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2006年05月21日

合宿でのスポーツ三昧

今年度第一回のゼミ合宿を挙行した。
場所は菅平。長野の上田市にあるセミナーハウスに一泊二日の日程で行ってまいりました。
ボクの場合、前期のゼミ合宿は、親睦を目的としている。3年生と4年生とがうちとけることができれば、それで大成功であると思っている。一日目の飲み会と、二日目のスポーツで、緊張がほぐれ、みんなの性格がしだいに露呈してくる。そうすると、それからのゼミの運営が断然やりやすくなる。どこで誰に、どのように話しをふれば、どう反応してくるかの予想がつくと、ゼミのディスカッションがスムーズで楽しくなる。それゆえ、合宿は一年間を通した教育上、とても重要な一こまであると思っている。
さて、今回は、両日とも、野球経験者である村尾君とキャッチボールをすることができた。ボクの荒球をちゃんと座って受けてくれて、ありがとう。一日目は結構ボールが走っていたし、コントロールもよかったが、さすがに二日目は肩が張って、思うように投げれなかった。「先生、フォームがダイナミックでなくなってきましたよ」というコメントを途中でもらったが、いやその通りでした。お恥ずかしい。
河野ゼミ恒例となった感のある3年対4年のドッジボール対抗戦は、面白かったね。ボクは4年に入り、結構活躍したのではないかと思う。女の子だけでなく(←ここ強調)、男の子も仕留めた。あれは、盛り上がるね。
ソン君に卓球で勝ったのも嬉しかった。ソン君はなにかというと卓球で勝負をしようとしてくるからね。あ、そうそう、吹出さんにも、左手でプレイするというハンディを負いながらも、勝てたんだからね。(このあたり、ちゃんと記録にとどめておかなくちゃ。)
しかし、サッカーは、マイッタ。最近全然フットサルをしていないので、もうサッカーのやり方をまったく忘れてしまった、という感じであった。最初の方こそ、コーナーキックとかフリーキックとかから、結構よいクロスを上げたりしていたが、後半はまったく見せ場がなかった。三浦君と山下君の華麗なプレイをみながら、いいなあ、と指をくわえるしかなかった。そうそう、木村君もなかなかいい動きをしていたし、中西君も2得点していたね。みんな、なかなかのもんである。
今回の反省点は、人数がたくさんいたのに、フィールドを小さく区切ってしまったことにあった。ボクは、スタミナでは、いまの大学生に負ける気がしない。小さい中でコマゴマやられると、テクニックの点で歯が立たないが、長い距離を走らせて疲れさせれば、彼らと今でも対等にできるのではないか、と思っている。しかし、どうも、(5分も走るとゼイゼイしはじめる)三浦君が、故意にフィールドを小さく区切ったのではないか、と思う。うーん、これで、ボクの持ち味が発揮できないまま、終わってしまった・・・。
ゼミ合宿では、思いがけない、いろいろな発見がある。食堂に早くきて、献身的にみんなの食事を並べる人がいたり、なるべく知らないひとと交わろうと目立たない努力をしている人がいたり、またボクに対してさりげなく気を使う人がいたり・・・ボクの(教師としての)役回りは、そういうことに気付いてちゃんと評価してあげることだと思っている。ボクなりに、ちゃんとみていたつもりですよ。
最後に、だれも怪我なく、東京に戻ってこれてよかった。
また、明日から張り切っていきましょう。

