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2006年09月30日

魅力ある人びと

久々に、先輩Mさんと、お気に入りの焼き鳥屋さんに行った。
このところ、Mさんと会うときは、この焼き鳥屋さんで、というのがパターン化している。
場所は、代々木上原。
ご承知の通り、代々木上原には落ち着いたオシャレな店がいくつもある。その中で、この焼き鳥屋さんは、いつ行っても混んでいる。昨日は6時半に予約をしていった。入ったときはだれもいなかったが、その後予約なしで入ってくるお客さんを全部断っていた。案の定、7時を過ぎた頃には、狭い店が満席状態になっちゃった。(そういうわけで、本当はみなさんにお店の名前を教えたいのですが、これ以上混んじゃってボクたちも予約がとりづらくなると嫌なので勘弁してください。)ボクは手羽先が絶品だと思う。それから、水餃子もおいしいし、ポテトサラダもなかなかである。
ところで、この店の若い女将さんは、とっても美しくて評判である。少なくともボクの中では大評判である。日本女性の美醜について、かなり厳しい眼をもっていらっしゃるMさんも、「ここの女将、本当に綺麗よね」と太鼓判を押す。で、しばらく、美しいとか綺麗であるとはどういうことか、ということでわれわれの会話が続いた。
Mさんもボクも、オーラというものを信じている。外見的に目鼻だちの整った人はたくさんいる。しかし、周りの目をひきつけるオーラは、やはり内側から湧き出てくるものである。内面が充実してないのに発することのできるのは、たかだか「光線」にすぎない。ワタシって綺麗でしょ光線とか、アンタなんかめじゃないわよ光線といった類である。光線を発しているような美人さんにも、たしかに1-2秒は目がいく。でも、すぐもういいやって感じになってしまう。しかし、オーラをもった人には、文字通り目が釘付けになる。こちらが意識的に目をそらさないと、ずっと見とれてしまう。ボクはとくに、ひたむき一生懸命吉永小百合風オーラと、純粋天真爛漫オードリーヘップバーン風オーラに、弱い。このお店の女将さんの場合は、優しさというか気遣いというか、客に出すひとつひとつの料理やサービスを丁寧にさせてもらってます、というオーラが自然に出ていて実に魅力的である。
では、オーラというのは何に基づいているのだろうか。よく、オーラは内面的な自信の現れである、というようなことをいう人がいるが、ボクは違うと思う。オーラは、自信があれば出る、というものではない。むしろ、自分自身をよく知っているという意味で、インテリジェンスに近いと思う。だから、面白いことに、オーラというのは、出したり引っ込めたりすることができる。一流の舞台俳優とかバレリーナとかは、そのことをよく心得ていて、ステージの上で自在に自分の出すオーラの量とか種類とかを操作している。
いうまでもないが、人生の良きパートナーにめぐり会えた人は、輝いている。ただ、その輝きはパートナーに出会ったこと自体から来るのではなくて、そのパートナーを選べば自分が輝くことができると知っていた自分自身のインテリジェンスに由来するのではないかと思う。人生の良きパートナーにめぐり合うことがむずかしいのは、相手のことをなかなか知ることができないからではない。自分自身をよく知ることがむずかしいからなのである。

