政党、あるいはネコ科ヒョウ属の話
ライオンは、ネコ科ヒョウ属に属する。
実は、トラも、ネコ科ヒョウ属に属する。
なんだよ、おかしいじゃんか、ライオンとかトラの方が、ヒョウよりもよっぽどメジャーな動物じゃないのか、と思うかもしれない。
ライオンは「百獣の王」なんだから、ネコ科ライオン属とすればいいではないか。トラも、絶滅しそうで貴重な存在なのだから、ネコ科トラ属としておくべきではないか。そう思うかもしれない。
だいたい、ライオンとヒョウを、一緒にしていいのか、ライオンはライオン、トラはトラで、それぞれユニークな存在なのではないのか。そんな声も聴こえてきそうである。
しかし、やはりそうではないのである。
なぜそもそもわれわれは、「属」とか「科」とか「亜目」とかいったカテゴリーを作るのか。それは、小異ではなく大同を確認しようとするためである。つまり、(ヒョウ属の)ライオンやトラやヒョウと、ネコ科ネコ属の(ふつうの)ネコとを区別するため、あるいはネコ全般とイヌやクマとの違いを際立たせるために、そういう作業をするのである。
だから、ネコ科の中に、トラとライオンというそれぞれ別々の呼称のついたカテゴリーを設けてしまうと、カテゴリーを設ける意味そのものがなくなる。トラとライオンの違いを強調したいのであれば、「トラ」あるいは「ライオン」という名前そのもので呼べばいいのだけの話である。別に、ヒョウ属の中に入れられているからといって、トラやライオンのユニーク性がそこなわれるわけではない。
さて、話し変わって、なぜ民主主義には「政党」なるものが必要なのか。それは、政党という組織がないと、十人十色、千差万別である有権者の意見が、いつまでたっても集約されないからである。政党とは、まさに「属」とか「科」といったカテゴリーである。
つまり、それは、小異ではなく大同を確認するためのものにほかならない。自分はいったいどの人と意見が近いのか、逆にいえば自分の意見はどの人とは種類が異なるのか、そのことを確認する作業を積み重ねなければ、多数派が形成され政治的決定をできるようにはならないのである。
だから、個々の政治家が、こともあろうに、選挙の前に(自分の選挙事情か何かは知らないけれども)属していた政党を抜けて、新しい政党を作るというのは、おかしな話である。現有勢力が一人とかごく少数の状態が長らく続いている政党も、民主主義という政治体制のもとで民意を集約することの大切さをないがしろにしている、とボクは思う。少数意見を代表することは、もちろん大事である。しかし、同調するものを多数集められない以上、そうした意見は自分の個人名でくみあげるべきであろう。
いうまでもないが、少数意見も、詳しくみれば、その中にまたいろいろな意見もある。まさにヒョウ属の中にもいろいろなユニークな存在がいるのとおなじである。しかし、だからといって、ヒョウ科ライオン属を新たに設け、その下にさらなる細目を設けるなどということをしていては、カテゴリーを作ることの意味、そもそも政党という組織のもつ意味を損ねるだけなのである。