2006年05月18日

人生のニアミス

きのう帰宅途上の九段下駅で、東西線から半蔵門線に乗り換えるときに、ゼミ生の渡辺さんにばったりと出会った。ボクの早稲田からの帰宅経路は、ほかにもJR高田馬場経由、メトロ飯田橋経由、メトロ大手町―JR東京駅経由などいくつかあるので、これはちょっとした偶然である。ただまあこのぐらいの偶然なら、そんなに驚くこともないのかもしれない。しかし、この前の休日、横浜元町の喜久屋でお茶していた時、大島さんがご両親と一緒に入ってこられたときには、本当にびっくりした。えっ、これってどういうこと?という感じだった。人違いだったら嫌なので、ホンモノの(?)大島さんかどうか厳重に確認してから、声をかけた。そして、「おい、大島」と声をかけたら、「だれだ、オレを呼び捨てにするのは」といった表情でお父様がこちらを振り向いた。そりゃそうだよね。その節は、大変失礼いたしました。
思いがけないところで思いもよらない人に出会うことは、もちろん、それほど日常茶飯事に起こるわけではない。しかし、そうした偶然は結構起こるもの、という印象をボクはもっている。実際、ボクは、東京や日本のみならず、海外でも、こうした偶然の出会いを経験している。たとえば、昨日話題に上った西澤先生とボクとは、カナダの首都オタワのある橋の上でばったり出会ったことがある。また、ワシントンDCを歩いていたら、フーバー研究所時代に仲のよかった経済学者とはちあわせになったことがある。身近な東京や狭い日本だけならまだしも、世界的な範囲でこうしたことが起こるものなのである。
さて、このような人生における偶然を、どう考えればいいんでしょうかね。ひとつひとつの「偶然」になにか特別な意味が込められていると思い込むのは、モダンでロマンチストすぎる気がする。だからといって、ポストモダンニヒリストのように、こうした偶然が人間のあり方について示唆することが何もない、と断じるのも、ちょっと違うような気がする。ボクの考えは以下の通りである(←もしかしたら、こんなことはもう誰か(ヴィトゲンシュタインか?)がいっていることなのかもしれないが・・・)
思いもかけない偶然が起こる、それは何を示唆しているかいうと、もしかするとこの世界では、そうした偶然があとちょっとのところで起こったかもしれない「ニアミス」が無数に起こっている、ということではないだろうか。それらはニアミスであるがゆえに、ほとんど気付かれないで過ぎていってしまう。西澤先生とボクは、もうすでに、何回も、東京の山手線や京都の地下鉄で、隣同士の車両に乗り合わせたことがあったかもしれない。ボクと吉永小百合は、早稲田のラグビーの試合をごく近くの席同士で観戦していたことがあったかもしれない。偶然はわれわれの脳裏に記憶として刻まれるが、ニアミスはまったく記録に残らない。そして記録に残らなければ、それは世界の歴史上、起こらなかったことに等しいのである。
よく「運も実力のうち」という言葉を耳にする。ボクはその通りだと思う。なぜなら、ニアミスは、すべての人に平等に訪れているはずだからであり、この場合の実力とは、そうした「ニアミス」を「偶然」に引き寄せてしまう、その人の何らかの力にほかならないからである。

