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2006年11月23日

コーヒーテーブルと写真と日本のプライバシー感覚の話

ボクのうちにはコーヒーテーブルがある。それは、ソファーの前に置いてあって、2段の透明なガラスでできている。ボクの家に招かれたゲストたちは、まずはそこへ案内され、コーヒーやお茶のもてなしをうける。時間帯によっては、ビールやワインということもあるが、我が家ではとりあえずそこが一服する場所、ということになっている。
前に北米に住んでいたとき、どこの家のコーヒーテーブルにも、コーヒーテーブル用の、趣味のよい本や写真集がおいてあった。ホストがコーヒーや紅茶の用意をしたり、あるいはディナーを料理したりするあいだ、ゲストが手持ちぶさたにならないよう、ぱらぱらとめくるために置かれているのである。それゆえ、なかなか手にはいらない有名な小説の初版本とか、面白いジョーク集とか、凝った写真集がおいてあることが多かった。
ボクはこの習慣はとてもよい気配りになると思っているので、うちのコーヒーテーブルにも常時いくつかの本と写真集を置くようにしている。現に今置いてあるのは、ひとつはカナダで買ってきたグレン・グールドの写真集。もうひとつは南アフリカで買ってきたサファリ(ボクが実際に泊まったリザーブ)の写真集。もうひとつは韓国で買ってきた、夭逝した現代芸術家の作品集。そしてもうひとつは卒業生たちがくれた吉永小百合の写真集。このように、ボクはボクなりに、おもしろい組み合わせを考えて、どのような趣味をもった人が来訪しても対応できるようにしているつもりなのである。
ところが、最近気付いたのであるが、ボクの家を訪れる日本人の友人や知人たちは、これらの写真集を手にとって見ることがまずない。(面白いことに、外国人は必ず手にとる。)どうもうちに来る日本人は、コーヒーテーブルにおいてあるそれらのものが、ボク自身がよく手にするパーソナルな品々で、覗いてはいけないものと思ってるらしいのである。そういえば、コーヒーテーブルの上の写真集だけではない。ボクの家にはいろいろなところに、自分や家族や友人の写真が飾ってあるのであるが、彼らはそれらについても、横目でちらちらみるだけで、お世辞のひとつも言わない。ましてや「ここに写っているこれ誰?」などと質問することもないのである。
こうした経験は、日本におけるプライバシー感覚のちぐはぐさを物語っていると思う。ボクにしてみれば、ある人を家に招待したということは、もうその時点で、その人に対して自分のプライベートな空間を見せる覚悟を決めたということを意味する。だから、ボクにいわせると、すでに家まで入り込んできているくせに、コーヒーテーブルの上の写真集を手にとらなかったり、壁にかかっている写真について何もコメントしないのは、むしろおかしい。もちろん、どうしても隠したいベッドルームとか洗濯物とかのある部屋は、ドアを開けてないので、そこではちゃんとプライバシーを守っている。しかし、こちらが共有するつもりでいた空間を共有してくれないのは、どこか手を差し伸べたのに拒絶された感じがして、寂しい感じがするのである。
もしボクがある人の家に招待されていくことになったら(そしてパーソナルな写真がそこに隠さず飾ってあったら)、そのホストはボクとプライベートな空間をある程度共有する心構えでいるのだなと解釈すると思う。そのとき、こちらが何も反応しなかったら、かえって相手に対して失礼にあたってしまう。なぜなら、それは、自分にはあなたとプライベートな空間を共有する心構えがありませんよと宣言しているととられても仕方ないからである。

