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2011年04月29日

直感と直感との間

震災復興の財源として消費税を増税すべきであるという意見に対して、「消費税は、一般的・普遍的に課される税であり、それを増税するとなると、震災の被害を受けた地域の人々にも負担がかかることになり、不公平である」という反論がある。
すこし前のNHKの番組「日曜討論」の中で、自民党の石原伸晃幹事長がそのような発言をしていた。
たしかに、この反論は、ひとつの直感としては「そうかもね」と受け入れられるような気がする。
しかし、もし「震災を受けた人々に負担がかかることは不公平である」のなら、論理的には、「震災を受けなかった人々が負担することが公平である」という議論を次に展開しなければならない。すると、つきつめれば、石原さんは、震災の被害をそれほど受けなかった人々、たとえば九州や四国、近畿地方などに限定される特別な増税をすることが好ましい、という議論を支持していたことになる。しかし、おそらく、そのような新税構想も、多くの人々の直感としては、不公平なものと感じられるのではないだろうか。石原さんは、自分がいっていることがそのような含意をもっていたことには、まったく自覚的ではなかったようであるが。
さてはて、これは、いったいどういうことか。要するに、ここには、二つの論理的に整合的な命題があり、それらは一方を受け入れたら他方も受け入れなければならないものであるにもかかわらず、直感としてはどうも、一方は受け入れられたとしても、他方は受け入れられないという状況があるのである。
ここで、ボクは「だから人間の直感なんて、当てにならないよね」などといいたいのではない。
むしろ、まったく逆で、ボクは直感を大事にしなければいけないと主張したいのである。
多様な人間が共存している社会において、どういう状態が「公平」で、どういう状態が「不公平」であるかについて、唯一正しい答えなど、あるわけがないではないか。それゆえ、論理や理性の力だけに頼って完璧な復興計画を立てることも、その財源を議論することも、不可能に決まっている。
しかし、重要なのは、その先である。「直感を大事にする」ということの代償は、実は、人間の直感がときに相矛盾する含意や結論を導いてしまう可能性に対して、謙虚であり自覚的でなければならない、ということである。とりわけ、政策形成に携わる政治家たちは、自らの直感が(論理的につきつめると)どのような矛盾に陥るかを正々堂々と開示して、有権者の判断をあおぐ度量をもってなければならない。だから、(石原さんのように)「東北地方に負担をかけるような増税はさけるべきだ」という主張をしたいのであれば、その主張と「九州や四国、近畿地方などだけに限定された増税をすべきである」というもう一つの主張との間をちゃんと結んでみせて、それでもまだ前者の主張に執着する理由を、ちゃんと説明しなければならないのである。