2006年05月17日

コラボについて

小学校からの友人M君は、ボクの日記を愛読してくれている。で、ある日、彼はボクの日記で扱ってほしいトピックのリストを送ってきた。リクエストにお答えしなきゃとずっと思っていたのであるが、なかなかいいアイディアが思いつかない。なぜかというと、そもそも彼の送ってきたトピックが難しいものばかりだからである。たとえば「日本の譲り合い文化」について書け、とおっしゃる。正義感の強いM君はそれが衰退していることを嘆いていて、オマエはどう思うか意見をのべろ、というわけである。あるいは「バント」について書け、とおっしゃる。草野球仲間であるM君はつねづねお客さんの観にくるプロ野球で4番バッターにバントをさせるのはおかしいと憤慨していて、オマエはどう思うか意見をのべろ、というわけである。
しかし、ボクは、こういう話題は、どちらの立場をとっても絶対に反対意見が出てくるものではないかと思う。そして、反対意見を持っている人をいくら説得しようとしても、そういう人が説得されることはまずない。「そうねえ、日本の譲り合い文化ねえ、そういえば希薄になっているようにもみえるけど・・・」と切り出しても、そのうち「でもさあ・・・」と反論がはじまる。「だって、今日地下鉄で若くて一見チャラチャラしたカップルがお年寄りに席を譲っていたぞー」などと、反対の事例を持ち出す(←実は本当にボクは東西線の中で今日そういう光景を目撃した)。厄介なのは、こうした事例というのは、どちらの立場からでも、いくらでも持ち出せるところにある。まさに、科学哲学でいうところの「データの理論負荷性」というやつである。人間は、もともと自分の思い込みの方が強いので、自分の立場と整合的な事例ばかりが目に付き、記憶してしまうものなのである。
さて、M君の送ってくれたリストには、ほかにもいくつかトピックがあったが、その中に「コラボ」というのが入っていた。ボクは、最初これが流行語だと知らず、「何それ?」と聞き返してしまった。M君「コラボーレーション、です、ご存じなかった?」ボク「それって、何と何のコラボレーションのことなの?」M君「例えば、ユニクロが企業とのコラボレーションで作っているTシャツや、吉田カバンとBEAMSとで作ったBagなど、いろいろ有ります・・・」そうか、知らなかった、そういうのをいまコラボっていうんだ・・・。それなら、われわれ研究者業界では、日常的に行われている。共著で本や論文を書いたりするのもそうであるし、ディシプリンの違う人々が協力し合って、あたらしい学問分野や研究テーマを立ち上げよう、などというのもコラボ、っていうことになる。
知っている人は知っているが、ボクの最初の業績は、現同志社大学法学部の学部長である(偉くなっちゃったなあ)西澤由隆氏との共著論文であった。もともとは英語の論文であったが、それを訳して日本のある学術雑誌に載せたとき、上の年代の先生たちから「共著なんですね」とめずらしがられたのを覚えている。その頃はまだ、日本の、すくなくとも政治学の分野では、共著論文というスタイルで研究成果を発表することがあまりなかった。もちろん、いまではそれは珍しいものではなくなった。そういう意味では、(エヘン)ボクは、もう15年も前に、コラボ流行の先端をきっていたわけなのさ♪
さて、M君、こんなもんで、どうかね。風邪、お大事にね。

2006年05月14日

アールグレイ&キャプテンピカード

TREKKIE、すなわちスタートレック・ファンなら誰でも知っているが、キャプテン(ジョン・ルーク)ピカードのお気に入りの紅茶は、アールグレイである。彼は、いつもUSSエンタープライズの船長室で、食物再現機に向かって「熱いアールグレイ」と注文して、飲んでいた。彼と微妙な関係の美しいドクター、(ビヴァリー)クロッシャーも、たしかアールグレイが好きだったのではないか、と記憶している。
このアールグレイであるが、ボクらが子供の頃、そんな紅茶は、日本になかった。だいたいボクらが小学校に通っていた時代には、日東紅茶かリプトンのティーバッグぐらいしか、紅茶なるものが日本には(←正確にいうと、わが家のまわりには)存在しなかった。ところが、今では、ごくふつうのスーパーでも、数え切れない種類の紅茶を陳列してある。その中からどれを選んでいいのかは、いつも迷う。最近は、文字通り経路依存でもって、アールグレイにしてしまう。
よく知らないけれども、アールグレイは、紅茶の中では、異端の部類に入るのではないか。他のティーとちがって、香りと味が人工的な感じがする。実際、最初飲んだとき、なんだかリップクリームだか香水だかの混ざった紅茶を飲んでいるようで、好きになれなかった。ところが、どういうわけか、何度か飲んでいるうちに、これが忘れられない風味になってくるのである。まさに、英語でいうところのacquired taste。だから、ほかに、たくさんの種類の自然系・正統派の美味しいティーがあるのに、わざわざアールグレイを買ってしまう。ストロベリーとかバニラとか、ほかにいろいろ自然系・正統派のアイスクリームがある中で、わざわざ抹茶アイスクリームなどというものを注文してしまうのと似ている。
ところで、キャプテン・ピカードがアールグレイ以外のティーを入れて飲むシーンって、あるんでしょうか。ボクは、そこまで熱烈なトレッキーじゃないので、そんなシーンがあるのかどうか、知らない。多分ないのではないか、と思う。こういうのは、登場人物にリアリティーを持たせるための、一種の仕掛けだからね。007シリーズで、ジェームス・ボンドがいつも「ウオッカマティーニ。ステアせず、シェイクしたやつをね」と注文するのと、まったく一緒である。ただ、ジェームス・ボンドに関しては、どこかで聞いたことがあるが、シリーズの中で2回だか3回だか、ウオッカマティーニ以外のドリンクをオーダーする場面があるんだそうである。しかし、考えてみれば、これもまた、リアリティーをもたせるための、仕掛けかもしれない。ごくたまに、そのようないつもと違う行動をさせることで、観客に「あれ、今日はなんか、あったのかな」などと、想像を掻き立たせることになるからである。
キャプテン・ピカードを演じていた俳優は、パトリック・スチュアートという。イギリス出身で、もとは舞台俳優であった。ボクは、この人に会ったことがある。もう2年ぐらい前になるが、銀座の歌舞伎座の前で人と待ち合わせていたら、彼が突然チケット売り場から出てきた。近づいていって、「写真をとっていいか」と聞いたら、断られてしまった。しかし、その代わり、がっちり握手をしてくれた。イメージしていたより、背が低かった。とっても綺麗な、若いブロンドの女性を連れていた。