2006年11月20日

本能と直感について

先日、ある人と話していたら、われわれ人間が普段の生活においていかに本能や直感に頼って生きているか、しかしそれにもかかわらず、いかにそうした能力を過小評価しているか、ということで意見が一致した。いうまでもなく、近代以降、人間社会においては、「理性」なるものが重んじられるようになった。また、喜怒哀楽といった「感情」も、人間にとってそれなりに大事であると、一般に考えられている。それに引き換え、本能とか直感はどちらかというと軽んじられ、むやみやたらにそれらに従ってはいけないと諭されることが多いように思える。しばしば、本能に従うことは、他の動物と同じレベルに人間を引き下げる、蔑むべき行為であるかのように語られる。そして、われわれは、学校選びとか結婚とか就職とかいった人生の岐路の重大な決定を、単なる直感によって決めてはいけないと、小さい頃から教えられて育つ。
しかし、人間も動物である。動物は、種の保存や身の安全のために、さまざまな鋭い感覚を発達させている。たとえば、動物は、すれちがいざま(あるいはすれちがうはるか以前から)、瞬時にして、相手が自分に対して危険な存在かどうかを直感で察知するようにプログラム化されている。同様に、動物は、膨大な選択肢の中から、子孫を残すためにはどの相手と生殖行為を行うのが適切かを、本能的に見きわめるようにプログラム化されている。当然のことながら、そうした感覚は、人間も身につけている。そして、実に驚くべきほどに、われわれは普段から、そうした感覚をおおいに使って生活しているのである。
たとえば、われわれは、電車に乗って席が空いていても、その空いている席の横に座っている人の目つきとか風体とかから何かを感じとって、「この人の隣りには座りたくない」と瞬時に判断する時がある。また、われわれは、暗闇を歩いていて向こうに人影が見えたとき、その人影の動きや雰囲気から、それが危険な人物かそうでないかを、やはり瞬時に判断することができる。さらに、われわれは、食事の席やパーティーの場で、ある異性が自分に対して関心を向けてくれているかどうかを、その人の視線とかボディランゲージのようなものを通して実感することもある。これらの感覚は、その根拠を示せといわれると、なかなか示せるようなものではない。しかし、こうした本能とか直感が働いているからこそ、平均的な人生の中で、われわれはそれほど多くの事故にもあわないし、またそれほど多くの事件に巻き込まれることもない、ともいえるのである。
それゆえ、コミュニケーション手段が文字媒体であるとき、しかも手書きの手紙ではなく、電子メールのような決められたフォントを使わなければならないとき、われわれは、多くの利用すべき感覚を利用できない状態のまま、意思疎通を図ろうとしているのだ、といわねばならない。電子メールのやりとりから、友情や愛情を育んだり、信頼や尊敬を構築しようとすることはきわめて難しい。電子メールは便利であるが、電子メールによるコミュニケーションが誤解や行き違いに発展しやすいことは、肝に銘じておかねばならない。
さて、近日中に、いよいよ新しいゼミ生候補たちとの面接が始まる。
ボクの直感と本能をフルに利用して、今年もまたよい学生たちにめぐり合えるようにしたい。

2006年11月15日

「エキストラ」

先日、新宿紀伊國屋のサザンシアターで、東京ヴォードヴィルショーの公演「エキストラ」を見た。
ヴォードヴィルの芝居を見るのは、たしか3回目である。もう2年ぐらい前、ヴォードヴィルに所属するある女優さんと仲のよい友人に誘われてはじめていったらとても面白かったので、ボクは、それ以来ずっと、機会があったらまた行きたいとお願いしている。今回は三谷幸喜作・演出で、しかも伊東四朗さんが客演として出るので、どうしても見たいと思っていた。それが実現したわけである。
そしたら、期待通り、よかった。
なんといっても、伊東四朗さんが素晴らしかった。観客の視線を一手に引きつけておいた上でストンと落としたり、まったく思いもかけない間で登場してきたり、会話の受け手(ボケ)を絶妙に演じたり、それでいてちゃんと哀愁を漂わせたり、いやホント、感激しました。
それから、同じく客演の(欽ちゃん劇団出身の)はしのえみさんも、明るくてとってもよかった(ちょっとファンになってしまいそう)。もちろん、大黒柱である佐藤B作・あめくみちこご夫妻も、相変わらず元気いっぱいで、十分楽しませてくれました。
ひとつのセットで、2時間、それも休憩なしに突っ走るというのはかな~り凄いことである。三谷さんの芝居は登場人物が多いことで有名らしいが、今回もちゃんとそれぞれの人物にコネタが仕掛けてあった。こういうシナリオを書くの、楽しいだろうなあ、と思いながら、ボクはうらやましくみていた。この展開のあとにあの話しをもってきて…とか、このシーンのためにはあそこでネタをまいとかなきゃ…とか、結局シナリオづくりというのは、よい学術論文を書くのとまったく同じ作業なのである。
芝居が終わった後で、(友人にくっついて)楽屋を訪ねるのがまた楽しい。出演者のハイテンションがそのまま持続されていて、そこらじゅうにエネルギーがみなぎっている。「あの場面マジで笑いがとまらなくて困ったわ」とか「あそこでトチッちゃってさあ」とか、いろいろ裏話もしてくれて、それをまたほかの劇団員が横からからかったりして、なんか家族のような感じがする。もちろん、中に入るといろいろ神経を使う嫌なことも多いのだろうけど、すくなくとも芝居がハネた直後は、みんな生き生きとしている。
公演は、翌日も、その翌日も、ずっと続く。役者さんは、体調を崩すわけにはいかない。だから、彼らは、楽をむかえるまでは、飲みに行ったりすることもできない。しかも、ひとつの公演がおわると、次の公演が控えている。すぐその稽古に入らなければならないので、ゆっくり休養したりすることもできない。
こう考えると、舞台俳優というのは、かなり強固な自己規律とコミットメントを必要とする職業である。
この辺は、われわれ学者と似ている、とはいえないかもしれない。