2011年04月16日

兎と亀の政治学的会話:サンデルの特別講義(4月16日放映)と原発について

兎:見たかい?
亀:うん、見た。ハーバードの学生たちがまったく手ぶらでスタジオに来ていたのに、中国の学生たちがみな机にしがみついてノートとりながら参加してたのが印象的だった。
兎:なんだ、そんなとこ、みてたのか。
亀:だってさ、議論そのものは陳腐な対立構図をなぞるものばかりで、面白くなかったもの。NHK的には前回のシリーズが大成功だったので、もう一発を狙ったんだろうが、実にうすーい二番煎じだった。
兎:そうかな。相変わらず、若い学生たちは、ものおじせず自分の意見を言ってて、よかったと思ったけどな。とくに原発についてとか。
亀:そういえば、きいたかね、NHKについては、東電に批判的なことをいうと解説者が番組から干されるという噂が出ているらしいよ。一回限りしか出演しない学生に対しては、プレッシャーをかけようったって、無理だから、彼らは気兼ねなく発言できるのさ。
兎:おいおい(笑)。さて、その原発についてだが、サンデルの提示していた問題は、「早稲田のちょいわるオヤジ」とかいうブロガーも提示していた選択そのままだったね。原発のリスクを理解した上でそれを容認するか、生活レベルを低くしても依存を下げていくか、という「究極の選択」。
亀:そうだったね。早稲田のちょいわるオヤジさんはよく知っているが、あの人は別に原発を容認しろとも止めろとも、いってるわけではない。ただ、それを、一回、ちゃんと国民投票にかけてきいてみたらどうかっていってるんだ。民主主義なんだから、と。
兎:原発については、誘致先候補となったところで「住民投票」をやることはあるけど、日本人全体に対して、この政策に賛成か反対かをちゃんと判断をあおげ、ということだね。
亀:そう。ただその場合、自分の家の「裏庭」にさえ原発がたてられなければいい、というただ乗り心が働く余地のない選択だということを徹底させなきゃ、意味がない。だから、原発を容認するとなったら、くじ引きで原発の立地先を決めるとか、東京の電力は東京にたてる原発でまかなう、という縛りをあらかじめかけることが必要となってくるだろうな。
兎:サンデルは、この問題自体については、自分の意見をまったく述べなかったね。
亀:そうだったね。しかし、彼の他の部分での議論を聴いていたら、彼は、突き詰めると、原発リスク容認派にならざるを得ないんだろうな、と思った。
兎:なんでだい?
亀:番組の最後のところで、サンデルは、遠く離れた日本で起こった惨事に、世界が共感できる可能性について語っていたよね。
兎:たしか、サンデルは、その時ルソーを引いて次のようにいっていた。ルソーは、実際日本を例にだして、地球の反対側にある国に対してヨーロッパが共感するわけない、と書いていた、と。ところが、サンデルは、ルソーの時代には無理だったかもしれないけれども、今回の震災後の展開は、そうしたグローバルな共感が広がる可能性をみてとれた、とポジティヴにみようとしていた。
亀:つまり、サンデルは、世界の距離を縮めるような、コミュニケーションやテクノロジーを歓迎するわけだよね。具体的には、ユーチューブとかフェースブックとか、あるいはそれらを支えるパソコンとか。そうしたものを通して、コミュニタリアニズムが世界主義的レベルにまで拡大できることになる、と。そうなれば、たしかに、コミュニティ同士のエゴのぶつかりあいという、コミュニタリアニズムの欠点を超越できることになる。しかしだね、そのためには、つまり、そのような世界というものの距離の縮まりを実現するためには、おそらく原発は不可欠な要素とならざるを得ない、としか思えないんだよ。

2011年04月10日

想定外のできごとについて

知っている人は知っているが、成田空港のJALのラウンジのビーフカレーはおいしい。
ただ、考えてみれば、航空会社が空港のラウンジのメニューを充実させる、というのは不可解である。
ビジネスクラスに乗る人たちは、飛行機に乗ってからアルコールを飲み放題で飲めるわけだし、一段格上の食事も食べられるわけである。そういう人たちを相手に、ラウンジでもこれまた飲み放題のワインやビール、おいしい料理を振舞うというのは、コンセプトとしてはredundantであるし、費用対効果上はinefficientである。とくに、経営難におちいっている(と聞いている)JALさんが、ラウンジのメニューを充実させることはおかしいのではないかと、ちょっと心配になってくる。
ま、ビジネスクラスにいつも乗るお客さんには、貪欲というか、うるさ型というか、いつでもどこでも、うまい料理と豊富なアルコールがなければ、すぐさま文句を言い出す人種がそろっている、という可能性はある。もしかすると、JALのビジネスを利用するお客さんは、とくにそういう傾向が強い人たちなのかもしれない。あるいは、機内食を食べる前にどうしてもビーフカレーを腹に入れておかなければ気がすまないと思っている人、ラウンジで日本独特のビーフカレーを食べておかないと海外出張の行程がはじまらないと思っている人ばかりなのかもしれない。
・・・というわけで、先日、久しぶりに、成田からJALのビジネスクラスにのることになった。
ボクは、経営難に陥っている(と聞いている)JALさんが、いまでも、ラウンジでおいしいビーフカレーを出してくれるのだろうかと気がかりで、チェックインをしてくれた女性の方に尋ねてみた。そしたら、「はい、いまでもご用意しております」という答えであった。おお、よかった、今日はひさびさにあのカレーが食べられる、うん、しかし、食べすぎはいかんぞ、あとで機内食も出てくるしな、などと独り言を心の中でつぶやきながら、しばし、気分はルンルンであった。
ところが・・・・・ところが、ですね、ここにひとつ、落とし穴がありました。
ボクのゲートは、第2ターミナルビルの、いわゆるサテライト側でした。
そして、なんと、サテライト側のラウンジには、カレーはない、のです。
そう、カレーがあるのは、本館のみ、なのです。がーん、ショック。
いまさら、シャトルで逆走して、本館側に戻るわけには、いかない。なーんだよう。そんなこと、いってなかったぞー。

