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2012年03月29日

レイチェル・メドウの戦争論をめぐる雑感

レイチェル・メドウは、アメリカではいわずとしれたリベラル派の論客で、いまではMSNBCで自分の名のついた番組をもつほどに、その実力が認められている。その彼女が新しく書いたDriftという本について、この前Meet the Pressで、本人が登壇して、紹介しているのを見た。ボクはこの本を読んでいないので、その内容がどのくらい事実関係として正確な記述となっているかは判断できないが、番組中に彼女が口頭で述べた中心テーマは、とても興味を引くものであった。
そのテーマとは、いつからかアメリカは戦争をすることに慣れてしまったのではないか、ということである。その一つの原因は、最近アメリカの戦争が、ごく一部の軍人たち(総人口の約10パーセントほど)だけが関わることによって遂行されているからだ、という。逆にいうと、国自体は最近ずっと(時には、同時に複数の)戦争を遂行しているのにもかかわらず、大多数のアメリカ人は、戦争を自分自身の問題として考えなくなっている、というのである。
この見解を聞いて、いろいろなことを考えされた。第一は、いまアメリカで起こっている現象は、歴史的というに値するかという問題。一般の国民をはじめて全面的に国家の戦争へと巻き込んだのは、ナポレオンだったといわれる。それ以前、戦争とは戦うことを職業とする人たちだけの間で行われるものであった。メドウの観察が正しいとすると、アメリカは、戦争の形態が近代以前のそれへと逆戻りする兆候を示している、ということになるのだろうか。
第二は、民主主義と戦争の関係という(政治学上の)大問題。民主主義という政治体制が平和志向的であるかもしれないのは、(かつてカントがいったように)民主主義においては一般の人々が、国家として戦争するかどうか、すなわち自分が戦争にいくかどうか、を決める権利をもっているから、と考えられる。しかし、現代のアメリカのように、つねに戦争にたずさわる人とまったく戦争にたずさわならい人とのあいだに明確な役割分担が確立してしまうとすれば、この民主主義的平和論はその重要な根拠を失うことになるのではないか。
第三は、つねに戦争にたずさわる人とまったく戦争にたずさわらない人とが分断されることの、規範的含意について。直感的には(おそらくメドウもそうであるが)われわれは、このような分断は「よくない」ものと捉えるのではなかろうか。自分の命をかけて国を守っている人がいる傍ら、そのような人の努力が支える安全保障にただ乗りするだけの人がいるという現実は、あまり座り心地のよいものではない。しかし、もしそうだとすると、なぜ、今の世の中には、たとえばジュネーブ条約のような、国家間の戦争においても「文民の保護」が尊重されなければならない、などという真っ向から対立するかのような規範が存在するのか。戦争において軍人は殺してよいが文民は殺してはならないという規範は、命をかけて戦っている人よりもただ乗りしている人の方が人間の価値として重い、という含意をもつことにはならないのか。

2012年03月26日

卒業おめでとう 2012

卒業おめでとう。
2年間、みんなと同じ時代を過ごすことができた巡り合わせに感謝しつつ、立派に社会へと巣立っていったことをうれしく思います。

♪いま、君は、門出に立っている…誇り高き勇者のように…♪。

本当にその通り。だから、昨日の二次会の席では、みんな寂しい、悲しいと言っていたけれども、今日からまた心(と涙腺)を引き締め、ひとりひとり、人生の勇者として振る舞っていきなさい。
二次会の席で誰かが、先生は悲しくないんですかと、ボクに訊いた。悲しいかと訊かれれば、悲しいに違いない。けれども「でも、また下から10期生たちが入ってくるから」と、ボクは答えた。時は常に流れていく。時が流れるから、この世は、美しいのである。君たちも、その流れの中にあるから、ボクの中で、お互いの中でずっと美しく輝く。
いろいろと、意味をつけるとか、解釈を施すとか、そういうことをしてはいけない。この2年間は、まさに、「自分が生きている証拠だけが充満し、その一つ一つがはっきりとわかっている様な時間」だったのではないか、と思う。意味づけられたもの、解釈されたものは、ちっとも美しくない。「解釈を拒絶して動じないものだけが美しい」のである。
これらの言葉を、ボクはいま、最近読み返したある有名な文章から引用しているのだけれども、その作者は、記憶と思い出すことの違いについて、書いている。それをボクなりにいいなおすと、記憶するとは、過去を過去の中に閉じ込めておくことである。それに対して、思い出すこととは、過去をいまとして生きることである。「記憶するだけではいけないのだろう。思い出さなくてはいけないのだろう」と、この作者はいう。そう、思い出が美しくみえる理由を、誤解してはならない。われわれが過去を飾るのではなく、過去が「余計な思いをさせない」からこそ、それは美しいのである。
初めてのゼミに出席した時の緊張した顔、飲み会で「かんぱーい」といってグラスとグラスとを合わせた音、バレーボールをしたとき体育館いっぱいに響いていた笑い声、卒論にオーケーが出たときの安堵のため息。折りにふれ、つれづれなるままに、心を虚しくして、思い出してください。

河野ゼミ8期生のみなさん、卒業おめでとう。みんなの美しい人生に乾杯!

