりと垣間見せたからだったのではないか。垣間見せた内容が重要なのではない。(なんでもいいから)垣間見せることによって、有権者がその人を知った気になり、安心する、という効果が重要なのである。
ここには、プライベートな情報を信憑性をもって公開すると、公開した側が大きなアドバンテージを握れるという(どこかで聴いたことのあるような)法則が働いているように思える。しかし、話はそう単純ではないかもしれない。というのは、政治家が、本当に自分のプライベートな部分を見せている、とはどうしても思えないからである(というか、人間はだれでも、本当に自分のプライベートな部分を公開するわけがない)。つまり、有能な政治家は、こうした演出を演出として、演じきっているのであり、ある意味で、有権者はそのような演じきる能力を評価しているのかもしれないのである。

2012年04月28日

小沢判決と検察審査会制度について

小沢判決とそれについての報道やコメントから、いろいろなことを考えさせられた。まず身近なところからいくと、今日付け(だと思う)の朝日新聞に、「小沢氏無罪、司法改革にも影響 議論進む可能性」という見出しの記事があり、それは次のような書き出しで始まっていた。

小沢一郎・民主党元代表を無罪とした26日の東京地裁判決は、検察審査会という「民意」によって強制的に起訴される仕組みや、検察改革で進む取り調べの録音・録画(可視化)のあり方をめぐる議論に影響を与えそうだ(後略)

この後段部分はさておき、前段部分は、検察審査会をめぐる大きな誤解を象徴していると思った。検察審査会は、たしかに制度全体としては「公訴権の実行に関し民意を反映させてその適正を図るため」(検察審査会法第1条)のものである。しかし、各事件について設けられる個々の審査会は、それぞれ審査員11人で構成されるだけであり(同第13条)、その11人というごく少数の人たちが「民意」を代表しているなどと考えることはできない。小沢氏は、民意ではなく、あくまで(検察審査会もその一部である)司法制度によって起訴されたのだ、と考えなくてはならない。
検察審査会に批判的な人たちが快く思っていないのは、民意の影響ではなく、一般の人々、すなわち素人の集団が司法過程の中で重要な一コマを担っているという点である。ボクは、こちらの方の問題は、十分に議論してしかるべき問題だと思う。民主主義は政治の決定を素人に託すシステムである。しかし、それゆえに、民主主義はしばしば少数派や個人の権利を踏みにじる決定をする。多数派の暴挙に対する最後の防御として司法の救済を位置づけるとすると、司法過程を特別な能力と知識をもった専門家に任せるべきだ、という意見は十分に説得力をもつ。
ボク自身は、前にも違う(裁判員制度の導入についての)文脈において述べた通り、一般の人々が司法のプロセスで役割を果たすことを基本的によいことであると思っている(http://kohno-seminar.net/blog/2009/05/citizenship.html)。しかし、そこに問題もないわけではない。たとえば、陪審員制度を採用しているアメリカにおいて、同制度についてよくなされる批判のひとつは、プロの裁判官が、一般の人々が判決を下すための制度上の「案内役」に徹っする一方で、自分自身、判決を下すことについてまわる重い責任を負わない制度に変質してしまっているのではないか、ということである。似たような問題は、一般の人々が参画するすべての司法制度についても生じる可能性があると思う。
もしも、日本でいまのような検察審査会制度がなかったならば、プロである検察は、いってみれば、つねに背水の陣で、すべての事件に取り組まなければならない。しかし、いまの制度のもとでは、自分たちが起訴できなかったとしても、次なる手段として素人の検察審査会による起訴の可能性が制度的に担保されている。そのことを勘案して彼らの仕事ぶりに悪影響が出る、ということはないのだろうか。もしも、検察審査会制度があるがゆえに、プロが戦略的に振るまい、難しい案件を徹底究明せずに素人に任せがちになるという傾向が生まれるとすると、それはまったく望ましいことではない。
制度の構築は、しばしば「予期せざる帰結(unintended consequences)」を生む。それでも、そうした帰結を予期しようとする努力は、不断に続けていかなくてはならない。

