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2009年03月30日

卒業おめでとう 2009

河野ゼミ5期生のみなさん、卒業おめでとう。
この2年間、君たちと一緒に過ごせたことで、ボクは自分の人生をとても楽しく豊かにすることができました。そのことに感謝します。
卒業式の日、君たちがゼミ室に入って最後の時間を過ごしたと聞いて、ジーンときました。本当に、いろいろな想い出が残りましたね。ボクは君たちのことを永遠に忘れない。君たちもボクのことを永遠に忘れないでください。
追いコンの時、「先生お言葉を」と言われて、うまくいえませんでした。
君たちに伝えたいことは、短い言葉で伝えられることではありません。しかし、ボクはこの2年間、いろいろな場面で自分の生きざまを正直にみせることで、君たちにそれを伝えたいと思ってきました。うまくいったかどうかわからないけど、そのうちのすこしでも伝わっていたら、時々それを思い出してください。
最後のカラオケでボクが唄った歌は、ルイ・アームストロングのWhat A Wonderful Worldでした。その中に、こういう一節があります。

赤ちゃんが泣いている
ボクは、彼らが成長するのを見守るだけ
彼らは、これからたくさんのことを学んでいく
きっと、ボクが知り得る何十倍、何百倍のことを

君たちも、ボクより何十倍、何百倍のことをこれから学び、社会に貢献していくでしょう。そして、君たちの子供たちが、君たちよりもさらに多くのことを成し遂げていく。そしてまたその子供たちが・・・・。だから、この世界は素晴らしいのです。
これから社会へでると、君たちもすぐ、自分のあとに続いてくる若い世代のひとたちに、何かを伝えなければならない立場になります。そのとき君たちは、いまボクが感じているように、自分がいかに未成熟で未完全であるかを思い知らされることでしょう。
でも、それでいいのです。そのときに、落ち込んだり自信をなくしたりしないで、上の一節を思い出してください。後から来る人たちが、先人を追い越していくことができるからこそ、この世界が素晴らしいのだ、ということを。
もう一度、卒業おめでとう。これからもっともっと輝いてください。


河野ゼミ5期生に、乾杯! 

2009年03月17日

知っているようで知らないアメリカ建国の話シリーズその⑪~「コンヴェンション」というコンヴェンションの起源~

現代の英語ではconventionというのは、「慣習」とか「慣行」という意味に用いられる。しかし、この言葉には、「会議」とか「集会」という意味もある。いまでは日本の各地にもコンヴェンションセンターなる建物が建てられているが、これらは大掛かりな会議や集会をする場所という意味でそう呼ばれている。いったい、慣習と会議というこの二つの意味は、どこでどうつながっているのだろうか。
周知のように、1787年フィラデルフィアにおいて新しい憲法を制定した会議は、「コンヴェンション」であった。これは、中世以来、スコットランドやイングランドなどで使われていた語法に拠ったものである。コンヴェンションは人が集まるという意味であるが、ポイントは、コンヴェンションとは国王の命によって招集される議会ではない、というところにあった。つまり、それは、「正式・正規ではない」会議や集会を指す言葉だったのである。
マディソンたちは、フィラデルフィアで新しい憲法を制定する行為が合法的でないことをよく承知していた。なぜなら、当時の13州(邦)は緩やかな連合規約というもので結ばれており、その規約の改正はすべての州の合意によらなければできないことになっていたからである。ゆえに、フィラデルフィアコンヴェンションは、まさに古典的な語法通りに、「正式・正規ではない」会議だったのである。
同時に、マディソンたちは、中世から近代へと時代が移行する中で、「正式・正規ではない」コンヴェンションが、ある種の正統性を持ちうるということに気づいていた。そのことを象徴する事件は、何といってもイングランドの名誉革命であった。この革命を起した人々は、当初みずからをconventionとよんでいたが、ウィリアムとメアリーを即位させるとParliamentと称することにしたのである。つまり、名誉革命とは、「正式・正規ではない」コンヴェンションが、「正式・正規である」議会を生んだという意味で、画期的な事件であったのである。
しかし、コンヴェンションがそのようなある種の正統性をもつためには、やや逆説的であるが、(単なる集会や会議という意味ではなく)この言葉に「正式・正規ではない」という意味自体が込められてなければならない。では、それはいつ、どこに由来するのだろうか。イングランドの歴史の上では、清教徒革命の後クロムウェルが一部の議員たち(長老派)を追い出した時に開かれた議会が「強行された議会」あるいは「不完全な議会」として認識され、conventionとして言及されていると記録が残っている。つまり、コンヴェンションという言葉が、欠陥ある議会という意味で使われているのである。しかし、この語法は、そもそもはどうやらスコットランドから来たものであるらしい。スコットランドでは、国王の命なくして開く議会として、conventionなるものが、すでに16世紀半ばには確立していた。そして、清教徒革命の時、スコットランドはイングランド議会と同盟をむすびそれを支持する。そこで、「不完全な議会」という意味でのコンヴェンションという言葉の使い方がイングランドに輸入されていったらしいのである。
冒頭で書いたように、コンヴェンションという言葉には、慣習とか慣行という意味もある。慣習とか慣行とは、文書化されたり明示されているわけでもないのに、どういうわけかそれにしたがってしまうような何か、である。慣習とか慣行という意味でのコンヴェンションも、その力の源泉はまさに「正式・正規ではない」というところにあるのである。
この項J. Franklin Jameson, “The Early Political Uses of the Word Convention,” The American Historical Review, vol. 3, 1898, pp.477-87 に多くを負っている。