2012年03月23日

岩田規久男『経済学的思考のすすめ』について

知っている人は知っているが、最近ボクは「経済学的思考」がいかにダメか、ということをいろいろなところで主張している。実は、この「経済学的思考」という言葉は、世間ではポジティブに使われており、経済学的思考の「センス」についての本だとか、経済学(的)思考を身につけると「頭がよくなる」などとうたっている本が、よく売れている(らしい)。しかし、このたび、岩田規久男さんの『経済学的思考のすすめ』(筑摩書房)という本を一読して、体系だった学問であるがゆえに、経済学が勘違いしたり、見過ごしている問題があるということは、やっぱり何度強調してもしすぎることはない、と思った。
ちなみに、この岩田さんの本は、辛坊なにがしという素人の書いた経済についてのいい加減な本を批判し、本当の経済学の考え方がどういうものかを、分かりやすく解説するという構図になっている。ボク自身も、政治学や国際関係論をまともに勉強したこともない人たちが、政治評論家とか外交評論家などと自称して、テレビや雑誌などで無根拠な見解を堂々と述べているのを見ると、面白くないと感じることが多い。この意味では、ボク自身、学問を志す身として、岩田さんの心意気には、多いに賛同するところである。
しかし、ボクが納得がいかないと思うのは、岩田さんが傾倒してやまない経済学そのもの、あるいは彼の経済学への過剰な思い入れが生み出している思考の歪み、とでもいうべきものである。まっとうな経済学を真摯に極めようとしている岩田さんが書いているからこそ、ボクには、この本が経済学の限界を見事にいろいろと露呈しているように見える。
第一に、経済学の思考法は演繹であると、岩田さんは繰り返し述べているが、これはミスリーディングである。学問は、方法論的手法や立場によって(他の学問から区別されて)定義されるわけではない。岩田さんは時に「経済学的演繹」という言葉を用い、演繹することがあたかも経済学の専売特許であるかのように書いているが、政治学でも社会学でも、演繹という方法は用いられる。経済学者たちの中には、「経済学帝国主義」により、他の社会科学の分野のことをあまりご存知ない方が多いが、残念ながら、岩田さんもそのひとりなのかもしれない。
第二に、この本では、演繹のみが強調され、帰納の重要性が軽視されている。それでよいかのように誤解しているところが、経済学の大きな限界である。経済学も、帰納なしでは成立しえない。岩田さん自身、リーマンショックという現実に起こった金融危機が新たな知見を導いたことを「経験から学ぶ市場のルール」という項(p.139)で、認めている。仮定から出発し、演繹して命題を導き、命題を検証する。命題がうまく検証されなかったら、仮定に修正を加えて、初めからやり直す。これは、岩田さん自身が思い描いている経済学であるが、この最後の、検証をふまえて仮定を修正するというステップは、帰納そのものである。
第三に、岩田さんは、経済学は「すべて他の条件が同じなら」という思考実験のメリットを強調するが、「すべて他の条件が同じなら」という方法にはデメリットもあると考えられ、その両方をバランスよく捉える必要がある。もしかすると、経済は「すべて他の条件が同じなら」という設定をすることにデメリットが少ない分野であるかもしれないが、他のすべての分野の現象がそうであるとはかぎらない。だとすると、経済学的思考は、案外とその有用性は限られ、経済現象の分析には有用であるが他の分野へと簡単に応用できるものではない(とりたてて「すすめ」るべき思考ではない)可能性もある。
第四に、岩田さんは、経済学を自然科学と同列にならべて論じているが、これは誤りである。自然現象においては、理論モデルによって導かれた予測が、現実に影響を与えることはない。しかし、社会現象では、予測が予測されるべき現実に影響を与えるという回路が開かれている。
最後に、岩田さんは、経済学では、価値の問題に触れるべきでないと考えているが、もしそうであるならば、経済学はやはりダメな学問であるといわざるをえない。すべての価値は、社会的に構築されたものである。「効用最大化」という大前提にせよ、近代以降に生み出された価値観ないし世界観のひとつの現れにすぎず、そのように人間が行動しているかどうかはまったくの仮定の話にすぎない。それゆえ、検証によってこの「仮定」から導かれた「命題」が間違っていたと判明したとき、経済学には(経済学が岩田さんのめざすようなものであればあるほど)、それを変える用意がなければならない。だから、経済学が価値の問題にふれないでよいと安住することは、自己矛盾に陥ることに等しいのである。