2006年05月12日

銀座ライオンとギネスの話

いやー、いよいよというか、とうとうというか、待ってましたというか・・・
ついにビールの季節がやってきましたねえー。
なんてったって、日本の夏は、ビールなしには過ごせない。
蒸し暑い一日を終え、シャツもパンツもズボンも汗でビショビショになりながら、とりあえず、とにもかくにも、やあやあと、ビールで乾杯する。
ジョッキが衝突する音、がしゃ、がしゃ、がしゃ・・・
口に含んだビールをゴクリとすると、一瞬ヒヤリと咽喉が絞まる。その一瞬だけ、暑さを忘れ、天国にいく。しかし、すぐさま、あたりのジトジトな空気が、全身の皮膚を攻略にかかる。暑いよー、暑いよー、もうあきらめなさいよー、といった感じで攻めてくる。汗がじわじわにじみ出る。
それをまたなんとか凌ごうと、もう一回、ビールを口にする。しかし、残念ながら、この二口めには、一口めほどの感動は、もうない。そして、三口め、四口めぐらいになると、体を冷やす効果なんて、もう全然なくなっている。ま、日本の夏には、結局勝てっこないんですけど、ちょっと抵抗してやろうじゃんか、という気にさせてくるのがビールなのではないか。
さて、ボクの好きなビアーホールは、銀座のライオンです。
えっ?なぜかって?
まず、なにしろ、あの広々とした感じがよい。
それから、客層が圧倒的にサラリーマンとOL、というところもよい。今日も一日一生懸命働いたんだから、いいでしょ飲んだって、てな感じで、みんなビールを飲んでる。みんな楽しそうに飲んでいる。女を口説いてやろうなんてヨコシマな考えを持った男は、あんまり銀座ライオンにはいない。ここでイケメン男を引っ掛けてやろうなんてヨコシマな考えを持った女も、あんまりいない(←多分)。そうした変な駆け引きや下心のような雰囲気がまったく感じられず、あっけらかんとしているのが、素晴らしい。
ボクは、それほどビールに詳しいわけではないが、最近好んで飲むビールは、Guinnessである。ギネスのジョッキというのは日本ではあんまりないので、ビアーホールなどでは、サッポロ黒生を頼むことにしている。なぜか、黒ビールは、カラダによいのではないか、という迷信をボクは持っている(←これが迷信でないとどなたかに教えてもらいたいものだ)。
家では、もっぱら、ギネスをビンから直接飲んでいる。ビールというのは、缶から飲んでもまったく美味しくない。缶ビールであれば、必ずグラスに注いで飲む。しかし、ビンから飲むビールはとっても美味しい。グラスに注がない方が美味しい、とボクは思う。
実は、いまも、ボクはギネスを飲みながら、これを書いている。おとといからほんのさっきまで、締め切り原稿に追われていたのであるが、ようやくひと段落ついて、ホットしているところである。で、ギネスを飲み始めたら、日記を更新しなきゃと思い立ち、そうだ、ビールについて書こうという気になったのである。
いま、悩んでいるのは、もう1本飲んでいいものかどうか、ということである・・・。

