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2008年09月29日

ザ・ディベート

仙台出張を日帰りにして、一生懸命早く家に帰り、オバマとマッケインのディベートを見た。いやー、便利な世の中になったもんだ。きっとどこかにあるだろうと思って探したら、ちゃんとBBCのサイトに、最初から最後まで約1時間半をそっくり映してくれるのが早くもアップされていた。それを夜の1時ぐらいまでかけてみた。ディベートの会場は、ミシシッピ州のある大学。かつて黒人だと、通うことのできなかった大学である。
さて、ボクの印象では、マッケインが勝ったんじゃないかと思った。マッケインはオバマの方を見ないで、司会者ばかり見てしゃべっていた。自分を格上にみせる演出を意識的にしているのではないかと思った。またマッケインは「オバマ上院議員はどうも理解されてないようだが・・・」というフレーズを繰り返していた。それも、ボディーブローのように、有権者に響いていくのではないか、と思った。
ところが、今日Podcastで、ディベートを分析しているいろいろな番組を見ていたら、どうも若干の差でオバマが勝ったという評価がアメリカでは一般的らしいことがわかった。ABCのGeorge Stephanopoulos(クリントン政権の時の報道官)は、項目ごとに細かく採点票をつけていて、たとえばボクが有利だと思ったマッケインの目線を、むしろ「カメラや一般有権者に向かってしゃべっていない印象を与えた」とネガティヴに評価していた。また、どこの放送局の分析だったか忘れたが、オバマが「切り返せるところを切り返さないで自重した」ことを重視していた人もいた。たとえば、マッケインがオバマに対し「あなたは富裕層をどう定義するのか」と聞いた場面。これは、マッケインがオバマの定義のあいまいさをつくつもりで発した言葉であった。これに対して、オバマは「いくつも家をもち、何台も車をもつあなたのような人だ」と、マッケインのイメージをそのまま使って反論できたのに、それをしなかった、というのである。また、たとえばマッケインがオバマに対し「あなたは外交の経験がないようだ」と批判した場面。これに対してオバマは「じゃあ、あなたの選んだ副大統領候補はどうなんだ」と言い返せたのに、それをしなかった、と。なるほどなあ、と思った。
こうした専門家による分析報道をみていて、考えさせられた。政治というのは駆引きであって、政治を観察している人たちはそれが駆引きであるということを知っていながら見ているのである。もっとも、駆引きであることはわかっても、正確にどういう駆引きが起こっているかはわからないときもある。上の場合、オバマは「反論しなかった」という戦略をとった。一見それはオバマにとってマイナス材料のようにもみえるが、もし「反論できるのにしなかった」ということが誰もが知っているような共有知識として確立していたのならば、それはオバマにとってプラス材料に転じる。「オバマっていう人は、汚い口論をしない人なんだ、ということは、彼が論争的になるときはきっと大事な問題だからにちがいない・・・」というようなポジティヴな評価につながっていくからである。
要するに、有権者をなめてはいけない、ということなのである。マッケインが「あなたには経験も知識もないようだが・・・」というとき、そこには「じゃあ、あんたの副大領候補は何なのよ」と切り返している数千万人の有権者がいるのである。そして有権者たちは、それぞれの政治家が、そうした(有権者の)無言の反応に気付くか、気付かないかを冷静にみきわめようとしている。すくなくともオバマはそれに気付いているからこそ、自重戦略を選んだのである。
別に、ひるがえって日本の政治がどうこう、というつもりはない。ただ、今回の自民党総裁選は、その意味では面白い分析材料を提供してくれる。どう考えても、有権者の多くは、この総裁選は最初から出来レースで、真剣勝負だったとは思っていない。ということは、自民党は「有権者が出来レースであることを知っている」ことを知りながら、総裁選をするという戦略をとったことになるが、それはなぜなのであろうか。それとも、まさか「有権者が出来レースであることを知らない」とでも思ったのか。まさか。

2008年09月27日

最近印象深かった言葉から

まずはイチロー。王監督の引退についてのコメント。
「偉大な記録を作った人は、たくさんいます。が、偉大な人間は、そうはいません。」

続いて、北京パラリンピックで2つの金メダルを獲得する活躍をした陸上の伊藤智也選手。インタヴューのマイクを向けられて、「この優勝は、人生で5番目に嬉しいです」と答えていた。「?」「子供が4人いるものですから。」