2012年03月22日

偶然と運命とのあいだ

この前、お気に入りのModern Familyというコメディをみていたら、母親が子供たちにFacebookで「友達申請」をしているにもかかわらず、子供たちの方が自分たちのプライバシー(誰といつどこへいったというようなこと)がわかってしまうのが嫌なので、なんとかはぐらかそうとするシーンがおもしろおかしく描かれていた。SNS時代においては、どのような人と人との関係性も、「友達」であるか否か、クリックひとつで定義される。実の親子すら、「友達」として定義しなおすことが可能となる。
もちろん、本当の人と人との関係は、そのようにデジタル化されているわけではなく、無関係の「0」から関係のある「1」のあいだをアナログ的につねに揺れ動いている。うまく行っていたと思っていた恋人関係や友人関係が、ちょっとしたきっかけでうまくいかなくなったとき、われわれはそれを0.5とか0.75といった「踊り場」にいったん置いて、様子を見ようとする。そのような踊り場におかれた状態は、場合によっては、長期化することもある。いや、というか、生身の人としてのわれわれの人間関係は、すべて、つねに、どこかしらの踊り場に置かれている、と考える方が正しいのである。
この広い世界において、人と人とが出会うのは、基本的には、偶然である。冷徹に理性だけに基づいて考えれば、このことは、他人同士だけでなく、親子とか兄弟姉妹についても同じくあてはまる。自分の子供も、無数の精子の中のひとつがたまたま卵子と結合して出来た存在であることにかわりはない。その意味では、親子であることの根拠も、究極的には、万にひとつ、億にひとつの偶然によって支配されている、というほかない。
しかし、その一方で、われわれは、偶然を「運命」や「縁」として理解しようとする。そのように理解しようとするのは、理性とともに、感性が人間に備わっているからである。偶然でしかない親と子との関係は、無償の愛が注がれることによって、絆で結ばれたものとなる。偶然でしかない夫婦や友人の関係も、相互のいとしみや思いやりの情、敬愛の念をもってして、かけがえのない間柄となる。偶然でしかない出会いを、偶然としてのみ理解する限りにおいては、意味ある「人生」も「個性」も成立しない。さまざまな偶然を運命として読み返すことによってはじめて、その人の人生がどういうものであるのか、つまり、そもそもその人がどういう人であるのかを、語ることができるようになるのである。
SNSで母親からの「友達申請」をはぐらかそうとしていた子供たちは、親に対する愛情が薄いというのではけっしてない。彼らは、本当の親子関係とはどういうものかを、直感的にちゃんと理解していたのであり、むしろそうだからこそ、申請をはぐらかそうとしたのだ、と考えるべきである。そして、このシーンがコメディとして成立すること自体、偶然と運命とのあいだにある大きなギャップをうめることが意味ある人生を送ることなのだということを、(SNS時代においても)われわれが直感的に理解している証しなのである。

2012年03月16日

吉本隆明さんについての想い出

ボクは、文芸評論とか思想とかの本を読んでいた変わった高校生で、しかし、ボクの高校時代には、そのような変わった高校生をかわいがってくれる変わった先生たちが何人かいた。そのような先生たちは、学校の勉強と関係なく教え子たちを囲んで読書会をしてくれて、ボク(ら)の知らない評論家とか思想家とかの名前を出して、今度読んでみるといいよ、などと薦めてくれた。読書会は、先生たちの家にいって(ときにはアルコールを交えて)行われることもあった。そうした先生たちの家には、決まって吉本隆明全集がおいてあった。勁草書房の、飾り気のない薄茶色のボックスに入った、青色の帯がかかった、あの全集である。ボクの頭の中には、そのようにして、吉本隆明という名前と勁草書房という出版社の名前が刻まれることになった。
大学へと進学することになったとき、親から何が欲しいかと聴かれたので、ボクは、吉本隆明全集と小林秀雄全集(こちらは当時新潮社から新しいのが出たばっかりだった)が欲しい、とねだった。重いのに、親戚筋にあたる本屋さんが、家まで運んできてくれた。ボクは、大学に入るまでのあいだ、それらをつらつら読んだ。印象に残った論文には、鉛筆で線をひき、余白に感想を書き込んだ。この二つの全集は、今でも大事に、ボクの家の書庫にならんである。高校生のときにボクの書いた感想も、もちろんそのまま残っている。
時は、流れて、ボクは研究者としてなんとかひとりだちし、大学で教える身となり、その後『アクセス日本政治論』(日本経済評論社)という教科書の中で、日本政治の見方が戦後どのように発展してきたかという章を執筆することになった。ボクは、どうしてもその中で吉本さんについて触れたいと考えて、丸山真男氏との論争を紹介する形で、吉本さんの「自立の思想」や「大衆の原像」について書いた。ボクの印象としては、「在野」を貫いた吉本さんが、「正規の」というか、大学で教えられる政治学の中でまともに取り上げられることが少ないことが不満だったので、自分ではそのときとても大事な仕事をしたつもりだった。今でもよく覚えているが、平野浩先生と伊藤光利先生から、学会の懇親会の席で、それぞれ、そのことについてお褒めいただいたのが、とてもうれしかった。そうそう、そんな自負もあって、ボクは出版社の方に頼んで、一冊を吉本さんに直接献本してくださるようにと、お願いした。
時は、さらに流れ、縁があって、ボクは、勁草書房から、何冊か本を出させて頂くことになった。ボクにとってみればそれは光栄なことだった。あの吉本さんの全集を出した出版社から、ボクが本を出すことができるようになったんだと、噛みしめるようなうれしさが湧いてきた。
「井の中の蛙は・・・」という、あの鶴見俊輔さんに向けた有名な言葉は、一時だけ編集にかかわった、ある政治学雑誌の編集後記で引用させてもらった。そして、その政治学雑誌とは、ある事情で、訣別せざるを得なくなった。最後まで、身ぎれいに自分を貫いた吉本さんのことが、そのときも、ボクの心の片隅にあった。