2009年03月14日

Erin Burnettさんと、彼女にはるか及ばない人たちの話

アメリカの三大ネットワークのひとつNBCが毎週(現地時間で)日曜日の朝にやっているMeet the Pressという伝統ある番組がある。ボクはこれを欠かさずポッドキャストで見るようにしているのだが、去年の暮れからそのアンカーが政治記者出身のDavid Gregory氏に代わった。ボクの印象では、一生懸命さが前に出すぎて、早口だし、新聞からの引用が多すぎるし(どういうわけかその引用を読むときにいつもカムし)、質問の内容が抽象的すぎるし、一般の人々にはわかりにくくなってしまったのではないか、という気がする。ま、引き継いでからまだ間もないので、ちょっと長い目でみてあげよう、と思っているのだが、今日のお話は、この人ではなく、最近この番組によく登場するErin Burnettという方のこと。この方、経済についての討論になると出演するのであるが、聡明で、ハキハキしていて、コメントのバランスが取れていて、しかもとっても美人で、いまちょっと気になる存在である。おそらくボクの考えでは、アンカー自身が若返ったので、登場するコメンテーターも若い人を起用しようという局としての方針なのだと思うが、Burnett氏の起用は大成功だと思う。
この方、まだ30代そこそこなのに、どうやら他に二つほど、CNBCの方で自分がキャスターをつとめる番組をもっているらしい。メディア界に転身する前は金融機関につとめていた経験もあり、だから経済全般の最新情報に明るく、しかもひとつひとつのニュースに対する自分の理解の仕方みたいなものをもっていて、それを分かりやすく伝えてくれる。もちろん、彼女はこの番組ではあくまで脇役でしかない。しかし、ちゃんとそれを心得ていて、その役を忠実に演じている。
新米アンカーであるGregory氏にしてみれば、同じネットワークの中で働く彼女は心強い存在であろう。Meet the Pressの討論部分は、だいたいいつも4人ぐらいのゲストが呼ばれるのだが、その中でBurnett氏はいってみれば身内のコメンテーターである。だから、困ったら彼女にふればなんとかなる、という感じなのである。そして、実際のところ、どのような場面で話をふっても、Burnett氏はたいていうまく対応している。本当にすばらしい。彼女は最初からキャスターを目指していたわけでもなんでもないらしいが、おそらく、今後さらに立派なキャスターとして成長していくと思う。
さて、ひるがえって日本では、経験も実力もプロとしての自覚もない人たちが、報道関係に多すぎるような気がする。なんで酔っ払い中川と一緒に食事をしていた「美人」記者さんは、ダンマリを決め込んで、そのことを記事にしようとしないのか。よくそれで平気で給料もらっているよな、といいたくなる。あるいは大学を卒業したばかりのズブの素人が、なんでいきなりプライムタイムのニュース番組に登場できちゃうんだろうか。視聴者をなめているのか、といいたくなる。一般に女子アナには大学のミスキャンパスコンテストなどというものに躊躇なく出場しちゃうような人が多いが、どうして報道にたずさわる者としてそのような悪趣味の人たちを適格と判断し採用できるのか、ボクには不思議でしょうがない。
こんな状況では、Burnettさんにはとうてい及びもつかないし、世界に通用するジャーナリストは絶対育つわけがないと、確信してしまうのである。