2012年04月25日

小沢さんの影響力

26日に判決が予想される小沢さんについて、コメントして下さいといわれたので、考えをまとめてみます。
まず大前提として、小沢さんという人は非常にスタンダードなというか、わかりやすい行動をする政治家だと、ボクは基本的には思っています。彼は自分のおかれている境遇、自分に与えられている試練、すなわち自分に与えられているすべての素材を、ポジティブなものであれ、ネガティブなものであれ、すべて将棋の持ち駒のように、あるいは碁石の配置のようにとらえて、その時々で最適な戦略を取るということを、いつでもつねにしている人です。
さて、目下のところ(というか、このところずっと)小沢さんが直面している戦略上の選択肢は、究極的には単純な二者択一で、すなわちそれは既存の民主党をのっとるという形で復権をはかるか、それとも民主党を離れて新党をつくり、バーゲニングパワーを握るような形で復権をはかるか、のどちらかです。もし他の条件が同じであれば、その二つの戦略に二分の一ずつの確率でヘッジすることになりますが、どうもいまはそうは行かないのではないでしょうか。というのは、まず後者の新党構想の可能性を考えると、この実現性を高めるシナリオは、ひとつには、国民新党を離党した亀井さんと連携し、さらには橋下さんや石原さんを巻き込んで流動的な政局を作り出していこうとするというものですが、これはいまのところまったくうまくいっていません。より現実的なもうひとつの可能性は、自民党と民主党がそれぞれ割れ、大きな政界再編が起こることです。これは、たとえば、いまの民主党の(野田首相の)非常にしたたかな「のらりくらり」路線に自民党がしびれを切らし、その一部が消費増税に賛成にまわり、自民党の中で反増税や反TPP勢力が民主党の中の同じような勢力と連携していこうということになったときに起こるシナリオです。こうなれば、小沢さんにもう一度チャンスがめぐってくることになります。
これに対して、もう一方の、民主党の中に残り復権をはかるという戦略は、いろいろな意味で行き詰まってしまう戦略にしか思えません。第一に、そのようなシナリオは、現政権に対する支持率が下がり、民主党内でふたたび「小沢待望論」のようなものが盛り上がってくることを意味しますが、なかなかそれは起こるとは考えられない。おそらく、小沢さん自身もそのように気づいており、そして小沢さんが気づいているということを、民主党の他の人たちも感じとっている、と思います。
そして、非常に重要なポイントですが、小沢さんはよく数を握っているといわれますが、その多くの小沢チルドレンたちは選挙基盤がきわめて脆弱な人たちです。もし、彼らが次の選挙における再選の確率を上げることができるとすれば、それは民主党に残ることではなく、民主党に見切りをつけて、選挙直前に民主党を飛び出し、反民主の無所属で次の選挙を戦うことだと思われます。こうした人たちの動きを、小沢さんが食い止めることはむずかしく、それゆえ、小沢さんの二つの戦略のうちの一方は、そもそも現実となる可能性が低いのです。
ということはどういうことか。小沢さんには戦略が二つあるようで、実は一つしかない。いってみれば、彼は、自民党を巻き込んだ政界再編に賭けるしかないように思えます。それは基本的に他力本願であり、その意味で彼の政治的影響力、彼が政局を左右する力は、現在においてはそれほど大きくないと考えるのが、正しいのではないか、と思います。

2012年04月15日

原発再稼働について

(BSフジ新番組「コンパス」のパイロット収録に際して用意したメモを、多少修正補筆し、ここに再録します。)

