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2011年03月30日

日本人にいまできることは何か

[フジテレビCompassサイトにおける「日本人にいまできることは何か」という質問に対するボクの回答を、そのまま転載させていただきます]

近代国家としての日本をはじめて襲った何百年に一度という大規模な震災・津波による被害であるからには、国民的叡智を結集し、先例や経験にとらわれない、大胆、斬新、かつ綿密な地域復興計画と日本経済全体の今後の指針を練る必要がある。
とくに以下の4つを提案したい。

1)復興のための基盤となる広域行政が展開できる態勢を整え
ることが、最大急務の課題である。被災した市町村だけでなく
、県レベルでの合併をも積極的に推進して、道路、港湾、空港
などのインフラ整備をすすめ、産業再建を計画的に実行してい
くべきであると考える。

2)今回、福島の原子力発電所で起こったさまざまな事故が、
これまでの日本の原子力政策に対する信頼を大きく傷づけるも
のであったことは否定できない。電力供給の3分の1を原子力
発電に依存する状況を将来も続けていくべきと考えるか、それ
とも現在行われている節電・計画停電が恒久化する程度にまで
電力供給を下げた状態での国民生活のあり方をあらためて模索
すべきかを、一度国民投票にかけて、信を問うべきであると考
える。

3)長引く余震や流通・交通の不便、またとりわけ原子力発電
所の事故の発生にともない、在留外国人・外国法人が国外へ逃
避していること(あるいは海外からの観光客が激減しているこ
と)は、日本経済の根幹を揺るがしている。政府が正確な情報
開示と情報提供を行うことはいうまでもないが、国際経済活動
から取り残されないよう、日本のもつ貿易、金融、技術上の長
所とメリットを政府が積極的に海外へ発信するための総合的な
「新しい産業政策」を策定すべきである。

4)冒頭に述べたように、今回の危機を乗り切るためには、国
民的叡智の結集を必要とする。復興のための計画および日本経
済の指針を練るため、国会が発議し、各界を代表する100人程
度の「国民会議」を招集して、今年夏頃までに答申を得るよう
にすべきである。

2011年03月24日

卒業おめでとう 2011

卒業おめでとう

河野ゼミ7期生のみなさん。卒業おめでとう。
東北・関東大震災により、卒業式は中止となりましたが、ひとりひとり胸の中で、大学時代の記憶をたどり、自分が達成したことと達成できなかったことを噛みしめてください。
ボクのゼミにおいては、君たちは、この2年をかけて優秀な卒業論文を完成させ提出しました。おそらく、2年前には、誰ひとりとして、そうできると確信していた人は、いなかったのではないでしょうか。
そう、成長とは、自分が成長しているときには気づかないもの、それは、あとからふと気づいて確認するもの、なのです。
君たちは、この2年間に、確実に成長しました。
そのことに、大きな自信を持って下さい。そして、これから社会に出て行っても、さらに才能を伸ばし、立派な仕事を成し遂げていくことができるのだと、信じて下さい。
君たちがゼミに入ってきた頃、ボクは体力に限界を感じ、スポーツを通じてうまく交流することができなくなるのではないか、と心配になっていました。そこで今年度は、新しい試みとして音楽をやってみました。前からあこがれていたバンドを組み、みんなの前やOB会で披露させていただいて、本当にうれしかったです。
君たちは、よくボクに、なんでそんなに若々しくいられるんですか、とききます。
それに対して、ボクはいつも「若い君たちから、若さを吸収させてもらっているからだよ」と答えてきました。それは本当です。しかし、最近、より本質的なことに気づかされました。それはピカソの次の言葉に象徴されています。「若くなるには、時間がかかる」のである、と。
そういえば、どの分野においても、新しいことへの挑戦は、実は、ある程度経験を積んだ人にしかできないし、させてもらえないですね。いままで知らなかった多くのことを知りたいと思うようになるのは、そもそも自分が何を知っているのかをある程度把握するようになったからこそ、ですよね。
人は、自分のたつ境界が見えたときに、はじめてその外に出ることができる。
いま君たちは、成長の軌跡の中で、大学と社会という境界に立っている。
これからは、その境界を突き抜けて、どんどん若返っていきなさい。
仕事も、スポーツも、音楽も、そして勉強も、ずっと続けていきなさい。
いくつになっても、ボクと一緒にサッカーをし、バンドを続けられるよう、いてください。

河野ゼミ7期生に、乾杯! 