2009年03月09日

ゲームはいつ(いかに)成立するのか

不朽の名作「明日に向かって撃て」の中に、最近ずっとボクの頭から離れないひとつのシーンがある。それは、映画のまだ前半部分で、列車強盗グループのボスである(ポール・ニューマン扮する)ブッチ・キャシディが、配下の1人からボスの座をめぐって挑戦を受ける場面である。相手は、頭はよさそうでないが、体格の大きな男である。取っ組み合いになったらかなわないかもしれないと察したブッチは、相棒のサンダンス・キッド(ロバート・レッドフォード)に「もし俺が負けそうになったら、アイツを拳銃で撃て」とささやく。その上で、その男に近づいていって、こういうのである。
「それじゃ、まずルールを決めようじゃないか」と。
すると、その相手の男はけげんな顔をして「ルールって、なんのことだ?」と問い返す。
その油断につけこんで、ブッチは男の急所を蹴り上げ、なんなくその挑戦を退ける・・・・。
さて、なんでこのシーンがボクの頭にずっとひっかかっているかというと、これはゲーム理論という考え方の根本的な問題を突いているかのように思えてならないからである。
経済学ではもちろんのこと、最近政治学でもよく応用されるゲーム理論では、人と人(あるいは国家と国家でもよいが)の間の相互作用を、ゲームにたとえる。いうまでもなく、ゲームでは、プレイヤーとプレイヤーが、最低限、お互い何かのゲームをプレイしているのだと認識していることが前提となる。市場での競争もそうであるし、国家間の外交もそうだ、というわけである。つまり、ゲーム理論では、プレイヤー同士が自分たちのプレイしている(あるいはプレイし始めようとしている)ゲームについての認識を共有していることが、ゲームが成立する要件である、とされる。
もしそうだとすると、上のシーンでは、ゲーム理論でいうところのゲームは成立していないことになる。なぜなら、ここでの当事者二人の間には、ゲームの認識について完璧にズレがあるからである。「ルールを決めようじゃないか」といわれた大男の方は、まだゲームが始まっていないと認識していたからこそ、油断して急所に一発喰らったのである。一方、ブッチにしてみれば、ゲームはすでに始まっているという認識でいたわけである。そして、「ルールを決めようじゃないか」といって相手を油断させることも、彼にとってはきわめて有効な戦略だったのである。
しかし、ここでは、やはりゲームは成立していた、と考えなければいけないのではないだろうか。この二人の間のやりとりを見ているわれわれ観客にとってみれば、どうみたって、ここにはブッチが勝者であり大男が敗者であるようなひとつのゲームがプレイされていたとしか思えない。大男の側の認識がどうあれ、ゲームはやはりすでにプレイされていたのであり、彼はそれに気づかなかっただけのことなのである。
ということは、どういうことか。オーソドックスなゲーム理論とはまったく異なり、ゲームが成立するかどうかは、ちっとも当事者たちの認識の問題ではないのである。ゲーム理論では、当然のことのように、ゲームに先立ってプレイヤーが存在すると考えるが、これはまったく逆であって、ゲームがプレイされているからこそ、プレイヤーが見いだされ定義されるのである。ゲームが成立するかどうかは、暗黙のうちにゲームの外部に存在すると想定されている、すべてを見通している全知全能の誰か(われわれ観客であったり、あるいは神であったり、さらにはゲーム理論家本人であったり)が、それを決めているのである。

2009年03月06日

知っているようで知らないアメリカ建国の話シリーズその⑩~マディソンのマイナーなしかしビッグな政治デビュー~

アメリカの連邦憲法は、実にその多くを1776年に採択されたヴァージニア州(邦)憲法に負っている。アメリカ建国の父であり「憲法の父」とも呼ばれるマディソンが、ヴァージニア出身であることを考えると、このヴァージニア憲法の草案作りにもマディソンは大きな影響を与えたに違いないと思われるかも知れない。しかし、実はそれほどでもない。というのは、その時彼はまだ25歳、いくらなんでも弱輩すぎたのである。確かに憲法会議には参加していたが、マディソンの周りには、ジェファーソン、エドモンド・ペンデルトン、パトリック・ヘンリーといった、錚々たる顔ぶれが揃っていた。中でも、皆の尊敬を集めていたのはジョージ・メイスン。憲法草案は、ほとんどが彼の手によるものであり、マディソンは貢献らしい貢献をしていない。
しかし、憲法と一緒に採択されることになるヴァージニアの人権宣言の草案についての審議の段になって、マディソンは政治的デビューを果たすことになる。それは、マイナーな語句の修正の提案のようにもみえたが、実は人間の歴史にとってとてつもなく大きな意味をもつ貢献であった。彼は、世界ではじめて、信教の自由を人間の権利として認めさせたのである。
この人権宣言の草案も、憲法草案と同じく、メイスンがほとんど起草したものであった。当時、ヴァージニアではアングリカンというキリスト教の宗派が、州の正統な宗教として確立していた。そこで、メイスンの草案では、「すべての人々は、良心が命ずるところに従って宗教的活動をするうえで、完全な寛容を甘受する(all men should enjoy the fullest toleration in the exercise of religion, according to the dictates of conscience)」となっていた。つまり、それは、アングリカン以外の宗教を信じていたとしても、なにも妨害や迫害をうけないことを保障する、という内容だったのである。
しかし、マディソンは、これでは信教の自由は、国家(州)が保障するもの、すなわち特権に過ぎないではないか、と考えた。そうではない、信教の自由は、人間が生来もつ権利でなければならない、そこで、彼は次のような表現を提案するのである。「すべての人々は、等しく、自由に宗教的活動することを権利としてもつ(all men are equally entitled to the free exercise of religion)」。
当時、これほどまでに信教の自由についてリベラルな態度を厳格に確立した州はほかになかった。このマディソンの貢献は、「われわれの市民としての権利が、宗教に関するわれわれの意見に基づくものでないのは、そうした権利が物理学や幾何学に関するわれわれの意見に基づくものでないのと同じである(our civil rights have no dependence on our religious opinions, any more than our opinions in physics or geometry)」という有名なフレーズで知られる、ジェファーソン起草によるヴァージニア信教自由法へと受け継がれていく。そして、それがアメリカの連邦憲法の修正第一条に組み込まれていったのである。
さて、前に「道路標識の謎」というタイトルで書いたことと関連するが、日本の憲法では、「第二十条【信教の自由、国の宗教活動の禁止】信教の自由は、何人に対してもこれを保障する」というように書かれている。もしマディソンが生きていたら、そしてこの憲法草案を作ったのがアメリカ人たちであると知ったら、何というだろうか、ボクにはとっても興味のあるところである。

