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知っているようで知らないアメリカ建国の話シリーズその⑨~スコットランド系マディソン~

ジェームズ・マディソンをボクが敬愛してやまないのは、彼がアメリカの憲法に「三権分立」と「抑制と均衡」の概念を取り入れたからである。いうまでもなく、これらの概念は、今日世界に普及している立憲主義思想の根幹をなしている。そういうと、そのような考え方の先駆けはロックだったとか、いやモンテスキューだっていたじゃないか、などという反論がきこえてきそうである。しかし、ボクに言わせればマディソンの偉大さは、彼らの比ではない。なにしろ、マディソンは、ひとつの成文憲法の中に、理論上の抽象的な概念に過ぎなかった「三権分立」と「抑制と均衡」を実際に組み入れちゃった人なのである。有言実行の男なのである。単に書物だけしか残していないロックやモンテスキューとは、格が違う。
さらに言えば、マディソンの知的背景には、ロックやモンテスキューとは明らかに異なる伝統が流れている。それは、スコットランドの血である。まだ若い頃、マディソンはプリンストン大学を卒業した後、一年間居残って勉強した。ヨーロッパの啓蒙思想についてのマディソンの博識は、そこでの読書経験がもとになっているのだが、マディソンの先生は、John Witherspoonというスコットランド人の先生であった。そこで彼が盛んに読んだのが、アダムスミスであり、ヒュームであった。スミスもヒュームもスコットランド系。また、Witherspoon先生の先生も、またFrancis Hutchesonというスコットランド人であった。ちなみに、マディソンの盟友ジェファーソンの大学時代の先生もまた、William Smallというスコットランド人であった。
当時のスコットランド系の政治思想の特徴は何かといわれると、ボクのような素人にはウケウリしか提供できないが、中でも重要なのは「世俗性」と「抵抗の思想」だったのではないかと思われる。
たとえば、ロックにとっての人間の平等は、あくまで「神の前」の平等でしかなかった。しかし、そもそもそのような神学的な立場と個人の権利の絶対性とが本当に両立するものなのか、怪しい。さらに、「権力を分立させなければならない」という発想は、「全能者」を認めてしまう立場と、論理的に矛盾している。後者のような立場からすれば、理想の政治は、権力を分割したり抑制しあったりすることではなく、いかに全能者が行うような状況に現実を近づけていくか、ということに求められるはずである。しかし、マディソンたちの前提は、そんなことは無理に決まっているではないか、というものであった。18世紀末に誕生したアメリカ憲法のひとつの重大な貢献は、宗教との決別だったのであり、もちろん、それは当時としては画期的だった。
もうひとつ、マディソンがスコットランド系思想に魅かれた理由は、スコットランドの政治的立場そのものにも由来する。周知のように、スコットランドは1707年に、イングランドと合併させられた。合併に反対する立場の人々も多かったが、軍事力および経済力に勝るイングランドに抵抗することは不可能であることは明白であった。しかし、抵抗の思想は、それから脈々とスコットランドの人々の考え方に受け継がれていく。当時としては、スコットランドも、13の植民地も、イングランドにとっては「辺境」だったことにおいて共通であった。それゆえ、辺境であるアメリカが反乱を起したとき、彼らの精神的支柱にはスコットランド人たちの思想があったのである。(この項、Ian Mclean “Before and after Publius,” in Samuel Kernell ed James Madison, Stanford UP, 2003から多くを学んだ)