野田政権が、原発再稼働をめぐる意思決定の最後のステップに「政治判断」を位置づけたことは、少なくとも二つの意味で問題であった。第一に、民主党政権は、「3・11」後に、すべての原発を停止させるという選択肢があったにもかかわらず、そうしなかったのであるから、同政権は、実は、すでに一つの大きな政治判断をすませていた、つまり「安全であれば稼働させる」という大きな政治判断を終えていた、と捉えなければならない。「最後の段階での政治判断」をアピールすることで、あたかもこの原初の段階での政治判断がなかったかのように振る舞っていることは、おかしい。第二に、したがって、残されていたのは「安全かどうか」という判断であるが、そのような判断ができるのは、専門家であり、政治家であるわけがない。でたらめさん、じゃなかった、班目さんを退場させることもせず、保安院や原子力委員会の組織構造を刷新することもなく、原子力規制庁もつくれてないのであるから、野田政権のここまでの取り組みをポジティブに評価することは、到底できない。
さて、一般論では、国家の政策を決めるべきは、憲法で定められているように国権の最高機関すなわち「国会」か、あるいは民主主義の理念にのっとり直接的な「国民投票」か、のどちらかでしかない。よく責任をもてるのは「政府」しかないとか、「国」が最終的に決めるべきだ、という声を聞くが、ボクにはこれらの主張の意味するところがわからない。もし、政府を「行政府」のみと捉えているのだとすれば、それは民主主義的というよりはエリート主義的である。議院内閣制のもとでの政府とは国会の多数派を意味することを忘れてはならない。また、原発再稼働論議の文脈においてしばしば言及される「国」なるものが、何を指すのかは、曖昧である。仮に将来また原発事故が起こったとき「国」が責任をもつとしても、その補償は、結局は「国民」からの税金と財産でまかなわれることになる。ゆえに、「国が責任をもつ」、というのは、つきつめると、国民自分たちが責任をもつ、ということに等しい。
では、国会が決めるべきか、国民投票で決めるべきか。ボクは、原発の存廃については後者によるべきだと思っている。この選択は、民主主義における意思決定として間接民主制と直接民主制のうち、どういう場合にどちらが選ばれるべきか、その根拠はなにか、という問題である。
もちろん、現代においてすべての意思決定を国民全体の直接投票できめるということは明らかに非効率的であるが、効率性という基準は、間接民主制をセカンドベストとして選ぶ「消極的な」理由にすぎない。そうではなく、意思決定の手続きとして直接よりも間接が選ばれるより積極的な理由があるとすれば、それは後者は「意見の集約」をできるという点をおいてほかにない。そう、このことを高らかにまた理路整然とうたったのは、ボクが尊敬して止まないJ・マディソンによるFederalist Papers第10篇である。100人の人が集まってそこからひとりの代表を選ぶというのは、その100人のまったく異なる意見を取り込んで意思決定をするためではなく、その100個の異なる意見の最大公約数をみつけていくプロセスである。そして、そのような作業が、個別利益にもとづく対立を打ち消し合う、という積極的な意味をもつのである。
しかし、(マディソンが喝破していたように)このような意見集約は、異なる政策争点や異なる利害をいわば「取引」し合うことによってようやっと成立するものである。ボクは、原発の存廃は、他の争点や利害とリンクさせて決めるべき問題ではない、と考える。なぜなら、それは、人間の想像力を超えた影響を次世代に及ぼすかもしれないという意味で、モラルの問題、つまりわれわれ一人一人が自分の胸に手をあてて決するべき問題、だからである。
最後に、日本では国民投票をする法的手続きがない、という意見をきくが、この意見も、ボクには理解できない。国権の最高機関である国会が、原発存廃について「国民投票する」という特別法をひとつ制定するだけの話であると考える。

2012年04月06日

桜問答

山下公園には、美しいしだれ桜がある。桜の木の寿命がどのくらいなのか、ボクには見当もつかないが、いまが旬というか、ちょうど大人になったばかりというか、本当に美しい姿かたちをしている。ウチの犬と連れ立って散歩をすると、いつも沢山の人が写真をとっている。場所は、ちょうどニューグランドの本館の前あたり。かのマッカーサーも、この桜を見ていたのかもしれない。桜は、それとなく、人を歴史へといざなう。
しだれ桜は、和菓子に喩えると、サクラ餅ではなく、道明寺だと思う。こういって、ピンと来る人は、関東の人である。関東では、サクラ餅とは、クレープのような生地で餡を巻いたものをさす。一方の道明寺は、モチモチした生地によって、餡がすっぽりとその中に覆われている。紛らわしいことに、関西では、後者をサクラ餅とよび、前者を長命寺餅と呼ぶのだそうである。この違いを知らないで関東の人と関西の人が会話を続けると、「こんにゃく問答」ならぬ、「サクラ餅問答」になって、結構おもしろい。まったくもって「いとをかし」である。
なんでしだれ桜がサクラ餅ではなく道明寺なのかというと、別に根拠があるわけではなく、ただそんな感じがする、というだけのことである。ボクには、サクラ餅には、あっけらかんとした若さというか、明るさがあるように思える。つまり、それはソメイヨシノなのである。それにくらべて、道明寺には、どことなく、しっとりとした色気というか、奥ゆかしさがある。それがしだれ桜を思い起こさせる。
ところで、白洲正子さんの書いた『西行』(新潮文庫)の中に(←ちなみに、この本は、ボクが最近読んだ本のなかで、もう圧倒的に、もっとも感動した本、ホント、こんな素晴らしい本があっちゃっていいのか、という本である)、西行と在原業平の桜についての歌の違いについての、名文としかいえない一節がある。