2006年11月13日

テニス

ラケットを持って大学のキャンパスを歩いていたりすると、同僚や学生たちから「もうテニスは長いんですか」と聞かれたりすることがある。
そういう時は、「ええ、結構長いんです。でも、ちっともうまくならなくてね」と答える。
ボクが最初にテニスをしたのは、高校時代にアメリカに留学したときである。ホストファミリーの弟がかなりの経験者で、彼に手ほどきを受けたのが最初であった。その後、スタンフォードに留学していた時代に、かなりやった。テニスメートがいたので彼女と毎週水曜日に時間を決めてやっていたし、日本人の留学生仲間と週末遊ぶことも多かった。スタンフォードではキャンパスのいたるところにテニスコートがあって、気軽にできたのが本当によかった。
そして、日本に帰ってきてからは、すでに7―8年続いている。
日本では、毎週テニスをする仲間たちがいる。テレビ関係者、音楽家、サラリーマン、アパレル関係の人、サーファー・・・などなど、実に多彩な人たちが集まって、土曜の夜遅くから、ある場所でやっている。ボクも都合のつく限り、行くことにしている。いや、都合がつかなくても、無理に行くこともある。このあいだの土曜日もそうであった。いまのボクの生活は、無理に都合をつけないと仕事で首がまわらないくらい忙しいので、気分転換のためだと割り切って、参加することにしているのである。
仲間内のテニスといっても、のんべんだらりとやっているわけではない。大学時代に体育会でやっていた二人がコーチの役割をしてくれて、ミニテニス、ストローク、ボレー、サーブ、サーブアンドリターンの一連の練習を、まずみっちり約1時間15分ぐらいする。全身汗まみれになり、はあはあ息が切れるまでやらされる。そして、そのあと45分ほど、パートナーを代えてダブルスで試合をする。われわれの2時間の練習は、本当にうまくなるように組まれている。それに比べると、ある有名なテニススクールに入ったこともあるが、はっきりいって、ああいった類いは、時間の無駄、お金の無駄だと思う。
仲間うちでボクは一応「センセイ」と呼ばれている。しかし、もちろん大学教授だからといって、容赦はない。厳しい「愛のムチ」がどんどんくる。「センセイ、足動いてないよー」、「センセイ、かまえてかまえて」、「センセイ、よくボールみてー」、「センセイ、足、足」・・・などという指導が、次々に大声で飛んでくる。どうもボクに対しては特に厳しいのではないか、と思うこともある。このコーチの二人は、大学教授という職業に対して恨みでもあるのではないか、大学時代、教授の先生にいじめられたのではないか、とかんぐりたくなるほどである。
仲間うちでは、ボクが一番下手である。下手なりにうまくはなっているのであるが、ほかのみんなも同時にうまくなっているので、いつまでたっても彼らに追いつかない。しかし、テニスの上達というのは、語学の上達に似ている。日々努力しても、短期的にはその向上はなかなか目に見えないが、たとえば一年前と比べたら、確実に格段によくなっていることに気付く、そういうものである。
娘が日本に来ると、この仲間たちはいつも暖かく彼女を迎えてくれる。ボクはそのことに、大変感謝している。ふた月後、彼女が日本にやってくる。日本で何をしたいかときくと、娘は必ず「テニス、それからテニス」と答えるのである。