次は、ご存知、Sarah Palin。外交が弱点といわれている。その外交について、CBSの女性アンカーKatie Couricとの独占インタヴューが、非常に面白かった。「あなたは最近、(自分が知事である)アラスカがロシアと近接していることが、あなたの外交経験だとおっしゃっていますが、それはどういう意味ですか。・・・どうしてそのことが、あなたの外交上の信用を上げることになるのか私に説明してください。you've cited Alaska's proximity to Russia as part of your foreign policy experience. what did you mean by that? ・・・explain to me why that enhances your foreign-policy credentials」との質問に対し、「それは、ウチの、ウチのお隣さんが、外国だからよ・・・プーチンさんがアメリカ合衆国上空に来るとき、どこに行くと思う?アラスカなのよ。because our, our next-door neighbors are foreign countries・・・as Putin・・・ comes into the air space of the United States of America, where do they go? it's Alaska」この人、語れば語るほど、ホント、笑わせてくれる。みなさんも、英語の練習に是非You Tubeなどで見てください。

さて、次は日本の政治家小池百合子氏。自民党総裁選に負けたのに、カメラの前で笑顔を振りまき、いろいろコメントしていた。その中の一言。「政策論争をしているうちに、みんながすり寄ってきて、4人の男性に抱きつかれ、セクハラ状態だった。」この人、本当のセクハラがどういうものか、知らないのでしょうね。本当のセクハラを受けたことのある人が、その後どのように陰鬱な人生を送らなければならないか、来る日も来る日も思い悩み、眠れない日々が続き・・・、などということについて、きっとこの人は想像力がまったく及ばないのだろうと思った。いや、きっとそれほどまでに想像力に乏しい人だから、自分がセクハラを受けたのかどうかも、ほんとうにわからないのかもしれない。あのね、断言しますから、小池さん、あなたはあの4人の男性(麻生さん、石原さん、石破さん、与謝野さん)からセクハラなんて受けてませんから。どうぞ安心しておやすみになってください。

最後は例のJason Mrazの唄の一節。I’ve been spending way too long checking my tongue in the mirror and bending over backwards just to try to see it clearer. But my breath fogged up the glass. And so I drew a new face and laughed. 自意識過剰な自分に気付き、一端はそれを笑い飛ばす。しかし、過剰な自意識は、またそういう自分をすぐさま取り込むもの。この人、まだ若いのに、そういうところ、うまく摑んでいると思った。