2011年03月15日

続 拝啓 枝野官房長官さま 

僭越ですが、あなたの記者会見の仕方と政府の危機管理について、何点か愚見を申し上げます。

1.記者会見は、定期的に行うことが望ましいです。今回のような重大な危機の場合は、1時間ごとに行うことが望ましいと思います。発表することがなくても行うことで、聴いている国民は「この一時間の間には発表するに値することがないんだ」ということがわかり、安心します。記者会見のタイミングを政府の側が勝手に決めるのでは、そのこと自体で情報の操作が行われている、という印象を与えます。

2.あなただけが記者会見を行うべきではありません。あなたと副官房長官が交代で行うべきです。「ずっとがんばってるけど、寝不足で倒れちゃうんじゃないの」という懸念を与えることはよくありません。聴いている国民は、自分の健康管理ができないものに、国家の危機管理ができるとは絶対に思いません。また、危機管理に関する情報開示が特定の個人の依存せず、政府というシステムとして機能していることを見せることも、非常に重要なことだと思います。

3.記者会見は、短く行うべきです。あなたは、ほかにもフォローすべきニュースがあるのですから、10分と限って行うべきです。

4.事実関係を正確にわかりやすく述べるようにし、「相当な」とか「若干の」とか、意味のない形容詞は使うべきではありません。聴いている方に、さまざまな解釈の余地を与えるような会見をするのであれば、情報開示をしていないのとまったく同じことです。

4.自分たちは「一生懸命やっている」とか「最大限努力している」ということは、会見で繰り返しいうべきではありません。そんなことは、国民は、当たり前だと思って聴いています。

5.菅首相が東京電力に対し、「連絡が遅い」と怒ったそうですが、これは、政府の危機管理能力の欠如を公表する以外のなにものでなく、そのことだけでも政府の危機管理として好ましくありません。菅さんは「連絡が遅い」ことが、まるで東京電力の責任だったかのような印象を与えていますが、東京電力に情報開示をさせることができないのは、ほかでもない政府の責任なのです。誤解しないでください。

2011年03月12日

拝啓 枝野官房長官さま

本日(3月12日)の夕刻に、あなたの行った記者会見は、世紀の会見でしたね。
あなたは、この会見を通し、自らの身をもって、というか、もしかしたら自らの政治的キャリアを犠牲にするほどの「バカ」を装って、原子力行政の問題点を告発しようとしたのですよね。いや、すごかったですよ。みんな、わかったと思いますよ、原子力発電施設についての情報開示が、いかに日本で足りないのかを。ほんと、100パーセント、納得したと思いますよ。
だって、そうですよね。
記者会見って、そもそも、なにか意味のある情報を出すために開くものですよね。特にあのときは、国民だれもが、長い間待たされたうえで、注目している会見でしたのものね。ところが、あなたは、「自分はまだ何もはっきりしたことはいえない」といい続けた。かたくなに、一貫して。そう、だから、あなたは、言外に「あんたたち、察してよ、オレ、ホント、まだなにも教えられてないんだから」っていうメッセージを、一生懸命送ろうとしていたのですよね。「保安院、東京電力、ね、しょうがないでしょ、遅くて、こいつら」って、本当は、ぶちまけたかったんですよね。
それにしても、ほんと、あの「爆発的事象」っていう言葉は、よく思いつきましたね。天才的でした。「爆発」じゃなくて「爆発的事象」。荒唐無稽っていうのは、こういうことをいうんですね。あれは、「あんたたち、察してよ、オレ、もっとはっきりいいたいんだけど、いわせてもらえないんだから」っていう、皮肉をこめたメッセージだったんですよね。
チェーンメール批判も、実は「もっとやれやれ」って、あおっていたんですよね。だって、政府がきちんと先回りして正しい情報を出していれば、変な風評が影響力をもつなんてこと、あり得ないわけですもんね。だから「もっと、チェーンメールがでまわり、根も葉もないことがいっぱい語られないうちは、政府には情報出す十分な圧力がかからないんだから」っていう、内部告発の意味があったんですよね。
でも、枝野さん、もしかすると、うん、もしかすると、ですよ、聴いていた人のなかには、あなたの隠れたメッセージを読み損なってしまった人もいたかもしれませんよ。だってあの会見では、「世紀のバカ」を装うあまり、ほんとに、ひとかけらも、被爆してしまうかもしれない人たちへの情愛が感じられなかったですもの。会見の中で、この問題に対しては、人々の「関心が高い」っておっしゃられたけど、国民は高見の見物をしているわけではなく、「心配」し「憂慮」しているんですよ。ここのワーディングは、ちょっと演出としても、行き過ぎじゃなかったですか?
それから、国家が危機に瀕しているときに、あんなに長ったらしく、繰り返しの多いスピーチさせられちゃうと、いかにあなたの意図がすばらしいものだったしても、「これ、いくらなんでも醜い」って、思うクリティカルな人も出てきちゃうかもしれませんよ。限られた時間のなかで、記者からの質問をなるべく封じ込めるために、長めにしゃべったんだと思いますけど、ね、枝野さん、ちょっとあからさまだったんじゃないですか、あれは?