2006年09月23日

lululemonのバックパック

この夏、いくつかの品を衝動買いしたのであるが、そのうちのひとつがlululemonのバックパックである。いま、これがとってもお気に入りである。毎日、これを背負って大学に通勤している。
今日も、得意になって、このバックパックで大学に行った。用があったので事務所の江夏さんのところに立ち寄ったら、彼は、やはりこの夏衝動買いをしてしまったナイキのオレンジ色の腕時計を褒めてくれた。しかし、江夏さんはバックパックについては、ウンともスンとも褒めてくれない。なので、ボクのほうから、「ほらほら、みてみて、これルールーレモンのバックパックなんですよー」といって、お世辞を強要してしまった・・・。
知っている人は知っているが、lululemon は、ヨガをするひとたちご用達のお店である。日本には、まだ青山に一軒あるだけであるが、カナダではもう16軒も店舗を展開している。ちょっと価格が高めだが、縫製がしっかりしたとても丈夫な衣料品を揃えている。もちろん、あちらでは、流行の先端をいっているようなカッコイイひとたちが普段着としても着ている。ボクの娘も、ここのパンツとパーカーを持っている。実は、娘の同級生の一人が、lululemonの創業(共同)経営者のご令嬢なのである。
で、この夏、ボクは何度かバンクーバーのロブソン通りやオークリッジセンターモールにある店をみて回っていた。そして、ある時、このバックパックを発見し、衝動に走って、買ってしまった。娘からも御墨付きがもらえて、「Good choice, Dad!」
何がそんなに気に入ったか、というと、まず外側に用途別のポケットがたくさん用意されている。歯ブラシセットをいれるところ、サングラスをいれるところ、財布をいれるところ、クレジットカードをいれるところ、ペットボトルをいれるところ、携帯電話を入れるところ、IPODをいれるところ、IPODのイヤホンのコードを出すところ、などなど。これらのポケットが、異なる色のロゴジッパーで区別されているところが、なんともカワイイ。
そして、カワイイだけでなく、このバックパックは機能的でもあるのである。内側にはラップトップパソコンを入れるところがちゃんとある。汗をかいたりよごれたりした衣類を入れるところも別になっている。そして、ヨガのマットレスを丸めて運べるような仕掛けもついている。えっ、ヨガなんか、やるのかって?いや、べつに、まだやったことないですけど・・・
というわけで、このパックパック、なんか持っているだけで、ウキウキするような一品なのである。
実は、さきほど、日本のlululemon店のホームページをチェックして、このバックパックが入荷しているかどうかをしらべてみました。そしたら、まだみたいでした。
やったね♪ボクのバックパックは、日本で持っている人はまだほかにだれもいないのかも・・・最近は、こうした希少価値の商品がなくなってきたので、これはとっても嬉しいかも・・・
ま、もちろん、いまの時代だから、インターネットで簡単に注文できるのだろうけど、もし現物を見たいという人があったら、いつでも遠慮なくお声をかけてください。

2006年09月18日

朝からRock

先日、夏休み中ずっとご無沙汰していたキャンパスのCafé 125にいった。
朝9時前で、朝食を食べそこなっていたので、チキンとナチュラルチーズのべーグルサンドイッチを食べようと入っていった。そしたら、大音量で、ロックのライブがかかっている。観客、じゃなかった、お客さんはまだだれもいない。
ここの女性の店長さんは、とっても感じのよい人である。いつもスタッフ不足に悩まされながら、朝から夜まで長時間本当によく働いて、それでいて常に明るく、ポジティヴなところがボクは大好きである。
「ご無沙汰でしたぁ、夏休みはどうでしたか・・・」ってな感じの、月並みな挨拶を交わす。べーグルが焼けるまでしばらく世間話。で、そのあと、どうしても気になってしまって、これ何でしたっけと、かかっている音楽のことを聴いた。
それはエリック・クラプトンのOne More Car, One More Riderだった。2001年のツアーのいいとこどりをしたようなアルバムだという。そういえば、間違いなく、クラプトンのギターとヴォーカルである。
「朝から、ロック!って感じで」と、店長さんがすこし顔を赤らめる。
あまりの大音響で自分の趣味の音楽をかけているところを見られたのが恥ずかしかったのかもしれないし、ロックを聴いて自分を元気付けているところをみつかっちゃったのが恥ずかしかったのかもしれない。いいじゃないすか、朝からロックで・・・
と、そのとき、突然クラプトンが「Over the Rainbow」をアンコールに歌い始めた。これがとても心に沁みた。
「いいすねこれ。ボク今日、これ買って帰ります。」
で、大学からの帰り道、高田馬場駅前の店で、このアルバムを買った。
クラプトンは、このライブの中で、新旧の名曲をとりまぜて、ストレートな演奏と歌を聴かせてくれる。無駄なおしゃべりや演出はまったくなし。この人らしい。さらにこのアルバムでは、クラプトンは、一曲おわるごとに、thank youと、観客に丁寧にお礼をいっていた。その言い方が、この人の実直さと、それからこの人の余裕とでもいうものを伝えている気がした。
ロックは、やっぱりカッコイイ。Key to the Highwayとか、Sunshine of Your Loveとか、Wonderful Tonightとか聴いちゃったら、やっぱりそういわなきゃしょうがないっしょ!