西行の歌
 春風の 花を散らすと見る夢は さめても胸の さわぐなりけり
業平の歌
 世の中に 絶えて桜のなかりせば 春の心は のどけからまし

そして、白洲さんは、こう書く。「これは古今集にある業平の歌で、桜の花を謳歌した王朝時代に、もしこの世の中に桜というものがなかったならば、春の心はどんなにかのどかであっただろうに、と嘆息したのである。むろん桜を愛するあまりの逆説であるが、西行がこの歌を知らなかった筈はなく、同じようにはらはらする気持ちを、「夢中落花」の歌で表現したのではなかったか。そこには長調と短調の違いがあるだけで、根本的な発想には大変よく似たものがあると思う」(87頁)。
さて、どちらが長調で、どちらが短調か。ここにも、何の根拠があるわけでない。しかし、それがちゃんと伝わるところが、「いとをかし」である。

2012年04月03日

ビル・クリントンの失敗論

出張帰りの飛行機の中で、ビル・クリントンについてのドキュメンタリーを見た。生後6ヶ月にして、父親を交通事故で亡くしたこと。高校時代、家庭内で母に対して義父が暴力をふるうという問題を抱えていたが、そんな問題を他人の前では完璧に押し殺し、学業からスポーツから学級委員にいたるまで賞を総なめにして卒業したこと。エール大学のロースクールでヒラリーに会った頃から、すでに政治家を目指し、授業などどうでもよく、人脈をつくることに長けていたこと。驚異的な体力にまかせて、ライバルよりも何倍も有権者と実際に握手をし対話をすることによって、政治家としての名が知られるようになっていったこと、などが印象に残った。
クリントンを全国的に有名にしたのは、1988年の民主党大会での、マイケル・デュカカス候補へのノミネーションスピーチであった。そのとき、彼はあまりに長くしゃべったので、会場でさんざんな評判であった。その場面も映像で紹介されていたが、疑い深いボクなんかは、それもしたたかな計算の上だったのではないか、という気がした。
しかし、どうやら、そうではないらしい。というのは、彼は、そのスピーチの失敗を取り戻すべく、すぐに次の一手にうってでたからである。その策とは、なんと、人気バラエティー番組Tonight Showに出演すること。当時のホスト、ジョニー・カーソンは、それまで決して政治家を自分の番組に出演させたことがなかった。しかし、政治家としてでなく、サックス奏者として出演させてくれというクリントン側のリクエストを、カーソンは結局受け入れた。クリントンが登場し席につくと、カーソンは机の下から砂時計を取り出し、「一体、今日はどのくらいしゃべるんだ?」と訊く。会場が爆笑に包まれる。こうして、この夜、クリントンは、見事に失敗を成功へと変えてしまった。ジョークの通じる若い政治家として、サックスを吹く新しいタイプの政治家として、彼の名前は全国に知れ渡ることになったのである。
クリントンは、「2度目のチャンスは、2度しか与えられないのではなく、それは失敗の数だけ与えられる」という信念を、まさに自分の人生として体現してきたような人である。これに対しては、とんでもない、という保守派からの反対が当然あるであろう。何度も失敗を重ねている人に、いつまでも甘い顔をするのはよくない、と。しかし、クリントンの凄さは、自分の失敗を失敗と、ちゃんと正しく認識する能力にある。
それを、彼はどこで学んだか。まだ若い1期目のアーカンソー州知事であったとき、彼は州の政治をなにもかも変えようとして、失敗し、人気が急落する。再選を目指そうとするも、いとも簡単に落選。しかし、それからしばらくして、知事として返り咲いたときには、クリントンは、誰もが批判しようもない教育問題の改革に特化して取り組み、大成功をおさめる。何がすべての問題に通じる根源的な問題なのかを見極め、それを軸にして戦略を立て直したことによって、彼は優れた州知事としての地位と名声を築き、大統領選挙へとでていく政治的素地を固めたのである。
失敗から何かを学ぶためには、そして失敗を成功へと転化させるためには、まず自分の失敗を失敗として認めることが、必要である。人々は、失敗から学ぼうとする謙虚な者を受け入れ、応援したいと思うものである。すくなくとも、2度目の失敗ぐらいまでは。
政権交代後の民主党の人気が急落したのも、またかつて政権党であった自民党の支持率が回復しないのも、どちらも、失敗を失敗と認め、自らの失敗から学ぼうという姿勢が伝わってこないからなのである。