2009年03月02日

メッセージにはメッセージを

ちょっと前になるが、ゼミ生たちがボクの誕生日を祝ってくれて、寄せ書き入りのサッカーボールをプレゼントしてくれた。ところが、マジックがだんだん薄くなって読めなくなってきたので、ここにメッセージを書き写しておこうと思う。ボールは、今度のゼミ合宿で、使おうね。
まずは、シンプルな方から。
西山君「お誕生日おめでとうございます。先生みたいな年のとり方をしていきたいです」。
←うん、シンプルだが心がこもっていてうれしい。
次は、俣野君。「先生のような年のとり方ができるといいなあと勝手に思っております」。
←西山君とほぼ同じなのに、「勝手に」ってところが見事に俣野語録になっている。
それが幹事長の吉田君になるとこうだ。
「若さとダンディズムが共鳴する河野先生が素敵です!かっこよく年をとる秘訣を教えてください」。
(←うっ・・・)
さて、誕生日だから、どうしてもボクの年齢とそれから体力のことが話題になる。
畑中君「僕も素敵な40代目指して頑張ります」。
細井君「僕も先生に負けない体づくりをしたいと思います」。
←そうそう、心も体もいまから鍛えないと、40代になってからでは遅いのである。
風間君「いつまでも走り続ける先生を尊敬です」。
←ところがだね、最近あんまり走ってなくて、お腹はブヨブヨになる、人間は丸くなる・・・。気をつけます、ハイ。
鎌田さん「お誕生日、おめでとうございます。来年辺り、先生に体力で負ける気がします」。
←あのさ、キミに体力で負けた覚えは、今年もないんだけど・・・
日野さん「私も先生みたいにサッカーできるようになりたいです」。
←ボクがサッカーできるというのは誤解です。
藤居さん「ゼミ生の誰よりも若い先生、OB会でお会いしてもきっとお変わりないことと思います」。
←そりゃ、いつまでも変わらずにいたいけど、むずかしいかも・・・
綿岡君「90歳になっても一緒にサッカーをしましょう」
←そりゃ、無理かも・・・
そうそう、学生の中には、こういう機会を利用して、中年オヤジをからかうタチの悪いのもいる。これらを本気にして、人生を誤ることがあってはいけないのだ。
佐藤さん「パスタとポークジンジャーおいしかったです。キッチンにたっている先生が1番かっこよかったです。胸キュン(ハートマーク)。心臓発作(ハートマーク)」。
←なーにが胸キュンだ、なーにが心臓発作だ、なーーーにがハートマークだ、だまされない、だまされない。
板村さん「先生に惚れて入ったこのゼミ、本当にすてきなゼミでした。いつまでもかっこいい先生でいてください」。
←うーん、君に惚れられても、年齢差だけじゃなくて、身長差が問題になるんだけれども・・・
森田君「こんにちは、先生大好き(ハートマーク)」(←うっ・・・キモい・・・)
匿名希望「どんどん顔がエロくなってきましたネ」。←失礼な。これって、ボクがキミにいった言葉でしょうが、ねえ、上河君。
最後に、卒業していく人の中には、感謝の言葉を書いてくれた人もいた。
白瀧さん「大変お世話になりました」。出口君「先生いままでありがとうございました」。
←いえいえ、至らぬところも多々ありました。こちらこそ楽しいゼミにしてくれて、みなさんありがとうございました。