2011年03月08日

トロント訪問

国際交流基金トロント日本文化センターのご厚意で、カナダのトロントを訪れた。ボクは、センターとトロント大学で講演させて頂いたのであるが、大学側との折衝、会場の手配、チラシ作りやネットを通してのPR、ホテルの予約など、本当に何から何まで、ここのスタッフのお世話になった。おかげさまで、最近の研究成果の一端を報告し、さまざまな方からコメントをいただくという有意義な機会に恵まれた。ありがとうございました。
このうち、トロント大学での講演の方は、由緒あるMunk School of Global Affairsのアジア研究所が共催してくれた。当日会場に着くと、サンドウィッチやコーヒーが用意されている。カレンダーを見る限り、ここのSchoolや研究所では、つねにたくさんの研究会が催されている。そんな中、ボクの発表にも30人ほどが聴きにきてくれた。
司会をして下さったのは、政治学部のJoe Wong教授。実は、この方、偶然なのだが、今トロント大学で勉強しているボクの娘の政治学の授業を担当している先生であった。娘の手前、こちらとしては、ぶざまな発表はできない。というわけで、結構、プレッシャーに見舞われた。しかも、当日発表したのは、日本語でも英語でも初めて発表する内容で、終わってからもフロアーから矢継ぎ早に厳しい質問が飛んできた。結局、おいしそうなサンドウィッチを楽しむ余裕など、まったくなかった。
日本文化センターでの講演も、これまたありがたいことに、100人ほどが入るホールがほぼ満席となる盛況だった。聴衆の顔ぶれは、大学関係者のほか、日本から来ている若い学生や院生、日本に関心を持つ地元企業・団体の代表たち、そしてこちらに移り住んだ日系人の方々など。このセンターの活動は、貴重な人的ネットワーク作りに貢献しているばかりか、最近北米において低下している「日本」のプレゼンスを下支えするという、実に重要な役割を果たしているのである(そう、国際交流基金の英語名は、ずばりJapan Foundationである)。建物の中には、日本関係の本や雑誌、映画DVDや音楽CDがおいてある図書館もあり、一般に開放されている。ボクも講演の前に覗いてみたが、そこではボランティアの人たちが生き生きと、いろいろな仕事をこなしていた。いわゆる「事業仕分け」などによって予算が削られる中、ジャパンファンやジャパンウォッチャーを増やそうとしているセンターの地道で誠実な努力には、ひとりの国民として、頭が下がるばかりであった。
さて、こちらの方の講演の後では、ウォータールー大学から来てくれたDavid Welch教授が、ボクの(公でする)講演を初めて聴いた娘に、なにやら話しかけていた。そして、彼はボクにいわく、「あなたにとって、もっともクリティカルな聴衆の一人は、あなたの講演に合格点を与えていましたよ」、と。ふー。
トロントでは、前から知り合いのトロント大学の先生と旧交を温めたり、娘の新しい友人たちと食事することもできた。ちなみに、泊まったホテルのすぐそばのMercurioというイタリアン・レストランおよびカフェが気に入り、朝、昼、晩と、何度も利用しました。Bloor Streetにある、Kenzoというラーメン屋さんでは、日本でも十分通用するぐらいおいしいトンコツラーメンが食べられました。また、イチローがトロントに来ると必ず行くというHiroという日本料理店にも連れて行って頂き、素晴らしい創作料理を楽しみました。そして、日本人経営ではないようですが、New Generationというすし店のサーモンの握りは、本当においしいと思いました。以上、2011年春の、ささやかな旅行記でした。