2006年11月07日

エスカレーター設置の恩恵と誘惑

しばらく前になるが、JR高田馬場駅にエスカレーターが新設された。以前は、早稲田方面に行くには、階段を降りるしかなかったが、今ではこのエスカレーターを下っていくことができるようになった。エスカレーターで降りたった地点の方が、階段で降りたつ地点よりも改札口に近い。ご存知のように、高田馬場駅はいつも込んでいて、人を掻き分けるように歩かなければならない。新しい経路の方が、すれ違う人の数も少なくてすむので、とても便利になった。
で、この新しいエスカレーターの設置であるが、実は、もうひとつ、ボクに思いがけない恩恵をもたらしてくれている。それは・・・(エヘヘ)・・・。
以前は、渋谷で山手線に乗る際、高田馬場駅の階段の位置に合わせて乗るようにしていた。しかし、今度できた新しいエスカレーターは、階段よりすこし後方(新宿寄り)に設置されている。そこで、ボクは、最近、このエスカレーターの位置に合わせて乗るようになった。ちょうど6号車の車両の一番後ろにあたる。ホームに電車がきてないと、当然、ボクはその位置で電車を待つことになる。すると、である。すると、ナント、である。目の前に、あの吉永小百合さんがいるのである♪。
そう、Sharpアクオス、「世界の亀山モデル」のどでかい広告が、ボクの目の前にがががーんと掲げられている。吉永さんは、和服をさらりと着こなして、すこし横を向いて座って、微笑みをたたえている。「たたずんでいる」という雰囲気である。どうしたって、ウットリと、見とれてしまう。
いっておきますが、ボクぐらいの年齢になると、そうたやすく、電車の中刷り広告とか駅のポスターとかをじろじろ見入ったりすることはできない、のであります。しかし、電車を待っているボクには、6号車の位置に立つ正当な理由があるのです。別に「見入ってたい」ために、その位置に立っているんじゃないんだからね。高田馬場で降りたとき「そこにちょうどエスカレーターがあって便利」という理由で、ボクはその位置で電車を待っているんだからね。誰に説明する必要もないのだが、ボクはこうしてちゃんと理論武装をした上で、毎朝素晴らしい目の保養ができるようになったのである。エヘヘ。すくなくとも、この広告が掲げられているあいだはね。
さて、実は、もうひとつ、エスカレーター設置によって、とても気になることができてしまった。それは「駅の定食屋ちゃぶぜん」。エスカレーター新設にともなって、高田馬場駅の地下通路にできたお店である、エスカレーターを降り、右へ曲がると、どどーんと丼物の写真が張ってあり、そこに「丼、持ち帰り可」の文字がある。この「持ち帰り可」に、「むむ・・」と一瞬どうしても心が躍る。踊らされて、それでも先へ進むと、今度は「モーニングサービス有り」という文字が目に入る。それが二の矢だとすると、「椅子席あります」という三の矢まで、ある。うまい。実に、うまい。もう完全にこちらとしては興味津々である。いつか入ってみたいなあ、という気にさせられている。どうしようかな、いつか朝ごはんをここで思い切って食べてみるかな、と。
ただ、ここは食券を買うシステムになっているのですね。誘惑に負けて入っても、食券を買うのにモタモタして、学生に見つかっちゃう可能性大である。「先生、今日、ちゃぶぜんで、食券買ってましたね、何食べたんですか」なんて、いわれるの、やっぱりはずかしいかも・・・。

2006年11月03日

ある日の出来事

アムステルダムで21COE-GLOPE主催の国際会議が無事終了した。以下は、日本へ帰る日に起こったいくつかの出来事である。
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12時にチェックアウトしてロビーで待ち合わせすることになった。しかしアシスタントとして連れてきた(ボクの院生の)仁木君が現れない。部屋に電話してもでないし、ドンドンとドアをたたいてもいない。部屋には「Don’t Disturb」のサイン。
COE事務局の鈴木さん:「実はきのう、チェックアウト12時、ピックアップ12時50分と念を押したんですけど、そういえば仁木さん、ちょっと反応がにぶかったんです」
ボク:「もしかして、『チェックアウト』の意味がわからなかったんじゃないですかね」
清水(和巳)先生:「いくらなんでも、それはないんじゃないですか」
ボク「だって、アイツこれが初めての海外経験ですよ。国内でもホテルに泊まったことがなければ、チェックアウトっていわれても、なんのことかわからないんじゃないですかね」
一同:「・・・」
そこに、仁木君登場。頭をかきながら、「いやー、道に迷ってしまいました。スミマセン」
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空港までのタクシーの中での会話。
清水先生:「・・・しかし、英語をしゃべっている河野さんって、カッコイイですよね」
ボク:「いや、清水先生がフランス語をしゃべれる方が、全然カッコイイと思います」
藪下(史郎)先生:「そんなこというと、河野君はいつも変に取るんだ。『それって、英語をしゃべってないときの自分はカッコよくないんですか』とかなんとか・・・」
ボク:「そ、そ、そんなことないですよ」
藪下先生:「そうじゃないか。この前も青木(昌彦)さんが河野君の英語はうまいって褒めてたと伝えたら、君は『なんだ、褒めてくれたのは英語だけだったですか』とかいって、残念がっていたじゃないか」
ボク:「そんなことありましったっけ。でも、いいんですよ、もう・・・。最近、自分でもいいと思うのは、英語しゃべることぐらいしかないかな、と思うようになってきたんで・・・」
鈴木さん:「いや、河野先生、声がホント素敵ですよね。講演なさっているときも、電話のときも・・・」
藪下先生:「ほら、そういうと、彼また『素敵なのは声だけですか』って、いじけちゃうよ」
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飛行機の中で、鈴木さんがお金の精算のため、搭乗券の半券を回収しにくる。
鈴木さん:「いまのうちに回収しちゃいます」
ボク:「それは、用意がいいですね」
鈴木さん:「実は、もうなくしちゃった人が居るんです、足立さんです」
ボク:「それは、ヒドイね」
鈴木さん:「・・・あら、先生の隣の方、とっても美人さんじゃないですか」
(ちらりとそちらを確かめたものの)ボク:「・・・」
鈴木さん:「先生、こんなところで、ナンパしちゃだめですよ」