2008年09月23日

知っているようで知らないアメリカ建国の話シリーズその⑨~スコットランド系マディソン~

ジェームズ・マディソンをボクが敬愛してやまないのは、彼がアメリカの憲法に「三権分立」と「抑制と均衡」の概念を取り入れたからである。いうまでもなく、これらの概念は、今日世界に普及している立憲主義思想の根幹をなしている。そういうと、そのような考え方の先駆けはロックだったとか、いやモンテスキューだっていたじゃないか、などという反論がきこえてきそうである。しかし、ボクに言わせればマディソンの偉大さは、彼らの比ではない。なにしろ、マディソンは、ひとつの成文憲法の中に、理論上の抽象的な概念に過ぎなかった「三権分立」と「抑制と均衡」を実際に組み入れちゃった人なのである。有言実行の男なのである。単に書物だけしか残していないロックやモンテスキューとは、格が違う。
さらに言えば、マディソンの知的背景には、ロックやモンテスキューとは明らかに異なる伝統が流れている。それは、スコットランドの血である。まだ若い頃、マディソンはプリンストン大学を卒業した後、一年間居残って勉強した。ヨーロッパの啓蒙思想についてのマディソンの博識は、そこでの読書経験がもとになっているのだが、マディソンの先生は、John Witherspoonというスコットランド人の先生であった。そこで彼が盛んに読んだのが、アダムスミスであり、ヒュームであった。スミスもヒュームもスコットランド系。また、Witherspoon先生の先生も、またFrancis Hutchesonというスコットランド人であった。ちなみに、マディソンの盟友ジェファーソンの大学時代の先生もまた、William Smallというスコットランド人であった。
当時のスコットランド系の政治思想の特徴は何かといわれると、ボクのような素人にはウケウリしか提供できないが、中でも重要なのは「世俗性」と「抵抗の思想」だったのではないかと思われる。
たとえば、ロックにとっての人間の平等は、あくまで「神の前」の平等でしかなかった。しかし、そもそもそのような神学的な立場と個人の権利の絶対性とが本当に両立するものなのか、怪しい。さらに、「権力を分立させなければならない」という発想は、「全能者」を認めてしまう立場と、論理的に矛盾している。後者のような立場からすれば、理想の政治は、権力を分割したり抑制しあったりすることではなく、いかに全能者が行うような状況に現実を近づけていくか、ということに求められるはずである。しかし、マディソンたちの前提は、そんなことは無理に決まっているではないか、というものであった。18世紀末に誕生したアメリカ憲法のひとつの重大な貢献は、宗教との決別だったのであり、もちろん、それは当時としては画期的だった。
もうひとつ、マディソンがスコットランド系思想に魅かれた理由は、スコットランドの政治的立場そのものにも由来する。周知のように、スコットランドは1707年に、イングランドと合併させられた。合併に反対する立場の人々も多かったが、軍事力および経済力に勝るイングランドに抵抗することは不可能であることは明白であった。しかし、抵抗の思想は、それから脈々とスコットランドの人々の考え方に受け継がれていく。当時としては、スコットランドも、13の植民地も、イングランドにとっては「辺境」だったことにおいて共通であった。それゆえ、辺境であるアメリカが反乱を起したとき、彼らの精神的支柱にはスコットランド人たちの思想があったのである。(この項、Ian Mclean “Before and after Publius,” in Samuel Kernell ed James Madison, Stanford UP, 2003から多くを学んだ)

2008年09月15日

夏の収穫2008

バンクーバーで過ごした楽しい夏が、今年もまた終わってしまった。この夏の収穫は、というと・・・

音楽:去年と比べると、あんまりCDを買い込まなかった。買ったのは2枚だけで、1枚はセロニアス・モンクがはじめてオーケストラ(といってもブラスとサックス)を率いて演奏したときのもの。Blue Monkが入っていたので買ったのだが、インパクトは今ひとつでした。もう一枚はJason MrazのWe sing, we dance, we steal things。車の中で、娘のipodをさんざん聴かされ、その多くはボクには耐えられないような曲ばかりだったのだが、この人のI’m yoursという曲だけは気に入って、教えてもらって買った。買ってみたら、CD全体としても、アコースティック感で統一されて、とても満足でした。こういうのばっかり聴いていればいいのに、と思いつつ・・・。

本:この夏もGordon S. Wood。まだ読み終わっていないが、彼の代表作であるThe Creation of the American Republicに挑戦中。なんせ600ページもあるので、いつまでかかるやら・・・。あと、話題の本なので買っておいたのは、Jed RubenfeldのThe Interpretation of Murder。ルーベンフェルドは、知っているひとは知っているように、ボクの大好きな憲法学者なのですが、なんとベストセラーとなる小説を書いたのである。これは、KS書房のU原さんに教えてもらいました。

レストラン:よく行ったのは、去年に引き続きonlyUcafe。それからバラードとジョージアのコーナーにあるKamei Royal。ここの従業員でボクたちを知らないひとたちはいない。知り合いがウエイトレスとして働いているUBCゴルフクラブには、ブルーベリーパンケーキを目当てに、ブランチに何度か。しばらくぶりで行ったCardero’s、上海飯店では素敵な想い出ができました。あと、新規開拓としては、4番通りにあるlas margaritasというメキシカンの店。ブロードウェイのJoey’sも。