たまには、朝からロックを聴くものである。
それは、中学や高校時代の生意気なエネルギーを呼びさます。
それは、日常や他人や友人のことさえまったく気にもとめず、一日中音楽ばかり聴く生活があったことを思い出させる。
そして、それは、前へ前へと行けばいいんだよ、とボクらをけしかけてくれるのである。

2006年09月15日

財布という厄介

このあいだ財布を落としてしまった。一時肝を冷やしたが、幸運にも届けてくれた人がいたので助かった。
ボクの財布は、結構分厚い。分厚いといっても、現金で太っているわけではない。圧倒的に多いのはクレジットカードやポイントカードなどの類である。そのほかに免許証、教員証、診察券といったID系のカードがある。それから、おつりと一緒に手渡されるレシートがたたんで入っていることもあるし、突然貰った名刺などが紛れ込んでいることもある。
このように太った財布を持ち運ぶのは、結構厄介なものである。ランチに出るときに忘れるので、鞄やバックパックにしまっておくことはできない。上着の外ポケットにいれると、スリの被害にあうのではないかと心配である。上着の内ポケットにいれると、重いのでそちら側の肩だけ下がってしまって格好悪い。というわけで、ボクの場合は、ジーンズの左前のポケットにいつも入れている。右前のポケットには、鍵やコインがはいっているからそれでバランスがとれる。かつて、財布は左のお尻のポケットと決まっていたのであるが、あまりに分厚いので椅子に座ったときに財布がお尻に突き刺さるようで座り心地が悪かった。それで、左前ポケットに昇格(?)させたのである。(なお、そのあおりで、それまで左前ポケットと決まっていた携帯電話が行き場を無くしてしまった。今のところ鞄の中へしまうことにしているが・・・)
そう、今思えば、ここには、ひとつのシステムがしっかりと確立されていたのである。ボクの財布が左前のポケットに入っていることには、それなりの理由があったわけだ。
では、それにもかかわらず、なぜ今回、財布を落とすという失態を演じたのか。
実は、その日、ボクは新しく買ったジーンズをはじめてはいたのであった。ボクは、前にはいていたジーンズのポケットのところがちょうど財布の形に色あせているのが気になっていた。それで、きっと、すこしでも長く、そうした跡がつかないようにこの新しいジーンズをはきたいと無意識に思ったのだろう。ボクは、武蔵小杉駅で目黒線から東横線に乗り換える直前に、財布をジーンズの左前ポケットから上着の左外ポケットに移したのである。午後4時ごろで電車も空いているし、まあスリの心配はないだろうと思ってのことだった。
これが間違いであった。駅について座席から立ちあがったときに、ボクの財布は、上着のポケットにしっかりと収まっていなくて、ポロリと落ちた(らしい)。
ボクは、日吉の実家ですぐにそれに気付いて、東急の落し物係に電話をかけた。武蔵小杉から折り返し発車していた目黒線の車両を特定し、目黒駅で車内検査をしてもらうことになった。そしたら、ちょうどそのとき、目黒駅にボクの財布を届けてくれた人がいたのである。なんと幸運なのだろうと思った
その日のうちに、ボクは目黒駅まで取って返して、財布を受け取りにいった。
ボク「財布だから、もう出ないとあきらめていましたよ。こんなこともあるんですね。」
駅員さん「ま、世の中、変わった人もいますから。気をつけてくださいね。」(←??)
関係者のみなさま、ご迷惑をおかけしました。

2006年09月13日

幸せをめぐる連想ゲーム

Suppose you have a choice between a happy life with no money and an unhappy life with lots of money. Which do you think you will choose? 今、お金がないのに幸せな生活と、お金がたくさんあっても不幸せな生活という二つの選択肢があるとします。あなたなら、どちらを選ぶと思いますか。