2006年11月02日

一期一会

1回しか○○したことがないけれど忘れられない××。
人生も長く生きてくると、こういうもののリストが結構増えてくる。
今日は、ボクが一度しかいったことがないけれども、忘れられないレストランを二つ紹介したい。
ひとつは、カリフォルニアのモントレーにある「Inn at the Spanish Bay」。もう10年以上も前のことだが、ここで食べたコース料理は、一生忘れられない味となった。モントレーは、ボクの通っていたスタンフォード大学から車で3時間ぐらいのところにある町で、ゴルフリゾートとして全米でも有名である。数あるレストランの中で、たまたま迷い込んで食べたのが、このInn at the Spanish Bayのクラブハウスであった。それまで貧乏な院生だったので、ほとんどコース料理などというものを食べたことがなかったが、今思えば、そのときは博士号をとったばかりで、多いに散財しようという気になっていたのであろう。ゆったりとしたソファーのような椅子から、大きな窓ごしに波が打ち寄せるところが見えて、ロマンチックというよりはゴージャスという感じであった。それは、ボクが一人前の大人になってはじめて経験したちゃんとした食事といっても大げさでないかもしれない。なかでも特に印象に残っているのが、真ん中あたりに出されたイカ墨リゾット。オニオンと香草とチーズの風味で臭みが消え、ライスをトロリとさせている食感が絶妙であった。デザート(なんだか覚えていないのだが)もとびきり美味しかった。実は、最近モントレーに住んでいる人から便りを貰って、当時の感動をとても懐かしく思い出していたのである。
さて、もうひとつの忘れられない店も、カリフォルニアにある。それはサンフランシスコ郊外のサウサリートという町にある、Angelinoという小奇麗なイタリアンの店。地元のおなじみさんばかりで、店のスタッフも客同士もみんな知り合い、という感じの店である。ボクはここへはほとんど偶然に入ったのであるが、そこで食べたラヴィオリはもう一生忘れられない味となった。中はリコッタチーズ入りで、ソースはボルチーニマッシュルーム入りのソース。あんまり美味しかったので、ボクは、何かのついでにフロアーに顔を出したシェフをみつけて声をかけて、その作り方を尋ねてしまった(←この辺が、なんともボクのずうずうしいところである)。「あの~企業秘密でしょうけど・・・ご覧の通りボク日本人なんで・・・けっして商売敵になろうなんて思ってないんで、教えてもらえませんかね」。そしたら、白髪の人のよさそうなシェフは、親切に教えてくれた。「コツは、マッシュルームソースとトマトソースを別々に作って、最後に合わせるんだよ」。それ以来、この作り方は、我が家では「アンジェリーナ風」と呼ばれ、さまざまなパスタ料理に使われている。
旅先でいくレストランはもちろん別だが、身近にある良いレストランの重要な評価の基準は、「いついっても美味しい」という安定性にある。野田岩の白焼き、神田まつやの海老天ぷら、アントニオ(渋谷)のVeal Parmigiana、代々木上原○○の焼き鳥、自由が丘丸栄のヒレカツ・・・これらは、毎回期待を裏切ることなく、そのたびごとに、一期一会を感じさせてくれる貴重なお店である。