ショッピング:あちゃー、今年は買い物のしすぎでした。まずPacific Centerモールの中のHarry Rosenをぶらぶら見ていたら、アルマーニのジャケットが目に留まってしまった。で、一瞬のうちに衝動買い。「そうだ、ボストンで学会があるんだから・・・、そうそう、それに着ていくんだからいいんだよね、そうそう・・・」という自己正当化をしばらくつぶやき続けて、なんとか沈静。ちなみに、ボストンでは、このジャケットをだれも褒めてくれなかった。久米先生なんか、「前のよりはいいんちゃう」だってさ、まったく失礼な。で、ですね、これで終わればいいんですけど、実は帰国する間際に、Oakridgeモールの中の同じ店を散策していたら、今度はアルマーニのコートが目に入ってしまった。これまた瞬買い。「ちょっと袖が長いような気がしますが・・・」という店員を、「いいの、いいの、ボク、袖が長い方が好きだから」と振り切ってしまった。だって、帰国日が迫っていたから、しょうがないじゃん。あと、去年は買い損ねたジョギングシューズ、今年はRunning roomで新しく買いました。それでスタンレー公園を計5回ほど周りました。夕陽は、相変わらず最高にきれいでした。

2008年09月10日

「Flawless」における自由

カナダからの帰りの飛行機の中、あまり勉強する気になれなかったので、3本も映画をたて続けにみてしまった。1本目は、ロバート・ダウニー主演「アイアンマン」。これはもうすぐ日本で公開のようですね。アクションもので神経を高ぶらせた後は、ダイアン・レインとジョン・クーザックの「理想の恋人.Com」。ダイアン・レインは、その前の「トスカーナの休日」の時もそう感じましたが、本当に美しく齢を重ねている女性だと思う。ボク、こういうラブコメ、大好きです。「ありえないよな」って展開ばかりが続くのですが、そこが浮世を忘れさせてくれてよい。さて、それで、すっかりマッタリしたあと、いよいよ3本目Flawlessの上映となった。
うーん、これはよかった。ボクはあんまり映画を見る人ではないので、友人などから「最近面白い映画みた?」ときかれると、いつも答えに窮するのであるが、ここしばらくはこのFlawlessをみんなに薦めようと思う。といっても、これは日本で公開されたんでしょうかね?
主演は、デミ・ムーアとマイケル・ケイン。舞台は40年ほど前のロンドンで、二人が共謀して、というか協力して、当時世界のダイアモンド市場を牛耳っていた会社からダイアモンドを盗むという話しである。魅力的な女性と年老いた男の泥棒コンビなので、どこかで、キャサリン・エタ・ジョーンズとショーン・コネリーの「エントラップメント」を違うバージョンで見ているような感じもしていた。しかし、こちらはプロの泥棒ではなく、中年にさしかかったキャリアウーマンとよぼよぼの清掃夫という、二人とも素人の設定である。過激なアクションもまったくないし、二人の間に愛情が芽生えることもない。それぞれ会社に対する恨みを晴らすという共通の目的が、一時的に二人をつなぐことになる。
この映画の冒頭は、年老いた女性に、チャラチャラした若い女性ジャーナリストがインタヴューするというシーンからはじまる。この年老いた女性がデミ・ムーアなのだが、こういうように、現在から過去を回想するという設定ではじまる映画というのは、ボクはあんまり好きではない。しかし、あとで考えたらこれがよく効いているな、と思った。話しを全部聞き終わった後、つまり回想の過程に相当する映画の大部分が終わった後、このチャラチャラ女のあっけに取られた表情がアップで映り、過去から現在へと聴衆は引き戻される。そのときのギャップが素晴らしい。で、もう一度デミ・ムーアの表情にカメラが行く。その表情からは、いろんなメッセージが読み取れる。別にそうはいっていないのだが、ムーアは「あんたみたいなチャラチャラ人生からでは想像もつかないことを、私はしちゃったの」というよう言っているようにも見えるし、「キャリアウーマンとしてやっていくことが今と昔ではぜんぜん違ったんだから」といっているようにも見える。
しかし、それ以上に、ここには自由なるものの概念についての深い洞察がある。ムーアは「盗みに成功したことによって、この40年間自由でなかった」というのであるが、その言葉をチャラチャラ女は「刑務所に入っていたの?」と最初勘違いをする。しかし、そうではないのである。ムーアの最後の告白には、チャラチャラ女が自分の存在自体で体現しちゃっているような「自由」とはまったく異なる、もうひとつの「自由」の概念が、ポトリと描かれている。映画のタイトルであるflawlessとは、非の打ち所のない成功によっても手に入れることができない自由というものが、人生にはあるのだということを暗示しているのである。