Suppose, then, you have a choice between a happy life without a friend and an unhappy life with lots of friends. Which do you think you will choose? ひとりの友人もいないのに幸せな生活と、友人がたくさんいても不幸せな生活という二つの選択肢だったら、どちらを選びますか。

Further suppose you have a choice between a happy life without knowing much of the rest of the world and an unhappy life as a result of knowing different cultures and different ways of living in other parts of the world. Which would you choose? では、世界の他の地域のことをあまり知らないまま幸せな生活を送るのと、世界のいろいろなところの文化や生活を知ってしまったがゆえに不幸せな生活を送るのとでは、どうでしょう。

If you have a child, do you want your child to be happy, or do you want your child to be successful in life? もしあなたに子供がいた場合、あなたは、子供が幸せになることを望みますか、それとも人生で成功することを望みますか。

Do you yourself want be happy, or do you want to be successful? あなたご自身はどうですか、ご自分では幸せになりたいですか、それとも成功したいですか。

Do you want your child to be independent and strong, or do you want your child to be compassionate and kind to other people? あなたは、自分の子供に、ひとりでもたくましく生きていける強い子に育ってほしいと思いますか、それとも他人を気遣う心の優しい子に育ってほしいと思いますか。

And, do you want your child to be happy even though the child does not love you at all, or do you want your child to love you even though the child is unhappy? あなたをまったく愛してないのにその子供が幸せならばその方がいいですか、それともその子供が不幸せでもあなたを愛しているならばその方がいいですか。

Do you think you can find happiness in the freedom and fulfillment at each moment of your life, or do you think happiness is something that you discover just before you die, something that you can only judge whether your life was happy or unhappy at the very end of your life? あなたは、幸せは、そのときそのときを自由に精一杯生きることに見出せると思いますか、それとも幸せとは死ぬ直前になってはじめて発見するもので、自分の人生のいちばん終わりにならなければ自分の人生は幸せだったとか不幸せだったとかと判断できないものだと思いますか。

2006年09月09日

スタンレー公園

バンクーバーを代表する公園は、スタンレー公園である。ダウンタウンのはずれの、三方を海に囲まれているように突き出たところにある。背の高い木が多く、きれいな空気を吸える。公園の中を突っ切る道を進むと、ライオンズゲート橋に出て、隣町ノースバンクーバーとつながっている。
スタンレー公園の中には、バラ園も遊園地も小さな動物園もあるが、なんといっても素晴らしいのは海を見ながら公園を一周できるSea Wallという遊歩道である。公園は一周10㌔弱。近くには、貸し自転車や貸しローラーブレードの店がたくさんあって、多くの観光客はそれらを利用して楽しんでいる。ボクも、何度か自転車でまわったことがあるし、またローラーブレードも一度だけやったことがある。
最近は、バンクーバーにくると、1時間ぐらいかけて、この公園の周りを走ることを楽しみにしている。Sea Wallは、ちゃんと自転車・ローラーブレード用のサイドと、ジョギング・歩道用のサイドとにわかれていて、ぶつからないようになっているから安心である。ジョギングの途中では、水面から首だけだしているアシカに出会うこともある。大きな鶴が岩に舞い降りてきて、ここはオレの場所なんだと、あたりにいるカモメたちを蹴散らす場面に遭遇することもある。
夏のバンクーバーは、ほとんど雨が降らない。来る日も来る日も、心地よい快晴が続く。日の入りは、8時頃。だから、8時半ごろに走り終わるようにジョギングを開始すると、とんでもないくらいに美しいサンセットを、走りながら満喫できる。
ウェスティンホテル前のマリーナからスタートして、ライオンズゲート橋ぐらいまでで、ちょうど半分。それまでに日が沈んでいると、橋をくぐって復路にさしかかったとたん、海の向こうのオレンジ色に染まった空に山々の陰がくっきり浮かび上がる光景が目に飛び込んでくる。それは、「こんなきれいな光景がこの世にあってもよいのか」と思うくらい、きれいな光景である。カモメが鳴き、ゆったりした波が打つ。散歩する人、ベンチに座っている人。若いカップルもいるし、年配のご夫婦もいるし、大家族もいる。むこうからジョギングしてくる人と挨拶を交わすこともある。「きれいな夕陽だね」という言葉が、お互い自然に出る。
10㌔は、自分でペースを設定して走ることのできる、気持ちのよい距離である。日常のことを忘れて、ストレスを発散するために一生懸命走ることもできるし、逆に日常のなかで考えを整理しなければならないことに、ゆっくり思いをはせながら走ることもできる。
ボクは、この夏はじめて、14歳になった娘と、Sea Wallを走った。娘の方から一緒に走りたいと言い出した。スポーツが大好きとはいえ、10㌔もの距離を走るのは初めてで、走り出すまで緊張していた。しかし、たわいもない世間話を続け、ジョークを飛ばしあいながら、ゆっくりとゆっくりと、肩を並べて走った。そして、ついに、10㌔の距離を、休みをとることもなく、走りきった。この上ない幸せを感じた。