謹んでご冥福をお祈りします。

2012年03月12日

セントラルグリル

最近こんなエントリーばかりで悲しくなるが、またひとつ、ボクのお気に入りの場所が消えてしまうのだそうです。想い出のブログ(2008年3月11日付け)をここに再録します。

ボクはレトロな食堂が大好きである。
レトロな食堂では、「ミックスフライ定食」とか「ハヤシライス」などを食べたい。
そう、レトロな食堂には、ミックスフライとハヤシライスがなければならない。
これがレトロな食堂を定義する上での、ボクの大前提である。
で、ミックスフライがあるということは、牡蠣フライもあるし、海老フライもあるし、鯵のフライもあるし・・・ということでなければならない(←これは単純な演繹的推論である)。ま、要するにフライ系はすべてカバーしている、ということでなければならない(これをレンマ=補助命題としておく)。
それから、ハヤシライスがあるということは、カレーライスも作っているということでなければならない(←これは演繹というよりは、アナロジー=類推だな)。
いずれにせよ、ということは、当然(上の「全フライカバー」命題と併せると)、レトロな食堂にはカツカレーもある、という結論が論理的に導けることになる。
                           ・・・・QED(←??)
・・・というわけで、ずっと前から一度入ってみたかった横浜の「セントラルグリル」に行ってきました。
場所は、本町通りと日本大通りの角。「ええっ、こんなところに?」という大きな交差点に、堂々と、このレトロな食堂はある。
入ってみると、フライ系だけではなく、サバ味噌煮定食とか金目煮付け定食とかもメニューに載っている。ゆで卵と納豆は、単品で注文できるらしい。うーん、これにはちょっと迷った。どうしようかな、フライ系高カロリー路線をやめて、こうした小物を従えての煮魚系に大胆に路線変更するかなとあたふたしましたが、ここは初志貫徹と思い返し、ヒレカツカレーを食べることに。そしたら、キャベツがチョコッと付いて、味噌汁まで付いてきました。そう、だから、正確には、ボクが食べたのは、ヒレカツカレー定食なのでした。美味しかった・・・。
ボクにいわせると、世の中には「レトロ風の食堂」はたくさんあるが、本当に「レトロな食堂」はそれらからきちんと区別されなければならない。本当にレトロな食堂というのは、食器や調度品の古さだけで決まるのではない。そこで働いている人たちも「レトロ」に徹してなければならない。だから、若いシェフやウェイトレスだけがやっているレトロな食堂というのは、ボクの定義上ない。レトロな食堂で働く人たちは、カッポウ着を身につけているとか三角巾のようなものを頭にかぶっているとか、あるいはかけているメガネが昭和の時代に流行したスタイルであるとか、どこかしら存在からしてレトロ性をかもし出している人々でなければならない。
もうひとつ、レトロな食堂というのは、(このセントラルグリルがそうであるように)「こんなところに」というような意外な場所になければならない。そして、それはそこにずーっとそのままの形で存在していたのでなければならない。オシャレな六本木や西麻布などに、レトロ風を売りにして新たに改装した店というのは、本当にレトロな店だとはいえない。
レトロな店は、年輪を感じさせる。それは、いろいろな人や事件に出会い、さまざまな経験をつんできた人間がそうであるのとまったく同じ理由で、とっても魅力的である。