ところで、われわれは、こういう状況を「想定外」という言葉で描写するのであります。
想定外とは、事前には、想定するすべもヒントもまったくありえない状況が起こってしまうことを、(後になって)そういうのであります。
原子力発電所が地震や津波で大きな事故を引き起こすかもしれない可能性については、前々から多くの人が懸念をしていたことであるので、それは「想定外」だったのではなく、「想定を怠っていた」だけのことなのであります。

2011年04月01日

名ゼリフ

先日、横浜のあるレストランで、ボクとSignificant Otherが食事をしていたら、30代前半ぐらいの男女が入ってきました。で、その男の方は、席に着くなり、席に案内したサーバーにむかい、次のように言い放ったのであります。
「カノジョが、今日は突然体調崩しちゃって・・・。だから、今日は、会社の後輩、連れてきました。」
ぷふっ。クスクス。あっははは。
いやー、これほどの名ゼリフ、しばらく聞いたことがなかったすね。
そこから、ボクとSOの詮索がいろいろと始まったのであります。
詮索①:そもそもなぜこんなことを、サーバーに告げなければならないのか?
SO:ふつうに考えれば、男の方は常連さんで、いつもとは違う女性を連れてきたことを、レストランの側が怪しいと思うのではないかと考えて、機先を制したっていうことよね。
ボク:しかし、そうだとすると、滑稽もいいところだ。第一に、「レストランの側が怪しいと思うのではないか」などと考えること自体、自意識過剰。それに、一流のレストランであれば、たとえ怪しいと思っても、それを暗示させるようなことは絶対にありえない。ということは、この男は、上のセリフをいうことで、レストランに対して「おたくは一流じゃない」というメッセージを発してしまっているわけだ。いわれた側のレストランにしてみれば、失礼な話だよ。で、それに気づかないってところが、ホント、滑稽だな。
詮索②:二人の関係は?
ボク:本当に後輩かな。それとも、レストランの手前、「後輩ってことにしておいて」と口裏を合わせることにしたのかな。
SO:何らかの後輩は後輩なんじゃない。そんな嘘つくような人に対しては、女の人は警戒するものよ。
ボク:じゃあ、男の彼女さんは、「後輩と行くから」ってこと、知らされているのかな。
SO:まさかー。後輩を気軽に連れて来るレストランじゃないわよ。男には下心がある、絶対。ワインとかガンガン飲んでるし。
詮索③:どちらが上か?
ボク:とすると、この女の方は、男の下心を知りつつ、ついて来たのかな。
SO:純粋においしいものを食べたかったのかもしれないけど、純粋そうに振る舞って、男の気持ちを試しているのかもしれないわね。
ボク:じゃあ、男の方は、女が自分の下心に感づいているということを知りつつ、来ているのかな。
SO:うーん。(しばし沈黙。ちらちらと二人の方へ目をやる。)いや、男は、わかってない。結局、男は単純だから・・・。男は、自分の方が上をいっていると思い込んでも、たいていは女に見透かされているもんだから。