2008年09月02日

「ホントかよ」と思ってしまうような、本当にヒドイ話

このブログでは、あんまり悪口を書かないようにしようと思っているのだが、今回はどうしても我慢ができないので、書くことにした。
先日、知人を介して、若いカナダ人を紹介された。このAD氏、日本の文部科学省から奨学金をもらい、日本のある大学院で勉強したことがある、という。ところが、その奨学金の期間は2年だったのにもかかわらず、1年で帰ってきてしまったそうである。いろいろ話をきいてみたら、この奨学金の運用というか運営というか、信じられないくらいヒドイ。
まず、AD氏によると、この奨学金を受けるためには「奨学生に選ばれたことがわかってから2週間のうちに、どこかの大学から受け入れの通知をもらわなければならない」というルールがあるのだそうである。え、たったの2週間?何度聞き返しても、そうだという答えが返ってくる。
しかも、である、受け入れ通知をもらえなければ、奨学金は取り消される、という。日本の「まとも」な大学で「まとも」に入学審査をしている学部や研究科において、2週間で外国人に入学許可を出すところはまずない、と思う。しかも、AD氏によれば、奨学生に選ばれたという知らせをもらうまでは、けっして事前に日本の大学関係者に連絡をとってはいけない、と念をおされたのだそうだ。もしそんなことが本当にあったとすれば、学問の自由が侵害されているのではないかとさえ、思える。
いずれにせよ、この奨学金制度は、「来る者は拒まず」と門戸を開いている日本の一部の大学の一部の学部・研究科にしか、奨学生を行かせないようにしている制度だと思われても仕方がない。学問の自由はともかく、すくなくともこの制度の運用には、研究の内容に応じてベストなマッチングをみつけてあげようなどという学術的配慮は微塵もない。いや、より一般的にいって、日本を訪れようという外国人に対する、尊重の念というか、基本的な礼節も欠落しているように思える。
さらに驚いたのは、実際に日本に着いてからの奨学生たちの実態である。この奨学金を受け取るために、AD氏は月に一度、大学の事務所に顔を出す必要があったという。しかし、それをのぞいては、AD氏には何の義務もなかった。大学に行こうが行くまいが、授業をとろうがとるまいが、研究を進めようがサボろうが、誰も感知しないのだそうである。たしかに、審査をしていったん奨学金を出すと決めたからには、奨学生の側の自主性を尊重するという方針も、理解できないわけではない。しかし、韓国や中国など、日本の近隣から来ている奨学生の中には、母国にそのまま住み続け、月に一度だけ来日して、奨学金を受け取る手続きをすませ、「貯金」することだけに専念していた者が少なからずいた、という。すでに、この奨学金制度については、そういうことをしても誰も何もいわないという暗黙の評判が出来上がっているので、とんでもない慣行がずっと続いているらしい。
AD氏は、この奨学金制度の運用に嫌気がさし、2年の期間をまっとうせず、カナダに帰ってきてしまったのである。ボクは、この話を聴いて、怒るというよりも、とても悲しくなった。この経験を通して、さもなければ日本に関心のあった1人の才能ある外国の若者が結局日本を去る決断をし、現在では日本とまったく関連のないキャリアを歩むことになったわけである。AD氏の関心を引き止められなかったことは、大げさでなく、日本の国益にとって大きな損失だったのであって、こういうことを積み重ねているうちは、日本はいつまでたっても国際社会に確固たる地位を築けない。
最後にAD氏はこう付け加えた。この奨学金のルールは毎年のように変更されるので、もしかしたら現在は、自分が経験した時と異なった運用がなされているかもしれない、と。AD氏は、日本人であるボクに、日本の制度の悪口をさんざんいったので、最後にさらりと礼節ある大人の発言をしたわけである。ボクとしては、AD氏の言を待つまでもなく、奨学金をめぐる状況が大幅に改善されつつあることを、強く願うばかりである。