2006年09月04日

数独、あるいは趣味の兼ね合いについて

誰が考え付いたのか知らないけど、数独、楽しいですね。
いま、結構ハマッテおります。
第一に、数独は、とてもよい暇つぶしになる。ボクは日常生活のなかで別に暇をもてあましているわけではないけれども、電車や飛行機を待っているときなど、どうしても時間が余ってしまうときがある。そういう時に、手頃な余興になる。
第二に、数独をしていると、自分の頭がよくなるのではないか、ボケ防止によいのではないか、と思うことができる。なにしろ、論理的に考えないと解けない。ひとつ間違えると、必ず後になってその間違いが発覚する。「あちゃー」と、その瞬間、やり場のない怒りと悔しさがこみ上げてくるが、そのあと冷静になって、どこでどう間違えたのかをたどるのも、結構楽しい。
ただ、本当に頭の体操になっているかといわれると、ちょっと怪しいかも、とボクは最近疑っている。すこし続けてみるとわかるが、数独の解法にも、いくつかのパターンがあって、あるレベルまではそれらのパターンに従えば、すらすらとできてしまう。そのパターンさえ理解すれば、実はあんまり頭を使わないのである。もちろん、レベルの高い問題は、あまりパターン化されたやり方ではできない。ちょっとしたイノヴェーションを、その都度必要とするようである。「ようである」などという言い方をするのは、恥ずかしいかな、ボクにはまだそれほどレベルの高い問題を解くことができないからである。しかし、数独の道を極めちゃうと、もしかすると、やはりそこにもパターンが出てくるのではないか、と思っている。
レベルの高い問題をやりはじめると、ボクのような未熟者では1時間や2時間、あっという間にたってしまう。すると、手頃な暇つぶしのつもりでやりはじめたのに、そうではなくなってしまっていることに気付く。シャカリキになって数字とにらめっこしている自分を発見するのである。「そんなにむずかしい問題に挑まなければいいではないか」といわれるかもしれないが、すらすら解けてしまうような問題ばかり解いていたのでは楽しくない。なんというか、この兼ね合いが、非常にむずかしい。
これは、なにも数独の問題だけではない。ガーデニングも料理も、あるいは俳句作りもスポーツもみんなそうであるが、趣味を趣味として楽しむ、というのは結構むずかしいことである。毎年同じ花の球根ばかりを植えるのでは飽きてしまう…いつも自分と同じレベルの人とだけテニスをしていたのでは面白くない…などというように。
世の中には、多趣味の人がいる。そういう人は、きっと、ひとつのことばかりを趣味にしていると飽きてしまうので、いくつもの趣味を同時並行的に楽しむことで、飽きることから解放されたいと思っているのであろう。
そういえば、ボクの尊敬するある研究者が、「あなたの人生の目的は何ですか」ときかれたときに “not to be bored” と答えた、という逸話がある。その人は、学問上も、実に広い分野にわたって業績を残している。そして、その人は、学生と一緒になってバスケもするし、料理もうまいし、ジャズにも詳しいし、自分でサックスだって吹けちゃうのである。