知っているようで知らないアメリカ建国の話シリーズその⑩~マディソンのマイナーなしかしビッグな政治デビュー~
アメリカの連邦憲法は、実にその多くを1776年に採択されたヴァージニア州(邦)憲法に負っている。アメリカ建国の父であり「憲法の父」とも呼ばれるマディソンが、ヴァージニア出身であることを考えると、このヴァージニア憲法の草案作りにもマディソンは大きな影響を与えたに違いないと思われるかも知れない。しかし、実はそれほどでもない。というのは、その時彼はまだ25歳、いくらなんでも弱輩すぎたのである。確かに憲法会議には参加していたが、マディソンの周りには、ジェファーソン、エドモンド・ペンデルトン、パトリック・ヘンリーといった、錚々たる顔ぶれが揃っていた。中でも、皆の尊敬を集めていたのはジョージ・メイスン。憲法草案は、ほとんどが彼の手によるものであり、マディソンは貢献らしい貢献をしていない。
しかし、憲法と一緒に採択されることになるヴァージニアの人権宣言の草案についての審議の段になって、マディソンは政治的デビューを果たすことになる。それは、マイナーな語句の修正の提案のようにもみえたが、実は人間の歴史にとってとてつもなく大きな意味をもつ貢献であった。彼は、世界ではじめて、信教の自由を人間の権利として認めさせたのである。
この人権宣言の草案も、憲法草案と同じく、メイスンがほとんど起草したものであった。当時、ヴァージニアではアングリカンというキリスト教の宗派が、州の正統な宗教として確立していた。そこで、メイスンの草案では、「すべての人々は、良心が命ずるところに従って宗教的活動をするうえで、完全な寛容を甘受する(all men should enjoy the fullest toleration in the exercise of religion, according to the dictates of conscience)」となっていた。つまり、それは、アングリカン以外の宗教を信じていたとしても、なにも妨害や迫害をうけないことを保障する、という内容だったのである。
しかし、マディソンは、これでは信教の自由は、国家(州)が保障するもの、すなわち特権に過ぎないではないか、と考えた。そうではない、信教の自由は、人間が生来もつ権利でなければならない、そこで、彼は次のような表現を提案するのである。「すべての人々は、等しく、自由に宗教的活動することを権利としてもつ(all men are equally entitled to the free exercise of religion)」。
当時、これほどまでに信教の自由についてリベラルな態度を厳格に確立した州はほかになかった。このマディソンの貢献は、「われわれの市民としての権利が、宗教に関するわれわれの意見に基づくものでないのは、そうした権利が物理学や幾何学に関するわれわれの意見に基づくものでないのと同じである(our civil rights have no dependence on our religious opinions, any more than our opinions in physics or geometry)」という有名なフレーズで知られる、ジェファーソン起草によるヴァージニア信教自由法へと受け継がれていく。そして、それがアメリカの連邦憲法の修正第一条に組み込まれていったのである。
さて、前に「道路標識の謎」というタイトルで書いたことと関連するが、日本の憲法では、「第二十条【信教の自由、国の宗教活動の禁止】信教の自由は、何人に対してもこれを保障する」というように書かれている。もしマディソンが生きていたら、そしてこの憲法草案を作ったのがアメリカ人たちであると知ったら、何というだろうか、ボクにはとっても興味のあるところである。