2006年05月08日

カツサンドの売切れ

ボクはサンドイッチのなかで、カツサンドが特に大好きである。コンビニや駅の売店で、たくさんの種類のサンドイッチが並んでいても、カツサンドがあると、ついそこに手が伸びてしまう。カツサンドは、他のサンドイッチよりも、存在感というのか、インパクトというのかが、断然大きい。
別に、中味がトンカツである必要はない。チキンカツであってもよい。ボクの住んでいる近くの横浜元町では、海老カツサンドやカジキカツサンドなるものを売っている店があるが、それらもボクのストライクゾーン内である。要するに、揚げコロモとパンに甘いとんかつソースがジワリとしみ込んでいれば、それ以上、あんまりうるさいことはいわない。
ただ、世の中で売られているカツサンドに、キャベツが入っていない場合がある。キャベツの代わりにレタスが使われていることも、ときどき見受けられる。これらは、なんとも理不尽な話である。カツにキャベツ。本来、このふたつは、切っても切れない縁で結ばれている。トンカツ店へいって、キャベツの付いてないロースカツ定食やヒレカツ定食が出てくることは絶対にありえない。だから、キャベツの入っていないカツサンドなるものも、絶対にあってはならない。
カツサンドについては、子供のときの、ある想い出がある。
昔、ボクの家族は、毎年夏休みになると友人家族と連れ立って、山中湖に遊びに行くことにしていた。向こうでは、ボートに乗ったり(←怖かった)、魚釣りをしたり(←結局一匹も連れなかった)、花火をしたり(←よく覚えていない)、夜トランプしたり(←とっても楽しかった)して遊んだ。山中湖へ行くのに、われわれはいつも新宿から小田急ロマンスカーに乗った。現在では通勤にも使われるようになったが、当時ロマンスカーはまだ文字通りロマンに満ちていて、ボクら子供にとっては、遠足とかこうした家族旅行の時にしか乗らない特別な電車だった。
で、ロマンスカーでは、昼食を車内で注文できた。メニューには、カツサンドと書いてある。たしか、350円だった。ミックスサンドは300円。ボクは毎年、迷わず、カツサンドを注文した。しかし、不思議なことにカツサンドはいつでも売り切れだった。なので、ボクは、毎年仕方なく、ミックスサンドで我慢しなければならなかった。ミックスサンド・・・卵とかトマトとかハムとかが入っていて、バラエティに富むが、どこかインパクトに欠けるサンドイッチ・・・。ボクは、しぶしぶそれを食べながら、毎年、来年はきっとカツサンドを食べられるな、と信じることにした。それでも、翌年も、その翌年も、やっぱり、カツサンドはないのであった。
小学校高学年になり、すこし生意気になったボクは、ある年「申し訳ありません、カツサンドは売り切れです」と言われて、「あのぉ、去年も、おととしも売り切れだったんですけど、メニューに書いてあっても、本当はないんじゃないですか」と、イヤミったらしく販売員さんに文句をつけたのを覚えている。もちろん、その販売員さんは、そんなことはない、ちゃんとあります、といっていた(ように記憶している)。
でも、本当に、カツサンドは、毎年毎年、売り切れだったのかな。ボクは、新宿から発車するとすぐ販売員さんを見つけ出して注文するようにしていたから、どうしても最初からなかったんじゃないかという疑いをぬぐいきれない。それとも、ボクは、このカツサンド事件を、いつか夢かなにかで見ただけなのだろうか。大人になってから、ある小田急の関係者の方にこの話をしたことがあるが、その人もそんな昔のこと分かるわけないし、困っただろうね。というわけで、このミステリーは迷宮入り、真相が解明されることは、きっともうないのである。